◇
・・・ここは、何処だ。
延々と続く竹藪。周囲に明かりはなく、薄い雲がかかった月が朧気に浮かぶ。
自分は一人だった。肌寒い風に肌を舐められがら、フラフラと頼りない体を引きずり、暗闇の中を歩いている。
オレはもっと、暖かい場所を知っている。目を閉じればすぐにでも浮かんでくるのだ。柔らかい寝床に、何よりも小さくて可愛らしい、アイツ。
でも、そこには居られないのだ。
―『おい、また出歩いているのか?』
声がする。周りには誰の人影もありはしないが、驚きはしない。
―『無視をするな。』
返事をするのも億劫だ。"自分"と会話するのはこの上なく面倒臭い。
―『・・・今お前、面倒臭いとか思ったろ。』
これだ。考えた事は筒抜けで、オマケに相手の声は何処へも逃げようが否応なしに頭に響く。
―『これで何度目だ。アイツから逃げ出そうとするのは。』
回数は知らない。何時からかこうしていた。
だが、原因はハッキリと分かる。
「お前のせいだよ。」
―『あん?』
声に出ていた。オレの中の何かが怪訝な声をあげる。
覚えは無いのだろうか。アイツといると、オレの中の誰かが暴れだしそうになるのを感じ取れるのだ。それが怖いから離れたのだ。何もおかしな事はない。寧ろ何故もっと早い内にこうすべきと思わなかったのかと、我ながら不思議に思う位だ。
ただ、不思議といえば・・・
―『ふざけんな!私は許さんぞ!!』
中の奴が激昂する。理由はさしずめ、暴れたそうなコイツに不都合だから・・・
多分、その筈なのだが。
『面白いものが見られるかもと、楽しみにしていたんだ。あの日、奴が目を覚ました、あの時から!』
口から飛び出る文句はいつも違っている。オレにとってはよく分からない、しかし嘘や出任せには聞こえない真摯な、いや、悲痛な声だった。
『お前はあの時泣いていた。奴を抱いて、震えて涙を流した!
その前にもガキのように泣いていたんだぞ!私が見た事も感じた事もない何かを抱えて!
私はまだよく知らぬのだ。このまま忘れ去るつもりか!』
「・・・・・・」
この必死な口調の理由は何だろう。生憎オレは"あの時"とやらは思い返してもピンと来ない。いわんや泣き出し震えるような気持ちを体に覚えた事も、無い。
ない筈だ。
―『戻れ。』
低い声が命令する。
微かに、強張っていた。
―『奴等、二度までも私に妙な仕掛けをしやがった。思い通りになるものか!!』
言っている意味が分からなかった。だが、ただ鬱陶しい声に黙って欲しくて、来た道を戻る。
後ろに明かりが見えないのに気づく。何故だか早足になっていた。
「・・・ルーミア。」
口から転がり出た名前が、落っこちて足にぶつかった錯覚がした。ふと目を落として見ると、小さな石ころ。
・・・さっき言った名前、何だっけ。大切なモノを無くしたような気がする。
◆
「・・・オハヨー。」
「・・おはよう。」
「おはよう。テイに・・・ルーミア。」
朝、丁度食卓が整った所で"二人"が姿を表す。テイ、そしてルーミア。
寝起きなせいかテイもルーミアも挨拶に覇気がない。しかし、それだけでは妙だ。今朝も。
「いっただきまーす!」
「・・・いただきます。」
挨拶に続いて意気揚々と箸をつけるテイに、釣られるようにルーミアもゆっくりと食べ始める。だがその様子はまるで、心理的に不味いレベルで食欲その他を失った人を思わせた。無言で、目は輝きを鈍らせ、よくみれば御飯、味噌汁、焼き魚、漬け物、それぞれに満遍なく手を着けてはいるものの、視線が食べようとする品に向けて動く事は一切無かった。食事を進める事に喜びを感じる様子が見られない。以前のルーミアと比べ、明らかに変わっている。
「・・・ルーミアちゃん、具合悪いの?」
うどんげが恐る恐る尋ねる。が、ルーミアは首をフルフルと横に振り、一言だけ「ちょっと寝不足。」と言った切りだった。
「・・・リザは?」
なるべく平静を装って尋ねる。ただし視線はルーミアの表情、仕草へと注ぐ。
「・・・?」
ルーミアは一瞬キョトンとした後、しばし眉をひそめて天井を見上げる。私やうどんげが表情を険しくしたのに気づいていないのか、視線を此方に戻し、思い出したように言う。
「ああ・・・まだ寝てるよ。元々寝起きは酷かったんだ。」
そう言って、ルーミアは元通りに箸を進める。さして気にも留めていないようだ。テイも流石に訝しんでか、口に御飯粒をくっつけながらルーミアを横目に首を傾げている。うどんげへと視線を移すと丁度視線がぶつかった。やはり同じことを思っているのだろう。
「じゃあ・・・」
続けて聞こうとして、ふと口が止まる。先程の反応が余りに空を切るようで、何を言えば良いのか分からなくなった。
「昨夜・・・何かしてた?」
ルーミアは怪訝な顔で私を見た。ややあって、ルーミアが平坦な口調で答える。
「さあ、すぐ寝てたから知らない。何で?」
「いえ・・・」
実際のところ核心をつく質問でも無かった為、言葉に詰まる。
「何でもないわ。だけど気を付けてね。
文が言うには、早苗が誤魔化してくれているらしいけど、霊夢達が目を光らせているから。」
「・・・ん。」
ルーミアは相づちだけ打って味噌汁を飲み干す。そして静かに箸を置いた。
「ご馳走さま。」
食器をまとめ、クルリと背を向けて台所へと去っていった。やれやれ、これは本気の無関心だわ。
「私も、ご馳走さま!」
「あ、テイ!漬け物もちゃんと食べなさーい!」
嫌いなモノを残してテイがすっ飛んでいった。うどんげは「もう」と呆れていたが、やがて考え込んでいた私に気づく。
「・・むむ。」
「・・・師匠。」
髪を落ち着かなく弄ってうどんげが尋ねてくる。
「・・・やっぱり最近、様子がおかしい。」
うどんげの手が止まる。しばし宙を見つめた後、眉をひそめて身を乗り出す。
「やはり、そう思います?あの態度・・・」
「当たり前よ。さっきのもそうだけど、ここ数日、決まってリザが夜中にフラフラしてたじゃない。」
ため息をつくと、うどんげは焦ったように目を泳がせる。まあ眠っていたのだろうが、毎晩神経を研ぎ澄ます嵌めになった私からすると些か呑気に見えた。
「夜の散歩とか・・・ないですよね。」
「無いわ。施錠した門を乗り越えてまで行くのは不可解だし、第一あの動き、夢遊病みたいだった。」
うどんげの下手な冗談にも笑ってはいられない。
あの日、ルーミアが回復した次の、そして早苗がここまで来たと言われたあの日からだ。
日に日に二人がよそよそしくなり、さっきのようにあからさまに元気をなくしていったのだ。
「何か仕込んだ・・・とか?」
「容易に想像できるわね。元々傍にいられるのが都合悪かったんだし。」
「で、でもあの鬱みたいにするのは何の意味があるんですか!?」
「親愛の感情自体に目をつけたんでしょう。ロボトミー手術みたいなモンよ。その方が都合がいいの。」
うどんげが嫌悪を露にした。無理もない。心の病気や負の感情を抱えた人間に、環境や思考のケアをすっ飛ばして「負」の認識そのものを感じなくさせる。ともすれば人を機械や歯車の如く扱う行為だ。外の世界でも非人道的と見なされたそれと似た事をしているかもと言われれば気分を害するだろう。罪人でもないあの二人なら尚更だ。
・・・しかし。
「師匠、それを取り除くには・・・」
「・・・・・・」
「師匠?」
"間違っている"と言うのは簡単だ。しかし、霊夢達の仕掛けを取れば解決するのだろうか。ルーミアが意識を取り戻した時は、私も柄になく愛情の力を信じた。
しかしその愛情とやらが、果たして善の方向にのみ作用するのだろうか。それが大きな災いをおびき寄せる可能性が・・・
「師匠!」
うどんげが怒った顔で私を睨む。悩んでいるのを見抜かれた。しかし二の足を踏んでも気にしてはいられない。
可能性自体は以前から知っていた。今まではその懸念より二人の情を優先させていた。・・・が、ここまでの事をする、その情そのものを抑え込むというのは、それこそ懸念が当たりかねない、危機が差し迫っているとは考えられまいか?
「・・・博麗の術には、私も明るく無いわ。」
「ちょ、師匠!?」
素っ頓狂な声をあげるうどんげを無視し、食器を重ねる。
「片付けましょう。もう御飯なんて気分じゃ無いでしょう。」
「誤魔化さないで下さい!なんだって今更・・・」
台所へと向かう背中にうどんげの声がぶつかる。足を止め口を開くが、出てきたのは事務的な台詞だった。
「・・・真実は念のため話さないでおきなさい。まだ術が仕込まれているかもしれないから。」
それだけ言って、早足に離れた。何も言われたくは無かった。情けないけれど今、私は殊更二人の肩を持つ気にはなれなかった。
都合がいいのは、霊夢や紫だけでは無いのだ。
◆
―『また、思い切った手に出たな。』
頭の中に低い声が響く。
(この期に及んで四の五の言ってられないわ。"前"のようにはいかないのでしょう?)
―『左様。一度封印を乗り越えられれば同じ手は通じない・・・』
落ち着き払ったような"彼"の声。しかし、言葉尻にはやはり歯切れの悪さが見え隠れしていた。
―『しかし・・・あの二人、まだ燻っておるぞ。』
(・・・!)
自分で眉にシワが寄るのが分かった。あの手を使っても、なお問題を完全には封じ込められないというのか。
―『貴様の思う以上に根は深そうだぞ。もう少し考えた方が・・・』
(二人の居場所は?どうしているの?)
―『なぬ?』
相手が珍しく怪訝そうな声を漏らす。
(幻想郷を見下ろす貴方なら分かるでしょう。)
―『どうせ頼るならこうなる前にして欲しかったな・・・』
今になって愚痴を言うな。何が変わると言うんだ。そう思ったのが伝わったのだろうか。ふと真剣な声が返ってきた。
―『今はまだ永遠亭にいる。何か動きがあれば儂から伝える。』
(頼むわよ・・・"龍神"様。)
フッ、と周囲の空気が変わる。目を開けると、いつもの博麗神社の境内に立っていた。
「話は終わった?紫。」
「ええ、貴女のお陰で容易にアクセス出来たわ。」
後ろには、さっきまで私の背中に触れて霊力を送ってくれていた霊夢がいる。顔は例によってしかめっ面だった。
「で、どうするのよ。」
「・・・アテはあるわ。人数が少ない方が、手は出しやすい・・・」
「?」
霊夢が首を傾げる。分かりづらかっただろうか。あのチンケなトカゲの妖怪へ"落とし込んだ"事を考えればすぐ連想出来ると思ったが。
「ま、今は良いわ。部屋に行きましょう。
・・・寒くなってきた。」
ヒュルリ、と吹いた乾いた風に霊夢は一つ身震いし、そそくさと部屋に引っ込んでいった。いい加減脇丸出しのその服を変えろ、と心の中で苦笑してから、何気無く空を見上げる。
「・・・・・・」
寒い筈だ。もう随分と日が落ちるのも早くなった。