鎮守府Aの物語 - 短編集   作:lumis

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完璧な秘書艦・逸仙がある朝、忽然と姿を消した。彼女の不在により鎮守府はどうなる?


逸仙のいない鎮守府
完璧な朝の異変


 

 鎮守府Aの朝は、いつもと変わらぬ穏やかな空気に包まれていた。

 

 提督の執務室では、C部署(艦これ系の艦が所属する部署)の秘書艦・鳳翔が、優雅な所作で書類を整理している。隣の席では、N部署(戦艦少女R系の艦が所属する部署)の秘書艦補佐・白雪が、几帳面に昨日の報告書をまとめていた。窓から差し込む朝日が、二人の艦娘の髪を柔らかく照らしていた。

 

 穏やかな雰囲気の空間に、妙高と高雄というこれまた穏やかさの代名詞たる二人の艦娘が入ってきた。

 

「今日もお茶の香りが素晴らしいですね。あら?でもこれはいつもと違うお茶かしら、逸仙さん?」

 

 入ってくるなりお茶の香りに気づいた妙高がそう声をかけると、鳳翔は当惑を隠しきれない曖昧な笑みを浮かべた。彼女の手元では、白磁の急須から琥珀色の液体が、音もなく湯呑に注がれていく。

 

「いえ、今日のお茶は私が淹れたんです。」

 

 代わりに答えたのが鳳翔だったため、妙高はいつもと違うのかと思ったがそれ以上は考えなかった。

 しかし、言いようのない違和感がそこにあるのに気づいた。

 

 今日のお茶はいつものように、清冽なジャスミンの香りを部屋中に満たさない。いや、それだけではない。普段なら朝の業務開始前から執務室に姿を見せているはずの逸仙が、いない。

 

 鳳翔はそっと湯呑を置き高雄を見やった。部屋に入ってきて窓際に向かった高雄は頬に手を当て、庭の景色を眺めているような素振りだが、肩の線が微かに硬直している。

 

「奇妙ですね……逸仙さんが遅刻など、私がここに着任して以来、一度もありませんでした。」

高雄が振り返り、冷静に眉をひそめる。

 

 

 高雄の言葉に鳳翔は頬に手を当て「そういえば」と言い、妙高ははっとした後、ゆっくり頷いた。

 

 時計の針が7時半を指す。窓の外では、小鳥のさえずりが聞こえるだけの静かな朝。それが逆に、奇妙な違和感を増幅させていた。

 

 妙高はティーカップを手に、普段よりもわずかに緩やかな微笑を浮かべた。

「まあ、たまには寝坊もあるでしょう。誰にだって」

 

 その言葉は、おそらく本人自身に対しての言葉でもあったのだろう。鳳翔は気づいていた。妙高が時々、五月雨たちの代理で総秘書艦を務める際、完璧を求めすぎて徹夜を重ねることがあることを。

 

 

 

 やがて時計の針が8時を指した。執務室の扉が開き、西脇提督が入室した。提督は明るめのネクタイを締め、いつものように気さくな笑みを浮かべている。だが、その足取りに、何かを探るような色があった。

 

「おはようございます、皆さん。……ん?逸仙さんは?」

 提督の問いに、鳳翔が丁寧に答える。

「それが、まだいらっしゃらないのです」

「ははは、流石に珍しい。体調を崩したのかな」

 提督は笑いながら席に着いたが、その笑みに微かな陰りを浮かべた。

 

 逸仙は鎮守府の「完璧な時計仕掛け」とも呼ばれる存在だ。彼女が欠けることなど、誰も予期していなかった。

 仕方なく、提督は白雪と打ち合わせを開始した。逸仙が準備してくれるはずの書類は、鳳翔と高雄が臨機応変に補っている。だが、細かな打ち合わせ事項や、逸仙しか知らない調整事項が山積みだった。

 

「N部署の予算書、逸仙さんが最終調整をしていたはずなのですが……」

 

 白雪が困ったように言う。几帳面な彼女の指が、書類の端を無意識に弄んでいる。白雪の気まずそうな雰囲気に、提督は優しく問いかけた。

 

「どうしたんだい?」

 

「そ、それが、逸仙さんが使っていたPC、全部中国語でわからないです。」

 白雪の発言に提督と高雄は同時に「は?」と間抜けな一言を発した。

 

 高雄が件のPCを開いて確認すると、確かに中国語繁体字になっていた。

「まぁ……これは仕方ないですね。でも資料は逸仙さんだって日本語で……」

 と言いながらPC内のファイルを探していた高雄は、冷や汗を一つ垂らした。

 

「ていと……先輩。ドキュメントも全部中国語で書かれてます。」

「!?」

 同じSEとしてインフラ機器の使い方に思うところがあった提督と高雄は、顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

 

「し、仕方ない、翻訳して進めよう。細かいニュアンスは逸仙さんが来たら確認して修正すればいい。」

「は、はい。」

 提督の戸惑いを目にした白雪は、戸惑いを共有してしまっていた。

 

 そんなやり取りの横で、妙高はお茶を啜りながら内心で時計を気にしていた。逸仙が遅刻する——それは、彼女自身が遅刻を許さない人物であることと同義だった。

 

 

 

 その頃、食堂では別の騒ぎが起きようとしていた。

 白い蒸気が立ち上る窓際の席。その一角のテーブルでは吹雪・初雪・深雪が勤務前の朝食を取っていた。淑やかにご飯を口にしていた深雪が、小さな声で呟く。

 

「逸仙さん、来ないね……」

 

 毎朝必ず顔を出して「おはようございます」と声をかけてくれる逸仙が、今日は姿を見せない。深雪の目は、食堂の入り口に釘付けになっていた。

 

「本当ね。いつもの席も空いてるもん。」

 吹雪がキョロキョロと辺りを見回す。隣の席では、肇和が肉まんを頬張りながら「おれの席に座ればいいじゃん」と無関心そうに言ったが、姉の應瑞に「肇和、はしたないので静かに食べなさい」と窘められた。

 

 應瑞は心配そうに眉を寄せている。逸仙を慕う彼女にとって、その不在は単なる心配事以上のものだった。

 

「でも本当、どうしちゃったんでしょう?」

 

 應瑞の言葉にその場にいた駆逐艦たちはうんうんと相槌を打った。

 應瑞ら中国の艦娘は、逸仙が何よりも自分への規律に厳しい人だということをわかっていた。そんな人が遅刻なんてするのだろうかと疑問がムクムクと湧き上がっていた。

 

 逸仙については、さらにその隣のテーブルで食事をしていた五月雨・村雨らも気になっていた。

「ねぇ、さみ。あなた今日秘書艦の仕事はいいの?普段だったら執務室で逸仙さんと会うんじゃないの?」

「ええとね。今日は私秘書艦の仕事はないの。」

「そうは言っても、他の人のスケジュールとか確認するもんじゃないの?」

 村雨のしごく当然なツッコミに五月雨はアタフタと視線を泳がせる。村雨も本当に深く追求するつもりはないため、言葉を一拍切って、お茶を飲んだ。

 

「まあ、何か用事があるんでしょう。気にしなくても、すぐ来るでしょ。」

 村雨が、大人びた口調でフォローする。だが、その声にも微かな不安が滲んでいた。

 

 その場にいた誰もが逸仙がどこにいったのかと口にしていたが、誰も答えられなかった。完璧な秘書艦の不在は、鎮守府の日常にゆっくりとヒビを入れていった。

 

 皆がやいのやいのと逸仙の心配をする横で、まだ熱い肉まんを呑気に指でちぎりながら、肇和が小さく呟いた。

「……なんかいつもの肉まんと、味が違うな。」

 

 きまり悪そうな表情で口にしたその言葉は、誰の耳にも届かなかった。

 

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