湯上がり特有の、火照った肌をなでる廊下の冷気。しかし、バスローブを固く握りしめた吹雪たちの心は、それ以上に冷え切っていた。
「信じられない⋯⋯。四枚、きれいに消えるなんて⋯⋯」
吹雪が湿った前髪を指先で払いながら、震える声で呟く。脱衣所のカゴは、ついさっきまで彼女たちの秘めやかな日常を収めていたはずなのに、今はただ、虚無を湛えたプラスチックの箱に成り果てていた。
「争った形跡はない。だけど、ピンポイントで『それ』だけが消えている。これは計画的な犯行よ」
Z16は腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。大人びようと背筋を伸ばすが、バスローブの裾から覗く素足が僅かに震えている。怒りか、それとも言いようのない羞恥からか。
「魔法⋯⋯ではないですよね。もっと、こう、ドロドロした事件の匂いがします⋯⋯」
グローウォームが不安げに周囲を見渡す。濡れた髪から滴る水滴が、事態の深刻さを物語るように床へ落ちた。
そんな彼女たちの動揺を、ギアリングが明るい声を響かせて断ち切った。
「ミステリーなら、こういう時はプロに聞くべきだよね!」
拳を握り、瞳を輝かせるギアリングが指差した先――それは、重厚な扉の向こうに広がるラウンジだった。
ラウンジは、夕闇の侵食を待たずに厚いカーテンで閉ざされていた。
琥珀色のランプだけが灯る部屋の片隅で、航空母艦レキシントン(CV-16)は一人、モノクロの探偵映画を鑑賞していた。眼鏡の奥の瞳が、画面の中の煙草の煙を追うように静かに動く。
「そんなに慌てて。まるで嵐に追われる小鳥ね⋯⋯」
四人の悲痛な訴えを聴き終えたレキシントンは、リモコンで画面を静止させた。ゆっくりと眼鏡のブリッジを押し上げ、深い溜息とともに微笑を浮かべる。
「面白いわね⋯⋯。密室ではないけれど、物理的に不可能な消失。これは典型的な『クローズド・サークル』ならぬ『内部犯行』のパターンよ。ミステリーの鉄則を教えてあげる。」
レキシントンが一拍、沈黙を生む。
「鉄則⋯⋯?」
四人の声が重なった。意味ありげに眼鏡の位置を直すレキシントンへ、熱い眼差しが注がれる。
「――最も疑わしくない人物こそが、真犯人なのよ」
「最も、疑わしくない人物⋯⋯?」吹雪がその言葉を反芻する。
「ええ。そして、犯行は繰り返されるわ」
「「「「繰り返される⋯⋯?」」」」
レキシントンの予言めいた言葉が、四人の脳内に不吉な波紋を広げた。
レキシントンは不敵な笑みを浮かべ、天井を指し示した。その真上にあるのは、この鎮守府の心臓部。
「この場所で、一見して泥棒から最も遠い聖域にいる存在⋯⋯。そう、アドミラル。そして、言葉を持たない目撃者⋯⋯猫。この二つが交差する点に、真実が眠っているはずだわ」
「提督が⋯⋯黒幕!?」
ギアリングの叫びが、静かなラウンジに木霊した。
レキシントンの推理に、それまで狼狽していた四人の胸のうちに一筋の光が灯る。それは決して明るいとは言えない、昏い確信だった。
レキシントンはそれ以上語らず、再びモノクロの世界へと戻っていった。彼女にとってはただの映画論だったが、切羽詰まった四人にとっては、もはや神の天啓に等しかった。
「見て、あれ!」
執務室へと続く廊下。鋭い眼光で床を走らせていたZ16が、一点を指差した。
冷たいリノリウムの床に、場違いなほど淡いレースが落ちている。
「⋯⋯グローウォーム、これ」
「ひゃああっ!私の、私のです!」
それは、紛れもなくグローウォームの秘部を守る布の防壁の成れの果てだった。
グローウォームが顔を真っ赤にしてそれを拾い上げる。その視線の先には、執務室の重厚な扉があった。
「⋯⋯決まりね」
四人は無言で頷き合う。執務室の目と鼻の先に落ちていた決定的な証拠。彼女たちの脳内では、扉の奥にいる人物がすでに「猫を操る悪の黒幕」として完成されていた。
勢いよく執務室の扉が開かれる。
そこには、山積みの書類を前に、疲れ果てた顔でペンを走らせる提督の姿があった。
「提督!大変なんです、私たちの下着が消えたんです!」
「うわあぁ!?なんだなんだいきなり!」
デスクで山積みの書類と格闘していた提督は、飛び込んできた4人の一斉の訴えに椅子ごとひっくり返らんばかりにのけぞった。ペンを放り出し、眼鏡を直すその姿は、およそ稀代の怪盗には見えない。
「私たちの下着、知りませんか!?」
「え、えぇ!?」
吹雪の追及に、提督は一瞬、硬直した。三十代の男にとって、これほど心臓に悪い質問はない。
「下着? し、知らんよ! 仕事中だぞ俺は!」
「とぼけないでください。これ、執務室の前に落ちていたんですよ」
吹雪が突き出したレースを前に、提督は額の汗を拭った。
「いや、知らねぇよ。⋯⋯って、それは確かグローウォームのやつだよな?」
その瞬間、部屋の温度が氷点下まで下がった。
「⋯⋯なぜ、それがグローウォームのだと分かったのですか?」
Z16の声音には、もはや隠しきれない軽蔑が混じっている。提督は慌てて取り繕おうとして、致命的な追い打ちをかけた。
「いやぁ、だって、その⋯⋯しょっちゅう視界に入るとというか⋯⋯。吹雪のは『白地に小さな桜』だし、ギアリングは『星条旗柄』、お前のは『機能性ブラック』だろう? 特徴的だから覚え――」
言葉を濁すが、そんな配慮が四人の心に届くはずもない。
心音さえ聞こえそうな静寂の中で、吹雪たちが一歩、また一歩と後ずさる。
「「「「変態だーーーー!!」」」」
「⋯⋯な、なぜ、全員のデザインを知っているのですか?」
吹雪の瞳から光が消える。ギアリングは提督に向けて指を指し揶揄し、Z16は軽蔑の眼差しを隠そうともしない。
グローウォームに至っては肩を震わせて顔を真っ赤にし両手で覆っている。
「いや!これはだな、演習の時の強風とか、ほら、事故的な視認が重なってだな⋯⋯不可抗力だ!記憶力が良いのが仇になっただけで、他意はない!」
「信じられません⋯⋯。最低です⋯⋯」
吹雪はグローウォームをかばうように身を寄せている。
「冤罪だと言ってるだろ! 第一、今はそれどころじゃないんだ! あ~ともかく、探偵ごっこならよそでやってくれ!」
逃げるように、四人は執務室から追い出された。しかし、その手には確かな「確信」が握られていた。
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「追い出されたけど⋯⋯やっぱりあのアドミラル、クロね」と吹雪。
「信じられません⋯⋯あの指揮官様が、私のぱ⋯⋯下着を欲していたなんて。」グローウォームはまだ顔を真赤にしている。
ようやく下着を一つ取り戻したというのに、怒り心頭のまま廊下へ出た一行。
そこへ、慌ただしい足取りでアトランタが現れた。彼女は珍しく眉を吊り上げ、周囲をキョロキョロと見渡している。
「あ、アトランタさん!ちょっと聞いてくださいよ~!」
吹雪がアトランタに泣きつこうとする。
「にゃにゃ! こっちもちょっと聞きたいことがあるんだにゃ!」
アトランタは逆に四人を詰め寄った。
「今、逸仙さんの指示でオスカーを追ってるんだにゃ! 何か布切れを咥えて逃げたって話で⋯⋯」
その言葉に、4人の眉がピクッと動いた。
「布切れ!?」
四人の脳内で、バラバラだったピースが不吉な音を立てて噛み合っていく。
「どういうことなの?」
ギアリングの問いに、アトランタは困惑したように首を振った。
「詳しいことは知らないにゃ。なんでも、逸仙さんが脱衣所に入ろうとしたら、逆にオスカーとジンジャーが飛び出してきたらしいんだにゃ。」
「逸仙さんが脱衣所に⋯⋯?」
「オスカーとジンジャーが出てきたって?」
吹雪たちは顔を見合わせた。提督の不審な知識、猫の暗躍、そして逸仙の謎の行動。すべての点線が、最悪の形で一つの図形を描き出していく。
「これは⋯⋯計画的な犯行ね。」
そう言って何もない空間にビシリと指差したZ16はさらに続ける。
「逸仙さんは、きっと提督の秘密の指示で、私たち駆逐艦の下着を狙っていたのよ!」
「「「な、なんですって~!!」」」
「にゃんと!?」
吹雪たちに釣られて飛び上がらんばかりに驚いて見せるアトランタだが、その注意はすぐに別のものに向けられた。
5人が話している廊下の向こうを、一匹の猫が何かを咥えて矢のように通り過ぎた。
「あ、いた! ジンジャー! 待つんだにゃ~!」
アトランタが叫び、全力で駆け出す。室内での使用が禁じられている艤装のコアユニットを起動させ、文字通り「超速」で。吹雪たち四人もまた、その背中を追うように走り出した。
少女たちの瞳には、もはや疑念よりも圧倒的に確かな一つの巨大な「陰謀論」しか見えていなかった。