天宮駐屯地の一室をに緊張した空気が支配していた。
数名の男が居並び、中央に立っている折紙に厳しい視線を向ける。その中、折紙の弁護人である燎子だけは不安そうな目をしている。
今、この部屋で行われているのは、〈ホワイト・リコリス〉を無断で使用した折紙に対する査問だ。査問などと言ってもそんなものは形でしかないのをこの部屋にいる人間は誰もが理解しているだろう。
「鳶一 折紙一曹を懲戒処分とする。
正面に座った桐谷陸将が折紙に処分を言い渡す。それを聞いても折紙は表情を変える事なく小さく息を吐く。
〈ホワイト・リコリス〉を無断で使用したのもあるが、そもそも
折紙もそんな事は覚悟の上だったが、これで自分の家族を殺した精霊を探す道筋が途絶えることにもなる。それだけが後悔だった。
その時、ドアが開かれ視線がそこに集中した。
「なんだ、査問中だぞ。誰も入れるなと…」
「ああ、お取り込み中だったかな。これは失礼」
ドアを開けたのはくすんだアッシュブロンドに鋭い目元が特徴的な男が秘書と思われる従えて立っていた。
…サー・アイザック・レイ・ウェストコット。世界で唯一
「ミスター・ウェストコット…?なぜあなたが…」
「ダウンしたマナの激励とお見舞いにと思ってきたのですが…あの〈ホワイト・リコリス〉を動かしたて精霊と戦った隊員がいると聞いて来てみれば、こんな可愛らしいお嬢さんとは思いませんでしたが」
「その事については後に正式に謝罪をさせていただく。一曹にも処分を与えるつもりだ」
桐谷陸将は必死に動揺を押し殺しているつもりらしいが、隠しきれていない。
〈ホワイト・リコリス〉はDEMの実験機であり秘匿技術の塊だからだ。
「私はこの件を責めるつもりも要求を通すつもりもありません。それにアレを扱える
「ミスター、これは隊の規律の問題だ。一曹には記憶処理を施した上での懲戒免職が妥当という決断が出た」
「オォゥ…おわかりいただけませんか。私がこれだけ言っても。なら、私は
この瞬間、ウェストコットの雰囲気が変わった。
「伝言?誰からの…」
「それは…NEROからのメッセージですよ」
それを聞いた途端、折紙と燎子以外の人間の顔に動揺が走った。
今まで沈黙していた人物が自分達に向けて何か言ってきたとなればそうなるだろう。
「あなた達も知っての通り、NEROは電子機器開発だけではなく、
ウェストコットは秘書の少女から書類を一枚受け取り、それを渡す。それを見た瞬間、桐谷陸将が目を見開いた。
「それが本人からの言葉というのは彼が所属している企業の人間である私が保証しますよ」
「…確かにこれはNERO本人からのものだ…だが、今まで何も意見が無かったのに今回だけというのは都合が良すぎるのでは無いか?」
顔も知らない人間に自分の下した判決を覆される。
その事が桐谷陸将のプライドを強く刺激した。NEROは優秀な人間だが、向けられるのは友好的な目や言葉だけではない。
顔を見せない事に対する不満や、もしNEROがいなかったら…そんな良からぬ事を考える人間もいるのだ。
「今まで何も言ってこなかったのは、あなた達の判決が正しいと思ってたからですよ。ですが、今回は優秀な
「くっ…!舐めるなよ民間企業が…貴様らの飼っている飼い犬ごときに我らが屈すると思うな…」
ここでNOと言うのは簡単だ。だが、そうしてしまっては最悪、天才技術者に喧嘩を売るという結果になってしまう。
それでも、今は後の事よりも、すべてお前達の思い通りになるなという気持ちが勝ったのだ。
「ご立派…なら、これもあなたに渡した方が良さそうだ」
ウェストコットは次に薄型の液晶タブレットを秘書から受け取り、桐谷陸将に渡す。その画面を見た途端、驚きのあまり声を漏らした。
「なっ!なぜこれをお前達が知っている!?これは自衛隊幹部しか知り得ない極秘情報だぞ!!」」
「それについては私は目を通していませんのでご安心を。その反応から見ると、どうやら堂々と見せられる内容ばかりでは無いようですね」
これは無言の脅迫だ。NEROはいつでも自分達を見ているという事をこの場にいる全員は思い知らされたのだ。
桐谷陸将は恐怖と悔しさの混ざったような顔をし、手に持ったタブレット端末を床に叩きつけた。その衝撃で画面にヒビが入る。
「鳶一 折紙一曹を、二ヶ月の謹慎処分とする…」
悔しげに歪んだ唇から、その言葉が漏れた途端、この場にいる人間全員が驚く。
二ヶ月
折紙は自分の事にも関わらず、異議を申し立てようとするが、それを見て慌てた燎子に手を掴まれて部屋を出て行く。
ウェストコットはそれを怪しげな笑みを浮かべて見ていた。
「見たかエレン、あの場にいた者は誰も事の重大さを理解してない。そんな無能が一人の天才を糾弾しているのだからおかしなものだ」
「そうですね」
廊下を歩きながら、ウェストコットがそう言うと、数歩後ろを歩く少女、エレンが返答する。
「しかし、彼がこういう事に口を出してくるとは珍しい。普段は我が社の軍事情にもあまり興味を示さないというのに」
ウェストコットの独り言を聞いていたエレンは何かを思い出したように手にしたファイルを開いた。
「そう言えば精霊、〈プリンセス〉について一つ報告が」
「〈プリンセス〉?確かに三ヶ月前から確認されてないと聞いたが、別に珍しくはないだろう?」
「そうなんですが、これを見てください」
そう言ってエレンは一枚の写真を見せる。そこにはさっき見た折紙が写っていたが平時は学校に通っていると聞いていたので驚きは無い。
問題はそれではなく、折紙と一緒に写っていたが少女だ。
腰まである長い夜色の髪、美しい面、幻想的な水晶の瞳。一目見たら忘れないであろうその顔は、ウェストコットの知っている精霊〈プリンセス〉と全く同じだった。そして…
「これは…なぜ
二人をやれやれといった顔で見ている少年…白髪と蒼い目、整った容姿と、こちらも一度見たらなかなか忘れる事のできない印象だが、ウェストコットが彼を見るのは初めてではなかったのだ。
「〈プリンセス〉と思われる少女と親しい仲であると報告されてますが、
「ほう…それをもう少し見せてくれるかな……なるほどグッドタイミングじゃないか」
エレンから受け取ったファイルを見て、ウェストコットは口の端を歪める。
「この件は君に任せよう、エレン。〈プリンセス〉と思われる少女の正体を…それと、彼を連れ戻してきてほしい。
エレンは表情なく『分かりました』と答える。ウェストコットはそんなエレンを見て小さく笑いながら、手に持ったファイルを返して再び歩き始めた。
「さて、休暇は終わりだ」
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七月、この月は学生には夏休みが始まる月だ。しかし、その夏休みの前にある敵が立ち塞がる。
そう、悪い点数を取れば夏休み中に呼び出される期末テストだ。
どの学校にも苦戦する生徒が多いがここ、来禅高校には特にその生徒が多い。
その理由は精霊、狂三のせいでほとんどの生徒が数日前まで病院にいたからだ。そんな事があったにも関わらず、テストは予定通りに行われた。
どの生徒も唸り声を上げる中、士道は狂三の件のほかに、妹の琴里の霊力封印などもあり、普通の生徒以上にテスト勉強などする暇は無かったのにのだが、さほど苦戦する様子もなくペンを走らせている。
その理由はテスト前に開いた勉強会でとても優秀な友人が分かりやすく解説してくれたからだ。
士道はチラリとその優秀な友人であり、テストを開始して、五分足らずで夢の世界へと旅立った蓮の姿を見る。
士道は蓮の事を全く知らない。以前にイギリス出身である事と今の名前が本当の本名では無いと聞いたが、それだけであり、好きな食べ物も彼の家がどこにあるのかすら分からない。
学校でも士道や十香と話してない時は、席で英語の本を読んでいて、士道にはそれが自分の事を必要以上に知られたくないから、他人と関わらないように見える。
それが気になり、少し前に琴里に聞いてみたところ…
『士道、あんた、自分の事を教えようともしないで他人の事を知りたいなんて都合が良すぎるんじゃない?そうね…じゃあその一歩として、中学の時、鏡の前で変なポーズをとっている写真を…』
そこまで思い出して士道は考えるのをやめた。それでは自分の事というより弱みを握られるという表現が正しいような気がしてくる。
しかし、琴里の言う事ももっともだ。士道も知られたくないような事を無理に知ろうとは思わない。そう結論付けてテストに集中した。
テスト終了のチャイムが鳴り響く中、蓮はパチリと目を開ける。
(やっと終わったか…暇な時間だったな)
手元の問題用紙には八割ほど解答されている。
去年はほとんど出席していなかったため、そのマイナスを補うため、全テストを満点にしていたが、今年はそれが必要なくなったので適当に書いただけだ。
答案を前に送り、担任のタマちゃんが全科目終了の声を上げると放念や歓声が聞こえてくるが、その喜びがイマイチ分からない。
そこまで学生にとってテストというのは嫌な存在なのだろうか、今まで学校に通った事のない蓮には分からない。
テストが終わると十香はやけに疲れた様子で教室を出て行き、士道も折紙と一緒にどこかに行ってしまったが、どうせ琴里の件で女子トイレにでも連れて行かれているのだろう。
それを横目で見て、大きくため息をする。
普通じゃない自分が普通の学生を演じているのを、もし、昔の自分が見たらなんて言われるだろうか。
きっと、嘲笑をした後、皮肉の一つや二つ言われるだろう。それほど自分が丸くなったという自覚がある。
これも〈ラタトスク〉…士道や十香、琴里達の影響だろう。
数分後、その士道が教室に帰ってきたのだが、十香も加わり、修羅場と化していたが、どうせ女子トイレを出るのを十香に見られたのが原因なのだろう。こんな事、もはや珍しい事ではないので興味を持つ事もないのだが、純粋な十香を泣かせるのはあまり感心しない。
(帰るか…)
そう思った時、前に立ったタマちゃんが手を叩いて注目を集める。
「帰りのホームルームを始める前に修学旅行の部屋割りと飛行機の座席を決めますよぉ」
それを聞いて、クラスに『あ…そういえば…』みたいな声が漏れる中、蓮だけは『え?修学旅行?え?何それ?』と言った反応をする。
前に読んだ本にそれに関する事が書いてあった気がする。たしか、一年に一度、学年で宿泊の旅行をするという行事だったはずだ。
前でタマちゃんが修学旅行の行き先が変更になったなど、説明をするが蓮はある事とを考えるのに頭を使っていた。
集団で、という事は風呂も温泉などで一度に多人数の生徒が入浴するだろう。
それはマズイ、かなりマズイ。
そうなっては自分の背中を必ず見られるだろう。それだけは何としても避けなければならない。
部屋にあるシャワーを使う…いや、これだけの人数が泊まるのだ、ホテルではなく旅館だろう。これは期待できない。
クラス中が部屋割りのメンバーを作る中、蓮の元には誰も来ない。去年は学校にほとんど来ていないのに加えて、普段もクラスメイトと関わっていないので親しい友達はほとんどいない。(まあ、来られてもそれはそれで困るのだが)
最悪、修学旅行を欠席するという考えが頭を浮かんだ時、
「レン!その部屋割りとやらを一緒に組むぞ!」
士道の腕を掴んだ十香が蓮の元へとやって来る。
それを聞いて一つの閃きが浮かんだ。十香と士道ならこの身体の事を知っているので部屋割りのメンバーとしてはベストだ。
風呂の件はとりあえずあっちに行ってから考えればいいだろう。
士道は本来なら『男女は別部屋でなくてはダメ』と言わなければならないのだが、蓮も場合は事情が事情だ。
それに蓮なら十香を襲ったりなんて無いので大丈夫と考えている自分がいるので不思議だ。
だが、三人が一緒の部屋になるのを許さない女がここにいた。
「二人が一緒の部屋となるなら、私は士道と同じ部屋になる」
折紙は士道を引っ張り十香から士道を奪う。当然、十香はそれに黙っていない。
「おい!私は二人と一緒がいいのだ!貴様なんぞに渡す気はないぞ!」
「心が狭い女。それでは士道と同じ部屋なんて生まれ変わっても無理」
「なんだと貴様!!」
喧嘩を始める二人にタマちゃんが間に入る。
「け、喧嘩はダメですよぉ、それに男女は別々じゃないとぉ」
「むぅ…なぜ別々でないとダメなのだ?タマちゃん先生よ」
「えぇ?そ、それは…その…」
顔を赤くしてごにょごにょと口ごもるタマちゃんを見て、蓮は思わず『しっかりしろよ担任』と言いたくなるのをなんとか堪える。
すると、タマちゃんは急に思い出したような顔をして蓮に話しかけてきた。
「あっ、そういえば言い忘れてたのですけどぉ、神代君だけは別部屋で一人なんですよぉ」
「別部屋?何故?」
「旅行会社から、何故か神代君の部屋と入浴時間などを普通の生徒と別にするように言われていましてぇ…すみません…」
「いえいえ、全然構いませんよ!」
理由は分からないが、蓮にとっては破格の待遇だ。これを拒むなんて選択はない。
士道もそれを聞いて折紙と同部屋となるのもチャラとなった。だが、十香は悲しげな顔をする。
「普通じゃ男女一緒はダメなんだよ。我慢しろって」
「う、うむ…残念だぞ…」
少し不満そうだが、なんとか納得したらしい。
これで不安の芽を摘む事もできて安心して満喫できると思ったが、それは容易く砕かれるのを、蓮はまだ知らない。