蓮の家は夕食後に風呂に入る派だ。そのため、夕飯が終わると先に風呂を沸かして、その沸く時間を利用して食器などを洗うという無駄のない時間の使い方をしている。
当然、洗い物が終わった頃には風呂はいつでも入れる状態になっているので、浴室の場所を教えた後『風呂が沸いたら好きな時に入っていい』と皆に伝えたのだが…。
「ってあれ?風呂が沸いたら入っていいって言ったはずだよな?」
暖簾から顔を出すとテレビゲームに夢中になっている十香、耶具矢、夕弦とミルクにおやつをあげている四糸乃、テーブルでくつろぎチュッパチャプスの棒を咥えた琴里の姿が見えた。士道は洗い物を手伝ってくれているためキッチンにいる。
「客人の私達があんたよりも先にお風呂にはいるのは流石に遠慮を知らなすぎるわよ」
「んー、まあそう言うなら、先に入るよ」
琴里にそう言われて着替えを取りに部屋を出て行く。蓮は気づかなかった、その時の琴里の口元が悪魔のように歪んでいた事に…。
「ふう…風呂を作った人間は素晴らしいな。特にお湯に全身浸かるなんて発想はそうそうできるもんじゃない」
木で出来た浴槽に腰を下ろしてリラックスする。浴室はシャワー三つに、大人が三人両手両足を広げてもスッポリ納まる大きさの浴槽という風呂場というより銭湯のように思える場所だ。
いつも思うのだが、これほどの大きさにする必要性を一人暮らしではほとんど感じられない。
(日本には大は小を兼ねるっていう言葉があるし、小さすぎるよりはマシなんだけどな…)
頭の上に乗せたタオルで流れる汗を拭いた時、いきなり脱衣所の扉が勢いよく開いた音が僅かに聞こえた。その音にピクリと耳を動かす。
次にゴソゴソと服を脱ぐような音が聞こえてくる。
(一体誰が…もしかして士道か?いや、それはそれで問題があるような…)
士道はクラスメイトからおホモだち疑惑が囁かれている。もし風呂場に入ってくるようならその噂は間違いなくクロとなってしまう。
そんなどうでもいい事を考えていると、今度は浴室のドアが開く音が響き、ヒタヒタと床を歩く音が聞こえてくる。姿を確認しようにも湯気が濃く、ドアから浴槽までの距離が開いているのもあり、確認出来ない。
もし士道だった場合、顔面にパンチでも食らわせようかと思い右手を握る。だが、その拳が放たれることは無かった。
「んんんー。風呂場が大きいというのは素晴らしいものだな!」
聞き覚えのある声とともに視界いっぱいに十香が映し出される。当然ながら、服は脱いでタオルを身体に巻いただけという無防備な姿であり、膝まではあろう美しい夜色の髪は短く結んでおり普段は見えないうなじがとても綺麗だった。
蓮から見えるという事は当然だが十香からもこちらの姿を確認する事が出来る。バッタリと遭遇した二人には声を発することも動くこともない謎の二秒の硬直が発生した。そして…
「なっななななっーーー」
顔をトマトのように真っ赤に染めて脱兎のごとく素早く浴室から出て行ってしまった。正直、殴られるぐらいは覚悟していたのでこの反応は予想外だった。
「す、すすすまん!琴里が誰も入っていなかったと言っていたから入ったのだが、まさかレンがいたとは!」
ドア越しにこうなった理由を説明する十香だが、これではまるで立場が逆だ。実を言えば、十香もなぜこのような行動をしているのか自分でも分からなかった。
士道の家に一時的に住んでいた時も同じような状況になったことがあるが、その時はとっさに士道を湯船に沈める事が出来た。しかし、今回は蓮が相手となるとなんだかこちらがイケナイ事をしている気分になり、思わず逃げ出してしまった。
そんな十香とは逆に蓮は狼狽することなく、いつも通りの様子だ。
「司令官殿が…ね。OK、事情はよく分かったよ。十香は悪くない、だから謝らなくていいよ」
謝る十香に慰め(?)の言葉をかける。すると、そこから何か考えるように小さく唸ると、次の瞬間とんでもないことを十香に言った。
「そうだ、十香がよければでいいんだが…身体、洗ってやるよ」
まるで『手を繋ごう』みたいな軽いノリで放たれたそれに、ドア越しの十香の顔がさらに真っ赤になる。だが、それほどの羞恥を感じても十香は浴室へのドアを少しだけ開けて中を覗き込んだ。
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(ど、どうしてこうなったのだ…!)
風呂椅子に座り、緊張のあまり背筋と腕をピンと伸ばした十香は心の中でそう自問した。背後では腰にタオルを巻いた蓮がスポンジを泡立てている。
「それじゃあ、痒いところがあったら言ってくれよ」
スポンジが泡立つと、そう言って背中を洗い始める。最初は緊張していた十香だったが肌や相手の事を考えた優しい洗い方が心地よく、小さく息を漏らす。一人暮らしだというのになぜ他人の身体を洗うのに慣れているのかが不思議だ。
「ふう、次は後ろから前を洗わせてもらうけどいいか?」
背中を洗い出して数十秒後、その一言で十香の緊張の糸が再びピンと張りつめる。
「ま、まままま前を洗うだと!?」
「前に回らないから心配しなくていい。どうしても嫌だったらそう言っても構わないから」
恥ずかしいのに不思議と嫌とは言えずに首、肩と洗っていく。そしてお腹を洗っている時、ハプニングが起こった。
「ひゃっ!?」
洗っている蓮の腕が偶然、十香の胸にペトリと当たってしまいくすぐったいのと驚きから思わず妙な声を出してしまう。その事で後ろにいる蓮から謝罪の言葉がかけられる。
「おっと!…ごめんな十香。後ろからだと気づけなくて…」
「べ、別に気にしなくても!い、いいぞ…」
そう言うが一番気にしているのは明らかに十香だろう。自分以上に意識している十香を見て、小さく苦笑いを漏らす。
十香の身体が泡まみれになった後、シャワーを取り出してそれを洗い流す。
「よし、洗い終わったぞ」
本音を言えば十香の髪も洗いたかったのだが、これ以上すると冗談抜きで緊張のあまり十香が気絶してしまいそうなので自重するしかない。
仕事を終えると蓮は立ち上がり、浴槽に入り十香に背中を向ける。流石に十香が浴槽に入るのを凝視するのは見られる本人も嫌だろう。
十秒ほど、気持ちを落ち着かせたであろう時間が過ぎ、チャプンと十香が湯船に入った音が聞こえる。しかし、ここで蓮の予想外の事が起きた。十香が蓮と
「十香?」
「う、うるさい。どこに座ろうが私の自由だろう…バ、バーカ…」
十香の精一杯の強がりを機に二人の間に数秒無言が続く。一応言っておきたいのだが蓮も全く緊張していないわけではなく、それを隠すのが得意なだけだ。しかし、女子と二人きりで風呂に入っているというシチュエーションで話す課題など何があるだろうか。
だが、意外にもその沈黙を破ったのは十香だった。
「レ、レンよ…。ま、前にあった…
震える声で言った修学旅行という言葉で、十香が何を話そうとしているのかが予想できた。間違いなくエレンの事だろう。
「私とシドーを守るため、あのエレンとかいうカメラマンの前に立ち塞がってくれた…。それはとても嬉しいのだが…もし、そのせいで…レンは自分の帰る場所が無くなってしまった…そんな気がするのだ…」
エレンが親だという事は十香に伝えてある。つまり、十香は蓮とエレンが戦ったのは自分が原因だと思ってしまっているらしい。自分も危険だったはずなのにそれでも他人を心配するなど、士道に似てきたなと感じる。
「十香、俺には自分と同じ年齢の友達と呼べる存在がほとんどいない。十香達を除けば両手の指の本数で足りるぐらいかな」
なぜここで自分について話し始めたのか蓮本人にも分からなかった。ただ、十香に自分の事を知ってほしい、その想いだけが蓮を動かしていた。
「変な話だけど、
現在ASTにいるミリィことミルドレッド・F・藤村は彼女からの熱烈なアプローチのおかげで今の関係だし、士道の実妹である真那はDEMという会社の中で接するうちに親しくなっただけであり、自分から親しくなろうとした事もそう努力したことも記憶にある限り一度もなかった。
「そんなに…難しかったのか…?」
「十香ほどじゃないんだが、俺も一般的と言われる生活を送ってた訳じゃなくてな。ただ、人と出会う機会には恵まれてた。それでも…ダメだったんだ」
「そうか…そうだったのか…」
「でも、そんな俺を十香が変えてくれた…」
背中合わせになっている十香を左手を湯船中でそっと握る。握った瞬間、その手がビクッと震えたのを感じた。もしかしたら自分も無自覚な緊張で声がいつもの様子と違うかもしれない
「十香の事は四月に初めて会う前から知っていたんだが、…直接会って分かった。
蓮には尊敬している人間はいても、安心してこの身を委ねる事が出来る人間はその時いなかった。それゆえ直感的にそう感じる事が出来た。
「そんな十香がいろんなものを見て、感じて、素直に笑っているのを見ていたらこんな自分が急に
一種の劣等感というものだろうか。毎日を明るく過ごしていく十香を見ていると何もない灰色の中で生きてきた自分が小さく感じ、十香に憧れをもつようになった。
そう思っても何も変わらない。そう分かっていたつもりだがその未練はなかなか断ち切れず、大きな悩みとなりかけていた。
そんな時に起きたのがエレンの一件だ。
「正直、あの人に勝てるとは全く思えなかった。それでも黙って見ているという選択肢は無かった。これは親子の情が無かったとかいう理由じゃない。ああしなきゃいけない、そう信じる事が出来た」
そう言うと、蓮は十香の方に身体を向けると、十香の首に腕を回してギュッと優しく
「ーッ!ー、ー!」
十香は抱きしめられた瞬間、自分の心臓が大きく鼓動したのを感じる。首に回された白い腕は一般的な男性の腕と比べて細いだろうがその腕の中にいると言葉に出来ない安心感が十香を満たした。
「だから…十香はそんな事心配しなくてもいい。むしろ礼を言いたいのは俺の方だよ。…ありがとう、
耳元で囁くように言うと、最後に少し強く抱きしめた後、腰にタオルを巻いて蓮は浴室から出て行った。
部屋の中には顔を真っ赤にし、頭から湯気を出してフリーズした十香だけが残された。
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「みんな集まったわね。これからあなた達に聞きたい事があるわ」
全員入浴を済ませて自由の時間となっている午後九時。この時間、琴里は士道と蓮を除いた精霊達四人を自分の部屋に集めていた。
ここで明るいガールズトークが始まるかと思われるかもしれないが、それにしては琴里の顔は真剣味が帯びている気がする。
「聞きたい事って…一体なんでしょうか…?」
『琴里ちゃんったら顔が怖いことになってるよー?リラックスリラックス』
「我らを呼び出したのと、お主の雰囲気からただ事ではないと感じるぞ…」
「溜息。耶具矢はなんとなくでそう言っているだけです」
四糸乃は琴里の雰囲気に少し怯え、よしのんは相変わらずといった様子だ。耶具矢はこのような雰囲気を楽しんでいる様子で、そう言う夕弦も心なしか声に高揚が見える。
「みんな…蓮をどう思ってる?」
「復唱。蓮を…ですか?」
「どう思ってるって言われましても…最初はちょっと怖い人かなって思いましたけど…実際は優しく気さくな人だなって思いました」
『四糸乃は蓮くんに頭を撫でてもらうのが好きなんだよねー?』
よしのんにそう言われて四糸乃は頬をほんのり赤く染める。二人の言い方や内容から蓮の事をとても好いている様子だ。続いて八舞姉妹に顔を向けると、何やら悩んでいる様子だ。
「ううむ…蓮の事となるとなんとも言えぬ。あやつは見せているところよりも隠している部分の方が多い感じがするのだ」
「隠している部分?と言うとどんな感じかしら?」
「回答。簡単に言うとミステリアスです。なんか嘘を言っても一瞬で看破されてしまう気がします」
二人は出会ってあまり時間が経過していないため良いところというより、蓮自身の印象を言ったらしい。
そして、最後に残った十香はというと…。
「・・・・・・・・・」
さっきからボーっとした様子で何もない空中をずっと眺めていた。名前を呼んでもずっと放心状態だ。仕方なしに十香の目の前で両手を叩く…いわゆる猫騙しをして意識を覚醒させた。
「はっ!なんだ!?きな粉パンは表面はカリッとしているのに中身がモチモチなのが良いところだと思うぞ!」
「誰もそんな話してないわよ。さっきからどうしたの?上の空って感じじゃない」
「どうしたと言えば…琴里よ、お主はなぜそんなに頬を腫らしているのだ?」
間に入ってきた耶具矢の指摘にそういえば…と言った様子で目を合わせる夕弦と四糸乃。今、琴里の両頬はまるで
「ああ…これは気にしなくていいわ。ちょっと白い悪魔にやられただけだから…」
「し、白い悪魔…?あの…もしかしたらですけど…十香さんがこんな様子なのと何か関係が…」
「そ、そんなわけないじゃない!た、ただの偶然よ!!」
「ひぃ!?」
琴里の必死の否定に四糸乃は小さく息を漏らした。そんな様子の琴里だったがすぐに大きく深呼吸をして気を落ち着かせる。〈フラクシナス〉の艦長である琴里はある程度の感情のコントロールが出来なくてはならない。
「ごめんなさい、取り乱したわ。本当に関係ないの。…話を戻すけど、十香は蓮の事をどう思っているの?正直に言って構わないわ」
「れ、レンだと!?あいつがどうかしたのか!?」
「疑問。どう思うかと聞いただけなのに、なぜそんな反応をするのですか?」
やたら蓮という名前に敏感に反応する十香を不思議に思う夕弦。気を落ち着かせて考え始める十香だったがその時間が耶具矢と夕弦が答える以上に長い。しばしの時間を消費し、小さな声で十香は答えた。
「あいつは…もしかしたら一人ぼっちなのかもしれん…」
「蓮さんが一人…ですか?」
「あやつが孤独とな?ううむ…イマイチそう思えんが…」
「首肯。それを本人に言っても『レストランのメニューでそんなのがあっても、注文するほど好きじゃない』とか言うと思います」
そんなはずないと三人は否定するが、琴里だけは十香を見る目が違っていた。
(そう…十香はあいつの悲しみを知ることが出来たのね…)
心の中でそう確信すると、ワイワイと盛り上がるこの場をなだめた。蓮の印象を聞くのもあったが、四人に集まってもらった目的は別にある。
「まあ、蓮については謎が多い現状だけど、今はこうやって家に招いてもらっているわ。これはチャンスよ、今から少しだけこの家の探索に行かないかしら?」
琴里の提案に目を見合わせる四人。興味があるかないかと聞かれればあるに決まっている。しかし、ここは自分達の家ではないので調べ回っていいのかと悩むところだ。
「琴里よ、探索と言うが、蓮にも見られたくないものがあるやもしれぬぞ?それを探し回るというのは…」
「探索って言っても、部屋をかき回すってわけじゃないわ。ただ、
「参加。夕弦は行きます。蓮も男です、もしかしたらアッチ系の本の一冊や二冊出てくるかもしれません」
最初に参加したのは夕弦だった。その参加理由はどうかと思ったが、夕弦が参加する以上、耶具矢も参加すると言い、十香と四糸乃も悩んでいた様子だが、好奇心という欲望に耐え切れずに参加となった。
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部屋を出た五人は、懐中電灯を持った琴里を先頭に灯りのない暗い廊下を足音を立てずにコッソリと進んでいた。
『なんか、こういうのワクワクするねー。なんか、潜入してる感じがしてー』
「まったく、部屋に向かっているだけなのにその表現は大袈裟よ」
よしのんにそう言う琴里だが、明らかに一番ノリノリなのはどう見てもその琴里だろう。ついさっきも廊下を曲がる時、手鏡で進む先を確認していたほどだ。
「それで琴里よ。我らをどこに導いているのだ?そろそろ目的地ぐらいは教えてもらいたいものだが…」
「安心しなさい。もう着いたわ、ここが私の気になったところよ」
そう言って琴里は懐中電灯である部屋の扉を照らす。そう言うが、扉自体に気になるような箇所はなく、さっきまでいくつも通過してきたのと同じものだ。これを見ても四人は眉を顰める。
「むぅ?普通の部屋ではないか?」
「えっと…これのどこに…気になるところがあるのでしょうか…?」
「実は明るいうちにこの家の部屋を見て回ったんだけど、トイレと玄関以外に
琴里のその言葉に、四人はドアノブ付近に目を向けると確かに鍵穴があった。それでも普通の家ならそこまで気になるような事というわけではないのだが、ここはそこら辺の引き出しの中に貯金通帳を放置しているような家なのだ。そんなところでカギのある場所となれば当然、注意が向くだろう。
琴里は手に持った懐中電灯を夕弦に預け、懐からヘアピンを取り出すと、それでも鍵穴をガチャガチャと弄り始める。
数分後、カチッと音と共に、鍵が解錠された。そのテクニックに一同から驚きの声が出てくる。一応言っておくが、これは犯罪行為だ。
「ふう…やっと開いたわ。ほら、入るわよ」
ドアを開けると、入口付近にあるはずの電灯のスイッチを手探りで探し、スイッチをいれる。その瞬間、部屋に灯りがついたのだが、目の前に広がった光景を見て、五人は息を呑んだ。
「なによ…これ…」
「ふぁ…すごいです…」
部屋にはたくさんの本棚が壁沿いにあり、書物の数は部屋の大きさと本棚の数から百冊は超えるだろう。本棚に囲まれるように部屋の中央には高級そうな机と椅子があり、机の上にはそれまた高そうな照明ランプが置かれている。
「そ、それじゃあ、手分けして探しましょう。何かあったら教えて頂戴」
「探索。ああいう本はこのような場所に紛れ込ませるのが、ベストな隠し方だと夕弦は判断します」
これを見てもマイペースであり続ける夕弦を羨ましく思いながら、散って探索を始める。まず、目に入ったこの本がどのようなジャンルなのか確認するため、一冊抜き取ってみたところ、表紙には『心理学』という単語があった。
一冊目を元に戻し、二冊目を手に取ると、『工学』と記されていた。三冊目は『経済学』だ。
(…どうも種類に纏まりがないわね。これじゃあ何について学んでいるのか分からないじゃない…)
琴里が頭を悩ませている頃、十香は本棚に注意が行かず机の上にあったランプをまじまじと見ていた。LEDなどが主流の今、昔ながらのデザインであるランプが珍しく感じたからだ。
ランプから垂れ下がった糸を引くと、パチリという音と共にオレンジ色の暖かい灯りが灯る。それが気に入り、何度も灯しては消し、灯しては消しを繰り返していると…
「な、何!?なんの音!?」
急に大きな音が部屋には響き渡り、まるで映画のセットであるかのように本棚の一部がひとりでに動き始め、地下室らしき部屋へ通じる階段が現れる。これには全員顔を見合わせて驚いた。
「十香!でかしたわ!まさかそれがスイッチだったなんて驚きだけど、よくやったわ!」
「くくく…さすが我が眷属よ、褒美はたっぷり弾むぞ!
呆気にとられる十香に賞賛の言葉が向けられる。現れた部屋は階段を降りた少し先にあり、その階段を降りて扉を開ける。
部屋には電気機器の部品やパーツらしきものが散乱しており、本来ならば驚くところなのだが、これほどの出来事が連続すると、感覚が麻痺してくるため、目を見張るだけで済む。
それでも、ここで蓮が何をしているかが気になる。捜索を開始しようとした時、夕弦が
「発見。あれはなんでしょうか?」
その先には机の上に置かれた立方体の透明な水晶があった。透明と言っても無色というわけではなく、若干水色が混ざっており形は手のひらに収まる程度の大きさだ。
「これ、何かしら?部屋を飾りつける装飾品と言うには地味な見た目ですし、かと言って意味もなく置いてあるようには見えないけど…」
五人は水晶を凝視して、これがなんなのか正体判明を始める。隠し部屋を見つけた五人にこれが無意味な物だと考える選択肢は無かった。しかし、どんなに見てもただの水晶にしか見えない。
「疑問。これは一体なんなのでしょうか?」
「もしかしたらですけど…書類とかが飛ばないようにする置物じゃないでしょうか?ええっと…」
四糸乃がどうしても名前が出てこないと頭を悩ませる。それを聞いた琴里は何となく四糸乃が言いたい物のことを理解した。
「もしかしたらペーパーウェイトの事?でも、明らかに必要性を感じさせないわ」
「琴里の言う通りだ。こんな室内に風などが吹くわけがない。まあ、我ら八舞には不可能ではないがな」
耶具矢の小さな自慢をスルーし、水晶を持ち上げ、様々な角度から見てみるがやはりただの水晶にしか見えない。一体何なのかと思った瞬間、突如、琴里の背後から手が伸び持った水晶を取り上げる。
「ちょっと、見たいんなら普通に言えば…」
そう言いながら後ろを振り向くが、その瞬間、その言葉が止まる。琴里以外にも他の四人も後ろを振り向き動きを止めていた。
「さすがにこの部屋が見つかったのは予想外だったぞ。見事と言っておこうか」
「「「「ぎゃあああ!!」」」」
「悲鳴。きゃああ」
幽霊のように気配もなく後ろに立っていた蓮を見て、夕弦以外の面子から絶叫が飛び出す。そんな五人を見て小さくため息をつく。
「俺にだって見られたくないものの一つや二つがあるんだから、あまり詮索するような事はしないでくれよ」
「い、言い出したのは私だから、十香達は悪くないわ…」
「…まあ、そういう事にしておくよ。ほら、わかったら早く部屋には帰れ」
「待って、この部屋については何も聞かないわ。だけど、その水晶は何なのかと教えてくれないかしら?」
皆の視線が手に持った水晶に集まったのを感じる。見た目は何の変哲のない筈だが、それに感づくとは中々のものだ。ただの置物だと言い張ることも出来るが、その勇気免じて少しぐらいこれについて教えるのも悪くないだろう。
「…見た目は普通に見えるようになってる筈だけど…流石司令官殿ってところかな。司令官殿の言う通りこれは見た目通りのものじゃない。これは…こういうものだ」
蓮は、水晶を持った右手を軽く振る。すると、チリンという鈴のなるような音と共に水晶が淡く光り真上の空中にウィンドウを展開させる。そのウィンドウは蓮は左手で触れると動き、端末としての機能を果たしていた、見た事のないそれを見て五人は目を見張り、驚きの声を出す。
「おお!すごいなこれは!」
「見た目も良くて…すごいです…」
『すごいねー、あっ!もしかしてこれがCGってやつなのー?』
「こんなの見た事無いわ…このサイズでどうやって…」
「ちょっとこれ!どうなってんのよ!?」
「溜息。耶具矢、聞くだけ無駄です。どうせ夕弦たちには理解できません」
各自が驚きの声を上げる、蓮はそれを大袈裟だとは思わなかった。なぜならこれは自分の中でも『大切』と言える物なのだから。まじましと見つめる五人の前でもう一度水晶を振ると、再び鈴のような音を鳴らすと、ウィンドウが消え変哲のない水晶へ戻る。
「そんなものを作れるとは…、もしやレンはまほーつかいというやつなのか!?」
目をキラキラ輝かせた十香がそう聞いてくる。そういえば、十香は子供向け番組などを見ていると士道が言っていた。それらの中にファンタジーものがあったのかもしれない。
「魔法使い…魔法使いか…。残念ながら杖は持ってないんだ、だから俺が使える魔法は十香が喜ぶような料理を作ることだけかな」
余裕の表情でそう答えると、五人の背中を押して部屋の出口まで誘導する。他の面子(特に琴里)も何か気になる様子だったが水晶の正体だけでも教えてくれと言った手前、聞きにくそうな様子だ。
当然、蓮もその事に気づいていたが、聞かれた事だけを答えると言ったのでそれを見て見ぬフリをする。
五人を寝室まで送るとドアを閉め、月光が差し込む廊下を歩く。ふと窓の外を見ると満月が夜空に輝いていた。
(もし、魔法使いなんてものが本当にいるとしたら、人の心が分からず苦悩した奴もいるのかな…)
何となく思った疑問。そんなものはくだらないとすぐに考え直し、蓮は部屋の一室に消えていった。
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「いやー、すごい家だったな」
次の日、午前中を蓮の家で過ごし、昼食をいただいた午後二時。帰り道の途中、士道は琴里にそんな感想を漏らしていた。
「すごい広かったし、ああいう家って本当にあるんだな」
「…そうね…私もそう思うわ…」
「…さっきから思ってたんだが、お前や十香たちは何でそんなに疲れた様子なんだ?」
士道以外のメンバーがなぜか疲れてげっそりとした様子で歩いている。あんな家だった事に対する驚きかと思ったが、それにしてはやけに疲れすぎている。気になるが考えて分かる事ではないと早々に考えるのをやめておく。
「…すごい家だったけど…あれほどの広さで一人だけっていうのは寂しくなると思うんだが、あいつは大丈夫か?」
「多分平気よ。きっと蓮なら、そんな事気にしてすらないわよ」
「だといいんだが…」
士道は来た道をチラリと振り返る。そこそこ歩いたつもりなのだが、蓮の家の屋根がまだ見えていた。