七罪の調査を開始した二日目の朝、士道と琴里のいる五河家に令音と蓮が訪れていた。そこには朝の爽やかな会話など無く、重苦しい空気だけが漂っていた。
「…耶具矢の話によると、入浴し、ベッドに入るところまでは一緒だったらしい。そうなると、夜から朝にかけての数時間だろう。
令音の言う通り、夕弦が姿を消した。朝、起きた時にとなりのベッドで夕弦がいない事に耶具矢は気がつき、いくら探しても居ないらしい。
そして、消えた夕弦について何か分かった事があり、令音は尋ねてきたとのこと。
「令音さん…夕弦はどこに消えたんですか?」
「…これを見てくれ」
令音はテーブルの上に端末を展開させる。そのモニターには耶具矢と夕弦の寝室が映し出され、二つあるベッドにはそれぞれ姉妹が眠っている。
「いつの間にこんなものを…」
「…彼女たちに限らず、容疑者全ての部屋に自律カメラを飛ばしてある。誰もいない場所でなら尻尾を出すと思ってね」
「手段を選ばないそんなやり方、いいね。嫌いじゃない」
そうか、とだけ答え、令音は手元のキーを操作し、映像を倍速させる。映像を通常の速度の戻したのは、日が変わる直前だった。
「…そろそろだ、よく見ててくれ」
ほどなくして、時計の長針と短針が十二のところでぴったりと重なる。それと同時に部屋の中央が歪み、そこから箒のようなものが姿を現した。
「これって…」
「まさか…〈
「あの箒みたいなものが…」
突如現れた七罪の天使、〈
「マジかよ…」
今まで様々な精霊の力を見てきた蓮も、驚きを隠せなかった。音も無く夕弦を消した〈
「…このように夕弦は七罪の〈
「夕弦は…夕弦は無事なんですか!?七罪に化けられた『誰か』も…!」
そんな事、令音が聞かれても分かるわけがない。よく考えれば分かる事だが、今の士道はその事を聞かずにいられなかった。令音は難しい顔をして、目を伏せるだけだ。
「…無事だと思いたいが、現状はなんとも言えないな」
今のところはそう言うしかないだろう。七罪の天使に関しては分からない事が多い。消された夕弦がどこに行ったのかすら不明だ。その映像を見た蓮は、ため息と共に頭を押さえる。
「…正直に言って、俺は七罪を甘く見過ぎていたよ。追われるのは
これは、自分のミスだ。大した情報もないのに憶測だけで判断し、夕弦を犠牲にした。気落ちしていると、琴里が仕方ないとばかりに首を横に振る。
「いいえ、これは七罪の天使について詳しい情報を得て、伝えられなかった〈
その言葉に目を丸くする。琴里はそんな反応に眉を顰めた。
「な、なによ?変な事が言ったかしら…」
「いや、普段、あまり司令官殿に褒められた事が無いから、妙な気分に…」
「ちょっと!人聞きが悪いこと言わないでほしいんだけど!」
強気の状態の琴里からは、このようにストレートに賞賛された事はあまり無い。ただ、されたはされたで違和感を感じるようにもなってしまった。年齢は下でも、立場的には上の琴里からの褒め言葉は複雑な気分にさせる。
「まるで、私が血も涙も無くこき使ってるみたいじゃない!」
「いや、文句を言う気は無いけど、
それに対しての反論が見つからない琴里は、『ぐぐぐ…』と悔しそうにする。それを聞いている士道は、顔を背け必死に笑いを堪えている。そのような状況が、琴里の顔を赤くさせる。
そんな顔を見て、楽しんでいたがある事に気がつく。それは物事の根本的な部分だった。
「なあ…なんで俺と士道は
夕弦の事で頭がいっぱいだったが、それを聞いてそう言えばと思い出す。士道も、出会った十五日の時になぜ怒らせてしまったか分からなかった。
「…初遭遇の時の機嫌数値の下がり方は異様だったね。シン、もう一度聞くが、何か心当たりはないかい?」
「 はい…正直、全くって言っていいほど…」
「士道はともかく、俺なんて会話をして一分も経たずに激怒されたぞ。言っとくが、怒らせるような事は話してないからな。神に誓っていい」
一分足らずとなると、あれほど怒らせるのは逆に難しいだろう。少し話しただけでここまでの行動に至らせるとは、どのような理由なのか気になる。だが、結論が全く見えてこない。
「それも気になるけど、今は七罪を見つける事に集中しなさい。ちゃんと相手が喜ぶデートをするのよ」
「あれ?確か次は司令官殿の番じゃあ…」
「十一時三十分に、場所は天宮東公園ね!遅れるんじゃないわよ!」
一方的に伝えた後、琴里はリビングを出て行ってしまう。素直じゃないなと思いつつ、蓮は消えた夕弦の事を考える。七罪は容疑者の一人を消した、これは隠れる七罪からしたら自ら首を絞める行為となる。だが、それをただのミスとは思えなかった。
(何か理由があるな…)
七罪の奇行の理由を今は説明する事が出来ない。だが、それだけで流す事は不可能であった。
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その日の夕飯時、精霊マンションの廊下を歩きながらさっきまで一緒にいた耶具矢の事を気にしていた。様子こそ普段と変わらなかったものの、明らかに無理をしている空元気だとすぐに分かった。
耶具矢には、夕弦は、検査のため〈ラタトスク〉本部に行ってもらっていると言ったのだが、あまりにも苦しい言い訳だ。
「しっかりしろ…俺が動揺してどうするんだ…。それじゃあみんな不安になるだろうに…」
いつもはヘラヘラとしてるくせに、そうしたい時に限って何をしていいか分からなくなる。その事に四苦八苦していると、偶然目に入った部屋番号に足を止める。その番号こそが目的の部屋だったのだ。
その部屋には、海のような青い髪とキラキラした双眸を持つ少女と、その左手に装着された一匹がいた。
「よーし、出来たぞ。昨日は日本食だったから、今日は洋食を作ってみた」
「ふあぁ…美味しそう…です…」
『相変わらず料理が上手いねー。これはもう一家に一台のレベルだよー』
机に並べられたポークビーンズ、鮭のムニエル、マカロニグラタンなどを見て、四糸乃は目を輝かせ、よしのんは小さな両手を可愛らしくこすり合わせていた。
「い、いただきます…」
『いいなー、よしのんも食べたいよー』
四糸乃は両手を合わせてそう言い、よしのんは羨ましがる。ここまでに気になった点は特にはない。さらに反応を見るため、もう少しアクションを起こしてみる。
「あと、最近、この部屋に泊まったりと頑張ってるって聞いたぞ。そんな四糸乃とよしのんにご褒美だ!」
そう言って、お手製イチゴのショートケーキを見せる。精霊とはいえ、女の子らしく、ケーキを見た瞬間まるで神でも見たかのように目を見開いた。よしのんは『そ、それは、女の子を虜のさせる禁断の果実っ!』とリアクションしていた。
「デザートに作っておいたから、楽しみにな」
「あの…いつもすみません…」
いつも蓮の自宅で、甘い物をご馳走になっている四糸乃は、申し訳なさそうにする。とはいえ、蓮自身は甘いものが大好物というわけではないため、特に何も思わないのが真実だ。
「気にしなくていいよ。ほら、冷めないうちに」
申し訳なさそうにお礼を行った後、フォーク、スプーン等を使って料理を口に運ぶ。一口食べるごとに『美味しい』と口癖のように連呼する。そんな四糸乃を、微笑みながら見守る。
「やっぱり、自分の作った料理を美味しいって食べてくれるのは嬉しいな。昔はそうも言ってもらえなかったから…」
「えっ…誰からも言われなかったんですか…?」
『んー、少し違うんだな』と口にして昔の思い出を四糸乃に話し始める。『冷めないうちに』など、言っておいて、食事を妨げているのは自分じゃないかと内心思いつつだ。
「俺のははお…いや、知り合いにとにかく完璧主義な人がいてな。その人に『料理を作れ』って言われて、言われたように作ったんだけど、店に出せる程度の料理を作ったら満足する人じゃなかったんだよ」
「とても厳しい人…だったんですか?
「…多分、あの人にとっては"惜しい"や"二番"は失敗や最下位と同じだったんだと思う。結局、文句を言われない程度の料理は作れるようになったんだけど、『美味しい』って言葉は聞けなかったな」
「もしかして…お料理の評論家さん…だったりするんですか?」
普段からそのような仕事をしているのだったら、プライベートでもその手にうるさくなってしまうと予想して、四糸乃は言ったが、蓮は小さく笑いながら首を横に振った。
「いや、どうもそういう仕事をしていたとは思えなかったな。多分、その人も料理は得意じゃなかったと思う」
『何よそれ!自分にも出来ない事を蓮くんにさせて文句を言うなんて酷いじゃない!!』
四糸乃の手に装着されたよしのんがプンプンと怒り出す。そんなよしのんを『もう過去の話だから』といって宥める。
「もし、四糸乃みたいに謙虚に…素直に生きてくれば良かったのかな…」
それは独り言とも言える呟きだった。それを聞いた一人と一匹は顔を見合わせ、四糸乃が気恥ずかしそうに言った。
「えっと…今の蓮さんもカッコよくて…魅力的だと思いますから…その…今のままで良いと思います…」
今の自分を褒められたのは初めてな気がする。そう思い、自分の生きてきた環境の劣悪さを理解できた。それを気づかせてくれたお礼とばかりに四糸乃の青い髪を撫でる。
『ああん、四糸乃だけズルい!よしのんもー』
気持ちよさそうにしている四糸乃を見て、羨ましがるよしのん。苦笑いしながらよしのんの頭も撫でる。
(今のままで良い…か)
この世界で変わるのは難しい、だが、変わらずに在り続けることもまた難しい。なんとも複雑なものだと深々と感じるのだった。
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「つ…疲れた…」
「まあ、よく頑張ったな」
深夜となった時刻。士道は力尽きるようにソファにうつ伏せになる、そんな士道を同じソファで雑誌を見ていた蓮が労う。今日、士道は容疑者の一人である亜衣の調査だったのだが、それに麻衣と美衣が加わり長話へ発展してしまった。
士道を忘れたように、三人娘のトークショーが展開され終わった頃には士道の体力と精神力を大きく消費させた。ボロボロの状態で帰宅した士道を待っていたのは、熱い風呂と蓮お手製の食事(デザート付き)であった。
「なんか…食事の有り難さをもう一度理解した気がする」
「まったく情けない…とは言わないであげるわ」
キッチンにいた琴里は冷蔵庫から炭酸飲料の缶を二つ取り出すと、ソファに向けて放った。飛んでくる二つの缶を両手でキャッチした蓮は片方を士道に渡し缶を開けて呷る。
「それで、どうだった?七罪だと思った奴はいたか…」
「うーん、疑おうと思えば出来る奴はいたけど…なんとも言えないな」
やはり、七罪だという確信を得ることはなく、違和感を感じた程度のものらしい。それには、一日に三人の調査をするというハードスケジュールの所為もあるかもしれないが。
その事を考えると、すぐにでもベッドで横になるべきだが、
「…時間だ」
蓮のその呟きとともに、リビングにかけられている時計が午前0時となった。おそらく、今回も誰かが消える。辺りに緊張が走る。士道も琴里も、真面目な顔でジッとしている。その空気を壊したのは蓮だった。
「士道!!司令官殿!!」
突如、そう叫んだ蓮は、士道を掴み琴里の側へと移動し、二人を守るように背中に隠れさせる。いきなりどうしたと思った二人だったが、その理由をすぐにでも理解する。
リビングの中央の部分の歪み、そこから箒の形をした天使が姿を現わす。
「天使…なんでここに…!?…ッ!まさか!」
容疑者が消えていくなら、琴里もその例外ではない事に士道は気がつく。蓮も鋭い目つきで〈
『ふふっ、久しぶりね。二人とも』
その代わりに、鏡の部分に七罪の顔が映りこちらに語りかけてくる。どうやら、本体がいなくとも天使を通して会話などを出来る能力もあるらしい。安全圏から話している七罪はひらひらと手を振り余裕の表情だ。
「七罪…!夕弦をどこにやったんだ!」
『あら、せっかく会いに来たのに別の女の話なんて酷いじゃない。彼女は私が預かっているわ、見事私を当てる事が出来たら返してあげる』
「つまり、夕弦は無事なんだな?」
蓮は簡潔に答えろと言わんばかりに声を低くして聞く。七罪はそれに肩を竦めながら『ええ、そうよ』と答える。
『だけど、このゲームで私が勝った場合、消えた容疑者はもう戻らないわ。その代わりに同じ姿、声でそちらの世界を楽しんであげる』
七罪は視線を士道、琴里、最後に蓮で止める。蓮を見つめるその瞳には鳥肌が立つような欲望が渦巻いていると感じた。
『いいわ…その姿で街を歩いたら、周りからどんな目で見られるんでしょう…。男からは嫉妬の眼差し…女からは羨望の目で…かしら?』
「お前、
その言葉に七罪はもちろん、士道と琴里も不思議そうな目で蓮を見る。だが、本人はそんな事を気にした様子もなく言葉を続ける。
「自分を偽り、ずっと自分自身を騙し続ける。やがて、自分がどちらなのかすら分からなくなり、その重さで闇の底に沈んでいく。俺はそれに片足を突っ込んでいる身だからな」
七罪、士道、琴里には何を話しているのか分からなかった。だが、その言葉に確信と説得力があるのを感じる。
『ふ、ふぅん、面白いことを言うわね。けど、今は私が誰かが当てる方が重要よ。さあ、私は誰?制限時間は…一分あれば十分かしら』
「回答…!今答えるのか!?」
『だって士道くんったら、結局、一日目は誰も指定してくれなかったんだもの。だから、私がナビゲートしてあげなくちゃって思ったのよ』
よく言う、と文句が心に浮かんだが、今の士道はそんな事を言うより誰が七罪か判断しなければならないと考えられる程度は冷静だった。目の前にいる蓮が、こちらを見ているとなると回答が一任されていると考えて良いだろう。
悩んだ末、士道は七罪に向き直り、怪しいと思った名前を告げた。
「怪しかったのは…四糸乃だ?」
「四糸乃?何でだ?」
今日話した相手の名前を出され、蓮は士道に理由を聞いた。士道は苦しそうな表情を浮かべて話す。
「なんか…四糸乃らしくない感じがしたっていうか…」
何とも曖昧な理由だった。だが、そんな事はどうでも良く、気になるのは正解か間違いかの結果だけだ。それを問うように七罪の顔を見る。
『ふぅん…そう…』
短くそう言うと、〈
「どうなの!?正解だったのかしら…」
「…だと良いんだがな」
琴里の声に、蓮は願うような返答をする。だが、嵐が過ぎ去ったようには感じられない。その日、二人の少女が姿を消した。