「おい!!」
【……ん?】
植え込みから飛び出し、喉を震わせて張り上げた士道の声に、〈ファントム〉は男とも女とも取れない声を響かせる。それと同時にモザイク状のシルエットが僅かに動く。それに合わせて士道は〈ファントム〉の顔に当たるであろう箇所を睨みつける。
「会いたかったぜ…、〈ファントム〉」
人間を精霊に変える謎の存在と対面した士道はそう言った。その言葉に嘘偽りは無い、琴里、美九。そして折紙を精霊にし、破壊を振りまく厄災へと変えた元凶。それに士道は因縁めいたものを感じていたのだ。
【………え?】
そんな士道に対し、〈ファントム〉はそう小さく声を発し、微かに身体を揺らした。外から見たらモザイクが少し動いただけだが、士道にはそれが狼狽とも見て取れる。それを疑問に思うと同時に背後から音が聞こえ、青い光が目の前に立った。
「俺より前に出るやつがあるか!」
士道を守るように前に立った蓮は、士道にそう怒鳴る。それを聞いて士道は自分がどれだけ迂闊な行動をしたのか理解した。自分達は
「そ、そうだな…悪い」
「・・・・・・・」
蓮も今の状況を理解してるのか、これ以上何も言って来なかった。ただ、目の前にいる〈ファントム〉に警戒の目を向けている。
(さあ…どうする?〈ファントム〉…)
ここから先の〈ファントム〉の行動は、蓮も全く予想出来なかった。ただ、目撃者を消すとして向かってくるならこちらもそれ相応の対応をしなければならない。ただ、ここで殺してしまっては未来が変わってしまう。つまり、半殺しに留めなければならない。
(いや、そもそも手加減して戦える相手なのか…)
一秒が長く、何分にも感じられる。その間〈ファントム〉から一瞬も目を離さない。そんな緊張感の中、〈ファントム〉は動いた。
【嘘…ありえない…。その腕…
目の前に現れた二人に驚くような事を呟くと、それから遠ざかるように後ずさる。自分の事を目撃された事に対する驚きでは無く、明らかに士道と蓮がここに現れた事に対する驚愕の言葉だ。
(こいつ…俺たちの事を知っている…?」
記憶を探っても蓮の知り合いに全身モザイクの奴はいない。おそらくそれは士道も同じだろう。その事を考えていると、〈ファントム〉はノイズに覆われた身体を動かすと、そのまま地面を滑るように逃げていった。
「〈ファントム〉が…!」
『このまますんなりとは逃せませんわ。追いかけてくださいまし』
「俺もそう思うよ。行くぞ、士道!」
逃走する〈ファントム〉を追って、二人は公園の外に向かう。その途中で自分と同じ方向を向いていた士道の視線がどこかに逸れたのを感じた。この状況で他に見るべき場所など見ずとも見当がつく。
「余所見をするんじゃ無い!!前を見ろ!!」
「…ッ!ああ、分かってる!」
一瞬、驚きのように息を詰まらせたが、まるで開き直るように声を出す。どうやら、ビル屋上で言った事の意味をキチンと理解しているらしい。公園から出ると、依然滑るように逃げる〈ファントム〉の姿が見える。それを見た蓮は上等とばかりに笑う。
「そうかよ…じゃあこっちも同じ土俵で追いかけてやる」
両手に〈エカトル〉を顕現させ、風を纏わせた後自分と士道の周囲を回らせる。それによって、二人の足が地面から離れるが、飛ぶと言うより浮いていると思うほどのものだ。それを確認した蓮は命令を発し、浮遊した状態で〈ファントム〉の後を追う。
「〈ファントム〉はどっちに行った!?」
「た、たしか、右の方に曲がったはず…」
士道の言葉に従って、右に曲がると特徴的なT字路があり、〈ファントム〉はすぐにそこを曲がってしまい、姿が見えなくなる。このまま見失うのは絶対に避けたい、そう考えた蓮は移動スピードを一気に上げて突っ込む。当然ながら目の前には壁が迫ってくる。
「わわわっ!!蓮!前前!!」
「ちゃんと見えてるよ!隣で大きな声を出すな」
パニックになる士道にそう言うと、蓮は空中で姿勢を変える。そのまま壁に進むと、蓮はぶつかる壁を足蹴にし、無理矢理な方向転換を成し遂げそのまま進んで行く。
(あいつ、どこまで逃げるつもりだ…)
琴里のいた公園から離れてくれるのは好都合だが、このまま逃走されて見失うリスクもある。複雑な住宅街の曲がり角を進みながら、蓮は考え隣にいる士道に話しかける。
「士道、〈ファントム〉はお前を…いや、俺たちを知っていた様子だ。一応聞いておくが、知り合いか?」
「いや、俺の知り合いに全身ノイズがかかってるような奴はいねえ…」
「そりゃそうだよな。俺も同じだ」
さも期待していなかった様子でそう答える。それを聞いた狂三はふむと考え込む。
『妙ですわね。先ほどの反応から、あの方は五年前なのにも関わらず、士道さんを知っておられるというのは。少なくとも今が初対面というご様子ではありませんでしたが』
「何故かは、あいつから聞き出せばすぐに分かるッ!」
〈ファントム〉が見晴らしの良い一本道に出た瞬間、蓮は動いた。身体をフワリと高く浮かせると、周りを飛んでいる二つの〈エカトル〉を〈ファントム〉に飛ばす。だが、〈エカトル〉は〈ファントム〉の頭上を通過し、少し先の地面に当たり突き刺さる。当然ながらワザとそうしたのだ。
万が一にも〈ファントム〉は殺してはならない事を考慮して外したのだが、蓮の目論み通り目の前に突き刺さった〈エカトル〉を見た〈ファントム〉は足を止める。その隙に二人はすぐ後ろまで接近する。蓮はその手に〈レッドクイーン〉を握り、剣先を向けた。
「鬼ごっこはここまでだ。話し合いの時間といこうじゃないか」
「…っ、〈ファントム〉!」
後ろから聞こえた声に反応して、〈ファントム〉はゆらりと身体を動かす。どうやら二人の方に振り向いたらしい。
【〈ファントム〉…私にはそう言う名前がついたんだね。…先に謝らせてほしいな。ごめんね、突然逃げたりして。彼女の前では無い方が良いと思ったんだ】
〈ファントム〉の言う彼女が、琴里の事を示しているのだと理解出来る。確かに、〈ファントム〉の言うとおりあのままでは幼い頃の士道と、精霊となった折紙が現れるので離れてくれた方が都合が良かった。
「その気遣いには感謝してるさ。だが、俺たちもお前をすんなりと逃せなくてな。強引な引き止め方をさせてもらった」
口ではそう言ってるものの、蓮の話し方はどう見ても言葉ほどの感謝などしてない様子だ。だが、〈ファントム〉という謎の存在の反応を見るためのものだというのは士道も理解していた。すると、〈ファントム〉はクスクスと笑い声のようなものを漏らす。
【大丈夫、私は別に気にしてないよ。しかし…】
〈ファントム〉は士道と蓮を交互に見比べるような仕草を見せる。それに合わせて〈ファントム〉を覆っていたモザイクのようなものが、霧のように消えて行く。
「なっ…」
「……ッ!」
ノイズの中から現れたのは一人の少女だった。慈母のような優しげな顔、これを見て警戒心を立てる人間などそうはいないに違いない。しかし、蓮はそれを見てさらに注意深く〈ファントム〉を睨みつける。
「不思議な光景だよ…。私の知っている君達が、並んで私の前に出てくるなんて…」
「〈ファントム〉…その姿は…」
「この姿は仮のものだよ。せっかく話が出来るというのに障壁越しというのも味気ないからね」
「仮の姿…」
蓮は少女の姿となった〈ファントム〉のつま先から頭の上まで一度じっくりと見上げる。声は姿を隠してい時と比べて、透き通った少女の声だ。桜色の唇に、同じく桜色の髪、優しそうな表情で見る者を安心させるものだ。
「ふふ、これは仮の姿だけど、気に入ってくれたかな?」
自分を見る視線に気づいた〈ファントム〉は微笑みながらそう聞いてくる。だが、警戒した顔の蓮の顔は変わらない。
「いいや、何を考えているのか分からない奴の薄っぺらい微笑みは、俺の神経に障る一番嫌いなものだ」
「…そう、気に入ってくれたら嬉しかったんだけどね」
蓮の辛辣な言葉に、〈ファントム〉は残念そうな顔を浮かべる。仮の姿だと理解していても、微笑んだ顔といい悲しそうな表情といい、感情豊かだと思わざる得ない。それはまさに、人間と同じレベルのものだ。
「…さて、君達はどれほど先の未来からきたの?その姿を見るに、五、六年後ってところかな?」
「なっ…!」
「時間遡行のことを…知ってる…!?」
『・・・・・・・』
〈ファントム〉が自分たちの事だけでなく、狂三の時間遡行の事までも知ってると分かり、蓮も驚きを隠せない。"何なんだ、こいつは"そんな疑問だけが頭を支配する。そんな二人に対して話を聞いてる狂三は静かだ。
「お前、何者だ?少なくとも人間じゃないんだろ?精霊…って言えばいいのか?」
「その判断は任せるよ。…ねえ、君の名前は何て言うの?」
こちらの質問に曖昧な返事をした〈ファントム〉は、聞いてきた蓮の名前を聞いてくる。士道と目を見合わせ、言っていいか悩んだが(表面上は)悪意の無さそうな〈ファントム〉の表情と、聞いてばかりもいられないという思いから答える。
「…ジェイク、ジェイク・メイザース」
「ジェイク…メイザース…。そうか、いい名前だね。君にピッタリだ」
その姿が気に入らないという蓮の言葉を意識してか、〈ファントム〉は心からそう思っているような顔でそう言う。その感想を聞いて、蓮は呆気にとられたような目で〈ファントム〉を見る。今まで生きてきて自分の本当の名を、褒めてくれた他人はいなかった。この名前にあったのは、ただ、『トップであるべき』というエレンのプレッシャーだけだったのだから。
「それで、ジェイクと君は私と会うためだけに過去の戻ってきたの?だとしたら、贅沢な『時間』の使い方をしたね」
「…俺達は〈ファントム〉、お前に用があってここに来た。…今すぐここから消えてくれ」
そう言ったのは隣にいた士道だった。士道はもっと〈ファントム〉から聞きたい事があった筈だ、現に蓮も同じ気持ちなのだから。だが、ここに来た目的を忘れずに。
「それは、私を殺すって言う意味?まあ、未来で君がそのような考えに至ってしまう可能性もあった。彼はそのための武器って訳かい?」
それを聞いた〈ファントム〉は物憂つげに息を吐くと、蓮を…正しくはその
「…いろんな力が集まり、一つになっているのが見えたよ。見た感じ、かなりの数のものを取り込んでいるみたい。それなら、私を殺せると考えたのも納得かな」
「…ッ!こいつにはそんな事を頼んでないし、そんな事をさせるつもりも無い…。お前には一刻も早く身を隠して欲しいだけだ。お前は隣界ってところに行けるんだろ?」
士道が話している途中に、蓮は先ほどいた公園の上空に目を向けるが、まだ精霊化した折紙は現れてない。今すぐ身を隠してもらえば間に合うだろう。士道の頼みを聞いた〈ファントム〉は目を細める。
「ふうん、どうしてそんな事を私に頼むのか、聞いていいかな?」
「それは…」
〈ファントム〉の質問に士道は答えず、渋い表情を浮かべる。自分達は〈ファントム〉について知らなすぎる、そんな相手に未来から来る折紙の事を話して良いのか悩んでいるのだろう。そんな劣勢な状態を見て、〈ファントム〉に剣先を突き付けながら蓮が一歩前に出る。
「お前は勘違いしてるようだから言ってやる。俺たちはお前には頼んでいるつもりはない、『今すぐここから消えろ』これは命令だ」
「へえ…、これは私に命令してるの?」
この場に似合わない大胆な発言に、士道は目を見開くが、〈ファントム〉は動揺や怯えらしきものを片鱗も見せない。
「命令…か。もし私が嫌だと言ったら?」
「一応、こっちはお前に死なれたら困る身でな。だが、それなりの事はさせてもらうっ!!」
そう言うと、蓮は不意打ち気味に剣先を〈ファントム〉の右肩部へと突き立てる。どうせ言葉の脅しが通じるような相手ではないのだ、ならば行動で分からせてやるしかない。しかし…
「ッ!嘘だろ…」
「チッ…、マジかよ…」
「やれやれ…、随分と横暴な子になっちゃったね。脅しとはいえ、こんな事をするなんて…」
〈ファントム〉は〈レッドクイーン〉の剣先を右手の親指と人差し指で挟んで止めていた。さも当たり前のように。それを見た蓮は、慌てて剣を手前に引き戻そうとするが、指だけで押さえ込まれている剣はピクリとも動かせない。少女の華奢な身体からは考えられないほどの異様な力だった。
逆に〈ファントム〉が剣を引くと、蓮の手をスルリと抜けてその手に収まった。その光景を見た二人が警戒の色を濃くするのに対し、〈ファントム〉は〈レッドクイーン〉をマジマジと見つめる。
「うん…良い剣だね。大切にしなきゃダメだよ、この剣も…その腕の輝きも…」
満足そうな顔をした〈ファントム〉は、奪った剣を自分の両手に乗せて蓮に差し出した。丁寧な事に刃を自分の方に向けて。それをひったくるように蓮は奪い返す。
「さて、君たちの命令についてだけど、それには従えないな。私にはまだする事があるんだ」
「ま、待ってくれ!もうじきここに…!」
「士道?どうした?」
〈ファントム〉に士道が泡を食って話していたのだが、不自然なタイミングでその言葉が止まる。その事を妙に思い、不安の声と共に蓮が顔をを向けるがその隙に〈ファントム〉はノイズを纏うと地を蹴って上空に飛んでいく。
それ気づいた蓮は〈バスター〉で捕縛しようと考えるが、すぐにその射程外へと逃げられてしまう。自分も空を飛んで追いかけようかと考えるが、士道一人をここに放置する事も出来ずその姿が消えるのを見守るしか出来なかった。
「く、は…ゲボッ!ゲボッ!」
そのタイミングで士道は前方に倒れるように膝を突き、咳き込む。その背中を蓮は撫り、落ち着かせる。
「どうしたんだ?急に言葉を止めて…」
「なんか…急に動けなくなって…息まで…」
途切れ途切れで説明するが、空に一条の光線が流れたのを見て、言葉を中断し、二人は空を見上げた。そこには光り輝く純白の霊装、破壊の光を振りまく折紙がそこにいた。折紙は同じように空を飛ぶ〈ファントム〉にいくつもの光線を放っている。
「時間切れだ!これからどうする!?」
これからの行動を士道に投げかけるが、士道は拳を握り黙ったままだ。
(こうなったら、俺が二人の間に入って…)
一度は否定したその案を決行するかと考える、当然、成功確率はかなり低い。だが何もしないよりはマシだろう。その時。
「繰り返させて…たまるかよ…ッ!」
小さく呟くと、何処かへと向けて士道は急に走り出す。唐突なその行動に、蓮は声を上げた。
「何をする気だ!?士道!」
『士道さん…!?』
その質問にも答えず、士道は走り続ける。蓮も咄嗟にその後を追う。折紙が自分の両親を殺してしまうまで時間は無い、こんな時にどこに行くのかと思っていると、やがてある場所へとたどり着く。そこは折紙の両親と、五年前の幼い折紙がいた場所だった。
「うおおおおおおっ!!」
喉が潰れんばかりの大声を出しながら、士道は三人の元に走って行くが、その上空では折紙が〈ファントム〉に向けて渾身の一撃を放とうとしていた。残念な事に士道が三人の元に辿り着くより、それが二人を焼き払うのが早いと確信出来る。
「あの馬鹿!!なんて無茶を…」
士道が何をするつもりか察した蓮は、片手に〈エカトル〉を握ると、
瞬間、視界いっぱいを白い光が焼き、思わず目を瞑る。結果、出した命令が上手くいったか分からないまま、蓮の意識はそこで途絶えた。