一夏たちが解放された後、千冬と真耶は事後処理のために機材を運び込んだ管制室(仮)に戻っていった。一方切嗣は一人、誰もいない空き部屋で灯りを消してゆっくり月を見上げていた。すると、突然誰かがドアをノックする。
「━━鍵は空いている、入ってきてくれ」
「し、失礼します……」
するとドアノブが静かに回り、セシリアが静かに入ってきた。切嗣は、目の前で人を殺した自分に対し何か言いたいことがあるのだろう、とあたりをつける。セシリアは部屋の灯りをつけずに、そのまま部屋の中央に来たところで、畳の上に腰を下ろした。セシリアのような西洋女性が畳の上に正座をしている光景は、かなりシュールな構図になっている。がしかし、今の彼女にはそれを感じさせない“重み”がある。
「━━━少し、よろしいでしょうか?」
「……あぁ」
暗い部屋の中、ぼんやりとしか相手が見えない状況ではあるが、切嗣は目の前に座る彼女から、ただならぬ気配を感じている。その証拠に、切嗣は気づかずに自分のつばを飲み込んでいた。
「━━━大変、申し訳ありませんでした!私達がもっとしっかりしていれば、貴方を悪役にせず福音を止めることができた筈ですのに!!」
「…………」
そう言うやいなや、セシリアは畳に手を付き、頭を垂れた。いわゆる土下座の姿勢である。切嗣はしばらく沈黙していたが、小さく息を吐くと、セシリアに声をかける。
「頭を上げてくれ。別に君が謝る必要はない」
「ですけど!」
「君たちは福音を止めようと、必死に戦っていた。その一方、僕は戦いにもろくに参加せず、最後に止めを指しただけ。そして誰かが、あのパイロットの責任を背負わなきゃならない。だったら簡単な話だ。どこの国家にも所属せず、いざとなれば切り捨てることが出来る誰かが“哀れなパイロットを殺した悪い奴”になればいい」
切嗣はそう言うと、セシリアの肩に手を起き、ゆっくりと体を起こさせる。セシリアは一瞬ビクッと体を震わせたものの、そのまま逆らわずに体を起こす。
「もしや、切嗣さん━━━それはあまりに酷すぎますわ!」
「何も言わないでくれ。これでいいんだ」
切嗣の言わんとする事に気づいたセシリアだったが、切嗣からの鋭い視線に口を閉じてしまった。切嗣は視線を逸らすと。窓から差し込む月の光を眺める。
(さて、どうしたものかな……)
内心、一夏たちとどう接するかで頭を抱える切嗣の心の中とは裏腹に、その日の夜の月は欠けるところのない綺麗な満月であった。
様々な禍根を残しつつ、臨海学校が終わり、切嗣たちは学校に戻るためバスに乗って学園へと戻っていた。バスの中は臨海学校を終えた生徒たちが疲れて眠っているが、一部の生徒たちの間ではそうではないらしい。セシリアは早々に切嗣の近くに陣取ると、マシンガンさながらの勢いで話しかける。
「━━━ところで、切嗣さんは残りの休みはどうされますの?」
「……特に何も考えていないが」
すると、セシリアがシャルロットとラウラに切嗣に気づかれないように、小さくサムズアップをする。がしかし、せっかくのワンチャンス。それをはいどうぞ、とライバルに譲ると言う選択肢は、彼女たちには存在しない
「!もしよかったら私と一緒に、ロンドンへ参りませんか?貴方に必要なことは心を休める事ですわ」
「抜けがけは許さないよセシリア!切嗣、僕と一緒にフランスに行かない?」
「皆、何か勘違いしているようだが、切嗣は私の嫁だからな。従って切嗣は私と一緒に過ごすのだ」
ラウラの発言にセシリアとシャルロットの空気が一瞬凍る。
「……切嗣さんは、そういう体型の女性が好みでしたの!?」
「そっか……これは是が非でも、連れて行かないといけないね」
何やら闘志を燃やす二人に、切嗣は待ったとばかりに反論する。
「……何を考えているのか知らないが、僕にはそんな趣味は無いから安心してくれ」
「「怪しい……」」
彼女たちから視線を逸らすように窓の方を向いた切嗣を2人はジト目で見つめる
そんな切嗣たちを少し離れた席で一夏は嫌悪と憎悪のこもった目で睨みつけていた
数時間後、切嗣たちを乗せたバスが学園に到着した。そして切嗣は外に降り立つと同時に身体に衝撃を感じて自分の右腕を見ると、制服の胸元のボタンを開けた楯無が右腕を自分の胸に押し付けている。
「おかえりなさいませ、ご主人様♪」
「……なぜここに」
「せっかく可愛いメイドがお迎えに来たのに、ご主人様のいけず!」
「貴女にそう言われても、冥土としか聞こえませんよ」
「冥土だなんて、ひどい」
楯無は目のところに手を当てると、鳴き真似をはじめる。もちろん切嗣も楯無の嘘泣きであることには気づいているのだが、どうしても反応せずにはいられない。
「分かりましたよ。今度先輩が好きなものなんでも奢りますから泣き止んでください」
そのセリフを聞いた瞬間、楯無は満面の笑顔を浮かべる。ここで切嗣は選択肢を誤ったことに気づくが、時すでに遅し。
「ありがとう♪なら、今からきりちゃんの奢りでおいしいパフェでも食べに行こうよ、」
あまりに急な展開にセシリアたちは呆然としていたが、このままでは切嗣をテイクアウトされてしまうと感じた3人は慌てて楯無と切嗣の間に割って入る。
「ちょっと!?いきなり切嗣さんを持っていかないでくださいませんか?」
「何?私はきりちゃんと大事な話があるんだけど」
「な、なら仕方ありませんわね」
楯無の堂々とした態度にセシリアは納得しそうになるが、シャルロットがすかさず切り込む
「いやいや、会長はさきほどパフェを食べに行くとか言ってましたよね?」
「ソ、ソンナコトイテナイヨ」
「あからさまに目を逸らしたな」
「逸らしましたわね」
「━━━会長、目を見て話してくれませんか?」
窮地に立たされた……楯無!そこに通りかかる……本音!そのとき楯無に電流走る!圧倒的……奇策……!戦況を一気に覆す……渾身の策……!!
「本音ちゃん!」
「どうしたんですかぁ、会長?」
「私が逃げるために時間を稼いでくれたら、会長権限で授業中以外だったら好きな時にお菓子を食べていいことにしてあげる!」
「!!」
まさかの会長権限(という名の令呪)を行使し、本音(サーヴァント)を盾にする奇策。その瞬間、楯無とセシリアの間に本音が立ちはだかる。心なしかその小さな背中からは何かを守り抜くという強固な信念がにじみ出ている。
「ところで会長ぉ〜?」
「どうしたの、本音ちゃん?」
「時間を稼ぐのはいいんですけど~、別に3人を倒してしまっても構わないんですよね~?」
「本音ちゃん……うん、遠慮はいらないよ。ガツンとやっちゃって」
「りょうか~い。ではでは、ご期待に応えちゃうとしましょうか~」
本音を挟んで楯無とセシリアの間に緊張が走る。そして次の瞬間━━━
「それじゃ逃げるよ、きりちゃん!」
「え?ちょ、ま━━━」
楯無は切嗣の右手を掴むと全速力で駆け出した。そしてそれに反応するようにセシリアたちも楯無たちを追いかける。が、そこに本音が立ちはだかり
「ここから先へは私を倒して━━━あぅ」
ラウラのチョップで、一瞬にして決着がつく。肉食動物が草食動物に負けることはない。不変の真理。
「よし、急ぐぞ!」
「えぇ!急ぎましょう!」
「……ごめんね、本音ちゃん」
頭を押さえて涙目でうずくまる本音を尻目に、3人は再び楯無たちの追跡を開始した。
楯無と切嗣はセシリア達を撒くため遠回りして、生徒会室へと戻って来ていた。楯無はドアを開けると、切嗣を押し込めるようにして中に入り、急いでドアを閉める。
「ここまで来れば、大丈夫よね?」
「……ところで、いつまで僕の手を握ってるんです?」
「あぁ……ごめん」
楯無は自分が切嗣の手を握っていることに気づき、慌てて手を離す。そんな珍しい楯無の様子を切嗣は不思議そうに眺める。
「……こほん。なぜ私がきりちゃんを拉致━━━もとい、付いてきて貰ったかにはちゃんとした理由があるんだよ♪」
「━━━どんな理由ですか?」
「ずばり、あのままきりちゃんを放置しておくのは危険だったからかな」
「それはつまり、男性IS操縦者として、ですか?」
「いや、そうじゃなくてさ。……きりちゃんは今の自分の表情を鏡で確認した?」
「いえ、特には」
「そこに鏡があるから見てみるといいよ。かなり危ないことになってるから」
そう言われて切嗣は鏡を覗き込む。ほんの一瞬、切嗣は自分の目を疑わざるを得なかった。何故なら、そこには“あの頃”の自分の顔が映っていたのだ。呆然としているところに後ろから声がかかる。
「どう?驚いた?これが今の君だよ。流石にそんな顔をしてるきりちゃんを放っておくわけには行かなくてね。ここまで連れてきちゃいました♪」
「……すまない」
「別にいいよ、私も君に話したい事があったし」
「話?」
ふと楯無の雰囲気が真剣なものに変わるのを感じ、切嗣は彼女の方に向き直る。楯無は大きく息を吸い込んで話を始めた
「……カリバーンを渡した時にはつい言っちゃったけど、きりちゃんはこれからもこんなことを続ける気なの?」
いつになく真剣な楯無の問。そこに切嗣は想いを載せて答える。
「生憎と、僕にはこれ以外の選択肢がないですから」
しばらく考え込む楯無。そして、自分の膝をたたいて気合を入れたところで、ゆっくりと確認するように返事を返す。
「……分かったよ。なら、私がきりちゃんの支えになってあげる」
「それは……どういう?」
「別にそのままの意味だよ?誰かさんは危なっかしくて、とてもじゃないけど一人にしておくことなんて出来ないからね」
じっと切嗣から目を逸らさずに話をする楯無の表情から確かな意思を読み取った切嗣は、思わず苦笑いを浮かべる。それに気づいた楯無は切嗣に問いかけた。
「どうかした?」
「いや、貴女の表情に昔の知り合いの面影を見たものでね。気にしないでください」
切嗣の言葉に楯無は言いようのない違和感を感じたものの、すぐに思考を切り替える。
「……まあいいや。これ以上追求するときりちゃんのSAN値が凄い事になっちゃいそうだし」
「そうしてくれると助かる」
「それにしても一夏くんと何かあったの?彼、貴方のことを親の敵を見るような目で見てたわよ?」
「━━━あぁ、その事なんですが」
切嗣は『銀の福音』を一夏の目の前で撃墜したこと、そしてその後、一夏から詰め寄られたことを楯無に打ち明けた。楯無は静かに話を聞いていたが、切嗣が話し終わると小さくため息をついた。
「……なるほど。貴方がなぜそんな状態で冷静でいられるかとか何ちゃっかりラウラちゃんをゲットしているのかとかは、もう突っ込まないけど、それにしても一夏くんの目の前で殺っちゃったのはまずかったね。かなり怒ってたんじゃない?」
「それは……誰かがやらなければいけない事ですから。しょうがない」
「━━━あのね、」
「「そこまで(だ)ですわ!!」」
生徒会室のドアが開き、セシリア達が中に入ってきた。どうやら先程まで探し回っていたらしく、うっすらと汗をかいている。
「「生徒会長、これはいったいどういう事(ですか)ですの!?」」
「あちゃ~、もう来ちゃったか。やっぱりモテる男は違うね~きりちゃん」
「…………」
非難の視線を向ける切嗣に対し、楯無は笑みを崩さずにウインクを浮かべながらわざとらしくドジっ子アピールをする。
(切嗣さんはあんな風におっしゃっていましたが、あのような悲しい顔しているのを放っておくわけには参りませんわ……)
(とにかく一度、切嗣に話を聞かないと……切嗣が喜んで人を殺すなんてありえないよ)
(切嗣が見せたあの表情……。夫として私に出来る事をしなければ)
三者三様。考えに若干の違いがあるとは言え、セシリア達の切嗣に対する気持ちは、そう簡単に崩れ去るものではないらしい。
イーリス・コーリングはナターシャの葬儀が済んだあと、休暇を利用して所属基地である“地図にない基地”の近くの教会へと足を運んでいた。理由はひとつだけ。ナターシャの事件の時に何も出来なかった自分の事を懺悔するためである。
「……さて、それじゃあ行きますか」
イーリスが教会に入ると、中の様子がいつもより騒がしいことに気づく。近くにいた信者に話を聞くと、最近この教会に日本から新しい神父が赴任してきた、とのことである。アメリカで日本人の神父が説教をするのは珍しいことらしいのだが、その神父は流暢に英語を話し、聖書の一節をまったく見ない状態で正確に暗誦することができたため、その才を認められ教会の上役補佐として就任することになったのである。
「あれが噂の神父ね……まあ、別に誰でもいいのだけれど」
イーリスは胡散臭そうな目で神父を見る。確かに流暢に英語を使い、老若男女問わず、誰にでも優しく接しているようであるが、軍属であるイーリスには彼の表情はどこか違って見えていた。
「失礼。神父様、このあと懺悔をしたいのですが、お時間はよろしいでしょうか?」
「あと2~3時間ほどで礼拝をする人もいなくなるだろうから、その時にもう一度訪ねて来て下さい」
「分かりました」
一通りやり取りを済ませると、イーリスは時間を潰すために教会の外へ出る。今日一日は緊急時の招集がかからない限り、門限までに基地に帰還すればいい。彼女は少し遅めの朝食をとりに、近くのレストランへと入っていった。
2時間後、イーリスが再び教会を訪れると、室内は2時間前の状態が嘘のように伽藍堂になっていた。ほどなくして、祭壇の横の扉から例の神父がゆっくりと姿を現す。
「きっかり2時間後ですね。別に少し遅れて来てもよろしかったのですが」
「いえ。自分から頼んでおいて時間に遅れるのは軍隊に属している人間として、ありえないことですから」
「……ほう。すると貴女は軍人ですか?」
「……そのへんも含めて今からお話しようと思っているのですが、よろしいですか?」
「えぇ。ではこちらに」
神父とイーリスは懺悔室へ移動し、イーリスは事件についてプライバシーに配慮しつつ語り始めた。
「━━━なるほど。結局、その少年のお陰で被害は最小限で済んだわけですね」
「はい。ですが、私が彼女を早いうちに止めておけば彼女は死ぬこともなかったはず……」
「━━━もし、よろしかったらその少年の名前の教えていただけますか?」
「えぇ。確か彼は衛宮……切嗣と言う名前だったかと」
「…………」
その時、神父の口元が僅かに歪んだことに彼女は気づかなかった。
翌日、国防省はイーリス・コーリングの失踪および凍結が決定された銀の福音が消失したことを正式に大統領に報告することになる。
日本から来た神父……一体何峰なんだ……。