たまにはこんな設定もいいんじゃないかなーと思いつつ。
× × ×
総武高校を卒業してから、十年ほどが経った春のこと。
絶対に専業主夫になるだとか散々のたまっていた俺だが、現在は恩師と同じ教職に身を捧げている。まぁ、平塚先生と飲み交わしているうちにその気になってしまったからなのだが。
最初こそ緊張した授業も、今となってはすっかり手馴れたものだ。そうして今日も午前中の授業を終え、昼食をとるために職員室へ戻ろうとした時――。
誰かがスーツの裾を背後からむんずと掴んできた。いちいち確認せずとも、正体なんてわかりきっている。
「はーちゃん先生、みーつけた」
「……だから学校ではその呼び方やめなさいって」
川崎京華。俺にとっての問題児である。や、別に素行が悪いとかそういう話ではないけども。ていうかその呼び方、恥ずかしいからいい加減やめてくれないかな……。
同級生や他の教師からすれば、元気な明るい生徒、といったところだろう。実際、成績面でもルックス面でも評価は高いほうだったと俺は認識している。基本スペックが総じて高いあたり、さすがはあいつの妹である。……姉と比べてとある部分がかなり慎ましやかではあるが。
きっとまだ成長期だからだとか、そんなどうでもいい勝手な見解はともかく。問題なのは、そういった部分ではない。問題なのは、お互いの距離の近さだ。
俺は幼少期の頃から京華の相手をしてきたし、彼女も彼女でその間柄に慣れすぎてしまっている。ましてやあれだけ小さかった京華も、今じゃ中学生。また、教師という立場上表立って親しくするのはあまり宜しくない。なので、学校では彼女に対して一線を引いていた。
「……で、どうした。授業で分かんねぇことでもあったか?」
聞くと、無垢な笑顔を浮かべながら京華が弁当の包みを見せ付けてくる。
「んーん、お昼、はーちゃ……先生と一緒に食べよーって思って」
にもかかわらず、これだ。俺の事務的な対応も、慣れすぎているせいで全然効果がない。昨今じゃ教師と生徒の問題について世間が敏感になっているというのに、この子ったら……。
唯一の救いは、彼女が俺に対して『そういう目』で見ていないことだろうか。おかげで周りはこれ以上事を大きくしようとはせず、『年の離れた仲のいい兄妹』くらいの認識で穏便に済ませてくれている。……最初に関係を聞かれた時はかなり苦労したけどな!
「……悪いが今日は先約がある」
「でも先生があたし以外とご飯食べてるの、学校じゃ見たことないよ」
「そ、そんなことはないぞ……」
「先生、目泳いでる」
何が面白いんだが、くすくすと京華が心底楽しげに笑う。姿こそ年相応に成長しているが、屈託のない笑顔を向けてくるという点は昔と変わらない。
「ほら、行こ。昼休み終わっちゃうよ」
渋る俺の手を取り、ぐいぐいと引きながら京華が移動を促してくる。
純真な強引さ、とでも表現すればいいのだろうか。そこに他意や悪意が微塵もないからこそ、本当にたちが悪い。また、京華とのこんな学校生活が当分の間続くと考えただけで全身がむず痒くなる。
だから、俺は。
「はぁ……誰かさんの見習わんでいいとこばっかり見習いやがって……」
今のところ、なすすべもなく結局折れるしかなくて。
……まったくもって、教師とは難儀な職である。俺はしみじみとそう痛感した。
晴天の青空の下、女の子と二人並んでお弁当。
青春真っ只中にいる連中なら狂喜乱舞する場面だろうが、こちとらもうじき人生の山場ともいえる年だ。おまけにその相手は中学生ときたもんで、事情を知らないやつが通報したとしても何らおかしくはない。楽しいランチタイムが恐怖のシチュエーションへと早変わりだぜ!
などと自虐しつつ隣の様子をうかがうと、つぶらな瞳をぱちくちとさせながら京華がくりっと首を傾げた。
「……なーに?」
「あ、いや……なんでもない」
「はーちゃん、相変わらず変なの」
未だに慣れねぇなぁ、この空気……。
こちらの心境など知る由もない京華は、再び黙々と箸を動かし始めてしまう。かといって、大したトークスキルもない俺は口を閉ざすことしかできないわけで。ほら、食事中は口を開けるなってばっちゃも言ってたからな! ……や、ただ単に気まずいだけです、はい。
必然と沈黙が場を支配する中、ぶるりと俺の携帯が震えた。画面には、愛しき我がマイシスターの名前。
「おお、小町か」
はやる気持ちを抑え、一応はと視線で尋ねてみると、京華がこくりと首肯する。無事許可も得られたので、俺はぽちりと通話ボタンを押した。
「もしもし」
『あ、お兄ちゃん? 今大丈夫?」
「京華と飯食ってるだけだし、平気だぞ」
『じゃ、ちょうどいいや。今日の夜さ、久しぶりにみんなでご飯食べようって話になったから、我が家に集合。京華ちゃんにもそれ、伝えといて」
「……了解」
『そんだけ。んじゃねー』
最低限の連絡事項のみを告げ終えると、小町の声はそこで途切れてしまった。……相変わらずだなあいつ。もっとこう、お兄ちゃんの声がずっと聞きたかったよー! とかないのかね……。
嘆きながらも、ぽけーっと俺の様子を眺めていた京華に声をかける。
「今日の夜、俺の実家でご飯だってさ」
「りょ!」
おでこに手を当て、ずびしっと敬礼のポーズをとる京華。こら、一色みたいなことするんじゃありません。お前がやると純粋に可愛くて困るから。
「……確か今年の正月以来だっけか、全員が揃うのって」
「うん、たぶん。……みんな忙しいもんね、あたしは暇だけど」
「ほんなら時間あるうちにもっと勉強しとけ。後々苦労すんぞ」
「はーちゃん、なんか先生みたい」
「お前、俺を何だと思ってんの?」
「冗談、冗談」
本当にもうこの子ったら、人をからかうことばっかり覚えちゃって……。京華もそのうち小町や一色みたいになってしまうのかしらん?
ふと想像した瞬間、三倍のあざとさに襲われうなされる自分の未来が見えてしまった。
「……頼むからお前はそのままでいてくれな」
「いきなり何言ってるの、はーちゃん……」
耐え切れずこぼした俺を見る京華の瞳は、思いっきり変なものを見る目だった。どこぞのラブリーマイシスターやあざとい後輩と違い、京華の場合はガチの「何言ってんだこいつ」なわけで。つまりは、二人よりも破壊力がある分直視できないわけで。
「京華、頼むからその目はやめて。はーちゃんもう限界だから……」
「さっきからはーちゃんが何言ってるか、あたし全然わかんないよ……」
結局俺の懇願が更なる悪循環を引き起こし、泣きそうになったまま午後の授業を迎えることになった。恐怖のシチュエーションは案の定、涙の味がした。
× × ×
放課後にもなれば、校舎内の生徒の声は時間と共にだんだんと薄れていく。
授業が終わり次第さっさと帰宅する生徒もいるし、なんとなくだべり続けている生徒もいる。逆に、部活動に参加する生徒や生徒会の仕事がある故に残っている生徒もいる。
何はともあれ、勉学が終わった後は生徒それぞれが各々の青春模様を咲かせているのだ。そうして今日もまた学校での一日が終わり、明日へ続いていく。
しかし、教師の場合はそうではない。授業が終わった後は中間試験や期末試験のテスト問題作成に、各クラスの提出物の確認やら状況把握、人によっては部活動の顧問だったりとまだまだ仕事が残っている。つまりは、一日の授業過程を終えた段階で、ようやく折り返し地点なのだ。
「あー……今すぐ帰りてぇ……」
椅子の背もたれにぐだっと寄りかかりながら、ぼそりと独り言を呟く。さすがに新任時代とはくたびれ具合こそ違うが、仕事をしている以上疲れるものは疲れる。
「こら、ちゃんとお仕事しなさい」
そしてどういうわけか、京華が隣の机に座りながら足をぱたぱたとさせていて。
「いや、なんでお前が職員室にいんの……。っつーか隣の先生は……」
「席譲ってもらった」
「ああ、そう……」
ちょっと? なんで譲っちゃったの? 突っ込み続けんの大変なんだぞ、こいつのフリーダムっぷり……。や、ぶっちゃけ突っ込むのとっくに諦めてるけどさ。
「け、……川崎、先帰ってていいんだぞ」
「んーん。帰っても暇だし、はーちゃ……先生見てるから大丈夫」
いや、あの、俺が大丈夫じゃないんですがそれは……。何が悲しくて京華に仕事をサボらないか監視されないかんのだ。とはいえ、こいつの場合はこうだって決めたら頑固だからなぁ。
「それに、一人で帰るより二人で一緒にのほうがいいでしょ」
こ、こいつ……また誤解されかねん言い方を……。
しかしそれが事実な以上、返答に困ってしまう。おまけに京華の場合、狙って言っているわけでもないので余計に俺の頭を悩ませる。
「……まぁ、なんだ。なるべく早く片付けるわ」
「おー、頑張れー」
彼女らしいお気楽な声援を受け、俺は一つ息を吐いた後、俺は山積みになったままの書類へ手を伸ばした。
× × ×
薄暮れの道を、京華と揃って帰路につく。
辺りを照らすオレンジ色の光の中を二人で並んで歩くのは、かつての高校時代を想起させる。連れ立っている人物こそ昔と違えど、揺れ落ちる陽を目指して足を進める景色というのは今も変わらない。
「ちょっとだけ遅くなっちまったな……すまん」
「あたしは平気だよ。はーちゃんと帰るの、好きだから」
「そうかい、ありがとよ」
京華の頭をぽんと軽く叩くようにして撫でると、んふふと京華が嬉しそうに目を細める。
「あたし、はーちゃんに撫でられるのも昔から好きだよ」
「……そうかい、ありがとよ」
「さっきと同じこと言ってるー」
何が楽しいんだが、恥ずかしがる俺を見た京華がけらけらと子供のように笑う。……本当、表情がころころと変わるやつだ。
女の子らしい表情を見せることは増えてきたが、こいつもこいつで本質の部分は昔から変わっていない。そのことに妙な安心感を覚えるのは、俺に小町という妹がいるからだろうか。
「あー……そういや、買って帰るもんとかあんのかな」
「んー、平気じゃない? たぶん向こうで用意してると思うよ。もし買ってきて欲しいものあったら、とっくにはーちゃんに連絡来てるでしょ」
「……それもそうだな」
よく見ていらっしゃる。はい、仰るとおりです。
京華の正論にうんうんと頷きつつも、自分の染み付いた奴隷根性にはほとほと呆れてしまう。まったく、みんなして八幡使い荒いんだからほんと嫌になっちゃうわ!
などと内心で愚痴っている俺を見て、京華が意味ありげにくすりと微笑んだ。
「そういえばさ、許してもらえた?」
「あ? あー……どうだろうな……」
どうやら本題に入るタイミングをうかがっていたらしい。
先程は自由なやつと評した俺だが、それはあくまで何もないならの話だ。身内同士に何か問題が起きた場合、率先して間に入り、緩衝材役を担うのが京華だったりする。
だから俺は情けないことに、一回り以上も年下の彼女に頭が上がらないわけで。
言葉をまごつかせた俺を見て、京華が不満げに頬をぷっくり膨らませる。
「もー……」
「いや、すまん。お互いなかなか機会がなくてな……」
「まぁ、はーちゃんが愛想尽かされたらあたしがお婿さんにもらってあげるよ。しょうがないから」
「面目ない……って、こら、突っつくな。それ地味にいてぇんだから……」
がくりとうなだれる俺を見た京華は、ほれ反省したかーと言いたげに俺の頬をうりうりと突いてくる。その姿は、遥か昔の出来事をフラッシュバックさせる。
今より言葉も拙くて、面倒を見られる側だった京華が。
今じゃ、俺の世話を焼くくらいにまで大きくなった。
その隣にはいつだって――。
「……ちょっと急ぐか。これ以上、沙希に負い目を作りたくないしな」
「ほーんと、はーちゃんは素直じゃないなー」
夕陽が二つの影を映し出す。
一つは気だるげな。もう一つは楽しげな。
これからも、きっと、それは続くのだろう。
保障なんて、どこにもないけれど。
俺と、京華と。
小町と、大志たちと。
そして、そんな俺たちの帰りを待つ、何よりも大切な人と。
――沙希と、一緒に。
あまり原作から離れすぎた設定のお話は書かないスタンスなのですが、息抜きに書いてみました。
10年後のけーちゃんということで、参考もクソもあったもんじゃなくオリキャラ化してしまいました。その点はごめんなさい。
勝手ながら原作の幼さを残すイメージで書かせて頂きましたが、「けーちゃんぽい」と感じてもらえれば嬉しいです。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!