怠け者の魔法使い   作:ゆうと00

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番外編2 『とあるプロデューサーの1日』

 午前6時。

 窓に日差しが差し込み、部屋の空気が自然の力で暖まってきた頃に武内は目を覚ました。薄手のパジャマを少々乱したその姿は、普段スーツをきっちりと着こなす彼に慣れた者ほど大きなギャップがあるだろう。まだ少々眠気が残っているようだが、彼はベッドから起き上がって寝室を出た。

 武内の自宅は都心にある高層マンションの一室で、それに相応しい広さと洗練されたデザインをしている。家具も必要最低限しか置かれておらず、よく言えば“モデルルームのように綺麗”で、悪く言えば“つまらない”部屋だった。そもそも独り暮らしにしては広いこの部屋自体、会社から近いという理由だけで数年前に購入したものなので、あまりこだわりが無いのだろう。

 熱いシャワーを浴びて頭をすっきりさせた武内は、髪を乾かしてスーツ姿に着替えると、そのままバッグを持って自宅を出た。彼が家で料理を作るのはもっぱら休日のみで、仕事の日はこうして外で食事を摂ることがほとんどだ。

 

 今日の朝食は346プロまでの道中にある、かな子が経営している会社のチェーン店である洋食店だ。そこでサンドイッチとコーヒーを頼むと、家を出るときにポストから引っ張り出した新聞を読みながらそれを口にする。隅々までチェックはせず、見出しから興味を持ったニュースを流し読みする程度だが、世の中の大まかな動きを把握するならこれでも充分だ。

 これから始まる仕事に備えて英気を養うと、武内は346プロへと向かって歩き出した。周りの通行人も徐々にスーツを着た大人の割合が増えていき、346プロに近づくにつれて通行人の着るスーツが上等になっていく。

 

 そうして到着した346プロは、他のビルと比べても明らかに敷地が広かった。346プロのビル、かな子のチェーンレストランの本社ビル、きらりのファッションブランドの本社ビル、そしてもう1つの建物の計4棟で構成されたそこは、木々が綺麗に整備されていてまるで公園のようである。

 現在の時刻は、午前7時半。一般の会社と比べても出社には早い時間だが、担当アイドルの仕事スケジュールによってはもっと早い時間に出社することも普通の仕事だ、ビルの中にはすでに何人もの社員がいてそれぞれの仕事をしていた。

 

「チーフ、おはようございます!」

「あっ、チーフ! おはようございます!」

「はい、おはようございます。今日も1日、頑張りましょう」

 

 事務仕事をしていた他のプロデューサー(つまり武内の部下)からの挨拶に応えながら、武内は自分の持ち場である“チーフプロデューサー室”へと入っていった。大量の本をしまえる大きな棚が幾つも立ち並び、中央には応接セットとして高級な革の貼られたソファも置かれたその部屋は、1人の人間が働くスペースとしてはかなり広い。

 

「…………」

 

 武内はその部屋をぐるりと見渡してから、広い事務机とセットで置かれたゆったりと大きな椅子に座った。なぜかその表情がほんの少しだけ寂しそうだったが、武内はそれを振り払うようにパソコンを立ち上げて仕事を始めようとした。

 コンコン、と部屋のドアがノックされたのはそのときだった。

 

「おはようございます、プロデューサーさぁん……」

「……おはようございます、佐久間さん」

 

 若干頬を紅く染めながら部屋に入ってきたのは、佐久間まゆだった。

 

「佐久間さん、今日の仕事は午後からだったはずですが……」

「うふふ、プロデューサーさんに会いたくて、早く来ちゃいました」

 

 ニコニコと笑いながらそう言うまゆに、武内は反応に困ったように首の後ろに手を遣った。このような遣り取りは何十回も行われているだろうに、武内は一向に慣れる気配が無かった。そしてまゆもそれを楽しむかのように、口に手を当ててクスクスと笑い声を漏らす。

 そして自分のポーチから、可愛らしいデザインをした弁当箱を取り出した。

 

「プロデューサーさんのために、お弁当を作ってきたんですよ。宜しかったら、食べてくれませんかぁ?」

「……ありがとう、ございます」

「うふふ、今回は少し大きめのお弁当箱にしたんですよ。プロデューサーさんは男の人ですから、まゆと同じ量では物足りないですものね……」

 

 武内が弁当を受け取るのを、まゆはうっとりとした表情で見つめていた。

 

「申し訳ございません、佐久間さん。私のために……」

「そんな、プロデューサーさんは気になさらないでください。これはまゆが好きでやっていることなんですから……ね?」

 

 可愛らしく小首をかしげてそう言うまゆに、武内は何か言いたげに口を開きかけて、それを止めた。何を言おうとしていたのかは分からないが、懸命な判断だったと言えるだろう。

 

「それじゃ、まゆはそろそろ行きますね。お仕事、頑張ってくださいねぇ」

 

 まゆはそう言って頭を下げ、ニコニコと弾むような足取りで部屋を出ていった。武内は渡された弁当箱を複雑な表情でじっと見つめていたが、やがてそれから視線を逸らすと、パソコンに届いているメールのチェックを始めた。

 

 

 *         *         *

 

 

 午前8時半。今日のスケジュールでは、担当アイドルの1人に同行する予定である。チーフプロデューサー室の隣にある談話室にそのアイドルが到着次第、彼女と一緒に現場まで向かうことになっている。

 

「…………」

 

 なのだが、そのアイドルが一向に姿を見せない。まだ時間に余裕があるとはいえ、途中で渋滞に巻き込まれる可能性もある以上、あまり悠長に構えられるほどでもない。

 武内は事務仕事を中断して、部屋の脇にあるドアへと歩いていった。そのドアは隣のアイドル専用談話室と直で繋がっており、よくアイドル達がここから仕事中の武内に会いに来たりする。

 武内がドアを開けて中に入ると、談笑していた3人のアイドルが一斉にこちらを振り向いた。

 

「あら、武内ちゃま。どうかなさったの?」

「あっ、武内せんせぇだ! おはよーございまー!」

「どうしたの、武内……?」

 

 一挙手一投足に清廉さを感じる金髪の少女、活発な笑顔がとても眩しい少女、そして常に眠そうな目つきをしている髪の長い少女が、武内の姿を見てそれぞれ反応を見せた。

 

「お話中すみません、櫻井さん、龍崎さん、佐城さん。塩見さんと現場に向かう予定なのですが、見掛けませんでしたか?」

「見掛けませんでしたが……。電話には出ないんですの?」

 

 金髪の少女――櫻井桃華の問い掛けに、武内は困ったように首の後ろに手を遣った。

 

「はい……。先程から何度も電話を掛けているのですが、ずっと留守電で……」

「まだ家で寝てるのかなー?」

 

 快活な少女――龍崎薫のいかにも子供らしい言葉に、武内は真剣な表情で考え込んだ。

 

「……もしかしたら、そうかもしれませんね」

「……じゃあ、私達と一緒に行く……?」

 

 長髪の少女――佐城雪美の提案に、武内は少し悩む仕草を見せ、そして「おねがいします」と頭を下げた。

 

 

 

 武内が探す(くだん)の少女――塩見周子は、京都からやって来たアイドルだ。彼女のように遠くからやって来たアイドルは、東京に部屋を借りてそこから事務所に通うことになる。しかし大抵のアイドルはデビューしてすぐに売れるわけではなく、部屋を借りるほどの金銭的余裕は無い。

 だからこそ346プロには、同じ敷地内にアイドルが住むための寮が存在している。寮といっても見た目は洒落たデザイナーズマンションのようで、事務所の敷地にありながら植え込みでさらに仕切られている。寮内では細かいルールが定められており、まるで部活の合宿のようなノリでアイドル候補生や新人アイドル達が共同生活を送っている。

 そんな女子の花園なだけあって、武内はここに近づくことに躊躇いがあった。プロデューサーならば共有スペースにまで入ることが許されているのだが、言ってみれば彼が勝手に尻込みしているのである。なので彼がここに入るときは、様々なトラブルに対する予防策として、常に他のアイドルを自分に同行させているのである。

 

「たっだいまー!」

「ただいま……」

「お邪魔致しますわ」

 

 そして今回の監視役である3人の内、雪美(京都出身)と薫(愛媛出身)は現在親元を離れてここに住んでいる。桃華も兵庫の神戸市から来たので本来はここに住むことも有り得たのだが、彼女は近所に別邸を購入してそこから通っている。

 

「あっ、武内さんだ! おはようございます!」

「おはようございます、武内さん!」

 

 入口から入ってすぐの所にある共有リビングには、すでに大勢のアイドルの姿があった。何人かはリビングの大型テレビで映画鑑賞をしており、何人かは共有キッチンで楽しく料理をしている。そして皆が武内の姿を見つけると、笑顔を浮かべてすぐに挨拶をしてきた。

 女子だけの空間に男が入り込んだら普通は大なり小なり嫌な反応を示すものだが、武内に対してはそれがまったく無い。自分達が所属する事務所をここまで大きくした立役者だから、という打算の想いがあると考えることもできるが、少なくともここにいるアイドル達にはそんな考えは無さそうだ。それを見抜けないほど、武内の目は甘くない。

 

「皆さんは今日、塩見さんを見掛けましたか?」

「周子さん? そういえば、今日はまだ見てませんね」

「出掛けた様子は無いですから、多分まだ自分の部屋にいるんじゃないですか?」

「そうですか……。分かりました、部屋に向かってみることにします」

 

 武内が頭を下げてその場を後にすると、桃華達小さなアイドルが彼の周りを取り囲むようにちょこちょことついてきた。特に薫は先程から武内のことを観察するようにじっと見つめており、彼が何かしでかさないか監視する、というミッションを楽しんでいるのかもしれない。

 

「はい、とうちゃーく!」

「とうちゃーく……」

「2人共、あんまりはしゃいでは駄目ですわ。ここはみんなの家なんですから」

 

 エレベーターに乗って少し歩いた先に、ドアのプレートに“塩見周子”と書かれた部屋があった。武内がドアのインターフォンを鳴らすが、中からの反応は無かった。改めてスマートフォンで電話を掛けてみるが、周子が出る様子は無く、部屋からも着信の音が聞こえてこない。とはいえ、マナーモードにしている可能性もあるので、それだけで部屋にいないと判断することはできない。

 

「周子さーん! おっはよー!」

「周子……、武内が呼んでる……」

「周子さん、武内ちゃまが呼んでいますわ。出てきてくださらない?」

 

 一方その間にも、3人のアイドル達が懸命に部屋の中に呼び掛けていた。とはいえ薫はまだしも、雪美と桃華の声量では部屋の中に聞こえるかどうかは疑問だろう。雪美はそもそも喋ること自体が苦手で、桃華は大声を出すのははしたないと考えているのかもしれない。

 と、そのとき、ドアの向こうから微かに足音が近づいてくるのが聞こえた。全員が動きを止めてドアに注目する中、

 

「ふあぁ……、たまのオフなんだからゆっくり寝かせ――あれ、武内さん? なんでこんな所にいるの?」

 

 あくび混じりでドアを開けて顔を出したのは、銀色のショートカットに色素の薄い色白な肌、そして狐を連想させる大きな吊り目が不思議な印象を与える少女だった。しかしその大きな目は現在眠そうに細められ、髪の色と同じ、白とも銀ともとれる薄手のパジャマを着崩しただらしない格好をしている。

 そんな彼女の姿に困ったような表情を浮かべた武内が、首の後ろに手を当てながら、

 

「……あの、塩見さん。今日はこれから私と一緒にテレビ局へ行く予定なのですが、支度は……まだのようですね」

「テレビ局? いやいや、あれって明日でしょ? 今日はオフなんだから、売れっ子シューコちゃんはおねむなのですよー」

「……塩見さん」

 

 武内が呆れ顔で手帳を取り出して今日のページを開き、それを周子の眼前に持ってきた。最初は微笑み混じりでそれを眺めていた周子も、ページを読み進める内にその笑顔が引き攣っていく。

 

「……ごめん、今何時?」

「まだ時間に余裕はありますが、あまりゆっくりもしていられません。急いでください」

「わ、分かった! ごめんっ!」

 

 勢いよく閉められたドアの向こうで、どたどたどた、と先程よりも明らかに大きな足音が鳴り響いていた。その音からも、焦っていることがよく伝わってくる。

 

「まったく、スケジュールを勘違いするなんて……」

「…………」

 

 小学生に溜息混じりで呆れられてしまった周子に、武内は首の後ろに手を遣って黙ることしかできなかった。

 

 

 

 周子と共にテレビ局に入り、彼女の出演するテレビ番組の収録をしばらく眺めていた武内は、スタッフ達に軽く挨拶してからスタジオを後にした。とはいえ彼は休憩に向かったわけではなく、むしろここから怒濤の打合せラッシュが始まるのである。

 通常ならばアイドルを売り込むために営業を掛けるのだが、武内ほどにもなれば向こうの方から番組やイベントに出演してほしいと打診される。現在の武内は新人アイドル数名に加えて“奇跡の10人”のプロデュースも継続して行われているので、彼女達に出演してもらうには武内を通す必要がある。よって業界人の間ではアイドルのスケジュール争奪戦の前に、武内のスケジュール争奪戦が行われるという何とも希有な現象が発生していた。

 この日も総勢6人の番組プロデューサーを交えた打合せが行われ、彼らの中で様々な駆け引きが行われたうえで、武内の担当アイドルのスケジュールを瞬く間に埋めていった。武内はアイドルそれぞれに用意された手帳を幾つもテーブルに広げ、相手の希望とスケジュールの合うアイドルを即座にピックアップして提案していく。

 とはいえ、武内の方もただ相手から提示された仕事を貰うだけではない。相手が世間話のつもりで話した内容から新たな仕事の匂いを嗅ぎ取るや、すぐさまそれに見合ったアイドルを提案して仕事へと繋げていく。

 この場合対象となるアイドルは武内の担当に限らず、346プロにいる全員のアイドルがその対象に含まれている。346プロには様々な技能を持った人材が豊富にいるので、大抵の仕事には対応することができる。しかし武内がそれぞれの仕事に対して的確な人物をピックアップできるのは、彼が所属アイドル全員を余すことなく把握しているからこそだろう。

 そうして打合せも佳境に入ってきた頃、最近になって恒例となった遣り取りが今回も始まった。

 

「ところで武内くん、双葉杏ちゃんとはまだ付き合いがあるのかな?」

「……双葉さん、とですか? はい、それなりには……」

 

 またか、と武内は思ったが、そんなことはおくびにも出さずにそう答えた。

 

「そうか、良かった良かった! 実は杏ちゃんと劇場のアイドル達に番組に出てほしいんだけど、向こうが全然相手にしてくれないんだよね! 君の方から何か言ってくれないかな?」

「……一応話してはみますが、出演を確約できるわけではないことは――」

「はいはい、それは分かってるって! ……それにしても、杏ちゃんは何が不満なんだろうなぁ。ゴールデンのクイズ番組だよ? しかも視聴率20%だよ? これに出れば、今まで以上に注目を集められると思うんだけどなぁ……」

「…………」

 

 自分の担当アイドルならば喜んで受ける仕事を容赦無く蹴る杏に、武内は相手に気づかれないようにクスリと笑みを漏らした。

 こうしてアイドル達の手帳を真っ黒に染め上げた武内は、すぐさまそのページをスマートフォンで撮影して、それを346プロで事務仕事中であろう千川ちひろに送った。彼女が346プロで行う仕事は様々であり、こうして武内が手に入れた仕事を整理してそれぞれの担当プロデューサーに伝えることもその1つである。

 

「はい、それではお願いします」

 

 ちひろに確認の電話をして、それを締め括ったのとほぼ同時、

 

「いやいや、売れっ子プロデューサーは大変だねぇ」

 

 ペットボトルのお茶を飲みながら、周子がニヤニヤと笑みを浮かべて声を掛けてきた。大きな吊り目も相まって、それはまさしく童話などで悪戯を企む狐のようである。

 

「お疲れ様です。どうでしたか?」

「バッチリ。そっちもバッチリ?」

「はい。ちょうど終わったところです」

「そかそか。――ねぇねぇ、お腹すいたーん」

 

 周子はそう言って、武内の腕に絡みついた。武内は体を強張らせて即座に周りに目を遣るが、当然彼女も周囲に誰もいないことを見越したうえでやっている。

 

「……分かりました。事務所に戻る前に、何かを買っていきましょう」

「ん? 買ってくる? どっか寄れば良いじゃん、かな子さんの店なら騒がれないでしょ?」

「いえ、実はすでに昼食は用意してもらっていまして」

 

 武内はそう言って、鞄から弁当箱を取り出した。まるで女子が持つような可愛らしいデザインのそれは、どう考えても武内が自分で選んで用意した物ではない。

 

「あぁ、まゆちゃんかぁ……。じゃあ仕方ないね。どっかのお店で持ち帰りのを買って、どっかの公園で食べよっか。――さてと、何を食べよっかなー」

 

 実に楽しそうにスキップをしながら昼食に考えを巡らせる周子の自由奔放さに、武内は何やら昔を思い出してフッと笑みを浮かべた。

 

 

 *         *         *

 

 

 午後1時半。

 

「チーフ、ありがとうございます! 仕事を取ってきてくれるなんて!」

「申し訳ありません、チーフ! わざわざチーフの手を患わせるなんて!」

「1日も早く独り立ちできるように、全力で頑張ります!」

 

 周子との昼食を終えて事務所に戻ってきた武内は、仕事を取ってきてくれたことへの感謝を口にする部下に軽く手を挙げて応えながら、チーフプロデューサー室の隣にあるアイドル専用談話室へと向かっていった。

 コンコン、とドアをノックしてからそれを開ける。

 

「お疲れ様です、プロデューサーさぁん」

 

 待ち構えていたかのようにすかさず、まゆのゆったりした声が武内を出迎えた。部屋をざっと見渡したところ、まゆ以外のアイドルの姿は無い。

 

「お待たせして申し訳ございません、佐久間さん。それでは現場へ向かいましょう」

「はい、分かりました。――あっ、そうそう」

 

 立ち上がってそのまま部屋の外へ向かおうとしていたまゆだったが、ふいに何かを思い出したかのように足を止めて武内へ向き直った。

 

「プロデューサーさん、お弁当は召し上がりましたか?」

「はい、とても美味しかったです。栄養バランスもしっかりと考えられていて、佐久間さんの真心が伝わってくるようでした」

「うふふ……。まゆの愛情、伝わって良かったです……」

 

 武内の評価を聞いたまゆは、全身から幸せオーラを振りまきながらその笑顔をふにゃりと柔らかくした。

 

「それじゃプロデューサーさん、お弁当箱を渡してくれますか?」

「……あの、佐久間さん。いつも有難く頂いているので、せめて弁当箱ぐらいはこちらで洗おうと思うのですが……」

「プロデューサーさんは、気になさらなくて良いんですよ。空っぽになったお弁当箱を見るのが、お弁当を作った人にとって至福の時なんですから」

「……分かりました、お願いします」

 

 武内が鞄から取り出した弁当箱を渡すと、まゆはそれを少し掲げて実に嬉しそうに破顔した。その姿はまさに、愛する夫にお弁当を作る新妻のようである。もしかしたら、頭の中でそれを妄想しているのかもしれない。

 もしも彼女のファンだったら、いつまでもその顔を眺めていたいと思うに違いない。しかし武内は“ファン第1号”を自負しているが、あくまで“プロデューサー”だ。ずっと彼女の顔を眺めていたばかりに仕事に遅刻してしまったとなれば示しがつかない。

 

「……佐久間さん、そろそろ向かいましょう」

「はい、分かりました」

 

 このまま妄想の世界に浸っているかと思われたまゆだったが、武内が声を掛けた瞬間に何事も無かったかのように彼に返事をしてドアへと歩いていった。

 そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、武内は首の後ろに手を遣った。

 

 

 

「いやぁ、さすがまゆちゃんだね! こっちが欲しい絵を、すぐに分かってくれるんだから!」

「うふふ、ありがとうございます」

 

 都内にある広い公園が、今回のまゆの仕事場だ。女子高生向けの雑誌の企画にまゆが起用され、それと連動して街の至る場所に広告が飾られる予定である。今日の仕事はその広告用の写真を撮影し、その後は雑誌に載せるためのインタビューも控えている。

 休日には様々な人々を癒している巨大な噴水も、現在はまゆを魅せるための大道具となっている。照明や反射板を構えたスタッフに囲まれながら、まゆはにっこりと笑みを浮かべた。

 

「いいよ、まゆちゃん! 次はもっと大人っぽい感じにしてみようか!」

「大人っぽい……こうですか?」

「おおっ! さすがだね、まゆちゃん!」

 

 カメラマンの抽象的な要望にも難なく答えるまゆに、カメラマンもすっかりノリノリでカメラのシャッターを切りまくっていた。アイドルになる前は地元で読者モデルをしていたとはいえ、自分の見せ方をしっかりと理解したうえでカメラマンの注文に応えられるのは、純粋に彼女のセンスと勘の良さによるものだろう。

 武内はそんな彼女の様子を見て安心したように頷くと、近くのスタッフに軽く声を掛けて現場を離れた。ちなみに彼が仕事中に現場を離れるのは、まゆや周子のように自分の意見をしっかりとスタッフに主張できるアイドルのみに限られる。

 

 現場を離れたからといって、武内に休憩の時間はやって来ない。すぐさま電話を掛けたのは、346プロに所属するマネージャー達だ。別の現場で仕事をしている武内の担当アイドルについている彼らに進捗状況を確認し、何か問題が起こればその場で解決案を提示するためである。

 3人ほどに電話を掛けて2人は問題無し、残る1人も電話でのアドバイスだけで事なきを得た。もし電話のみでの解決が無理そうならば武内が出張る可能性もあったため、武内はホッと溜息を吐きながら電話を切った。

 すぐさま4人目に電話を掛けようとしたそのとき、武内はふいにその手を止めてポケットにスマートフォンをしまうと、若干早足気味に公園の入口へと向かっていった。

 彼の行く先には、鞄を肩から提げた制服姿の小柄な少女が歩いていた。なぜか袖が異様に長く、彼女の両手を完全に隠してしまっている。

 

「あの、すみません」

「えっ? ――あっ、武内さん……。こんにちは」

 

 その少女――白坂小梅は、後ろから突然声を掛けられて驚いたように振り返り、そして声の主が武内だと知って別の意味での驚きを顕わにした。

 

「すみません。姿を見掛けたもので、つい声を掛けてしまいました。学校から帰るところでしょうか?」

「は、はい……。今から劇場に行くところです……」

「劇場に、ですか? 確か今日はライブが無かったはずですが……」

「えっと……、ちょっと音を出して練習したいなって思って……。輝子ちゃんと、劇場で待ち合わせしてるんです……」

「成程、そういうことですか。頑張ってください。私も近い内に、また皆さんのライブを観に行こうと思いますので」

「はい、待ってます……」

 

 遠慮がちにそう言って笑みを浮かべる小梅に、武内はなぜかハッとしたように目を丸くし、そして若干悔しそうな表情を浮かべた。どちらも普通の人と比べたら些細なもので、彼と今までにも何回か顔を合わせたことのある小梅でも見逃してしまうほどである。

 

「えっと、それじゃ武内さん、また今度……」

「はい。お呼び止めしてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 年下の少女相手でも礼儀を忘れない武内の深々としたお辞儀に、小梅はひらひらと長い袖を振ってその場を離れていった。

 ちょこちょこと歩く彼女の後ろ姿を、武内は複雑な表情で見つめている。

 と、そのとき、

 

「プロデューサーさぁん、他の女の子との会話は楽しいですかぁ?」

「――――!」

 

 突然背後から、それもかなりの至近距離で声が聞こえ、武内は思わず肩を跳ねさせた。

 ねっとりと絡みつくような声を振り払って後ろを振り返ると、まゆがニコニコと笑みを浮かべながらじっと彼の顔へと視線を向けた。垂れ目がちな彼女の双眸は、手を伸ばすとそのまま引き摺り込まれそうな深淵を彷彿とさせる、ような気がした。

 

「……佐久間さん、撮影は終わったのでしょうか?」

「はい。さっき終わって、10分後にインタビューです。――さっきの子が、プロデューサーさんがスカウトし損ねたアイドルですか?」

「……はい」

 

 少々迷いを見せるような仕草をした後、武内は小さく首を縦に振った。

 するとまゆは、不機嫌だとアピールするようにぷくりと頬を膨らませて、

 

「悔しい気持ちも分かりますけど、プロデューサーさんは()()()プロデューサーなんですよ? 少しはまゆのことも見てくださいね?」

「……そうですね。申し訳ありませんでした」

 

 武内がそう言って頭を下げると、まゆは「こちらこそ、わがままを言ってごめんなさい」と優しい声で語り掛けた。

 頭を下げていたために、そのときのまゆの表情は武内からは見えなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

 午後9時。

 ほとんどの社員が退社して帰路に着いている中、武内のいるチーフプロデューサー室だけは未だに煌々と明かりが灯っていた。

 彼の部屋にはメッセージボックスが置いてあり、本人が不在のときにはそこに彼宛ての書類をしまうことになっている。ちょうど半日ほど留守にしていた武内宛ての書類は15束で、中にはちょっとしたハードカバー本ほどの厚さはあるものもあった。

 しかし武内はそれに対して嫌な顔一つせずに、それを1つずつ丹念にチェックする。その内容は新ユニット結成や長期的なプロジェクトの草案など、アイドル達の今後を左右するような代物ばかりである。どんな理由があろうと、けっしてぞんざいにしてはいけないものだ。

 

「…………」

 

 今まで結成されたユニット、かつて引き受けた仕事、方向性や売り出し方――。その成功例や失敗例を記憶の引き出しから引っ張り出し、時には昔の資料も棚から引っ張り出し、このアイデアで良いのか、あるいは別の案を考え直させるか、場合によっては他の案と融合させた1つのプロジェクトにしてしまうか、といったことを頭の中で延々と繰り返し議論し、結論を出していく。

 かつて346プロを創設したときよりも所属アイドルが格段に増え、武内が最終的な判断を下す仕事量も昔の比ではない。会社も当時からは考えられないほどに大規模となり、346プロによって生活が支えられている人間も数多くいる。とても重い仕事だが、だからこそ武内は今の仕事がとても好きだった。

 

 ――このことを双葉さんに話したら、鼻で笑われるのでしょうか……?

 

 ふと思い出したのは、仕事が大嫌いだと豪語していた、かつての担当アイドルだった。『仕事が好きだなんて、プロデューサーは社畜の鏡だなぁ』と呆れる杏が容易に想像でき、武内は仕事中にも拘わらずプッと吹き出してしまった。

 とはいえ、“今の”杏ならば武内の考えにもある程度は賛同してくれるかもしれない。自分の芸能事務所を立ち上げ、劇場を創設し、何人ものアイドルをプロデュースしている今の彼女ならば。

 今度その辺りも含めて話す機会を設けよう、と武内は近い将来の予定を立てたところで、気を取り直して再び書類に目を通し――

 コンコン。

 

「…………、どうぞ」

 

 ほとんど社員のいない中でドアをノックする音が聞こえ、武内は訝しげに首をかしげながら呼び掛けた。

 すると、

 

「よっ、武内。こんな時間まで仕事なんて熱心だな」

「社長……」

 

 右手を挙げて部屋の中に入ってきたのは、346プロの社長・桐生つかさだった。まだまだ25歳という若さで“クールビューティー”という形容が似合う整った容姿は、所属しているアイドルにも引けを取らないほどだ。

 

「仕事熱心なのは良いけど、あまり根を詰めすぎるとぶっ倒れるぞ」

「……しかしアイドル達を輝かせるためならば、私はどれほどの仕事だろうと――」

「そのアイドルを残業のダシにすんなよ。あんたがぶっ倒れたら仕事に支障が出るし、大騒ぎする連中が大勢いるだろうが。仕事時間のコントロールも、できる大人の嗜みだぜ?」

「……分かりました。それでは、今日のところはこの辺りで」

 

 つかさの真剣な眼差しに観念したのか、武内は口元に笑みを携えながらパソコンのデータを保存して電源を落とした。机に広げていた書類を纏めると、それを引き出しにしまって鍵を掛ける。

 

「そうだ、武内。報告があるんだけど」

 

 そしてそれを見計らったタイミングで、つかさがそう声を掛けた。自分の鞄に手を掛けていた武内が、再び怪訝な表情を浮かべる。

 

「おまえが企画した“例のイベント”、正式に採用されたぜ」

「……本当ですかっ!」

 

 その瞬間、普段あまり感情を表に出すことのない武内が、目を見開いて喜びを顕わにした。彼のことをよく知っているために内心構えていたつかさですら、彼の気迫に一瞬後退りしかけたほどである。

 

「つーことで、今からささやかな祝賀会だ。どうせメシ食ってないんだろ? 付き合えよ」

「……分かりました、お供します。社長とも、色々話しておきたいこともありますので」

「おいおい、もうプライベートの時間だぜ? プライベートくらい、仕事を忘れさせてくれよ」

「申し訳ございません。しかしこういう時間でもない限り、社長と話をする時間もなかなか取れなくなってしまったので」

「……まったくだよ。昔は最低でも週1回は一緒にメシ食ってたのにな」

 

 武内1人が使うには広すぎる部屋を見渡しながら、つかさはぽつりと呟いた。

 その表情には、親しい人間でないと分からないほど微かに、寂しさのような感情が表れていた。

 

「良いぜ、武内。久し振りのサシだ。全部ぶつけてこいよ」

「ありがとうございます」

 

 一足先に部屋を出たつかさの背中を追って歩きながら、武内はドアの脇にあるスイッチに手を掛けた。

 ぱちん、という音と共に、部屋は闇に包まれて何も見えなくなった。


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