怠け者の魔法使い   作:ゆうと00
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第13話 『覚悟』

 346プロ本社ビルの一室、チーフプロデューサー室。そこは346プロ設立時のメンバーである武内専用の部屋であり、アイドルと打合せを行うときは大抵この部屋が使われる。

 しかし隣のアイドル専用談話室とドア1枚で繋がっている関係もあって、仕事以外でこの部屋を訪れるアイドルは多い。いや、むしろそちらの方が圧倒的に多いと言っても過言ではなく、遊びたい盛りの年少組ともなれば、たとえ打合せ中だろうが何だろうが容赦無く部屋に入ってくる。そして武内自身はアイドルとの壁をできるだけ排除しておきたいと考えているため、特にそれに対して咎めることはしない。

 しかし中には、本当に大事な話のため部屋に入ってほしくないときもある。そういうときはドアに“重要な打合せのため立入りを禁ず”と書かれた張り紙を貼りつけておけば、根は真面目なアイドル達は素直に大人しくしてくれるのである。ドアの傍で聞き耳を立てる程度のことはするかもしれないが。

 そして現在、部屋のドアにはその張り紙が貼られており、

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 部屋の中央に置かれた応接セットでは、先程から誰も口を開かず、重苦しい空気が部屋の隅々にまで充満していた。

 その空気を作り出した元凶である北条加蓮は、口を固く引き結んではいるがその目に力が宿っており、自分の正面にいる2人を睨みつけるように見つめている。そしてその隣では、彼女と同じユニット“トライアドプリムス”のメンバーでもある神谷奈緒が、非常に居心地悪そうに顔を伏せて床に視線を向けている。

 そんな彼女達の正面に座るのが、“トライアドプリムス”のメンバーであると共にユニットのプロデューサーを務めている渋谷凛と、ユニット以外での3人の活動を包括的にプロデュースしている武内だった。2人共真剣な表情を浮かべて、加蓮の意思を確かめるようにじっと見つめている。

 

「……ふぁ」

 

 そしてそんな4人の横で全員を見渡すように座るのが、この中で唯一真剣な表情を見せずにあくびをする双葉杏だった。傍で見たらまるで無関係であるかのような態度だが、今回に関しては彼女も思いっきり当事者である。

 

「……加蓮、本気なんだね?」

 

 この重苦しい空気を打破して最初に口火を切ったのは、凛だった。彼女の確認するような問い掛けに、加蓮はゆっくりと、しかし力強く頷いた。

 

「凛さん、私は本気だよ。今の自分を変えるために、そして自分の実力を伸ばしていくために、私は杏さんの劇場の一員になりたいと思っている。凛さんや武内さん、それに346プロには迷惑を掛けるかもしれないけど、私の我が儘を許してほしいんだ」

 

 加蓮の言葉に、凛は武内へと視線を向け、武内は首の後ろに手を遣った。

 そして尋ねる。

 

「北条さん……。念のためにもう一度お訊きしますが、北条さんに346プロを抜ける意思は無いと考えて宜しいのですよね?」

「えっ? はい、もちろんです。私がこうしてアイドルとしてやっていけるのも、凛さんや346プロの皆さんのおかげです。そんな人達を裏切るような真似はできません」

「……そうですか、安心しました。先程の言葉を聞いていると、まるで346プロを抜けて双葉さんの事務所に移籍するように聞こえたので……」

 

 武内の言葉に、加蓮はきょとんとした表情で首をかしげた。そんな彼女の仕草に、凛は気が抜けたように大きく息を吐いた。

 そしてそれをきっかけに、凛が加蓮へと尋ねる。

 

「加蓮は、現状に不満を感じてるの?」

「ううん、そんなことはないよ。今のお仕事は凄く楽しいし、やり甲斐も感じてる。――でも、それと同時に『これで良いのかな?』って疑問もあるんだ」

「疑問、というのは?」

 

 そう尋ねたのは、武内だった。

 

「私も奈緒も、凛さんがリーダーを務めるユニットのメンバーとしてデビューしました。最近はそれ以外の仕事も増えてきましたけど、それでも“トライアドプリムス”という看板を背負っています。それが何だか、自分のアイドル活動が凛さんによって守られているように思えて……」

「守られている、ね……」

 

 凛の呟きに、加蓮はこくりと頷いた。

 

「この事務所だけでも私達以外に大勢のアイドルがいて、私達とほぼ同じ時期にデビューして売れている人達も沢山いる。その人達は、色々な活動の仕方があるけど、新人だけのユニットとかソロとかで結果を残している人達もたくさんいる。……そんな中で、凛さんみたいな凄いアイドルの傍にいて活動していると、凛さんの栄光にあやかっているだけのような気分になってきて――」

「北条さん、そんなことはありません。北条さんも神谷さんも、確かな実力があるから渋谷さんと一緒のメンバーとして活動できるのです。半端な実力の方に、この役目は務まりません」

「そうだよ。私が新しくユニットをやろうと思ったのだって、2人のレッスンしている様子を見て『この2人となら、何か新しくて面白いことができるかもしれない』って思ったからなんだ。最初からユニットの話があったわけじゃないんだよ」

 

 加蓮の言葉を即座に否定する武内と凛だが、それでも加蓮の表情が晴れることはない。

 

「……ありがとうございます。多分2人は、本気でそう思ってくれているんだと思います。でも、私自身がこのままでは納得できないんです。――この間、杏さんの劇場に出演しているアイドル達を見て確信しました」

 

 加蓮の口から杏の名前が出てきたことで、その場にいる全員が杏へと視線を向けた。しかしそれでも杏が気の抜けた表情を引き締めることはなく、ちらりと加蓮の方を見遣るだけに留めている。

 

「出演している4人全員が、自分でライブを盛り上げる方法を一から考えていて、たった1人で舞台に立ってそれを実行しています。さらには自分達で曲を作ったり、ネット上の企画を自分達で考えたり、お客さんと直に接して反応を見たり……。正直、私のやっていることとはまるで違うと思いました……」

 

 加蓮の話を聞いている内に、納得がいったのか武内が頻りに頷いた。

 

「成程、よく分かりました。つまり北条さんは、彼女達の“自主性”に惹かれたということですね。だからこそ、私達のプロデュースを受けるのではなく自分のアイデアで、ファンの皆さんを盛り上げたくなった、と。――しかしそれならば、わざわざ双葉さんの劇場に所属しなくても、我々346プロでもそのような場を用意することができます。それでは駄目なのでしょうか?」

「……自分でも上手く説明できないですけど、それだけが理由じゃないんです。多分私は彼女達のライブを観て、彼女達とファンとの“距離感”にも惹かれたんだと思います」

「距離感、ですか」

 

 加蓮の気持ちを確認するような武内の問い掛けに、加蓮は力強く頷いた。

 

「この前のアリーナツアーのような凄く大きなライブも、私にとってはとても貴重な経験だし、確実に色々なものが掴めた大きな仕事でした。……でも杏さんの劇場みたいな、マイクを使わなくても声が届くくらいに狭い会場で、ファンの人達と手が触れ合うくらいに近くでライブをするあの光景が、私にはとても羨ましく思えたんです」

「…………」

 

 加蓮の言葉は、凛にも少なからず身に覚えのある感情だった。“New Generations”として、そしてソロアーティストとして華々しい活動を行ってきた凛だが、ライブ会場が大きくなるごとにファンとの距離が物理的に広がっていき、それに伴って精神的な距離感も広がっていくような気分になるときがある。

 しかしその感情は凛に限ったことではなく、特に多田李衣菜はその感情が爆発したのか、200人ほどしか入れないような小さなライブハウスを中心に全国を飛び回り年間300公演をこなす、という激烈なライブ活動を行っていた時期もある。結局はライブを観られるファンが少なくなってしまうという理由で元の活動形態に戻ったが、今でもそのような感情に駆られることがあると愚痴を零しているのを聞いたことがある。

 

「……とても虫の良い頼みだっていう自覚はあります。大手の346プロに所属しながら、杏さんの劇場にも参加させてほしいなんて言うんですから。でも、私の気持ちは本物です。雑用でも何でもやりますから、私を劇場の一員にしてもらえませんか?」

 

 加蓮がそう言って頭を下げると、凛や武内、そして奈緒も一斉に杏へと向き直った。そのときになってようやく、杏は怠そうなその目つきをほんの少しだけ細めて加蓮をじっと見つめる。それを受けて立つかのように、加蓮も杏の目をじっと見つめる。

 そして杏は、ふいに武内へと視線を移し、そして再び加蓮へと戻した。

 

「条件を呑んでくれるんなら、加蓮ちゃんを劇場の一員にしても良いよ」

「……条件?」

 

 不敵な笑みで話を切り出す杏に、加蓮だけでなく傍で聞く凛達も不安げな表情を浮かべる。

 4人分の視線を一身に受けながら、杏は口を開いた。

 

 

「加蓮ちゃん、346プロを辞めてくれる?」

 

 

「――――!」

「ちょっと、杏――」

「もちろん、期間限定でね」

「…………」

 

 思わず立ち上がりかけた凛だったが、杏の次の言葉を聞いた瞬間、凛はばつが悪そうに口を尖らせて座り直した。

 

「……双葉さん、どういうことでしょうか?」

 

 そしてその代わり、というわけではないだろうが、武内が杏へと身を乗り出してそう尋ねた。

 

「単純な話だよ。そんなに杏の劇場を良く思ってくれるんなら、しばらく346プロの仕事を休止して、がっつりと関わってもらった方が良いと思ったからだよ。――それにこっちの方が、“企画”として分かりやすいでしょう?」

「企画?」

 

 杏の口から飛び出したその単語に首をかしげる凛だったが、武内はどうやらピンと来たようだ。

 

「346プロから一時的に移籍して、双葉さんの劇場で“武者修行”ということですか?」

「そう。――凛、確か何ヶ月か先にソロのツアーの予定があったよね?」

「えっ? うん……、半年くらい先に始まって、3ヶ月くらい掛けて回るつもりだけど……」

「よし。じゃあ、それを目処にしよう。凛がソロツアーの準備に入るのと同時に、加蓮ちゃんが一時的に杏の事務所に移籍する。んで、劇場で色々やって自分の実力を高めていって、凛のツアーが終わったタイミングで346プロに復帰。最終的にどれくらい成果があったのか確かめるために、“トライアドプリムス”としてライブをすれば明確な“ゴール”になって分かりやすいんじゃない?」

 

 杏の提案した“企画”に、武内が顎に手を添えて真剣に考え込む。

 

「ふむ……。そうなると、双葉さんの事務所は色々と都合が良いかもしれませんね。双葉さんと私達は事務所は違えど近しい関係ですし、アイドル達を通じて普段から共に仕事をしています。ファンの皆さんも、これを“イベント”としてすんなりと受け入れてくれるかもしれません」

「イベント専用のホームページを作って、そこで活動報告として毎日ブログを更新すれば、よりイベント感を演出できるかも」

「成程、それでしたら――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 本人そっちのけで互いにアイデアを出し合う杏と武内に、加蓮が慌てた様子で割り込んだ。2人は会話を止めて彼女へと視線を向けると、思い出したように「あっ」と口を開いた。

 

「えっと……、2人共、私が劇場に所属するのに賛成……ってことで良いんでしょうか?」

「はい。私自身としましては、本人の意思を最大限尊重したいと思っております」

「杏も構わないよ。加蓮ちゃんみたいに、テレビで活躍するアイドルと一緒に仕事するのも、あの子達にとって良い経験になるかな、って思ってたところだし。――まぁ、後は凛がオーケーを出すかどうかだけど」

 

 杏がそう言って、先程から真剣な表情で考え込む凛へと視線を向けた。それに釣られるように、加蓮も彼女へと向き直る。

 加蓮が凛をじっと見つめている間、凛は何かを悩んでいるような表情を見せていた。

 そうして1分ほど経った頃、凛がゆっくりと口を開いた。

 

「……うん、分かった。私も興味があるからね。一回り成長した加蓮と一緒にやる“トライアドプリムス”が、どういうものになるのか」

 

 凛のその言葉を聞いて、加蓮の表情が晴れやかなものとなった。もちろん、凛と武内が認めたからといって、即座にこの“企画”が実現するわけではない。他のスタッフや上層部との会議を重ねて、実際にゴーサインを出すかどうかを決定する。つまり、その段階で企画が承認されずに頓挫する可能性もある。

 しかし一先ずは“第一関門突破”だ。加蓮が喜びを顕わにするのも不思議は無い。

 

「これからよろしくお願いします、杏さん!」

「まだ正式に決まったわけじゃないけどね? まぁ、そのときはよろしく」

 

 がばりと立ち上がって勢いよくお辞儀をする加蓮に、苦笑いにも似た笑みを浮かべてそれに応える杏。

 

「…………」

 

 そんな2人を、凛は何かを隠すような複雑な表情で見つめ、

 

「…………」

 

 今までずっと黙って事の成り行きを見守っていた奈緒は、そんな凛を心配そうな表情で見つめていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 レッスンルームのすぐ傍には、ちょっとした休憩スペースがある。ソファーが壁際に並んで設置され、通常よりも安い値段設定になっている自動販売機で飲み物を買うこともできる。

 そして現在そこには、武内や杏を交えた打合せが終わった凛が1人でソファーに座っていた。先程買ったばかりであろう飲み物を片手に、ぼんやりとした目つきで何かを考え込んでいる。

 しかしそれも、こちらに近づいてくる足音に気づいたことで中断された。

 

「どうしたの、奈緒?」

「……凛さん、ちょっと良いか?」

 

 その足音の正体である奈緒に凛が呼び掛けると、彼女は気まずそうに視線を逸らしながらそう尋ねてきた。凛はフッと笑みを浮かべて、自分のすぐ隣をポンポンと叩く。それだけで意図を汲み取った奈緒は、少々遠慮がちにそこへと腰を下ろした。

 そのまま会話を交わさずに1分ほど経ち、最初に口を開いたのは凛の方だった。

 

「いきなりだったから、びっくりしちゃったよ。加蓮があんな風に思っていたこと、奈緒は気づいてたの?」

「えっと……、少し前から変だなとは思ってたけど……、具体的に何を考えてるのかは分からなかったかな……?」

「そっか……。つまり、気づいていなかったのは、私だけってことだね……。これじゃ、2人のプロデューサー失格だね……」

 

 自嘲するような笑みでそう言う凛に、奈緒は苦しそうな表情を浮かべるも、何と声を掛ければ良いのか分からなかった。普段は自分を力強く引っ張ってくれる頼もしい存在である凛も、このときばかりはとても小さく見えた。

 

「杏達と話してるときに、私が言ったことを憶えてる? 私がユニットを組むのを決めたのは、奈緒と加蓮がレッスンしているのを見て、何か新しくて面白いことができるかもしれない、って思ったからだって」

「……うん。凄く、嬉しかった」

「でもそれって今振り返ったら、自分のことしか考えていなかったのかもしれない。そのせいで、まだ自分のカラーも定まっていなかった2人の将来を狭めちゃったのかな……」

「そ、そんなことない!」

 

 凛の言葉に、奈緒は思わず立ち上がってそう叫んでいた。あまりの大声に、凛は目を大きく開けて驚いている。

 

「アタシ達の同期で“奇跡の10人”と一緒に活動している夏樹達はさ、アタシ達とは違って李衣菜さんと“真っ向勝負”を挑んでる感じがするんだ。自分達で曲も書いてるし、4人が主役になっている曲もある。――トライアドプリムスでもアタシ達がセンターになる曲はあるけど、やっぱり心のどこか凛さんに頼りきっている部分があったんだと思う。それは凛さんのせいとかじゃなくて、アタシ達がもっと積極的に意見を言えるようにならないと駄目なことなんだ」

「奈緒……」

 

 胸の前で両手を握りしめながらの奈緒の熱弁に、凛は縋るような表情でそれを見上げていた。

 

「さっきの加蓮の話を聞いて、アタシもようやく分かったんだ。アタシもそろそろ、“トライアドプリムスの神谷奈緒”ってイメージから抜け出さなくちゃいけない、って。――あっ! 別にトライアドプリムスを辞めたいとかそういうんじゃなくて、もっと独り立ちできるようにならないとって意味で! いや、それだと凛さんのプロデュースから離れたいって意味に聞こえるけど、全然そういう意味じゃなくて――」

 

 あたふたと慌てながらどんどんボロボロになっていく奈緒に、凛は可笑しいのを堪えきれないようにプッと吹き出した。それは奈緒がここに来てから初めて見た、凛の心からの笑顔だった。

 そんな彼女の笑顔を見て、奈緒は落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりと深呼吸をしてから言葉を続けた。

 

「つまりアタシが何を言いたかったかっていうと……、今回の加蓮の行動は凛さんから離れたいと思ったからとかじゃなくて、むしろ凛さんの力になりたいと思ったから、あえて凛さんから離れていったっていうか、その――」

「大丈夫だよ、奈緒。加蓮の気持ちは、私にもしっかりと伝わってるから」

 

 穏やかな笑みでそう答える凛に、奈緒はホッと胸を撫で下ろして元の場所に座った。

 そんな奈緒を見つめながら、凛が再び口を開いた。

 

「ねぇ、奈緒。お願いがあるんだ」

「ん? 何だ?」

 

 凛の笑顔を見たからか、同じく笑顔になった奈緒が首をかしげる。

 

「……奈緒も加蓮と同じように、杏の劇場に一時的に所属してもらえるかな?」

 

 しかし凛のその一言で、奈緒の笑顔が固まった。

 

「えっと……、なんでだ?」

「今回の“企画”は内容としては面白いけど、346プロがそれにゴーサインを出す可能性は正直五分五分だと思う。本人の考えはともかく、世間では加蓮は順調にトップへの階段を駆け上がってる売れっ子アイドルだから、今のまま売り出しても何の問題も無い。だからこういう企画にそれほど必要性を感じないかもしれない」

「……それで、なんでアタシが一緒に参加することになるんだ?」

「トライアドプリムスのイメージがあるから、奈緒と加蓮はセットで見られることが多い。だから加蓮が1人で移籍するよりは奈緒も一緒に移籍した方が、企画として面白くなると思うんだ。そうなれば、346プロもゴーサインを出す可能性が大きくなると思う」

「そういうもんなのか……」

「それに加蓮にとってはまったく知らない場所ではないとはいえ、たった1人で新しい事務所に所属するっていうのは心細いと思う。奈緒が一緒にいてくれれば、加蓮も心強いんじゃないかな? ――もちろん、奈緒にその気が無いんだったら無理強いはしないけど」

 

 凛がそう言って奈緒の方を見遣ると、彼女の表情には迷いの色が浮かんでいた。

 しかしそれは、凛の頼みを引き受けるかどうかで悩んでいるのではなかった。

 

「……杏さんは、アタシのことを受け入れてくれるのかな?」

「大丈夫。奈緒も充分魅力的なアイドルだし、私が杏を絶対に説得してみせるから」

 

 まっすぐ奈緒を見つめてそう答える凛に、奈緒は照れ臭そうに頬を紅く染めていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 346プロでの打合せを終えた杏は、武内の運転する車に乗って自宅まで送ってもらっている最中だった。助手席の窓から空を見上げれば、すっかり傾いた太陽が空を真っ赤に染め上げている。

 

「ありがとうございます、双葉さん。北条さんの気持ちを汲んでくださって」

「まぁ、加蓮ちゃんみたいなアイドルと仕事をしてみたかったのは事実だからね。こっちもこの企画を通して、もう一回り成長させてもらうとするよ」

「しかし、こちらがお願いしておいて何なんですが、本当によろしいのですか? 双葉さんの劇場と北条さんとでは、アイドルとしての方向性がまるで違うように思えます。北条さんがやって来ることで、劇場の空気が壊れてしまうといったことが起こらないとも限りません」

「今のメンバーだって、最初から方向性を決めて集めたわけじゃないよ。見込みがありそうな子を集めてたら、自然と今の雰囲気になったってだけ。もっと色々なアイドルがいても良いと思うし、もし加蓮ちゃんが来ることで何か問題が起こりそうなら、そのときにまた改めて考えていけば良いんだよ」

 

 窓の景色を眺めながら杏がそう答えるのを、武内は物珍しそうな表情で見つめていた。運転中に視線を逸らすことはできないので、あくまで視界の端に捉えておく程度ではあったが。

 しかしそんな些細な行動でも、すぐ隣にいる杏には筒抜けだった。

 

「……どうしたのさ、プロデューサー」

「いえ……。双葉さんも、すっかりプロデューサー業が板に付いてきたのだと思いまして」

「そりゃあ、今の杏には4人のアイドルの人生が掛かってるからね。もっと多くなるのかもしれないけど、それでもプロデューサーの方がもっと人数が多いでしょ?」

「人数は関係ありません。私も双葉さんも、とても重い責任のある仕事であることに変わりはありません。しかしその分、やり甲斐も達成感もより一層大きいと思っています。――双葉さんは、今の仕事を楽しいと思えていますか?」

 

 武内の質問に、杏はちらりと彼の方へ視線を向けて、

 

「……まぁ、退屈はしていないかな」

 

 ぶっきらぼうに、そう答えた。その顔が少し紅く染まっているように見えるのは、きっと窓から差し込む夕日のせいなのだろう。

 と、そうこうしている内に、杏の自宅であるマンションの近くまでやって来ていた。角を曲がれば正面玄関に差し掛かるといったところで、武内は路地の端に車を停めた。

 

「近い内に、またお会いしましょう。仕事でも、そうでなくても」

「多分、仕事の方が先になるんじゃないかな? 今、蘭子ちゃんのライブを新しくしている最中でね。前作の主役だった勇者をまた出演させることになりそうだから、プロデューサー、そのときは勇者役よろしくね」

 

 杏がそう言うと、武内は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「正直、カメラの前で演技するのは、未だに慣れないのですが……」

「演技って言っても台詞は無いんだし、この前みたいにちゃんと顔は映さないようにするから大丈夫だって」

 

 もっとも、ライブで映像を観たファンの中には体つきだけで武内だと特定した者もおり、ネットでは既に勇者役の正体が武内であることはほぼ確定的となっていた。当然武内もそれを知っているからこそ余計尻込みしているのだが、既に勇者役を演じてしまっている以上、ここで配役変更というわけにはいかない。

 

「何事も挑戦だよ、武内くん。――それじゃ、送ってくれてありがとね」

 

 助手席から降りた杏は、いたずらっぽく笑いながらそう言ってひらひらと手を振った。武内が頭を下げるのを確認して、杏はくるりと振り向いて正面の角を曲がっていった。

 物理的にも家賃的にも“中堅”という評価がしっくり来る、しかしセキュリティだけはやたらと厳重なマンションが、杏の視界に飛び込んでくる。おそらく現在は自分の家に居候しているアイドル達が、夕飯の準備をしながら自分の帰りを待っていることだろう。

 それを想像しながら、杏はマンションの正面玄関へと視線を移し、

 

「――ん?」

 

 その玄関の前で1人の少女がぽつんと立っているのが見えた。ぼさぼさの長いミルク色の髪を緩く纏めたその少女は、小学校の中学年くらいに見えるほどに幼い顔つきと体つきをしている。そんな彼女はどこにも焦点の合ってないような目つきで、ぼーっと前を見つめていた。

 杏はその子が気になったものの、誰かと待ち合わせしているのだろうと結論づけ、その子のすぐ脇を通り過ぎていった。エメラルドグリーンの眠そうな瞳がじっとこちらを見つめているが、杏はそれを無視して玄関へと進んでいく。

 最新のセキュリティシステムのパネルに部屋の鍵を当てて、正面玄関のロックが解除される。

 小窓から玄関を覗く警備員に挨拶をしながら、正面のエレベーターへと進んでいく。

 そして、服の裾を後ろから引っ張られる。

 

「……え?」

 

 不審に思った杏が振り返ると、先程擦れ違った少女が、じっとこちらを見つめながら杏の服の裾を掴んでいた。

 

「……えっと、何か用かな?」

「こずえ、あんずといっしょー……」

「……えっと、どこから来たのかな?」

「うーん……」

「誰かと一緒じゃなかったのかな?」

「うーん……」

「…………」

 

 その少女(どうやら名前は“こずえ”というらしい)に何を訊いても要領を得ず、杏はとうとう質問を止めてしまった。こんな状況に出くわしたことのない杏は、どうして良いのか分からずに冷や汗を流している。

 

「……仕方ない。とりあえず、部屋に連れていくか」

 

 このまま放っておくと危ない気がした杏は、入口の警備員に「誰かがこの子を捜してるようだったら連絡するように」と言付けしたうえで、こずえと名乗ったその少女を連れてエレベーターへ向かうのであった。



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