346プロは毎週金曜日の午後に、プロデューサーや上層部を交えた会議が開かれる。それぞれのプロデューサーが提案したプロジェクトをプレゼンしたり、所属アイドルの売り出し方を議論するのが主な内容であり、いわば346プロのアイドル達の活動を決定づける場となっている。
346プロを動かす者達が一堂に会する場だけあって、若手の社員はこの会議に出席するだけでも吐き気がするほどの緊張に襲われるという。今回は初参加となるその新入りプロデューサーも、自分がプレゼンするわけでもないのに顔を真っ青にしてガチガチに緊張していた。
そんな中、新人はふと部屋の一番奥へと視線を向けた。
部屋の上座に位置する場所に横並びで座る、3人の男女。
その内の一番廊下側の席に座る、この業界においてはまだまだ若手と称される年齢の男性。しかし彼にとってはその男性こそが、中央に座る30代後半から40代ほどの女性よりも、そしてその彼女よりも年上に見える初老の男性よりも緊張する相手であった。
その男性――武内は、まさにその新人にとって憧れの存在であった。自分が学生の頃に夢中になった“奇跡の10人”をプロデュースしたことで頭角を表し、数年前まで無名どころか存在すらしていなかった346プロをここまでのし上がらせ、その後も数々のアイドルをヒットさせた時代の寵児である。本屋に行けば彼のプロデュース術から読み解いた経営学の本が並び、ビジネスをテーマとする番組では必ず取り上げられるほどの逸材だ。
そんな彼に憧れて、新人は346プロへと入社した。数々の企業を傘下に置く美城グループの中でも、346プロは現時点で最も就職の倍率が高いことで知られている。当然過酷な戦いであったが、彼は見事にその座を勝ち取った。そして現在、そんな彼と一緒の部屋で仕事をしている。彼にとって、これ以上の幸せは無かった。
そんな彼の思惑とは無関係に、会議は順調に進行していった。ソロで活躍するアイドルの新ユニットデビュー案、逆にユニットでデビューしたアイドルのソロデビュー案、はたまた合同プロジェクトとして複数のユニットを合体させる案といった、アイドルの活動スタイルに直結する話はもちろん、アイドル自身がプロデュースした商品を美城グループの別企業で販売するといった、グループ企業だからこそできるプロジェクトについても議論が成された。
そして幾つもの議案が話し合われ、いよいよ本日最後の議案となった。
「それでは最後、“北条加蓮と神谷奈緒の武者修行プロジェクト(仮)”について」
司会進行を務める事務スタッフの言葉で、部屋の中の空気により一層緊張感が走った。そんな緊張感の中、平時と変わらぬ表情で武内がその場で立ち上がる。
「詳しい内容につきましては、事前にお配りした資料の通りです。北条さんは以前から自身の活動方針に対して疑問があり、自身のアイドル活動が渋谷さんの人気にあやかったものではないか、という疑念がありました。これはファンの一部の間でも囁かれているイメージであり、今回はその疑念を払拭する目的も兼ねて、346プロを一時的に離れて双葉さんの事務所である208プロに移籍し、208プロの主宰する劇場“アプリコット・ジャム”の公演に参加するという内容です」
「なぜわざわざ346プロを離れる必要があるのでしょうか? 346プロでそのような場を設けることも可能なのでは?」
「1つは本人が双葉さんの劇場に魅力を感じており、自主的に参加したいと申し出たためです。本人の希望と活動方針が一致したときに最大の効果を発揮することを、私は経験則で知っています。また今回の企画の場合、劇的な環境の変化であるほど効果が高くなると思われます」
「2人共、もはや1万人規模の会場を満杯にするほどの売れっ子です。そんな彼女達を数ヶ月にもわたって別の事務所に移籍させるというのは、346プロにとっても大きな損失になるのではないでしょうか?」
「短期的に見れば、その通りです。しかし彼女達はデビュー以来“トライアドプリムス”で活動しており、現在の世間のイメージはそれで固定されています。ここで劇的なイメージの変化を行い、彼女達の活動方針に幅を持たせることができれば、長期的に見てより高い利益を生み出すことができると考えています」
「しかし今回移籍することになる事務所の劇場は、数百人規模のとても小さなものです。そのような場所で公演を行うとなると、混乱をきたす可能性もあると思うのですが」
「現在劇場では休日のみの公演となっていますが、所属アイドルが増えていけば将来的には平日にも開催する意向であると、双葉さんから伺っております。既に所属しているアイドル達との兼ね合いもあるのでなかなか難しい問題ではありますが、いかに来場客を分散させるかについても含めて、現在双葉さんと入念に協議を重ねているところです」
次々と繰り出される質問に、武内はスラスラと受け答えしていった。ここで注目すべき点は、彼に質問をしている者達の中には、彼の直属の部下として働く後輩の姿も見られることだ。
346プロをここまで大きくした武内ではあるが、彼は常々、自分の提案を誰もが反論することなく受け入れるようになることを恐れていた。アイドルプロデュースというのは様々な人間の目で見たうえで判断されるものであり、断じて1人の考えのみで動かすべきではないと考えている。スタッフが自分と事務員的な立場のちひろ、そして社長のつかさしかいなかった頃も、武内は彼女達と、そしてアイドル本人ともよく話し合っていた。
しかし後輩にとっては、多大な実績を挙げている先輩に意見を述べるというのは躊躇われることであり、特に彼に憧れを抱いて入社した者は尚更である。別の先輩から遠慮無く意見を述べるように言われたその新人は、目の前で繰り広げられる議論に右往左往するのみで口を挟むどころではなかった。
そうこうしている内に、議論も終盤に差し掛かった。武内の流暢な受け答えもあってか、参加者の中には容認される空気が漂っている。
「他に意見のある方は、挙手を願います」
司会進行のその声に、手を挙げる者はいない。
このまま賛否を募る流れになるか、と誰もが思ったそのとき、
「――は、はい!」
新人がプルプルと震えながらの挙手と共に声をあげたことで、部屋中の視線が一気にこちらを向いた。憧れの武内だけでなく、彼の隣に座る上層部の女性もこちらをじっと見つめている。
「え、えっと……」
最初は緊張と不安で喉が押し潰されていた彼も、何回も深呼吸した後に改めて口を開いた。
「わ、私は、“トライアドプリムス”を、とても魅力的なユニットだと思っています。そ、そこに所属する3人のアイドルも、私はとても大好きです。こ、今回の移籍を経て、その魅力が損なわれることにはならないのでしょうか?」
意見を述べている間、彼は勇気を振り絞ろうと全身の力を込めていたために目を瞑っていた。そして意見を言い切った後、彼は恐る恐る武内へと顔を向けた。
武内は、口元に笑みを浮かべていた。
「もちろん、今までの“トライアドプリムス”を大事にしてくれているファンの皆さんにも配慮していくつもりです。今回の企画は、ファンの皆さんが大事にしてくださっている既存のイメージに加え、彼女達の新しい魅力を提案していくためのものだと考えています。その両立は非常に難しい問題ではありますが、確かな実力のある彼女達ならば乗り越えられると確信していますし、彼女達を手助けしてくださる双葉さんのことも、私は信頼しています。――魅力的だと仰っていただき、誠にありがとうございます」
「……はい!」
全身から抜けていく緊張感と、憧れの存在に礼を言ってもらえたという達成感のせいか、勢いは良いものの実に気の抜けた返事となってしまっていた。
会議を終えて自分の部屋へと戻った武内は、会議で使用した資料を片づけていた。戸棚や机の引き出しはアイドルごとに明確に分けられており、彼の几帳面な性格を表しているその光景はある意味壮観である。
資料をしまい終えた武内は、スマートフォンを取り出しながら窓へと目を遣った。窓の外は太陽が落ちてすっかり暗くなっていた。なので武内は通話へと伸ばしかけていた指をメールへと移し、今回の会議の結果を奈緒と加蓮、そして杏の3人にメールで送信した。詳しい打合せは、明日以降に行うことにする。
さて、それでは別の案件を片づけることにしよう、と武内が思い至ったかは定かではないが、彼は机の上に置いてあったパソコンの電源を入れた。速やかにデスクトップが表示され、武内はファイルの1つを開いて作業を――
コンコン。
「どうぞ」
ドアをノックする音に武内が即座に呼び掛けると、ドアが開いて来客が姿を現した。
「すまない、失礼する」
「邪魔するよ、武内くん」
部屋の中へ足を踏み入れた2人の人物に、武内は無意識の内に立ち上がって出迎えた。
1人は30代後半から40代ほどと推測される女性で、黒い長髪をきつく縛ってハッキリとしたメイクをしている外見から、バリバリのキャリアウーマンという印象を受ける。一方もう1人は彼女よりも年上であろう男性で、その眼鏡の奥から覗かせる目は優しく細められており、女性とは対照的に柔らかい印象を受ける。
「美城常務に、今西部長……」
「すまないね、突然押し掛けてしまって」
役職としてはチーフプロデューサーの自分よりも上司である2人の訪問に、彼は恐縮した様子で腰を折って頭を下げ、今西はその穏和な笑みで謝罪を口にしながら応接用ソファーに腰を下ろした。彼と一緒に来た美城もその隣に座り、流れとして武内も2人の正面に座った。
「どのようなご用件でしょうか? ……もしや、北条さんと神谷さんの件で何か――」
「いや、それに関しては私から反対意見は無い。無条件で賛成というわけでもないが、懸念事項は会議でも粗方出ていたし、それに対する答えも納得のいくものだった。そもそも何かあれば、会議のときに話している」
「私と美城くんがここに来たのは、まぁ、ちょっとした“世間話”のつもりだと思ってくれて構わないよ」
「は、はぁ……」
2人の言葉に、武内は首の後ろに手を遣りながら答えた。彼がこの仕草をするときは大抵困っているときであり、つまり彼は現在そんな心理状態であった。
しかし、彼がそう思うのも無理はない。
346プロが現在の場所に移転するに伴い大幅な人員増強が図られたとき、その大半は新人採用によるものだったが、美城グループの会社から桐生つかさ社長直々に社員をピックアップして引き抜いた者も大勢いた。それこそ、過去の武内のように。
当然ながら、そのような経緯で346プロに入ってきた者は粒揃いの優秀な人間だ。中にはあまりに優秀すぎてその部署では鼻つまみ者として扱われていた者もいたが、その後も続く346プロの快進撃を見るに、つかさの見る目は間違っていないようである。
その中でもこの2人は、特に優秀な人間だった。
美城はその名字からも分かる通り、美城グループの現会長の親戚筋の人間だ。しかし彼女がここまでの地位に上り詰めたのは、何もそのコネによるものではない。工業系産業や出版社や銀行、さらには私鉄の経営などでその名を轟かせてきた美城グループが、大人の女性向けコスメ会社やファッションブランドといった業界でも成功できたのは、ひとえに彼女の手腕によるものだ。
そして今西はそれとは対照的に、元来美城グループが得意としてきた既存産業でその力を発揮してきた。今ではすっかり好々爺の雰囲気が似合う感じになったが、昔はその名を聞いただけで競合会社だけでなく身内すらも震え上がるほどに暴れ回った“豪傑”として語り草となっている。
どちらも“将来の会長候補”として名前が挙がっているだけに、そんな2人が自分の部屋をこんな時間に訪ねてきたとあっては、武内としては警戒せざるを得なかった。つかさからは『おまえだって、このままのペースで行けば会長だって普通に狙えるからな』と言われているが、だからといって2人に対して物怖じするなというのは無理な相談だ。
「さっきの会議を見てても感じたけど、君は後輩に慕われているようだね。実に良いことだ」
「そうですか……。ありがとうございます」
今西の素直な賞賛に、武内は頭を下げて礼を言った。本題を切り出すための“前振り”であることは分かっていても、武内は自分の警戒心が先程より薄れていくのを自覚する。
それを見越してか、美城が口を開いた。
「君は“奇跡の10人”、とりわけ双葉杏に対して絶対の信頼を置いているように思える」
その言葉に武内は一瞬だけ緊張を顕わにするが、すぐさま真剣な顔つきになって2人をまっすぐ見据えた。
美城は内心それを面白く、しかし表情には一切の変化を出さずに話を続けた。
「君達が“奇跡の10人”として芸能界を席巻し始めた頃、我々はあくまで外の人間だった。当時の君達にどのような信頼関係があったかを完璧に理解するのは不可能だし、そもそも我々がそれに口を出すべきではないだろう。――しかし私個人の直感として、どうしてもこれだけは君に伝えておきたかったことを理解してほしい」
「……何でしょうか?」
美城の意味深な前振りに、武内はその目つきをさらに鋭くさせた。普通の人間なら彼の
そんな中、美城が口を開いた。
「――双葉杏は、君が思っているような人間ではない」
「――――!」
その言葉に、武内の目が見開いた。一瞬だけ拳を固く握りしめて、しかしすぐにそれを解いた。
「……なぜ、そう思われるのでしょうか?」
「気を悪くしたのならすまない。彼女と直接関わったことのない人間の意見だ、聞く価値も無いと思ったら軽く聞き流してくれて構わない。――しかし彼女の過去の資料を読んでいると、私の抱く印象と君の話から推測される印象に齟齬がある」
「……彼女だけでなく、全ての人間は一言で言い表せるほど単純なものではありません。違った見方をすれば違った結果になることは、往々にしてあることだと思われます」
「ああ、その通りだ。しかしだからこそ、我々はそれを見越したうえで信用すべきものとそうでないものを振り分ける必要がある。――君は憶えているか? ちょうど双葉杏がアジアツアーを始める頃、当時芸能界で大きな力を持っていた広告代理店の社長が逮捕された事件を」
「……ええ、憶えています」
「そうか、ならば訊こう。――それが発覚する発端に、君達が関わっていたのではないのか?」
「…………」
美城の問い掛けに、武内は彼女から視線を逸らすことなく、何も答えなかった。
「勘違いしないでほしい。事件自体は事実であり、彼が逮捕されるのに充分なほどに許されざるものだ。だから仮に君達が関わっていたとしても、それを咎める意図は私には無い。――しかし君はそのとき、彼女の
「…………」
美城からの質問に、またしても無言で答える武内。
そして、そんな2人を黙って見守る今西。
部屋中に重苦しい空気が充満してくる頃、美城はふいにその場から立ち上がってドアへと歩いていった。
「すまない。責めているつもりは無いんだ。しかし、これだけは心に留めてほしい。――双葉杏の行動理念は、あくまで彼女自身によって形成されたものだ。たとえどれだけ似ていようと、君の理念ではない」
「……重々、理解しているつもりです」
「ならば良い。邪魔したな」
美城はそう言い残すと、ドアを開けて部屋を出ていった。がちゃり、と音がしてドアがしまったタイミングで、今西が「よっこらしょ」と呟きながらゆっくりと立ち上がった。
「彼女も、彼女なりに君を心配してああ言っているんだ。責めないでやってくれるかな?」
「責めるだなんて、そんな……」
「僕がここに来たのは、本当は
お疲れ様、と言い残して部屋を出ていった今西の背中を、武内は頭を下げて「お疲れ様です」と見送った。
そうして頭を上げたときの彼の表情は、傍目で見ても真意の読み取れるものではなかった。
* * *
「さてと……、これからどうする?」
「…………」
その場に呼び掛けた杏の問い掛けに、答えられる者はいなかった。彼女達の視線は、目の前にいるクリーム色の少女に集中していた。そして当の本人は、状況がよく分かっていないのかきょとんとした表情で首をかしげていた。
その少女は、数日前に杏がマンションの玄関で拾ってきた(というよりも拾わされた)こずえだった。
最初は彼女の保護者が迎えに来るまで預かる予定だったのだが、数日が経過してもそのような人物が現れる気配が無かった。それにも関わらずこずえは不安そうな表情を見せることなく、無表情なのかボーッとしているだけなのかよく分からない表情をまるで崩さない。そもそもこの数日間、彼女から感情らしきものが一切見られなかった。
とりあえず何か情報を得るべく、この数日間こずえ本人に色々と尋ねてみた。しかし、彼女達の誰もがこずえを持て余している様子だった。元々人見知りの激しい輝子・小梅・蘭子はともかく、他の3人よりも世話好きで母性が強い(けっして他意は無い)菜々でさえ同じような状況である。
しかしそれは、仕方ないといえば仕方ない事情があった。
「色々と質問してみて、分かったのは“遊佐こずえ”って名前と11歳って年齢だけというのは、さすがにちょっと困りましたね……」
困ったように眉を寄せてそう言ったのは、先程まで杏達を代表してこずえと会話をしていた菜々だった。その表情には、明らかに疲れが表れている。
いや、“会話”と表現するのも怪しいかもしれない。なぜなら、菜々がどれだけ一生懸命話し掛けても、こずえは何を訊かれているのかすら分からない様子で首をかしげるばかりなのだから。
一例を挙げるとすると、
「こずえちゃんは、どうやってここまで来たんですか?」
「……んー?」
「誰かと一緒に来たんですか? それとも1人?」
「……わかんなーい」
「パパとママは、今どうしているんですか?」
「……んー?」
「パパとママは、どんな人?」
「……わかんなーい」
「パパとママのこと、好き?」
「…………」
「こずえちゃんは、何て名前の学校に通っているんですか?」
「……んー?」
「こずえちゃんは、普段何をして遊んでいるんですか?」
「……わかんなーい」
「こずえちゃんの趣味って何ですか?」
「……しゅみって、なーに?」
まさに“暖簾に腕押し”状態だ。いや、暖簾の方がまだ手の感触があるだけマシかもしれない。菜々がとうとう助けを求めるように涙を堪えて後ろを振り返るが、輝子達は一斉に逃げるように視線を逸らして応えようとはしなかった。
「それにしても、11歳って小学5年生か6年生でしょ? 普通なら、もう少し会話ができそうなものじゃない?」
「フヒ……、こうなってくると、こずえちゃんが本当に11歳かどうかも怪しいな……」
「ね、ねぇ、杏さん……。もしかして、こずえちゃんって……」
「うーん、その可能性は“無きにしもあらず”って感じだね……」
「かような純真無垢に痛みを覚える我は、穢れがあるということなのか……!」
輝子達がひそひそと内緒話をするように顔を寄せて会話をしていると、とうとう降参したように菜々が皆の元へと駆け寄ってきた。
「お願いします、杏ちゃん! 菜々ではもう限界です!」
「いや、菜々さん。杏だって、小さな子の相手なんて碌にしたこと無いよ」
「こずえちゃんは、杏ちゃんに懐いてるんでしょ? 杏ちゃん相手だったら、こずえちゃんも心を開いて会話をしてくれるかもしれませんよ?」
菜々の言葉に、杏は渋々ながらもこずえの元へと歩いていく。杏が近づいてくるのを、こずえはその大きなエメラルドグリーンの瞳でじっと見つめていた。
「こずえちゃん、最初から杏のことを知ってるみたいだったよね。なんで知ってるの?」
「てれびでみたー」
名前と年齢以外まともな答えを返さなかったこずえが、間髪入れずにそう答えた。輝子達は驚いたように目を見開いたのに対し、菜々は自分よりもこずえが懐く杏に嫉妬しているのか悔しそうな表情を浮かべていた。
「テレビで、か。それなら杏のことを知ってても不思議じゃないね。――それじゃ、こずえちゃんはどうしてここに来たのかな?」
「……んー?」
「誰かに連れられて来たの? それとも1人?」
「……わかんなーい」
先程菜々がしたような質問には、杏が問い掛けたとしても同じ反応を示すようだ。
杏は腕を組んで少し考え込むと、じっとこちらの様子を見つめる輝子達を指差して、
「あそこにいる子達は分かる?」
「……わかんなーい」
「あの子は杏の劇場に所属しているアイドルなんだよ。アイドル、分かる?」
「あんずとおなじー?」
「そうそう、アイドルは分かるんだね。好きなアイドルとかいる?」
「あんずー」
「ありがとね。他には?」
「んー……、うづきー」
「卯月かぁ。分かる気がする」
こずえと他愛のない会話を交わしながら、杏は彼女が“答えられる質問”と“答えられない質問”の傾向を振り分けていく。その判断基準が彼女の感情に基づくものなのか、それとも彼女が抱えている“何か”に起因しているものなのか。そこまでは、さすがに杏も判断がつかない。
「どうしますか、杏ちゃん?」
他にも幾つか質問をしてこずえがそれに答えたところで、菜々が杏に近寄ってそう問い掛けた。
「……とりあえず、警察に相談するしかないでしょ。もしかしたら、行方不明者の中にこずえちゃんがいるかもしれないし」
「こずえ、おまわりさんにいくのー?」
杏が“警察”という単語を口にした途端、こずえが唐突に割り込むように質問してきた。両親については答えられなくても警察は理解できるという知識の偏りに、杏はこずえという少女についてますます疑問を持った。
「そうだよ。ここにいたら、お父さんとお母さんに会えないからね。そんなの、嫌でしょ?」
「……こずえ、あんずたちといっしょー」
小首をかしげて上目遣いをするこずえに、後ろにいた菜々から「わぁ……」と喜色に溢れた声があがった。まさか今の仕草が、母性溢れる彼女の琴線に触れてしまったのだろうか。
「そう言ってくれるのは嬉しいけどねぇ、こずえのお父さんとお母さんが心配するから、一緒にお巡りさんの所に行こうねぇ」
正確には“お巡りさん”とは一般的に交番勤務の警官を指すのだが、小さい子にその違いを指摘するのは無意味だろう。杏は現役時代に鍛え上げた営業スマイルを浮かべて、床に座り込んでこずえと視線を合わせ、最大限優しい声で話し掛けた。
「…………」
そして杏の言葉に、こずえは黙ったまましばらくじっと彼女を見つめていた。まるで宝石のように澄んだ瞳が、心の内を見透かそうとするようにまっすぐ杏を貫いている。
やがて、菜々達がその様子をじっと見つめる中、
「……わかったー」
こずえは杏をじっと見つめながら、静かにそう答えた。
それを聞いて杏はホッと溜息を吐きながら、その場から立ち上がった。
「よし。それじゃ外に出る準備をするから、ちょっと待っててね」
そう言い残して自分の部屋へ向かう杏の背中から、アイドル達の会話が届く。
「いやぁ、それにしても、やっぱり杏ちゃんって意外と面倒見が良いですよねぇ」
「フヒ……、私達のことを、色々考えてくれるしな……」
「う、うん……。いざってときも、頼りになる……」
「“怠惰の妖精”の慈悲は、我が魂の核にもしかと届いておる!」
「…………」
杏はそれを、傍目には感情を読み取らせない表情で聞きながら、自分の部屋へと入っていった。