怠け者の魔法使い   作:ゆうと00
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第3話 『準備』

 杏と菜々がやって来たのは、アニメや漫画などに代表されるサブカルチャーが一堂に会する街だった。他の場所ではまず見られないような絵柄の看板だったり、他の場所では間違いなく警察の指導が入るであろう格好をした人々だったり、他の場所ではいくら探しても見つからないような商品だったりと、そこはまさに“混沌”と呼ぶに相応しい場所である。

 そしてその中には、アイドルに関する店も数多く並んでいた。アイドルのCDやDVD、さらにはライブの物販限定のお宝グッズを取り扱う中古屋なども並んでいるが、その中でも一番賑わっているのは、本物のアイドルを生で観ることのできる芸能事務所主宰の“劇場”だろう。

 346プロの“奇跡の10人”による芸能界席巻と共に、このような劇場も一気に増えていった。彼女達がテレビやラジオや大きなステージで華やかに売れていくことで、かえってそれに反発する勢力が活発化していった結果だろう。そしてそんな劇場専門に活動するアイドル達のことを、ステージがよく地下に作られていることと、テレビで活躍するアイドルの“陰”に隠れていることから“地下アイドル”と称されるようになった。

 さて、そんな地下アイドルが生み出される遠因となっている杏は、たとえ引退から5年以上経ってもその影響力は計り知れない。特にアイドルに詳しいこのような場所で彼女の存在がばれるのは、絶対に避けるべき事態である。

 

「……何だか、竹馬に乗って歩いてる気分だよ」

「頑張ってください、あん……ううんっ!」

 

 いつも以上にしっかりした変装にシークレットブーツを装備した杏に、菜々が普段のように“杏ちゃん”と言いそうになって咄嗟に引っ込めた。杏はそれにくすりと笑みを浮かべながら、大勢の人々の間を擦り抜けて歩いていく。今のところ、周りの人間にばれている様子は無い。

 そうして歩くこと10分、

 

「あった。ここだよ」

「ここ……ですか?」

 

 とある建物の前で立ち止まった杏がそれを指さし、菜々がそれを見上げながら戸惑うような表情を見せた。

 それは3階建ての雑居ビルであり、外見はお世辞にも綺麗だとは言えなかった。広さ自体はそこそこあるように見えるが、築年数は相当経っているように思える。

 

「随分と年季の入ったビルですね……」

「築30年以上は確実だって聞いたかな。んじゃ、地下にも行ってみよう」

 

 杏はそう言って正面入口のすぐ脇にある階段を下りていき、菜々が慌ててその後を追う。1段1段下りていくごとにみるみる暗くなっていき、それに従って空気が重くなっていく心地になる。

 やがて階段の先にドアが見えると、杏がポケットから取り出した鍵でそれを開けた。ドアの向こう側に広がっていたのは真っ暗な空間であり、久し振りにドアが開けられたのか途端に埃っぽい空気が2人を襲う。2人は同時に咳き込みながらも、壁沿いに手探りで進んでスイッチを入れた。

 その瞬間、

 

「おおっ! これはまさにライブハウスじゃないですか!」

 

 菜々の目に飛び込んできたのは、立ち見ならば400人くらいは入れそうなスペースに、それよりも一段高くなったステージだった。ステージ部分の天井には鉄骨が張り巡らされており、おそらくそこに照明をセッティングするのだろう。何も無いので殺風景極まりないが、そこに楽器やアンプなどを持ち込めば立派なライブハウスに早変わりである。

 

「それにしても、これだけ揃っているってことは、ここは元々ライブハウスだったんですか?」

「ライブハウスっていうか、ここはまさに地下アイドルが活動していた劇場だったんだよ」

「そうだったんですか! ……でも、今こうなっているってことは、潰れちゃったんですか?」

「まぁねー。あまりお客さんが入らなかったうえに、事務所社長が所属アイドルに枕を強要してたのがばれて、挙げ句の果てに脱税容疑で逮捕されちゃったんだって」

「何ですか、その芸能界の闇を濃縮したような事務所は……」

 

 名前も顔も知らない人物だが、自分の夢を穢されたように感じた菜々は眉を寄せて怒りを顕わにした。

 杏は彼女の反応も当然だとは思ったが、彼女ほど憤りを見せてはいなかった。むしろ杏としては、その社長が脱税をしてくれたおかげで、税金の穴埋めにビルが差し押さえられてオークションに出品され、通常からは考えられないくらいの破格で手に入ったのだから、感謝していると言っても良かった。アイドルに対する枕強要は、絶対に許せないことではあるが。

 彼女がそんなことを考えている内に、一頻り怒った菜々がステージへと視線を向け、嬉しそうに破顔した。

 

「それにしても、こうして目の当たりにすると何だかワクワクしますね! 何かこう、“秘密基地”って感じがしませんか!」

「まぁ、分からなくはないけどね……。それよりも杏は、これから待ち受けてる仕事の数にうんざりしてるよ……」

「仕事、ですか? アイドルのスカウトとかですか?」

「それもあるけど、ライブができるくらいに曲を作らなきゃいけないし、人に見せられるくらいまでにレッスンを重ねなきゃいけないし、色々と機材とか揃えないといけないし、ライブのスタッフも雇わなきゃいけないし……。ああ、それにライブ用の衣装とかも揃えないと……」

「大変そうですね、杏ちゃん」

「いや、菜々さんも他人事じゃないんだからね? レッスンを受けるのは菜々さんだからね? 大丈夫?」

「だ、大丈夫ですよ! レッスンくらい!」

 

 ぎくり、という擬態語でもつきそうな反応でそう答える菜々を眺めながら、杏は深い深い溜息を吐いた。

 

「それにしても、プロデューサーは何年もこんなことをやっていたのか……。そりゃ大変な仕事だとは思ってたけど、まさかここまでとは思わなかったよ」

「でもでも! こんな風に色々な問題に立ち向かっていくのって、何だか楽しいですよね! 1歩1歩夢に近づいている実感もありますし!」

 

 そう言って本当に楽しそうに笑う菜々に、愚痴を零していた杏も自然と笑みを浮かべていた。

 

「でもまぁ、とりあえずそろそろお昼だし、続きは何か食べてから考えよう」

「はいはーい! ナナ、ラーメンが食べたいです!」

「ラーメンかぁ……。そういえば最近カップのしか食べてなかったな……」

 

 当面の問題を頭の隅に追いやってラーメンのことで頭をいっぱいにしながら、杏と菜々はその部屋を後にした。

 

 

 *         *         *

 

 

 346プロ、チーフプロデューサー室。

 

「それでは、今後のスケジュールはこのような感じでお願いします」

「うん、分かった。衣装とか届いたら連絡してくれる? 1回チェックしておきたいから」

「分かりました。そのように手配しておきます」

 

 そこでは武内と凛が部屋中央に置かれたソファーに向かい合わせに座り、仕事の打合せを行っていた。少し前までは彼にプロデュースされる立場だった彼女だが、こうして話している姿は対等の仕事仲間という印象を受ける。

 

「うん、お願い。色々とありがとうね」

「いえ、渋谷さんのお力になれるよう、精一杯頑張らせていただきます。――北条さんも神谷さんも、ライブの成功を期待しています」

「はい、任せてください」

「は、はい! 分かりました!」

 

 そして凛の両隣には、高校生くらいの少女が2人座っていた。ドリルのように毛先をカールさせたツインテールを持ついかにもクールそうな少女――北条加蓮に、ウェーブの掛かったボリュームのある長い髪と太い眉毛が特徴の少女――神谷奈緒だった。武内の言葉に加蓮はにっこりと笑って軽く返し、奈緒は少々言葉を詰まらせながら何とか返した。

 

「そういえば、プロデューサー」

 

 と、そのとき、ふいに凛が口を開いた。

 

「昨日卯月から事務所で杏を見掛けたって聞いたんだけど、何か用事でもあったの?」

「……はい。“宣戦布告”をされました」

「――へぇ」

 

 武内の言葉を聞いた途端、凛は微かに笑みを浮かべてそう呟いた。彼女から滲み出るどこか剣呑とした雰囲気に、隣にいる加蓮と奈緒が表情を強張らせる。

 

「宣戦布告って、どういう意味で?」

「双葉さんが昨日私の所にやって来て、私達と“ライバル関係”になることを伝えてくれました。おそらく彼女は、芸能事務所を立ち上げてアイドルをプロデュースするものと思われます」

「……そっか。もしかしたらアイドルに復帰するかとも思ったけど、そっちの方に行ったわけね。――プロデューサーとしては、杏をまたプロデュースできなくて残念だった?」

「その気持ちも無くはないですが……、それ以上に彼女がプロデューサーとしてどのような仕事をするのか、それを見るのが今から楽しみで仕方がありません」

「あの杏のことだから、王道のアイドルを王道の路線で売り出すとは考えにくいけど……、確かに気になるね。時間ができたら様子でも見に行こうかな?」

「そのときは、ぜひとも私にご報告を」

「分かったよ。――それじゃ」

 

 凛がソファーから立ち上がって、ドアへと歩き出した。それに気づいた加蓮と奈緒が1拍遅れて立ち上がり、慌てて凛の後を追っていく。

 部屋から出てしばらく歩いた後、唐突に奈緒が大きな溜息を吐いた。

 

「奈緒、緊張しすぎ。いい加減に慣れたら?」

「そうは言うけどさ、加蓮。向こうは“奇跡の10人”をプロデュースした超大物だぞ? それに見た目も何だか怖いし……。ていうか、よく加蓮は平気な顔していられるな?」

「何回も顔を合わせてるからね、さすがに慣れたよ。それにあの人、よく見たら可愛いし?」

「うえぇっ! あの人が可愛い? 変な趣味してんなぁ……」

「ふふっ。可愛いかどうかは分からないけど、あの人はああ見えて良い人だから、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」

 

 凛から1歩引いて歩く加蓮と奈緒の会話に凛が混ざると、2人は何やら言いたげな顔で彼女へと視線を向けた。2人は顔を見合わせて互いに視線だけで牽制し合うが、やがて加蓮が意を決したように彼女に話し掛ける。

 

「やっぱり凛さんって、双葉杏と仲が悪かったの?」

「ちょ、加蓮! 訊き方ってものがあるだろ!」

 

 あまりにストレートな質問に、奈緒は慌てて加蓮の口を塞いだ。もう手遅れだというのにそんな反応を見せる彼女の姿に、最初に笑い声をあげたのは凛だった。

 加蓮のその質問は、杏が現役の頃からずっと訊かれ続けてすっかり慣れっこになってしまったものだった。

 “奇跡の10人”の中でも真っ先にブレイクした杏に対し、それから少し遅れてブレイクしたのが凛の所属していたユニット“New Generations”だった。ユニットの顔として注目される存在だった凛は、テレビのスタッフや記者などから杏とライバル関係であるかのように扱われてきた。そんな雰囲気がエスカレートしていった結果、杏と凛の不仲説がまことしやかに語られるようになった。

 

「別に杏とは仲が悪いわけじゃないよ、今でも時々電話もするし、この間も一緒に食事もしたし」

「何だ、良かったぁ。じゃああの噂は、単なるでまかせだったんだな」

「完全に、ってわけじゃないかな。実際私は杏のことをライバル視してたし。でもまぁ、単なる私の一方通行だったけどね」

「双葉杏は、凛さんのことを何とも思ってなかったってこと?」

「私に限らず、杏はそういう感情が一切無いんだよ。孤立してたわけじゃないけど、何だか1歩引いて私達のことを見てたように思うよ。いつも彼女とお喋りをしてたのって、きらりくらいじゃないかな?」

「へぇ、そうなんだ。――凛さん、何だか楽しそうだね」

 

 加蓮の言葉に、凛は自分の口元が笑みを浮かべていたことを自覚した。

 

「うん、そりゃ楽しみだよ。アイドルのときは同じ事務所だったから明確に争うなんてことはなかったし、私がようやく実力をつけてきたときに杏はさっさと引退しちゃったからね。今こうしてユニットのプロデュースを任されるまでになったときに、杏もプロデューサーとして復帰することになったんだよ? 何だか運命的なものを感じるよ」

「……そうか、私達は双葉杏と戦わなきゃいけなくなるかもしれないんだよな」

「正確には“杏が育てたアイドル”と、だけどね。――いったい、どんな子をアイドルにするんだろうね」

 

 不敵な笑みを浮かべる凛に、加蓮はひょうひょうと、奈緒は不安そうな表情を浮かべながら彼女の後をついていった。

 

 

 *         *         *

 

 

「うわぁ! メイド服がこんなにいっぱい! さすが本場ですねぇ!」

「ねぇ菜々さん、いい加減帰らない?」

 

 メイド服専門店という、どの層をターゲットにしているのかよく分からない店ではしゃぐ菜々に、杏がうんざりした表情で声を掛けた。しかし菜々は興奮のあまり彼女の声が聞こえないようで、微妙に違うデザインのメイド服を次々に眺めながら、どんどん店の奥へと進んでいく。

 

「うーん、やっぱりメイド服は良いですねぇ! 何年もあの店で働いていましたから、何だかメイド服じゃないと落ち着かなくなっちゃいましたよ!」

 

 菜々が働いていた店(正確には今も籍は置いているが)のウエイトレスは、メイド服によく似たデザインの制服を着用していた。メイド喫茶などでよく見る“萌え”に特化されたものを、もう少し女の子受けするように作り替えられたものと表現するとイメージしやすいだろうか。

 確かにあの服は、菜々にとても似合っていた。“永遠の17歳”という何とも痛々しいキャラを通す菜々だが、あの服を着ているときは本当に17歳であるかのように見える。

 

「何か失礼なことを考えてませんか! ナナは本当に17歳なんですからね!」

「うえっ! い、いや、失礼なことなんて、そんなの全然考えてないよ!」

 

 慌てる杏に菜々はしばらく疑いの目を向けていたが、すぐに気を取り直すと再びメイド服へと視線を移した。あれも良い、これも可愛い、と様々なメイド服を実に楽しそうに見ている。

 

「菜々さーん! 杏は他の店で時間潰してるから、終わったら携帯に電話ちょうだーい!」

 

 杏が店の中に呼び掛けると、店の奥から微かに菜々の返事が聞こえてきた。それを聞いた杏は、大きな溜息を吐きながらその場を離れていった。

 平日だというのに、街は大勢の人で溢れていた。おそらく彼ら彼女らは、今日会社や学校が休みなのだろう(というか、そうだと信じたい)。それに有名な観光スポットだからか、外国人の姿も大勢見受けられる。

 そしてそんな人集りの中に、厳重な変装とシークレットブーツによって別人に変身した杏が歩いていた。まさか周りにいる通行人も、数年前日本中を席巻したアイドルがここにいるとは夢にも思わないだろう。

 

 ――あ、やっぱり駄目だ……。この人混みは結構辛い……。

 

 面倒臭いという理由でよく家に引き籠もっていた杏にとって、人混みの中を歩くという行為は面倒臭いことの極致だった。そもそも身長がもの凄く低いことも相まって、杏は人混みという環境が大の苦手なのである。しかも客寄せの叫び声や大音量の音楽などがあちこちで流れ、それがますます杏の体調を崩していく。

 そしてとうとう我慢の限界に達した杏は、とりあえず緊急避難ということで最初に目に着いた店に飛び込んでいった。1歩店に踏み入れただけなのに、あれだけ鬱陶しかった人混みは無くなり、耳鳴りがしそうなほどにうるさかった音も心地良いレベルにまで落とされた。

 

「ここ、楽器屋か……」

 

 店に入って初めて中を見渡してみると、そこは様々な楽器や楽譜などが置いてあるオーソドックスな楽器屋だった。ギターとベースが壁に飾られたりスタンドに立て掛けられたり、立派なドラムセットが鎮座していたり、様々な大きさのキーボードがずらりと並べられている光景は、他の場所にもある楽器屋と何ら変わりない。アニメキャラがプリントされた“痛ギター”が飾られていなければ、だが。

 アイドルという音楽に近い職業をやっていたにも拘わらず、杏がこういう店に来たのはこれが初めてだった。基本的に楽曲は武内が専門家に頼むか李衣菜が作ってくれていたし、楽器を演奏するなんて面倒臭いことを彼女が挑戦するわけがなかった。

 なので杏は初めて間近で見るギターやベースなどを、とても興味深く眺めていた。実際に持って感触を確かめてみたりもしたが、何本もの弦を複雑な指使いで押さえなければいけないことの面倒臭さを再認識しただけに終わり、店員が営業トークを仕掛けようとこちらにやって来る前に素早く元の場所に戻した。

 

 と、そのとき、入口の自動ドアが開き、1人の少女が中に入ってきた。

 銀色とも灰色とも取れる不思議な色の髪を無造作に伸ばし、胸に大きくキノコの柄がプリントされたシャツを着ていた。身長は普段の杏よりもほんの少しだけ高く、346プロの廊下で会った輿水幸子と同じくらいである。

 そろそろ楽器を見るのも飽きてきた杏は、何となくその少女を眺めていた。彼女は周りの楽器には目もくれず、まっすぐに奥のカウンターへと歩いていく。そのとき一瞬だけ杏と目が合ったが、彼女はビクッと肩を跳ねさせてすぐに目を逸らしてしまった。

 

「あ、あの……、ギターの修理を頼んでた……、星、です……」

「はいはい、ちょっと待っててね」

 

 今にも消え入りそうな声で店員に声を掛けた彼女に、店員は慣れた動作でカウンターの奥に引っ込み、すぐに1本のギターケースを持って戻ってきた。少女がそのケースを開けると、中に入っていたのはキノコの絵がアクセントとなっている真っ赤なギターだった。楽器に疎い杏でも格好良いと思うギターであり、小柄でオドオドとしている彼女にはどこまでも不釣り合いなものだった。

 

「ギターが可哀想だから、もう壊しちゃ駄目だよ」

「フヒ……、善処する……」

 

 店員の言葉に少女はにたっと不気味な笑みを浮かべると、そのギターケースを大事そうに抱えながらカウンターを後にして店から出ていこうとする。

 そのタイミングを見計らって、杏は少女に話し掛けた。

 

「もしもし、ちょっと良いかな?」

「……フヒ?」

 

 最初は自分に話し掛けられていると気づかずに通り過ぎようとした少女だったが、杏がこちらに近づいているのを見て足を止めた。見た目的には怖がられるような要素の無い杏だが、その少女は彼女を見てビクビクと小刻みに体を震わせて視線をさ迷わせている。

 

 ――ああ、この子“コミュ障”だな。

 

 その様子を見て杏はすぐに察したが、それでも気にせず言葉を続ける。

 

「そのギターって、自分の? よく演奏するの?」

「フヒ……、う、うん……、ギターを弾くの、好きだから……」

「へぇ、そうなんだ。バンドとか組んでるの?」

「バ、バンドなんてそんな……! わ、私と一緒にバンドを組んでくれるトモダチなんて、い、いないし……」

 

 その少女は吐き捨てるように呟くと、寂しそうに顔を俯かせた。杏は彼女の話を聞きながら、上から下までじっくりと彼女の姿を観察する。

 

「あ、あの……、ど、どうしてそんなに見てるんだ……?」

 

 当然ながら、少女はそんな杏に戸惑っていた。元々人に見られるのが苦手らしい彼女からしたら、その戸惑いも普通の人より大きいだろう。

 

「ああ、ごめんごめん。――ところでさ、演奏を聴かせてもらうことってできる?」

「え? え、演奏って……、わ、私のか……?」

「うん、そう。――あ、そういえば名前をまだ訊いてなかったね。何て名前?」

「あ、えっと……、星、輝子(しょうこ)って言います、はい……」

「輝子ちゃんだね、よろしくー。ちょっとだけで良いんだよ、1フレーズだけでもさ」

「演奏してあげたら良いじゃない、輝子ちゃん。うちのアンプを貸そっか?」

 

 杏達の話を聞いていたのか(それほど広い店ではないので聞こえて当たり前なのだが)、店員が笑顔を浮かべてその少女――星輝子に話し掛けてきた。彼の口振りから、どうやら彼女はこの店の常連らしい。

 

「え、えっと……、それじゃ、ちょっとだけ……」

「やったー」

 

 喜ぶ杏の姿に、輝子もにたっと不器用な笑みを浮かべた。バンドも組まずに1人でギターを弾いているらしい彼女だが、心のどこかで誰かに聴かせたかったのかもしれない。

 

 

 

 店に置かれていたアンプに自分のギターを繋ぎ、軽く何度か鳴らしながらチューニングをする輝子の姿に、杏は知らず知らずの内に引き込まれていた。会話をしていたときにはオドオドとしていた彼女だが、こうしてギターを構えているときは真剣な表情を浮かべ、どことなく中性的な雰囲気すら感じる。

 さらに彼女は、普通の人間ならば音叉などの道具を使って音を合わせるのだが、彼女は一切それを使わず、時々音を鳴らしながら摘みをくるくる回している。つまり彼女は耳だけで音を合わせられる、いわゆる“絶対音感”の持ち主であることを意味している。

 

「そ、それじゃ……、始めます……」

 

 ぺこりとお辞儀をする輝子に、杏と店員が拍手をする。彼女はそれに少し照れ臭そうな反応を見せたが、すぐに表情を引き締めてギターを構える。

 そしてピックを持った右腕を下ろした瞬間、店にエレキギター独特の音が鳴り響いた。

 そのまま輝子は演奏を始めた。曲は杏でも知っている有名なギター曲であり、弦を押さえる左手は淀みなく動き、それでいて音を外すことがまったく無い。思わず杏が指でトントンとリズムを取るほどに乗れる演奏であり、しかも当の輝子の表情は演奏をまるで苦にしていないように涼しげだった。

 

 ――予想以上に上手いなぁ、この子。

 

 心の中で感心していた杏だったが、ここから徐々に輝子の様子が変化していった。

 別に演奏をミスしたわけではない。むしろどんどん演奏が本格的になり、本人も乗ってきたのか徐々に彼女の顔に笑みが浮かんでいく。

 しかしその笑顔の種類が、単純に“楽しい”というようなものではなかった。ギターを睨みつけながら、まるで胸の奥に溜まっているものをぶつけるようにギターを掻き鳴らす彼女から漂う危ない雰囲気に、杏も徐々に不安そうな表情になっていく。

 

「ちょ、ちょっと輝子ちゃん、大丈夫……?」

 

 杏が思わず心配になって話し掛けたそのとき、

 

 

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 

 

 杏は一瞬それが、まるで獰猛な獣が吠えているのかと錯覚した。しかしその声は、確かに目の前にいる彼女から聞こえてきたものだった。

 そして杏が戸惑っていることにも気づかずに、輝子は少女が出しているものとは思えない低い叫び声をあげながら、突然持っていたギターを鳴らしながら床に叩きつけ始めた。ガンガン! と勢いよく床にぶつかるのに合わせて、店内に鳴り響くギターの音がグワングワンと歪んでいく。

 

「ちょっと輝子ちゃん! せっかく直したギターがまた壊れちゃう! ってか、床に傷がつく!」

 

 ここでとうとう店員が輝子の下に駆けつけ、後ろから羽交い締めにしてむりやり演奏を中断した。輝子も最初は暴れていたものの、突如ハッとなったように辺りを見渡して、最初に見掛けたときのオドオドした表情へと戻っていった。

 

「ご、ごめん……。スイッチ入っちゃった……」

「もう、輝子ちゃん。彼女がびっくりしてるよ?」

「う、うん、そうだな……。驚かせちゃって、ごめ――あれ? ど、どうしたんだ?」

 

 顔を俯かせて体をぷるぷる震わせる杏の姿に、輝子はもしかして怒らせてしまったのかと普段以上にオドオドとしていた。

 そして、次の瞬間、

 

「輝子ちゃん、アイドルになろう!」

「フヒッ!」

 

 突然顔を上げてそんなことを言ってきた杏に、輝子は大声で驚いたのとその内容に戸惑ったのとで変な声をあげてしまった。

 

「そんなに光るものがあるのにバンドすら組んでないなんて、あまりにも勿体ないよ! ここはアイドルになって、杏の劇場でめちゃくちゃに暴れ回ってやろうじゃんか!」

「ちょ、ちょっと待って……! な、なんでそこでアイドルになるんだ……! そ、それに私が、ア、アイドルなんてなれるわけないだろ……! 全然可愛くないし……!」

「いやいや、そんなことないって! 暗い顔をしてるから分かりにくいけど、輝子ちゃんって凄く可愛いじゃん! それにギターを演奏してるときの輝子、表情がキリッとしてて凄く格好良かったし! あれだね! “ギャップ萌え”ってやつだ!」

「そ、そんな……! わ、私が可愛いなんて、そ、そんなはずがないだろ……!」

 

 興奮したように捲し立てる杏に、そんな彼女に圧倒されて目をぐるぐる回しながら混乱する輝子の陰で、カウンターで輝子のギターとその後の遣り取りを聞いていた店員が、ふと何かに気づいたようにぶつぶつと呟き始める。

 そして、

 

「え……、“杏”ってもしかして、双葉杏……?」

「あ、やば」

 

 恐る恐るといった感じの店員の問い掛けに、杏は顔を引きつらせてぴたりと言葉を止めた。

 その反応で、店員は確信した。

 

「え、嘘……! 本当にあの双葉杏……? うわ、確かに帽子を取ったらあの髪型っぽいし、よく見たら靴もシークレットブーツじゃん! え、ちょっと、うわ! どうしよう、サイン! いや、写真か! あれ、色紙ってどこにしまってたっけ! ああもう、こういうときに限って!」

 

 店員はパニックになりながら、店の奥へと引っ込んでしまった。常連でありながらおそらく彼のそんな姿を見たことがなかったのであろう輝子は、呆然と口を開けてそれを眺めていた。

 そして店員が姿を消すと、ぎぎぎ、と音が鳴りそうなぎこちない動きで杏へと顔を向けた。

 

「……え? まじ、なのか……?」

「うん、まじだよー」

 

 杏が帽子とサングラスを取ると、その瞬間、輝子はビクッと肩を跳ねて驚いていた。

 

「おぅ……、本物だ……。凄い……」

「てか、輝子ちゃんもよく杏のこと知ってるね? 杏が引退したの、5年も前なんだけど」

「ち、小さい頃によくテレビで観てた……。杏、さんの曲、ギターで弾いてみたり……」

「へぇ、その頃からギターを弾いてたんだ、凄いじゃん」

「そ、そんなことない……! あ、あれ……? じゃあさっき、アイドルになるとか何とか言ってたのは……?」

「ああ、杏ね、アイドルのプロデューサーになることにしたんだ。んで、こうしてアイドルの原石を探してたってわけ」

「そ、そうなのか……。で、でも……、私にアイドルなんて無理だぞ……。こんな性格だし……、人と話すのも苦手だし……」

「大丈夫だって、そんなの可愛いもんだよ。杏なんて、アイドルになる前はニート1歩手前だったんだよ?」

「で、でも、杏さんは可愛いし……、アイドルになれるのも分かる……。でも私は――」

「ああもう、だから輝子ちゃんは可愛いって。2年しかいなかったけど、芸能界で色んな人を見てきた杏が断言するよ。――輝子ちゃんは、可愛い」

「……フヒヒ、な、何だか照れるな……」

 

 輝子はにやにやと笑みを浮かべながら、真っ赤になっていく顔を両手で隠した。

 

「それに輝子ちゃんには、今のパフォーマンスっていう最高の武器があるんだよ。はっきり言って、これはかなりの掘り出し物だよ。もしここで杏の誘いを断ったとしても、輝子ちゃんなら遅かれ早かれまたスカウトの声が掛かると思うよ」

「……そ、そうなのか……?」

「その点杏の劇場だったら、輝子の魅力を最大限に引き出す売り出し方ができるよ。テレビとかの倫理コードに引っ掛かって無難な路線を歩かされるくらいなら、テレビじゃできないようなネタで大暴れしてみようじゃないか」

「……大暴れ」

「そう。普段の生活で、溜まりに溜まった鬱憤とかあるんじゃないの? ライブは気持ちいいよ、自分の気持ちを思いっきりさらけ出して、お客さんがそれに反応してくれたときなんか、他には代えられないほどの快感なんだから!」

 

 もっともらしいことを言っている杏だったが、彼女自身は現役時代にそんな風に思ったことは一度も無かった。今の彼女の言葉は、346プロの合同ライブで凛が出番終了後に言っていたのを憶えていただけである。

 しかしそんな言葉でも、輝子には効果抜群だったようだ。

 

「……わ、私なんかでも、なれるのかな……」

「輝子ちゃんだからこそ、杏は声を掛けたんだよ。――自分がどこまでできるか、試してみない?」

 

 杏の言葉に、輝子は顔を俯かせて考え込んだ。おそらく今の彼女の脳内では、様々なことが目まぐるしく駆け巡っていることだろう。

 やがて、輝子が顔を上げた。その表情は今までの劣等感に溢れたにやけ顔などではない、思わず杏も目を惹くほどに決意を秘めた凛々しい顔つきである。

 

「杏さん、私、アイドルに――」

「あった――――! やっと見つけたよ、色紙! いやぁ、まさか物置を全部ひっくり返すことになるなんてね! というわけで双葉杏さん、お願いだからここにサインを書いてちょ……うだ……い……」

 

 もの凄いテンションで店に戻ってきた店員が杏に詰め掛け、そして何やらシリアスな雰囲気になっていたことを悟ったのか、みるみるテンションが落ちていった。

 

「……あの、もしかして、やっちゃった……?」

「うん、やっちゃったねぇ……。しかも最悪のタイミングで」

「……フヒ」

 

 何とも間の抜けた雰囲気の中、星輝子はアイドルになることを決意した。



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