怠け者の魔法使い   作:ゆうと00
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第25話 『学校』

 窓から覗く空がいささか明るくなり始めたこの時間(季節によっては真っ暗なときもある)が、現在の奈緒と加蓮の起床時間である。奈緒は眠い目を擦って必死に眠気に抗いながら、ベッドから上半身を起こしてガシガシと頭を掻いた。

 

「……やっぱ、シャワーを浴びなきゃ無理か」

 

 鏡は無くとも手触りだけで、自分の髪がどれほどひどい有様になっているか奈緒には分かった。元々癖のある髪質なうえに、腰にも届くほどにボリュームのある彼女の髪型では、もはや整髪料やヘアアイロンを使うよりもシャワーを浴びた方が手っ取り早い。

 自分でそうしているとはいえ、毎朝の面倒臭いイベントに軽く溜息を吐きながら、奈緒は周りを見渡した。

 ここに引っ越してきたばかりの頃は殺風景極まりなかった彼女の部屋も、現在は壁を傷つけないようにシールで貼りつけるタイプのインテリアが数多く配置されていた。普段の彼女からしたらあまり選ばないであろう可愛らしいそれらは、同居人であり仕事仲間でもある“彼女”の趣味によるものだ。

 一通り部屋を眺めた奈緒は『随分と賑やかな部屋になったな』と思ったが、けっして嫌な気分ではなかった。

 あと半年もしない内にこの部屋を出ていくことになるが、どうせなら楽しく過ごした方が良いに決まっている。

 

「……さてと、起きるか」

 

 スイッチを切り替えるようにそう呟くと、奈緒はベッドから立ち上がって部屋を出た。そして廊下を数歩進んで隣のドアの前へとやって来ると、こんこん、と短くドアをノックした。

 

「加蓮、起きてるかー? …………、開けるぞー」

 

 中からの返事を待たずに、奈緒はドアを開けた。

 ここに引っ越してきた頃から物が多かった加蓮の部屋だが、現在のここはそれにも増して多くの物で溢れていた。頻繁に雑貨屋に顔を出しては購入しているインテリアで飾り立てられたその部屋は、まるで何年も過ごしてきたかのようなしっくり具合である。あと半年足らずでここを出ていくというのに、はたして片づけられるのであろうか。

 しかし奈緒はそのインテリアには目もくれず、その視線はこんもりと膨らんだベッドに注がれている。

 

「……加蓮、起きろ」

「…………」

「加蓮」

「…………」

「――起きろぉ!」

 

 そう叫ぶと同時に掛け布団を勢いよく引っぺがすと、ピンク色のパジャマに身を包んで体を丸めて眠っていた加蓮が姿を現した。突然肌寒くなったことでようやく意識が覚醒したのか、「うーん……」と身じろぎしてうっすらと目を開けた。

 

「さっさと起きろ、加蓮。準備に時間掛かるんだから」

「……あと5分」

「はいはい、そんなベタベタなこと言ってないで、さっさと起きろー」

 

 奈緒がそう言って乱暴に加蓮の体を揺さぶると、彼女は「分かったから、そんな乱暴にしないでよー」と文句を言いながら素直に体を起こした。

 

「まったく……、奈緒お母さんは子供に厳しいなぁ」

「止めてくれよ、たかが1歳しか違わないだろうが」

「私達学生にとっての1歳差は、それだけ雲泥の違いがあるってことだよ」

 

 そんな会話を交わしている内に目が冴えてきたのか、加蓮はベッドから立ち上がるとおもむろにクローゼットの扉を開けた。そして透明の収納ケースに入れていた下着を取り出し、部屋のドアへと足を向ける。奈緒とは理由は違うにしても、加蓮も朝にシャワーを浴びる習慣があるからだ。

 と、あと1歩で部屋を出ていくといったところで、加蓮がふと立ち止まって振り返った。

 悪戯な笑みと共に。

 

「何してんの、奈緒。一緒に入るよ」

「はいはい。部屋に着替えを取りに行ってくるから、先に風呂場に行ってなよ」

「……何だか最近の奈緒、リアクションが薄くない?」

「さすがに毎日同じことをしてたら、そりゃ慣れるだろ」

 

 そう言いながら部屋を出ていこうとする奈緒の後ろ姿を、加蓮は不満で唇を尖らせながら眺めていた。

 と、加蓮が途端にニヤリと笑みを浮かべる。

 

「それにしても『先に風呂に入ってろよ』とか、まるで奈緒が私の彼氏になったみたいだね」

「――は、はあっ! な、何言ってんだよいきなり!」

 

 すぐさま勢いよく後ろを振り返り、顔を真っ赤にしながら反論してくる奈緒に、加蓮は我慢できずにプッと吹き出した。

 

「あっはっはっはっ! 奈緒ったら、そんなに慌てなくても良いでしょっ!」

「だ、だって加蓮が変なこと――もう良い!」

 

 耳まで真っ赤にして部屋を出ていった奈緒を、加蓮は未だに半笑いで「あぁ、待ってよ奈緒ったらー」と足取り軽く追い掛けていった。

 どれほど生活環境や仕事が変化したとしても、2人の力関係はちょっとやそっとでは変わらないようである。

 

 

 *         *         *

 

 

「杏ちゃーん! もう全員揃ってますよー! さっさと起きてくださーい!」

「うーん……。おれ、この戦争が終わったら、朝ご飯を食べるんだ……」

「もはや何のフラグか分からないですよ! ほら、ふざけてないで起きなさい!」

 

 杏の部屋から聞こえてくる菜々の叫び声に、朝食をテーブルに並べていた奈緒と加蓮は思わず苦笑いを浮かべた。そしてそれは2人だけでなく、テーブルに着いて朝食を待つ輝子・小梅・蘭子の3人も同じだった。

 今日の料理は、ホカホカと湯気のたつ玄米にナメコ(輝子謹製)の味噌汁、肉厚でジューシーなアジの開きに具材の大きな筑前煮、そしてさっぱりとしたキュウリの浅漬けという和食のメニューだった。もはや菜々・奈緒・加蓮の3人で並んで料理を作る光景もすっかりお馴染みとなり、菜々も「2人なら良いお嫁さんになると思いますよ!」と太鼓判を押すほどだ。

 やがて全員分の料理をテーブルに並び終えた頃、リビングのドアが開かれた。

 

「『自堕落な生活をしたら小さい子に示しがつかない』って理由で一緒に食事してるけどさ、もはや食事程度じゃ取り戻せないほどに今更な感じがしない?」

「そ……れはそうかもしれませんけど、だからって自堕落な生活はさせませんよ! それに杏ちゃんはナナ達のプロデューサーで、しかも所属事務所の社長なんですから、今日だって何か大事な用事があるに決まってます!」

「いや、今日は特に用事は無い――!」

「ほら、さっさと動く!」

 

 もはや行われていない日の方が珍しいほどの頻度で行われている遣り取りをしながら、よれよれのパジャマ姿で大あくびをする杏と、ごく一般的なファミリータイプのマンションでは明らかに浮いているメイド姿の菜々がリビングに入ってきた。

 そしてその2人の後ろを、杏と同じデザインで色違いのパジャマを着たこずえがチョコチョコとついてくる。

 

「フヒ……。おはよう、杏さん、こずえちゃん……」

「おはよう……。これで20日連続で、杏さん達が最後だね……」

「煩わしい太陽ね! さすが“怠惰の妖精”、よもや(うつつ)にいながら夢の世界へ旅立とうとは!」

「杏さん、こずえちゃん、おはよう。今日はむしろ早かった方じゃない? 奈緒だって、今日はそんなにご飯の方を見つめてなかったし――」

「おい、加蓮! いつもは見つめてるみたいに言うの止めろよ! ……2人共、おはよう」

「はいはーい、みんなおはよー」

「おはよぉ……」

 

 気の抜けた返事をしながら、杏とこずえがテーブルに着いた。菜々と奈緒と加蓮も、すっかり所定となった席に座る。

 

「はーい、それじゃ皆さん頂きましょう」

 

 菜々の言葉を合図に、皆が手を合わせて挨拶して朝食は始まった。

 最初の頃はどこか余所余所しかった感のある奈緒や加蓮も、今やすっかり8人での食卓に慣れた様子である。普段の仕事では見ることのできない自然な笑顔は、彼女達のファンでなくとも思わず羨むであろう光景に違いない。

 

「あれぇ、なな、イチゴジャムどこー……?」

「ちょっと待ってください、こずえちゃん。このメニューのどこにジャムを使おうとしてるんですか?」

「フヒヒ……。さすがの甘党でも、そこまではしない……」

「こずえちゃん……、甘い物が好きだからって限度があるよ……」

「うんうん、小梅ちゃんの言う通りだよ。何でも甘くしたら美味しくなると思ったら大間違いだからね。杏もかつて1人暮らししていた頃に、ちょっとした好奇心でご飯を炊くときに大量の――」

「ちょっと、杏ちゃん! 食事時に嫌な想像したくありませんから、それ以上は言わないでくださいよ!」

「はいはい、分かったよ」

「甘美なる宝石は、然るべき場所に飾られてこそ光り輝くものである!」

「確かにその通りだね。……少なくとも、パスタとかに混ぜる物ではないよね」

「あぁ、346プロにいたときにゲストで出た料理番組のヤツか……。嫌な事件だったな……」

「そ、その番組、私も見てたよ……。『この1皿で黙らせます』って言って、本当にスタジオ中が黙っちゃったヤツ……」

「うーん、でも調理方法を考えればいけないこともない組み合わせだと思うんだよなぁ。菜々さん、何とかして作れない?」

「えぇっ、ナナがですか? どうですかねぇ……」

「わ、我も“甘美なる宝石に彩られた黄金糸(こがねいと)”を所望する!」

「蘭子? “然るべき場所に飾られて”ってのはどうした?」

 

 しかし大半が騒ぎたい盛りの十代女子、そして残る者も世間一般的に“大人”とは言い難い性格をしているため、2人の馴染み度合いに拘わらず彼女達の食卓は非常に騒がしい。その騒がしさは奈緒と加蓮からして、ほんの短い期間ではあったが346プロのアイドル寮で生活していた頃よりも上なのでは、と思わせるほどだ。

 とはいえ、この時間が2人にとって一番楽しいものであることも、紛れもない事実であった。

 

 

 *         *         *

 

 

 そんな賑やかな朝食も終え、奈緒と加蓮は再び自分の部屋へと戻ってきた。今日は平日なので学校に行く必要があり、よって学校指定の制服に着替える必要があるからだ。朝食の後にわざわざ部屋に戻って着替えるのは、騒がしい朝食の際に制服が汚れるのを防ぐためである。

 近年では、学校の制服のデザインを有名デザイナーに依頼することも多い。女子は制服によって学校を決めることも珍しくなく、特に生徒数確保が死活問題な私立ではよく見られる傾向である。2人の通う学校もまさにそうであり、その甲斐もあって2人はその制服を(いた)く気に入っていた。

 そんなことを思いながら、2人はこれまた学校指定の鞄を持って玄関へと向かった。きちんと教科書類を持って帰る奈緒、横着して学校に教科書を置いていく加蓮といった感じに、鞄の膨らみだけでも個性が垣間見える対比を見せながら、2人は学校指定の靴を履いて玄関のドアを開けた。

 

 するとちょうど隣でも、今まさに玄関から出てきたところだった。学校指定の制服・鞄・靴を身に纏った輝子・小梅・蘭子の3人が仲良く顔を並べている。

 そんな3人が身に纏うそれらは、奈緒と加蓮が身に纏うそれらとまったく同じものだった。

 

「よし、それじゃ行こっか」

 

 加蓮の言葉を合図に、5人はそのまま並んで歩き始めた。

 マンションを出た後も、5人の進む方向は同じままだった。

 

 

 

 

 春を迎えて新学期となり、学生達はそれぞれ学年が1つずつ上がった。それは208プロに所属するアイドルも例外ではなく、奈緒は高校3年生、加蓮は高校2年生、輝子は高校1年生、蘭子は中学3年生、小梅は中学2年生となった。

 そして杏がそのタイミングで、輝子と蘭子の2人に『奈緒達が通っている学校に転入しないか』と持ち掛けてきた。

 奈緒・加蓮・小梅の通っている学校は、346プロを始めとして多くのアイドルが通う小中高一貫の私立女子高だ。わざわざ“芸能科”を設立するほど芸能人の受け入れに積極的なだけあって、出席数が足りなくても一定の条件を満たせば単位が認められるなど、アイドル活動を行うに当たって色々と都合が良い。

 今までは休日と祝日のみ公演していた“アプリコット・ジャム”だが、奈緒と加蓮がソロデビューしたのを機に、平日午後にも公演を行うようになった。公演時間は学校が終わってからとはいえ、準備の時間を考えると今まで以上に授業を抜け出す頻度が増えることになる。だからこそ杏は、2人に転校を持ち掛けたのである。

 

 輝子の場合は、特に問題は無かった。元々彼女は学校に親しい友人がいた訳でもなく、彼女の両親も渋々といった表情ではあったが最終的には本人の意思を尊重してくれた。せいぜい問題があったとすれば、彼女のクラスメイトであるユリという名の少女が、泣きながら彼女の転校を引き留めようとしてきたことくらいか。

 迷いを見せたのは、蘭子の方だった。彼女は飛鳥と非常に仲が良く、転校するとなれば離れ離れになってしまうことを非常に悲しんでいた。仮に飛鳥も一緒に転校したとしても、飛鳥は正式なアイドルではないので“普通科”に編入となり、建物からして隔絶されているので学校生活で顔を合わせることは無いのである。

 しかし本格的にアイドル活動をするならば、転校した方が絶対に良い。蘭子もアイドル活動を頑張っていきたいと思っていたので非常に迷っていたが、最終的に彼女の背中を押したのは他ならぬ飛鳥であった。そのときどんな言葉を掛けられたのかは2人だけの秘密だが、とにかくそれで蘭子も転校を決意したのである。

 

 そんな2人の現在の学校生活を、少し覗いてみるとしよう。

 

 

 

 

「おっはよーさん、輝子ちゃん! 今日も1日頑張ろうな!」

「フヒィッ! ――あ、お、おはよう」

 

 自分の教室へ向かおうと廊下を歩いていた輝子は、後ろから突然抱き締められて大声で挨拶されるという、コミュ障には非常に難易度の高い事態に遭遇した。彼女は戸惑いながらも挨拶を返し、ゆっくりと後ろを振り返った。

 そこにいたのは、栗色の髪に赤縁の眼鏡、そして左口元にホクロのある少女・土屋亜子だった。先程の言動からも分かる通り非常に活発であり、言葉のイントネーションから関西系の出身かと思われがちだが、本人は静岡出身であり、その言葉遣いは関西出身の両親の影響だという。

 

「もう亜子ったら……、輝子が驚いてるでしょ。おはよう、輝子」

「おはよぉ、輝子ちゃん! アコちゃん、輝子ちゃんを見つけたとき、凄い勢いで走っていったねぇ!」

 

 そして亜子の後ろから苦笑い気味にやって来たのは、背中に届くほどに長い髪と切れ長の目がクールな印象を与える少女・大石泉と、くりくりとした大きな目と頭につけた大きなリボンが目を惹く可愛らしい少女・村松さくらだった。2人の言葉に、亜子も「いやぁ、すまんすまん」と謝りながらもその腕は輝子をガッチリとホールドしたままである。

 さくらと泉、そして亜子の3人は346プロに所属するアイドルであり、しかも現在ユニット“ニューウェーブ”を結成している。まだまだメディアの露出はそれほど多くないが、バランスの取れた正統派ユニットとして堅実にファンを増やしている期待の新人である。

 

「にしても、まさか“あの”輝子ちゃんがここに転入してくるとはなぁ! その情報が流れてきたときも、学校のあちこちで噂してたわ!」

「うん。それにしても、ライブではその……凄いパフォーマンスしてるのに、普段はとても大人しいんだね」

「ライブの輝子ちゃんは格好良いけど、普段の輝子ちゃんはすっごく可愛い!」

 

 突然褒められた輝子は「ど、どうも……」と顔を紅くしていたが、少々気になることがあったのでそちらに話題を振ってみた。

 

「う、噂されてたのか……? な、なんで私なんか……」

「そりゃするやろ! 何てったって、今アイドル界で話題騒然の地下劇場やからな!」

「そ、そうなのか……。あんまり業界の人達と関わらないから、よく分からない……」

「そういえば輝子ちゃん、あんまり雑誌とかテレビで見ないよねぇ! 人気なのに、なんでかなぁ?」

「それが事務所の戦略だからじゃない? あんまり表に出過ぎると、輝子みたいなアングラ系ではマイナスになるときがあるから」

「へぇ、そうなんだぁ! さすがイズミン! ――ところでアングラって何?」

 

 泉がさくらに色々と説明している中、相変わらず輝子を抱き締めている亜子の腕に少しだけ力が籠もった。それによって、彼女の顔が輝子の耳元に近づいてきた。

 

「ところで輝子ちゃん……」

「フヒ……、な、何だ……?」

「そんな話題の輝子ちゃんやけど……、ぶっちゃけ、お給料って幾ら貰っとるん?」

「……え、きゅ、給料?」

「せやせや! 輝子ちゃんの劇場って結構実入りが大きいって聞いたんやけどホンマ? ってか、輝子ちゃんって作詞作曲も自分でやっとるんやろ? やっぱ儲かるん?」

「え? いや、あの……」

 

 先程までとは種類の違う戸惑いを見せる輝子に、2人で話をしていた泉とさくらがその異変に気づいた。

 

「ちょっと、亜子! またそうやって人のお給料聞いて!」

「単なる世間話やって、いずみも気になるやろ? なぁ輝子ちゃん、誰にも言わんからぁ!」

 

 輝子を抱き締めたまま駄々をこねるように体を捻り始めた亜子に、輝子は話題の方向性もさることながら、3人という“大人数”に取り囲まれて会話をするという状況そのものに混乱していた。

 と、そのとき、

 

доброе утро(dobroye utro)、おはようございます、サクラ、イズミ、アコ、ショーコ」

 

 特徴的なたどたどしい口調に、その場にいた全員がそちらを向いた。4人だけでなく、先程までの遣り取りを遠巻きに眺めていたクラスメイト達も、示し合わせたように一斉にそちらへ顔を向け、そして一斉に表情を固くした。

 そこにいたのは、透き通った白い肌に銀色の髪が目を惹く、東欧系の顔立ちをした少女・アナスタシアだった。ユニット“LOVE LAIKA”が大ヒット、個人としても様々な広告に起用されるなど、まさに今乗りに乗っている大型新人の1人である。

 同じ芸能界に身を置く者のみが集まっている“芸能科”の校舎においても、彼女の存在感は頭1つ抜きん出ていた。現に彼女の姿を見ただけで、多くの少女達が息を呑んで委縮してしまっている。

 しかし“ニューウェーブ”の3人はそんな様子は一切無く、輝子のときと同じような気軽さで挨拶を返していた。ちなみに輝子は消え入りそうな小声と共に小さく頭を下げただけだが、彼女の場合はほとんど誰に対しても同じような態度なので普段通りといえる。

 

「アー、皆さん、どんな話してましたか?」

「今な、輝子ちゃんのお給料を聞こうとしてたんよ」

「キューリョー……。зарплата(zarplata)、ですか?」

「せや。――なぁ、ところでアーニャちゃんって、幾ら貰っとるん?」

「私ですか? 先月のお給料は――」

「ちょ、待ってアーニャ! 何さらっと教えようとしてるの!」

 

 慌てて止めに入った泉によってアナスタシアの給料事情は暴露されずに済んだが、亜子は「何や、ケチー」と口を尖らせて不満を垂らしていた。そして泉は彼女のそんな態度に腹を立て、朗らかな笑顔を浮かべるアナスタシアの横でお説教が始まっていく。

 

「朝からみんな賑やかだねぇ、輝子ちゃん!」

「…………フヒ」

 

 こんな喧騒の真ん中にいるなんて、今までだったら考えられないことだった。

 耳が痛くなるような大声を間近で聞きながらも、輝子は控えめな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 所変わって、中学3年生のクラス。

 

「…………」

 

 教室のど真ん中の席に着く蘭子は、借りてきたネコのように体を縮こまらせていた。その表情には若干の怯えが見え、チラチラと周りに目を遣っては何かを確認してホッと溜息を吐く動作を繰り返している。

 そんな彼女の姿は、傍目には『クラスで虐められているのでは?』と勘ぐりたくなるほどに深刻なものだった。しかし彼女のクラスメイトの名誉に誓って、このクラスには虐めなど存在していないことをここに明記しておく。

 それではなぜ、蘭子はここまで大人しくしているのかというと、

 

「見んしゃい、この着ぐるみを! これを着てライブをすれば、伝説になること間違いなしじゃけん!」

 

 教室の隅っこで古代文明のようなデザインをした太陽の着ぐるみを自信満々に広げているのは、内巻きのヘアスタイルとネコのように口角の上がった笑顔が特徴の少女・上田鈴帆だ。“着ぐるみアイドル”という謎のカテゴリーでバラエティ番組を中心に活動するバラドルであり、その強烈な個性と一瞬で笑いをかっ攫う破壊的な芸風で注目の的となっている。

 

「おぉっ、何て神々しい太陽の着ぐるみ! さすが鈴帆ちゃん……いや、スズホ=サン!」

 

 そしてそんな彼女の着ぐるみを手放しで賞賛しているのは、長い黒髪をポニーテールに纏めている快活な少女・矢口美羽。こちらも鈴帆と同じバラドルだが、強烈な個性を持つ鈴帆と違って方向性に若干の迷走が見られ、だからなのか鈴帆に尊敬の念を抱いている節がある。

 

「ぐっへへへへ、今日も美玲ちゃんのお山は慎ましやかですなぁ。――だがそれが良い!」

 

 蘭子の後ろで乱痴気騒ぎを引き起こしているのは、頭頂部の2つのお団子が目を惹く少女・棟方愛海(あつみ)だ。アイドルに相応しく可愛らしい容姿をしているというのに、現在の彼女は見るも無惨にその顔をだらしなく緩ませ、或るクラスメイトに後ろから抱きついてその胸を揉みしだくという暴挙に出ている。

 

「あぁ、またおまえか! いい加減にしないと、引っ掻くぞ!」

 

 そしてそんな彼女の毒牙に掛かっているのは、春先なのに冬用制服であるフード付きコートを着て、鋭く尖った大きな爪を両手に装着し、首にはチョーカー、左目にはハートマークをあしらった眼帯と、個性的な要素てんこ盛りの少女・早坂美玲だった。美玲は顔を真っ赤にして愛海に両手の爪を何度も押しつけているが、見た目に反してプニプニと柔らかいその爪では大したダメージになっていない。

 

「七海、何だかスシっぽい匂いがするナ! 朝に食べたのカ?」

 

 自分の席で片言の日本語を駆使して懸命に話し掛けているのは、その言葉遣いに違わず褐色の肌をした異国の少女・ナターリアだ。“日本料理=寿司”という図式が成立するほどの寿司好きである彼女は、中学3年生とは思えないスタイルの良さと天真爛漫な性格により、現在グラビアや広告、バラエティ番組などを中心に活動している。

 

「今朝は寿司じゃなくて、朝の市場で海鮮丼を食べたんれすよ~。ナターリアちゃんも一緒にどうれすか~?」

 

 そしてそんな彼女の興味を惹いているのは、おっとりした笑顔と青色にも見える長い髪が特徴の少女・浅利七海だ。魚が大好きでその知識も非常に豊富な彼女は、釣り番組や魚料理を扱うグルメ番組、さらには大の魚嫌いとして有名な前川みくに魚料理を押しつけるなどの活動で注目を集めている。

 

「…………」

 

 右を見ても左を見ても喧騒に溢れた教室内にて、蘭子は無言を貫いたまま顔を俯かせていた。その視線の先には、何も置かれていない自分の机があるだけだ。

 と、そのとき、

 

「どうしたんだ、蘭子? 朝から随分と気が滅入っているではないか」

 

 聞き慣れたその声に、蘭子は目を見開いてバッと顔を上げた。

 そこには、突然反応を見せた蘭子に驚いた様子を見せる池袋晶葉がいた。蘭子のライブで使用しているシステムの開発者である彼女とは、この学校に来る前から何度も顔を合わせているため、転入後も必然的に彼女と最も会話を交わすことが多い。

 

「あっ、晶葉ちゃん……。おはよう……」

「普段の言葉遣いも出ないほどか……。新しい環境にまだ慣れないか?」

「慣れない、っていう訳じゃないんだけど……。何というか、濃い人達が多いなぁって……」

「君がそれを言うか? 私から見たら、君はこの中でもトップクラスに個性的だと思うんだが」

 

 そしてこの話を誰かが聞いたとしたら、間違いなく『おまえが言うな』と返ってくるだろう。

 しかしながら、晶葉は蘭子の態度が理解できないでもなかった。強烈な個性に隠れがちだが、蘭子はどちらかというと人見知りする方だ。しかも208プロとは違って、ここには“我の強い者”が揃っている。そこで自分が受け入れられるか、蘭子は心配で仕方がないのだろう。

 と、晶葉がしみじみとそんなことを考えていると、

 

「あっ! おはよう、蘭子! 今日もキマってるな!」

 

 長い髪を風に靡かせて蘭子の席に駆け寄ってきたのは、小柄な体躯ながらパワフルな印象を持つ少女・南条光だ。自他共に認める特撮系ヒーロー物のマニアであり、運動能力も高いことからそれを活かした仕事や、1学年下のアイドル・小関麗奈とのユニット“ヒーローヴァーサス”を中心に活躍している。

 

「ぴゃっ――! お、おはよう、光ちゃん……」

「おはよう。朝から光は元気だな」

「池袋博士もおはよう! ――むっ! 蘭子は何だか元気が無いな! 蘭子はいつも自信満々にしてるのが一番魅力的なんだから、そんなにしょぼくれてたら勿体ないぞ! 何てったって、蘭子は“悪の親玉”なんだからな!」

 

 そして彼女は、どうやら蘭子がお気に入りのようだった。何でも蘭子のライブを観たときに、語り部兼黒幕としてステージ上で立ち振る舞う彼女の姿に、ヒーロー物に出てくる“悪の親玉”としての魅力を感じ取ったという。

 

「み、魅力的……?」

「そうだよ! ――大丈夫だって! みんな笑って受け入れてくれるから! アタシだって自分の好きなヒーロー物の話、正直半分以上は理解されてないと思うけど、それでもみんなアタシのこと除け者になんてしないから! というか、みんな好き勝手にやってるからお互い様だし!」

 

 光は眩しい笑顔でそう言い残すと、教室の後ろへと勢いよく駆け出していった。

 

「こらぁっ、愛海! 美玲が嫌がってるじゃないか! 離せ!」

「げぇっ、光ちゃん! ――ふふふっ、たとえあたしがお山登りを止めようとも、お山に恋い焦がれる者がいる限り、やがて第2第3のあたしが――」

「何を訳の分からないこと言ってんだ、愛海! 引っ掻いてやる!」

「うわっ、何ばしとる! せっかくの一張羅が!」

「あぁっ、鈴帆ちゃんのスズホ=サンが!」

「んんっ? 何だか騒がしいナ! みんな楽しそうダ!」

「でも少しうるさいれすね~。お魚さんみたいに締めましょう~」

 

 やがて学校中に響き渡るのではないかと心配になるほどの喧騒が、蘭子のすぐ後ろで繰り広げられ始めた。皆が思い思いに騒ぎ暴れるものだから、その光景はもはや“姦しい”では片づけられない有様となっている。

 

「ははっ、確かにこれだけの問題児が揃ってるんだ。今更蘭子1人が増えたところで、何の問題にもならないだろうな」

「…………」

 

 腕を組んで高みの見物と洒落込む晶葉に対し、蘭子は何やら真剣な表情を浮かべたかと思うと、突然椅子をガタリと鳴らして立ち上がった。

 

「わ、我も狂乱の宴に乗り込もうぞ!」

 

 まるで戦地に向かうかのような凛々しい表情で、クラスメイト達による喧騒の中心地へ赴いていった蘭子の背中を、晶葉は含みのある笑みを浮かべて見送った。

 そして、そんな騒がしい教室の隅っこで、

 

「……朝っぱらから、凄くやかましいんですけど」

 

 机に身を投げ出し滅入るような表情を浮かべる森久保乃々の呟きは、1メートルも進まずに喧騒に呑まれて消えていった。

 

 

 *         *         *

 

 

 この学校の食堂は校舎と独立した3階建ての建物となっており、スタイリッシュなガラス張りとなっている外観、白を基調とした開放的な内装は、オシャレに敏感な女子達も納得のデザインだ。様々なジャンルの料理だけでなく本格的なコーヒーや甘味も取り揃えているそこは、昼食だけでなく放課後にカフェとしても利用する生徒が後を絶たない。

 そのため、千人以上は座れるほどに広い食堂は、昼時ともなると大勢の生徒達で溢れかえっている。しかもその全員がアイドルなどの芸能人であり、テレビでもよく見られる顔がチラホラと見受けられる。

 

「それでクラスのみんなと仲良くなれたのか。良かったじゃないか、蘭子!」

「うむ! 実に快活な者達ばかりだ!」

 

 そしてそんな食堂のほぼ真ん中で、208プロの5人が同じテーブルで食事を摂っていた。ちなみにメニューはそれぞれ、奈緒はチキンカレー、加蓮はナポリタン、輝子はキノコソースのハンバーグセット、蘭子はデミグラスソースのハンバーグセット、小梅はきつねうどんである。

 

「それにしても、蘭子のクラスは随分と個性の強い奴が集まったな。特に棟方愛海なんて、候補生のときからちょくちょく噂で耳にしたことがあるくらいだし」

「へ、へぇ、そうなのか……。そんなに凄いアイドルだったんだな……」

「いや、ダンスが上手いとかそういうのじゃなくて、同僚のアイドルに対するセクハラがもの凄く問題になってね……。一時期は346プロ始まって以来の“クビ”も有り得たんだけど、なまじルックスとパフォーマンス技術が高いから、そのままデビューさせざるを得なかったの……」

「確かに、毎日必ず(なにがし)かの問題を起こしている気がするな……」

「とりあえず今は346プロでも一番厳しいプロデューサーが担当になって、せめて他事務所のアイドルには手を出さないように細心の注意を払ってるらしいぞ」

 

 奈緒の言葉に、蘭子達は呆れを隠そうともせずに苦笑いを浮かべていた。逆にそれだけの労力を割いてまで彼女をアイドルにしたということは、真っ当な性格ならば間違いなく大成するだけの実力を持っているのだろう。何というか、色々と勿体ないアイドルである。

 

「フヒヒ……。この学校には、本当に個性的な人達がいっぱいだな……」

「まぁ、個性でいえば輝子達だって負けてはいないと思うけど、確かに変な奴がいっぱいいる気がするな。アタシのクラスにも色々と逸材が揃ってるし」

「そういや奈緒のクラスといえばさ、最近美嘉とか奏がコソコソと動き回ってない? 志希とか周子も、時々学校に来て何か話し合ってる感じだし」

「あー、そういやあの4人、確かに最近よく(つる)んでるな。前に1回訊いたことあるけど、企業秘密だとか言って教えてくれなかったし」

「フヒ、そ、そっか……。美嘉さんとか奏さんとかも、ここに通ってるんだっけ……」

「未だに信じられぬな……。かの者達と学舎(まなびや)を共にしているという事実が……」

「そういえば、輝子ちゃんと蘭子ちゃんはまだ2人に会ったこと無かったっけ? 2人も会いたがってたよー」

 

 輝子達4人がそんな会話を交わしていると、一足先に食事を終えた小梅がお盆を持っておもむろに立ち上がった。

 

「ん? どうした、小梅?」

「えっと……、今日は私が日直だから、早く戻って次の授業の準備をしないと……」

 

 そう言い残してその場を去っていく小梅を、4人は軽く手を振って見送った。輝子や蘭子と違って以前からこの学校に通っていた小梅は、勝手知ったるように人混みをヒョイヒョイと避けて、カウンター横にある使用済み食器置き場にお盆を置いていった。

 そしてそのまま建物を出ていこうと、建物の入口へと歩いて――

 

「あ、あの――!」

 

 最初にその声が背後から聞こえてきたとき、自分に掛けられたものだとは思わなかった小梅は、そのまま足を止めずに歩き始めていた。しかし再び、今度は先程よりも近い場所で聞こえてきたとき、小梅はようやく自分が呼び掛けられていることに気づき、不思議な表情を浮かべながらそちらへと振り返った。

 そこにいたのは、肩に掛かるほどの長さをした黒髪の少女だった。眉をハの字にした気弱な表情と赤味がかった瞳によって、どことなくウサギのような小動物を連想させる印象をしている。

 

「え、えっと……! 208プロの、白坂小梅さんですよね……!」

「……うん、そうだよ」

 

 まるで勇気を振り絞るように両手をギュッと握りしめて尋ねてきたその少女・白菊ほたるに、小梅はやや間を置いてから素直に首を縦に振って答えた。



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