とある冥闘士の奮闘記   作:マルク

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更新が遅れて申し訳ありません(泣)

GW中も少しずつ書いていたのですが、とあるキャラの掛け合いがかなり難しかったです。なるべく雰囲気を崩さないよう気を使ったつもりですが自信がありません。もしお気を悪くされたら、どうかお許しください。


15/反撃開始

 

 

 都会ではまずお目にかかることができないだろう満天の星々。夜空を彩るそれらの下には子供達の一群がワイワイと騒ぎながら見上げていた。

 

「こら、皆! 楽しみなのは分かるが、これも大切なお勉強なんだから静かに!!」

 

 子供達に向かって、引率している教師が声を張り上げるものの大して効果がない。それもそのはず、子供達にとって今日は特別な日だった。

 

 何故ならここは『自然の家』

 

 科学によって守られた都会から離れた、自然豊かな地。自然の中で集団生活を行い、心身を鍛え上げて健全な子供達を育成することが目的の学業である。その目玉の一つに数えられる『天体観測』――――――それが■■には以前から楽しみだった。

 

 ベランダや本で眺めることしかできなかった星々が、視界を埋め尽くしている。そしてこの授業では念願の望遠鏡を覗けるのだから、■■の心はかつてないほど浮き立っていた。

 

 ■■の年齢は幼く、親から貰えるお小遣いも僅かしかない。

 

 どんなに星好きでも、天体望遠鏡など子供の■■には夢のまた夢の存在だ。アルバイトもできない■■が購入するには、それなりの時間が必要となる。

 よしんば買えたとしても、あんな巨大で、部屋の空間(スペース)を取るような物を親が許すはずがない。

 

 結局、一人暮らしするまで諦めるしかなかったのだ。

 

 

「よし。次は…。■■ッ! お前の番だ」

 

「は、はい!」

 

 いよいよ■■に順番が回ってくる。砂がついた腰を掃いながら教師に望遠鏡に触れないよう念を押されて覗き込む。

 

「わぁ…」

 

 思わず感嘆の息が漏れた。星々の中に浮かぶ目的の惑星。その巨大さと横向きの(リング)によって、光を発する周囲の星よりも際立っていた。

 

「これが土星…」

 

 表面には色違いの横縞模様がある。本によると土星を囲む(リング)は氷の小片や岩石の集合体らしいが、残念ながらこの望遠鏡ではそこまで判別できなかった。

 

「■■、もういいだろ。後がつかえているんだから、早く代わってやれ」

 

 教師からの催促により、望遠鏡を後にする。少し名残惜しいが望遠鏡は複数設置されているので、そちらを見ることにしたのだ。

 

 ■■の足取りは軽く、興奮が抑えきれないでいる。あの幻想的な光景がまた見られるのだ。用意された望遠鏡はそれぞれが異なる星に向けられていた。

 

 次の星はどんな姿を見せてくれるのかと頭の中で想像しながら、■■は足を速めるのであった。

 

 

 

「……ッ!? ゲホッ! ゲホッ! う……う、ウォエエエエエ!!!」

 

 胸に受けたダメージを堪えきれずに、行人は嘔吐した。吐瀉物が大地を汚し、鼻につく異臭が意識を覚醒へと導く。何か懐かしい夢を見ていた気がするが、激痛で吹き飛んでしまった。

 

「ハァ、ハァ……よく…生きて…」

 

 よく生きていられたなと言いたいのに、肺を痛めているのか上手く声が出せない。

 

 暫く安静にして痛みが和らぐのを待つ。数分が経過し、ようやく痛みが落ち着いたので次は応急処置に取り掛かる。

 

 修業中に負傷してもすぐに手当てができるよう、行人は腹部にさらしを巻くようにしている。包帯代わりに使えるからだ。

 

 傷を確かめようと上着を脱ぐと、懐から一つの物体が転がり落ちる。ゴトリと音を立てたそれを見て、行人は合点がいった。

 

「そうか…これのおかげ、だったのか…」

 

 彼を救ったのは鳳凰座(フェニックス)聖衣(クロス)と共にあった『箱』である。ヴァレリーの襲撃で、行人自身も存在そのものをスッカリ忘れていたものだ。

 

「助けてくれて有り難う。そして、忘れててゴメン…」

 

 感謝と謝罪を箱に送り、行人は箱につけられた傷に触れる。美しかった無地の表面には大きな亀裂が入り、中身が露出していた。気になった行人は、慎重な手つきでそれを取り出す。

 

「え? こ…これって…」

 

 

 

 島のある一角に、暗黒聖闘士(ブラックセイント)を運んだ帆船が泊まっている。船上では、ヴァレリーがかつてないほど苛立っていた。

 

「師弟揃ってやってくれる! よくもこんな真似を…!」

 

 甲板に広がる血だまりの中に、船番を任せた船員が躯となって転がっている。勿論、下手人はヴァレリーではない。彼が行人と戦っている間に、杳馬が彼らを殺していたのだ。

 

(これでは船を動かせない! 嫌でも奴の! 首領(ドン)のいるところに行かなくてはならなくなった!!)

 

 弟子が敗れた後、師が始末をつけるつもりだったのだろうか…。そして先の小宇宙(コスモ)の動きから、もうこの怒りをぶつける相手がいないことは分かっている。代わりに、現在最も会いたくない男がいるであろうことも…。

 

 聖衣(クロス)を入手したとはいえ、首領(ドン)自ら足を運んでいることから相当お怒りのようだ。更に、仲間の小宇宙も感じられないことが己の推論に信憑性を与えていた。

 

「落ち着けヴァレリー。なんとか上手い言い訳を考えるんだ。首領(ドン)を納得させる言い訳を…っ!? ぐ…ゴフッ!」

 

 興奮したせいで、先ほど受けたダメージがヴァレリーの体に蘇る。口から血を吐き、血痕が床に染みを作った。

 

(このダメージ……使い手が未熟で助かった。あの若さで音速(マッハ)の拳を放てるとは…)

 

 口元を拭いながら、行人の技について振り返る。

 

(確か、ライコウルテンケンと言ったか。一瞬で5発撃ち込んできたが、その全てが()()狙い……成程、よく考えている)

 

 人体急所とされる顎、心臓、鳩尾、両脇の合計5ヵ所。全小宇宙(コスモ)が綺麗に均等されており、全ての拳が音速(マッハ)を維持していた。これならば小宇宙(コスモ)尽きるまで放つせいで、速度にバラつきが出る“流星拳”よりも優れている。 

 しかも“流星拳”は弾幕を作る事、平たく言えば“数撃ちゃ当たる”に重点を置いているので、命中率も悪い。

 

 それに比べて“流転拳”は、足りない破壊力を与えたダメージで補うという、行人自身の力量を良く捉えた技だった。

 

 そこまで考えて、ヴァレリーは体に付けられた傷痕をそっとなぞる。暗黒聖衣(ブラッククロス)には穴こそ開いていないものの、罅が入っていた。

 

(侮っていた積りはなかったんだけどね。もし彼が聖衣(クロス)を纏っていたら、どうなっていたかな…)

 

 胸中に僅かな安堵感と寂寥感を抱き、彼はこれからの事態に頭を悩ませるのであった。

 

 

 

 生者(せいじゃ)が死を迎えた時、その魂はどこに向かうのか。この問いに対し、多くの者が『天国』と答えるだろう。魂は重力という鎖から解放され、空へ向かい神の治める国に運ばれるはずだと。しかし、実際は異なる。

 

 魂は天とは真逆の地下深くにある冥界へと向かう。そこでは裁判官によって生前の罪を暴かれ、罪の重さに見合った地獄へと落とされるのだ。死後に待つのは、決して安息の地ではない。

 

 その冥界に行くには必ず通過しなければならない箇所が存在する。『黄泉平坂(よもつひらさか)』と呼ばれるその地には、意志を失った亡者達がある一ヵ所に向けて歩を進めている。

 

 彼らが目指しているもの――――『死界の穴』。冥界に繋がる大穴に落ちれば二度と現世に戻ることはできない。

 

 そして現在、その危険極まりない場所に一人の男が立っていた。

 

 外套(コート)を羽織り、葉巻をくわえながら亡者達を眺める姿は、あまりにも異様だった。亡者ではありえない強い意志が込められた目つき。その堂々とした佇まいには王者の風格を漂わせている。誰もが嫌悪感を抱く光景にも、男の心は波風一つ立つ事はない。

 

 なぜなら、彼にとって死とは身近なものだからだ。

 

 武力、知力、権力、財力…この世に存在する力をいくらかき集めようとも、生命ある者は必ず死ぬ。子供でも知っている常識だが、皆がその事実を忘れて――――いや、眼を背けて生きているのだ。背けたところでどうしようもないというのに、何故そうしてしまうのか男には疑問だった。

 

(ひょっとしたら、生存本能とやらが関係しているのかもしれないな…)

 

 もしそれが事実だとしたら、実に愚かなことだと男は考える。

 

 怖いものは怖い。これを否定する気はない。醜いものには視線を向けることすら億劫だ。では、そうしたところで何かが変わるだろうか。それは問題の後回しと言えないだろうか。

 

 

 速く走りたいという願いから“馬車”が生まれた。

 

 海を渡りたいという願いから“船”が生まれた。

 

 森羅万象を解き明かしたいという願いから“学問”が生まれた。

 

 死を免れたいという願いから“医術”が生まれた。

 

 

 世界は人間の欲望によって形成されている。

これは、己の欲の赴くまま生きることこそ人の本性という証明に他ならない。

 

 そう結論付けた男が選んだ道は、実に人間的なものだった。

 

 

“生きている間にこの世を存分に楽しもう”

 

 

 どうして己を殺してまで、他者に尽くさなければならないのだろう。自分の人生を背負えるのは自分だけだというのに…。

 

 

「人間には2つのタイプが存在する。主人に媚びへつらい、おこぼれを貰いながら細々と生きる『奴隷』。その奴隷共に仕事を与えて、自分が啜った美味い汁の()()()を褒美として渡す『王』。

社会は利用する者とされる者で成り立っている。こう考えると、人間とは本当に高尚な生き物なのか疑わしくなると思わないか?」

 

 外套の男が虚空に問いかける。すると空間の一部が歪曲して、中から杳馬が現れた。ラドルの特攻の余波により衣服は至る所が焼け焦げているものの、それを着込んでいる彼の肉体は無傷だ。

 

「前者は兎も角、後者のような奴を王様とは言わねぇよ。外道がお似合いさ。手下が命張って戦ってる最中に、敵諸共吹き飛ばすドコかの誰かさんとかなァ」

 

「あの状況下で特攻を選んだのはラドル自身だ。大方、部下を殺された恨みで一矢報いろうとしたんだろう。随分と恨まれてるじゃないか…」

 

「ハッ! よく言うぜ。紛れもなく、テメエの教育(しつけ)の賜物だろうがよ。

あいつの眼……あれは恨みっつうより、何かを守ろうとしている眼だったぜ」

 

 棘のある会話の応酬を繰り広げながら、両者の小宇宙(コスモ)が高まっていく。互いを排除しようとぶつかり合い、間に挟まれた空間が軋んで悲鳴を上げている。

 

 杳馬の言葉に対し、外套の男はただ笑みだけを返す。それだけで杳馬は全てを悟った。

 

 ラドルの命令に部下が迷いなく従っていた事から、彼の人柄が伝わってくる。己の命運を他者に委ねるには“信頼”という感情が必須だ。部下達にそれがあったラドルはかなり慕われていたのだろう。組織を束ねる者として、自分の地位を脅かしかねない存在は面白くあるまい。

 

 ではどうする。

 

 簡単だ。殺せばいい。

 

 任務上で戦死させてしまえば、恨みは殺した敵へと向かう。例え自分に向かったとしても、当人の能力不足とでも言えば正当性が保たれる。

 

「やれやれ、死んでくれて都合が良いってかァ? 随分と器が小っせぇじゃねぇの」

 

「別に俺自ら手を下しても構わんさ。だが、敵討ちを一々相手にする程こちらも暇ではない。ならばせめて……恨める相手ぐらい作ってやる(・・・・・)のが情けというものだろう?」

 

 その恨める相手というのは勿論、敵討ちが可能な人間が良い。そうすれば当人は恨みを晴らせ、組織は任務を達成でき、どちらも幸せになれるからだ。討たれた人間以外ではあるが…。

 

「……訂正するぜ。テメエは外道なんてお上品なもんじゃねェ。下衆野郎だ」

 

「人に説教できる立場か? 冥闘士(スペクター)の分際で…」

 

 男の口から冥闘士(スペクター)の単語が出た瞬間、杳馬から笑みが消えた。

 

「何を驚く。積尸気も使わずに、この地に来る方法など限られている。更に付け加えれば、今回の聖戦の相手は冥王ハーデスと聞く。

 その配下である冥闘士(スペクター)が聖戦前に活動するというのは、予測範囲内の事態だろう…」

 

 冥衣(サープリス)には現世と冥界を行き来する機能を備えている。黄泉平坂も例外ではない。男の言う通りの方法で杳馬は窮地を脱したのだが、彼が注視したのはそこではなかった。

 

 聖闘士(セイント)の育成法は師の方針に依存されている。常識的に考えれば、皆が平等の教育を得る形が好ましい。戦う相手は人間を超越した存在なのだから、過去の経験を生かす為にも包み隠さず教えるべきだろう。

 

 しかし、聖闘士(セイント)の場合は違う。

 

 その闘法は精神と密接な繋がりがあるが故に、心の乱れが直接的(ダイレクト)小宇宙(コスモ)に影響してしまう。

 実力を発揮できずに戦死させたくない、又は敵に恐れをなしての脱走を防ぐという考えもあり、伝えるべき事を伝えずに、敢えて偏った知識を与えてしまう師も決して少なくない。

 

 ただでさえ聖闘士(セイント)一人育て上げるのに、多大な時間と労力が必要なのだ。

 

 余計なことは考えず己の命を女神(アテナ)の為に捧げる狂信者こそ、強力な小宇宙(コスモ)を生み出すと考えられている。

 

 それらを踏まえた上で、眼の前にいる男を見てみると――――

 

 

 荒くれ者共を纏め上げる“カリスマ”

 

 杳馬を前にして一歩も退かぬ“度胸”

 

 それらを裏付けるように鍛え上げられた“肉体”

 

 敵に対する“正しい知識”

 

 

 どれもが高水準でまとまっていた。間違いなく最高の環境で教育を受けていた事が分かる。ここまでの逸材となると、自ずと師を務めた人間も想像がつく。

 

(考えられるとすりゃ、黄金聖闘士(ゴールド)か教皇。あとは……)

 

 杳馬が男の師について推理していると、男の持つ葉巻から“青い炎”が立ち昇った。

 

「貴様が何者であろうと、暗黒聖闘士(おれたち)に喧嘩を売った事に変わりはない。弔い合戦ではないが、俺が直々に相手をしてやろう。

 暗黒(ネーロ)が首領、暗黒祭壇座(ブラックアルター)のアヴィドがな!!」

 

 そう言い放ち、男――アヴィドの背後から一体の暗黒聖衣(ブラッククロス)が出現した。分解した暗黒聖衣(ブラッククロス)を纏うことで、アヴィドの威圧感が跳ね上がる。彼の姿はさながら、魔道に堕ちた人――――“魔人”を彷彿とさせた。

 

「へェ、テメエが頭目(アタマ)か。こいつは良いや。さっきの連中じゃ歯ごたえがなくってさァ。いっちょ遊んでくれや。簡単に壊れんじゃねぇぞ!!」

 

 杳馬も己の武具を、半身を呼び寄せる。現れ出たのは円盤上に腰掛ける悪魔のオブジェ。悪魔はシルクハットを被り、左右非対称の針を持っている。円盤から伸びる蜘蛛の巣状の針はローマ数字で時計順に並んでいた。アヴィドの時と同じ様にそれらが分解し、杳馬の体を包み込む鎧と化した。

 

「それが冥王より賜りし鎧――――噂に名高い冥衣(サープリス)か…」

 

 色彩は暗黒聖衣(ブラッククロス)と同じく黒に近いのに、決定的に違う部分があった。それは暗黒聖衣(ブラッククロス)が光を飲み込む漆黒なのに対し、冥衣(サープリス)は宝石のように光を放っているところだ。

 

 一説には冥界の鉱物で作り上げられたといわれているが、神の加護を受けているものとそうでないものの差なのかもしれない。

 

「そういや、こっちも名乗っておこうか。天魁星メフィストフェレスの杳馬だ。別に覚えなくても良いぜ。

テメエはここで死ぬからなァ!!」

 

「フンッ。何千年経っても女神(こむすめ)一人討ち取れんくせに、デカい口を叩くじゃないか。

流石は負け犬……よく吠える!!」

 

 

 杳馬とアヴィドが同時に踏み込み、拳をぶつけ合う。激突する光速拳によって空気が弾け飛び、大地が鳴動する。

 

 

 魔に堕ちた神と魔に堕ちた人。

 

 悪魔と魔人の戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 杳馬とアヴィドの戦闘が始まった頃、行人も再戦を望むべくヴァレリーの下へ辿り着いていた。

 

「出てこい、ヴァレリー!! もう一度…俺と勝負しろ!!!」

 

 呼びかけに反応し、船室の扉が開かれる。

 

「……悪運が強いんだね。僕の技を受けて生きているとは思わなかったよ。あのまま逃げようとは考えなかったのかい?」

 

「あいにく、ウチの師匠はスパルタでね。自分の命惜しさに聖衣(クロス)をみすみす奪われたなんて知れたら、それこそ殺されるんだ」

 

聖衣(クロス)が互いの生命線となっている以上、生き残るには勝利しかない…ね。でも、できるかな? 実力は既に見切ったよ。その上で敢えて言わせてもらおう。

 君の勝率は0%だ!!」

 

 行人に才が有るか無いかを問われれば、ヴァレリーは有る方だと答える。少なくとも行人位の年齢で、聖衣(クロス)を纏わず音速(マッハ)に到達した候補生は数える程度しか覚えがない。余程、良き師に恵まれなければここまで練り上げる事はできなかっただろう。しかし、それらを考慮しても行人はヴァレリーに勝てる道理はない。

 

 行人の小宇宙(コスモ)が小さ過ぎるのだ。

 

 雷光流転拳(切り札)を放っても暗黒聖衣(ブラッククロス)を破壊するには至らない威力。防御や回避がいかに上手くても、敵は倒さない限り襲ってくる。その敵を倒す“攻撃力”が弱いという事が戦士としては致命的だった。

 

「勝負は断る。僕には何のメリットもない。結果が分かり切っているとはいえ、疲れるのはゴメンだよ。気が変わる前に視界から消えたまえ。

ああ、君の師のことなら心配しなくていい。どうやら、僕達の首領(ドン)によって消されたようだ。これなら、(ペナルティ)が下る事もないだろう」

 

 そう言いつつ、ヴァレリーは子犬を掃うかのように手を振るう。間違いなく起きるだろうアヴィドの折檻に備えて体力を温存しておきたいのに、一銭の得にもならない労働をしたくないのだ。

 船内に戻ろうとするヴァレリーを、行人の次の言葉が歩みを止める。

 

「これを見ても同じ台詞が言えるか?」

 

 行人が取り出したのは例の箱。箱の傷でヴァレリーは己の拳が防がれたカラクリを知る。そして、箱の中が空洞になっていることも…。

 

 続けて行人が取り出したのは、一冊の書物だった。

 

聖衣(クロス)と共に隠されていた鳳凰座(フェニックス)の2大拳――“鳳凰幻魔拳”、そして“鳳翼天翔”の秘伝書だ!! 俺はこれを賭ける!!!」

 

 書物の正体を聞いてヴァレリーの顔色が変わる。一瞬行人のハッタリを疑ったが、可能性としてはあり得ない話ではなかった。

 

 よくよく考えれば鳳凰座(フェニックス)には不可解な点が幾つかある。鳳凰座(フェニックス)聖闘士(セイント)になれた者はいないのに、技である幻魔拳の方は伝説として語り継がれているところがその一つだ。

 

 技を伝承する人間がいるか、文献として形に残していなければこうはなるまい。もしこの仮説が正しければ、伝承する人間というのは島の管理者の一族。文献を隠すとなると聖域(サンクチュアリ)かデスクィーン島が候補に挙げられる。

 

 聖衣(クロス)だけでなく魔拳も手に入れたとあれば、アヴィドの怒りも静まるかもしれない。そう考えたヴァレリーは行人と戦う事を決意する。

 

 

「面白い! その決闘……受けて立とう!! そして、ありがとうと礼を言わせてもらおうか。

聖衣(クロス)だけじゃなく、秘伝書(お土産)までくれるんだからね!!」

 

 合意を得られたことを確認し、行人は秘伝書を箱に戻して岸へ向かって放り投げる。

 

「秘伝書はあそこだ! 俺を倒してから取りに行け!! そして…」

 

 次に行人は血染めの上着を脱ぎ捨てた。

 

 負傷した胸や腕、そして右拳にさらしが巻かれているだけで、何かを隠し持っているようには見えない。懐から色々取り出してきた行人も、さっきの秘伝書で打ち止めのようだ。

 

「これで俺は丸腰だ!! この五体で勝負してやる!!!」

 

「……少年、良い事を教えてあげよう。逃げる時は小宇宙(コスモ)を消したり、周囲に同調させる必要はない。小宇宙(コスモ)()()に注意を払うんだ。

終点(ゴール)に真っ直ぐ向かっていたり、敵から離れようと動いていれば目立って仕方ないからね…」

 

 突然ヴァレリーは先程の追跡劇のネタ晴らしを始める。あまりの唐突な話題の切り替えに通常ならば矛盾を感じるが、この行為には重大な意味があった。

 

「アハハハッ、君のしようとしている事なんてお見通しだよ! 東洋のことわざで“窮鼠猫を噛む”というのがあると聞く! 君がやろうとしているのはそれだろう!? 

だから秘伝書や丸腰をアピールする事で、自分を追い込んでいる!! だったら僕は君の疑問を解消して、心の負担を軽くするまでさ!!」

 

 得意げに語るヴァレリーに行人は心の中で『ああ、やっぱりな』と、どこか他人事のように呟いていた。

 己の策などヴァレリーが相手では浅知恵でしかない事は、先刻承知している。策が通用しようがしまいが、やるべき事は変わらない。

 

『目の前の敵を倒して、聖衣(クロス)を手に入れる』

 

 その不断の覚悟のおかげか、今度は小宇宙(コスモ)が動じずに済んだ。

 

「何を言っても無駄だ! もう俺には通用しない! あなたを倒して聖衣(クロス)も秘伝書も守り抜く!! それはもう先約済みなんだ!!!」

 

 鳳凰座(フェニックス)を纏う人間は既に決まっている。その者は弟との再会を心の支えに生き地獄を味わう事となる。その地獄から抜け出す条件が聖衣(クロス)を持ち帰る事なのだ。遠い未来にいる彼の為にも、行人は勝たねばならない。

 

「よくぞ吠えた! ならば、もはや問答は無用! いざ!!」

 

「尋常に!!」

 

「「勝負!!!」」

 

 

 飛び掛かる行人と迎え撃つヴァレリー。

 

 

 鳳凰座(フェニックス)争奪戦は最終局面を迎えるのだった。 

 

 




今回は杳馬とアヴィドの会話が一番苦労しました。放っておくと会話が止まらないし、アッサリ終わらせるわけにもいかない。どこで区切ったら良いか、頭が痛かったです。


デスクィ―ン島編は、あと2話位で終わる予定です。ダラダラ長引かせてすみません。どうかもう暫くお付き合い下さい。
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