「このっ!」
「ほらほらどうした。オニさんコチラ、手の鳴る方へ♪」
当たり前の話だが、さっきから何度も攻めているのに行人の剣が掠りもしない。そればかりか、杳馬はその場から一歩も動いてすらいない。誰が見ても実力差は歴然である。行人がそこそこの強さを持っているとはいえ、それは子供達の中での話。師範を含めた大人達を、汗一つかかずに倒した杳馬の敵ではないのだ。
「ほいっと。」
隙を見て、すれ違いざまに杳馬に木刀で足を引っ掛けて転ばされる。まるで相手にならず、行人の中に屈辱と怒りが生まれ、自然と動きに焦りが表れる。すでに杳馬による心理戦は始まっていた。斬撃を行わずに行人の自滅を誘うことで、怒らせて体力と精神の消耗を狙っているのだ。そうやって頃合いを見て、疲れ切った行人の心に『闇の一滴』を落とせば杳馬の勝利はほぼ確定である。絶望した行人を倒す事で幕を閉じるが、杳馬は更に別のことを考えていた。
(ボロボロにされた弟クンを見て、怒り狂ったお兄ちゃんの相手をするのも悪くねェな。)
対する行人はそんな杳馬の思惑など百も承知だった。
(相手が舐めきっている間に勝機を探さないと!)
一瞬で距離を詰められる以上、この男に守りに入った戦いでは逃げ切る事は不可能。向こうの攻撃は間違いなく斬撃が飛んでくるので、こうして自分から攻めて転ばされる方が喰らうダメージが少ないのだ。(精神のダメージはその比ではないが)重たい防具を身に着けて勝負を挑んだ事も、この戦法を選ばせることに一役買っていた。
数える事が馬鹿らしくなるほど転倒が続いて、とうとう壁に激突した。その衝撃で掛け軸と真剣と共に飾られていた脇差が床に転がるが、行人は敢えて無視した。
「おやおや、そこの脇差は使わねェのかい?」
「俺の腕力じゃ重くて逆に邪魔になりますよ。だから……こうします。」
掛け軸の方を投げつけ、目くらましにする。
「おっと、良いねェ。そうやって足掻く奴は嫌いじゃねェぜ。」
木刀で掛け軸を払い、杳馬が次の攻撃を待ち受ける。行人は地面を這うように身をかがめて杳馬の足元に迫っていた。己の体の小ささで攻撃を当て難くしようと必死な姿に杳馬はつい笑みを零す。
『こいつの絶望する顔を見てみたい』
兄が戻ってくる事を信じて足掻くその姿に、杳馬はいつしかそんな暗い思いを抱くようになっていた。
足元からの一撃も跳んで躱されてしまい、中空からの杳馬の反撃を自ら転がって躱す。
そんな攻防が続くも行人の足が遂に止まった。全身から汗が噴き出て肩で息をするその姿は酷く弱々しく、序盤の勇ましさは欠片もなかった。無理もないだろう。ここまで全力で動き、体と精神のダメージに杳馬からのプレッシャーという様々な要因により体力が限界に近づいていた。これ以上動けば起死回生の一撃を放つ体力すら失うだろう。
「どうした弟クン?来ないならこっちから行くぜ。」
目の前にいた杳馬が消え、背後から殺気を感じた行人は慌てて前方に跳んで躱そうとするも、背中に掠り道着が破けてしまった。その所業に寒気を感じながらも諦めずに構えを取る。
「あれから随分時間が経ったけど、そろそろ諦めたらどうよ。降参すればこんな辛い思いしなくて済むんだぜ?」
杳馬が降伏を促し、行人の心に闇の一滴を染み込ませようとしてくる。
「謹んで遠慮します。」
「いい加減認めろよ?人間は自分の身が一番可愛い生き物なんだよ。他人の幸せよりもまずは自分の幸せが最優先。それは決して恥じる事じゃねェ。人間として正しい行為だ。何たって人間とは『醜い存在』だからなァ。テメエのお兄ちゃんだって例外じゃねェ。自分の為なら弟だって平気で捨てられるんだよ。」
「ゴチャゴチャうるさい!!言ったはずだぞ、自分からは勝負を捨てない!それとも俺が怖いから降参してもらおうと思っているのか?それに俺はな、暴力を振るって自分の言い分を正しいと思わせるような奴は大嫌いなんだ!!」
激昂して悪魔の誘惑を無理やり振り払う。恐怖が無い訳ではないのだろう。足や剣先は震え、出した声すら上擦っていた。だがそれでも勇気を振り絞って足掻くその姿は、確かに杳馬に立ちふさがった師範達を連想させるものだった。
(そうだ。ここで屈したら何の為に転生したのか分からない。俺には欲しいモノがあるんだ。こんなところで死んでたまるか!二度と暴力に屈してたまるか!)
「んはは、言ってくれるじゃねェの。でも、俺もそろそろ飽きてきたし終幕といこうか。」
杳馬は笑う。この少年の心は折れない事を悟ったのだ。自分の思い通りにいかなかったが、それもまた良し。これがあるから人間は面白いのである。ならば望み通り最後まで相手してやるのが筋ではないか。
止めを刺すために、杳馬が一歩ずつ行人に近づいてくる。床が軋む音がまるでカウントダウンの如く奏でていた。だがここで異変が起こる。
「ありゃ?」
一瞬、たった一瞬だけ杳馬の視線が足元を向いたのだ。そこには掛け軸とそれによって覆われていた一部分だけ窪んだ床があり、自分の足が嵌ってバランスを崩させたのである。その場所は杳馬が師範代を倒した一撃を放つ為に踏み抜いた場所だった。
(今だ!もうこれが最後のチャンスだ!)
行人は転ばされながら、この窪んだ床の正確な位置を探していたのだ。掛け軸を投げつけたのも即席の罠を隠す為に必要だったからである。これが昼間ならばまず通用しなかっただろうが、現在は夜で道場内は闇で包まれている。更に小宇宙は身体能力を強化し常人を超えた反射神経をもたらしても、無機物の罠を見抜くような力はない。
行人は全身を弓のように振り絞り渾身の『刺突』を放つ。
行人は自分の容姿を見た時から使ってみたい技があった。それは志那虎伊織の必殺技である『雷光流転剣』である。(剣で放つ場合と拳で放つ場合の2パターンある)この技は一瞬のうちに剣で5発の突きを繰り出す技なのだが、そのスピードはペガサス流星拳の約半分の速さを誇る。小宇宙の概念が無い世界なのにこれなのだ。どれだけ出鱈目な技なのか分かるだろう。故に行人が剣術で最も修業したのが『刺突』である。まだ1発もその領域に達していないが、いずれ完成させてみせるという行人の決意は固い。そして修業の成果により、師範から様々な条件の下に禁じられる程の危険な技になった。
一つ、相手が行人より強者かつ年上である事
一つ、相手が防具を着ている事
一つ、師範の立ち会いが必要である事
といった具合だが、今回はその禁を破ることにした。
(殺らなきゃ殺られる!)
たかが竹刀と侮る事なかれ。『牙突』で有名な新撰組の斉藤一は晩年、竹刀で宙吊りの缶を貫通させたという。竹刀にはそれだけの攻撃力があるのだ。
行人の剣先が杳馬の喉元に真っ直ぐ向かっていく。そして触れるか触れないかのところで杳馬が動いた。
なんと後ろに仰け反る事で必殺の一撃を回避した。
「くたばっちまいな、糞餓鬼。」
下にいる杳馬に胴体を切り払われ、行人の体が宙に浮きそのまま杳馬の体を飛び越える。
「~~~~~ッ!!」
あまりの激痛に床の上で悶絶する行人を尻目に杳馬が勝ち誇る。
「中々良い一撃だったぜ。テメエに残っているものといや奇策しかねェからな。声を出さずに放ったのも評価してやる。ただ、その行動は俺に気づかせないようにする為だったんだろうが……」
殺 気 を 出 し て ちゃ 意 味 が ねェ だ ろ ?
行人は杳馬が指摘した箇所を聞いて納得し、自分への怒りを抱いた。
(俺はなんて馬鹿なんだ。最後の大事なところで致命的なミスをするなんて。)
修業不足など言い訳にもならない。その選択肢を選んだ以上、成功させねば意味が無いのだ。未熟な己を恥じながらも剣を支えに立ち上がり、構えながら杳馬を睨みつける。せめて心までは負けてやるもんかと意志を込めて…。
「餓鬼にしちゃ楽しめたぜ。じゃあな、これで仕舞いといこうか。」
杳馬が行人の脳天に向かって唐竹割りを放つ。
行人はその光景を睨みつける事しかできなかった。木刀が自分に振り下ろされていく。心臓の鼓動があらゆる雑音を遮断するほど高鳴り、全神経が絶体絶命の危機を察知し研ぎ澄まされていく。すると突如不可思議な現象が起こった。
ゴウッッ!!
一陣の風が吹いたかと思った次の瞬間、あれだけ苦労していた杳馬の動きがスローに見えていた。それはひょっとしたら走馬灯という現象に近いのかもしれない。行人は無意識のうちに、死の瞬間に今までの人生を振り返ることができる時間を杳馬の動きを見切る事に使っていた。
(体が鉛のように動かない。これじゃ躱すことも反撃もできないじゃないか!)
せっかく見切れたのにこれでは意味が無い。諦めかけていた時に、一つの案を思いついた。自分の持ち技の刺突である。これなら正眼の構えからも放てないことはない。だが普通に放っても躱されるだけだ。ならば……
Side:Youma
(ちょっと勿体無かったかな?)
子供で俺に勝負を挑んできた奴なんて初めてだったから、この戦いが終わる事に物悲しさを感じちまう。実際、この餓鬼は俺が驚く程粘りやがった。普通だったら胴に与えたダメージで泣き叫んでも可笑しくないのに、耐えて俺を睨みつけてきやがる。もし不満があるとすればこの餓鬼が弟の方だという事だな。お兄ちゃんの方ならもっと容赦無く痛めつけられるんだが。
そもそもここへ杳馬が来た理由は、魔星に目覚めた事で得た力の肩慣らしの為である。今回の聖戦で必ず我が兄クロノスに復讐し、神の座に帰り着いてみせる。再びカイロスとしての生を取り戻すのだ。そんな決意を抱いて行動していたのに、偶然にも互いを思い合う兄弟を見つけてしまった。仲の良い兄弟を見ると、どうしてもいつもの悪戯心が出てしまう。何故なら自分を人間に堕としたのは他ならぬ兄だったために、杳馬の兄嫌いは相当なものだった。
(これで仕舞いだ。死にはしないが、頭を強く打ちつけられちゃただじゃ済まねェだろうなァ。)
行人の頭目掛けて下される木刀を見ながらそんな事を考えていたが、杳馬の感覚が警鐘を鳴らし始める。早く止めを指せと。
(ん?この感じは……。)
それは自分達の間では馴染み深いものだった。行人の体からほんの僅かだったが、確かに小宇宙が感じられたのである。元とはいえ神である自分だからこそ気づけた位の微量さだった。
死に直面する事で小宇宙に目覚める者が極稀に現れる。聖闘士の修業も基本はこれを元にしている。死と隣り合わせの厳しい修行で、所謂『火事場の馬鹿力』的な形で小宇宙を引き出すのだ。行人に起こっていた状況はそれに一致していた。
だが行人の竹刀は杳馬に向いてはおらず、その剣先は木刀のただ一点を狙っていた。師範がつけた傷である。そして杳馬の膂力から生まれた力で竹刀に叩きつけるという形になった。
バキッ!!
鈍い音と共に杳馬の木刀に亀裂が走り、折れた剣先が宙を舞う。重力に従って落ちてきた剣先は回転しながら……
行人の頭上に直撃した。
疲労がピークに達していた行人にその衝撃は凄まじく、床に大の字になって気絶してしまった。
「は?」
杳馬は呆気に取られて目が点になっていた。今、奇跡のカウンターを成功させたとは思えない末路である。
(あ…ありのまま今起こった事を話すぜ。俺は餓鬼の脳天に木刀を叩きつけたと思ったら、気が付いたら木刀は折られていて、負けを覚悟したんだが次の瞬間、餓鬼の方が倒れていた。何を言っているのか分からねェとは思うが、俺にも何故こうなったのか分からねェ…。頭がどうにかなりそうだった…。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃ断じてねェ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。)
どうにかパニックの頭を落ち着かせて、出口の方に目をやる。月明りが闇を切り裂き、中から現れたのは複数の大人を引き連れて向かってきている歩の姿だった。しかしその歩達はまるで彫像の様に固まっていた。
(コイツらはどうしようか。)
実は歩達はとっくの昔に戻っていたのである。思ったよりも早く帰還された事に気づき、面白くない杳馬は『時を止める』能力で歩達を足止めして制限時間を延ばしていたのだ。いつもならイカサマに気づかない方が負けなのだという理屈で押し通すが、今回は状況が違った。
自分の攻撃方法である木刀は折られ、制限時間は過ぎており、しかも行人への闇の一滴は不発に終わった。格下と思っていた人間にここまでヤられて敗北を認めなければ、自分は本当に負けず嫌いの子供である。
(そういや俺は飽きれるほど生きてきたけど、何かを育てた事は無かったなァ。)
血の匂いの立ち込める闇の中、白い三日月の上に爛々と輝く赤い星が二つ倒れている行人の体を照らしていた。
最近現実の方が忙しいので、少し更新が空くかもしれませんがどうか楽しみにしていてください。