同調率99%の少女 - 鎮守府Aの物語   作:lumis

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 神通が名取の訓練指導中に提督が館山から戻ってきた。五十鈴との事、名取の訓練のことについて悩みを打ち明ける神通。それに提督は優しくも厳しく答える。


神通と長良型の三人

 昼休憩を終え、神通は名取を連れてプールに着いた。工廠で艤装を受け取り、プール設備出入り口から入ってプールサイドに姿を見せた。

 そこにはいるはずの二人の姿はない。デジャヴを感じた。

「……いないですね。」

 まさか待機室の時と同じセリフを呟くとは思わなかった。神通は困惑した。なぜ五十鈴はいない。まだ昼休憩が続いているのか?

 

 必死に状況を整理し、想像を張り巡らせていたところ、プールではない場所から砲撃の音が聞こえてきた。

 

(これって……まさか。)

「名取さん。ちょっとここで待っていてください。」

 

 名取の返事を待たずに神通はすぐに同調してプールの水面へと降り立ち、横断して海側の水路へと続く中間の通路に入った。そこからなら、ほとんど障害はなく工廠前の湾が見える。プール設備の方が海抜は高い。

 そして水路の上から神通が見たのは、湾の真ん中で的を使って長良に砲撃をさせている五十鈴の姿だった。

 

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 神通は我が目を疑った。気まずいからといってここまでするのか。本性の五十鈴とはどこまでへそ曲がりなのだ。自分が悪いからと仲直りの心構えを整えていた神通はその思いが瞬時に瓦解するほどの怒りを湧き上がらせた。

 

 この私が至らなかったから、謝って仲直りしてあげようと思っていたのに。

 傲慢とも取れる解釈と思考を進めた神通はいますぐ行って話をしたい衝動に駆られた。しかしながら名取を置いてはいけない。自分に課せられた役割を思い返すと、神通は違う場所で訓練をしている二人をただ眺めることしかできない。

 その時、右後ろから声が聞こえた。

「あ、りんちゃんもりょうちゃんもあっちの海にいるんだね~。よかったぁ。」

「名取さん?」

「うん。私、てっきり二人に置いてけぼりになったかもって心配になったから、姿見れて安心したよ。」

 神通が右に振り向くと、名取がいつのまにか中間水路傍のプールサイドに来ていた。

 

「私も……二人みたいに海に出てああやって別の訓練したいよぅ……。私、いつになったら水上航行っていうのまともにできるようになるんだろ……はぁ。」

 神通はハッと息を飲んだ。初めてこの人からやる気をほのめかす一言を聞いた気がする。

 このおっとりオドオドほんわかな人はこの1週間と数日の失敗の毎日でも、先に進みたい欲求を諦めていなかった。

 自分の感じ方・思い方だけに囚われていてはいけない。今回の主役は自分などではない。名取と長良なのだ。とりわけ自分にとっての主役は名取だ。彼女のために動かないでどうする。

 神通は優先度を考えた。今は自身と五十鈴の会話よりも名取だ。同じ場に五十鈴たちがいないのは、むしろ好機なのではないか。

 

 そう決めた神通は、提督と別れる前に話した訓練の相談話を思い出した。

 

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「それはそうと、ちょっとこっちおいで。」

 提督は手招きをして神通をフェンスの間近まで呼び寄せた。神通は一瞬後ろに視線を送ろうとするが、提督が手招きとウィンクをしたのでとりあえずフェンス側まで向かった。

 提督のいる外のほうが地面が低いため、神通はしゃがんで顔を近づける。提督は見上げる形にはなったが、相手が近寄って聞く体勢になったので一瞬外に向けていた視線と顔をプール側に向け直して再び口を開いた。

 

「あのさ……って、うおぉ!?」

「え!?」

 

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 神通は提督がのけぞり、瞬時に顔を赤らめたのを目の当たりにした。突然態度を変えて照れを見せている目の前の相手に呆けていると、提督は戸惑いながら弱々しく神通に告げた。

「えぇと……あの~、非常に言いづらいんだけど、その座り方だと……俺の目の位置だと…………が見えてしまってね……」

 

 神通はさらに呆けてゆっくり視線を下に下ろす。提督の最小のボリュームの声で言われたことの意味を瞬時に理解した。

 

バッ!

 

 すぐに立ち、座り方を変える。そして神通は頬を赤らめながら一言、謝った。

「も、申し訳……ございません。殿方に……みっともない体勢を。」

 普通の女子高生ならば相手をやり込めるほどのセクハラ指摘をしそうなものだが、神通は低頭するかのごとく申し訳無さそうに謝ることしかできなかった。そもそも自分の下着が見られた見られない等の悶着なぞ今まで一度も体験したことがなく、またその手の騒動には無縁だったため、反応に困ってしまう。

 そのため提督に対して、怒るなどという反応は神通の辞書にはない。

「あ、あぁ気をつけてね。俺もうっかり覗く形になってしまってすまない。」

 中学生かよと思うかのごとくお互い赤面して頷き合う提督と神通だった。

 

 

--

 

 気を取り直して提督は問いかけた。

「ええと、当の訓練はどうなんだい? 一応五十鈴から毎日報告は聞いてるんだけど、たまには君たちから生の声をね?」

「え……と、あの。思うように進ませてあげることができていません。私の力不足です。長良さんは……五十鈴さんが担当していて先に。」

 神通が申し訳なさそうにオドオドと報告を口にすると、提督は明るい声で返してきた。

「そうか。まぁ遅れなんてあまり気にしないでいいよ。厳密に期限が決まってるわけじゃないんだから、その人のペースややる気に合わせて着実に、ね?」

「は、はい。それはわかっているのですが……やはりサポートする身としては……」

「不安かい?」

 提督の問いに神通は言葉なくコクリと頷く。それを確認して提督は続けた。

 

「ちなみに神通は名取をどのようにサポートしているんだい?」

 提督のさらなる問いかけに神通は呼吸を整えて一拍置いてから答えた。

 名取が転んだ時に立つのを助けたり、アドバイスをしたことを連々と述べる。アドバイスに関しては何度同じことをしたか覚えていない。おおよその回数を大げさにして提督に報告した。

 すると提督はまゆをひそめて苦笑いとも怒りとも笑顔ともつかない微妙な表情を作る。神通はその顔を見て、何かまずいことを言ったのだと察し静かに待った。

 

「そのサポートは……ちょっと違うな。いや、広い意味で見たらそういう行動もサポートなんだろうけど、君のサポートはちゃんとした意味での支援とはまだまだ言えない。」

「……え?」

 褒められるとは思っていなかったので多少の心構えはできていたが、提督の言った意味がよくわからず一声変な反応をしてしまった。提督は目の間の少女の反応を待たずに続けた。

「サポート、つまり支援っていうのはさ、単にその人が困ったときに助けてあげるだけじゃなくて、その人の環境、つまり周りの物事を整えてあげることも、支援なんだよ。」

 

「その人が……困ったとき、だけじゃない?」

 神通は提督のそのアドバイスにグサリと胸に何かが刺さったように感じた。その捉え方はなかった。

「あぁ。行動の後だけじゃなくて、行動の前にも助けられるようにするんだ。君はみんなの訓練の指導をしていく上ですでに気づいているものかと思ってたけど……どうだい?」

 提督の言葉に神通は頭を横に振った。そして思い返す。

 これまで神通がしてきたのは、名取の水上航行の練習を見て、アドバイスを与えて、そしてまた見るだけだった。たまに立ち上がるのを補助してあげるくらいだ。

 今までの自分の行いを振り返ってみると、そこまで深く考えてサポートという立場に立って行動はしていなかったと気づいた。提督が言う支援には程遠い。

 

「そうか。それじゃあこれからだ。これからそうしてあげればいい。」

 あっさり言う提督に神通は尋ねた。

「え……と、具体的にはどうすればいいんですか?」

「名取が取り組みやすいペースや環境を作ってあげるといいんじゃないかな? あるいは、君自ら率先して動いて何かを見せてあげる。一緒に体験してあげるとか。まぁやり方は色々だな。というか五十鈴と訓練の進め方を相談しなかったのかい?」

 神通は頭を横に振った。

「話し合うことも、サポートをする上では大事なんだよ。君たちの基本訓練の時は、那珂と五十鈴はしょっちゅう話し合ってたぞ。君たちが見えないところ、俺が知らないところでね。あの二人はかなり綿密に考えていたみたいだ。それでも100%の成果をあげられなかったって反省を最終報告ではしていたよ。」

 

 当時の指導役であった那珂と五十鈴の苦労が今になってわかった気がした。

 とはいえ先の通常の訓練では、自分はカリキュラムを作成して那珂と時雨・五月雨に伝えて確認してもらっただけで、実際の指導は那珂と時雨が行っていた。だからまだまだ二人の本当の苦労を理解したとは思えない。

 結局同じ意識のまま、名取の訓練のサポートに取り組んでいるにすぎない。

 

 神通は提督の言葉を受けて必死に思い返し、自分が至らなかったのを反省した。

「あまり深く考えこまないでくれよ。もうちょっと気楽にさ。なんだったら俺も一緒に見てあげるからさ?」

 提督は神通が眉間にしわを寄せてさらに考え込んでいることに気づき、そう声をかけた。神通はまた大人に気を使わせてしまったことに気が咎めた。

「あ……いえ。あの、すみません、ご心配かけて。私、一人でやってみます。」

「そっか。うん。期待してるよ、頑張ってな?」

「……はい。ありがとうございます。提督のアドバイスで……うまくできるかもしれません。」

 

--

 

 長く思い返したようなわずかな回想、神通は提督のアドバイスを反芻した。

 

・名取が訓練しやすい環境を作ってあげる

・疑似体験させる

・見ているだけではなく、自ら動くことが大事

 

 提督が言いたかったのはこういうことだろう。アドバイスの重要点を必死にまとめた。

 そして神通は顔を上げてしっかり名取を見た。

 

「あの、名取さん。私と一緒に水上航行しましょう。私が手を引いて動きますから、名取さんはバランスを取ることだけに集中してみてください。」

「え? じ、神通ちゃんと一緒に? それって……」

 

 名取が疑問を感じて俯くより早いか、神通はすぐさま名取に接近し、右手で彼女の左手を手に取り、プールの先を見据えた。神通が手を引っ張って方向を整えたため、神通の一歩右後ろながら、名取も自然と同じ方向を向く。

 突然の行動に名取が戸惑いながら問いかけた。

「うえぇ!? あの、えと……神通ちゃん?これからどうするの?」

「……こうします。」

 

スゥーーー……

 

 神通は名取の左手をギュッと握りしめながら、一歩右足を前に踏み込み、左足の艤装の主機に念じ、推進力をゆっくりと発生させた。やがて最初に踏み込んだ右足に左足が並ぶ。そして左足が一歩半分前に出たと同タイミングで右足の主機からも推進力を発生させて水上を滑るように航行し始めた。

「ふわぁ!!ちょ、神通ちゃん!!」

 

 名取は神通の右後方で足をつっかけて転びそうになるが、神通が速度を調整したおかげでもう片方の足を前に出して必死に神通に追いつかんと耐える。神通は名取の足元から水が跳ねる音を聞いた。跳ねる音はその後神通自身と同じような水を静かに切ってかき分ける音に変わる。それを聞き届けると神通は速度を上げた。

 

「速度、徐行から歩行に移行します。名取さん、姿勢ですが……立ったままで、気持ち的には重心を足元に思い切り下げるイメージで。私が手を引いていますから、少し私の手を引っ張るくらいしゃがんでしまってもかまいません。艤装が自動的にバランスを取ってくれますから、私を信じて、任せて。」

「う、うん。」

 ハキッとしたしゃべり方で、優しさが数%消えたような、しかしながら確かに自身の身を案じてアドバイスをして引っ張ってくる神通に対し、名取は相変わらず戸惑うことしかできない。

 神通はチラリと右を振り向いてアドバイスをする。名取の表情までは見えない角度なので、神通は名取がうまくバランスを取れていることだけを簡単に確認してすぐに視線を進行方向に戻す。

 

 プールの対岸に近くなってきた。空母艦娘用訓練設備側のプールサイドだ。完全に到達する前に神通は身体を左に倒し、足の艤装の主機をほんの少しだけ11時の方向に向ける意識をする。

 緩やかなスピードで神通は左へ曲がりだした。牽引されている名取はほんの僅差遅れて左へ曲がりだす。名取本人的には速度が出ているということはなく、ただひたすら神通に身を任せ、後は転ばないようバランスをとっているだけである。

 しかし艦娘としての本分である水上航行の気持ちよさは味わっていた。

 

「うわぁ~~。すごい。これが……みんなが見てる、水の上なんだぁ~。」

 神通は右後ろから名取の今までにない明るくはしゃぐ声を聞いた。おっとりとした声は誰かさんを彷彿とさせる。彼女も最古参といいながら、若干不安な面があった。あれでもう少し口数が少なく物静かであれば好きなタイプだが、そんな好みは自身が手を引くこの一学年上の後輩艦娘が体現していた。

 

「どう、ですか? 水の上を自由に動くのって。」

「うん! とっても楽しい!こんなことができる人たちがいたんだなって思うと、なんだかとってもワクワクしてくる!」

「よかった……。その楽しいという気持ち、大事です。」

「うん。」

「その“楽しい”を、名取さん自身の身で実現して味わってみたいと思いませんか?」

「……うん。思うよ。自由にこんな楽しいことができたらなぁ~。りんちゃんやりょうちゃんはすでにできてると思うと、ちょっと悔しい。」

 

 名取の言葉に神通は満足気に微笑み、そして緩やかに速度を落とし、徐行、やがて完全に停止した。

 

--

 

 手を繋いだまま、神通は名取の方を向いた。

「フフ。わかってもらえて、嬉しいです。」

「でも神通ちゃん。いきなり、どうしてこんなことを?」

 これまでただ見て、たまに立ち上がるのを助ける程度だった神通のやり方が午後になって急に変わったことに、さすがに名取もおかしいと気づく。

 神通は提督と話したことは伝えず、代わりに自分の考えをかいつまんで述べた。

「今までのやり方では、名取さんに対して何にも身になる支援をできていなかったって気づいたんです。えぇと、その。うまく伝わるかわからないんですけれど、数週間前までは今の名取さんと同じだった私がここまで出来るようになったんだよっていう証拠をお見せしたかったんです。指導する側の人間が、なんにも見せないで、さあやりなさいって言ったところで、訓練する人はついてこないと思ったんです。」

 

 神通の告白を黙って耳に入れる名取。

 二人が停まったことで、プールの水面に発生していた波紋はほとんど消えて穏やかな水面に戻りつつあった。

 

「だから、私が水上航行する姿を間近で見せたくて。でもただ見せるだけじゃ名取さんにコツを掴んでもらうのは難しい気がして。それなら……私が手を引いて一緒に動いてもらえばいいんだって思ったんです。」

「……ありがと。神通ちゃんはすごいなぁ~。私運動音痴だから何やってもダメで。きっと私じゃあなたみたいになることはできないよ。今まで何に対しても避けて過ごしてきたし。多分そこが……積極的に動ける神通ちゃんと違うところだよね。アハハ……。」

 明るく振る舞いつつも哀愁を漂わせるその口ぶりに神通は素早く切り返した。

 

「そんなことありません! 私だって艦娘になる前は何に対しても逃げて……いえ、何もしてきませんでした。積極的だなんてとんでもないです。名取さんと違って、私には友達はほとんどいないし、根暗な自分に満足も不満も持たずに、ただ漠然と生きてきただけです。」

「でも……神通ちゃんは変われたんだよね?」

 名取の問いかけに神通はコクリと頷いて明かした。

「はい。」

 

 返事をしながら思い返した。神通自身、進みが遅くて川内に遅れを取っていたことを。それなりに訓練を積んで自信がわずかについた今でも川内や那珂に追いつける自信はない。

 それゆえ神通にできるのは、基本訓練以外の運動やそれまでの訓練の復習をただひたすら重ねることだけだった。そうしなければ、他人どころか今までの怠惰な自分にすら負けそうな気がした。

 神通は混沌とした思いを飲み込み、うまく伝わるかどうか怪しかったが頭のなかで整理して独白し続けた。

 

「今まで……何に対しても受け身で変わろうとしなかった自分がそこまでやれたのは……こんな私のお友達になってくれた那珂さん・川内さんの期待に答えるため、今までの生活ではあり得なかった人たちや世界を知れたことで、もっとこの世界を楽しみたいって思う、役に立ちたいって思えるようになったことなんです。」

「楽しみたい……気持ち?」

 

 神通は再び名取の手を握る強さを高める。

「はい。だから、さっき名取さんが感じた楽しいと思う気持ちは、大きな前進だと思います。楽しかったんですよね?」

 神通が凛とした目つきで名取を見ると、名取は弱々しくしかし着実に視線の角度を上げて神通の顔を見ようとする。

「……うん。さっき神通ちゃんに手を引いてもらって水上航行した時は、今までで一番楽しかったし気持ちよかった! りんちゃんに頼まれなかったら、艦娘になろうなんて絶対思わなかったし、あんなに楽しい体験出来なかったと思うの。正直……りんちゃんに艦娘のことで協力するって言ってから今のいままで、本当にこんなんでいいのかなって疑問に思ってたの。私、流されるのかなぁって。でもお友達だから断りづらいし、同じ高校の私達がお願いを聞いて艦娘になることでりんちゃんを助けてあげられるなら、私さえ我慢して済むならそれでいいやって。訓練始まって、私思うように動けなかったから、ますます自信なくしちゃって……。」

 やや鼻息荒く喜と哀が入り混じるセリフを口にし続ける名取。神通はそれをコクコクと相槌を打って聞いていた。

「でも、さっきの体験してやっと、私も艦娘やってみたいってはっきり思えたよ。りんちゃんやりょうちゃん、それから神通ちゃんたちと一緒に海の上を進んでみたい。ねぇ神通ちゃん、もう一度さっきみたいに手を引いて動いて……くれる?」

 

 神通は目の前の少女がついに自らの意思でもってやる気を示したことを目の当たりにし、俄然やる気に燃え始めた。その中の思いには、自分よりできないからという軽蔑の色を持っていたことを反省し、彼女のためになんとしても力になってあげるという、当初からの念を100%にしていた。

 

「わかりました。それではもう一度しましょう。」

 

 そう言って神通は今度は左手で名取の右手を掴んだ。掴むために水面を歩いて名取の右側に移動した。立ち位置が逆以外は、さきほどと全く同じ体勢になった。

 そうして始まった名取の手を引いた水上航行は、やはりさきほどとは逆に、今度は時計回りにプールを大きく回ることにした。

 

--

 

 同じことをもう一度行い、神通はひたすら名取に間接的に艦娘の水上航行の感覚を教えこませた。次の回で、神通は途中で手を離して名取についに一人で水上航行をさせるつもりでいた。

 しかし神通の考えは名取の発言に先を越された。

「あの……神通ちゃん?私、そろそろ一人でやってみようと思うの。」

「え? ……うん、わかりました。ちょうど、私もそう勧めようと思っていましたので。」

 

 神通は速度を落としてひとまず停止し、きちんと言い渡して名取に心構えをさせた。そして自身は名取の手を握り直す。が、今度は緩めに握っている。

「いいですか。ここからは、しっかりと想像してください。自分が、水上を滑っている様をイメージするんです。そうですね……スケートとか、スキーとかを思い浮かべるといいかもしれません。」

 自身が当時アドバイスされたことだ。結局自分もウィンタースポーツをしたことがなくイメージできなかった。

 何度名取に同じことを言ったか覚えていない。果たして今回はどう反応するか。

「う、うん。頑張ってみる。今なら……感覚が分かる気がするよ。」

 心よい返事がもらえたので神通はコクリと頷く。

 

 そして神通は今まで数回繰り返した通りに名取の手を引いて航行し始めた。しかし今度は途中で手を離して名取から離脱する目的である。

 プールの縦の直線上に立った。速度を緩めずにそのまま進む。名取を握る手を一端ギュッと強める。プール全長の約三分の一まで到達したところで、名取の手を握る力をゼロにし、自身の航行速度を一気に早めると同時に2時の方角へ逃れる。それらをほとんど同時に行った。しかし視線は名取に向くよう、すぐに進行方向を0時の方角に向けて直進し、いわば車線変更のように振る舞って名取の直進ラインから外れたことを確認すると左後方を向いた。

 

「そのまま進む勢いが続いてることを意識して!想像してください!!」

 神通がそう叫ぶ。すると名取はやや裏声じみた大声で叫んだ。

「は……ひゃぁあい!!」

 

 その直後、神通が目にしたのは、手を離す直前とほとんど変わらぬ速度で水をかき分けて水上をまっすぐ進む名取の姿だった。

 

「わ、私……でき、てる!? 進めてるーー! やった、やったよ~~神通ちゃああん!」

「はい! そのまま、まっすぐに。」

「はーーい。」

 

 名取は自分の意志で、自身の艤装のコアユニットに念じ、水上航行ができるようになった。名取の想像力は漠然としたものであったが、彼女の艤装はそのイメージを補完し、彼女に水の上を緩やかに進むだけの推進力を与えていた。

 名取を見続けてから一週間と2日、神通はようやく目の前の少女の今までとは異なる動きを見ることができ、喜びひとしおといった心からの笑みを浮かべる。

 

 その直後、止まる術を聞いていなかった名取がプールの対岸に激突してプールサイドに倒れこんだのは唯一のオチとなった。

 

--

 

 その後1時間かけて同じことを繰り返し、名取はようやく自分の力で発進から水上航行をできるようになった。ただ綺麗に止まることはできないため、必ずつんのめりそうになり、そのたびに神通が駆け寄って倒れ込みそうになる彼女の腰や肩に手を当ててカバーした。

 ほどなくして名取は足腰が悲鳴を上げたため体力の限界を訴えた。神通はプールサイドに促して腰をおろして休憩を取ることにした。

 

「どう、ですか? 自分の力で水上航行ができるようになってみて。」

 そう神通が尋ねると、これまでの根暗そうな反応とは打って変わって明るい、のんびり淑やかそうな振る舞いでもって名取は答えた。

「うん。楽しいよ。普通の運動とかも、こうして動けるようになると気持ちいいんだよね、きっと。」

「そう……ですね。私もそのへんは未だにわかりませんけど。」

「アハハ。お互い運動苦手だもんね。」

「私は……本気で運動の経験は体育以外になかったです。けど、艦娘になって本格的に身体を動かし始めたら、意外と動けたので……今まで自分の身体能力の可能性を奪っていたのかもしれません。そう思うと、無味乾燥な生活を送っていた今までの自分が憎いです。」

「私の場合は、本気で運動音痴だから、自分はずっとこのまま仕方ないんだって思ってたから、違うことでみんなと仲良くできればいいやって諦めてた。」

 一端深呼吸をして空気を整える名取。

「……私、神通ちゃんみたいになれるかな?」

「え?」

 

 突然影を落とした声で名取はそう吐露してきた。神通は意味が理解できずただ聞き返す。

「私も、自分を変えたいって願えば、変えていけるのかな……。」

「……できます。私だってまだまだ足りないんです。名取さんだって、私とスタート地点はそんなに変わらないと思うんです。」

「神通ちゃん……。」

「だから、一緒に、やっていきましょう。私達のペースで。」

「……うん。神通ちゃんとなら、なんかやっていけそうな気がする。」

 お互い似た性格のためか、気が合うと感じるのは容易かった。それはいままでにも吐露しあったことのある気持ちではあるが、この時は達成感がその確認と心情の共有をさらに推し進めていた。

 

--

 

 腰を上げて再び水上航行の訓練をする名取と神通。もう1時間経つ頃には、名取は停止もかろうじてできるようになっていた。ただ速度を徐々に緩めてエンジンブレーキのように自然に身を任せて止まるのみだが、それでも大きな前進と神通は評価した。

 何度目かの航行の後の休憩時、名取は突然神通にまっすぐ視線を向け、意を決したように神妙な面持ちになって言い出した。

「ねぇ神通ちゃん。私もやっと自分だけで動けるようになったから、りんちゃんのところに行かない?」

「……五十鈴さんのところにですか?」

 

 ついにこの時が来たと感じた。今なら、五十鈴に対してまっとうな理由と自信でもって謝らせることができる、神通はそう確信を得ていた。

 その材料は今の名取だ。

 

「私、やっとあの二人と一緒に訓練できそうだから、早くこのこと伝えたいんだぁ~。」

「そう……ですね。はい。行きましょう。」

 思惑は異なるが、向かう先は同じ。神通は密かに深呼吸をして返事をした。

 

 神通はプールを湾側に向かって進み、演習用水路とプールを繋ぐ中間通路に再び入った。

 少し手前で名取を待たせ、水路間を移動しやすくするための可動式の壁を動かすスイッチを入れ、その切替ポイントを利用する旨の説明をして先に湾に入った。

「さ、名取さん。私ここで待ってますから、思い切って来てください。ここから先は……海です。」

「じ、ジャンプするの、怖い~。」

 名取はこの2時間ほどですらやったことがない、水面での跳躍に恐怖心を抱く。若干の高低差がついたため、湾側から名取を見上げていた神通は、自身の時は那珂と五十鈴がそばに居てくれて万全なサポート体勢でだったなと思い出した。対して名取にとっては自分だけ、加えて互いに似た控えめな性格だ。恐れるのも無理はない。

 しかし神通の思いは、こんな自分でもできたのだから、きっとできるという相手への過大評価が占めていた。

 名取はゴクリとつばを飲み込んだ後決意して動いた。

 

「じゃあ……副島宮子、い、行きまぁす!!」

 自身の本名を名乗って手を挙げて宣言したあと、名取は一旦しゃがんでからジャンプした。可動して坂になった壁に着水し、傾きに従って自然と落ちていく。

 

 名取と神通では艤装の足のパーツの作りが異なる。脛の下半分から足の裏までを実際の船の船体を小さくしたようなパーツで覆っている。いわば長靴のように履く、それにより水面に浮いた状態であっても身長に違いがハッキリ表れる。

 神通は一度五十鈴の姿を見て自身ら川内型の艤装の姿と見比べて知ってはいたが、艦娘でも姉妹艦は同じ作りなのだなと感心した。

 坂となった壁を滑り落ちる名取は、足による踏ん張りが効かないようだった。素足に伝わる感覚はほとんどないため、自然にではあるが徐々にスピードが上がって滑る。

 神通は途端にスピードがあがって滑り落ちてきた名取にハッとしてすぐに身体を支えようと立ち位置を変えた。

 

ザブン!!

 

 名取を押すように手を伸ばして勢いを殺したおかげで名取は海上に落ちてもバランスを取って平然と浮くことができたが、殺された勢いを受け継いだ神通は衝撃に耐え切れずに海面に尻もちをつくように倒れた。当然尻からは艤装の浮力などは発生しないため、神通は尻から“く”の字になって沈む。慌てて姿勢を正常に復帰させ、気を取り直すと心配げに名取が手を差し伸べてきた。

 

「ご、ゴメンね神通ちゃん。大丈夫?」

「は……はい。なんとか。」

 

 恥ずかしいところを見せてしまったかも。神通は余計な心配をして頬を赤らめて湾の方に視線と意識を向けてごまかした。

 


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