「ヘル。これは」
「私から言うことはない。おまえがどう思うかだ。私が何か言ったところで、おまえ自身が納得せねば意味がないだろう」
「…………」
「ただ、例え騙されていたとしても、おまえが彼女と過ごしたその時間は真実だ」
そうハリーは知ってしまった。サルビア・リラータの真実を。
病に侵され、闇に沈み、それでも生に縋りついた少女の真実を。
到底現実のサルビアとは似ても似つかない印象。だが、そうしかし、そうだハリーは知っている。この気配をその存在を。
醜く腐り、それでも生きる執念を燃やす烈火の意志を知っている。
夢だと思って現実で否定したものが、現実でない夢に真実であると肯定される。ゆえに、この手記は真実であるとハリーの中の■■■■■■が肯定する。
そして、生じるのは実に人間らしい感情で。
「…………」
それゆえに――、
『■■■■■■■――』
全てを羨む■が鎌首をもたげ、病がここに顕象する。
ここは夢界。こんなことも起きるのだというお手本。なぜならば、夢の世界は常に誰かの意思が介在しているのだから。
全てが混ざり合う不確定の空間において、それは悪手。なぜならばここには全てがあるのだから――。
「ガッ――」
その瞬間、ハリーを襲ったのは病だった。
「――――」
声すらあげられない。ただの一瞬で健常であったはずの肉体が末期がん患者へと変貌する。ただのそれだけでハリーは動けない。
脳が攪拌される。脳が溶ける。脳が腐る音が響く。
手が、脚が、身体の中に何かが這い回っている。痛みがない場所などない。動いていないのに視界が回転している。
血を吐いた。紅いはずの血が一瞬にしてどす黒く変色していた。息をしても酸素は肺に入らない。むしろ息をすればするほど気道が引き裂け、粘膜が焼けただれるかのよう。
そんな彼の首に手がかけられる。辛うじて見えたのは、木乃伊のような死体が妖しく眼孔を輝かせて首を絞めているとう光景。
その瞬間、その死体の思念が流れ込んできた。
羨ましい、羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい。
どうして、私が生きられないで、おまえが生きているんだ。こんなにも生きたいと、死にたくないと思っているのに。どうしてお前が生きられて、私が死んでいるんだ。
「サル、ビア……」
私が死んでいいはずがないだろうが――。
純粋な生への渇望。これほどの、いやこれ以上の苦しみを身に受けてなお生きることを諦めなかった規格外の意志。
それがまるで力になっていると言わんばかりに細い干からびた腕がハリーの首を万力のような力で締め上げる。
これがサルビア・リラータの真実だ。そう鬼畜外道である。だが、どこまでも純粋に、誰よりも強く生きることを願った者。
それがサルビア・リラータ。
そして、ハリーは――………………。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「さーサルビアー、今日はお父さんと寝ましょうねー」
「…………」
高度な魔法戦を繰り広げた後、サルビアの父はサルビアを抱き上げていた。
――おかしい、なんだこれ。
サルビアの内心はこれに尽きた。
いつもいつもナイアに眠らされてこの
なぜ、目の前のことの男はサルビアと戦って平然としているのかということだ。
覇気もない、妄執もない。ただ健常なだけの男に、なぜサルビア・リラータが敗北を喫しているのだ。
理解不能。
結局、最後は体力勝負になる。
殴り合いに持ち込んでも全て躱される為にこちらも体力勝負なりサルビアのスタミナ切れだ。
昨年度まで重病人だったから仕方ないが夢まで使っているのに、どういう理屈かこの気持ちの悪い
いや、理屈としては理解できるのだ。
なぜならば彼はサルビア・リラータの父なのだ。
サルビア・リラータは天才である。逆説として両親のどちらかも天才でなくてはならないという単純な方程式が成り立つ。
必ずどちらかにそうなるべくした因子があるのだ。そして、それがあるのは確実にリラータの家系。つまるところ父親という生き物の家系だ。
ゆえに、父親とかいう生き物もまた天才であるのだ。
だが、それでは説明が付かない部分もまた存在している。彼は健常な人間だ。それがこのサルビア・リラータに勝てるはずがない。
意志も精神も、サルビアの方が圧倒的に上だ。
だが、勝てないのはどういうことなのか。
「ここが夢だからか」
その理屈もサルビアは理解し始めていた。
ここが夢であるからだ。術式を紐解いたサルビアはこの場所がどういう場所かを知っている。ここは修行場なのだ。
修業場であるがゆえに相手は自分のレベルにあわせて強くなる。
その結果がこの父親とかいう生物の発生理由なのだろう。優秀過ぎるがゆえに自らの首が締まって行くというジレンマ。
自らの優秀さを嘆く日が来るとは思いもしなかった。
「ふざけるなよ」
「――ふざけているのは貴様だ」
「――――」
その瞬間、何かの笑い声が響き、最悪が襲来した。
それは白のスーツを身に纏った男だった。黒髪の東洋人。
だが、ただの東洋人ではない。さながら幽鬼のような男だった。ただそこにいるだけで全てを侵食する。不安にさせる男。
それはまるでかつての自分のようだった。
隙のない凍結した鋼のような気配を纏った男。顔立ちこそ整っているが非人間的なほどその印象は温かみを感じない。
この男、決定的に人間として致命的に終わっている。
サルビアは一目で理解する。解法の透など使う必要などなく、目の前の存在は何から何まで自分と同質の存在であると理解した。
「甘粕と蝿声め、無理矢理血を飲ませたあげくこんな場所に放り込まれた時は、何を考えているのかと思ったが、こういうことか」
「がは――」
その瞬間、サルビアは血を吐いていた。
男の背に見えるのは破滅の逆十字。幾人もの人間が破滅の逆十字にくべられている。
そして、サルビアもその一端に巻き込まれた。本来ならば条件が必要であるが、この場においてはそれを必要としないだけの下地が存在している。
男の言う血と甘粕という男。これがあればこそ、この場において目の前の男は己が権能を発揮している。そうでなければサルビアが嵌ることなどないのだから。
「ふん、蝿声から聞いていたが健常になっているな。まったくもって度し難い。おい貴様、何をしている」
「なに」
「貴様、俺を差し置いて健常になって何をしているのかと聞いている。お前、少なくとも俺の系譜に連なる血が混じっているのだろう。ならば、俺の役に立てと言っている。健常になって夢に来たのだ、ならば俺の所に来てそれを献上するのが当然だろう」
身体を這いまわる病魔の気配。幾分も薄いそれ。久方ぶりに感じた病巣の感覚。
だが、そんなものなどどうでもよかった。目の前の男だ。
「この程度の理解も出来ないか。所詮、血も薄まればそこらの塵屑と変わらんとみえる。やはり、あれも恵理子の血が混じったから愚鈍というわけだ」
「…………」
男の手に熱量が集まって行く。魔法ではなく、それは夢だ。凄まじい練度で来り出される夢の波動。次の瞬間には熱線が男の手より照射される。
それを躱そうとして、立てば足が消える。相手の権能はこの場において限りなく最高出力だ。
ゆえに奪われる。かつての己が作りだした呪文のように。
しかしだ、問題ない。この程度の回復などサルビア・リラータには可能だ。押し付けられる病巣などかつて存在したものゆえに問題などまったくない。
薄まっている分耐えることなど簡単だ。
その中でサルビアは思考する。目の前の存在を。明らかに常軌を逸した権能を操るこの男は何者なのか。
少なくとも現代の人間ではない。彼に感じる歴史が古いのだ。百年ほど前の人物であることは彼の歴史を見ればわかる。
だが、問題はなぜ今、ここで出てきたのかだ。
何がトリガーになった。
いや、誰が引き金を引いたかが正しい。明らかに誰かの思惑が介在している。
「まあいい。誰であろうと私の前に立ちふさがるなら、潰すまでよ」
「貴様如きの力で出来るというのならやってみせろ。そして、寄越せよ。お前の全てを」
「いやよ。あんたが寄越せ。お前の力、私が使ってやる」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「何度も言いますがみなさん、五年生はOWL試験の年です。これの結果によって将来あなた方が就く職業の幅が広まったり狭まったりします。よって私たち教師陣は、あなた方に大量の宿題を出します」
マクゴナガル先生が授業開始恒例の言葉を叫んだ。
何度聞いてもそんな言葉に喜ぶものはいない。ハリーやロンもそうであるが、教室の大半がうげぇと叫びそうになっていた。
ただしハーマイオニーを除いて。
「いつも思うけどなんであいつ宿題であんなに喜んでるんだよ」
ロンは代表選手に選ばれた記念としてウィーズリー家一同が祝福として送った新しい杖を振りながら前の席で喜んでいるハーマイオニーを見やってハリーにこっそり耳打ちした。
ハリーは肩をすくめて答えておく。ハリーとて大変ではあるが、夢の中で考えているので、大変ではあるが難しいものではないのだ。
変身術の授業は昨年と比べても密度が濃い。どうにかこうにかついて言っているのはサルビアとハーマイオニーだけ。
そして、なんと一番はハーマイオニーだ。このところ調子の悪いサルビアを抜いて一位を独走中である。日に日に得意げになって行くのは少しだけ勘弁してほしいところがある。
最近は図書館に住んでいるんじゃないかと思えるほどに彼女は図書館にこもっている。そして、帰ってくると凄まじいほどに呪文が上達していたりするのだ。
「素晴らしい、ミス・グレンジャー。さて、ミス・リラータ。今日も集中できていませんよ」
「……はい」
「ふむ、どこか体調がすぐれないのであれば医務室に連れていきましょうか? 最初に言いましたが今年はふくろうが控えています。いつまでも体調がすぐれないのであれば――」
「……大丈夫です」
「そうですか。ですが、無理は禁物ですよ」
「……わかっています」
大丈夫だろうかとハリーが思っていると、もう恒例となった例年以上の大量の宿題が出されて授業は終わった。
大量の宿題。それは今年に入ったどの授業でも例外でない。
呪文学に薬草学は当然のように山のような宿題が出る。魔法薬学など嫌がらせか、もしかしたら親の仇とでも思われているんじゃないかと思うほどに大量の宿題が放出されていた。
睡眠授業とすら言われる魔法史ですら大量の宿題がビンズ先生の口から飛び出し、授業中を睡眠時間にあてている大半の生徒たちから怨嗟の声があがるほどだ。
授業が終われば談話室や図書館では羽ペンの立てる音が鳴り止むことはなく、日が沈んでからはそれに加えて悲鳴やらいびきやらがこだまするようになる。
「はぁ、無理だろ、こんなの」
ロンは宿題を初めて十分もしないうちに談話室の机に突っ伏する。
「終わらせても、終わらせても、次の宿題が来る。しかも、難易度をあげて」
まさにエンドレス試練とでも言わんばかり。ハリーやロンが死力を尽くして終わらせた宿題は、次の日には更に難しい課題となって戻ってくるのだ。しかも倍近い量。
寧ろ逆に終わらせなければ宿題は増えないんじゃね? とかトチ狂った馬鹿がいたが、そいつは次の日には絶望した面持ちで倍以上に増えた宿題の山を見上げるばかりになった。
「仕方ないよ」
「おお、ハリー、君はこっち側だと思っていたのに、あっち側なのかい?」
そう大仰に言って指差すのは女子二人。ハーマイオニーとサルビアである。
「そうは言わないけど、言っても仕方ないだろ? それなら、口より手を動かせってたぶん今にもハーマイオニーとかサルビアが――」
「喋っているのなら口よりも手を動かしたら?」
そう言われたからなのか、それとも初めから言おうとしていたのかは定かではないがハーマイオニーがそう言った。
「――ほらね」
「おお、神は死んだ」
「ほら、二人が教えてくれているうちに頑張って終わらそうよ」
「はあ監督生の仕事で疲れてるってのに」
そうロンは監督生になった。
五年生になると、各寮から男女一人ずつの監督生が選ばれるわけなのだが、夏休み明け間際になって学校から二羽のふくろうがやってきて、ロンとハーマイオニーがそれを受け取ったのである。グリフィンドールの監督生はこの二人。
その驚きの報にウィーズリー家はてんやわんやだったらしい。モリーおばさんなど泣いて卒倒したほど。
パーシーはようやく正気に戻ったんだねと言って素直に祝福し、双子は、お前はこっち側だと思っていたと素直じゃない祝福をしたりなどなど大変だった模様。
それに比べて女子はサルビアかハーマイオニーだと高確率で思われていたのであまりそれほどの衝撃は誰にもなかったが、ホグワーツに来てからの同級生の反応はロンのバッチを見ての驚愕が大半だった。
ただ昨年の活躍を考えれば当然かもしれないとハリーは思っている。それほどのことを彼はしたのだと素直にそう思えるようになった。
それも夢のおかげだろう。そして、夢で見たことは未だにハリーの中に残っている。
そう全て――。
サルビアちゃんにガイドつけてほしいと言っていた方がいたのでガイド呼びました。
現実ではふくろうに向けて大量の宿題。
みんな苦労してますが夢を活用できるハリーはまだ余裕。
ロンはエンドレス宿題にまいっております。
サルビア絶不調。ハーマイオニー絶好調。
その結果、順位変動。
まだまだ平和ですね。
本当、平和ですね