ハリー・ポッターと病魔の逆さ磔   作:三代目盲打ちテイク

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第67話 朝を迎えて

 視界が機能していることがおかしかった。

 嗅覚はありもしない匂いを受容していた。

 聴覚は用をなさず、ただただ身体が腐り壊れていく音だけを脳に響かせていた。

 味覚など最初からない。

 触覚は、痛みだけをただただ伝える。

 

 飽和した痛みに、脳細胞の一部がはじけ飛んだ。覚えたはずの呪文が消えた。自分という存在を構成するものが失われていく。

 天賦の才も、最上の天稟も、天才たる由縁も刻一刻と失われていく。

 

 まだ頭が破裂していないことが不思議だった。末期の脳腫瘍が頭蓋を押し出し、脳を圧迫していた。脳の血管で破れていない場所などどこにもない。

 記憶、思考、無事なものなどどこにもない。

 

 歯は全て砕けるか抜け落ちた、舌は重すぎて動かない。下顎はその重量に耐えきれず外れて垂れさがっているだけになっていた。

 胃、肝臓、腎臓、胆のう、子宮、あらゆる体内に存在する臓器は穴あきチーズと一緒だった。機能しているものなどありはしない。

 

 全て虫食いが如く病魔に食い散らかされている。健常な細胞を探す方が早い。なぜならば探す必要がないからだ。

 もはや彼女に健常な細胞などありはしない。

 

 骨は総じて自らの重さに耐えきれずにへし折れ砕け散った。破片は全て肉袋を突き破って全身を穴あきチーズに変えてくれた。

 全身の骨は全てへし折れている。神経なんぞズタズタに引き裂さかれている。さながら手入れを怠った弦楽器のよう。

 

 それでもなお、サルビア・リラータという女は諦めてなどいなかった。

 

 死ぬはずがない。

 自らはサルビア・リラータである。

 この世界において価値のある人類。死んでいいはずがない。塵の役にも立たない糞どもが生きながらえて、サルビアが死ぬなどあってはならない。

 

 生きることに嘘も、真もあるものか。

 善悪などない。生きることは、ただそれだけで正しいことのはずだ。

 

 ならば、サルビア・リラータが生きられないはずがない。

 生きられるはずだ。

 

 また病魔に侵されようとも、出来るはずだ。

 生きることが、出来るはずだ。

 

 出来ないはずなどないのだ。

 

 杖を握る。杖の重さで腕が引きちぎれかけるが知ったことか。

 

 立ち上がろうとして、おれた骨が皮膚を突き破ってハリネズミの有り様になる。

 知ったことか。

 

 目の前にいる三人がただただ憐れに思うほどの肉袋、ただの肉塊のようになり果てようとも、サルビア・リラータは生きようとしていた。

 サルビア・リラータに足りないものなどありはしない。足りないのは寿命だけ。それさえあれば、誰にも負けることなどないのだ。

 

 救う? 何をほざいている。

 サルビア・リラータを助ける?

 

 自分の身すらも守れない愚図どもが?

 度し難い、度し難い度し難い!

 

 憐れむなよ。

 塵屑でしかない分際で、このサルビア・リラータを憐れむな!!

 

「死ね――コンキタント・クルーシフィクシオ」

 

 発音できたかもわからない。

 杖を振れたかもわからない。

 

 だが、魔法は確実に作用する。

 発動する。

 これをこの場で防げるはずがない。

 

 手加減などしない。

 向かってくるのならば全てを滅ぼすまで。

 逆十字は止まらない。

 

「ハリー!!」

 

 そして、あえなく、死病に侵され、ハリー・ポッターは死んだ。

 何かを成し遂げることもなければ、何かを響かせることすらできなかった。

 

 その果てに、ハリー・ポッターは殺された。何の感慨もなく、ただ何度も、まだだ、と叫んだところで死は確定した。

 

 そう、ハリー・ポッターはここで死んだ。

 

 逆十字は救われない。

 

 全ては、闇の中に沈み消えた――。

 

 ――本当に?

 

 本当にそれで良いの? ハリー。

 

 それは一体誰の声だったのだろうか。

 

 お友達と喧嘩して、そのままで言い訳ないわよね。

 

 ――そうだ。

 

 喧嘩したままじゃ死ねない。

 

 それなら行ってきなさい男の子でしょう?

 

「さあ、ハリー」

「ダンブルドア先生」

 

 彼は頷いて何かをハリーへと渡した。

 

「うははは、さあ、欠片の一つじゃ、なんか探しちょったら見つけたけェ! あいつに渡すんよりもおまえに渡しちゃるわ! さあ、好きにやれやヒーロー」

 

 ――愛い愛い、そうだ、友人と仲直りがしたいのだろう。

 ――おまえの望みを描くが良い。

 ――その中で、おまえだけの夢を見ていればいい。

 

 ――眷属の許可を与える。

 ――幸せになってくれよ。

 

 ああ、これは駄目だとそう思う。

 けれど、これが必要だ。

 

 ――持っていけば良い。

 ――好きに用立てるが良い。

 ――おまえの世界の中で、おまえは主人公だ。

 ――おまえに不可能などあるはずがない。

 ――おまえが幸せになることを願っている。

 

 それは一度使えば二度とは元に戻れぬ麻薬。

 吸ってはならない阿片に他ならない。

 けれど、それでも。

 

 ハリー・ポッターは眼をひらいた。

 

「――っ……ロン、ハーマイオニー」

「うん」

「ええ、わかってるわ。みんなで」

 

 まずどうして死んでいないなどということはわからない。だが、ひとつだけわかることがある。ハリー・ポッターはまだ、死んでいない。

 

「貴様、なぜ、――ごはっ……――ぐぉ」

 

 サルビアは血を吐いた。もうどこにも無事な場所などありはしないのだ。

 精神力でここまで耐えられたことが異常。彼女はとっくの昔に限界なのだ。数年前に、もう死んでいなければおかしい。

 それがここまで生きたことが奇跡。死んでいなければおかしい。

 

 それをハリーは全力で殴りつけた。

 重篤な病人を殴りつける。ああ、最悪だ。そんなこと善人に出来るはずがない。だが、それでも、ハリーはやった。

 

「コンキタント・クルーシフィクシオ!」

 

 執念の略奪押し付けの呪文が発動する。

 

「な、に……?」

 

 その時、起こったことを、サルビアは理解できない。

 なんだ、何が起きた。

 

 自らの身体に満ちた病みが消えた? 自らが作った呪文の効果は自分が一番知っている。どれだけ押し付けたところで、意味をなさないはずがなぜ。

 

「ごはっ――」

 

 代わりに血を吐いたのは三人だった。

 

「なに、なにが……? おまえ、なにをした!」

「さ、あ?」

 

 ハリーにすらわからない。けれど、サルビアの病みが全て三人へと移ったことは確かだった。

 

 ここにもし、夢の使い手がいたのならばそれがどういうことかわかったはずだ。

 まさしくこれこそ盧生ならざる夢の使い手が到達する最高点。

 

 急段の顕象なのだから――。

 

 大いなる石、絆とともにそれを護り、秘密なりし部屋にて友の為に勇気を以て剣を抜く。

 囚人を助ける慈愛は家族への愛、大いなる陰謀の炎杯に選ばれて、自らの未熟と友の大切さを知った。

 騎士団は己を護る。されど、己の浅慮こそが全ての終わりを招いたのだ。

 自らのことを知らず、されど死宝探索をもって、闇を払う。

 

 それはありえざる物語。

 自らが歩んだはずの軌跡。

 そこに一人の命はない。

 そこに少女の姿はない。

 だからこそ、手を伸ばしたのだ。

 

「でも……これで君はもう大丈夫だ」

 

 サルビアが放った呪文は、奪うもの。

 それを逆転させた。

 奪う呪文を使ったら奪われる。

 

 協力強制は強い感情を向けること。

 それに対して彼自身が愛を持つこと。

 

 簡単に成立する故に効果も単純だ。

 それはあらゆる全ての逆転。死を呼ぶ呪文は、生を呼ぶ呪文となり、奪う呪文は、奪われる呪文になる。

 ただあらゆる全てを反転させる。そう、それは逆十字が救えないという運命すらも反転させる。奪った病魔。その原巣すらも。

 

 治らないという不可能が、今この場においてのみ、可能となるのだ。

 盧生が与えた試練であろうとも、あらゆる全てが反転している今、サルビアが拒めば拒むほど、試練を乗り越えたということになる。

 

「この、ふざけるな! アバダケダブラ!」

 

 生を呼ぶ呪文と化した死の呪文によって消え失せる。

 問答無用で人の命を奪う呪文は、ハリーの急段によって問答無用で人を生かす呪文となっているのだ。

 

「サルビア……ありがとう」

「ハリー、君ってやつは」

「ほんと、滅茶苦茶なんだから」

「みんなだろ?」

 

 そう無茶苦茶だ。だが、忘れてはいないか? 彼は主人公なのだ。彼らは主役なのだ。

 例え、どれほどの困難であろうとも、例え、どれほどの苦難であろうとも。

 それを乗り越えていく。

 

 友と愛と絆によって。

 それが嫌いな奴はいない。

 きっと誰だってそれを見たいのだ。

 

 普遍無意識がそれに賛同すれば、奇跡は起きる。

 

 彼は盧生と直接的に繋がっている。

 魂の一部を彼は取り込んでいる。

 つまりは、彼もまた盧生の一部であり、阿頼耶と繋がっていることに他ならない。

 

 だからこそ普遍無意識は彼の行動を見て、奇跡が起きてほしいと願ったのだ。

 

「何をした貴様! これは、どういうことだ!」

「違うよ。これは僕だけの力じゃない。世界のみんなが君に生きてほしいと願った結果だ」

「なんで、なぜ、どうして貴様が、私を救う!! 上位者気取りか、ヒーロー気取りか! そんなもの大概にしろ! 何だ貴様は! 私を救って、何がしたいのよ!!」

 

 訳が分からない。

 理解できない。

 なんだ、何なのだ。

 こいつは、目のまえのこいつは、いったい、なんだ。

 

「別に何かしたいってわけじゃないよ。愛、絆、友情。たぶん、きっとそういうことなんだと思う」

「うん、ハリーが言いたいことは僕にもわかるよ。サルビア。僕たちは君を助けたいんだ。君がどんなになっても、友達として、大切な人として」

「あぁ……」

 

 最悪だった。

 最低の気分だ。

 こいつらが何を言っているのか理解してしまった。理解できてしまった。

 夢で見た有象無象どもが言っていたことが、わかってしまった。

 

「そうね。これ、私たちにはほんっとうに難しいわよね。でも、理屈じゃないのよ」

 

 最もサルビアと対等に、彼女の思考に近づいていたハーマイオニーはよくわかる。

 自分以外が馬鹿ばかり、どうしてそうなのかまったくわからなくて、けれど全ては理屈ではないのだ。

 

「人間理屈じゃないもの。なにがあっても、あなたを救いたいって思う人間がいてもおかしくないし。なにより、私、まだあなたに勝ったことないもの。勝ち逃げなんて赦さないわ」

 

 なんだ、それは。

 

「僕はもっと単純だよ。純粋に、君のことが好きになった。それだけ。理屈じゃないんだよなぁ、うん。あんな君の姿をみても、全然ね。嫌いとかそういう気分にはならなかったんだ。

 寧ろ、今まで隠してたのを見せてくれて嬉しく思ったりね」

 

 頭がおかしい。

 

「理屈で説明できないことをする、それが人間だよサルビア。ほら、見てよ、君はもう救われてる。こんな簡単なことなんだよ」

 

 …………。

 

「…………」

 

 この状態を解決し、破却する術がある。

 死の呪文で、今、この空間がどのような状態にあるのか把握した。

 己の状態がどのようなものになっているのかもわかった。

 

 ならば、ハリー・ポッターらを負けさせる為に言うべき言葉など分かり切っている。

 

 今この場では全てが反転している。

 救いを拒絶すればするほど、サルビア・リラータは闇の帝王の試練をクリアしたことになる。

 ならば、そう、ならば――。

 

 ――助けて、と言えばいいのだ。

 

 誰かに縋れば結果は反転したものとなるのだから。

 そう簡単だ。

 

 簡単なことなのだ――。

 

「ぐ、ふ、っ――!!」

 

 だが、サルビアはその一言をどうしたって口に出来ない。

 逆十字は他者に縋れない。

 

 何があろうとも、自らその言葉を口にすることなどできやしないのだ。

 

 ゆえに、拒絶するしかなく――それは彼女の救いになるのだ。

 




遅くなってごめんなさい。

さて、まず作中で普遍無意識とか阿頼耶とか出てますが、そこ読者とか感想欄とルビ振っておいてください。

サルビアの救いが欲しいという普遍無意識さんがいろいろブーストしてくれました的なサムシングです。
いや、うん、誰が何を言おうとも、私はこうするって決めてた。

ハリーの急段は相手がハリーに感情を向けていること。それに対してハリーが相手に対して愛、友情、絆を抱いていることが条件。
それによって発動するのは、あらゆる全ての反転。

一定領域内のあらゆる全ての事象、呪文の反転。

本来ならばハリー・ポッターには発動できない。
しかして、普遍無意識がその奇跡を見たいと願った故に発動した。
まさしく奇跡だよ。

でも、ハリー・ポッターってそういう物語だと思う。
奇跡も希望もある。
戦神館の世界とは少し違って、でもそういうので良いと今の私は思っている。

だって、私、ハッピーエンドが大好きなんだ。
ご都合主義でも、何でもいい。
苦しんだ登場人物たちには、報酬をあげたいから。

だから、今回のお話はこんな感じでした。

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