主人と柑橘とあせび   作:ゆきひな

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十一の刻印

「あ、御主人様。おはようございます」

 男の姿を確認するや眩しい笑顔を向けたのは整備部のメルトだ。緩やかなウェーブがかかったサラサラヘアーは、陽光に当てられキラキラと光っている。少し垂れ目がちで、柔らかな優しい印象を相手に与えている。

 そんな彼女はどうやらお仕事中のようで、中庭の花壇に咲きほこる世界各地の色とりどりの花に水やりをしていた。彼女達、整備部の仕事は屋敷の清掃、生物や植物の育成、屋敷内の備品の管理等だ。

 

 屋敷に住む奴隷には各自仕事が与えられており、それぞれ『~部』に分けられている。現在、整備部の他にも屋敷には、警備部、料理部、医療部、裁縫部の計5つの部署がある。そこには原則として一人、部の代表である整備部長のアリエス、例外的に警備部隊長は二人、ソラとウミだが彼女らを最終的に纏めているのは常に男の側に居る悠莉だ。

 

「おはよう、メルト。どうだ、花の調子は?」

 男は挨拶を済ませ、如雨露でしゃがんで水をやっているメルトの隣りに同じようにしゃがみ視線を花に合わせる。

 

「はい、旦那様。お花さん達は凄く元気がいいです。旦那様のくれた肥料のお陰ですかね。それとですね、旦那様に頼まれていたライチィの実の栽培に成功しました」

 メルトの報告に男は満面の笑みを浮かべる。

 

「よくやった。ライチィの実は辺境にしか無かったから、自分で取りに行くのは面倒だし、かと言って商人から買うとなると高いんだよな。これで研究の方は楽になる。助かったよ」

 喜びを露わにする男を見て、メルトは照れたように後頭部を掻く。

 

「いえ、御主人様のお役に立つのは奴隷としての務めですから、お褒めの言葉を頂けるなんて……」

「うん? そんなもんか。メルトが頑張ったことを褒めただけだろ?そんなにかしこまらずに素直に受け取れ」

 男は目の前に咲く黄色の花を突つきながら言う。

 

「……では、そうします」

 渋々と言った様子で納得するメルト。如雨露からは、ポタポタと水滴が零れるばかりで、中に水は入っていない。

 

「そうだ。メルト、他に仕事はあるのか? 無いならこれからお前を連れて行きたい場所があるんだ」

 男の提案にメルトは花壇の水やりが終わったらいいですよ、と言って水を汲みに行った。

 

 

「これは、蜜柑の木ですか? 御主人様」

 別館の裏、敷地の南東にその木はあった。

 

「ああ、ユーストン大陸のココヤシ村の蜜柑だ」

「ココヤシ村ですか……」

 メルトは声を低くして言う。ココヤシ村はユーストン大陸の端のほうにある、特産品の蜜柑で有名な町だ。だが奴隷システムが施行される少し前に謎のエネルギー爆発により、村ごと消失した。勿論、村人ごと消えたため特産品である蜜柑の生産は中止、ココヤシ村の蜜柑は絶滅したと思われている。今現在はココヤシ村の跡地には孤児院が立ち、身寄りの無い子供達が住んでいるとメルトは聞いていた。

 

 もう一度、メルトはその木を見る。幹は力強くどっしりと構えており、そこから伸びる枝は風に揺れていた。青々とした葉がうっそうと茂り、小ぶりな蜜柑が実をつけている。そして、その木の根元には、一つの墓が建てられていた。墓石には千紗という文字が掘られており、ミヤコワスレという菊科の青い花が数本供えてある。男は黙々と墓石を掃除し、花瓶に入っている花を新しいミヤコワスレの花に取り替えた。そして、墓石の前で男は目を瞑り、手を合わせる。つられる様に男の後ろでメルトもそれに倣う。

 

「ご主人様、この千紗さんという方はどなたなのですか?」

 メルトの質問に男は表情を暗くする。

 

「千紗は俺の……」

 男の口が開きかけた時、

「旦那様ー、こんなところにいらしたのですか?」

 まるでタイミングを見計らったかのように、悠莉は別館の陰から飛び出した。彼女はいつものメイド服を皺一つつけずに着こなしている。

 

「あぁ、どうした? 悠莉」

「旦那様の言いつけ通り、サチ様が起きられましたので呼びに参りました」

 男の一歩後ろに下がり、一礼をして悠莉は機械のように抑揚の無い声で答える。それを受け、男は先程の暗い表情などしていなかったように破顔した。

 

「おぉ、早くサチのとこに行かないと。今日も楽しみだな~」

 奴隷市から帰って来て一週間、男はずっとこの調子だ。

 

「旦那様、楽しみで浮かれているところ申し訳ないですが、メルトさんが困った顔をしておられますよ」

 悠莉の言葉を向け、メルトは背筋を伸ばした。

 

「あ、悪い。メルトにはこの蜜柑の木の世話をして欲しいんだ。もう代わりの種が無いから枯れさせないようにしてくれ。出来るか?」

「はい、やってみます」

 男の言葉に気合満々に答えるメルト。早速木の幹に触れたりして、蜜柑の木の状態を確認している。

 

「それとこの場所のことは他言無用な。知ってるのは俺と悠莉とメルトだけだ」

 分かりました、と手だけを挙げて答えた。その様子を見て、男は苦笑するが悠莉がサチの話をすれば、慌てて走り出す。

 

「それでメルトさん。木を弄る振りなどせずに私に聞きたいことがあるのではありませんか?」

 男の後ろ姿が見えなくなると悠莉は後ろにいるメルトに声を掛けた。

 

「ばれてましたか。流石ですね、悠莉様。聞きたいことですよね。それはありますよ。多分、この屋敷にいる殆どの奴隷の皆さんが思っているのでは無いですか? どうして、御主人様はサチ様をあそこまで気に入っていらっしゃるのですか? 私には分かりません。確かに御主人様は優しい方ですが、今までは私を含め、他の奴隷の方にも一定以上の好意を見せることはなかった筈です。だからこそ、御主人様に好意を越えた愛情を抱いていた人達も互いに争うことなく均衡を保っていられたんです。なのに、サチ様のような方が現れたら……。別に御主人様がそれを望まれるのでしたら、我々奴隷は全てを受け入れます。我々は御主人様の奴隷ですから。ただ、中にはそう簡単に引き下がらない者もいる」

 メルトはこの屋敷の、男の未来を案じて言う。自分達の様な愚か者に人として生きる権利を与えてくださる恩人である男を想い、彼女は言う。

 

「それだけですか? 言いたいことは」

 悠莉が淡々と確認する。

 

「メルトさんの考えは分かりました。ですが、私はメルトさんには賛同できません。何故なら私は旦那様が決めたことには全幅の信頼を寄せています。旦那様がサチ様を気に入っておられるなら私達はそれに従うのは当然。仮に否定され、旦那様やサチ様に危害を加える様ならこの私が相手になりましょう。それに、メルトさんは勘違いをしていらっしゃる」

 悠莉はそう言って、表情を柔らかなものにした。

 

「旦那様はどんなことがあろうとも私達を、少なくとも自分の奴隷を見捨てることはありません。旦那様はお優しい方ですから。それに旦那様は私達の悲しむ顔を見るのが一番嫌いなんです。だから、安心してください。貴方たちの旦那様への想いはそのままで良いのですよ。旦那様は全部受け止めてくださります。少し鈍いのが玉に瑕ですが……。それにサチ様はそういったことに目くじらを立てる方ではありません。あの方は自分に対する恋愛感情に人一倍、敏感であり敬遠されていますから」

 悠莉の言葉に終始俯いていたメルトだったが、そうですか、と行ってとぼとぼ屋敷に戻って行く。

 

 残された悠莉は小さくなって行くメルトの背中を見つめる。

 

「確かにメルトさんの考えうる可能性も零では無いですね。取り敢えずはアリエスさん、ソラ、ウミそれとナタリー様には警告をしといたほうが良さそうですね」

 悠莉は背後を振り返り、墓石に視線を向ける。その目は何かにすがるように揺れている。

 

「……サチ様のことや奴隷のことを旦那様は本当はどのように考えているのでしょうか? きっと千紗様なら分かっているのでしょうね。旦那様がこの世でただ一人愛した貴方なら」

 その答えは返って来ることは無い。

 

 

 

 

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