「悪いな。チユ」
石造りの立派な建物、街の換金場から出て来たチユに男は開口一番、そう告げた。入口にはたくさんの鎧を着た兵隊が換金場を警護をしており、不法にお金を強奪しよう人間がいたなら、容赦なく取り押さえれるようにだ。そんな彼らは入り口付近でうろうろしていた男をマークしていたが、チユの登場により男は人を待っていたと分かると視線を外した。
男の手には妖刀が握られており、対するチユは“緋色の剣士”の首と引き換えに手に入れた8000万が入った小袋を手にしている。小袋の中には世界共通金貨が80枚ある。世界共通のコインは、ほとんどの都市やその近隣の村で使われているもので、その価値は金貨1枚、100万の価値がある。銀貨は100枚で金貨1枚、銅貨は100枚で銀貨1枚、アルミコイン100枚で銅貨1枚という通貨になっている。ちなみに一般庶民が一日に稼ぐ金額は銀貨一枚ほどであった。
「き、気にしないでくだしゃい。ご、ご主人様のお、お役に立つのは、う、嬉しいことですから」
顔を赤くして、若干瞳を潤ませているチユは、男の胸に金貨の入った小袋を押し付けるように渡した。男はそれを受け取ると、ふと思い出したように呟いた。
「そういえば、なんでチユがこっちに来たんだ? 悠莉のことだから警備部の誰かを付き添いに出すと思ったんだが」
「あの、悠莉様がご主人様と一緒に行動して、世界を知りなさいと、お、仰っていました。そ、それに警備部の方は別件で出払っているらしいです」
人通りが激しい街路を歩きながら、男の問いに男の隣を歩いていたチユは自信無さげに答える。しょんぼりと俯いてしまうため、人とぶつかりそうになるが、その度に男が微妙に彼女の体をずらしてあげていることに気づかない。
「ふーん。悠莉がそんなふうにね。んじゃ、この街の観光でもするか。次の賞金首がいるはずの場所はもうちょっと先のほうだしな」
男は周りを見渡しながら言う。レンガ造りの家が立ち並ぶこの街は冒険者が集まる場所として有名だった。なぜならラインストン大陸の北側に位置するモンドベールの街は、世界各地にある冒険者ギルドの総本山があるからだ。街の中央に存在する冒険者ギルドは、世界各地の賞金首、依頼、ダンジョン、各国の情勢などの情報が集められ、冒険者に配られているライセンスがあれば情報を引き出せることができる。また、訪れた冒険者たちをバックアップするために街の約4割が鍛冶屋、商店、宿屋などで埋め尽くされている。
ここでいう冒険者とは、よくゲームなどで言う魔王や魔物を倒すようなものではなく、ハンターのようなものだ。冒険者にはいくつか種類が有り、犯罪を犯した賞金首を捕まえることを専門にした賞金首ハンター、ギルドに集まった依頼をこなすミッションハンター、未開拓の地やダンジョンを発見、攻略する開拓ハンターなどに分けられる。最も、ほとんどの冒険者は数年、冒険者として行動し、力量を付けたら故郷に戻り村を守ったり、王国の兵士として雇ってもらっている。また、冒険者になるには、冒険者ギルドでの審査と、5年以上活動している冒険者からの修行を受けることが条件となっている。それらをクリアすることで、初めてライセンスが発行され冒険者の仲間入りとなる。
ライセンスを持っているとギルドで様々な情報が得られるのを始め、各国へ行くための船に自由に乗ることができ、また、国へ入るときに通行税や滞在税といったものを払わないでよくなるなどの特典がついてくる。さらに各地で功績を上げれば、その冒険者へ国王などから直々に声がかかるなんてこともあるため、冒険者は非常に人気のある職業だ。ただし、危険も付き物でいつ命を落としてもおかしくはないし、ライセンスを狙った人間に暗殺されることもよくある。
「最近、モンドベールの外はラティス王国と反乱軍との戦いで流れてくる敗残兵が略奪まがいのことをしてるらしいし、危険らしいな。次の賞金首を倒しに西に行かないといけないし、チユ、お前冒険者になってみるか?」
男は冗談交じりの笑みを浮かべて、チユに言った。それを受けたチユは自分には無理だと縮こまっている。
「まぁ、そうだろうな。チユには向いてないよ。そんじゃ、どうしよっかな。見聞ねー。なら、飯を食べに行こう。冒険者御用達の安い定食屋があるんだ。チユは料理部だからそこで料理を学ぶのがいいかもな」
そんじゃー行こう、と男はチユの手を引っ張って定食屋へと向かう。チユは早足で向かう男に目を向け、次いで男に握られている自分の手を見て、心の中に暖かいものを感じていた。こうして、人と手をつないだのはこの男だけだ。
彼女の過去はあまりいいものじゃない。父親に逃げられ、育児放棄をしていたチユの母は毎日、酒と男に溺れる日々を過ごしていた。いつも顔の違う知らない男を家にあげ、チユを奥の部屋に閉じ込めて、彼女の母は快楽に溺れていた。数時間奥の部屋から出ることを許されず、何もない部屋で感情の篭らない瞳で壁ばかりを見つめていた。男が帰ったと思えば、母は酒に溺れ、きつく娘に当り散らす。
『アンタなんか産むんじゃなかった』
蔑んだ目で実の母親に言われ続けた日々はチユにとっては日常であった。そんなある日、遂にチユは金と引き換えに奴隷商人に売られることになる。男に貢ぐ金のなくなった母親が、資金を集めるために行なったのだ。それからチユは奴隷としての心得、行動を教え込まれ、商品として市場に出された。そして、そこで思い出したくもないアノ男に買い取られた。奴隷としての最低限の生活すら保証されず、馬車馬のように働かされ、性奴隷として心を穢され、感情の篭らない人形となっていた。ただ、これもあの頃のチユにとってはただの日常であった。
「そこの定食屋はな、肉料理がうまいんだ。特に唐揚げ定食と生姜焼き定食は絶品だぞ」
顔だけを振り返ってにこやかに話しかける男にチユも思わず笑顔になる。かつて自分の日常を非日常に変えてくれた男は今もこうして私の手を握ってくれる。そのことに堪らない嬉しさを感じていた。
『あー、あれだ。なんて言ったら分からないけど、とりあえず好きなものを見つけろ』
あの日、絶望の淵に立っていたチユに後のご主人様と呼ぶことになる男は言った。照れくさそうに、それでいて投げやりに放たれた言葉は凍りついたチユの心を溶かしていき、世界に色を取り戻させた。
「あの、ご主人様」
「ん、どした?」
唐突にかけられた言葉に男は返す。引っ張られているチユは決意したように言葉を紡いでいく。
「私は今、す、すごく幸せです。そ、それとですね、私にも好きなものが、で、出来ました」
「? そうか、良かったな」
急に言われた言葉に一瞬、男は首をかしげる。それを見てチユは微笑んだ。
(ご主人様は忘れてるかもしれない。でも私にとっては大切な言葉だったのですよ)