主人と柑橘とあせび   作:ゆきひな

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一つ目の刻印

 世界は大きく変わった。『奴隷システム』と呼ばれる新制度によるためだ。

 

 本来この世界では『奴隷』と呼ばれる存在が公にされることは無かった。人々は、そういった非道徳的なことを許すわけにはいかないという至極当たり前の自制心によって抑えられていた。しかし、四年前の『奴隷システム』施行の知らせが人々に波紋を起こさせた。この当時、世界は数百年ぶりの大不況と呼ばれるほどの経済危機に陥っていた。お金の価値は下がっていき、物価はどんどん上がっていき失業者も増えていくそんな時だった。2つの大陸とブリタニア皇国の各国の重鎮たちで決められたこの制度に国民は反対した。ある場所ではデモ行進が起き、酷いところではテロ行為まで起こる始末だ。しかし、そんな国民の意見を無視し続け『奴隷システム』はついにその施行日を迎える。そして発令から一か月、あらゆる売り上げの中で人身売買が圧倒的な数値を叩き出していた。それは経済不況を覆すほどのものだったという。

 

 人々は口ではこの制度を反対していたものの蓋を開けてみれば、国民の大多数は誰かを支配したいという欲に塗れていたということだろう。その一報の知らせを聞いたとき、人々は誰一人異論を唱えることは無かった。

 

 そして、ここにもまた一人、そんな欲に塗れた人間がいた。

 

 

 

 

 

「悠莉よ。世の中は全て金だと思うのだけど、僕は間違っているかい?」

 男は手のひらに札を数枚持ち、ひらひらと団扇で仰ぐような仕草をしながら目の前の女、悠莉に言った。男は中性的な顔をし、背も160cmぐらいと、やや小柄で守ってあげたくなるオーラを出しており、女性から見たら母性本能を擽るのだろう。しかし、その口からは残念な言葉しか出ない。悠莉に嘲笑を向けるが全く持って迫力は無く、子供が背伸びをして大人ぶっているようだ。滑稽、まさにこの言葉が当てはまると言っても過言で無いだろう。

現に悠莉と呼ばれた女性は、冷やかな視線を男に向けている。

 

 そんな悠莉の視線を気にしないかのように男は全体重を椅子の背もたれにかける。椅子は彫刻品のように細部まで細かく丁寧な作りとなっている。高級品と呼ばれる部類に当てはまるだろう。更にその部屋、部屋と呼べるかどうか疑問に思われる程の広さを誇るそこには、同じような椅子が数点とそれに合わせて作られたテーブルがある。床には真っ赤なカーペットが敷かれており、天井には大小様々な黄金のシャンデリアが神々しい光を放っている。壁際には壺や彫り物、皿などの骨董品が数メートル間隔で並べられている。

 

 まさに財により作り出された金持ちの家と言った感じだった。

 

「えぇ、旦那様。その考えは間違いですよ」

 ニコリと悠莉は微笑んだ。髪はこの世界では珍しい黒髪。それを肩のあたりまで伸ばしたセミロングだ。背は低めだが、その童顔と合わさって可愛らしい印象を持たれるだろう。そんな彼女の笑顔はそれだけで幾多の男共の心を射抜くこと間違いなしだ。だが、目の前の男は特別表情を変えることはない。寧ろ、自分の考えを否定され不満げだ。

 

 男は言い返そうと口を開こうとするが、それは悠莉の言葉で遮られる。

 

「旦那様、よく考えて見てください。幾らお金があろうとも、本当に欲しいものは手に入らないのです。この世界はそういう風にできているのですよ。それは旦那様が一番分かってるはずではないのでしょうか?」

 悠莉は言い終わると、スカートの裾を摘まんでぺこりと頭を下げた。悠莉はメイド服と呼ばれるものに身を包んでいた。この服はこの世界には無いのだが、悠莉が直々にオーダメイドで作ってもらったものだ。

 

 黒のワンピースと白のエプロンの間からは、平均よりも少し小さめだが確かな主張をしている膨らみが見える。膝下よりも長いスカートはふんわりとしている。そして、何より右手の甲にそれがあった。あせびと呼ばれる花を模したタトゥーのようなものだ。漢字で書くと馬酔木。その名前の通り、その植物の葉は有毒であり、馬が食べると酔ったような状態になるという。壺型の小白花を咲かせるそれはあまり有名では無い。

 しかし、この花は有名でなくともこのタトゥーは有名なのだ。『奴隷システム』 の象徴であり、悠莉が奴隷であるという証である『刻印』である。ということは目の前の旦那様と呼ばれている男が悠莉の主人であるということを導き出すのは簡単なことだろう。

 

「むぅ、そうだったな。済まなかった。悠莉よ」

 男ははぁ、と盛大に溜息を吐くと素直に頭を下げた。そんな彼を見て、分かっていただければいいのです、と悠莉は答える。

しかし、頭を上げた男は腑に落ちない顔で、ただな、と前置きをして言った。

 

「金で自由にならないのは、悠莉が金の管理をしていて、手を付けさせないからだろう。というか悠莉は『奴隷』、俺は『主人』間違いは無いよな?」

 

「まず、私がお金の管理をしているのは旦那様から任せていただいたからであり、仮に旦那様にお金の管理を任せると3日で奴隷の皆さんを含めた私達は無一文になってしまいます。それに旦那様にお金をお渡ししないのは研究費用だと言って風俗店『はにっ娘天国』に行かれようと「ごめんなさい。俺が悪いです」、分かっていただければいいのです。それに夜の相手なら私が……。いえ、何でも無いのですよ? それと二つ目ですが、私にとって旦那様は旦那様であり、私は旦那様の『奴隷』であっています。その事実は今この時も、そして、未来永劫変わることはないでしょう」

 男の問いに悠莉は一つ一つ丁寧に答えていく。男は終始、冷や汗が止まらなかったが、そうか、と最後に安心したように呟いた。

 

 むぅ、可愛い、とそんな旦那様に思いを寄せる乙女心を彼が気付くことは無い。男は本心から金が一番大事と思っていることを、何故そんな結論に至っているのかを悠莉は知っている。だからこそ、男を見ていると胸の奥がぎゅっと掴まれたような苦しい感覚に苛まれる。

 

 旦那様を助けてあげたい。

 旦那様に幸せになってもらいたい。

 

 そんな内心を悟られないように、女は失礼します、と一言言い扉を開く。一歩廊下に出て男に一礼し、扉を音を立てないようにゆっくりと閉める。

 

 ドアが閉まる瞬間、ふわぁっと柑橘系の爽やかな香りが吹き抜けた。

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