主人と柑橘とあせび   作:ゆきひな

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六つ目の刻印

「料理部長のナタリーが風邪?」

「はい、今朝より高熱が出ております。疲れからの風邪のようでウィルス性のものでは無いですのでご安心下さい。ただ、体を動かすのは酷なので、ナタリー様には休養を自室で取らせます。旦那様、よろしいでしょうか?」

 悠莉は丁寧に許可を貰おうと話を進めて行く。

 

「まぁ、別にいいけど。俺も今からナタリーの見舞いに行くよ。ついでにあいつの風邪を半分程、引き受ければ大分楽になるだろう」

 男は軽い感じで言う。『奴隷システム』規約7にあるように、奴隷と主人の体調をリンクさせることで男の言うようなことをするのは可能なのだ。

 

「そうですか。あまり無理はなさらないで下さいね、旦那様」

「無理なんてしてないぞ? ただの風邪だろ。それぐらいなら問題無い」

 心配そうに言う悠莉に男は不思議そうに言う。

 

「ですが、旦那様。ナタリー様が急遽休みと言うことは、今週の料理担当は、チユさん一人になるということです」

 その言葉を聞き、眼を見開く男。そして、ぎこちなく口を開けば、

「他の料理部の人間は、「旦那様、シェイ様もココさんも、本日は下界へ食料の調達に出掛けて居られますので、いらっしゃいません」……だよな」

 がっかりと肩を落とす。男の落胆した様子に、有能なメイドさん、悠莉は横目で男を見ると、これまた表情一つ変えることなくワゴンに乗せていたティーカップに紅茶を注いでいく。ダージリンに似た匂いのするセルンティーと呼ばれるこの紅茶は、この世界での中流貴族がよく愛用するものだ。ティーカップからは湯気が出ており、紅茶の香りが部屋中に漂い始める。

 

「旦那様、どうぞ」

 ニコリと笑顔を浮かべて悠莉は男へ白の丸皿に置かれた紅茶の入っているティーカップを、男の机に置く。その隣には角砂糖と一本の銀のスプーンが入れられた器も置かれている。

 

「お、ありがとな」

 男は一言そう言って、紅茶を口に含む。紅茶の香りが脳を刺激し、落ち着いた気持ちになっていく。

 

「……美味しい」

 男が漏らした一言に、悠莉はわずかに顔を綻ばせた。

 

「ふぅ~」

 紅茶を飲み終わると男は盛大に息を吐いた。

 

「やっぱり、今日の料理担当はチユになるのか? あいつの料理は何というか、料理じゃないもんな。料理というより生物兵器ってほうがしっくりくると思うんだが」

「旦那様、チユさんは彼女なりに頑張っていますよ。最近では料理部長のナタリー様に魚の捌き方を教わっていらっしゃいます。その頑張りをそのようにおっしゃるのは些か配慮に欠けているのではないのでしょうか。それとですね……」

 悠莉は怒ったように言うが、突然、口調を平常運転に戻した。

 

「旦那様の後ろに、チユさんはいらっしゃいます」

「!!」

 悠莉の言葉に男はバッと言う効果音が付きそうなほど勢いよく振り返った。そして、みるみる顔色が悪くなっていく。

 それは目の前の少女、朱色の髪をヘアピンで右に留めており、顔は小顔、瞼は二重で桜色のプリッとした唇が印象的な小動物を思わせる彼女、チユも同じでありその顔は青ざめてプルプルと肩を震わせていて、その眼には今にも溢れんばかりの涙が溜まっている。ダムはもう結界寸前といった様子。

 

「いや、違うんだ……」

 男は必死に言い訳しようとするが、その声に驚いたのかチユはビクリと更に肩を震わせる。

 

「ご、ごめんなしゃい。わ、わたしのせいで。あ、あの、こ、今度はちゃんと作りますから、す、捨てないでください。お願いします」

 びくびくと男の様子を窺いながら、チユは訴える。この少女は他の奴隷たちとは経歴が違う。本来奴隷になるのは、経済的に貧しいものが自身の身を売って金に換えたものや、人攫いに合ったもの、あるいは両者の合意によって意図的に傍にいるために契約するものなど様々だ。勿論、前者は奴隷商人と呼ばれる者たちにより奴隷市場などで売られるのだが、チユの場合は少し違う。非合法売買と呼ばれる手法で流れてきた奴隷だ。奴隷市場などは政府が公に認めたいわば自治がしっかりと出来ている場所であり、そこで売る商人はすべて政府から許可を貰っている。故にそこでは犯罪行為が起こることはほぼ無く、また買いに来る客も貴族や王族、軍人とガラの悪い客はお断りということが多い。

 

 しかし、非合法売買とは名前の通り犯罪ギリギリ、いや犯罪レベルのことなど普通に起きているようなものだ。調教。薬物、身体改造などは当たり前。もちろんガラの悪い客がほとんどであり、金さえ払えばどんなことだって試しにやらせてくれるそんなシステムだ。別名、闇市場と呼ばれ、売られている商品の価値は奴隷市場よりも3倍以上はする。勿論そこで売っている商人たちは、無法地帯スラム街を行き来するようなものがほとんどであるからその交渉術は飛びぬけていい。そして何より、『能力者』と呼ばれるものが商品として売りに出されるのが多いのもまた最大の特徴であり、一部の権力者たちが目を瞑っている最大の理由だろう。

 

 そして、チユもまた非合法売買を経て、奴隷になったものだ。2度目の主人。そう、チユにとって男は2人目の主人であり、彼女自身は奴隷を二度経験している。

 

「あ、あの、何でも……しますから。す、捨てないで」

 チユがこんなにも怯えるのには、1度目の主人による影響が大きい。本来の彼女の核とも言える意思は、過去にグチャグチャに壊されている。それは今でも完璧に修復出来たわけではない。

 

「あぁー、旦那様が……」

 悠莉は男の耳元でボソリと責める。勿論、声のボリュームは男にしか聞こえない。

 

「俺はチユを捨てないから、泣くな。もうお前の主人は俺だ。あの下衆な奴じゃない」

 男はゆっくりと怖がらせないようにチユに近付く。そして、少女の頭を優しく撫でるのだった。

 

「だから、安心しろ。ここはお前の居場所だ。俺はお前の味方だ」

「御主人様……」

少女の胸が暖かくなっていくのをチユは感じていた。

 

「わ、分かりました。チユ、もう泣きません。御主人様のお役に立てるよう頑張ります。美味しい料理を作って来ますので楽しみにしてください」

 タタタッと駆けて行き、背中が小さくなって行くチユへ男は手を伸ばすがその手は虚しく空を切った。

 

「旦那様、もしやと思いますがチユさんが心を込めて旦那様だけの為に作られた料理を食べないなんて言いませんよね? 旦那様は御心の優しいお方ですから、ね?」

 悠莉が無表情で男との距離を詰めてくる。それは否定の言葉は許しませんよ、と妙に圧力をかけてくるものだ。

 

「なぁ、今更だが悠莉が作るって選択肢は……」

「却下です」

 男がぼそりと呟いた一言を悠莉は問答無用で切り捨てる。

 

「分かったよ。食べればいいんだろ。その代わり、医療部の奴らには連絡入れといてくれ。本当にあいつの料理はシャレにならんからな。食べて気を失って、目を覚ましたら天国なんてことザラだからな。頼んだぞ、悠莉。」

「かしこまりました、旦那様」

 やや投げ槍気味な男を前に悠莉は淡々とした様子でいる。

 

「では、失礼いたします」

 ワゴンを押しながら優雅な動作で悠莉は部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旦那様のために、医療部へ行かなければなりませんね。あぁそれと今日の夕食は旦那様のことでゴタゴタしそうですので、料理部の方は大変でしょう。私が奴隷の皆さんのために何か夕食を作って差し上げねばなりませんね」

 今日も悠莉はご機嫌だ。

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