なぜだろう?
「さて、ここが支部長室なわけだけど」
風音と彩歌に案内してもらい辿り着いた支部長室は、先ほどの儀式の門とはまた違った重苦しい雰囲気を纏っていた。
今はまだ中には入っていないので扉しか見えないが、その扉だけでも緊張感が十二分に伝わってくる。
扉は黒塗りの開き戸で、表面はヒノキかなにかの木材でできているように見えるが、これは防犯性だとか防御力としてはどうなんだろう?
大きさも儀式の門とは比べるまでもなく小さいが、これは人が使用するためのものなので当然と言える。だが、こんなにも非常識が溢れているなか、常識的な扉が構えていると、逆に身構えてしまう。
俺が微妙に扉の雰囲気に飲まれていると、隣で彩歌がため息をはいた。
「やっぱりここヤだなー」
「......そんなに支部長さんって嫌なもんか?」
「できる限り同じ空間にはいたくないかな」
彩歌が唇をすぼめながら言う。
彩歌とはほんの30分前に出会ったばかりだが、基本的に人懐っこくてあまり他人に対して好き嫌いしない奴、ってことぐらいは分かっているつもりだ。
その彩歌がここまで拒絶反応を示すなんて......本当に、どんな人なんだろう?
「じゃあ......私と彩歌ちゃんはここで待ってるから......」
「おう、案内ありがとな、風音、Ms.A」
「ありがとうございました」
俺は片手を上げて、奈菜は律儀にペコリと頭を下げる。
すると相手二人も頭を下げたり手を振ったりと返してくれた。
いや、彩歌はもうちょっと過激だった。「無事に帰ってきてよっ!」とか真顔で言われた。ちょっと止めてくれません? これから扉の先に行くの嫌になってくるじゃん。
俺は小さくため息をつきつつ扉に向き直る。
相変わらず、緊張感やら威圧感やらがバシバシと伝わってくる。
だが、ここでいつまでも立ち止まっていても仕方がない。
奈菜の方を見ると、なにも言わない代わりにジト目を返してくれた。自分の不安を私に押し付けるな、ということですね。ごめんなさい。
微妙にダメージは食らったが、お陰で少し落ち着くことができた。
いや、そもそもそれ以前の話かもしれない。
「さっき1歩踏み出したんだから、今さら迷っても仕方がないか」
そう、俺はさっき踏み出した。常識から、非常識への1歩を。
それに比べれば今から踏み出す1歩なんて、非常識から非常識にもう1歩踏み出すだけ。なんてことはない。
俺は最後に奈菜を一瞥してから一度大きく深呼吸して、扉をノックしようとする。
「入りたまえ」
が、俺がノックするよりも一瞬早く、扉の向こうから声が聞こえてきた。
......さすがは非常識の長。俺らのことなんてお見通しってか。
俺は緊張から乾いてきた喉を潤わすために、ゴクリと唾を飲み込み、
「失礼します」
俺は扉のノブに手をかける。
さて、鬼が出るか蛇が出るか......
「やぁ、来たね。椎崎明くんに深井奈菜くん。話は聞いているよ」
「ど、どうも」
「こんにちは」
扉を開けて部屋に入ると、そこは三十畳ほどの少し広い空間だった。
光源は天井にある電灯のようなものと、壁に埋め込まれた何かの機械が放つ光のみ。
しかもどちらも水色の明かりなので部屋全体が薄暗い感じになっている。
部屋に入ってきて正面の壁には、巨大なモニターが埋め込まれており、その壁の近くには横に長いデスクが鎮座している。
そして声の主ーー支部長はデスクの向こう側に立ち、悠然とした雰囲気でこちらを見据えていた。
その様子はまさに長。何事にも動じない、威厳のような雰囲気を醸し出している。
「さぁ、そんなところに立っていないでこちらに来たまえ」
その言葉に応じて、俺と奈菜はデスクの前まで歩いていく。
近づくにつれて、支部長の相貌が明確に見えてきた。
年は40代、いや、50代前半ぐらいだろうか? 髪は白髪混じりで少し短め。身長は175cm程度なので、俺は少し見上げる形になる。
顔は本当に落ち着き払っていて、感じのいいおじさん、といった感じだ。
......この人が、彩歌が苦手としている人か。
「どうしたのかね? 私の顔になにか付いているかい?」
「いや......えっと、1つ質問してもいいですか?」
「性急だねぇ。まぁ君からすれば私は得たいのしれない人間だろうし、いいよ。何でも聞きたまえ」
会話していて俺なんかでも分かる。この人は『できる』人だ。
もちろん仕事が、という意味だけではなく、存在そのものが、だ。
体が警告している。この人は、敵に回したらまずいと。
おそらくこの人にとっては俺を生かすも殺すも気分次第。それこそ、右足から踏み出すか左足から踏み出すか、それぐらいの感覚だということが、相対した瞬間に分かってしまった。
なるほど、これなら彩歌が同じ空間にいたくないと言うのも納得できる。
それほどの《力》を、この人は持っている。
......だというのに。
「あの......机に転がっている某機動戦士のものだと思われる腕はなんですか?」
俺はそんな支部長のことなど気にならないぐらい、この場に転がっているのは明らかに不自然なプラスチック製の腕の方が気になっていた。
......一応言っておくと、俺はプラモデルとかその手のマニアやオタクではない。
俺がそのパーツが某機動戦士のものだと分かったのは、デスクに置いてある置時計の陰からプラモデルの頭がまるで隠すのに失敗したかのように、にょきっと飛び出ているからだ。しかも聞いた瞬間に支部長さんの表情が固くなった気がする。
俺がジト目を支部長さんに向けていると、支部長さんはウォッホン! とわざとらしくせきをした。
「なんのことだかよく分からないが、この腕のようなパーツのことなら私が先ほど廊下で拾ったものだよ。断じて私のものではない」
「えっと、本体だと思われるものが置時計の後ろからはみ出ているのですが......」
「あぁ、それなら一緒に拾ったものだよ。さすがに他人のものを捨てたり壊したりはできないからね」
「......デスクの横にあるゴミ箱から、何かロボットが描かれている箱が見えるのですが......」
「......」
「......」
「......」
沈黙。
恐ろしいほどの沈黙。
ただただ時間のみが緩やかに過ぎていくなか、支部長さんの視線だけが慌ただしく泳ぎまくっていた。
「......さて! 君たちはすでに紋章の刻印は済んでいるのだね?」
「うわ!? 強引に話逸らした!!」
この人、さっきまでの会話をなかったことにしようとしてやがる!! ていうか、仕事中にプラモデル作ってたのかよ!?
なんというか、先ほどまでの威圧感やら緊張感がすべて台無しである。
能力者組織の支部長って、こんなんでいいのか......?
「先輩、さすがに支部長に、うわ、は失礼ですよ」
「あ、あぁ、その、すいません」
「ははは、別に謝られるようなことはないよ。あぁ、何もないとも」
必死に先ほどのことをなかったことにしようとしている支部長のその姿は、少し哀れっぽくすらあった。
「では、改めて。《KTF》にようこそ。明くん、奈菜くん」
そう言って支部長ーー久遠閃雅さんは再び(今度はイスに座って)俺たちの名前を呼んだ。
ここまで自分の失態を取り繕えるのもすごいな、と思いつつ、これ以上は本当に命に関わりそうなのでツッコむのは止めておく。
「まず奈菜くん。君の素晴らしい活躍は私も耳にしているよ。こんな島国まで大変だったろう?」
「いえ、日本は昔から憧れていた国なのでむしろ嬉しいぐらいです」
「そうか、そう言ってもらえると助かるよ。《青電》としての力を、私たちに少し貸してもらえると嬉しい」
「こちらこそよろしくお願いします」
それから2人は数分話を続け、奈菜が頭を下げると閃雅さんは小さく微笑み、次に俺に顔を向けてくる。
「さ、明くん。君とも話したいことはたくさんあるが、まず最初に......私は君に謝らなければならない」
「謝る......ですか?」
あぁ。閃雅さんはそう答えると、座りながらではあるが俺に対して腰を折り頭を下げてきた。
《KTF》日本支部の長、閃雅さんが、だ。
「え、あの、どうしたんですか!? そんな急に頭を下げられても......」
「いや、私が頭を下げる理由は十分すぎるほどある。君を《KTF》に招き入れたのは私だからだ」
「......ってことは」
「あぁ、君も知っている通り、楓くんは嘘をついていた。そしてつかせていたのはこの私だ」
そう言うと、閃雅さんは頭を上げて、俺と改めて向き直る。
それに俺も正面から向き合いながら思考する。
あのとき、楓さんがついていた嘘の狙いは俺を《KTF》に入らせることだ。
まぁ、それに誘導されたからというわけではなく、俺自身の考えで入ったわけだが、どちらにせよ俺は《KTF》に入ることになった。
そして、俺を《KTF》に入れたかったのは張本人は本人も言ったように閃雅さんということだ。いったい何のために?
「理由は2つある。1つ目は人員不足だ」
「人員不足......?」
俺が聞き返すと、閃雅さんは自嘲気味にため息をつき笑う。
「お恥ずかしいことに、ここ日本支部は人員が足りていなくてね。奈菜くんに日本に来てもらったのも人員、及び戦力確保というのが理由だったからね」
閃雅さんの言葉に本人の奈菜が頷く。
ここに来るまでに闘技場も見てきたけど、あそこにはかなりの人数の能力者がいたと思うのだが、あれでも足りないのか......
「なので、まだ能力は使えなくとも、将来的に戦力になりうる人員なら、今ののうちは喉から手が出るほど欲しくてね。そんな身勝手極まりない理由で君をこちら側に巻き込んでしまって、本当にすまない」
「......いえ、こちら側に踏み込むことを望んだのは俺自身なんで。巻き込まれたとかとは考えていないです」
「そう言ってもらえると非常に助かるのだがね......」
そこで閃雅さんは再び表情を変える。今度は何か強い思いがこもっているかのような表情だ。
それに応じて、今までは重い空気だった部屋の中の空気が張りつめる。
「そして2つ目の理由は......と、その前に。奈菜くん、本当に申し訳ないが、席を外してもらえないかな。少し個人的な話になると思うからね」
「分かりました」
閃雅さんの急な申し出に奈菜は嫌な顔一つせずに頷き、俺を一瞥すると扉まで移動して部屋から出ていった。
正直なところ、1人だと心細かったりするのだが、閃雅さんは変わらず俺の目をまっすぐ見ているので、こちらも気を引き締める。
そして奈菜が部屋から出ていってから数秒すると、閃雅さんはゆっくりと口を開いた。
「2つ目の理由はーー君の父親についてだ」
ドクン!!
心臓が一気に跳ね上がり、脳にすごい勢いで血が上っていくのがわかった。
この人は今、なんと言った?
俺の、父親?
でも、それは......
すぐに何か言おうと思うのだが、喉が乾ききっていて声が音として出力されない。
俺は口の中の唾液を必死に集めて飲み込み、喉を潤わす。
「......父さんのこと、知ってるんですか?」
「あぁ、知っているとも。私とあいつーー君の父の焔治は私と《KTF》の同期でね。よく共に酒を交わしたものだ」
「そう......ですか」
父さんと......
まだ少し唖然としている俺に対して、父さんの話をする閃雅さんはどこか楽しげだ。
だが、その明るい表情に影が射す。
「だからこそ、今でも信じられないよ。あいつが、焔治が死んだなんて......あんなことさえなければあいつはーーっと、君にとってはこの話は気分のいいものではないね。すまない、少し感情的になりすぎた」
「......いえ、大丈夫です」
正直なところ、精神的に結構きつかったりもしたが、それ以上に、父さんのことをここまで思ってくれている人が今もいることが嬉しかった。
今、閃雅さんが言ったように、俺の父さんは10年前、俺が能力者に襲われていたときに俺を守るために戦い、そして帰らぬ人になった。
それが楓さんたちにも言った、俺の《経験》だ。
ある意味、その忌々しい経験のお陰で風の男に襲われたときも冷静に対応できたのかもしれないというのは、ひどい皮肉だ。
「......君がこれから狙われるということは、すでに楓くんから聞いたと思う。まことに勝手な話だが、私はあいつの息子であり、かつ、あいつが唯一残した君をみすみす殺されるなんてことはどうしても許容できなかった」
「......」
「だから私は、君をこの《KTF》に招いた。奈菜くんと共に入ってきたのは少々予想外だったがね」
そこで閃雅さんは小さく笑った後、深く息を吐く。
まるで緊張の糸をゆっくりとほどいていくように。
そして最初のように微笑んだ顔に戻る。
「さて、私の話は以上だ。なにか聞きたいことはあるかな?」
「......じゃあ、一つ」
「なにかな?」
「......父さんは、強かったですか?」
先ほども「父さんのことを知っているのか」と内容は違うが質問はした。
ただ、内容が違うだけ。
それなのに、今はどうしてここまで答えを聞くのが怖いのだろう?
いや、理由は分かっている。
俺が今はもう会えない父さんのことを、誰よりも尊敬していたからだ。
母さんも親族もいない今、閃雅さんが言う答えだけが俺が父さんを知ることができる唯一の方法だからだ。
閃雅さんの答え一つで、俺の中で父さんという存在が左右される。
それがたまらなく怖いのだ。
それでも、俺は聞くことを止められなかった。
それはなぜか?
結局それも、俺が誰よりも父さんのことを尊敬していたからだ。
そして俺の問いに閃雅さんは寂寥を隠しきれないかのような表情で口を開く。
「あいつは、私の知る限りでは誰よりも強かったよ。心も体も、間違いなく」
「......そうですか」
自分から聞いておきながら、奈菜のような素っ気ない返事の仕方になったのは許してほしい。
正直、声が震えなかっただけでも誉めてほしいぐらいだ。
......よかった。
当時、俺はあまりに小さくて分からなかったが、父さんは自身の力のせいか、周りの人たちからひどく忌み嫌われていた。
それはもう、嫌悪という言葉が生易しく感じるほどに。
なのに、その父さんをここまで理解してくれている人がいるというのは、堪らなく嬉しかった。
自分が誰よりも苦しかったのに、それでも俺に笑顔を向けてくれた父さんを理解してくれている人がいることが、堪らなく嬉しかった。
次第に俺は喉から込み上げてくるものを抑えきれなくなってくる。
そしてついに震えてしまった声で言った。
「ありがとう......ございます......」
うわお、書き終わってみれば後半男しかいないぜ、どういうことだってばよ。
感動回......とまでは思って書いていないですが、とりあえず明くんの過去について理解していただけたならOKです。