進行速度が亀以下で悲しい......
俺を狙って直径30センチほどの無数の水の弾が襲ってくる。
その水弾は床などに当たった際、軽くその表面を抉っているので、かなりの威力というのが見てとれる。
目の前に迫ってきた水弾を左にステップすることでかわす。
かわした先に迫ってきていた水弾は体を捻ってかわし、さらに顔面めがけて飛んできた水弾は魔力を込めた拳で上段に弾く。
よし、今回はいける!!
そう思ったのが気の緩みになったのか、フラグ回収と言うのか、俺が拳を振り上げてがら空きになっていた横腹に続いて飛んできた水弾が直撃した。
「ブホッ!?」
「はいー、しゅーりょー」
水弾を受けて床に転がる俺に楓さんがどこかつまらなさそうに言ってくる。
というか、ちょっとぐらいは心配してよ!?
「くそう、なんで上手くいかないんだ......」
「まー、仕方ないよー。まだ能力が覚醒してないんだからー」
「そうですけど......」
そう、今の俺の一番の問題はそれだ。
《KTF》に加入してからすでに半月。俺は未だに能力に目覚めてなく、基本的に魔力を集めて攻撃、ということしかできないでいた。
能力に目覚める、ということは自分の力の使い方をを覚えるということなので、目覚めたあとでは身体能力にも多大な向上が現れるらしい。
だが、俺にはまだそれがないのでこのように床に這いつくばっているわけだ。
「楓さん、普通能力ってどれくらいで目覚めるものなんですかー? 俺って才能ないんですかね?」
俺の質問に楓さんは少し考える素振りを見せる。
その顔には言うべきかどうか、という思いが浮かんでいるように見える。
「んー、正直に言うとー、能力覚醒に才能そのものはあんまし関係ないんだよねー」
「そうなんですか?」
「うんー。それに能力もー、遅くても10日ぐらいあれば普通は目覚めるしー」
「じゃあ、俺は?」
「そうだねーーー」
楓さん曰く。
能力に目覚めるには二つのパターンがあるらしい。
一つ目は自分で目覚めるパターン。しかしこれは非常に稀で、ここ10年間でも世界中で5人いたかどうからしい。
二つ目は今の俺のように誰かに導いてもらうパターン。この導く、というのにもいくつかパターンがあるらしいのだが、俺が今受けているのは薬品や機械などで能力の覚醒を促すものだ。
これは試験管に入っている液体が、なんの薬品なのかを選別するために指示薬を入れて反応を見るものに近いらしい。
例えば、水の属性の能力かどうかを判別するためにそれに応じた薬を注入して、反応があれば少し練習するだけですぐにでも能力が使えるようになるらしい。
これで反応がない場合は、他の
こうして一通りの属性の薬の反応を見るらしいのだが、これで反応がないタイプ、というのは俺以外にもそこそこいるらしい。
そういうタイプは属性がない、つまり無属性の能力が得意とされる。
具体例としてはマロンちゃんだ。彼女の能力は空間系統、これといった属性がない。
無属性の能力には、あまり傾向というものがないらしく、自分が使いたい能力を強くイメージするのが能力覚醒に最も近道らしい。
なので反応がなかった人は精神トレーニングのようなものを中心的に行い、それで早ければ半日で能力覚醒するらしいのだが......
残念なことに俺はどれにも当てはまらなかった。
もちろん、まだイメージが足りなくて能力が覚醒しない、という可能性もあるにはあるのだが、それは人生生きているなかで雷が頭に当たるぐらい可能性が低いとのこと。
「前にも言ったけどー、能力覚醒に大事なのはイメージと《信念》なのー」
「それは分かってますけど......急に《信念》とか言われても分かんないですよ」
「んー......絶対にこうだー! ていう意思みたいなものかなー?」
うーむ、強い意思みたいなものか......
他の人の《信念》がどういうものか聞けば少しはイメージしやすくなるんだろうけど......それはさすがに失礼すぎる。
結局......
「結局ー。今みたいに基礎トレを続けるしかないってことだねー」
「あい」
俺は半泣きで返事しながら立ち上がり、所定の位置につく。
そして5メートルほど前方にある機械に向かって右手をあげて開始の合図を出す。
するとその機械からウィンウィンウィンと駆動音が聞こえ始め、すぐさま先ほどと同じように大量の水弾が俺に向かって襲ってきた。
迫り来る水弾を、かわす、かわす、いなす、直撃、吹っ飛ぶ。
「い、痛い......」
「もーう、当たっちゃダメだって言ってるでしょー?」
「そんなこと言っても無理ですよ!? これでも最初よりは進歩してるんですから!!」
「んー」
楓さんはなにも言わずに俺の後方を指差す。
それにつられて俺は後ろを振り返ると、少し離れたところに訓練をしている奈菜と彩歌がいた。
俺と同じ訓練を、俺がやっているものよりも3倍以上の速さで。
2人を襲っている水弾は俺がかわしているそれとは比べ物にならないぐらい速く、離れたところから見ていても俺では水弾がほとんど見えない。もちろん、一つ一つを見極めるなんてことは不可能に近い。
なのに2人は一発もかすることすらなくかわし続けている。
彩歌は楽しそうな満面の笑顔で。
奈菜は無表情ながらも涼しそうな表情で。
さすがは日本支部最強クラスと、世界に名を馳せている女の子たちだ。
「まー、能力覚醒すれば君もあのぐらいはできるようになるから大丈夫大丈夫ー」
「その覚醒がなくて今困ってるんですけど......」
「ありゃー? そうだったねー」
はー、と俺はため息をつく。
別に、俺が能力に目覚めたら最強になれる、とか痛い妄想を繰り広げている訳ではないけど、さすがになにも変化なしというもはショックだ。
本当に、何がダメなんだろう?
すると俺の訓練の相手をしてくれている機械《当たっちゃダメだぞ☆改》(楓さんネーミング)から、ピー、という電子音が聞こえてきた。
この音は使用終了を告げる音だ。
「あの、楓さん。まだ訓練の時間終わってないですよ?」
「まー、今日は明君頑張ってるしー、ちょっと休憩入れてもいいかなーってー」
「はぁ......」
相変わらずこの人、変な嘘つくな......
まぁ今回の場合俺が少し落ち込んでいることを組んでくれたのだと思うけど。もう少し素直に言ってくれればいいのに。
そんな楓さんについジト目を向けてしまう。
すると楓さんは笑って「君は相変わらず面白いねー」と頭を撫でてきた。何故に?
でもさすがはお姉さんでもある楓さん。撫で方は妙に様になっていて気持ちいい。
そのまま俺たちは訓練場の隅のベンチに座る。
「ねーねー。最近学校には慣れたー?」
「えぇ、まぁ......ていうか今すごい勢いで話題変えましたよね?」
「まーまー」
......ここの人たちって皆自分のペース作るの上手いよな。特に楓さんとか彩歌とか奈菜とか。いつの間にかこっちはいつも受け身になってしまう。
これも戦闘に何か関係あるのかな?こう、自分のペースで攻撃してやるぜー、みたいな。ないか。
「それでー、学校でなにか面白いことあったー?」
「ええと......面白いこととはちょっと違うんですけど......」
学校で最もインパクトがあったときと言えば間違いなくあのときだ。
あれは、俺が《KTF》に入って次の日、つまり高校生活二日目の朝ーー
「うーむ、《KTF》に入ることになったのはいいけど、学校ではどうすればいいんだろう?」
昨日、閃雅さんは各企業のトップーーつまり学校の場合は校長とか文部科学省とかーーは《KTF》のような組織のことを認識しているからある程度は学校でも融通がきくって言ってたけど、学校での俺はどういう立ち位置にいたらいいものなのか......
今はいいかもしれないが、もしも任務とかで学校を休むことになれば(まぁ、当分そんな心配はないと思うけど)、学校生活も微妙になっていくし......
うーむ、困った。
そんなことを考えながら唸っているうちに、いつの間にか教室の目の前まで来てしまった。
......まぁ、クラスには奈菜も風音もいるんだし、いざとなればその辺のことは聞いてみるか。
教室の扉を開けると、黒板から離れた窓際に、大きな集団ができていた。
もうグループができてるのか、早いな。
俺は基本的に昔からああいった大所帯のグループがあまり好きではない。
なんか互いに本音はあるんだけど、周りに合わせて自分の意思を殺しているあの感じ、あれが嫌いだからだ。
その思っている本音が正しいことだとしても、周りが間違っていることが正しいと言い張ってしまえば、その間違っていることが本当に正しくなり、正しかったことは間違いになってしまう。
つまりは数の暴力だ。そうなってしまえば少数派は何を言っても聞き入れられないし、最終的には異端扱いされてつま弾き、最悪いじめやらなんやらまで落ちていく。
実際、昔父さんがそうだったように......
「って、いやいや、朝からなに沈んでるんだよ俺よ」
まぁ、そんな理由から、俺は大所帯のグループ、そして集団意識からくる数の暴力のようなものが嫌いです、まる。
俺はあのグループとは関係ないし、いっか。そう結論付けた俺は、ふとあることを思い出したので教室を見渡す。
えーっと.......いた。
「おはよ、風音」
俺は探していた相手ーー風音に手を上げて声をかける。
すると椅子に座って可愛いブックカバーを纏った文庫本を読んでいた風音はこちらを向き、相手が俺だと分かるとすぐさま顔を下げてしまった。
うーん......まぁ、別に必要以上に仲良くなりたいとか、そういう考えはないんだけど、それでも友達程度には仲良くなりたい。
けど、この調子だと難しいかな?
俺は少し落胆しながらそのまま自分の席に座る。
「おはよ、奈菜」
「おはようございます、先輩。先輩は今日も女の子に目がないですね」
うん、今日のお前も辛口トークが光るな......とはさすがに言えないけどさ?
実は奈菜は、昨日機嫌が悪くて毒舌家になっていただけで、本当は花も恥じらう大人しい女の子だった、とかっていうのを密かに期待してたんだけどなぁ。
ん、もしかしたら奈菜と風音を足して2で割ったらちょうどいい感じの女の子が出来上がるんじゃないか?
奈菜ぐらい普通に接することができて、風音ぐらい女の子って感じの言動にすれば......あれ!? これ世紀の大発見レベルでいいんじゃないか!?
とかなんとか想像(妄想)していると、後ろからラリアットの要領で首に腕を回された。
「おっす、明」
「っと、なんだ品川か。はよ、どした?」
「どうしたもこうしたもねぇよ! 見ろよあの人混み!! あ、奈菜さんおはよ」
「おはようございます」
こいつ、こういうところ抜け目ないよな......
「で、何がどうしたって?」
「そうそう! なんか朝来たら知らない女子がいたんだけど! しかも美少女!!」
「はぁ」
「なんだよその生返事!! お前だって男だろ!? ならここは盛り上がるところだろ!?」
「いやまぁ」
顔が良いのと性格良いのは別問題だって昨日気づいたから。
......とか言うと隣からの無言の視線で死んじゃうので言わない。
俺はそのまま品川に無理矢理、件の人混み(グループ)に連れていかれ、輪の中心の方を見せられる。
輪の中心にいる女の子は、周りに集まっている人たち全員に対して満面の笑みを見せていた。
顔は少し童顔気味、と言っても、それは顔の作りが子供っぽいというよりはその顔が作る表情が非常にバリエーション豊かで、コロコロと表情の変わる子供を連想させるからだろう。髪は黒髪ロングで髪の一部を横で結んでサイドテールにしている。
身長は奈菜よりも少し高い程度、体の凹凸は......まぁ、これも奈菜よりは上で、一言で表現するなら全体的に小柄、といったところだろうか。
俺は彼女を見た瞬間、酷い既視感に襲われた。
それは昔引っ越して別れたはずの女の子との再会とかそういう感動的なもではなくて、もっと身近なものだ。
彼女と目が合う。
......気のせいでなければ、俺はこの子とどこかで、というか昨日会ったことがある気がする。
その女の子は俺に思いっきり指を差してくる。
「あっ! アッキーだ、おはよー!」
そして彼女は、昨日知り合った女の子と全く同じ呼び方で、俺に朝の挨拶をして来た。
......ていうか、これはさすがにもう誤魔化せない。あれ完全に彩歌だもん。
「って、なんで彩歌がここにいるんだよ!?」
「なんでってそりゃ、私がここの生徒だからだよアッキー!!」
ビシィ! と音が聞こえてきそうなポージングをする彩歌。
しかも突然クラスでもそこまで目立つタイプではない俺と、現在進行形でアイドル的立場を確保しつつある彩歌が2人で話始めたせいか、周りからの視線がすごいが、今は気にしている場合ではない。
「生徒って、お前昨日言ってなかったじゃんか!」
「聞かれなかったからねっ!」
今度はサムズアップして俺に答えてくる。くそう、何がそんなに楽しいんだ......
「大体、お前昨日いなかったのに、生徒なんてそんなおかしなは、な......し......」
あれ......まさか......
「あの......Ms.A?」
「なんだい? Mr.アキラ?」
「まさかとは思うけど......あなたの名字って光野?」
「おぉー!! よく分かったねっ! アッキーてもしかしてエスパー?」
「ははは......」
いや、俺だって品川が言ったように美少女が一緒のクラスで嫌じゃないですよ? むしろ嬉しいぐらいだ。
それに彩歌のことは嫌いじゃなし、好感が持てるタイプだ。
でもさ......
せめて学校でぐらいは平穏に暮らしたかったなぁ......
このとき俺は、平穏、という2文字が崩れ落ちていく音を間違いなく聞いた。
「ーーこんな感じですかね」
やばい、思い出しただけでも軽く悲しくなってきた。
しかも平穏がないこの生活に段々慣れてきている自分が怖い。
まぁ、あのとき一歩踏み出した自分が悪いんだけどさ? いえ、後悔はしてませんけど。
「君もなかなかに面白い高校生活を送ってるねー」
「本当に面白いですよ。特にクラスの男たちからの謎の恨みを視線を送られるのは」
「......そう本気で言える君も相当だよねー」
「はい?」
「いやいやー、なんでもー。でもありがとねー。風音のこと気にしてくれてー」
「まぁ、風音みたいなタイプは嫌いじゃないですから」
彩歌のように明るくて話しやすいタイプも嫌いではないのだが、落ち着くのはやはり風音のように大人しいタイプだ。
心休まるというか、癒されるというか......なんか風音のからはマイナスイオンがすごい放出されてる気がする。彩歌からは......太陽光?
どちらも嫌いではないが、どちらかと言えば俺の人種的に風音のタイプの方が落ち着くというわけだ。
ちなみに奈菜からはブリザード的ななにかが放出されている。
そんな会話をしていると、楓さんの方から小さな電子音が聞こえた。
これは、着信音?
楓さんは上着の(またまっピンク)ポケットから携帯を取りだし(またまたまっピンク)何回か操作すると「あー」と声を漏らした。
「ごめんねー。急な仕事入っちゃったよー」
「いえ、俺が付き合ってもらってるんだし、こちらこそすみません。時間をとらせてしまって......」
確かに能力覚醒するまでは、新人の人には誰か専属の人がつくルールにはなっているらしいが、今の俺は訓練中、つまり能力覚醒までの期間とは微妙に違うのだ。
なので楓さんが俺にずっとついておく義務はないのだが、それでも楓さんは俺に付き合ってくれている。
そんな楓さんに感謝こそすれ、謝られる理由なんてない。
「まー、君のことは私が好きでやってるからいいんだけどねー。訓練はあと2時間ほどすれば上がってねー。でも早くやめたら怒っちゃうよー? 営みも訓練も早いのはよくないからねー」
「なんの話ですか!?」
さー、なんでしょー? そう言って楓さんは訓練場から離れていった。
それを見送りながら俺は意識を切り替える。
......能力開発は楓さんの協力もあってできることはすべてやった。
それでも、今の俺は能力の覚醒には至っていない。
それはつまり、先ほど楓さんが言っていたように《信念》ができていないからなのか......?
でも、じゃあそれをどうにかしろ、と言われても、一朝一夕できるものではないし、どだい無理な話だ。
......それなら。
「よし!」
俺は勢いよく立ち上がり、再び訓練に戻る。
今は、できることからしないと!
「はーい、終わったよー」
午後7時半。楓は風音と共に医務室で本来の職務を全うしていた。
そもそも、明の訓練は能力覚醒をしない明に対する疑問と興味から楓が自分から指導役を申し出たのだ。
楓からすれば明の能力が覚醒しないのは歯がゆくもあったが、それと同時に明本人を楓が気に入っていたのであまり苦痛には感じていなかった。
だが、さすがに楓が明の訓練の方が面白いと言ったところでそれはそれ、これはこれ、と仕事は楓に対して遠慮なしに降りかかってくるので、ただいま絶賛格闘中だ。
「お姉ちゃん。さっきの人でひとまず終わりだよ」
風音が使用した器具などを消毒しながら言う。
この2人の仕事は、前に明に行っていたように外での実践で怪我を負った人の治療だ。
《KTF》の施設内なら怪我をすることは滅多にないので楓たちの出番はほとんどないが、外での戦闘は負傷することも多いので楓たちの仕事もそれに応じて増える。
しかも最近は、外でよく言われている魔法事件(本当はほとんどがただの能力者同士の戦闘なのだが)が増えてきているので、楓たちからすれば仕事がどんどん増えてたまったものではない。
「さっきの人ってー......いい加減に男の人の名前も覚えようよー」
「だって、やっぱりまだ怖くて......」
(うーん、私とだったら普通に話せるんだけどなー)
風音は過去のある事情から、男が大の苦手だった。
視界に入ればすぐに硬直してしまうし、声をかけられようものなら目を回してしまうほどだ。
そして苦手すぎて男の名前が覚えられない。
しかも女性でもグイグイ来るタイプだと怯えてしまう......彩歌は例外のようだが。
そういった状況でも、近くに親しい人でもいればまだいいのだが......
「でもー、明君とはだいぶ話せてるよねー?」
まー、そうなるように仕向けているのは私だけどー。
その言葉は口にしない楓。
そして風音は楓の言葉に少し唸る。
「椎崎くんは......同じクラスだし、男の人にしてはあまり男の人って感じがしないし......」
(うわー、風音ー、それ男らしくないって言ってるのと同義だよー。明君が聞いたら泣いちゃいそー)
楓としては、明を通じて風音にも男慣れしてほしかったのだが、この様子を見る限り先はまだまだ長そうである。
だが、風音が男の名前を覚えていたというのは一歩前進だ。今までは何をしても覚えられなかったのだからこれは良い変化と言える......本当に小さな前進で少し悲しくなる楓だったが。
楓は密かにため息をつくと、飲み物のストックが切れていたことを思いだしたので、風音に一声かけて医務室を出ていった。
楓は廊下を歩きながら大きく息を吸い込む。すると肺の中に冷たい空気が入ってきて気持ちいい。
医療関係の人間としてあるまじきことかもしれないが、楓は医務室や病院のような匂いがあまり好きではなかった。
空気清浄機や消毒でこれでもか、とばかりに綺麗にされた空気は、あまりに綺麗すぎて逆に体に悪い気がするのだ。
息を吸い込むついでに体を伸ばしていると、何の気なしに楓の後ろを歩いてる2人の会話が聞こえてくる。
「おい、見たかお前?」
「あぁ、光野とこの間来た《青電》の模擬戦だろ? あいつらなんであんな高速戦闘できるんだろうな。しかも光野なんか笑顔だったし」
(まー。そりゃーあの2人はそれこそレベルが違うからねー)
楓は心のなかで相づちを打つ。
この話題はなにも珍しいものでもなく、最近では定番にもなっている会話だ。
最近飛ぶ鳥を落とす勢いで実力をつけていっている彩歌に、実際に世界に名前が通っている奈菜。この2人が仲良くしていて、しかも模擬戦を頻繁に行っていれば話題にもなると言うものだ。
なので楓としてもここまでの会話の流れは予想通りだったのでいつも通り余裕ある態度でいれたが、次の会話の内容によってそれもなくなる。
「そういえば《青電》と一緒に入ってきたあいつ......名前なんだっけ?」
「確か......椎崎じゃなかったか?」
「そうそう。あいつ、もう5時間以上ぶっ続けで訓練してたぜ」
(......え?)
男の言葉に楓は小さくとだが、確かに驚く。
しかし、そんなことには気づかず楓の後方で男2人は会話を続ける。
「そりゃバカだな~。ペース配分とか考えてないのかね? まぁあいつって確か能力覚醒まだだから焦ってるのかもしれないけど」
確かに、明は能力覚醒がまだだ。
そのことで明が密かに焦っていたのは楓も知っていたし、あえてそれを放置していたのも楓なので、5時間続けて訓練していたことは呆れはするが怒りなどは感じない。
楓が驚いたのはもっと別のところだ。
先ほど明と楓が話していたように、能力覚醒後は魔力の使い方も覚えて多少は無茶ができるようになる。
だが、今も述べた通り明は覚醒がまだだ。
何が言いたいかと言うと。
能力覚醒もしていない明が5時間も続けてあの訓練をこなせるのはおかしい、ということだ。
(まさかー......)
ある考えに辿り着いた楓は訓練場へ向けて走り出していた。
さっきも、明は水弾をかわせずに直撃していた。
そしてここ《KTF》に設置されている《ACS》は、攻撃で受けたダメージや傷が魔力から引かれていく。
そのことから、今の明が5時間も続けて訓練すれば間違いなく魔力は空になり、顔から床へダイブするのは目に見えている。
「なのに......」
楓はようやく見つけた移動扉をくぐり、訓練場へ移動する。
そこでは楓の予想通り、ある意味では予想外に、明がまだ訓練を行っていた。
「明くーー」
楓はすぐさま声をかけようとしたが、思わず口をつぐんでしまう。
それはそうだろう。
ーー先ほどまで3つまでしかかわせていなかった水弾を、6つも続けてかわしている明の姿を見れば。
(ちょっとー......確か無能力者のこの訓練の回避記録って最高でも4つじゃー......)
今の明はそれを完全に越えていた。
楓があまりの出来事に唖然としていると、楓に気づいたらしい明が楓の方を向く。
「あ、楓さんゲブゥ!?」
そしてそのよそ見が仇となり、水弾が明の顔面に直撃した。
明は痛そうに床を転げ回るが、楓はそれどころではない。
明はそれから10秒ほどしてようやく転がるのをやめたが、まだ悶絶している明に楓が声をかける。
「明君。君ー、大丈夫ー?」
「うぇ!? 今のこの状況を見てそれえを聞きますか!?」
「いいからー」
「......? まぁ、全身痛いですよ。動く度にギシギシいいますし」
(やっぱりー......)
楓からすれば、それだけで済んでいることが既に異常だ。
まったく、この子はこちら側への価値観といい、いろんな意味で規格外だ。楓は小さくため息をつく。
しかも楓を呆れさせてる張本人は、マイペースに小首を傾げている。
(どうして気がつかなっかたのかしらねー......この子......)
(魔力の量が尋常じゃないぐらいに多い)
しかも明は能力覚醒をしていない。その上でこの量。
量だけで言えばその辺の能力者なんて目じゃないぐらいだ。
それはもう規格外とかそんなレベルではない。稚拙な言葉になるが、明はおかしい。それが明に対して正しい言葉だと楓は思った。
もしも、この明が能力覚醒をし、能力が底上げされれば、それは......
そこまで考え、楓は胸の奥底から溢れてくる興奮を感じた。
しかし、それを前に出すわけにはいかない。
「まー、奈菜ちゃんたちはこれぐらい目を瞑ってでも余裕でかわせるしー、そんなに威張れないと思うよー?」
「ひどっ!? そんなの比べる相手が悪いじゃないですか!?」
「そうだよねー。これって負け確定の明君のとー、おサルさんのそれのサイズを比べるようなものだもんねー。ごめんねー」
「なんの話ですか!?」
「えー、それはーーー」
「やっぱ言わなくていいです!!」
「そー?」
息を切らせながら睨んでくる明に、楓はいつものマイペースな笑顔を向けながら明の頭にタオルをかける。
このタオルは楓が訓練場を離れる際に、明に使うよう言って置いていったものだ。
しかし楓が触った感じ、一切濡れた感触はなく、楓が置いていった状態のままだ。
ーーそれはつまり明が本当にまったく休憩を挟まずに訓練を続けていた証拠で。
「とりあえずー、明君ー。私訓練あと何時間で切り上げてって言ったかなー?」
「えっと......確か2時間でしたっけ?」
タオルを頭にかけられた明は、そのタオルを取れないままでいた。
なぜか、今少しでも動いたら刈り取られる。そんな気がしたからだ。
しかも頭からかけられたタオルは不幸なことに明の目の部分は隠してくれなかったので、明は楓と真正面から視線を合わさざるを得ない。
「でー、今何時だと思うー?」
「多分、4時ぐらいですかね......?」
「バリバリ8時前だよー」
「へ、へー......」
楓の笑顔の下に隠された何かに怯えて、少しずつ明の声が震えてくる。
その様子を見て楓は心の中で安堵する。
どういうわけか、明は楓の虚偽を見抜いてくることがしばしばある。
なので今回も内心の動揺がバレたらどうしよう、と若干心配していたのだが、上手くいったようである。
それと同時に、楓は明の成長を心のそこから楽しんでいた。
期待、と言ってもいいかもしれない。
この子は、一体どのように、そしてどこまで成長するのだろう、と。
だが、
「明君ー、君がそんなに訓練したいだなんて知らなかったよー、ごめんねー」
「い、いや、そんなことないですよ? 実はすごい嫌々でやってましたし! もう今日はこれで終わりにしようと思ってましたし!!」
「まぁ、それでもやるけどねー。とりあえず水弾を8個続けてかわせるようになるまでノンストップでやってみよっかー」
「いやだぁぁぁぁぁぁあああ!! むりですよぉぉぉぉぉおおお!?」
「問答無用ー」
「人殺しぃぃぃぃぃぃぃぃいいい!! 死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅうう!!」
明の成長と、楓の言いつけを破ったことは楓的にはまったくの別問題だ。
明が5時間も続けて訓練していたことは楓は本当に怒ってはいない。
ただ......ここまで面白いものを見せられて、楓は黙っていられない。ということだ。
実は言いつけを破られて少しイラッとしたりはしていないと思う。多分。
それから明は、正真正銘、ぶっ倒れるまでさらに5時間解放してもらえなかった。魔力量が多すぎるのも考えものかもしれない。
そして明が楓の期待に応えるのは、もう少し先の話。
おぉー、書き終わってみれば今回明君と楓さんしか話してねぇ。
まぁ、正しく言えば風音も話してはいますが、本当に少ないですし。
さて、明君の能力とはなんなのか? 次回へ続きます。