リアス・グレモリーは悪魔だ。それも現魔王サーゼクス・ルシファーの妹にして、元72柱グレモリー家次期当主。悪魔の中の悪魔である。
冥界にいる全悪魔を集めてみても、彼女より上位の悪魔などそういないだろう。
また彼女はあらゆる才覚に恵まれてもいる。力の源たる魔力は若年ながら並みの悪魔のそれを大幅に超え、万物に破滅をもたらす特異な力を宿していた。知力も幼年からの徹底した教育もあって、人間界の学校でも才女と呼ばれるだけの成績を修めていた。
しかしそんな優秀な彼女であっても、避けることのできないしがらみは存在する。
それはリアスが高校2年の夏休み期間であった。彼女は夏になると己の眷属たちと冥界へ帰省するのだが、彼女はそこで現当主たる父から突然の縁談の話を持ちかけられたのだ。
リアスはグレモリー家の次期当主を担う悪魔。姫君として他家へ嫁ぐということはなく、逆に婿をとる立場である。それ故に形式としてはリアスの眼鏡に合った悪魔がグレモリー家の婿養子として招かれるのであり、選ぶ権利はリアスにあるのだ。
しかしそう単純にいかないのが貴族社会。相手はレーティング・ゲームで飛ぶ鳥を落とす勢いで地位を上げているフェニックス家の三男。グレモリー家にとってはまたとない機会であり、そう簡単に断ることができない相手。
グレモリー家としてはぜひとも進めたい縁談なのだが、水面下で進められていた話にリアスは怒りを顕わにした。
当事者である自分には何も聞かされていないのである。当然だ。それに彼女は乙女心ながらに自分の好いた相手と結婚することを望んでいたのだ。どこの誰とも知らないやつと共に生活することになるなんてまっぴらごめんだった。
しかし同時に、リアスはそれがどれだけグレモリー家のためになるもので、家名を背負う身として何が最善の選択肢であるかということは理解できていた。そしてその名家との婚約と言う選択肢の前では一人の少女としての感情はとてつもなくちっぽけであることも。
具体的な婚姻の時期はまだ決められていない。だがそれはそう長くなく訪れるものであるとは簡単に予想のつくものであった――。
2学期が始まって数日、リアスのもとに尊敬する兄から連絡が届いた。リアスは縁談の件について、兄サーゼクスに相談していた。兄を反縁談派に引っ張り込むために。
しかし兄の意見は『リーアの思うようにやりなさい』というシンプルなものだった。つまり自分は関与しないということである。
リアスはムシャクシャした。兄の言いたいことは分かる。婚約というのは長い悪魔の人生でも非常に大切なものだ。だからその決断はリアス本人に任すべきというわけである。
しかしこれは本当に自分の気持ちだけで決断できるほどロマンチックな問題ではない。グレモリー家の代表としてきわめて政治的な問題だ。
だから兄の助言と力を借りて打開策を掴もうとしていたのに。
リアスは1人になれる場所を求めて屋上へと向かった。誰かに心配されるのも慰められるのも嫌だった。
だけど屋上に着くと、既に先客がいた。始業式の日、屋上で会話した転校生だ。彼は以前リアスと話した場所で腰掛けていた。
リアスはムシャクシャしていた気持ちを抑え、いつものリアス・グレモリーの表情を作った。
「また屋上で会ったわね、月城くん。また校舎の中を探検でもしていたのかしら」
リアスは悠馬のもとへと歩みを進める。
近づいてきたリアスに気づくと、悠馬は付けていたイヤホンのうち片側を外した。
「違うよ。ここは静かだから、集中して曲を聴けると思ってね。それで放課後はここに来るようにしているんだ」
悠馬はそう笑って答えた。
音楽を聴くために一人で屋上にいるなんて変わっている、リアスはそう思った。
しかし口には出さない。一人で屋上に来ているのは自分もまた同じだったからだ。
「月城くんは部活とかには入らないの? バンドをやっていたなら軽音楽部とか入れそうなのに」
「確かに入ろうかとも思ったよ。だけど土日もずっと練習やるみたいでね。僕はまだ前の学校の友人とバンドを組んでて休日は向こうで一緒に練習するから厳しいんだ」
「そうなんだ。仲がいいのね。学校が変わっても一緒に続けるなんてなかなかないわよ。そういえば、月城くんたちのバンドって何ていう名前なの?」
バンドの名前。悠馬は眉を掻き、少し渋ってから口を開いた。
「“Deafness Days”って言うんだけど……」
「“Deafness Days”? 独特なバンド名ね。確か“Deafness”って音が聞こえないって意味だったと思うけど、どうしてそんな単語をつけたの?」
悠馬は軽く息を吐き、自分の髪を払った。
「たとえ音が聞こえなくなっても、心に残っていれば思い出せるような素晴らしい曲を作ろうって意味を込めてるんだ」
「あら、素晴らしい理由じゃない」
“Deafness”という言葉の意味にはあまりよい響きを感じなかったけど、そういうニュアンスなら素敵に聞こえるかもしれない。リアスはそう思った。
一方、褒められたことに対し、悠馬は自虐的な笑みを浮かべた。
「……と、まぁそれは建て前で。本当はメンバーの翔ってやつが“Darkness”ってしたがったんだけど、あまりにも子どもっぽくて……。それで似たような響きを適当に当てはめちゃったらこれに決まっちゃったんだ。しかも誰もその時この単語の意味を知らなくてさ、気付いたのが初ライブの時運営の人に指摘された時でもう変えざるを得ない状況だったからそのままこうなっちゃったんだよ」
「何それ」
おどけて話す悠馬にリアスは思わず笑いをこぼした。
すると悠馬は少し驚いた顔をしてリアスを見つめた。
「どうしたの?」
「いや、グレモリーさんってそういう風に笑うんだなぁって思って。グレモリーさんが笑うのを見たの初めてだったから」
「えっ」
そういえばそうだった。リアスは夏休みの一件以来、滅多に笑うことはなかった。特に学校の人達にはまだ一度も笑い顔を見せていなかった。
「そんなに私は無愛想だったかしら」
「そんなことないと思うよ。そもそも僕は転校してきたばかりだから、グレモリーさんのことあまり知らなかったし。けれど僕は笑っているグレモリーさんの方がいいと思うな。何だか見ているこっちも楽しくなるし」
悠馬は明るい笑顔を浮かべた。
リアスは思う。きっと彼はどこか元気のないように見える自分を元気づけようとしているのだと。そして彼は純粋でいわゆるいい人と呼ばれる人物なのであると。
「ところで月城くんは何を聴いていたのかしら」
「これかい」
悠馬はどんな曲かは答えずに、イヤホンをそのままリアスに渡した。つまり、聴いてみてからのお楽しみ、ということだ。
リアスはイヤホンを受け取り、そのまま耳にはめた。
悠馬が再生ボタンを押す。流れてきたのは前回とは違う歌だった。しかし前回と大きく違ったのは曲の同異ではなかった。
流れてくる音には楽器による演奏は入っておらず、ただボーカルの声だけがリアスの耳に響いた。つまり悠馬のアカペラ音声を入れたものだった。
「あなたの声しか入ってないようだけど、……これは?」
「自分の歌のチェックだよ。この曲は先週友達が作ったばかりの曲でね。こうやってアカペラで歌ってズレを確認するんだ」
そんなことまでやるのか。リアスは悠馬に対してそう思った。
「グレモリーさんは聞いてみてどう思った?」
「そうね……。そんなミスしているようには聞こえなかったし、大丈夫なんじゃないかしら」
リアスは思ったことをそのまま話した。だけど悠馬は不満そうな顔をする。
「そうかなぁ。自分で言うのも何だけれどもサビに入る前が少し声を抑えすぎているような気がするんだよね。これだとサビ開始がやかましく感じちゃう。それに2分23秒のところ。息継ぎが不完全で、タイミングが少しずれちゃってる。ちゃんと直さなきゃいけないよなぁ。あと――」
悠馬はリアスの感想にお礼を言うでもなく、思うがままに自分の声を振り返った。自分から聞いてきたのにも関わらず、自分の世界に入り込んでリアスのことなどおかまいなしだった。
「へぇ、そうなの。それにしても月城くん、女の子に自分の声を聴かせてそれの是非を聞くなんてずいぶんいい趣味してるわね。ナルシストなのかしら」
特に深く考えずに述べたリアスは、悠馬のその態度が単純な回答しかできなかった自分がないがしろにされているように思えて少し癪に触った。
「別にそういうわけじゃないよ。ただそう思っただけで……、だけどたしかにある意味ではナルシストっていうのは当たってるかもしれないね」
「えっ?」
悠馬は立ち上がり、グラウンドの方向に視線を移した。そこでは陸上部の生徒が次々とハードルを跳び越え走っていた。
「僕はね、将来バンドで成功したいと思っているんだ。仲間たちと一緒にね。だから僕は自分の歌に関しては少しでも自信を持っていたいんだ。いや、持たなければならないのかな。クラスメートの一人にも聞かせる自信すらなかったら、成功なんてできるわけないしね」
リアスは悠馬の顔を見た。やっぱりどこか照れくさそうな顔だったけど、良い表情だな、とリアスは思った。
「月城くんはすごいわね。自分の夢をそうはっきりと言い切れるなんて」
リアスはどこか悠馬が羨ましかった。リアスの将来は、すでに決まっていた。グレモリー家の当主となり、そこそこ家柄のいい婿をもらい……。そんなレールの上を進む。リアスは自分のやりたいことをやりたいようにはできない。
だけど悠馬は違う。自分の目指したい姿に愚直に進むことができる。将来の夢に向けて必死に頑張ることができる。リアスはそんな悠馬の姿が、人間の姿がとても眩しく見えた。
「そんなことないよ。バンドで成功するなんてそれこそ星を掴むほどには大変なことだって言われてるし。まだまだ僕たちは成功するためにやらなくちゃいけないことだってたくさんあるんだ」
「ふふっ、本当に楽しそうに話すわね、月城くんは」
「そりゃあ、自分の好きなことで、夢でもあるからね。そうだ、グレモリーさん、僕たちのライブを見に来ない?」
見に行ってもいいかもしれない。そう思ったリアスであったが、素直にそう言うのはどこかためらわれた。まだ会って少ししか経ってない異性に、そう良い返事をするべきではないと思ったから。
「そういうことは彼女に対して言うんじゃない? それともこれは月城くんなりの告白なのかしら」
リアスは悪戯な笑みを浮かべて言った。もちろん、リアスにとってそれはちょっとした冗談だ。
魅惑的な微笑みをするリアスに対して、悠馬は思わず視線を横に外してしまった。だけど悠馬ももちろんリアスが冗談で言っていることくらい分かっている。
だから悠馬も平静を装った。
「そうだよ。こういう告白のしかた、グレモリーさんはあまり好きじゃないのかな?」
「えっ――」
まっすぐ瞳を見つめてくる悠馬に、リアスはついつい顔を赤らめてしまった。
「何てね。冗談だよ、冗談」
「……知ってるわよ。それくらい」
リアスはぷいっと悠馬から顔を背けてしまう。見事に一本取られてしまった。リアスは一度咳払いをし、話をもとに戻した。
「そうね。行ってあげてもいいんだけど、ライブってこっちにくるのかしら?」
「主に向こうで活動しているからこっちは厳しいかもしれないね」
「そうなの……。ちょっと残念ね。女の子を誘ってくれるものだから、てっきりこっちでやるものだと思っていたのに」
リアスは少し嫌味っぽく言った。さっきの意趣返しである。
別にリアスは行けないというわけでない。ただ悠馬に難色を示してみたかっただけである。彼女はなかなかの負けず嫌いなのだ。
「だったら、こっちでライブすれば来てくれるのかな?」
「へっ――?」
リアスは悠馬の瞳を見た。また冗談を言っているのだと思った。だけど悠馬の目はすっかり澄みとおっていた。
「別にそこまでしなくても……」
「けど、女の子を誘うならこっちから来なきゃ行けないんでしょ?」
悠馬はリアスに優しく微笑んだ。
「だからさ、もしこっちでやることになったら是非来てよ」
「そんなに私に来てほしいの?」
「うん。グレモリーさんには是非とも。最初にこの学園で聴いてくれたのはグレモリーさんだからさ。グレモリーさんには一番の席を用意したいんだ」
「……」
リアスはただ悠馬のことを見つめた。次に言うべき言葉が出てこなくてただ見つめたのだった。
――バサッ
少しばかりの沈黙の後、リアスがようやく口を開こうとするとかすかな羽音が彼女の耳に入った。
ふと、リアスは横に視線を移した。そこにはリアスの使い魔の蝙蝠が柵に止まっていた。
それは朱乃からの旧校舎に来てほしいという合図。
「そうね、そこまで言うなら考えておくわ」
手短にそう言うと、リアスはその場を立ち上がり、優雅に出入口へ歩いた。
リアスが彼女の周りを飛ぶ使い魔を見ると、ニタニタと嫌らしく笑っていた。腹が立った。そんなんじゃないのに……。
「カッコなんかつけちゃって」
リアスはそうぼそりとつぶやき、屋上から出ていった。
ライザーとの縁談の話のタイミングを好き勝手してしまいましたが、ご容赦ください。