喰種、人の姿形をしていながら人を喰らう存在。
人ってどんな味がするのだろうか。
牛や豚と違って美味しくなるように育てているわけではないからマズそうなものだが。
でも喰種は人と舌の作りが違うらしいからどうなのだろうか。
小学生の頃に読んだバンパイアの本では、人の血はフライパンで溶かした濃厚なバターのような味わいだとか言っていた。
そう思うと、案外人を喰べるというのも悪くないのかもしれない。
こんなことを考えてしまっている僕は多分、頭がおかしいのだろう。
加納が姿を消す数日前。
「天野くん、調子はどうだい?」
「…」
「なにか変わったことはないかい?」
「…加納先生、僕になにかしました?」
「なにか、というと、手術かな」
心配そうに僕を見ているがなにか違和感を感じる。
二週間ほど前に自宅で倒れていたのを発見され、病院へ連れて行かれた僕。
緊急で移植手術が行われ、そして2、3日前に意識が戻った。
「他の患者から聞いたんですけど、僕を手術する前にも移植手術したんですよね。確か、金木さん?でしたっけ」
ニュースで見たのだ。この加納という医者がその金木という人に緊急で移植手術をしたと。
緊急とはいえ、無断で移植手術を行なったことに対し、世間から批判を浴びている。
「無断で手術をしたのは君にも金木君にも申し訳ないと思っている。しかし、君にも金木君にも保護者がいない。
…君のご両親は事故で亡くなられたそうだね」
「あの…ここの食事は腐ってるんですか」
そんな話はどうでもいい。
「病院食はやはりお気に召さないかね?」
とぼけてる。見ていて胸糞悪くなる顔しやがって。
「というかそもそも、意識が戻って次の日に食事させるのはおかしくないですか?」
意識が戻った次の日にはほとんど身体に異常がないのだ。
人の身体がこんなにも治りが早いわけがない。
もう退院できる勢いだ。
「いやぁ、君の回復力が凄くてね。試しにと思ってね」
正直、今まで入院した経験がないため、これが異常なのかもわからない。
「天野くん、もし、なにかあったら私のところに来なさい」
そう言って差し出されたのは名前と電話番号が記されただけの味気ない名刺だった。
「ではまた。天野くん」
そう言って病室を出ていく加納の笑った顔からはドス黒いものを感じた。
自分の身体はおかしい。
まず、お腹が空かない。
意識が戻ってから食事はほとんど口にしていない。
あのとき食べたものはすぐに吐いた。
ここに来る前も食欲はなかった。
ただ単に食べたものの味がしなかっただけなのだが、これは違う。
まずいとかそんなものですらない。
舌が拒絶しているのだ。
明らかに味覚が変わっている。
もう一週間以上も食事をとっていない。
味覚が違う。
なにか引っかかる。
そうだ。喰種の特徴と同じなのではないだろうか。
いや、たったこれだけで判断するのはおかしいな。
ある意味自意識過剰、考えて過ぎ。
僕の悪い癖だ。
でも、お腹が空かない理由がわからない。
どうして味覚が変わっている?
そうだ、金木ってひとに会いに行こう。
彼ならなにかわかるのかもしれない。
看護師の話では金木ってひとも僕と同じように食事を拒んでいるそうだ。
彼は僕よりも早く手術している。
ということは少なくとも二週間以上は食事を取っていないということだ。
それにしてもこの看護師はおかしいと感じないのか。
普通、人が二週間以上も食事を取っていないのならおかしいとわかるはずだ。
ましてや看護師だ。心配して無理やり食べさせようとするくらいが普通なんじゃいないか。
…あるいは加納がなにかしているのか。
加納はあの日以降僕のところへは来ていないし、病院でも姿を見かけない。
とりあえず金木さんの元へ急いだ方がいいかもしれない。
病室を出て看護師に金木というひとのいる場所を聞くと、彼はもう退院したという。
やはりおかしい。
移植手術をしないといけないような事故にあった人がそんなに早く退院できるわけがない。
骨折でももっと長いだろう。
ふと、ロビーのテレビが目に止まった。
『一昨日未明、死体で発見された女性の現場から喰種の分泌液が採取され、今回の事件には喰種が関与しているとみて、警察はこの事件をCCGに書類送検しました』
もし、自分が喰種になっているとしたら、僕はどうすればいいのか。
懐から加納の名刺を取り出し、公衆電話で電話をかける。
『もしもし、天野君か?』
「ああ」
『やっぱりね。そろそろ電話がかかってくる頃だと思っていたよ』
「お前、僕に喰種の臓器を移植しただろ。金木ってひとにも同じことをしたんだろ?」
『病院を出てすぐ近くの公園に来なさい。車を待たせよう』
そう言って一方的に電話を切った。
するとタイミング良くひとりの看護師が来て「服をお持ちいたしますから一度病室へお戻りください」と言ってきた。
おそらくこいつは加納の部下、といったところか。
病室に戻り少しすると先ほどの看護師が服を持ってきた。
いずれも家にあったものだ。
加納という医者は一体何者なのだろうか。
服を着て病室を出ようとすると看護師に呼び止められた。
看護師は赤い液体の入った小瓶を取り出しそれを開けた。
僕の鼻腔を駆け巡る人間の血の香り。
急激に空腹に襲われた。
ああ、この看護師けっこう美味しそうだ。
ほどよく引き締まった二の腕と足は鳥の手羽先に見える。
内蔵の詰まったお腹はどんな味なのだろう。
喉を引き裂いて滴る血を飲んでみたい。
本当にバターの味がするのかもしれない。
「あなたの赫眼は右眼です。眼帯を右眼につけてください」
そして看護師は出て行った。
鏡を見ると僕の右眼は紅黒くなっていた。
目的の場所に着くと一台、黒塗りの車を発見した。
いかにもそれらしい。
ドライバーが気づいたのか、こちらにウインカーで合図をした。近づくとそっと窓が空いた。
「やあ天野空君。今日は君にチャンスをあげよう。さぁ、乗りたまえ」
そして乗った後の記憶はなかった。
気がつくとそこはどこかの廃工場らしかった。
周りにはいくつか明かりが灯っていて今いる場所を充分に把握することができた。目の前には小さな包みとカードが置かれていた。
包みからは美味しそうないい香りがする。口から唾液が出るのを我慢した。
お腹が鳴る。身体がそれを欲しがっている。
なにが入っているかはわかる。
もし、僕はこれを喰べてしまったらもう人ではいられない気がする。
あの小説でも主人公は血を飲むことを躊躇していた。
必死に自分は人間だと主張し、頑なに血を飲むことを拒んでいた。
僕はどうだろうか。
「はははははぁ‼︎喰ってやる」
僕はどうやらネジが外れてしまったようだ。
包みを乱暴に開け、それがなにかも確認せず喰らう。
飢えが満たされていくのを感じる。
噛むと出てくる血は病みつきになるうまさだった。
ふとカードがあったことを思い出し、血だらけの手でカードを掴み読んだ。
『君らふたりにチャンスをやろう。勝った方が生きることが出来る。
君たちが金木君のような成功体になることを祈る』
ようはどっちかが死ぬ、ということだ。
勝てば生きる。
君たちが金木君のような、ということは相手は金木ってひとではないのだろう。
突然斜め前から殺気を感じた。
左眼が赤黒く、背後からはしっぽのようにくねくねとうごめくものが二本あった。
おそらくはあれが赫子なのだろう。
赫子にもいくつか種類があるらしいがよくは知らない。
「お前も加納に改造されたのか?」
「なんだお前は」
眼が血走っている。いかれている。
さっきの僕もそんな感じだったのだろうか。
他人のそんな姿を見るととても滑稽だと感じる。
僕はケンカをしたことがない。だから、人を殴ってみたいとか、刺してみたいとか思ったことがある。
どんな感触なのかなぁ。
今なら、目の前のやつになにをしてもいいんだ。
殺せ。
頭の中から聞こえる。
気づくと走り出していた。
向こうを僕に向かってきた。
赫子が飛んでくる。ギリギリで避けると頬を掠めた。
二本目が頭の上から飛んできた。
前に出て距離を縮める。
手の届く距離になり、相手の腹に左手でねじ込むようにパンチを入れる。
「ぐはぁっ!」
相手の身体はくの字のように曲がる。
人を殴るってのはいい感触だ。
相手の内蔵が悲鳴あげているのが拳から伝わる。
相手はすぐに持ち直し、蹴りを僕の顔めがけて放った。
一歩引いて避ける。
それと同時に相手の赫子が僕の腹を突き破った。
「はははぁ。お前、赫子が出せないのか?」
僕の中でなにかがうごめくのを感じた。
背中が熱い。
赫子が僕の皮膚を破ってくるのがわかる。
いい気分だ。今なら僕はなんでもできる気がする。
「あははは」
「おいおい、腹突き破られた程度でいかれるなよ」
勝利を確信しているのか、汚い顔からは笑みがこぼれている。
赫子とは不思議なもので、簡単に操作ができる。
正直手や足よりも使いやすい。
イメージするだけで勝手に動く。
「なんだ。お前も俺と同じ赫子なんだな」
赫子に同じなどがあるのだろうか?
よくは知らない。まあどうでもいいが。
今度は僕の番だ。
前に出ると同時に一本の赫子を背後の地面に入れる。
もう一本を右から弧を描くように放つ。
相手は二本の赫子を一本の太い赫子にまとめそれを防御した。
まとめて防御力や攻撃力を上げることもできるのか。
勉強になります。
「ぐああああ‼︎」
相手の身体から血が吹き出る。
地面に仕込んだ赫子を相手の腹に突き刺したのだ。
ひるんだ隙に相手の赫子を根っこからぶった切る。
腹に突き刺したままの赫子でそのまま相手を持ち上げ、もう一本をゆっくり相手の顔に近づける。
「辞めろ!悪かった!殺さないでくれ」
「ふふふっ」
笑ってしまう。
とても愉快な気持ちだ。楽しい。楽し過ぎる。
すぐにやるのは惜しいな。
「じゃあ…」
まず右腕。
「ああぁ!」
次は左のふくらはぎ。
「ああぁ!」
その次は左腕。
「うあぁ!やめてくれ!」
じゃあ右の太もも。
「ああああぁぁ‼︎死ぬ!うはぁっ」
相手の身体は穴だらけで傷が修復しきれていない。
喰種って不死身ではないんだな。
腹に刺したままの赫子を引き抜くと相手は崩れ落ちた。
身体がピクピクと動く。
まるで死にかけの虫みたいだ。
二本の赫子を一本にまとめ、頭に突き立てる。
「やめてくれ…」
相手はもう虫の息だ。
「あはは。やだ」
相手の頭はぐしゃっと音を立てて潰れて弾けた。