チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

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蛇足
蛇足01話「魔王軍 vs 人間一匹」


 神々の天蓋にてドラゴンが一人の人間に敗れた。

 ことの始まりはその翌日となる。

 

 

 

 セルモンドは行軍中であった。

 魔王の命を受け、町を襲撃しに行く途中だ。

 四天王の一柱である剛拳のセルモンドが直々に人間を狩りに出向く。

 増えすぎたゴミどもに自身の無力さをわきまえさせる必要がある。

 

 前方に影ありと手下から伝言がきた。

 セルモンド自身も確認する。すぐに見つけた。

 荒涼とした原っぱを人間が歩いている。

 周囲に人影は見当たらない。

 

 人間は弱い。

 屈強な我ら魔族とは異なり、あまりにも弱く脆い。

 個々で敵わず集団となり武器を、魔法を、知恵を使い対抗してくる。

 対抗と言っても、その力はたかが知れている。脆弱にすぎる。

 ときどき潰して身の程をわきまえさせることが肝要だ。

 

 セルモンドの視線の先には、ひ弱な人間が一匹。

 人間もセルモンドたちに気付いたようで、ぼんやりとこちらを見ている。

 

「セルモンド様。食らってしまっても?」

 

 問われたセルモンドは考える。

 通常なら確認も取らずに食らっている。

 どうして手下が彼に確認を取ったかと言えば、場所が場所だからだ。

 

 ここよりすぐ北東には「灰竜の聖域」がある。

 竜の住まう丘より川に沿って下ったところにある小さな集落。

 そこでは人間どもが酒造を行っている。

 造られた酒はすべて竜への貢ぎ物だ。

 

 もし、この人間が聖域の者ならば手を出せない。

 過去に魔族が集落を襲って酒造が滞り、竜を激怒させた。

 魔王様が秘蔵の酒を送ることでなんとか怒りを収めたのだが……。

 四天王の二人が消滅、城も半壊という大惨事。

 これ以降、聖域に手を出すことはおろか近づくことすらも勅命によって禁止された。

 

 聖域の人間が外に出てくることはあれど、この辺りには滅多に来ない。

 それに聖域の人間であれば、竜の紋章をぱっと見てわかる位置につけている。

 

 荒野の先にいる人間にセルモンドは目を移す。

 人間の形状に詳しくないが、おそらく雌であろう。

 外見を見ても特に甲冑の類いは着込んでいない。

 あの様子では一撃の下に死に絶えると見える。

 右側の腰には小さな剣をぶら下げ。

 左側にはこれまたちっぽけなクロスボウがついている。

 今までに見てきた戦える種類の人間には見えない。

 どちらかと言えば、愉快な悲鳴を上げて逃げ回る人間に近い。

 聖域を示す紋章も見て取れない。

 それならば――、

 

「食らえ」

 

 生かしておく理由はない。

 そう判断して手下どもに食事を許可する。

 

 彼らはそれぞれ競い合うように人間へと向かっていった。

 あるものは無数の足を蠢かせ、あるものは巨体で地を揺らしていく。

 セルモンドも余興を見物するため、人間に歩を進める。

 

 手下どもが向かうとほぼ同時。

 人間は腰にぶら下げていた剣を抜いた。

 どうやらあの人間は我が手下たちと戦うつもりのようだ。

 手下と言えど、四天王セルモンドの選ぶ力量のある魔族である。

 あの人間は小さな剣でいったいどうするつもりなのか。

 

 いよいよ先頭集団が人間に襲いかかった。

 セルモンドの位置からはすでに人間の姿が手下に隠れ見えなくなった。

 

 次の瞬間には人間の姿が微塵も残らず消え、手下が戻ってくる。

 ――彼の予測は外れた。

 

 消えたのは人間ではなく、セルモンドの手下たち。

 倒れるのでも引き裂かれたわけでもない。

 光となっていなくなった。

 

 光の粒子の合間から人間の立ち姿が映る。

 剣を振ったのか位置が体の横に移動していた。

 

 セルモンドはその光景に思わず足を止める。

 一方で勢いづいている手下たちは止まることはない。

 光に包まれている人間へと一直線に向かっていく。

 

 そして、彼らも光と消えた。

 あまりにも一瞬の出来事だった。

 先頭の一人が倒れるだけではなく、後続のものたちも倒れていく。

 人間は倒れたものたちに次々と容赦なく剣を突き刺す。

 すぐに手下達は光と消えていった。

 

 セルモンドは呆然と彼らを見送った。

 夢を見ているのではないかと目をこする。

 再び目を開くとやはり手下たちの姿はどこにもない。

 地を引きずった跡がセルモンドの周辺から伸びている。

 その先には人間が一匹。

 

 どうしてもただの人間にしか見えない。

 人間は部下の進行により草が抉られ剥き出しになった地面を歩く。

 焦れるほどの歩調でセルモンドに向かってくる。

 

 セルモンドは足を後退させた。

 無意識だ。彼の無意識がこいつは危ないと訴えている。

 

 だが、彼にはその事実が受け入れられなかった。

 

 目の前にいるのは人間。

 様々な手段を用いて抵抗をしているが、しょせんは魔族の糧となる存在。

 そんな矮小極まる生物に対して魔王軍四天王である剛拳のセルモンドが恐怖を抱いている。

 

 そんなこと――あってはならない!

 

 セルモンドは人間へと大きく足を踏み出し、全力で拳を振り下ろす。

 人間に近づくと彼は力が抜けるような感覚に襲われた。

 それでも振り下ろされた拳は地に深々と沈み込む。

 すでに人間の姿はない。

 拳の下だ。

 

「そうだな……。上級くらいか」

 

 低くかすれた音がセルモンドの後ろから響く。

 彼は人間の言葉を解さないため何を言っているのかはわからない。

 

 振り向こうとしたところで彼は目眩に襲われた。

 痛みのあと、全身の力が抜けていく。

 膝を落とすこともできなかった。

 足が光へと消えていっていた。

 すぐに視界も暗転する。

 

 オレ様が、死……。

 

 セルモンドの思考は最期までもたなかった。

 魔王軍四天王が一柱――剛拳のセルモンドは消滅した。

 

 

 

 魔王城の一室は重い空気に満たされていた。

 

「セルモンドがやられた?」

 

 凶報を受けた魔王は吐き出すように呟く。

 たったそれだけの動作で室内の空気はいっそう重く冷たくなる。

 

「はっ、我が部下の報告によりますと一匹の人間により滅ぼされた、と」

 

 鋭いくちばしを持ち、今は翼を畳んだ鷹のような魔族が答える。

 彼こそが四天王の一柱――裂空のカルロである。

 カルロは続ける。

 

「されど魔王様。セルモンドは四天王といえど我らの中でも若輩にして最弱」

「人間に負けるナド、魔族の面汚しダ」

 

 体がどろどろと溶けては落ちるスライム状の魔族もカルロに続く。

 性別はないが、どちらかと言えば心が女なスライム――不浄のフグイラである。

 彼女の口から出た瘴気に魔王とカルロは顔を歪める。

 

「エドに続いて、セルモンドまでやられるとは……」

 

 つい先日も聖女とやらに曇天のエドがやられたばかりだ。

 意趣返しとしてセルモンドを送ったが返り討ちにされてしまった。

 しかも、その人間は魔王城に向けて歩を進めているという。

 噂の聖女ではないようだが、警戒するに越したことはない。

 

「情報を集める必要がある。見てこいカルロ」

 

 ハッ! とカルロは快活に返答する。

 彼は部屋を出る寸前に翼を止め、魔王を振り返る。

 

「ところで魔王様。見てこいと仰りますが、殺してしまっても構わないのでしょう?」

 

 魔王は口端をつり上げ嗤う。

 

「無論だ。魔族のなんたるかを人間に刻み込んでこい」

 

 この言を聞くや否やカルロは部屋から飛び出した。

 

 

 

 城より飛び出したカルロは部下を連れ、セルモンドが行軍していた道をたどる。

 はるか上空より道なりにたどっていくと、人間の姿が見えた。

 たった一匹。周囲をよく見ていくが伏兵はない。

 周囲の部下も確認できないようだ。

 

「あれ、ではないよな……?」

 

 カルロは困惑する。

 声にも出てしまっていた。

 

 人間は道なりにとぼとぼ歩いている。

 じっくり見てみるが武器は片手剣とクロスボウのみ。

 どうやってもあれではセルモンドを討ち取ることなどできない。

 

 ――とは言っても、ここは魔族の領域だ。

 ここにいるということと、人間の来た方向は東。

 これらの情報からセルモンドはやはりこの人間にやられたと導かれる。

 

 人間もカルロらに気付き、眠そうな目をさらに細めて見上げる。

 口もうっすらと開かれ間抜けな顔だ。

 なんにせよ排除する必要がある。

 

「右翼部隊。かかれ」

 

 カルロは自身の右を飛ぶ部下に号令をかける。

 部下たちは人間に向かい急降下を始める。

 

 人間も徐に剣を抜く。

 焦りはまるで見て取れない。

 

 部下たちは人間まであとわずかというところで地面に落ちた。

 

「なにがおこっている……」

 

 カルロの質問に答えられるものはいない。

 地に落ちた部下たちは順々に剣を突き立てられる。

 血は一滴も出てこず、淡い光の粒子となって消えていく。

 

「近づいてはならん。このまま様子を見る」

 

 人間は地に落ちた部下たちをすべて片付けるとこちらを見上げてくる。

 じっと見てくるだけで何か仕掛けてくる様子はない。

 ぶつぶつと独り言を漏らしている。

 魔力の流れに乱れ無し。

 詠唱ではないな。

 

「全部隊。我に続いて詠唱を始めよ」

 

 地対空の攻撃手段がないのなら、空より魔法で一方的に攻めるのが良い。

 カルロはそう判断し詠唱を始める、が、

 

〈くわぁあぜのぉぬぁぐわぁれぇうわぁ――〉

 

 詠唱がおかしい。

 早く詠もうとするが、口がついていかない。

 詠唱を止めようとしたものの、止めることもできない。

 次の言葉が勝手に口から出てくる。

 

 なんだ! なんなんだこれは!?

 

 周りを確認するとどうやら我だけではないようだ。

 部下たちも慌てふためいている。

 

 ふと人間を見ると剣を顔の前に立てていた。

 刀身が赤く染まり始める。

 

 なにかわからないが、あれはまずい。

 避けろと声を出したいが、詠唱のせいで叶わない。

 このままではいけないと飛ぶ軌道を変える。

 

 ――まさにその瞬間。

 

 カルロのいた場所。

 すなわち、部下たちが未だ密集している場所を赤い帯が通過した。

 赤い帯はそのまま雲に穴を開け、上空に飛んでいく。

 帯の通過した地点に部下は残っていない。

 

 赤い帯が炎だと気付いたのは、熱波で翼が焼かれてからだった。

 翼をなくした我は為す術なく地面に引っ張られる。

 そうしてカルロは地面に激突した。

 

 落ちた衝撃では死ぬこともできない。

 朦朧とした意識の中で足音が聞こえてきた。

 視界もぐにゃりと歪み、はっきりと見えないが人間だろう。

 

「……うむ、まったくだ。さすがゲロゴンを倒して手に入ったスキルというだけあるな」

 

 また独り言だ。

 げろごん? すきる?

 人間の言葉はわかるが聞いたことがない。

 それとも耳がいかれてしまっているのだろうか。

 息もうまくできなくなっている。頭が割れるほどの痛み。

 おかしい。焼かれたはずなのに翼が寒い。凍ってしまいそうだ。

 痛い。体が痛い。ぶつけた頭が痛い。焼きただれた翼が痛い。

 こんなにも痛いのに口は痛いとも言わず詠唱を続ける。

 

「そうだな……。楽にしてやろう」

 

 人間はそう言って剣をカルロの頭に突き刺した。

 彼はすぐさま光となって消えていく。

 

 四天王の一柱――裂空のカルロは痛みから解放された。

 

 

 

「全滅……?」

 

 魔王は報告が信じられず聞き返す。

 配下も今一度報告を繰り返して伝える。

 

「タダの人間ではナイ」

 

 フグイラは焦らない。

 人間がアレマメイズに向かっていると聞いた。

 アレマメイズは彼女の本拠地。あそこなら彼女は魔王とも互角以上に戦える。

 それならば人間はもう死んだも同然。

 誰も疑うことはない。

 

「行ってクル」

 

 魔王の返事を待つこともなくフグイラは部屋を出た。

 

 

 

 フグイラはアレマメイズにて待ち構える。

 

 彼女は部下も配下も持たない。

 昔はいたが彼女の毒にやられて死に絶えた。

 

 セルモンドやカルロは部下の数で自慢しているが、それは自身が弱いと認めているにすぎない。

 自身の無力さを数でごまかしているだけ。数の宣伝は、すなわち弱さの宣伝。

 そんな体たらくだから、人間ごときにあっさりとやられてしまったのだ。

 魔王も然り。あの男がやられる日も遠くないと彼女は考えている。

 

 魔王本人も年を取ったと話していた。

 力もだいぶ衰え、人間に反逆を許している。

 後進魔族の育成を怠ったのがまずかったと言える。

 今の若手は血の気ばかりが多く。実力がまるで伴っていない。

 魔王の後釜を探しているようだが、そんな奴は見つからないだろう。

 どいつもこいつも部下の数を誇るだけだ。

 

 別に部下の多さをうらやんでいる訳ではない。

 部下や仲間と楽しそうに話してる連中が妬ましい訳もなく。

 人間の町を襲うまでの道中、話し相手がいなくて寂しいと感じるはずもなく。

 ましてや触った相手を悉く溶かす自身の力を忌まわしいと思ったことなんて一度足りたもありはしない。

 いやほんとに。

 

「羨まシクなんか……ナイ」

 

 …………実を言うとちょっと羨ましい。

 ほんとにちょっとだけ。

 

 せめてまともに話せる相手がいればなぁ、と思ったこともあったがもう諦めた。

 魔王の下なら見つかると思ったが、気付けば四天王の一柱になっていた。

 今や魔王さえも彼女の毒に顔を顰め、会話も二言、三言で終わる。

 いっそ彼女が魔王を引き継いでやろうかと考えたこともある。

 しかし、配下はどうせ毒で死んでいく。むなしいだけだ。

 

 そんな思考を三周ほどしていると件の人間がやってきた。

 報告にあったとおり、たった一匹。

 ぶつぶつ独り言を愚痴ている。

 気持ち悪い奴だ。

 

 さっさと殺してしまおう。

 人間にはなんの期待もできない。

 過去にも強いと言われていた人間はいた。

 

 あれは三百年くらい前だっただろうか。

 勇者などと呼ばれ、魔法使いに格闘家、あと一匹はなんだっだかな……。

 とにかく、人間がたった四匹で魔王城へと邁進していた。

 現在同様、当時の四天王もフグイラ以外やられた。

 満を持して彼女が出向いた。

 

 楽しみで仕方なかった。

 勇者と呼ばれるくらいだ。

 フグイラの毒など効かず、倒してくれる。

 見た目は愛嬌のあるスライムだ。これはいける!

 うまく倒れたところで起き上がって見つめれば、きっと仲間にしてくれる!

 

 いざというときのため人間の姿に変形する練習もした。

 人間の言葉は解せないが、物覚えはいい方だ。

 すぐに意思疎通できるようになるだろう。

 

 ――そんな淡い期待をしていた。

 

 結果は無情。期待は溶けて消えた。

 魔法使いは瘴気にやられ詠唱もできない。

 格闘家とあと一人もフグイラに攻撃し、毒で溶けた。

 勇者の持っていた剣は毒に耐えたが、持ち主が溶けてなくなった。

 持ち主を失った剣だけが今も地面に突き刺さったままだ。

 悟った。人間では彼女の毒に耐えられない。

 今や魔族ですら耐えられない。

 聖女とやらも同じだろう。

 

 さて、そろそろ殺してしまおう。

 フグイラは人間の正面から堂々と近づく。

 人間も気づいたのか足を止めてフグイラを見つめる。

 

 アレマメイズは瘴気に満ちている。

 フグイラが長年住み着いたせいで瘴気はより濃厚になった。

 一段と濃密になった瘴気がフグイラを強化するという循環を形成する。

 さらに迷路状の構造になっており、来訪者を確実に毒で蝕み殺す。

 昔はいくらか魔族が住み着いていたが、今はフグイラ一人だ。

 

 この瘴気の中でも人間は平然としている。

 さすが四天王を二人倒しただけのことはある。

 なにかの加護か装備により耐性をつけているのであろう。

 ただ、この瘴気はフグイラにとっては毒と言うのも憚られるものだ。

 彼女自身の毒に比べれば、こんなもの外の空気と変わりはない。

 むしろ、こちらの方が落ち着くというもの。

 

 人間は剣を抜き、フグイラに近づいてくる。

 フグイラは自身の一部を分離させ人間に飛ばす。

 

 これで終わりだ。

 粘液がかかれば即死。

 体はすぐに溶けて消える。

 

 飛ばした粘液は軽く避けられた。

 しかし、問題はない。

 気化した毒ガスが死に至らしめる。

 ――はずだった。

 

「ホウ!」

 

 フグイラは感嘆の声をもらした。

 人間は死んでいない。まだ歩いている。

 顔も変わりはない。おそらく大丈夫なのだろう。

 かなり強い耐性をもっているようだ。

 殺すのが惜しくなってきた。

 

 人間は近づいてきて剣を振るう。

 フグイラは避けない。物理的な攻撃は効かない。

 それを彼女自身が一番理解しているため、その後の現象が理解できなかった。

 

 熱い。斬られた部分が異常に熱い。

 体から力も抜けていく。

 彼女は思い出した。

 これは痛みだ。

 

 痛みなどここ五百年はなかった。

 しかも物理的な攻撃で痛みを感じたのは初めてだ。

 なんだあの剣は……。なにか属性的な加護を受けているのか。

 これはまずいと思ったのもつかの間。

 人間が彼女の体に触れた。

 

 あ、終わった……。

 

 溶けて死ぬ。あっけない終わり、と思った瞬間。

 人間は剣を彼女に突きだしてきた。

 驚きのあまり体がとろける。

 おかげで回避できた。

 

「い、生きテルっ!?」

 

 驚きという言葉ではなまぬるい。

 人間は先ほどと何も変わった様子はない。

 毒で溶けるどころか死んですらいない。平然と斬りかかってくる。

 

 フグイラの中で喜びと恐怖が同時にふくれ上がっている。

 自身に触っても大丈夫なものを見つけた喜び。

 自らの命の危険及び未知の生命体への恐怖。

 

 外見は人間だが、こんなものが人間であるはずがない。

 さらに先ほどからうまく力が入らず、頭がもうろうとしている。

 彼女は自身が毒に冒されるなどなかったため、これが毒だとはわからなかった。

 

 フグイラの混乱は極まった。

 なんにせよ、このままではまずい。

 せっかく自身の毒を受け付けないものを見つけたのに消える訳にはいかない。

 すでに敵意はない。敵意なんてあるわけがない。

 死にたくない。その一心で攻撃を躱す。

 

 一か八かの賭だった。

 フグイラは体を変形させた。

 かねてから練習しておいた人間の形状だ。

 彼女の姿を見て未知の生命体は初めて表情を変えた。

 人間の顔の造詣には深くないため、彼女はその顔がどういった感情なのか理解できない。

 ただ、攻撃の手を止めたことから敵意がないことはわかってもらえたようだ。

 なぜか剣を蹴りつけたが、これはいったいどういう感情表現なのだろうか。

 フグイラは自身の外見が美女の裸体になっていることを知らなかった。

 

「とにかくだ。敵対反応は消えたし放っておくか。しょせんスライムだし」

 

 生命体は何か喋るがフグイラには理解できない。

 剣を背に回して見えないようにして、生命体もフグイラへの攻撃を収めてくれた。

 

「しかし、困ったな。似たような場所を行ったり来たりだ。得意のチートでどうにかならんのか」

 

 謎の生命体はまた独り言を始めた。

 やはりフグイラには何を言っているのかはわからない。

 こんなに近くにいるのに会話すらままならないことが悔しい。

 

「おお、それはいいな」

 

 生命体がなにか呟くとフグイラに近づいてくる。

 そうして魔王城をビシッと指さした。

 案内しろということらしい。

 

 アレマメイズではほぼどこからでも魔王城が見える。

 見えているのは瘴気に歪められた幻影で、追えば追うほど道に迷う。

 目標は見えているのにいつまでも辿り着くことはできない。

 近づけば近づくほど、実際は遠ざかっている。

 どうやらこの生命体も迷っていたようだ。

 

 この生命体を魔王城に連れて行けば、フグイラは裏切り者。

 だが、この生命体が魔王を倒せば問題ない。

 今の魔王では絶対コレに勝てない。

 全盛期の頃でも勝てないだろう。

 恐怖の度合いがまるで違う。

 そうだ。コレこそが――。

 

 フグイラは生命体に手を伸ばす。

 人間の親睦の証は手を握り合うことだったはず。

 目の前の生命体は決して人間などではないが、姿を模しているなら同じ文化にいたのかもしれない。

 今一度、彼女に触れられるか確認しておきたい。

 

 生命体は警戒しつつもフグイラの手を握る。

 手が重なり合うも人間は溶けることなく平然としている。

 相手の触感を楽しむなんていつ以来だろうか。

 

 もう迷わない。

 フグイラは生命体の手を牽いて魔王城に向かう。

 

 ついに念願の接触を果たせた。

 できることなら話もしてみたい。

 動きで意志を伝えるのはあまりにも味気ない。

 せっかく触ることができたのに、相手の名前もわからないのは寂しい。

 

 フグイラは人族の言葉を覚えると固く胸に誓いアレマメイズを抜けた。

 

 

 

 アレマメイズが突破された。

 この報告に今度こそ魔王は耳を疑った。

 

 あり得ない。

 アレマメイズの突破。すなわちフグイラの敗北だ。

 瘴気のたちこめるあの場所でフグイラが負けることなど考えられない。

 魔王ですら苦戦……いや、今の彼に勝つことは難しいだろう。

 人間がそれを打ち破った。

 

 ……本当に人間か?

 人間に擬態した魔族ではないのか。

 魔族ならどれだけ喜ばしいことだろうか。

 新たな魔王誕生を諸手を挙げて祝っているところだ。

 しかし、人間なら魔王として、魔族の王として戦い抜かねばなるまい。

 

 城内は騒然としている。

 人間は堂々と正面入り口から入ったらしい。

 騒音は一時最高潮を迎え、徐々に静まっていく。

 

 そして、ついに魔王の間の扉が開かれた。

 

 どう見ても人間一匹。

 左手に安っぽい剣を持っているだけの人間。

 かつて戦った人間の豪傑らしき気配は感じられない。

 ちょっと臭うが魔族特有の臭いではない。

 人間臭さがにじみ出ている。

 

 見た目こそぬぼーとしているが、この部屋までたどり着いたことは事実。

 まずは切り結んでみるかと、歩を進める。

 このとき魔王はまばたきをした。

 敵を前にしてのまばたき。

 油断に他ならない。

 

 まばたきは瞬きと書くだけあって、目を閉じたのは一瞬だった。

 魔王の目蓋が上がると、人間はすでに魔王の眼前に立ち剣を振りかぶっていた。

 彼の尖った耳には人間が踏み込んだ床の音が遅れて聞こえてきている。

 さすが魔王と言うべきか、反射的に槍で脳天への一撃を防ぐ。

 槍から腕に伝わる重みは人間のなせる重みを超えていた。

 魔王が両手で防いでいるのに対し、人間は片手である。

 

 それだけではない。

 さきほどまで感じなかった圧力を魔王は感じていた。

 自身の命が目の前に人間に掌握されている感覚。

 体がうまく動かない。全身が竦んでいる。

 

 槍から軋む音が響くと同時に魔王は槍を手放し、人間から距離を取る。

 英断と言えよう。あとコンマ一秒でも遅ければ槍は折れ、魔王の体は一刀のもとに切り崩されていた。

 

 彼の手放した槍はシ・グラムと呼ばれている。

 魔王の祖であるシグが南の黒竜を討伐したときに背骨から作った竜槍だ。

 シ・グラムこそが魔王の証であり、魔王の力の象徴である。

 その象徴をこの人間は魔王から手放させた。

 あろうことか折る寸前まで追い詰めた。

 

 人間ではない。

 魔王は距離を開け、己の誤解を正す。

 見た目は明らかに人間だが、その実は魔人だ。

 

 魔人――魔族と人間の間にできた忌み子。

 数千年に一度誕生するかどうかと言われている存在である。

 魔族と人間の相反する力が奇跡的に混ざりあうことで異常な力を持つ。

 魔王の祖であるシグも魔人であったという説があるくらいだ。

 この尋常でない力は魔人でしか説明できない。

 

 目の前の存在が魔人と言えど半分は人間。

 純粋な魔族である魔王が力で負け、追い詰められた。

 

 慢心だ。

 魔王という地位に酔い。

 力の象徴である竜槍にもたれかかっていた。

 地位に、武具に頼っていたのでは人間と変わらない。

 魔族の本質である純然たる力を魔王本人が忘れていた。

 王がこの体たらくでは、魔族も衰退するはずだ。

 

 それならばだ。

 見せつけてやらねばなるまい。

 魔人という半人半魔という中途半端な存在に――。

 

 魔族の圧倒的かつ最純な力を!

 

 全身に力をこめる。

 かつて魔王の地位にまで駆け上がったときの力を引き出す。

 今一度、この身に魔力をほとばしらせる。

 魔王を示すのは服や装飾品ではない。

 もはや着飾るものなど不要。

 力あるのみだ。

 より硬く、太く、長く。

 すべてを蹂躙する力をこの身に宿す。

 

 皮膚は膨張し、内側の筋肉も密度を増していく。

 内側から生成する魔力は、外側にまでにじみ出ている。

 最近は縮んできていた二本の角も、天を貫く如くより伸びてきた。

 

 間違いない。

 今こそが魔王の全盛期。

 彼はかつての限界を超え、これからの魔王に遷移しつつある。

 

 まだだ!

 まだ力は湧いてくる!

 今までどこにあったのかわからない力が己が内より湧き出てくる!

 

「ウォォォオオオオオオ!」

 

 雄叫びが部屋を、城を、大地を揺るがす。

 もう少しだ。もう少しで魔王としての力は完成する!

 

「グゥオオ――」

「長いっ!」

 

 最後の仕上げと言わんばかりに声をあげたところで、魔人に斬りかかられた。

 避けることはできそうにない。

 

 一撃はくれてやる。

 現在の皮膚に剣の攻撃など無意味。

 剣を弾き返して、全力の一撃をちっぽけな身に叩き込む。

 

 魔人の剣撃に対し、魔王の皮膚にはかすり傷が一つ。

 見た目から読み取れるダメージはないといっても過言ではない。

 

 しかし、魔王は膝をついた。

 その精悍な肉体は悲鳴を上げた。

 痛みも痒みと言っていいものであった。

 

 問題は魔力だ。

 外にまで滲んでいた魔力が消えた。

 消えたというのは正確ではない。

 吸い取られたというべきだ。

 全身に駆動していた魔力どころか源泉から全て吸い取られた。

 安っぽい剣はただの硬い剣ではなかったか。

 魔力を吸収するとは魔族の天敵だ。

 

 魔人は膝をついた魔王に容赦なく追撃を加える。

 魔力を失った王に抗う術はない。

 

 魔族を凌駕する絶対的な力に、道具に頼る人間の脆弱性を認める力。

 二つの力の融合とは、げに恐ろしきものか。

 なるほど。これは、勝てぬな……。

 名前を聞いて…………。

 

 魔王は敗北を悟り、目蓋を下ろして長い眠りに――つかなかった。

 

 目が覚めた。

 慣れ親しんだ魔王自身の部屋が目に映る。

 己は確かに死んだはず。魔人に倒されたはずだ。

 体を見ても傷は一つ残らず消え去っている。

 斬られた傷も、刺された穴もない。

 夢を見ていたのかと部屋を見る。

 竜槍が床に転がり、その先には床の窪んだ跡がある。

 夢ではないようだ。

 

 振り返ると奥の扉が開き、最上階への緩やかな螺旋状通路が見えている。

 魔王は竜槍を拾い上げ、未だ夢見心地で通路を上っていく。

 この通路の先が死の世界なのだろうか、そんな思いを抱きながら。

 

 最上階には人間が立っていた。

 人間ではない、魔人だ。

 

「これはどういうことだ?」

 

 魔人は振り返り剣を構えたが、すぐに下ろす。

 

「さすがボスとあって、リポップが早いな」

 

 魔王は言葉がわからない。

 人間の言葉だとはわかるが、何を言っているのか理解できない。

 

「お、そうなのか。……もういいのか」

 

 魔人はぶつぶつ話す。

 最後の言葉は理解できた。

 もういいのかと、言ったはずだ。

 

「通じているか?」

 

 魔人は魔族の言葉を喋る。

 いや、よく見ると口が別の動きをしている。

 どうやら魔法で意志を通じさせているようだ。

 似たようなことをした人間を見たことがあった。

 

「通じている」

 

 魔王は一言、こう返す。

 どうして死んだはずの己が生き返っているのか聞きたい。

 だが、今はそれ以上に気になっていることがある。

 

「魔人よ。貴様は何者だ?」

 

 まずは魔人の名前と正体を知る。

 

「魔人? 私はメル。冒険者をやっている」

 

 メル。

 名前は平凡。

 威圧感もなければ威厳もない。

 

 その上、冒険者と名乗った。

 魔族の領域に入り込む危険を顧みない馬鹿な人間の総称だ。

 それはあくまで弱い人間の呼ばれ方である。

 冒険者より侵略者の方が正しい。

 

「いったい何の目的で我が城までやってきた?」

 

 城に来た目的。

 討伐で来ていたと思っていたが、どうも違っている。

 己はなんらかの高位な魔法で復活させられた。

 討伐が目的なら復活させることはない。

 

 なによりも竜槍が床に転がっていた。

 あれこそが魔王討伐の証。

 魔王の証でもある。

 それ故、魔王に成り代わるつもりもないということだ。

 

 そうだというならこの魔人は何をしにきた?

 

「言っただろ。私は冒険者。西に前人未踏の地があると聞いたんでな。踏破しに来た。ダンジョンもあるとはお誂え向きだ」

 

 人間の表情に詳しくない魔王でもわかるほどの得意げな顔で魔人メルは語った。

 どうやら侵略者でもない、観光者が正確であった。

 ダンジョンが何なのか魔王にはわからない。

 なぜ剣を蹴っているのかも理解できない。

 意味のわからないことだらけだ。

 

 魔人は己が欲求のためだけに魔王軍を壊滅させた。

 この力の行使こそ魔族のあるべき姿であろう。

 冒険者も侵略者も魔人には似つかない。

 観光者もふさわしいとは言えまい。

 

 魔人が呼ばれるべき名称を魔王は知っている。

 

 そして、決断した。

 魔王として最後の責務だ。

 手に持った竜槍を魔人に差し出す。

 魔人はぼんやりと眺めたのち竜槍を掴んだ。

 

 

 

 こうして新たな魔王が誕生し、魔族の繁栄は約束された。


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