チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

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蛇足03話「見よ! 東方は青く澄んでいる!」

 時は夕暮れ。

 とある集落の家の一室である。

 隅に置かれたベッドに男が一人横たわる。

 彼は胸を大きく上下させ、全身から汗を噴き出す。

 貴方はそんな彼の様子を難しい表情でじっと見つめている。

 

「どうでしょうか?」

 

 隣に立っていた男の夫人が貴方に問いかける。

 

 教えてやらないのか?

 この男――フェニルがどうなるのか貴方にはわかっているはずだ。

 

 ……そうか。

 沈黙で語るのか。

 それも一つの手段だろう。

 言葉にするにはあまりにも残酷すぎる。

 

「そんな――」

 

 フェニル夫人は目に涙を溜め、貴方に一歩近寄る。

 貴方は気圧され逃げるように目を伏せる。

 

「この人、朝は元気一杯だったんですよ! この子のために栄養のつくものをって! それがどうして! どうして……」

 

 夫人はお腹に手を当てる。

 目を伏せているなら、貴方にも見えているはずだ。

 彼女のお腹の膨らみが――新たな命はこの世界に産声を上げようとしている。

 だが――、

 

「私にはどうすることもできません」

 

 新たな命の父となる男の灯火はすでに消えかかっている。

 荒い息がいつ途絶えてしまってもおかしくはない。

 彼は明日を迎えることができるだろうか。

 貴方はどう思う?

 

「おそらく夜まで保たないでしょう」

 

 やはりそうなのか……。

 いま生きているのが不思議なくらいだ。

 ベッドの周りには男の出血を止めるために使った布切れが散らばる。

 無論、男の体は傷だらけ。目立つ外傷も一や二では足りない。

 それどころか毒までもらってきている。

 寂れた村だ。薬などない。

 死は目前だ。

 

「申し訳ありません」

 

 貴方が謝ることではない。

 むしろよくやったと賞賛されて然るべきだ。

 東の林でフェニルがモンスターに襲われ、運び込まれたのが昼過ぎ。

 薬もなく治癒術士もいないこの状況で、今の今まで男が生きているのはひとえに貴方の処置のおかげであろう。

 

 夫人もそれは理解している。

 それでも、彼女は夫の死を認められそうにない。

 

「どうにか……どうにかなりませんか。このままじゃ、この子には父親が――」

 

 夫人はそこまで言うと、口を噤む。

 

 きっと彼女は思い出したんだ。

 貴方にも妻がいないということを――。

 十年前。一人娘のシアを産み、そのまま息を引き取った。

 

 シアは貴方の家で留守番している。

 この部屋の光景はまだ幼いあの子に見せるものではない。

 

 気まずい沈黙が流れる中、部屋の外が慌ただしい。

 

「スーさん、いるかい?」

 

 沈黙を破るように男が入ってきた。

 彼は部屋の惨状に顔を歪めたものの、すぐに用件を話す。

 

 スーさんは貴方の愛称だ。

 住人全員――貴方の娘でさえもこちらで呼ぶ。

 そもそも、この呼び名を付けた張本人は死んでしまった。

 しかも彼女は途中から呼び方を変えた。

 どうでもいいことだ。

 

「人が来た。一人だ。西の入り口で待たせている。冒険者と語っているが、どうにも怪しい……。スーさんにも見てもらいたい」

 

 貴方が魔法使いとして冒険者をやっていたことはよく知られている。

 この村で亡き妻に出会い冒険者をやめ、そのまま居着いた。

 得意の水と地の魔法を使い、農作業を手伝っている。

 今では村の住人からの信頼も厚い。

 

「すまないが、今ここを離れるわけには……いや、すぐに行こう」

 

 夫人が心配そうな目で貴方を見つめている。

 一人でここに置いていかないでくれ、とその目は語る。

 察しの良い貴方のことだ。気づいているだろう。

 

 しかし、貴方は途中で意見を変えた。

 死にかけた男とその妻を残していくと言う。

 貴方は決して薄情者ではないはずだ。

 理由があるんだろう。

 なぜだ?

 

「本当に冒険者なら何か薬を持っているかもしれません。すぐ戻ります」

 

 夫人もおろおろと貴方を見つめ、震えるように小さく頷く。

 その様子を見て、貴方は部屋から飛び出した。

 

 

 

 西の入り口に男が二人と女が一人立っていた。

 男達の方は村の住人だ。もちろん貴方も知っている。

 そうすると、どうやら冒険者を語っているのは女の方らしい。

 

 女性にしては背が高く、ぼけーとした顔。

 ベルトには鞘にすら納まっていない剣が垂れる。

 服の質は良さそうであるが、鎧といったものはない。

 手を加えていないのがはっきりとわかるぼさぼさの髪。

 はっきり言って冒険者には見えない。

 盗っ人のほうがしっくりくる。

 

 男達が貴方に気づき名前を呼ぶ。

 貴方はおざなりに返答し、すぐさま女と対峙する。

 

「失礼しました。確かに冒険者の方ですね」

 

 貴方はいきなり断言する。

 女も面食らっていたようだが、ぼんやりとしたあと「そうだ」と一言返す。

 

「スーさんよぉ。俺にゃあ、どう見ても冒険者に見えねぇぞ」

 

 彼に同意見だ。

 どう見ても怪しい。

 きちんと説明してくれ。

 

「時間が惜しいので手短に言います。彼女は冒険者で間違いありません」

 

 貴方は男二人に体を向ける。

 

「まず彼女の指。嵌めているのはパーティーリングです。これだけでも冒険者と言えます。それに冒険者ギルド特製の道具袋。ガルム印の靴。かなりの実力者でしょう。見た目は確かに怪しいですが、冒険者ならこの程度はおかしくありません」

 

 勢いよく言葉を並べ、男二人に言い聞かせる。

 女は実力者と言われたのが嬉しいのか、不気味な笑みを浮かべている。

 

「ただ――冒険者ということはわかりましたが、この村にいったい何のご用でしょうか?」

 

 貴方は冒険者をまっすぐに見て問う。

 この村に訪問者が来ることは久しぶりだ。

 冒険者ギルドもなければ、名産品もありはしない。

 強いて上げるならリンゴが採れ、甘くておいしいくらいだろう。

 

 そんな村にどんな用があるのか?

 この冒険者の真意を知る必要がある。

 

「ただの通りすがりだ。フルールの町でお茶好きの夫人から依頼を受けてな。ミゼスにいる旦那さんに手紙を渡してくれ、と」

 

 そう言うと、彼女は腰の袋から封緘された状袋を見せる。

 

「――もう日も暮れるから、できれば泊めてもらいたい。ダメなら別に構わない。迂回して進むだけだ。ミゼスもすぐ側なんだろ」

 

 ミゼスはこの村のすぐ東にある都だ。

 この一帯を治めるメーヌ伯爵がいるところになる。

 しかし、そうだとするとおかしい。

 

「どうして南道を? 北道の方が安全では?」

 

 この村を通るルートは南道である。

 道も悪く、はぐれモンスターもよく出てくる。

 特にフルールからこの村までの道は劣悪極まりない。

 安全を考えるなら、北道の方を通った方がはるかにいい。

 

「どちらの道にもダンジョンはない。それなら短い方が早くて良いに決まってる」

 

 冒険者は真顔で断言した。

 迷いや冗談は一切含まれていない。

 貴方と男二人も唖然と冒険者を見つめる。

 

 確かに南道は北道よりも短い。

 それは無理矢理に道を直線に作ったからだ。

 常識を知っていれば、危険を考慮に入れて北道を行く。

 つまり、この女には常識がない。

 リスクを計算できない。

 

 ――この女は馬鹿だ。

 

 おそらく男達も貴方もそう思ったはずだ。

 ただ、馬鹿であるが故に嘘はついていないとわかる。

 この女冒険者なら村に入れても大丈夫じゃないだろうか。

 それに、今の貴方にはしなければいけないことがあるだろう?

 

「村に宿はありません。私の家に泊まってください。その代わりといいますか……。現在、村には瀕死の住人がいます。薬を持っていれば分けていただけませんでしょうか」

 

 さっそく薬の交渉に入る。

 あまりにも単調直入だが、彼女は気を悪くしていない。

 どうしようか、と冒険者は小さく呟き腰の付近を見ている。

 わずかな逡巡のあと彼女は口を開いた。

 

「あまり薬は持っていない。有るものでよければ分けよう。ひとまず、その住人のところへ案内してもらえるか」

 

 そうして貴方は彼女とともにフェニルの家へと引き返した。

 額には大粒の汗が浮かび零れようとしている。

 急げ! 日はまだ沈んでいない。

 

 

 

 メルと名乗った冒険者は、部屋に着くや否やベッドの横に歩み寄る。

 横で話す貴方の説明を聞きながら、ぶつくさ独り言を呟く。

 夫人は心配そうに貴方たちを見つめている。

 

「外傷は現状でどうしようもない。まず毒をどうにかしたほうがいいらしい」

「……なにか毒を直す薬はありますか?」

 

 彼女はなぜか伝聞調で語る。

 貴方は疑問を覚えつつも薬の有無を尋ねた。

 

「いや、要らないから持ってない。パーティーリングを持っているか?」

 

 意味がわからない。

 解毒の話をしていたはずだ。

 どうしてパーティーリングの話になる?

 首を傾げる貴方に、彼女はさらに言葉を重ねる。

 

「持っているかと聞いたんだ。どうなんだ?」

 

 貴方は首を横に振る。

 昔は持っていたが、売ってしまったな。

 あのときのお金はシアの薬代に消えたはずだ。

 

「そうか……、そうだな。仕方ない。やりたくないんだが……」

 

 メルはぼそぼそ独りごち、剣を抜いた。

 貴方と夫人は驚き距離を取る。

 

「な、何をするんですか?」

「魔法だ」

 

 さらりとメルは言った。

 

〈生体を蝕む――〉

 

 貴方は目を瞠った。

 剣が淡い白光を帯びている。

 目を閉じれば魔力の流れを感じるだろう。

 

 ただし、詠唱速度は非常に遅い。

 復唱でもしているかのように一節ごと間が開く。

 

「大丈夫なんでしょうか?」

 

 隣からよくわかっていないであろう夫人が貴方に問いかける。

 貴方は大丈夫だと夫人に頷いてみせる。

 

〈汚れた血をすすぎ 大丈夫なんで……あっ」

 

 剣から光が失われ、詠唱が途切れた。

 

「あれっ? えっ? これ最初からになるの? 一時停止は?」

 

 メルは何かぶつくさと呟き、面倒そうな顔を作る。

 その後、彼女は貴方と夫人を向き直り、「静かに」と言い含めた。

 

「まったく、これだから魔法は……」

〈生体を蝕む――〉

 

 メルは不機嫌そうに呟くと、再び詠唱を始める。

 夫人が貴方に心配そうな目を向けるものの、先ほどのように貴方が大丈夫だと頷くことはなかった。

 

〈――浄化せよ〉

 

 ようやく魔法が唱え終わったようだ。

 詠唱中に男が死ぬんじゃないかと貴方は気が気ではなかった。

 

 剣から出た白い光は男を包みこみ、やがて消え去った。

 男の荒い息は徐々に落ち着いていく。

 貴方と夫人はその様子を見て長く息を吐き出す。

 メルも「おお〜」となにやら感心している。よくわからない。

 

「……おっとそうだったな」

 

 彼女は思い出したように、腰に下げていた袋をごそごそと漁る。

 青い液体が入った小さな瓶を取り出し、貴方たちを振り返る。

 

「外傷を治す魔法は魔力がないから使えない。今できることとして、この体力回復なんとか薬……そうそう、増進薬でどうにか死なないように保つ」

 

 言うべきことは言ったと、メルは瓶の栓を取り外し男の口にゆっくりと流し込む。

 

「今できることはこれだけだ。予断は許されない。明日にでも治癒術士を呼んで治してもらえ」

 

 貴方と夫人は状況に追いついていない。

 夫人は助かる見込みができたことに安堵し腰が砕けている。

 

 貴方は別の意味で驚いているんだろう。

 メルが杖ではなく、剣で魔法を使ったこと。

 さらに貴方は知っているはずだ。

 彼女が男に飲ませたあの青い液体。

 あれ一本で数ヶ月は豪遊できる値がつくことを――。

 

 なんにせよ、夜になったが男の命はまだ消えていない。

 今はそれを喜ぶことにしないか?

 

 

 

 貴方はメルと自宅に帰ることとなった。

 できる限り綺麗な布で男の外傷を圧迫し、なにか起きればすぐ呼びに来るよう夫人に言っておいた。

 

「おかえりなさい!」

 

 家に入ると、娘が出迎えてくれた。

 料理の匂いも漂う。どうやら作ってくれていたようだ。

 母親がいなくても子供はしっかり育つ。

 

 

 貴方はメルを紹介し食事を取る。

 メルもスープとパンをもそもそ口にしている。

 食後のデザートとしてリンゴを食べる。

 貴方とメルは青、娘は赤のリンゴだ。

 

「お母さんにそっくりだな。お母さんも赤のリンゴが大好きだった」

 

 貴方は無意識に口にする。

 リンゴを食べるといつも決まって口に出る。

 隣にメルがいたことを思い出し、恥ずかしさを覚えているようだが問題ない。

 彼女は食べることに夢中で貴方の話など聞いていない。

 

「赤いほうが絶対おいしい! リンゴは赤に限るよ!」

 

 娘はきっぱりと断言し、貴方は微笑む。

 

「その台詞もお母さんそっくりだ」

「えへへ。お母さんも喜んでくれるかな?」

「もちろんさ。お母さんは、いつでもシアを見守ってくれているよ」

 

 そんな訳ないだろう。

 いい加減なことを言うものじゃない。

 

 

 

 食事が終わると、貴方はメルに明日の予定について切り出した。

 娘には部屋へ戻ってもらい、テーブルには貴方とメルが向き合っている。

 彼女は剣を机の上に置いている。彼女は気にしないでくれと言っていたが、どうにも貴方は落ち着かない。

 

「メルさんは明日、ミゼスに発つんですよね」

「そうだ」

 

 メルは一言で返す。

 無愛想ではないがとっつきづらい。

 そんなことにはお構いなく貴方は続ける。

 

「朝一番に出ませんか。私も連れて行ってください。ミゼスで治癒術士を探さなければなりません」

「かまわない」

 

 先と同じように彼女は一言で返すと、あくびをする。

 

「それはよかった。東の林はダンジョンになりかけているので、一人では危険ですから」

「ダンジョンに?」

 

 ダンジョンと聞いてメルは目をぱちりと開いた。

 先ほどまでのやる気のなさが嘘のようだ。

 

「この村とミゼスの距離は半日もありません。目と鼻の先ですが、途中には林が広がっています――」

 

 貴方は話を始める。

 

 林には以前よりはぐれモンスターが出ていた。

 最近になって彼らが活性化し始めた。

 どうやら林がダンジョンになり始めたとミゼスの知り合いは話す。

 林を伐採し、ミゼスとこの村を繋ぐ道を作る話も出ていたが、ダンジョン化に伴いうやむやになった。

 

 ミゼスの周辺にダンジョンはない。

 近くにダンジョンができるならモンスターのドロップから安定した収益が入る見込みがある。

 メーヌ伯もそれを見越して道路建設の話をなかったことにした。

 

 困るのは村の住人だ。

 林で狩っていた動物もモンスター化すれば容易には倒せなくなる。

 さらに数人いれば通ることができていた林もダンジョンになれば通行が難しい。

 現実に今日も死人が出るところだった。

 彼もまだ助かったとは言えない。

 

「このままでは村は孤立してしまう」

 

 話が盛り上がっているところすまないが、もうやめておけ。

 それ以上は意味がない。

 

「孤立するだけならまだしも……」

 

 気づいたか?

 彼女は貴方の話を聞いていない。

 俯き目を閉じている。要するに寝ているんだ。

 机の上に置かれた剣だけが、行儀良く貴方の話を聞いている。

 

 空回りして、勢いを抜かれた貴方は外に出た。

 外の空気はひんやりとして気持ちが良い。

 心にも冷風が吹き抜けるようだろう。

 だが、そんな思いは続かない。

 

「スーさん!」

 

 フェニル夫人が声を荒げ、貴方の方へと走ってくる。

 貴方は気持ちを切り替え、夫人に近寄る。

 

「あの人がまた!」

 

 どうやらぶり返したようだ。

 夫人は冷静さを失い、何を言っているのかわからない。

 貴方は直接、見に行くことにした。

 

「メルさんを……」

 

 やめておけ。

 朝から歩いてきたと話していた。

 起こしてやるな。きっと死ぬほど疲れてる。

 それに明日の朝は、ミゼスに向かう必要がある。

 もちろん、それまで男が生きていればの話になるが。

 

 彼女はすでに彼女の役割を果たした。

 今できることはない。

 

「――行きましょう」

 

 冷たい風が貴方を吹き抜ける。

 どうやら眠れない夜になりそうだ。

 

 

 

 どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 夜の部屋には男の荒い息が響く。

 できることは少ない。

 男の汗を拭い。

 そして、

 

「フェニル! しっかりして、死んじゃダメよ。この子のためにも!」

 

 意識を止めるため、声をかけ続けることくらいだ。

 近くの住人も来て、交代交代で声をかけ続けている。

 貴方が男の汗を拭き、ぬるくなった水を換えに部屋を出るとメルが壁に背を預けて立っていた。

 

「気づきませんでした。いつからそこに?」

「今さっきだ」

 

 相変わらずメルの言葉は少ない。

 メルは「今さっき」と言ったが、半時は立っていたぞ。

 といっても、その半分は立ったまま寝ていたがな。

 扉の隙間から貴方たちの様子を窺っていた。

 

「仲が、いいらしいな。」

「……ええ。村に来たとき年齢も近いことがあってよくして頂きました」

 

 村に来た当初はよそ者とあって、貴方は冷たい目で見られていた。

 その中でもフェニルは気軽に、気さくに話してくれた。

 貴方が今ここにいられるのも彼の存在が大きい。

 本当に感謝している。

 

「そうか」

「そうです。死なせたくはありません。フェニルは、私の娘が生まれたときには一緒に喜んでくれました。妻が亡くなったときも一緒に悲しんでくれました。次は彼の子供の誕生を一緒に喜びたいんです。そのために私は私にできることをするだけです」

「できることを、か。そうだな」

 

 メルはそう言うと、貴方に小瓶を渡す。

 青い液体が入っている。

 

「やる」

「……ありがとうございます」

 

 感謝の言葉はたくさんある。だが、重ねると安くなる。

 貴方はたった一言に凝縮させ彼女にお礼を述べる。

 彼女はどういたしまして、と背を向ける。

 そして、そのまま扉に手をかけた。

 

「メルさん。私は家に帰ることが難しそうです。眠るなら私のベッドを使ってください。それと……私はここを離れられないかもしれません。明日の朝は一緒に行けないことも考えられます」

「だろうな」

 

 貴方は逡巡する。

 続きを言うべきかどうか迷っている。

 

 ――ミゼスに一人で行って、治癒術士を連れてきてもらえませんか?

 

 たったこれだけのことだ。

 言うだけ言ってみればみればいい。

 

 魔法もかけてもらい、さらには薬ももらった。

 これ以上、お願いをすることはできない。

 そう思っているのか?

 

 依頼するにも払えるものなどない。

 理性が邪魔をしているのか?

 

「……あの、メルさん――」

 

 もう遅い。

 彼女は出て行ってしまった。

 貴方はなまじ頭が回るため、かえって判断を鈍らせる。

 

 

 

 貴方は家に一度戻った。

 汗と血を拭いていた布がなくなったためだ。

 またすぐにフェニル宅へ戻るつもりでいる。

 

 家に入ってすぐ君はシアを見つけた。

 テーブルに顔をうつ伏せ、眠っている。

 

「こら、ベッドで寝なさい」

 

 君はシアの肩を揺する。

 抱えてベッドまで連れて行きたかったが、体力が持ちそうになかった。

 

「うぅん」

 

 言葉になっていない言葉を漏らすシアを寝室に送る。

 寝室にはベッドが二つ。

 一つは貴方のもので、もう一つは娘のものだ。

 ベッドは両方とも空だった。

 

「あれ? メルさんは?」

「お願いしたの。助けてって。お礼は五個で。そしたら道を作ってくるって、そのまま外に……」

 

 特に答は期待していなかった。

 それでも返答はむにゃむにゃとシアがしてくれる。

 貴方は何かに気づいたように家を飛び出す。

 

 東の門へ辿り着くと番をしていた男が声をかける。

 

「どうした?」

「メルさん。いや、剣を持った女が通らなかったか?!」

「来た」

「通したのか?」

「止めた。でも、大丈夫だと。それと――」

「馬鹿がッ!」

 

 君は膝をつき、地面を拳で叩く。

 もちろん門番を責めているわけではない。

 彼はよくやっている。

 口数こそ少ないが、夜の警備もまじめに引き受けている。

 

「どうして朝まで待てない! 夜に林を抜けるなんて……!」

 

 月は出ているが、林の中では木や葉によって明かりは差し込まない。

 さらに人間と違い、モンスターは夜目が利く。

 

 確かにいま抜けることができれば、明日の夕方には帰ってこられるかもしれない。

 しかし、あまりにも分の悪い賭けだ。

 数人ならまだしも、ソロの剣士。

 無駄死にが関の山だろう。

 

「どうし――」

 

 君の言葉は途中で切れた。

 東の空が突然、赤く光ったからだ。

 

「今の……」

 

 確認をするように門番を見ると同時に爆音が体を揺らす。

 地面も音に対応して揺れる。村の住人もなにごとかと外に出てくる。

 

「いったい、何が?」

「『うるさくなるかもしれないが、気にしないでくれ』――あの女はそう言った」

「メルさんが?」

 

 門番は何も言わず、ただ頷くだけ。

 東の空は赤く燃えている。

 

 

 

 爆音と揺れはその後も断続的に続いた。

 全ての住人にできる限りの説明をし、貴方はまたフェニルの元に戻った。

 夫人は疲れ、部屋の片隅で眠りについた。

 貴方がそうするように言ったのだ。

 

 このままではお腹の赤ちゃんにも影響が出かねない。

 そのため貴方は一人で夜通し、フェニルに声をかけ汗を拭き続けた。

 

 フェニルの容態も山と谷を繰り返している。

 なんとか朝を迎えることができたのは喜ばしい。

 でも、気づいているだろう。体力回復増進の効果は切れかけている。

 メルが一本余分に置いていった薬も使ってしまった。

 もう打つ手はない。男は昼まで保たない。

 貴方は本当によくやった。

 

 ――だから、泣くな。

 無力さを嘆くことは後でもできる。

 

 貴方は言っていただろう。私にできることを、と。

 全力を振り絞って男に声をかけ続けるんだ。

 男の命が燃え尽きるそのときまで。

 

 

 

 日は高く昇り、影も徐々に短くなってきていた。

 同時に男の山と谷の周期も短くなっている。

 貴方も夫人も感じ始めているはずだ。

 言葉にする必要はない。

 

 そんな折、フェニルの目がうっすら開いた。

 昨日から今日にかけて初めてのことだ。

 薄く開いた目蓋から瞳が見えている。

 

「フェニル! 私よ。わかるでしょ。死んじゃだめ! 子供の名前もまだ決めてないのよ! 一緒に決めようって言ってたでしょ!」

 

 夫人が彼の手を力一杯に握りしめる。

 彼の瞳はゆっくりと動き、夫人で止まる。

 苦しげな口元がすこし和らいだように見えた。

 一瞬のことだが、永遠のように長く感じた。

 

 蝋燭の火は消える寸前に強く燃え上がる。

 

 つまり、そういうことだ。

 瞬間は通り過ぎ、男の目蓋は閉じた。

 夫人が掴むその手も力なく垂れる。

 

「フェニル! フェニルッ!」

「おい、フェニル! 目を覚ませ!」

 

 夫人は必死に声をかける。

 貴方も声をがむしゃらに声をかけ続ける。

 

 もう声をかけることに意味はない。

 彼はまだ死んでいないが、声は届かない。

 貴方たちは本当によくやったんだ。

 決して無駄ではなかった。

 

 

 

 ――だから、ほら。

 

 扉が勢いよく開けられ、男が二人入ってくる。

 彼らの後ろにはメルの姿がちらりと見えたが、部屋には入ってこなかった。

 

 男たちが手に持つのは魔法使いの持つ杖。

 そして、服にはメーヌ伯に所属することを示す紋章。

 

「まだ生きていますね! 脇に寄って声をかけ続けてください! 詠唱を始めます!」

 

 男達はベッドの男を見つめると、すぐに杖を構える。

 

〈五体を巡る赤き潮――〉

〈体脈に宿すは炎――〉

 

 二人は別々の魔法を詠み始める。

 詠唱は淀みなく、あっという間に完了する。

 

 貴方は気づいているはずだ。

 彼らが男の命を繋げるために詠唱の短縮を行っていることに。

 片方は外傷を治癒する魔法。もう片方は体力の回復をするものだな。

 男の炎が再び燃え始めたことを契機に、詠唱の短縮をなくしてゆっくり唱えていく。

 

 貴方と夫人はその様子を横目に、フェニルへ声をかけ続けた。

 何度目かの詠唱が終わった後、彼の手が動き始める。

 目蓋もゆっくりと開き、夫人をジッと見つめる。

 

「ただ、いま……」

 

 口がゆっくりと開き、フェニルは夫人に帰還を報告した。

 夫人も彼の頭に抱きつき「おかえりおかえり」と何度も繰り返す。

 いつの間にか後ろで控えていた住人達も歓喜の声をあげ、外に伝播していく。

 

 

 

 フェニルの容態が安定し、彼も夫人も眠ってしまった。

 治癒術士も今では交代で一人ずつ詠唱を行っている。

 貴方は手の空いている方に声をかける。

 

「このたびは本当にありがとうございました」

「いえ、自分の仕事を果たしただけですので、どうか気になさらないでください」

 

 お礼もいいが、気になっていることがあるだろう。

 聞いてみたらどうだ?

 

「失礼ですが、伯爵様お抱えの治癒術士の方……ですよね。そんな方々がどうしてここに?」

 

 彼らの紋章はメーヌ伯が持つ精鋭部隊に所属することを意味している。

 そのような人間がこんな村くんだりにわざわざ人助けをしに来ることなど考えられない。

 

「メル様が今朝早く、主様の元に奥様からの手紙を持ってこられました。手紙を読んだ主様は脅迫……いえ、感激され褒美は何がよいかと尋ねたところ。『腕の良い治癒術士を見繕え』とのことで、我々がこちらまで伺うことになったのです」

 

 信じられるか?

 確かに彼女は手紙を運ぶと言っていたが、まさか伯爵様直々に渡すなんて。

 しかも、メーヌ伯がただの運び屋に褒美まで与えるなんて。

 到底、信じられるものではない。

 それにまだ疑問はある。

 

「な、なるほど。ここへはどうやって?」

 

 それだ。

 あまりにも到着が早すぎる。

 村からミゼスまで半日はかかる。

 往復で半日というのは、計算が合わない。

 それに朝早くにメルがミゼスに到着したということがまずおかしい。

 

「馬で来ました。未だに信じられません。馬より速く走る人間がいるなんて……」

 

 彼はなにやら見てはいけないものを見てしまったようだ。

 貴方は後半を聞かなかったことにした。

 

「林を馬で? どうやって?」

 

 当然の疑問だ。

 木が乱立する林を馬で駆け抜けることなどできない。

 いや、できるかもしれないが難しいだろう。

 

「林の一部が消滅しました」

「……えっ?」

「昨夜の轟音はご存じでしょう。どうやってかは知りませんし、知りたくもありませんがミゼスからこの村までほぼ一直線に大地が抉られていました。その道を馬で駆け抜けたのです」

 

 こいつは何か薬をやっているんじゃないか?

 見ろ。彼の瞳は焦点が合っていない。

 貴方もそう思ったはずだ。

 

「閉じた西門で部隊を構えていたのですが、たった一人に突破されました。門に至っては一足で飛び越えて。見ていなければ信じられないと思います。見ていても信じたくありませんでしたから……。しかし、全て事実です。アレは――断じて人間などではない」

 

 治癒術士は奥歯をカチカチと鳴らし始める。

 目が遠くを見つめ、顔が引きつっている。

 もうそれ以上は聞いてやるな。

 それが優しさってものだ。

 

 

 

 男の容態を見届けて貴方は家を出た。

 メルが村を出てから何をやらかしたのかはよくわからない。

 ただ、彼女がフェニルを、夫人を、村を、そして――貴方を救ったことは確かだ。

 礼を言うべきだろう。

 

 外にも自宅にもメルの姿はない。

 東門で門番とシアがたたずんでいた。

 二人とも手に赤いリンゴを握っている。

 

「メルさんを知らないか?」

 

 貴方が声をかけると二人は東の道を見つめる。

 その先に誰かの後ろ姿が小さく映る。

 

「まさか……」

 

 シアは頷く。

 門番もそれに続く。

 

「おじちゃんが助かったことを知ったら、『もう用はない』って行っちゃった」

 

 なんとせっかちな女だ!

 せめてお礼の言葉くらい聞いていくものだろう。

 

 …………いや、そうか。

 

「これスーさんとおばさんにって!」

 

 娘は地面に置いていた平包みから、リンゴを二つ出して貴方に渡す。

 

「これは?」

「おじちゃんを助けてくれたから、約束のお礼を渡したの! ほーしゅーって言うんでしょ! でも、多すぎるから一つでいいって!」

 

 貴方は赤のリンゴを眺め、それから東へと目を移す。

 今なら走ればお礼は言えるぞ。

 どうするんだ?

 

「……一緒に、メルさんを見送ろう」

 

 そうだな。それがいい。

 彼女がしたことへの礼は返せるものではない。

 言葉にするには多すぎて、物にするには重すぎる。

 彼女もそれに察して何も言わずに去ったのだ……たぶん。

 

 果たして彼女は馬鹿なのか察しがいいのか、どちらなのだろうか?

 どちらにせよ、ここは静かに見送るのが正解だろう。

 彼女は黙って進むことを選んだのだ。

 貴方が口を挟むことはない。

 

 見ろ! 彼女の行く道を!

 空は雲一つなく、蒼く澄んでいる!

 彼女は手に持った赤いリンゴを空に投げて遊ぶ。

 蒼い空には真っ赤なリンゴが良く映える。

 ああ、やはりというべきか――

 

 

 

 リンゴは赤に限る。


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