エルメルの町から徒歩十分。
眼前に広がる鬱蒼とした緑――なけなしの森にやってきた。
通称「初心者の森」だ。
モンスターはスライムとゴブリンで九割以上を占めている。
森も整備され迷うことなどほぼない。
繁茂している草も毒はなく、薬草として扱われるものばかり。
初めての人間でも死ぬ確率が極めて低い。
自慢じゃないが私はここを極めていると言っていい。
数年間ここで稼ぎをしてきた。
通常の道はおろか、獣道までほぼ把握している。
小銭を稼いでいるゴブリンを背後から襲い金にしてきた。
スライムも狩りまくって粘液を集めて売り払っていた。
『知ってますか、メル姐さん。それ弱い者イジメって言うんですよ』
手に持った剣は相変わらずよく喋る。
エルメルの町の近辺には他にもダンジョンが二つほどあるが、私には今のところ関係ないものだ。
『まあ、俺のチートな一物で姐さんをはぁはぁ言わせて、前の彼氏のことなんか思い出せないようにしてやるよ』
「それよりもお前は自分の身を案じておけ。使えないようなら今夜中にでも折るからな」
『弱い者イヂメ、よくない……』
シュウと名乗る剣は小声で抗議してきた。
探索を開始して約一時間。私はいまだにモンスターは一体も狩ることができていない。
『メル姐さん。えっと、その、なんて言うのかな……』
最初は黙っていたシュウが口を開いた。
口を開くと言ってもそんな口は見当たらないのだが。
とりあえず、いったい何が言いたいのかわからない。
「要領が掴めん。もっとはっきりと言え」
『姐さん剣士に向いてないよ。はっきり言って才能がない。なんで剣士になったの、馬鹿なの?』
はっきり言いすぎだ。
才能がないことはわかっているが、ここまではっきり言われるとショックだ。
しかも、こんなぼろぼろな剣に言われるなんて。
正直、折ってやりたい。
『ゴブリンには攻撃が当たらない。スライムにすら避けられる。剣は振り回せばいいってもんじゃないだよ。振られるほうの気持ち――考えたことある?』
ない。
そもそも振られる方の気持ちとはなんだ。
悪いところだけじゃなく、良いところはないのか。
『姐さんは足が速いよね。ゴブリンが三体以上出てきたときの逃げ足には、いやまったくほれぼれするよ。韋駄天のメルと呼ばれても不思議じゃないほどさ』
ゴブリンが三体以上出てきたときは手に負えない。逃げるに限る。
それが悪いというのか。
『いやまさか。悪いなんて言ってないでしょ。危機管理能力に長けてるんだよ。できることとできないことをきっちり判断できてる。だから、今まで生き残ってきたんでしょ――例え、一人だけでも。まあ、できることが圧倒的に少ないとも言うね』
シュウはケラケラ笑う。
この剣は嫌な鋭さがある。なにより口が良くない。
私のやり方にまで口を出す気じゃないだろうな。
『出さないよ。悪くないんじゃないかな。剣士には向いてなくても冒険者には向いてるかもね。そんなことより、もっと探索しよう。スライムでもゴブリンでも、一体でいる姐さんみたいなぼっちな奴を後ろからこっそり近づいて別れの言葉も言わせず串刺しにしてやってよ』
なんだろうか。
いつもやっていることを声に出して言われると、まるで悪いことをしているみたいだ。
さらに一時間が経っただろうか。
木陰に耳の長い小男を見つけた。
ゴブリンだ。見渡してみるが、近くに仲間はいないようだ。
どうやら小銭を勘定しているようで、こちらには気づいていない。
『姐さんチャンスだよ。外さないでね。絶対だよ。絶対に外しちゃ駄目だよ』
ええい、うるさい。
いちいち言われなくてもわかってる。
ゆっくりと足音をさせないよう、気配もできるだけ消してゴブリンの背後に近寄る。
もう一歩というころになって、ゴブリンはようやく私の気配を感じたのか慌てて振り返る。
しかし、すでにもう遅い。
剣は――シュウはすでに突き出されている。
手に伝わる鈍い手応えが仕留めたことを教えてくれる。
不思議なことに返り血がまったくといいほど出てこない。
うはぁっとシュウが声をあげた。
『ヒャッハー! さいっこう! 最高だよ! 濃縮還元百パーセントなんて目じゃない! ゴブリンブラッドのストレート!』
なにやら興奮している。
言っていることはよくわからないが、ゴブリンの血を吸っているようだ。
あまりにもうるさいため、ゴブリンの体から引き抜こうとするが、すごい剣幕で止められた。
すぐにゴブリンの体はしぼみ、しわしわになる。
そしてシュウを引き抜くと同時に消えてなくなった。
『あぁ、おいしかった! いやぁ、やっぱり人間。きっちり食事を取らないと駄目だね!』
「……お前は人間じゃないだろう」
それよりもだ。
シュウの刀身にはまったく血が残っていない。
それどころかひびや錆び、刀身の欠損が目に見えて減っている。
「これは、どういうことだ」
『うん? ああ、言ったでしょ。俺はチート持ちなんだよ。血を吸えば吸うほど回復するし、強くもなる。ほら、姐さんもなんか強くなった気がするでしょ?』
そう言われると、手に持つ重みも軽くなった……気がする。
『狩れば狩るほど俺だけじゃなくて、足が速いだけで剣の才能は微塵もない憐れなメル姐さんも強くなるよ。さあさあ、次いってみよう!』
日が暮れる頃にはゴブリンをさらに三体、スライムを四体ほど狩った。
シュウの刀身はすでに新品の剣と遜色がないほどまでになっていた。
『俺の姿もようやく人並みになれたよ。メル姐さんありがとね』
人じゃないだろ、と突っ込む気力はとうに失せていた。
それになにより、礼を言われるのは――悪くない。
斬れば斬るほど、血を吸えば吸うほど強くなるというのも理解した。
私の剣は正面からでもゴブリンにかするようになり、攻撃も前より見えるようになった……気がする。
さらにシュウははっきりとわかるほど軽くなり、切れ味も以前の恋人を凌駕している。
それどころかゴブリンの一体はかすっただけで、動きが鈍くなった。
シュウは毒状態になったと話していた。
こいつとなら初心者の森を卒業することができるんじゃないだろうか。
おしゃべりな剣と出会ってから五日が経った。
私はいつもどおり初心者の森に来ていた。
今日の目的はいつもと違う。
ゴブリンやスライムを狩るためではない。
この森のボスモンスターであるギラックマを狩るためだ。
こいつを楽に狩ることができれば初心者は卒業と言われている。
六日前の私なら出会った瞬間、脇目もふらずに逃げていた。
しかし、今なら倒せる。そんな気がしている。
たったの五日で、すでにシュウは私の手になじんでいた。
こいつの話していた、「斬れば斬るほど強くなる」と言うのは確からしい。
二日目にはゴブリンの動きがなんとなく見えるようになり、三体に囲まれても突破できるようになっていた。
逃げ回りながらちょこちょこ斬りつけていけば、相手の動きが悪くなるのだ。
狩りの効率が一気に上がり、それに伴いシュウも強くなっていた。
三日目にはゴブリンの動きが完全に把握できるようになった。
五体に囲まれたこともあったが、一対一の形にもっていけば簡単に狩ることができる。
シュウの切れ味も格段に上がり、三回斬りつけることもなくゴブリンは動かなくなった。
楽しくなってドロップアイテムを集めることよりもモンスターを狩ることがメインになってきていた。
四日目。昨日だ。
すでにゴブリンは敵でなくなった。
スライムなどはシュウがかするだけで、消えてしまう。
『姐さん。もうゴブリンやスライムを倒しても俺は強くなれないよ』
帰る頃になって、シュウがそう話した。
モンスターによって手に入るポイントとやらが決まっているようだ。
ゴブリンやスライムでは次の段階に上がるのは厳しいらしい。
そして、五日目の今日。
私は初心者の森を卒業することにした。
朝からギラックマを探してみるものの見つからない。
会いたくないときには会うのに、会いたいときにはなかなか会うことができない。
そもそも、めったに遭遇しないのが初心者の森と言われるゆえんだ。
昼になっても会うことができない。
ゴブリンは二桁に届くほど倒したはずだ。
シュウも欠伸をしてつまらなそうにしている。
ゴブリンやスライムでは満足できないらしい。
『慣れって怖いよね。五日前にはあんなにおいしかったゴブリンジュースが、今じゃ砂っぽさしか感じられないもん。メル姐さんもそうじゃない?』
何が言いたい?
『ゴミクズ同然に背中を向けて逃げ戸惑ってたゴブリンが今じゃ敵と感じない。数年間も苦労してた敵がたったの五日でゴミ同然になる。それってどうなの?』
「たしかに――」
そこまで言ったところで、道の先に四足で歩く大きな影が映る。
もじゃもじゃの毛。いかつい目つき。硬く鋭い爪。
来た――ギラックマだ。
見た目は明らかに獰猛なのだが、実際はとても臆病だ。
よほどのことがない限りあちらから襲ってくることはない。
それ故の初心者の森だ。
「話はあとだ」
『そだね。それじゃあいこうか、メル姐さん。初心者卒業試験始めだよ』
シュウを構え、ギラックマに疾走する。
あちらも私を敵と見なしたらしい。
四足をやめて立ち上がる。
背丈は人間を大きく超えるものになった。
さらに大きく叫び威嚇してくる。
その様子に思わずひるみ足が鈍る。
勝てるのか、私一人でこいつに。
『メル姐さん。まだ初心者なんだから初心を忘れちゃ笑いもんだよ。正面から無理に斬り合うことはないさ。お得意のヒットアンドアウェイでいこう』
こんなときでもシュウはおしゃべりはやめない。
黙っていろ。気が散れば、命にかかわる。
『奴は臆病なんでしょ。だから自分を大きく見せて、声を出して相手を怖がらせる。あいつだってメル姐さんが怖いんだよ』
ギラックマは私よりも体格がでかい。
私をおそれることなどあり得るだろうか。
『ギラックマって普通はパーティーを組んで倒すんでしょ。目を血走らせて、たった一人で襲いかかってくる馬鹿女がいれば怖いってもんじゃないよ。まあ、メル姐さんの場合はパーティーを組んでくれる人がいないだけなんだけどね』
……こいつは私にケンカを売っているのか。
ギラックマの左爪を避ける。
攻撃はしっかり見えている。体も思ったより動く。
こいつなりに私の緊張をほぐしてくれたのかもしれない。
私はこんな状況だというのに笑っているかもしれない。
「もし、こいつに勝ったら――」
『いけない姐さん、それは死亡フラグだ』
死亡……なんと言った?
『まあ、姐さんがこいつに勝てたなら、俺にはご褒美としてその豊満な胸で俺の一物をぱふぱふしてもらえるとハッピーだね』
こいつには緊張感が足りないな。
あとでスライムの粘液に突っ込んでかき回してやろう。
――あとで、か。
どうやら私は無意識にこのクマに勝てると思っているらしい。
何度か斬りつけたところで、ギラックマの動きが鈍った。
これはもう見慣れた。
毒が入ったのだ。
『姐さん。たしかに毒で有利だけど、有利だからこそ気を引き締めてね。引き締めすぎてちょっと痛いくらいが気持ちいいんだよ、うへへ』
何を言ってるんだこいつは……。
だが、シュウの言うとおりだ。
まだ、倒した訳ではない。
毒は効いているが、依然として爪の一撃が脅威であることに変わりはない。
その後、数度斬りつけたところでギラックマは倒れた。
慎重に近づき、ギラックマの胸当たりにシュウを突き刺した。
ギラックマは徐々にしぼみ、やがて光とともに消えていく。
『うひゃぁ。さすがにボスというだけあっておいしいねぇ。マイルドだぜぇ〜』
シュウはなにやら堪能している。
「勝った……」
実感がわかない。
たしかにギラックマは光と消えたが、夢だったんじゃないかと思ってしまう。
緊張がほどけペタリと座り込んでしまう。
目の前にはギラックマのドロップアイテムが落ちている。
これはボスに勝った証だ。確かな証だ。
初心者の森のボスに勝ててしまった。
しかも一人で、だ。
『メル姐さん――』
いや、一人でじゃない。
そうだ。こいつと、シュウと一緒だ。
ともに戦った仲間だ。
「シュウ、お前と――」
『もうちょっとだけ足広げてくれない。あと少しで桃源郷にたどり着けるんだ』
シュウは座り込んだ私の股ぐらを覗き込んでいるらしい。
……なんだろうな。
勝利の甘美な思いが霧散してしまった。
シュウを自分の足近くから離す。
ああぁぁ、と本気で残念がっているようだ。
「お前は、他になにか言うことがないのか」
冷たい声が出てしまった気がする。
『うーん。じゃあ……プロ初心者のメル姐さん――』
あぁ?
間違いない。やっぱりこいつは私にケンカを売っている。
『初心者卒業おめでとう』
あまりにもまっすぐな言葉。
意表をつかれ理解に時間がかかった。
そして、顔を背けた。
「その、えっと……あ、ありがとう」
おずおずとお礼を述べる。
『いやぁ、いつもツンツンしてる人のデレはいいねぇ。ギャップがグッとくるよぉ。ほら、顔見せて。ねえ、今どんな顔してんの。ほーら、メルちゃんの照れ顔、おじさんに見せてごらん。ほらほら』
柄を握ったまま、刀身を地面に叩きつけた。
それを十数回。
怒りと照れ隠し、それに感謝が少々といったところだ。
初め悲鳴を上げていたシュウは、やがて何も言わなくなった。
ついに、私は初心者の森――なけなしの森を数年かけて制覇した。