チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

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蛇足08話「彼らが静止した日」

 周囲はどこまでも白に覆われている。

 

 雪が見たいと思って北へ北へと向かった。

 いくつもの町とダンジョンを越え、ついにやってきた雪原郷シミリア。

 一週間以上も雪景色を歩いてきたので、もう雪は見飽きてしまった。

 とりあえず上級ダンジョン――シレンティウム凍野があるので、攻略してさっさと南に戻ろう。

 

 そんな訳でさっそくギルドにて情報を収集。

 暖炉の温もりがたいへん心地よく眠ってしまいそうになる。

 受付のおばさんも私が入ってくるまで机に突っ伏して寝ていた。

 私の他に冒険者はいないので、仕方ないと言えば仕方ない。

 そもそも冒険者はめったにシミリアまで来ないらしい。

 

 それもそうだろう。

 スキル「凍結耐性」で、一定温度以下の寒さを遮断している私でもちょっと寒い。

 それに外はほぼ一年中雪景色でおもしろみもありはしない。

 他で稼げるなら、ここまで来る必要がないだろう。

 

 

 何事もなく情報は集まった。

 攻略は明日からにして、酒場へ足を向けた。

 酒場の扉を開けると、一拍おいて視線が一斉に私へ向いた。

 冒険者があまりいないのなら、ここにいるのは地元の住人になる。

 よそ者に対する奇異や冷淡な視線、あるいは無視だ。

 こういうのはよくあることなので慣れている。

 慣れてはいても居心地は良くない。

 酒だけ買って宿に帰ろう。

 

『あっ、メル姐さん。あいつ――』

 

 顔見知りでもいただろうかと、たむろしている方へさり気なく顔を向ける。

 頬を赤く染めたおっさん達の中で、顔を青白くした青年がいた。

 灰色の髪から覗く二本の角が、頭と一緒に揺れている。

 目が合うと、すぐ下を向き、口を手で押さえるが、

 

「う、うぇ……うぇぇえええええ」

 

 ――押さえきれなかった汚物が口からまき散らされた。

 

 吐瀉をして店から追い出された彼は、遙か南にある極限級ダンジョンの主である。

 今でこそ雪の中で野晒しにされてはいるが立派なドラゴンだった。

 やや風格に欠けるため私たちはゲロゴンと呼んでいる。

 

 なんでこんな所にいるんだ?

 わかってはいるものの聞いてみた。

 

「おしゃけ、おいひぃれす」

 

 やはり酒を飲みに来たようだ。

 以前もシミリアにいたとか言っていた気がする。

 現在、ゲロも落ち着き、雪の上でごろごろ寝転がっている。

 とても楽しそうだ。邪魔をするのも悪い。

 アル中は放置して宿に帰ろう。

 

 

 

「わかひまひゅか〜? 思いやりが大切なんれすよー?」

 

 なんとアル中は宿までついてきた。

 暖炉のある部屋でテーブルを挟んで話をしている。

 話をするのは主にゲロゴンで、私はときどき相づちを返す程度だ。

 こういうときのシュウはまるで当てにならない。

 静観あるのみだ。……カスめ。

 

「だからですねー。スライムちゃんを引き取っていかなきゃならんのですよ〜」

 

 ゲロゴンはお説教モードでぐだぐだ言ってくる。

 南側世界の神々の天蓋でスライムが一匹居着いているらしい。

 彼がスライムに何してるんだと尋ねれば、

「魔王様の帰りを待っているんです」と話したようだ。

 たぶん魔王軍の幹部にいたスライムだろう。名前は忘れた。

 

「わかったらぁあ。早くあっちに行く!」

 

 なんか叱られた。

 さすがにずっと待たせるのも可哀想な気がする。

 いや、でも、別に待っててくれと頼んだわけでもないしなぁ。

 まあ、そろそろあっちも落ち着いたころだろう。

 一度、戻ってみようか。

 

『それがいいよ。これ以上はまずいと思う』

 

 久々に喋ったと思ったら、これだ。

 もうちょっと私にもわかるように話せないのか。

 まずいって何がまずいんだよ?

 

「なーに言ってるんしゅか! おしゃけはうまいっ! おいし、うぃ、うっ、うぇ……」

 

 ゲロゴンは楽しそうにはしゃいでいたら、いきなり顔色を変えた。

 さすがに宿屋で部外者が吐いたらまずいので、外に引きずり出し、雪の上に投げ捨てた。

 

 明日、ダンジョンを攻略したら南の世界に行くとしよう。

 ここから神々の天蓋へ行くのは面倒だなぁ。

 

「そこのゲロゴンに連れてってもらえば? アイテム使えば送ってくれるって話してたじゃん」

 

 ふむ。そうだな。

 ちょっと使うのがもったいない気もするが仕方あるまい。

 

 おい、ゲロゴン。

 明後日くらいに神々の天蓋まで送ってくれ。

 

「うえぇぇ?」

 

 露骨に嫌そうな顔をされた。

 

 お前はどう考えても飲み過ぎだろう。

 ちょっとは酒から離れろ。

 

「これでも飲む量が少なくなったんれすー。前よりもお酒に弱くなったんれすー。だから、だいじょうぶなんれすー」

 

 ゲロゴンはガキみたいに頬を膨らまして答える。ガキか……。

 シュウとは違う方向の苛立たしさだ。

 

「だいたいー、おしゃけに弱くなったのはあなたに倒されてからなんれすー。責任とってお酒もっと飲ませてくらはーい」

 

 シュウの腹で抱きつこうとしてきたゲロゴンのふざけた横顔を叩いた。

 ばっちーん、といい音がしてゲロゴンは雪の上に倒れる。

 カッとなってやった。後悔なんてするわけがない。

 

『そうやって、すぐキレる……。若者の忍耐離れガー、人間離れガー』

 

 お前だって若者だろ。

 

『俺は斬れないと駄目なんだよ』

 

 ああ言えば、こう言う。

 もういい、今日はさっさと横になろう。

 

「もう怒りましたっ! 『翼』を使われても、絶対、わっちの背中には乗せ――」

 

 ゲロガキは頬をふくらましてぷんぷんと怒っていたが、途中で声を止めた。

 

 はて? 地震だろうか?

 地面がちょっと揺れてるような……。

 

『鳴き声も聞こえた気がした』

 

 モンスターか?

 

 シュウの言う、鳴き声とやらは私には聞こえなかった。

 だが、シミリアの近くにあるシレンティウム凍野はフィールド型である。

 モンスターがダンジョンの領域を抜け出して町を襲う可能性だって考えられる。

 

「違う」

 

 答はシュウではなくゲロゴンから返ってきた。

 さっきよりもキリッとまともな表情をしている。

 でも、先ほど私の叩いた頬が赤く染まりちょっと間抜けだ。

 

 え、モンスターじゃないのか?

 

「わっちはモンスターか?」

 

 ゲロゴンは少し思案したのち質問を返してきた。

 なんで私の周りには、質問を質問で返す奴が多いんだろうか。

 はい、か、いいえで答えて、解説をちょっと入れてくれるだけでいいのに。

 

 お前もいちおうモンスターじゃないのか。

 言葉も話すし、人の姿も取るけど、元はドラゴンでしょ。

 そもそもダンジョンのボスなんだからモンスターじゃないの?

 

「じゃあ、モンスターだな」

 

 ゲロゴンはあっさりと先の答を変えた。

 

『えっ、マジで』

 

 モンスターなのか。

 町が襲われる可能性もあるな。

 

『問題はそこじゃない……』

「静かにさえしていれば、なべて世は事もなし」

 

 酔いが覚めてきたのか口調がかなりマジメになっている。

 というか、最後のどういう意味?

 

「飲み直してくる。『翼』は使うなよ」

 

 ゲロゴンは赤い頬のまま私に言い聞かし、そのまま酒場の方へと消え去った。

 

 …………翼ってなんだ?

 

 

 

 宿に戻ると女将さんに出迎えられた。

 経験で語ると宿の女将さんと言えばおばさんが多い。

 冒険者と見間違う体格のおばさんがノッシノッシ歩いている印象だ。

 しかし、どうだ。ここの女将さんことノスィは非常に若い。

 しかも一人で切り盛りしているときた。

 

 客になめられたりしないか?

 

「そんなことはありませんよ」

『ノスィたそ、ぺろぺろ』

「町の人は子供のころから顔見知りでいろいろ親切にしてもらえます」

『ぺろぺろ』

「そもそも冒険者の方はあまり来ませんからね」

 

 それもそうか。

 でも、一人じゃいろいろ心細いんじゃ?

 この宿屋もそこそこ大きい。もう一人くらいいたほうがいいんじゃないか。

 

「……大丈夫です」

『彼女の左手見てみなよ、ぺろぺろ』

 

 ちらりと彼女の手を見ると、指輪が嵌まっていた。

 薬指である。パーティーリングではない。

 もっと銀色のシンプルなものだ。

 あとぺろぺろうるさい。

 

 今さらになって気づいた。

 左手の薬指に指輪……、私でも知ってる。

 失礼した、もう結婚してたのか。

 

『デリカシーって言葉を覚えた方が良いね。人手は足りないと感じつつも一人で営業。亭主はもう死んだってことだよ。若くして未亡人! くぅ〜、そそりますなぁ!』

 

 お前にだけはデリカシーが欠けるなんて言われたくない。

 本当に最低な奴だ。私もか……。

 

 すまなかった。

『ぺろぺろ』

 馬鹿なことを聞いた。

『ほんまそれ』

 昔から察しが悪いんだ。

『せやな』

 本当にすまない。

『許すん』

 

 ノスィにはきちんと謝っておく。

 シュウ、貴様は死んじまえ。

 

「いいんですよ。あの人が死ぬはずありません。いつ帰ってきても『お帰りなさい』って自信を持って言えるように、私がしっかり店を切り盛りしていかないと」

 

 彼女は薄暗い表情を消して、努めて明るく告げる。

 

『しかし、借金は重なり続け、ついには体を売ることに。「体は他の男のものになっても、心はいつまでも貴方のことを思ってるから」。そう思っていたノスィ。だが、体を重ねるうちに心も他の男に移ろいで……。N・T・R! N・T・R!』

 

 ちょっと失礼、断りを入れて暖炉の前に移動してシュウをくべる。

 悲鳴を上げていたが、距離を取ったためもう声は聞こえない。

 うんうん。よく燃えているな。もっと炭を入れよう。

 明日の朝にでも回収すればいい。

 

 

 失礼を重ねて聞くが、旦那さんはもしかしてダンジョンで?

 

 再びノスィの前に行き話を戻す。

 彼女は「あの人」が「帰ってきても大丈夫なように」と話していた。

 そうすると旦那さんは行方不明になった可能性が高い。

 ダンジョンでは行方不明者が多い。

 だいたいは死亡だ。

 

 だが、一年近く生きていることもある。

 実際にそんなたくましい公爵を見てきた。

 条件さえそろっていれば、生きている可能性も捨てきれない。

 

「先ほど地震があったんですが、わかりましたか?」

 

 どうやら彼女も質問には質問で返す系統だったらしい。

 

 ああ、とひとまず質問には答える。

 

「あの地震は昔からあるんです。ここだとほとんど聞こえませんが、凍野の近くでは鳴き声も聞こえます」

 

 そのようだな。

 モンスターのものらしいぞ。

 

「その説もありますが、ここに暮らす人たちは『凍野の女王』と呼んでいます」

 

 ずいぶん素敵なあだ名だな。

 

「はい。あれが聞こえると、口を噤むように教わります」

 

 彼女は唇に人差し指を当てて、「静かに」と示す。

 

 黙れってことか、どうして?

 

「口を開けば女王に凍らされるからです」

 

 おとぎ話にでもありそうだな。

 私がこう言うと、ノスィはくすりと笑った。

 

「そうですね。でも、ダンジョン付近では本当に凍らされるそうです。目撃例も多く、あの人――エパネも見たと話していました」

 

 彼女は懐かしむように右手で左手に嵌めた指輪をなでる。

 そう言えば、夫の話をしていたんだったな。

 ようやく戻ってきた訳か。

 

「あの人は女王の正体を暴こうとダンジョンの近くをたびたび調べに行っていました。一年前の、あの日もいつもどおり調べに行って……」

 

 ――帰ってこなかった、と。

 やはりモンスターに襲われた可能性が高い。

 フィールド型で、ダンジョンの付近なら出てきても不思議はない。

 

「どの辺りを調べていたのか、教えてくれないか。もしも――」

 

 私はそこまで言って、口を噤んだ。

「もしも、遺品が見つかったら持って帰ってこよう」

 そう言おうとしていたが、それはいけないと気づいた。

 もしも見つけて持って帰れば、より確実な夫の死を伝えることになる。

 

 なんでもない、とお茶を濁す。

 言葉を失い、私はぎこちなく明後日の方向を見つめる。

 

「ここ数ヶ月は地震も以前より多くなっています。モンスターの活動も盛んと聞きます。凍野に行くのなら十分に気をつけてください」

 

 ノスィから女将さんとしての立場に重きが移った言葉を聞き、私は部屋に戻った。

 

 

 

 翌朝、私は日の出とともに宿を出た。

 北に行けば行くほど、昼の時間は短くなると知った。

 せっかくの活動時間を無駄にするわけにはいかない。

 

 そういえばシュウ。今日はなんだか黒いな。

 

『火に焼けてね。健康的な小麦色でしょ?』

 

 ああ、そうだな。

 でも、もうちょっと焼けてる方が好みだ。

 今日も暖炉にくべてやるよ。

 

 こんな具合でシレンティウム凍野の攻略は始まった。

 

 攻略と言っても、そこまですることはない。

 雪の上を滑走してくるスベルノペンギン。

 ふわふわ浮いて魔法を唱える氷精。

 やたら硬い動きのクマゴオリ。

 

 モンスターはそこまで強くない。

 強さはそれほどでもないが、数は多いし凶暴だ。

 地面が雪で足場が悪い、それにときどき吹雪いて視界が悪くなる。

 私にはあまり関係ないが寒さで動きが鈍るということもある。

 モンスターの強さよりも環境の劣悪さで上級に指定されているのだろう。

 

 重い足音とともに積もったばかりの雪が薄く舞い上がる。

 最初は昨日の地震かと思ったが、吹雪の中に大きな影が浮かんでいる。

 

『ボスだね』

 

 どうやらボスがお出ましのようだ。

 シレンティウム凍野のボス――ユキダルマンモス。

 

 まずはその大きさである。

 昨日、泊まったノスィの宿屋は二階建てであったが、同じくらいの高さに思える。

 全長や横幅もでかい。でかければ強いを体現している。

 体は雪でできていて、斬っても潰してもすぐに再生する。

 倒すには体のどこかにある核を破壊すればいいようだ。

 

 雪でできているためか動きは遅い。

 火魔法で足から削っていけば自重を支えきれなくなり倒れる。

 あいにく私は魔法なんてほとんど使えない。

 

 地道にシュウで削っていく手もある。

 核の近くから再生するようなので、少しずつ斬っていって核の位置を見つけることもできる。

 しかし、たいへんめんどくさい。

 先ほどから試しているが、核の位置が変わるためかなかなか見つからない。

 核以外はただの雪のため生命力を吸うこともできない。

 ほとほと相性が悪い。

 

 仕方ないので奥の手を使うことにする。

 おもしろくないので、ダンジョンではあまり使わないようにしているが仕方ない。

 ゲロゴンブレスで周りの雪もろとも溶かすことにした。

 上級のボス程度なら直撃させればだいたい即死だ。

 しかも火に弱いなら確実だろう。

 

 げろごーん

『ぶれーす』

 

 使うときはなんとなく掛け声をあげるようにしているが、私もシュウもテンションが上がらない。

 あまりにもあっけなく終わるため、おもしろみが削がれてしまう。

 現にユキダルマンモスは足だけ残して消え去った。

 残った足もすぐに崩れ落ち、アイテムだけ残る。

 

 なんかおもしろくない。

 そもそも一面が雪景色だからな。

 シミリアまでの道中で見飽きてしまった。

 地元の人だと雪の違いや地形の細かな違いがわかるようだが、私にはさっぱりだ。

 もう帰ろっか、暖かい暖炉が恋しい。

 

『暖かい? 暑いというかクソ熱いだけなんですけど』

 

 どうやらシュウも暖炉が恋しいらしい。

 そんな訳で帰ることになった。

 

 

 帰り道、暇つぶしに雪だるまをどこまで大きくできるか遊んでいた。

 

『前方に足音。けっこういるはず』

 

 シュウの叫び声で前方を見る。

 雪だるまが大きくなりすぎて、横に移動してようやく前が見えた。

 モンスターか……うぇっ!

 

『これはなかなか……』

 

 進路上にユキダルマンモスが二体。

 さらにその脇には敵がたくさん。

 逃げようかと横を見れば左右にもユキダルマンモス。

 後ろにものそのそと近づいてくる敵影有り。

 引き付けてから逃げるかな。

 ボスの足は遅い。雑魚を片付けてからさっさと逃げてしまおう。

 

『声?』

 

 何を言い出すんだと思ったが、私にも聞こえる。

 歌声のような高音がどこからか聞こえてくる。

 きれいな歌声だな。

 

『そう? 俺には叫んでいるように聞こえるけど……』

 

 どうやら「凍野の女王」はこの声を表しているようだ。

 

『果たして女王様は歌っているのか、ブチギレているのか』

 

 ついでに地面も揺れる。揺れはそれほどでもない。

 ユキダルマンモスが近くにいたときのほうが揺れていた。

 

 四方を囲んでいたモンスターの様子も変化する。

 私に向かっていた集団が、それぞればらばらに散り始めている。

 

『なんか、やばそうだね』

 

 うむ。

 嫌な予感がしてきた。

 逃げた方がいいかな?

 

『いや。地元住人の教えに則り、黙って見守ろう』

 

 変化が現れた。

 変化と言うよりも現象というべきだろうか。

 逃げ惑うモンスター集団の上に白い光が現れたのだ。

 

 初めは雪かと思ったが、雪にしては大きいし、風に流されずまっすぐ地面に向かう。

 見渡せば、あちらかしこのモンスター集団上空に白光が出ている。

 あの白光は見覚えがある。

 

『あれアイラたんの氷魔法と同じだね。あれよりも強力そうだ。メル姐さんの上にはないし、光からは距離もある。それに凍結耐性もあるから問題ないでしょう』

 

 大丈夫のようなので、おとなしく観察に徹する。

 

 雪面に落ちた白光は小さな音をたてて割れた。

 周囲から連続して小さな破裂が木霊する。

 雪面に氷のため色の変化はよくわからない。

 ただ、氷結が広がる様子はモンスターの動きでよくわかった。

 逃げ惑うモンスターが後続から先頭へと徐々に動きを止めていく。

 威力はすさまじい。氷に耐性を持っているモンスターさえも凍っている。

 そして、彼らはみな、光に消えていった。

 周囲に静寂が戻った。

 

 

 

 さて、モンスターは全て消えたが問題は残る。

 これはいったい何が起きたんだ?

 

『女王と呼ばれる存在が氷魔法でモンスターを倒した』

 

 私を助けてくれたのか?

 

『違うね。住人の言い習わし――女王の声を聞いたら黙れってのは良い線ついてたと思う』

 

 どういうことだよ?

 

『女王がうるさいやつ狙って氷魔法を撃ってる』

 

 なんでそんなことがわかるんだ?

 そもそも女王ってなに?

 どこにいるんだよ?

 

『まず、女王の正体はドラゴンだね』

 

 おっといきなり話が大きくなったぞ。

 ドラゴンってあのドラゴン?

 

『ゲロゴンやネクタリスにいた緑龍のお仲間でしょう』

 

 なんでそんなことがわかるんだ。

 

『昨日さ。ゲロゴンに、声――あのときは地震だったか――について、モンスターが原因かって尋ねたら「自分はモンスターか?」って聞き返してきたでしょ』

 

 そうだったな。

 質問に質問で返されてイライラした。

 

『その前にもメル姐さんが同じ質問をして、あいつは違うって答えた。でも、二回目の問いは最終的にモンスターって答えた』

 

 なんで一回目と二回目で答が違うんだよ。

 あのゲロ野郎、馬鹿じゃねーの……。

 

『あいつ自分はドラゴンで、他のモンスターとは一線を画すと考えてたんだ。だから、一回目の質問には、声の正体はモンスターじゃなくてドラゴンだから「違う」って答えた。二回目の質問で、メル姐さんがドラゴンもモンスターのうちって言ったから、モンスターって答えた。そんな訳で声の正体はドラゴン』

 

 よくわからんけどわかった。

 女王はドラゴンなんだな。わかった。

 

『わかってないじゃん……。それで氷魔法撃った理由もゲロゴンが「静かにしてれば問題ない」って言ってたから、うるさいやつを黙らせるためって推察できる』

 

 さよか。

 じゃあ、あとは場所か。

 

『メル姐さんも独り言ぶつぶつ口にしてたのに狙われなかった。足音、それに声の反響で判断してるんでしょう。そうすると居場所は地下でしょうな』

 

 ふむ。

 ドラゴンが地下からうるさいやつに魔法を撃ってきてることはわかった。

 わかったけど、だからどうするってこともないな。

 せっかくだから探してみるか。

 

『この三六〇度見渡す限り雪景色の中をどうやって探すの?』

 

 ばっか、それを考えるのがお前の役目だろ!

 なに言ってんだ!?

 

『ホーリーシット! ……未亡人のノスィさんは死んだ旦那さんがダンジョン近くを探してたって話してたね。場所を詳しく聞けばいいんじゃない?』

 

 未亡人をつける必要ってあった?

 

 うーむ、これ以上はあまり踏み入れたくないんだよな。

 

『そうだね、傍から聞いてても失礼を通り越してたもん。じゃあ、残る方法は一つだね』

 

 お、どうすんだ?

 

『ドラゴン仲間のゲロゴンに聞く。教えてくれるかは知らない』

 

 よし。それでいこう。

 黙秘したら内蔵を蹴り上げてやる。

 

『ひどい、さすが魔王……おっとそうそう、魔王で思い出した。地震が多くなったってノスィが話してたじゃん』

 

 うん、話してたな。

 最近は魔物の活動が盛んだとも言ってた。

 そういや、ここんとこ魔物が強くなったという話を良く聞くな。

 

『そう。まさにそれなんだけど、メル姐さんが原因の可能性が高い』

 

 …………えっ?

 いや、私は関係ないでしょ。

 なんでもかんでも私のせいにするのやめてくれる?

 

『魔物が活発になった時期なんだけど、メル姐さんが魔王になって、こっちの世界に帰ってきた時期と一致する』

 

 時期が一致したからって私が原因とは言えないでしょ。

 なにか他の要因があったんじゃないか。

 

『あっちの世界で魔王を倒したときに、「魔族語翻訳」ともう一つ魔王専用スキルが手には入ってたんだよね。その名もずばり「魔王」』

 

 初耳だけど?

 

『そりゃあ今、初めて話したからね。で、効果がよくわからかったんだよ。説明にも「魔王っぽくなる」ってだけしか書かれてないし。とりあえずセットしてみたんだけど、やっぱり効果もわからなかった』

 

 そんな訳のわからんスキル外してしまえ。

 

『外そうとしたんだけど「それを外すなんてとんでもない!」って怒られちゃった』

 

 えっと、つまりどういうことなんだ?

 

『呪いのスキルですな。なんらかの条件を満たさないと外せないと思う』

 

 なんらかの条件って?

 

『うーん。勇者に敗れる。魔王の座を他の誰かに譲る。魔王という地位そのものがなくなる。魔王として死ぬ……このへんかな』

 

 他の誰かに譲るのが楽そうだな。

 でも、スキルの問題ってモンスターが凶暴になるだけでしょ?

 

『俺もそう思ってたんだけど、メル姐さん本人も言動がよりいっそう粗雑で乱暴になってる。それにモンスターが凶暴になるってことが、どれだけ問題になるかはメル姐さんもわかるはず』

 

 ……確かにモンスターが凶暴になるのは大問題だったな。

 でも、粗雑で乱暴ってそんな自覚ないんだけど。

 

『やっぱりか。ただでさえ頭がおかしいのに、近頃はさらにイカれてるよ。一刻も早くどうにかしないとまずい。主に俺がまずい。あの頃のメル姐さんなら暖炉に俺を投げ入れるなんて鬼畜なことしなかった』

 

 それは昔でも間違いなくやってた。

 結局は我が身大事か、お前も十分おかしいぞ。

 

『俺は変わらないよ。むしろマイルドになったくらいさ。これが――大人になるってことなのかな』

 

 はいはい。

 それで私はどうすればいいんだ?

 

『早いことゲロゴンに神々の天蓋に連れていってもらう』

 

 ふむ。地下にいるドラゴンを探してから連れてってもらおう。

 

 

 

 そんなこんなでシミリアに戻ってきた。

 目的のゲロ野郎は酒場の前で横になっている。

 

「にゃにかようれしゅかー?」

 

 嫌々聞きましたという目で私を見てくる。

 

 地下にドラゴンがいるだろ。

 案内してくれ。

 

「……やだ」

 

 少し間をおいて顔を背ける。

 何度かお願いしてみるが、やだやだと駄々をこねる。

 

「なーんでわっちが案内しないといけないんれすかー。らいたいー、会ってどうするんれす?」

 

 会ってどうする、と改めて聞かれると良い答がない。

 せっかくだから見たい、それだけである。

 

「やめなしゃい。ムダムダ、時間のムダ。そんなことよりおしゃけ飲みませう。一名様ごあんなーい!」

 

 駄目だ、話にならない。

 確かにドラゴンを見てもすることないからな。

 さっさとゲロゴンに神々の天蓋まで連れていってもらうとするか。

 腰の袋から「灰かぶり竜の頼りない肝臓」を取り出す。

 アイテム結晶を解くと、血なまぐさい匂いが充満する。

 

「お、良い匂いー。おつまみぃー」

 

 なに言ってんだ。

 お前を倒したときに手に入れたアイテムだ。

 

「ふぇ?」

 

 ゲロ太は間抜け顔でこちらを見てくる。

 

 ほれ、結晶解除したんだからさっさと神々の天蓋まで送れ。

 

「なに言ってるんれす? 翼は?」

 

 翼?

 何だそれは?

 この肝臓がお前を倒したときに手に入ったものだぞ。

 

「……これ? えっ、わっちの肝臓?」

 

 ゲロ助は蠕動している赤い臓器を指でつつく。

 

『思うに――ゲロゴン倒したとき、べろんべろんに酔ってたじゃん。特殊アイテムが手に入る条件がそれだったんだと思う』

 

 それっぽいな。

 モンスターの中には特殊な条件で倒すと、通常のドロップでは手に入らないアイテムを落とすものがいる。

 どうやらこのしょぼい肝臓もそれに当たるようだ。

 

「これ、もらっていいれすよね。わっちのだし、ね?」

『メル姐さん。肝臓とりあげて』

 

 おう。

 

 ゲロゴンの手が肝臓に触れる前にさっと取り上げた。

 どくんどくんと気持ち悪い脈動が伝わってくるのを我慢する。

 

 地下にいるドラゴンまでの案内、それと神々の天蓋までの送迎で返還してやろう。

 

「うぅ……、卑怯らぞっ!」

 

 いかにも! 卑怯者で違いないっ!

 もしも断るならこのまま臓器を握りつぶしてやるっ!

 今後もおいしい酒がたくさん飲みたいなら、首を縦に振ることだ!

 

 悩み、足掻き、もがき苦しんだあげく、ついにゲロゴンは案内と送迎を承知した。

 

 

 

 本日、二度目のシレンティウム凍野である。

 酒樽を抱えたゲロゴンが先導している。

 

 ゲロゴンは肝臓を手に取ると、そのまま口に入れた。

 口から赤い液体がどろどろ流れ出てくる様は見るに堪えないものであった。

 食べてしばらくすると「たった今、わっちは完成した。飲める! もっと飲めるぞぉ!」と叫んで酒場に突入。酒樽ごと持って出てきた。

 今は鼻歌まじりでふらふら歩いている。ごきげんだ。

 

「ここれすなぁ」

 

 ゲロゴンが立ち止まる。

 特に何の変哲もない雪景色だ。

 ダンジョンの領域から外れているためかモンスターも少ない。

 

 何もないようだが、本当にここなのか?

 

「おやぁ? わっちを疑ってなさる? らいじょーぶ、らいじょーぶ。ほれっ!」

 

 掛け声に合わせて、足下の雪を思いっきり踏みつけた。

 小さく軋む音が聞こえ、次いで何かが崩れる音が響いてくる。

 

「失敬しますよー」

 

 ゲロゴンが私の手首を掴む。

 なんだいきなりと思ったら、足場が崩れた。

 為す術なく穴へと飲み込まれていく。

 ゲロゴンも一緒だ。

 

「ん〜、そーい!」

 

 またしても気持ち悪い掛け声をあげる。

 見るとゲロゴンの背中にはごつごつした灰色の翼が生えていた。

 落下速度も緩やかになり、少しずつ暗闇へと引き込まれていく。

 

 上に見えている光もだいぶん遠く感じるほどになってようやく地面に足が届いた。

 ドラゴンがいるのかと思ったが、横穴がどこかに通じている。

 

「まっすぐ行けばよすよす。わっちはここで酒飲んで待ってるんで行ってらっさーい」

 

 かろうじて聞こえる程度まで声を落として私に手を振る。

 腰をおろして、酒樽に頭を突っ込み始めた。

 お前は一緒に来ないのか?

 

「わっちはまだ死にたくありましぇーん。暗くなっても戻らなかったら一人で帰るんれよろしくちゃん」

 

 ……死にたくないって、そんなにやばいやつなのか?

 

「白はわっちらで一番長生きれすよー。それに唯一負けなしなんれす」

 

 なんだか誇らしげに語る。

 こいつが灰色で、海にいたのは緑、ここは白のようだ。

 それにしてもなんかやばそうだな、やっぱり帰るべきだろうか。

 

『負けなしというか、こんなところにいるから戦闘そのものがないんじゃ』

 

 まあ、出会っても戦闘になるとは限らない。

 ちらっと見て帰るだけでいいだろう。

 

「お前が白を覗くとき、白もまた等しくお前を覗く――」

 

 ゲロ助は真顔に戻ってぽつり。

 

「それで終わりれすよー」

 

 すぐふざけた調子に戻り酒を呷った。

 

 

 

 暗い道をとぼとぼ進んでいく。

 私の足音だけが残響としていつまでも耳に残る。

 

『人がいる?』

 

 そこそこ進んだところでシュウが口を開いた。

 道の先には確かに人が立っている。

 私に背を向けて、直立不動だ。

 

 ゆっくりと慎重に近づき、「おい」と肩に手をかける。

 その男はぴくりとも動かなかった。

 目はたしかに開かれ、口も少し同様に少し開いている。

 死んでいるようには見えない。すぐまた動き出しても不思議ではない。

 

 どうなってるんだ、これは?

 

『まずい……』

 

 シュウがぼやくと同時に道の奥から気配を感じた。

 

《うるさい》

 

 脳内に響くのは高音の冷たい一言。

 道の先にはなにやらきらきら光るものがある。

 透明な石だった。私よりもやや大きい柱状の水晶が浮いていた。

 水晶の中に入っている何かが気になった。

 白く小さな体を丸めている。

 

《うるさい!》

 

 白く小さな何かが動いた。

 上下に開いた隙間から、白に淡く光るものが見えた。

 

 あれは――

 

『メル姐さん!』

 

 ――眼か?

 

 呟きの途中でシュウが叫んだ。

 なんだよ大声出すな……あれ?

 

『よかった、よかった。大丈夫そうだね』

 

 ……ん?

 何が大丈夫なのかわからない。

 

 それよりも今のこの感覚だ。

 視界は広く、自分の声が聞こえず、立っているのに足に感覚がまるでない。

 あまり好きになれないこの感覚は記憶に残っている。

 

 これはあのスキルか?

 

『そう。無敵スキル。いやー、今回ばかりは死んだかと思ったよ』

 

 ゲロゴンを倒したときに使った私の切り札。

 よくわからんが外部からの攻撃を一切受け付けなくなるものだ。

 その代わり私の五感も消えてしまうため、あまり好きになれない。

 

 それで、いったいなにがどうなっているんだ?

 死んだかと思ったって、別に何もされてないだろ?

 

『気づかなくても仕方ないね。時間を止められたんだ』

 

 はい?

 

『目の前のドラゴンが眼を開くのとほぼ同時に周囲の時が止まった』

 

 いやいや、なに言ってるんだ。

 

『メル姐さんもそこの男と一緒に仲良く止められてたよ』

 

 私の前に立っている男は未だ動かず道の先を見ている。

 道の先には水晶に入った小さな白竜。

 赤ん坊みたいに丸い体で、翼もまだ小さい。

 眠そうな目は開かれ、白く光る瞳がこちらをぼんやりと見ている。

 

 ……さて、どうするべきだろうか?

 

『もしかしたら話しかけてるのかもしれないけど、スキルのせいで声は聞こえないね。スキルを解いたら、また止まっちゃうし。もういっそ倒しちゃえば』

 

 そうするか。

 倒したあとでいろいろ考えよう。

 

『それと一つ朗報。そこで止まってる男はエパネさん。足を怪我してるね』

 

 エパネって誰だよ……。

 

『未亡人……おっと、まだ死んでなさそうだから未亡人は正しくないか。宿屋の女将――ノスィの旦那さんだよ。ここでずっと止まってたみたいね』

 

 えっ、これがノスィの旦那さんか?

 ほんとに生きてたのか。

 止まってるけど……。

 というか、なんでわかるの?

 

『昨日と同じだよ。左手の指輪。セットになってるみたいね』

 

 彼の手に嵌められた指輪は昨日、ノスィの指に嵌められていたものとよく似ている……気がする。

 あまりはっきりと覚えてない。

 

『ドラゴンを倒せば、この兄ちゃんも動き出すんじゃないかな』

 

 よし。そうと決まればやるしかないな。

 

 シュウを構える。

 感覚こそないが、一歩、また一歩と白竜に近づいていく。

 白竜も眼が効かないと気づき、魔法を撃ってきた。

 だが、無駄だ。今の私にそんなものは効かん。

 

 空中を水平移動する水晶を蹴りつけ壁に足で押さえつける。

 

『こ、これは久しぶりに出るのか? メル姐さん秘技中の秘技!』

 

 水晶の中にいる白竜に狙いをつけシュウを水平に構えた。

 

『あらゆる敵を一撃のもとに屠ってきた――その名も「竜穿つ悪臭一閃(ただのつき)」だー! Ya−!』

 

 大それた解説の中、シュウを白竜に向けて突き刺す。

 刺突は水晶を突き破り、白竜本体も貫く。

 光に消え、残るはアイテム結晶のみ。

 

 ――静寂に生きる白き竜の瞳。

 

 アイテムを袋にしまう。

 

「なんだあんた。どこから出てきたんだ?」

 

 後ろから声が聞こえた。

 どうやらシュウが無敵スキルを解除したらしい。

 振り向けば男が一人、状況がわからないとうろたえている。

 

『たぶんすぐ復活するから、その男さっさと連れていって』

 

 うむ。

 説明は後だ。出るぞ。

 

「ちょっと、待て、何が……」

 

 男の首根っこを掴み、有無を言わさず来た道を駆け足で戻る。

 

 

 

「信じられん……」

 

 素に戻った口調でゲロゴンが出迎えてくれた。

 ぽかんとした顔で私を見つめている。

 

 どうでもいいから上に連れて行ってくれ。

 

「一人ずつじゃないと無理だ」

 

 じゃあ、こいつからだ。

 

 ゲロゴンはエパネと酒樽を掴みそのまま上へ飛んでいった。

 酒樽置いていけば、二人を一度に持っていけただろ……。

 

『……来た』

 

 後ろを見れば水晶が淀みなくこちらに寄ってきていた。

 眼は閉じたままで、こちらを止める気はないらしい。

 

《何者かは知らない》

 

 冷たい声が頭に響く。

 

 メルだ。

 

《大きい声で喋るな。頭に響く。口を開かないと会話ができないとは不便だな》

 

 そうか?

 

《うるさい。もう喋るな。……やられたのは初めてだ。だが、あの静寂はなかなかに心地良かった。名前は覚えておこう》

 

 かなり小さく喋ってもうるさいらしい。

 それなら黙るしかない。

 

《用が済んだなら帰れ。うるさくてかなわん。貴様もだぞ、灰っ子》

 

 それだけ言うと、水晶は暗闇の奥へと消え去ってしまった。

 

「流石にばれていたか」

 

 空から降りてきたゲロゴンは小さく一人ごちる。

 そのまま私の手首を掴み、地面を蹴って縦穴を飛び出た。

 

 

 

 外に出た私たちはエパネを連れてシミリアへ戻ることにした。

 まったく一日に行ったり来たりと忙しい。

 

 エパネには、彼自身に起きた事情を話した。

 説明はしたが、自分が行方不明になってから一年以上も経過していることが信じられないようだ。

 別に信じられないなら信じなくていい、と納得のいく説明は諦めた。

 そもそも、私の冒険譚はだいたいにおいて信じてもらえない。

 実際に身をもって知ってもらうのが一番手っ取り早い。

 

 シミリアに着くとゲロゴンは当然の如く酒場に向かった。

 肝臓も戻ったから久々に朝まで飲むぞー、と意気込んでいた。

 明日はシミリアを発つつもりだが、あいつは大丈夫なのだろうか。

 まあ、どうやってでも飛んでもらおう。

 

 さて、ゲロゴンと別れた私たちは宿への雪道を進む。

 彼も建物の様子やすれ違う住人の反応を見て、ようやく事態を飲み込み始めた。

 

 宿の扉を開け、エパネは入り口に立ち止まる。

 私が帰ったことに気づいたのか、ぱたぱたと階段を下りる音が響く。

 

「メルさん。無事に帰られま――」

 

 ノスィの言葉は途中で止まった。

 私の後ろに立っている人物に気がついたようだ。

 

 エパネも何を言えばいいのかわからないのか、黙っている。

 二人の時間が静止した。

 

『「どこの女のところに行ってたのよ?!」、「女王様の具合が良かったんだZE!」、「キィー!」』

 

 ちょっと黙っててくれる?

 邪魔をしたらいけないと、私は彼らの間から離脱。

 暖炉の前の椅子に腰掛け、成り行きを見守る。

 シュウは暖炉の中で暖まっている。

 

 彼らをと見れば、ちょうどエパネが口を開くところだった。

 

「その……ただいま。遅くなって、ごめんな」

 

 努めて明るく帰宅の挨拶を口にする。

 笑ってごまかしているようにも見えなくない。

 

 ノスィは首を横に振り、潤んだ瞳で亭主を見つめる。

 彼女の返事など決まりきっている。

 

「お帰りなさい」

 

 たったこれだけの言葉を、一年以上も胸に抱き温め続けてきた。

 静止していた彼らの日々が、今、また動き始める。

 

 

 

 こうして私の雪国巡りは静かに終わりを告げた。


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