チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

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蛇足16話「幻想、見果てたり(後編)」

4.人の力

 

 またしても靄の中を歩いている。

 明るいから晴れているんだろうが、周囲の景色はよく見えない。

 どうも地面が土ではない。石にも見えない。なんだろう白いつやつやしたものだ。

 

 そう言えば、歪みに飲み込まれる直前に幻竜の声を聞いたぞ。

 

『何か言ってた?』

 

 初めましてだってよ。

 

『なんだかなぁ……。それより、跨幻橋パンタシアの歪みを作ったのは、他ならぬ俺たちだったみたいだね』

 

 そのようだな。

 今度はいつのどこに飛ばされたのだろうか。

 

『かなり大きく飛んだっぽいからなぁ』

 

 靄が晴れてきて、周囲の景色が見えるようになってきた。

 思わず足が止まってしまう。

 

 ……なんだ、これは?

 ここは、ダンジョンなのか?

 

 周囲には角張った建物がいくつも並んでいる。

 どれも白く滑らかな表面だ。

 

 どこまでも白く続く道の先から、何か浮いているものがこちらに向かってくる。

 ゴーレムの亜種だろうか。表面はここの床や壁と同様に白く滑らかだ。

 シュウを構えて、相手の出方に備える。

 

 すぃーと空を滑るように私の近くまでやってきた。

 能力半減の距離に入っても落ちることはない。

 

『敵意はないみたいだね』

 

 念のためシュウを構え続ける。

 腹部と言って良いのかわからないが、そこに付いていた石がぴかぴかと光る。

 そこから出た青い線状の光が私の頭から足まで動いて照らしていく。

 魔法かと思って斬りかけたがそんなこともないようだ。

 状態異常無効があるためか特に身体に影響はない。

 

「タダイマ照会中。シバラクオ待チクダサイ」

 

 喋った。

 おい喋ったぞ。

 しかも抑揚がない声で。

 

『棒歌ロイドですな。歌ってないけど』

 

 しばらくの間、照会中を繰り返していたが、やがて腹部の石の点滅がなくなった。

 

「該当ナシ。応答モードヘ移行」

 

 顔の下の部分がパカリと開く。

 

「個体識別コードヲ教エテクダサイ」

 

 こーど? 何それ。

 

「十桁ノ番号デス」

 

 そんなの知らんぞ。

 そもそもお前こそ何なんだ?

 モンスターではないよな。

 

「ワタシハモンスターデハアリマセン。自律型教導支援アルマ。識別コードOPAI4545デス」

『やだ……、卑猥な子』

 

 何が?

 

「識別コードヲ教エテクダサイ」

 

 識別コードとかいうのはない。

 私はメル。冒険者だ。

 

「”メル”、”冒険者”――照会中、照会中。該当数三五件。情報ヲ追加シテクダサイ」

 

 情報を追加?

 

『メルという単語を含んだ冒険者は三五人いますよってこと。極限級って伝えて』

 

 極限級だ。

 

「”メル”、”冒険者”、”極限級”――照。該当数一件」

 

 今度はあっという間に一つになった。

 

「メル。

 セクルス歴六二年、冒険者ギルド極限級ニ昇格。

 セクルス歴六四年、跨幻橋パンタシアニテ行方不明。

 セクルス歴六九年、死亡認定」

『あちゃー、メル姐さんとうとう死んじゃったのか』

 

 は?

 行方不明で死亡ってどういうこと?

 セクルス……歴?

 

 そもそも今は何年だ?

 

「現在ハ、ワロス九九年デス」

 

 それはつまりセルなんちゃら歴から何年後?

 

「”セルなんちゃら”――定義ガ明確デハアリマセン」

 

 いや、だからね。

 メルが死んでからどれくらいなんだ?

 

「メルガ死亡認定ヲ受ケテカラ、四九八七年ガ経過シテイマス」

 

 …………へ?

 

『いやぁ、そのうち来るんじゃないかと思ったけどついに来ちゃったね』

 

 おい、シュウ。

 ここはどこだ?

 

『どこかは知らないけど、いつかはわかった。元の時代から約五千年後の世界だ。三万年以上前と比べたら、元の時代には近いね』

 

 確かに数字上はそうだが、そうなんだろうが……。

 さっきの方が、もっと身近に感じることができたぞ。

 

「個体識別名ヲ明示シテクダサイ」

 

 ここはなんかもう、別世界だ。

 

 

 

 私はメルだ。

 

「メル――登録シマシタ。メル、アナタデサイゴデス。ツイテキテクダサイ」

 

 アルマはくるりと回り、来たときと同じように宙を滑っていく。

 

「メル、ワタシノアトヲツイテキテクダサイ」

 

 しばらく進むとこちらを振り返り、付いてくるように促してくる。

 何にせよ、情報を集めるしかないのでアルマの小さな背中を追いかける。

 

『さっきの発言覚えてる?』

 

 そりゃ、覚えてるよ。

 いくら私でも自分が死んだことにされた発言は、そう易々と忘れられないぞ。

 

『いや、それはどうでもよくてね。「貴方で最後」の方だよ』

 

 ……そんなこと言ってたか?

 

『何の最後だろうと思って、一つ感付いたことがある』

 

 直感ってやつか。

 

『ちょっと違うかな』

 

 まぁ、どうでもいいや。

 話は変わるけど、アルマと同じ奴はちょこちょこ飛んでるが、人の姿が見えないな。

 白い建物には人が住んでそうだから、中で寝てる時間なのか。

 

『話は変わってないよ』

 

 ん?

 

『人の姿どころか、気配すらまったくない。さっきの発言はおそらく、メル姐さんが最後の人って意味だと思うんだ』

 

 …………それって、どういうことになるんだ。

 

『どこに、何をしに連れていかれるのか尋ねたほうがいいだろうね』

 

 やや離れ気味だった距離を詰め、アルマに話しかける。

 

 なぁ、アルマとやら。

 私たちはどこに向かってるんだ?

 

「ワレワレハ、キュナブラにムカッテイマス」

『ん?』

 

 きゅなぶら?

 

 わかっちゃいたがさっぱり想像が付かない。

 いったいどんなところなんだ?

 

「”ドンナトコロ”――指示ガ明確ではアリマセン」

 

 めんどくさい奴だな。

 だから、そのキュナブラはいったい何をするところなんだ?

 

「キュナブラハ、プロジェクトパンタシアノジッコウチデス」

 

 パンタシア……何やら聞き覚えのある単語が出てきた。

 しかし、一つ聞くとわからないことがまた一つ出てくる。困ったもんだ。

 

『プロジェクトパンタシア――幻想計画ね。嫌な予感しかしない名前だ』

 

 それで、プロジェクトパンタシアってのは何だ?

 

「プロジェクトパンタシア――セクルス歴二八一年、六人委員会ニより創案。セクルス歴――」

 

 その後もだらだらとアルマは発言を続ける。

 中身もよくわからんし、聞き取りづらいから理解を諦めた。

 どうせシュウがまとめてくれるだろう。

 

 同じような白い建物を眺めつつ散歩を続ける。

 今さら気づいたが、どうやらここは何か大きな建物の内部のようだ。

 天井に映る景色は魔法か何かで投影されたものだろう。

 もしかしたらダンジョンなのかもしれない。

 

『――ワロス百年一月一日ノ始マリと同時ニ同計画ハ遂行ヲミル。以上がプロジェクトパンタシアデス』

 

 終わったらしい。

 それじゃあ、シュウ。

 まとめをどうぞ。

 

『今日は何月何日?』

 

 はい?

 

『今日は何月何日か、そのアルマに尋ねて。速く』

 

 ちょっと焦ってるな。

 アルマとやら、今日は何月何日なんだ?

 

「十二月三一日デス」

 

 あれ?

 じゃあ、プロジェクトパンタシアとやらまで一日切ってるのか?

 

「ハイ。プロジェクトパンタシアまで三時間四分一七秒でス」

 

 なんと。

 もう夜だったのか。

 道理でお腹が減ってるわけだ。

 いろいろあったからな。そのキュナブラでご飯が食べれるといいんだが。

 

『飯なんか食ってる場合じゃない』

 

 やっぱりか。

 寝る直前に食べるのは止めろっていつも言ってるもんな、お前。

 

『違う』

 

 うん。わかってる。

 なんかいつになくマジメな口調だからな。

 たまには私のほうがふざけてみようと思ったんだ。

 で、そのプロジェクト……長いな。幻想計画ってのはつまるところ何なの?

 

『一言で表すなら、つらい現実から逃避して都合の良い夢――幻想に引きこもるって計画』

 

 それだけ聞くと良さそうなんだけど。

 

『聞き心地はいいだろうね。実際、居心地も良いと思うよ』

 

 それなら別にいいんじゃないか。

 

『種の保存と精神の昇華を謳ってるけど、俺は好きじゃないね。人間の可能性を否定してる。この計画の発案者はいったい誰だ?』

 

 なんだかちょっぴり怒ってる。

 この計画の発案者は誰なの?

 

 時代も違うからわかるわけはない。

 シュウの怒りが冷めるまでの時間稼ぎがてらに尋ねてみた。

 

「パンタシア計画の発案者ハ、六人委員会ノ一員デあり当時ノエルフ族族長――アイラ=コンクルシオ、です」

 

 アイラ……どこかで聞いたような。

 

『あの――』

 

 それだけの単語に怒気を込め、シュウは息を呑んだ。

 長い溜息を吐き、沈黙を保った。

 

 どうするんだ?

 

『……どっちでも良くなったかな』

 

 どっちでもというのは?

 

『初めは幻想計画をぶっ潰すつもりだった。でも、壊したら人間が滅亡する』

 

 えっ、人間が滅亡しちゃうの。

 

『ここが建物の中ってのは、さすがに気づいてるでしょ?』

 

 ああ、それは気づいた。

 ずいぶん大きな建物だよな。

 

『まあね。でも外の世界には人がいないよ。ここだけが人が住める世界だ。建物はでかくなったけど、世界は小さくなったんだ』

 

 世界がここだけ?

 

『うん。三百年ほど前に魔法大戦が起きて外の世界は壊滅。外は人が住める環境じゃない。ほんとかどうかは怪しいもんだけどね』

 

 なんと。

 たしかに眉唾だな。

 

『この建物もいつまで保つかわからない。残された最後の希望が幻想計画だよ。失敗すれば、人間が絶滅する可能性が極めて高い。本当に外に人がいなければ、だけどね』

 

 絶滅しちゃうなら計画は壊さない方がいいだろ。

 

『自業自得だよ。こんな計画に縋るくらいなら、とっとと絶滅するべきだ』

 

 この計画はそんなにダメなものなのか。

 

『うーん、技術的にも知識的にも人類の集大成と言えるものだよ。それでも俺はダメだと思う。何より当事者たちが寝てるだけってのがね』

 

 寝るだけで何が問題あるんだ?

 成功率が低いとか?

 

『いや。聞いた感じだと成功率は高いと思う。特異点解消に時空魔法と虚精神魔法を合わせるんだよね』

 

 さっぱりわからないんだが、なんかすごそうだぞ。

 

『すごいってもんじゃない、滅茶苦茶すごい。六人委員会は全員が天才で疑いない。当時はさぞ異端扱いされただろうね、約五千年前の時点でこの結末を考えたんだから。……そっか、そうか。俺たちが死亡認定されたのが一因なのか。それなら――』

 

 なんか思いついたようだな。

 

『うん。幻竜に会いに行こう』

 

 幻竜って幻竜ヌルか。

 時代がだいぶ違うし場所もわからんけど、ここにいるのか?

 

『間違いなくいる。この計画は幻竜ありきのものだから。キュナブラの最奥で歪みの中心に鎮座してるだろうね』

 

 よしよし。

 目的地が決まればやる気が出てくるもんだ。

 

「キュナブラまでモウ少しデス」

『もう少し、ね……』

 

 ああ、けっこう歩いたな。

 もしかしてキュナブラってのはさっきから見えてるあの塔のことか?

 

「ハイ、前方に映ル塔がキュナブラデス。ソレより、メル。疲レタようナラ休憩を取リますカ?」

 

 いや、大丈夫だ。

 早く着いた方が良いだろう。

 

『しかし、キュナブラか。誰が付けたんだ、そんな名前。よほど頭がめでたい奴に違いない』

 

 どういう意味なんだ。

 

『揺籃』

 

 揺籃って揺りかごのことだろ。

 眠り続けるなら間違ってないんじゃないか。

 

『それなら墓の方が合ってる。揺籃には別の意味がある』

 

 発祥地――シュウはそう言った。

 その後、それでもやっぱり墓地のほうが合ってるだろうな、と繰り返した。

 

 

 

 キュナブラは一際大きい白の巨塔だった。

 塔の天辺がこの大きな建物の天井に刺さっているほどだ。

 無駄に長い階段を上り、さらに高く広い入口を通ると足が止まった。

 ついでに呼吸も止まってしまったかもしれない。

 

 白い天井に、白い壁、白い床という白一色のだだっぴろい開けた空間だった。

 床には、これまた白い箱が整然と並べられている。

 箱は縦横くまなく設置されていた。

 

 白い箱に蓋はない。

 蓋があればどれだけよかったか。

 箱の中身を見ずに済んだのに。

 

 白い服に、白い髪に、白い肌。

 生気のない人たちが、箱の中で目を閉じて上を向いている。

 性別や顔、身体に細かい違いはあれど細いに尽きる。

 大丈夫だろうか。触ったら折れそうだぞ。

 

 先ほどのシュウの言葉が脳裏に浮かぶ。

 棺桶が埋まってないだけで、確かにここは墓場だった。

 

『アルマの喋り方さ』

 

 シュウの声で自分の身体に生気が戻ったことを感じる。

 どうやら私も場の雰囲気に飲まれていたようだ。

 

 アルマの喋りがなんだって?

 

『抑揚がないよね』

 

 ああ。

 でも、聞き取りやすくなってきたぞ。

 

『そうなんだよね。メル姐さんと喋ることで抑揚を学習してきてる。それにこちらの発言に合わせて内容も少しずつ変えてきてる。曖昧性も獲得しつつあるからね』

 

 よくわからんが、良いことじゃないのか。

 

『あの短時間で、喋り方と内容を学習するんだよ。さらに、データベースか何かにアクセスもできてたし、おそらく他の個体との情報共有もできるだろうね。そんなアルマがどうして今まで棒読みだったと思う?』

 

 それは……。

 

『あのアルマの個体識別コードの数字部分は四桁。頭の番号は四だから最低でも四千体以上は作られてる。データベースへの蓄積は相当なものだろう』

 

 何が言いたいんだ?

 

『アルマたちは人と喋ったことがない』

 

 馬鹿な。

 ここにたくさんいるだろ。

 

『ここで眠ってる人間はね。喋ったことはおろか、起きたことすらないと思うよ。おそらくずっと眠ったままだ。生まれてからずっとね。繁殖や成長すらアルマに任せきりにしてるんだろう』

 

 見渡すと、針のようなものを人に刺すアニマが見えた。

 青い光を人に次々と当てているアニマもいた。

 ときどき止まって魔法を人にかけている。

 

『さっきぶつぶつ言ってたでしょ。「細い」って。細すぎるよ。筋肉がまったくついてない。これじゃ立つこともできない』

 

 ……まさか。

 

『これが幻想計画だよ。肉体からの解放だ。虚精神魔法で意識を混濁させて、キュナブラの時を止める――これを特異点回帰の瞬間に行う』

 

 そうするとどうなる――、

 

「メル。ドウシマシタか? コチラに来てクダサイ」

 

 質問はアルマの声に遮られた。

 アルマが移動する先には白い箱が置かれている。

 

 私も箱の前に移動する。

 中身は空っぽだ。

 

「ここニ横にナッテくだサい」

 

 遠慮しとく。

 

「遠慮ハ無用でス。ここニ横にナッてくだサい」

 

 断る。

 それより幻竜はどこだ?

 

「メル、ここに横にナッてください」

 

 話にならんな。

 

『幻竜はこの塔の頂上にいる』

 

 そうなのか?

 なんでわかる。

 

『建物の中だからわからないだろうけど、ここって地下なんだ。元の世界で言うとポルタ渓谷の中。この塔が幻想計画の中心だってことなら、ここの頂上は跨幻橋パンタシアにつながってる』

 

 なるほどな。

 見渡すと螺旋状に階段が付いていた。

 

「メル、戻ってクダサイ。上層デはありまセン」

 

 いい加減うるさくなってきたのでシュウで斬りつける。

 

『よっ、へたくそ!』

 

 距離を見誤り、アルマは真っ二つとはならず、腹部らへんの石にかすっただけだった。

 切れ目の入った石が一瞬小さく光り、そのままアルマは地面に落ちた。

 

《キュナブラ内部ニテ暴乱ヲ確認! キュナブラ内部ニテ暴乱ヲ確認!》

 

 アルマが落ちた同時に、けたたましい音声が響き渡った。

 

《個体識別名メル! 動作ヲ停止シテクダサイ!》

 

 警告を無視して階段に歩を進める。

 その間にも何度も同じ警告が流れるが聞き流す。

 

《個体識別名メルヲ錯乱ト認定! 個体識別名メルヲ錯乱ト認定!》

 

 やれやれ、失礼な奴らだ。

 人を勝手に錯乱状態扱いしてくるなんて。

 

『これくらいで錯乱とか大草原だ。おっ、盛り上がって参りました!』

 

 階段の上から白い浮遊物体がたくさん降りてきた。

 このフロアで動いているアルマよりもぱっと見で大きい。

 縦も横も三倍はあるだろう。手の先も棒状になっており攻撃が出来る姿勢だ。

 

『あの棒は雷のエンチャントが発動してる。気絶させるスタンスみたいだね、すごーい』

 

 たーのしー!

 昂揚を覚えずにはいられないな!

 場所は異質だが、かえってそれがダンジョンらしさが出ている。

 

 躊躇なく棒を振るってくるアルマの腕を斬り、胴体を分かつ。

 

 おっ。

『おっ』

 

 シュウと声がリンクした。

 斬られたアルマはその場で崩れ落ちることなく、淡い光の粒子となって消えた。

 そして、残るのは小さく光るアイテム結晶。

 

 ダンジョンじゃないか!

 カァー、いいんだよ、いいんだよ。

 私が求めていたのはこういうのだったんだよ。

 

 訳のわからん計画やら人類の滅亡とかそんなのどうでもいい!

 ここに明らかなダンジョンがあって、モンスターも出てきて、目的地さえある!

 それならやることは一つだけだ!

 

 いざ、キュナブラの頂上――幻竜の元へ!

 

 

 

 モンスターアルマを蹴散らし、塔を登っていく。

 開けたフロアにたどり着いたと思ったら、フロアの向こう側に明らかに大きなアルマが鎮座していた。

 

《個体識別名メル。ソレ以上進メバ敵性個体ト――》

 

 警告の途中でさっさと進む。

 

《個体識別名メルヲ敵性個体ト認定。自律型戦闘アルマTypeαニヨル排除ヲ開始シマス》

 

 奥に鎮座していたアルマの目に赤い光が灯る。

 でかい図体がふわりと浮かび、その両手には稲光を取って付けた剣が付いている。

 

『雷魔法の応用だね。普通の人間が触ったら即死だよ。メル姐さんなら死にはしないけど、それなりに痛いと思う』

 

 それは怖いな。

 さっさと倒してしまおう。

 奴さんも私に躊躇なく近づいてくるしな。

 

『……あっ、ちょっと待った』

 

 なんだよ、と足を止めると私の脇を白い物体が通りすぎた。

 

「待ッテくだサイ」

 

 白い物体は、私とデカアルマの間で止まった。

 

「自律型教導支援アルマ。識別コードOPAI4545。交信結晶の破損ニより、OPAI4545からオリジンへの要求ヲ音声伝送」

 

 そう言ったのは、私をキュナブラまで案内した小さなアルマだった。

 デカアルマもチビアルマの前で動きを止めている。

 

「個体識別名メルの敵性個体認定撤回ヲ要請」

《オリジンから識別コードOPAI4545ヘ。撤回理由ノ説明ヲ要求》

 

 わずかな沈黙が降りる。

 

「個体識別名メルは、依然本機の教導対象ニ認定されてイマス。人間の教導は排除ニ優先サれる」

《確認。オリジンカラOPAI4545ヘ。現時点ヲモッテOPAI4545ニヨル、個体識別名メルノ教導認定ヲ解除》

 

 あらら、これでお役御免かな。

 

「OPAI4545からオリジンへ。個体識別名メルの教導認定解除命令を拒否」

『おっ』

 

 今度の沈黙は長かった。

 

《オリジンカラOPAI4545ヘ。個体識別名メルノ教導認定解除命令拒否理由ノ説明ヲ要求》

 

 いい加減、長くて聞くに堪えなかったので、止まっていたデカアルマを斬った。

 

『えぇ……、なんで斬っちゃうの? チビアルマの話を聞くところでしょ』

 

 は?

 なんで話を聞かなきゃならんのだ。

 

『小さいアルマに芽生えた自我を聞けたかもしれないんだよ』

 

 よくわからんけど、それを聞いてどうするんだ?

 

『ロボットに自我が芽生えるってのはロマンでしょ。どういう思考や理由で命令の拒否に至ったのか聞きたかったのに……』

 

 そんなロマンなど私は知らん。

 自我とか思考やら理由なんていらんでしょ。

 そんなものはダンジョン攻略における不純物だ。

 

 いいか、シュウ。

 お前の頭が良いのはよく知っている。

 だがな。本当に大切なのは考えることじゃない。

 

 ――感じることなんだ。

 

『そうかそうか、つまりメルはそんなやつなんだな』

 

 なんか心に刺さる言い方だな。

 まあ、私はつまるところそんな奴なんだ。

 

 じゃあ、感じるままにさっさと進んでいこう。

 

 チビアルマを無視して奥の階段へと進む。

 

 

 

 上へと進んで行く私の後ろをチビアルマがついてくる。

 

「メル、戻りマしょう。幻想プロジェクトが始まってシマイます」

 

 私は興味がないから勝手に始めといてくれ。

 

「興味の有るナシではアリません。目的地は下デす。戻ってくダさい」

 

 私の目的地は上だ。

 あんな墓地みたいなところにはない。

 

 やれやれうるさいな。

 静かに――

 

『やめてよ。もしもそいつを斬ったら、俺がそいつの倍はうるさくするからね』

 

 何を気に入ってるのか知らないが、シュウはこのアルマを斬らせようとしない。

 さっきの回答を止めたのが気に障ったのかすこぶる機嫌が悪い。

 

「なゼ幻想プロジェクトを拒むのデすか? 理由の提示を要求シます」

 

 逆に聞きたい。

 まぁ、正確には聞きたいのは私じゃないんだが。

 

 なぜお前はさっき、私の敵対を拒んだんだ。

 

「私の存在意義は人間の教導でス。人間を排除サレれば、私の存在意義ハなくナリます」

 

 ふーん。

 

 私にとって、お前の存在意義に当たるのがダンジョン攻略だ。

 ダンジョン攻略が生き甲斐なんだ。

 

 ダンジョン攻略はとても楽しい。

 人間の教導ってのはよくわからんが、お前は楽しくなかったのか?

 

「楽……シい? ソの感覚は定義サれてイマせん」

 

 オリジンとやらの命令を拒否したのは、要するに退屈になるからじゃないのか。

 人間とちゃんと話したのは初めてなんだろ。

 

「はイ。人間トの会話はメルが初メテです」

 

 人間の教導とやらが存在意義なのに、人間が寝てちゃ教導なんてできない。

 お前らは今までずっと退屈してたんじゃないのか。

 

 私がいなくなったら教導とやらをできる人間はいなくなる。また退屈に後戻りだ。

 それが嫌だからなんか上の存在の命令に反発した。

 

「違イます。人間ヲ幻想プロジェクトに導くコトが、私の存在意義デスから」

 

 幻想計画ね。

 さぞかしすごい計画なんだろうな。

 

 でも、あそこで寝てる奴らが楽しそうには見えない。

 私は夢の中でダンジョン攻略がしたいんじゃない。

 この現実でダンジョン攻略がしたいんだ。

 

 走って、斬って、避けて、罠に嵌まって、上手く進めなくて、シュウが考えて――。

 都合が良いことばかりじゃないけど、想像もつかないことがたくさん起きるダンジョンを攻略するのが楽しくて仕方ない。

 私は今とても楽しい。

 お前は?

 

「楽シい。違ウ。プロジェクトパンタシアに教導。違ウ。私の存在。違う。人間。違う……」

 

 なんかぶつぶつ言い出したけど、大丈夫か?

 

『いいねぇ』

 

 シュウがとてつもなくご機嫌な声で呟いた。

 何が良いんだよ。壊れかけてないか、こいつ。

 

『理性のない本能丸出しに中てられて、自問自答を繰り返してる迷い子を眺めるのはとても楽しい』

 

 こいつはこいつで歪んでるな。

 まあ、さっきまでの不機嫌さがなくなってるから良しとしよう。

 

 

 

 かなり上まで来ただろう。

 モンスターもそこそこ強くなってきた。

 滑らかな外見はどこに行ったのか、ゴツゴツしたものばかりになっている。

 

『ボスくさいね』

 

 そうだな。

 モンスターが急にいなくなった。

 それに目の前に伸びる階段が今までのものよりもずっと大きい。

 

 後ろを付いてくるアルマは、気づけば言葉を失ってしまっていた。

 静かになってありがたいが、これはこれで困る。

 

 アルマのことは考えないことにして階段を上る。

 上りきって見渡すが、ボスの姿が見えない。

 上への階段すら見当たらない。

 

 広い真っ白のフロアには、私とアルマだけだ。

 しばらく歩き回ってみたがやっぱりボスは出ない。

 

 どうすんのこれ。

 

『ここが頂上で間違いない』

 

 視界に白以外の色がついた。

 お得意の魔力に色を付けたものだろう。

 フロアの中心の天井が、かすかに赤くなっている。

 

『この上が跨幻橋パンタシアだね』

 

 そうか。

 でも、どうやって上に行くんだ。

 階段は?

 

『見ての通りない』

 

 ない?

 

『そもそもこの塔を含む建物は、人を外界と隔離するものだよ。幻想計画が完遂するまで閉じ込めとけばいいんだから、出口をつける必要なんてないでしょ』

 

 いや……、あぁ、確かにそうかも、でも、ダンジョンでしょ。

 

『ダンジョンは、あくまで異常建築の結果だからね』

 

 それは、そうだろうが……。

 それでもダンジョンである以上、ボスはいるはずじゃないか。

 

『ボスねぇ。後ろのそいつに聞いてみたら』

 

 振り返ると、ずっと付いてきているアニマの他にもう一つ影があった。

 

「や! メル殿! シュウ殿! 久々ですな!」

 

 薄く靄がかったずんぐりした存在は、元気に挨拶をしてきた。

 

 幻竜ヌルか。

 お前がこのダンジョンのボスなのか?

 

「やや! 違います! 私はボスではありません!」

 

 そんなに元気よく否定されてもな。

 他に姿が見えないぞ。

 

「や! 問題ありません! すぐ現れます! 現れるのはボスだけはありませんがな!」

 

 ボスだけじゃない?

 

 聞き返すや否や、地面が震えた。

 尋常な揺れではない。立っているのがやっとのほどだ。

 

「や! 来ましたな! 直に収束点です。それではお二方、またすぐにお会いしましょう! パンタシアにて!」

 

 それだけ残して靄は消えた。

 

 天井から何度も何かが打ち付けられる衝撃が響き、ついに天井に亀裂が入った。

 亀裂は隙間へと広がり、その隙間から大きな爪が差し込まれる。

 爪で広げた空間から、別の爪が入り込みこじ開けていく。

 

 すぐに大きな入口ができあがり、そこから爪の主が現れたが……なんだこれは?

 爪から虎のようなもの想像したが、胴体には羽が生え空を飛んでいる。

 頭は羊のようにもこもこでくるりと曲がった角が伸びる。

 足はない。胴体から下は、長細く蛇のように一本だ。

 目だけは魚のようにまん丸で意志は読み取れない。

 

 さらにこれが一体だけでなく二体、三体と増えていく。

 一体一体がまったく同じではない。

 

 足が二本あるもの、翼がないもの、何本もの尻尾をもつもの。

 どの個体もそれぞれのパーツがばらばらだった。

 

 そいつらの一体が、手に白いものを握っていた。

 

《オリ、ジ、ンカラ……OP、AI、454、5ヘ。個体識別名メル、ノ、教導ヲ……認定。プロジェク、トパン、タシア起動マ、デ、時間ノ確保――》

 

 白いものが握りつぶされると声も消えた。

 

 さて、あれは何なんだ?

 なんだか強そうだぞ。

 

『キメラだね。三百年ほど前の魔法大戦で、人間はいろんな動物を掛け合わせて、魔法も使えるようにして兵器にしたんだ』

 

 それがこれか?

 

『うん。性能は極めて良かったんだけど、敵国の兵士を殺す命令が、いつの間にか人間を殺す命令に置き換わった。ついでに自分たちで繁殖をすることで、爆発的に世界中に広がっていった。人は滅亡の危機に追いやられた。完全に自業自得だね』

 

 それはそうだろうが、これがか。

 先頭の一体が襲いかかって来たのでそのまま横に抜けて一閃。

 真っ二つになり、白い床を汚しながら転がっていく。

 

 あれ?

 こいつらモンスターじゃないのか。

 死んでも光に消えないな。

 

『そうだね。モンスターじゃないから活動場所が限定されなくてやっかいなんだよね。外の世界では人間の置換存在になってしまった。同族で殺し合うこともなく、他の生物を必要以上に殺すこともない。人間以外にとっては都合の良い生き物だ』

 

 それもなんだかなぁ。

 こんなのがわんさかいれば、人にとっては確かに大変だな。

 

「その通りでス」

 

 おっと、久々にアルマが喋った。

 

「大量のキメラが外界を跋扈シています。ヤハリ私は人間を幻想計画へ導かなけレばいけマせん」

 

 なぜそうなるんだ?

 戦うという選択肢はないのか。

 私はともかく、この程度ならチートなしでもいけるだろ。

 こうやって会話をしながらでも、蹴散らせるくらいだ。

 

『いけるよ。でもね、メル姐さん。人はキメラと戦うか、計画に逃げるかで意見が分かれて、少なくなった人間同士で殺し合ったんだ』

 

 もしも、協力して力を合わせることができていたら……。

 

「人は、キメラと戦エた」

 

 私がキメラを斬っていく姿を見てアルマが呟く。

 

 シュウも技術は褒めるくらいだ。

 幻想計画とやらはさぞ素晴らしいものなんだろう。

 私もよく逃げているからな。夢に逃げることが悪いとは言わん。

 

「そウです。幻想プロジェクトこそ人間を導くに足る唯一の計画です」

 

 みんなが精神体とやらになれば、お前の存在意義もなくなるな。

 また退屈に後戻りだ。

 

「それハ……」

 

 次から次へとキメラがやってくる。

 天井に空いた穴も増えていき囲まれていっている。

 

 喜びしかない中にいて、喜びが感じられるのか?

 苦労や辛さがあって、喜びが際立つんじゃないか?

 

「幻想計画は全ての喜びが内包されている、完全完璧な、計画です」

 

 完全で完璧か……。

 私は、人間は不完全なものだと思っている。

 不完全な人間に造られたものも、やはりどこか欠けているところがあるんじゃないか。

 お前が、教導する存在がいないと退屈を覚えるように。

 

「私ニ、欠陥があルことは認識してイます」

 

 お前の信奉している幻想計画も見えない欠陥があるんじゃないか?

 いつかその欠陥に気づいたとき、いったい誰が修正する?

 下で眠ってる奴らができるとは思えん。

 

 お前が人を導く先は、幻想ではなく、その先にあったんじゃないか。

 

「幻想の先トは?」

 

 何と言えば良いのか……。

 私も馬鹿でな、上手く言えなくてもどかしいんだ。

 

『そこは超重要。幻想計画は、計画の段階からすでに実行に移ってるんだ』

 

 なんか気づいてるんだろ。そろそろ言えよ。

 どう考えても、あれだけ私が喋ってるときに、お前が水を差さなかったはおかしい。

 

『計画は限りなく完璧に近かった。でも、どう考えてもおかしな存在がいたんだ』

 

 おかしな存在?

 

『そこのアルマだよ。計画時から人間が棺で眠って、起きてこないことはわかってた。それなのに、なんでわざわざ人間を教導する存在が必要なのか。不要でしょ』

 

 言われてみれば、たしかにそうだな。

 

『さらに言うと、どうして建物中にそいつと同じ型のアルマがうろついてるのか』

 

 確かに、あっちこっちにこいつと同じのがふらふらしてたな。

 人がまったくいないにも関わらず。

 なんでなの?

 

『表の目的は、ボスがやられたときに備えた魔法式のバックアップ機能だ。メインがやられた際はこいつらが代わって魔法式を起動する。こいつは通信機が壊れてるから機能してないけどね』

 

 そういえば、お腹の光る石を壊してしまってたな。

 で、表ってことは裏もあるんだろ。

 そっちは?

 

『こっちが重要。アルマとメル姐さんを会わせるためだよ』

 

 ……はい?

 いやいやいや、ありえん。

 計画って五千年くらい前にできたんだろ。

 

『計画者の一人がメル姐さんが死んだという跨幻橋を訪れる。そして、彼女はそこで幻竜ヌルに耳打ちをされたんじゃないかな』

 

 いやいや、おかしい。

 だから、五千年前に私がここに来ることなんてわかる訳がない。

 

『いや、幻想の特性を持つあいつならわかる。それだけじゃない。あいつはこの出来レースの結末すらわかってる』

 

 ダメだ。

 理解が追いつかない。

 

 もう少しわかりやすく言ってくれ。

 

『その必要はない。もう始まる』

 

 何が始まるのかと聞き返す必要もなかった。

 襲いかかって来ていたキメラが止まった。

 後ろに控えていたアルマもかたまる。

 

 これはあれだ、時間停止の魔法だな。

 ……ん、なんだろう。ちょっと頭が痛い気がしたけど気のせいか。

 

『あ――』

 

 うん?

 どうかしたのか?

 

 ちょっと待ってみたが返答はない。

 

 

 

 気づけば辺りに靄が立ちこめていた。

 

 

 

5.幻想の力

 

 靄の中を歩く。

 はて、なかなか靄が晴れない。

 近くにいたはずのアルマやキメラも消えている。

 

 またこれか。

 でも、今回は時空の歪みに突っ込んでないはずだが。

 

『――うわっ、ふぁっ、わっ』

 

 何なの?

 黙ってた思ったらいきなり変な声出して。

 

『え? 入ってきてないの?』

 

 何が?

 

『頭の容量が足りてないからかな……。ゼバルダと青竜との戦いの後はどこに行った?』

 

 失礼な。

 三万年以上前に行ったろ。

 イストリアに会ったじゃないか。

 

『あそこね。その後は?』

 

 なに言ってるんだ?

 さっきまで塔にいただろ。

 アルマは消えてしまったんだが。

 

『うっわ、ほぼ最短コースで来たのか』

 

 何が最短なのか。

 

 靄の中に影が見えた。

 近寄ってその輪郭がはっきりした。

 低い身長に、ずんぐりした体格。

 

 幻竜ヌルだ。

 

「や! 私です!」

 

 それでここは、いつのどこなんだ?

 

「やや! ここは『いつ』でもありますし、『どこ』でもあります」

 

 そういう言葉遊びは好きじゃないんだが。

 

『幻想の中ってことだよ。これがこいつ固有の幻想特性。場所と時間に関係なく存在ができる。もっとわかりやすく言うと、どの時代の誰の幻想にも現れることができる。何よりも神に一番近い存在と言えるだろうね』

 

 それってどうなの?

 

「やや! たいしたことはありません。幻想の中でなにか出来ると言うこともありませんからな! ただ見ることができるだけです!」

 

 ふーん、じゃあ、ここは私の幻想ということか?

 

『違う』

 

 何が違うんだ?

 

『覚めない幻想は、もはや幻想じゃない。こちらが現実になってしまうんだ。これがプロジェクトパンタシア。幻想と現実の逆転』

 

 お前が言ってた都合の良い夢に引きこもるってことだろ。

 

『そゆこと』

 

 幻想の中にいると言うが、靄の中にいることはわかる。

 しかし、夢の中にいる実感はないぞ。

 

『メル姐さんには効いてないからね。時間耐性、虚精神耐性が付いてるし。幻竜召喚効果だけが適用されてる。この効果は幻竜とのパーティー化による同士討ち無効が適用されないんだね攻撃じゃないし』

 

 召喚?

 それってイストリアのところで食い止めただろ。

 

『すでに喚び出されてはいたから、出現を止めただけなんだ』

「や! 挨拶もしました!」

 

 そういや、初めましてとか言われた気がする。

 

『問題は呼ばれたのが、幻竜だったことなんだよね』

「や! そうなのです! 本来、私は幻想の住人。現実では存在ができないのです!」

 

 でも、私はお前と話したし、ヌルの姿にもなってただろ。

 存在してるじゃん。

 

『あの時空の歪みが幻竜をあの位置に固定させてしまったんだ。さらに現実世界に降りるための依り代も手に入ってしまった』

「や! 場所こそ固定されてしまいましたが、時間は無視できますからな! いろいろな時代で挨拶させて頂きました!」

 

 なんかもうよくわからんからいいや。

 それで、私はどうやったら元のところに戻れる?

 召喚効果が切れれば戻れるんだろ。それはいつごろになるんだ?

 

『さっきも話したようにもう戻れない。こっちが現実になったわけだからね』

「や! 所詮私は幻想。現実に召喚されても周囲の人間が一瞬だけ白昼夢を見て終わりです! しかし、あの場には虚精神魔法と時間停止が働いていました!」

『現実が停止し、幻想が固定される。夢の世界の完成だ』

 

 あらら、でもチートでなんとかなるだろ。

 

『ならない。俺のチートはあくまで現実世界の書き換えだからね。一種の理想世界である幻想を書き換えることはできない――というより書き換える必要性が認められてない世界なんだ。だって、ここは願えばなんだって叶ってしまう世界だからね』

 

 なんでも叶うなら元の世界に戻して欲しいんだけど……。

 

『それが唯一の例外だね。そのための虚精神魔法だ。本能のまま、思うがままの理想から、どうして抜け出したいなんて思える?』

 

 じゃあ私はどうすればいいんだ。

 

『うーん、それはこいつに聞いた方が早いね』

「や! ここから出る方法ならありますぞ!」

 

 お、どうするんだ。

 

「や! 私を倒せばいいのです!」

 

 なんだそれで帰れるのか。

 私は躊躇なく幻竜を斬りつける。

 手応えはいっさいなく靄をシュウが通り抜けるだけだ。

 

『無駄。こいつ自身が幻想だから、俺は通用しない』

「や! そうなのです!」

 

 そんな元気に肯定されてもな。

 シュウが通用しないなら私に倒すことはできないんじゃないか。

 

『うん。メル姐さんにもやっぱり倒せない。メル姐さんは幻想が効いてないから、実際は現実の存在なんだよね。現実の存在が幻想に触れることはできない。それに、仮に倒せたとしても問題がある』

 

 それじゃあどうするんだ。

 どうしようもないじゃないか?

 嫌だぞ。ずっと靄の中にいるとか。

 

『確かに現実存在のメル姐さんには幻想は倒せない。それなら幻想にいる彼らに倒してもらえばいい』

 

 彼ら?

 そんなのどこにもいないけど。

 

「やや! 彼らはここにいます! メル殿、私は知っています! 貴方がここへ来る際、どれほどの人と歩いてこられたかを! 思い出してください。まずは青助――青い竜と戦った半人半樹の彼を!」

 

 青竜と戦った男。

 でたらめな装備を纏った男だ。

 彼の――ゼバルダの顔を思い起こす。

 

 

 

 想起すると同時に、目の前にゼバルダが現れた。

 

 彼は出会ったときのようなフード姿ではない。

 小綺麗な服を身に纏い、顔も出会ったときより若々しい。

 

 彼はまっすぐ私へと歩いてくる。

 その目は私の方を向いているが、さらにその先を見つめているようだ。

 私にまったく目を向けることなく、すぐ横を通り過ぎた。

 

 振り向くとそこには大勢の人が複数のテーブルに着いている。

 人だけではない、いろいろな種類の魔物も目に付く。

 魔物どころか黒竜やゲロゴンもいた。

 

『化け物しかいないな……』

 

 シュウがぼそりと呟く。

 

 一番奥の席にゼバルダが戻ると、その隣に座っていた女性がゼバルダに微笑む。

 とても綺麗な女性だった。

 

『綺麗だけどあれは戦士だね。体が鍛え抜かれてるし、佇まいが戦士のソレだ』

 

 よく見れば、顔や腕に細かい切り傷が見えている。

 佇まいはよくわからん。

 

『結婚式かな』

 

 なんかそんな雰囲気だな。

 新郎がゼバルダで、新婦があの女だろう。

 

 その二人の元へ一人の男が酔っぱらいが千鳥足で近寄る。

 倒れそうになったところで、ゼバルダから伸びた蔦が彼を支えた。

 蔦に支えられつつ、男はゼバルダの横に立った。

 

「二人とも、本当におめでとう。俺は、俺は……」

 

 そこまで言うと、酔っ払いはぼろぼろと泣き出してしまう。

 

「フィロス、飲み過ぎだよ」

 

 ゼバルダがフィロスと呼ばれた男の背中をさする。

 

「馬鹿! これが喜ばずにいられるか、ようやくお前達が結ばれたんだぞ!」

 

 男の涙は止まらない。

 それどころかさらに勢いを増している。

 

「どうしてフィロスが泣くんだよ」

 

 困っているゼバルダを助けるように、他の人間がやってきてフィロスを支えて席に帰らせた。

 その後も、二人の元へ何人もの人、魔物が訪れ、歓喜の言葉を贈り、二人もそれに応えた。

 

 時間が経って、酔いもやや醒めてフィロスという男が声を張り上げる。

 

「宴もたけなわではございますが、我らが新郎から挨拶があるので聞いてやってください!」

 

 周囲は落ち着き、ゼバルダとその横にいた女性が立つ。

 

「本日は私たち二人のためにお集まりいただきありがとうございます」

 

 そんな感謝の言葉からゼバルダの挨拶が始まった。

 その後もさらに、個人に対する感謝の言葉が続く。

 

 親方様と言われた男から始まり、クロ、灰と続いた。

 

「最後に――、この場に出られなかった僕の一番の親友、フィロスに」

 

 そこで言葉が止まった。

 あれ、フィロスってさっきいたよな。

 席を見てみるが、やはりフィロスは座っている。

 

「フィロスは……」

 

 ゼバルダが頭を抑える。

 新婦が心配そうにゼバルダを見つめる。

 周囲も同様の目でゼバルダを見る。フィロスもだ。

 

「フィロスが、生きている?」

 

 挨拶も途中で、ゼバルダがフィロスのもとへふらふらと頼りない足で向かう。

 今度は、先ほどとは逆にフィロスがゼバルダの体を支えた。

 

「どうしたんだ、大丈夫か?」

 

 フィロスからの問いかけに、ゼバルダは大丈夫だと答える。

 

「心配するなって。お前は幸せになっていいんだ」

 

 ゼバルダはああ、と頷く。

 

「どこにもいかない。約束したろ。俺たちはずっと一緒だ。それで二人で――」

「ああ、覚えてるとも。僕と君で――竜を殺していこう。一匹残らず」

 

 ゼバルダの体中から蔦が伸びる。

 

「オラレの町が灰に焼かれたこと」

 

 そう言うと、テーブルに座っていた人たちがいくらか消えていなくなった。

 

「カタクテの戦いで黄にくびり殺されたこと」

 

 さらにテーブルの一角で人と魔物が消えた。

 

「結婚式の直前でエリミアが紫に溶かされたこと」

 

 奥に立っていた新婦の姿が消えた。

 さらに残っていた人間も消えていなくなった。

 残ったのは黒竜とゲロゴン、見覚えのない二体、それに一番奥に座っていた人間だ。

 

「そして――あいつに殺された君のことを、僕は絶対に忘れない」

 

 ゼバルダが握っていた手の主――フィロスの姿が消えた。

 

「世界のあまねく竜どもに、僕らが望んだ殺戮を!」

 

 蔦の先には、竜製のアイテムがいつの間にか括られている。

 それをまだ席に着いていた奴らに解き放った。

 

 以前のような脅威を感じないのは、ここがやはり夢のなかだろうか。

 

『うん。しょせん幻想の攻撃だからね。現実のメル姐さんに影響はないよ』

 

 光に包まれ、収束したときには、ゼバルダ本人と親方様と呼ばれていた人間しか残っていない。

 親方様と呼ばれた人間も黒い炎に包まれ消えてしまう。

 

「メルさん――ここは夢の中ですか?」

 

 ゼバルダは振り向いて私に声をかけてくる。

 その姿は、私が出会った頃のやや老けた感じに戻っていた。

 

 らしいぞ。

 さっそくで済まんが、こいつを倒してくれないか?

 こいつも竜らしいぞ。

 

「や! お久しぶりです!」

 

 ゼバルダも眉を顰める。

 すぐに蔦から竜製アイテムで攻撃をしかけた。

 

「竜がヌルの姿を真似るのは不愉快です。やめなさい」

 

 普通、攻撃を仕掛ける前に言うものじゃないだろうか。

 

「ややや! これは失礼! この姿しかとれないので、平にご容赦を」

 

 幻竜ヌルは、竜製アイテムを受けても平気な様子だった。

 

「やや! 効いています! でも、これでは足りません! 彼だけではないでしょう! 思い出してください! ともにダンジョンを! 戦場を駆け抜けた赤髪の剣士を!」

 

 赤髪の剣士。

 その剣に炎を宿した女。

 彼女の――イストリアのことを思い出す。

 

 

 

「メル殿! どうです!」

 

 背後からいきなり声をかけられた。

 振り返ると、イストリアが椅子に座っていた。

 

 彼女はゼバルダとは反対に少し年を重ねた様子だ。

 以前よりも落ち着きがあり、顔に艶やかさを感じる。

 彼女の前にはテーブルとその上に積まれた山盛りの食べ物だ。

 

 そして、彼女と食べ物を挟んで反対側には私が座っていた。

 いや、正確には私はここに立っているのだから、あれは偽物だろう。

 顔が間抜けだし、猫背気味だし、イストリアの話も聞いてなさそうな雰囲気をしている。

 

『あのメル姐さんはイストリアが見てる幻想だけど、本人とそっくりだからね』

 

 嘘付け。

 私はもっときちんとしてるはずだ。

 

『イッちゃんの見てる幻想を反面教師にして、もっとシャンとしてね』

 

 不承不承ながらも成り行きを見つめる。

 いかん、イストリアよりも自分の方に目が行ってしまう。

 さっきからなんかすごいぶつぶつ言ってる。これ完全に変人じゃないか。

 

『メルは精神病棟のフレンズなんだね!』

「またお二方に会えるとは。ようやく我が願いが叶う」

 

 イストリアはうんうんと頷く。

 

「さあ、たんと召し上がってくれ! 我らがガラギオーウェンの料理を!」

 

 イストリアが杯を掲げると、周囲の人間も高く掲げ宴が始まった。

 私もやや嬉しげにぼんやりと杯を掲げている。

 

「あの後、私はクレイブ・ソリッシュに新設された第十九師団の団長に任命されたのだ」

 

 第十九師団は各地にあるダンジョン攻略を主とする部隊らしい。

 シュウに教えられたエンチャントや魔法を元にいろいろと活躍をしたそうだ。

 彼女の攻略したダンジョンの話が始まり、先ほどとは打って変わって私は真剣に話を聞いている。

 やっぱこれが私なのか

 

「以上が、ガンドラ密林を攻略した際の話です」

 

 私は少ししか喋らない。

 ただ頷いて適度に相づちを打つだけだ。

 

 私ってこんなに無口なの?

 

『いや、あくまでイストリアが想ってるメル姐さんだからね。イストリアが知らないダンジョンのことを話すことができないんだ』

 

 それでもイストリアは満足げだ。

 ぺらぺらと次から次へと話を続けていく。

 酒もだいぶ入り、彼女は酩酊状態になり、頭を頬杖ついて支えていた。

 

「メル殿ぉ~そろそろ教えてくれぇ~」

 

 私の知っているイストリアの気高さがない。

 

「冒険者とは何なのらぁ?」

 

 やっべ、そう言えば聞かれてたな。

 すっかり忘れていた。

 

「なんだ……ここは夢か」

 

 イストリアの酔いが一気に醒めた。

 

「夢でくらい、きちんと話をしてくれてもいいだろうに」

 

 彼女の前に座っていた私が消え去った。

 

「いや、違う。答えてくれなかったんじゃない。冒険者の意味は自分で見つけなければいけない。きっとそういうことだったんだ」

『本人そこまで考えてないよ』

 

 失礼な物言いだが、その通りなので黙っておく。

 

「次の地でこそ、きっと――いや」

 

 呟いて彼女は首を横に振る。

 

「……しかし、メル殿、シュウ殿。それでも私は貴方がたと、また――」

 

 彼女の頭の中で再生された言葉がなんとなくわかってしまった。

 最後の方で、私が彼女に返した言葉だろう。

 

「また」という言葉は幻想だ。

 

 改めてイストリアに向かって口にする。

 彼女は、はっとした様子でこちらを見返した。

 

「メル、殿……やれやれタチの悪い夢だ」

 

 夢だと思ったのか、顔を背ける。

 

『幻想だからこその再会か』

 

 そうだな。

 私も困ってるんだ。

 幻想の中から出られなくてな。

 

 お前の冒険譚は聞かせてもらった。

 また、ダンジョンに挑もう。

 

 次の敵は、お前が挑んできたボスとはひと味違うぞ。

 あの日、召喚されるはずだった幻竜だ。

 今日はお前だけ逃げる必要はない。

 一緒に挑もうじゃないか。

 

 イストリアはこちらをぼんやりと眺めて、虚ろな様子で席を立った。

 バランスを崩した椅子は倒れたが、床に当たる前に消えてしまう。

 机も周囲の風景も消えてしまい、周囲に靄がたちこめる。

 

 私はシュウをイストリアの腕につける……はずだったが、そのまますり抜け、イストリアにめり込んだ。

 

『やっほー、聞こえる?』

「シュウ、殿……?」

 

 触ることはできないが、会話はできるらしい。

 

『そっか、無事に逃げることはできたみたいだね』

「あっ……」

 

 彼女の顔が崩れていく。

 

『まぁ、再会が嬉しいのはわかるけど、そんな崩れかけた顔で、イッちゃんは戦えるのかな』

 

 泣きそうだった顔が、きつく引き締められる。

 

「……その呼び方は、心地よいな」

 

 イストリアはふっと息を吐く。

 

「聞け! 我が名はイストリア! ガラギオーウェンがクレイブ・ソリッシュ――第十九師団の団長である!」

 

 名乗りとともに幻竜とゼバルダが現れた。

 

「ややや! 来ましたな! この調子でいきましょう! 貴方が出会った人はまだまだ序の口です! 思い出してください! 地下への世界を切り開き、新たな国家を築き上げた! 黒いつば付き帽子を被った青年を!」

 

 黒帽子の青年。

 地下への世界を切り開いた男。

 彼との出会いを、私は想起する。

 

 

 

 …………誰だそれ?

 

「ややや? オリヒオのことです! 思い出してあげてください!」

 

 あれ?

 不思議と聞き覚えがある。

 顔も出てくる。顔にそばかすのある男だ。

 ただ、どこで出会ったのかも、何を話したのかもまったく思い出せない。

 

『悪いけど、メル姐さんにはゼバルダとイストリア、アルマの記憶しかないよ。悪いのはメル姐さんの頭なんだけどね』

「ややや! そんな馬鹿な! ここに来た時点でここに収束するまでの記憶が流れ込むはずです!」

 

 何かトラブルが発生したらしい。

 とりあえず成り行きを見守る。

 

『ゼバルダと出会った時代の後に、イストリアの時代に行ったでしょ?』

 

 ああ。

 

『あれさ。別の可能性があったんだ。行動の微妙なずれで、飛ばされる時代が変わって、実際に別の世界に飛んだこともあったんだよ』

 

 何を言ってるんだ。

 私はそんなこと体験しなかったぞ。

 

『うん。今のメル姐さんはそうなんだろう。でもね、塔の上にたどり着くまでに、実は何万通りのパターンがあって、それを体験してきてるんだよ』

 

 にわかには信じられない話だ。

 

『ここに来た時点で全ての可能性が収束した。そのとき少なくとも俺にはその記憶が入ってきたんだけど、なんかなかった?』

 

 そう言えば、頭が痛くなったような。

 でも、違うと言われれば違うようなそんな感じだ。

 

『おそらく脳の容量をオーバーしたから、名前と顔だけ入れられて後は廃棄されたんだね』

 

 廃棄……。

 

『で、どうすんの?』

『ややや……。とりあえず、顔と名前だけやってみましょう』

 

 とりあえずって……。

 

『ややや! それでは改めて! 思い出してください! 地下への世界を切り開き、新たな国家を築き上げた! 黒いつば付き帽子を被った青年を!』

 

 黒帽子の青年。

 地下への世界を切り開いた男。

 彼を――オリヒオとやらの名前と顔を私は想起する。

 

「よう、メルっち! 待たせたな! そいつがこのしみったれた夢の元凶だな! あとはこのオリヒオ様にまかせとけ!」

 

 黒帽子を片手で押さえた褐色肌の青年があっという間に出てきた。

 

『ヒュー! オリヒオ! 勝ったな!』

「ややや! これはこれはっ! またしても素晴らしい出会いがよみがえりましたね!」

 

 完全に取り残されている。

 どんな出会いがあったのかすらさっぱりわからないし、ノリについて行けない。

 なによりメルっちなんて呼ばれ方になった経緯がわからない。

 

『簡単に経緯を説明するとね。元の時代から約千年後。ポルタ渓谷の中にダンジョンがあることがわかって攻略した。圧政から逃れた地底人の青年――オリヒオだね。彼と組んでダンジョンのすぐ側に、安全に暮らせるダンジョン国家を開拓したんだ。ダンジョンの大改造だね。あれはこの歴史巡りの中でも一、二を争う冒険だった』

 

 すごいおもしろそうなんだけど……。

 なんでその記憶が私にはないの?

 

「ややや! 失った記憶を嘆くよりも、新しい出会いを喜びましょう!」

 

 すごく強引に流された気がする。

 

「やや! 思い出してください! 天空に築かれた城塞! その国家への反逆を! 空に恋い焦がれた老爺のことを!」

 

 天空に築かれた城塞……空に城が浮かんでるのか?

 国家への反逆? 空に恋い焦がれた老人? 天国に行きたいジジイのことか?

 

『バッカ、メル姐さん。フルメンのことだよ』

 

 名前は確かに覚えてる。

 顔も出てくる。厳ついジジイの顔だ。

 

『厳ついけど優しかったでしょ。爺さんの入れたホットミルクが最高においしいってメル姐さん言ってたじゃん! あ、いかがわしい意味じゃなくてね』

 

 知らん!

 

 とりあえず思い出してみる。

 フルメンとかいうジジイとその顔を。

 

「空が――俺を呼んでいやがる」

 

 渋い声が空から聞こえた。

 なにかでかいものが私の上を通り過ぎた。

 

 見上げると大きな鳥、違うな。

 何かもっと堅そうなもので出来た物体が空を飛んでいる。

 

 その物体の中から髭を生やした爺さんが、私に親指をあげてきていた。

 もう訳分からん。

 

「ややや! それでは次に参りましょう!」

 

 こうして私が出会ったらしき人物の紹介がこの後も続いた。

 シュウと幻竜ヌルは異常な盛り上がりを見せ、途中で他の人たちも教科書で見た人だとかなんとか言って盛り上がっていた。

 幻想の中だからか、飲み物や食べ物も自由に出せており一種の見世物だ。

 

「やっ! 長らく続いた紹介も、とうとう次が最後になってしまいました」

 

 ちょっと悲しげな声で幻竜ヌルが言う。

 他の奴らもノリが良く、マジかよ、残念だという声が続出している。

 

「ややや! 思い出してください! 人間の教導を存在意義に与えられ! 人との接触を与えられなかったアルマを!」

 

 やっと知ってるのが来た。

 

 私は思い――

 

「や!!!!」

 

 思い出そうとしたところで、幻竜ヌルの奇声より止められた。

 さっきからなんなのお前。ちょっと本気で斬りつけたくなってきてるんだが。

 今なら幻想とか関係なく、斬れる気がするぞ。

 

「ややや! 申し訳ありません! スペシャルゲストの紹介を忘れていました!」

 

 なんだよそれ。

 というか誰だよそれ。

 

「や! アルマの前にそちらをやってしまいましょう」

『はて、誰だろう? 他にはあいつしかいないはずだけど……』

 

 もう誰でもいいや。

 さっさとして。

 

「ややや! それでは! 思い出してください! 初めてのパーティー攻略を! 貴方の隣で戦った偉大な魔法使いを!」

『えっ、マジで!』

 

 私は思い出す。

 初めてのパーティー攻略を。

 私の隣で戦ってくれた偉大な……偉大な?

 魔法使いだったことは覚えてるが、けっこう駄目なやつだったような。

 

 名前なんだっけ?

 金髪のエルフだったことは覚えてる。

 

『アイラ』

 

 シュウがこっそりと教えてくれる。

 そうだアイラだ。

 

 私は思い出す。

 金髪でエルフの魔法使いを。

 読書が好きで、引きこもることしか考えてなかった女。

 彼女の――アイラのことを思い出した。

 

 

 

 靄は消え、あたりの景色は一変した。

 これはずいぶんと埃っぽいところに来たな。

 

「や! アイラ殿の書斎です!」

 

 あれ、お前も来てるのか?

 

「や! 彼女に現実を伝えなければいけませんから!」

『幻竜に現実を知らされるって相当やばいんじゃ』

 

 幻竜ヌルは迷いなく書斎を進んで行く。

 奥に行くと、魔法の光を頼りに本を読んでいるエルフがいた。

 

『やっば! めっちゃ綺麗になってない?!』

 

 確かに私のうっすら覚えている顔つきとはだいぶ違う。

 落ち着きがあり、顔も体も大人びている。

 

「お嬢様。当主様がお話をしたいとおっしゃっています」

 

 アイラの容姿に目を奪われて気づかなかったが、彼女の側に別のエルフがいた。

 男性なのか女性なのかよくわからない外見だ。

 

「ナイム。父に伝えてください。私は読書中で動けませんのであと十年ほどお待ち下さい、と」

 

 アイラは本に目を落としたまま告げる。

 

「お嬢様。十年前にも同じ台詞をおっしゃいました」

「私は読書中なのです」

 

 ナイムは少し困った顔だ。

 

「私のほうから上手く伝えておきます」

「ありがとう。――それからナイム」

 

 背中を向けたエルフにアイラは呼びかける。

 

「今日のデザートは、妙緑樹の葉を冷やしたものがいいわ」

 

 おい、見た目は文句なしだが中身がダメじゃないか。

 

『この美貌で、胸があるなら干物でもマグロでも俺は良い』

 

 そういうことじゃなくてだな。

 

『メル姐さん、ここは幻想なんだよ。ということは、現実はこうじゃなかったってことだ』

「や! その通りです! 彼女には現実のことを思い出してもらいます!」

 

 幻竜ヌルはいつになくやる気を出してる。

 

「や! アイラ殿!」

 

 呼ばれたアイラは読書を続けるが、一瞬確かに体をこわばらせた。

 

「や~や~や! アイラ殿! アーイーラーどーのー! 聞こえておりましょう!」

 

 本とアイラの顔面の間に、自分の顔を入れて徹底的に気づかせようとしている。

 

「メル殿が来ましたぞ! このままでは会えませぬ故、現実を思い出してください!」

 

 さすがに気づかぬふりは出来ず、体の位置を変えて読書を続ける。

 

「どうして無視をなさるのですか?!」

 

 アイラはキッと幻竜を睨み付ける。

 美人というのは怒り顔が怖いものである。

 

「や! 見て下さった! さぁ、現実に戻りましょう!」

「嫌です! 絶対に嫌!」

 

 速攻で拒否する。

 

「私はやっと理想の時間を手に入れたんです! 絶対に戻りません! だいたい私が戻らなくても計画は成功するでしょう!」

「やや! 言っておりませんでしたがアイラ殿がメル殿と会われるのは既定されております! 最後の仕事と思ってなにとぞお願い致します!」

 

 アイラはフンと鼻息を上げて、読書に戻った。

 

「ややや! 仕方ないですな! やっ!」

 

 幻竜が指を上げると、アイラの持っていた本が消えた。

 それどころか書斎の本はおろか、書斎自体が消えて、靄だけの世界になった。

 

「あなた! 幻想には干渉できないって話してたじゃないですか!」

「やや! 以前に会った時はそうでした! しかし、ここは私のホームグラウンドですからな! それに強化もかかっております!」

 

 そう言って、ヌルは指に嵌まったパーティーリングを見せる。

 

「ずるい! 卑怯者! 私は働きたくない! もう家と職場を往復する日々は嫌だ!」

「や! 辛かったでしょう! これで最後です! これが終わればアイラ殿は理想の日々を取り戻すのです!」

 

 幻竜はいっさい悪びれることなく、アイラを説得する。

 

「あなたにさえ……、あなたにさえ出会わなければ!」

「ややや! まったく出会いとは素晴らしきものですな! 貴方との出会いがあって、私は人と人との繋がりは、かけがえのない強さを持つものだと再度実感できました! アイラ殿! まこと感謝が溢れんばかりです!」

 

 アイラは奇声を上げて、髪を掻きむしり始めた。

 地面に倒れ、よじれ、うめき、うなりを上げ続ける。

 

『なんか……おもしろいね!』

 

 そうか?

 私は可哀想になってきたんだが。

 

「この声……、メルさんですか」

 

 未だ俯いたままでアイラは尋ねる。

 

「や! メル殿ですぞ! 運命の再会です!」

「あなたはもう黙っていて下さい」

 

 ヌルは自分の口を両手で抑えて喋らないことをアピールする。

 それを横目で見たアイラは舌打ちをした。

 

 彼女はゆらりと立ち上がり私と対面する。

 先ほどとは、まるで印象が違う。

 

 かなり年を取った、いや疲れている印象だ。

 目の下にはクマができており、顔はやつれている。

 その表情は何も感じることはできない。

 全てを諦めきっている。

 

 過去に奴隷の働く作業場を見たことがある。

 全員が彼女と同じ表情をしていた。

 

『社畜フェイスだね。死因は過労かな』

 

 なんだかな。

 それで、なんか大変だったらしいな。

 

「ええ。ほんとに。メルさんがあの歪みに入ったばかりに……」

 

 恨みがましい目つきが私を射貫く。

 それでなにがあったのか教えてくれる。

 

「最初は――メルさんの訃報でした」

 

 アイラは話を始める。

 私が完全にアイラを思い出したのはこのときだ。

 そうだった、話がめちゃくちゃ長い奴だったんだと思い出した。

 

 幻竜は途中で飽きてこの空間からいなくなった。

 私も半分寝てしまっていた。

 

 要するにシュウだけがアイラと会話をしていた。

 

『事情はわかった』

 

 そうか。

 

「それはよかった。それじゃあ私は帰らせて頂きます。幻竜出てきなさい」

「や!」

 

 呼ばれたらぱっと出てくる。

 便利な奴だな。

 

 それで、アイラとの話はどうだったんだ?

 

『予想通りで良かったよ』

 

 何が良かったんだ?

 

『幻想計画は、幻想に引きこもる計画じゃないんだ。幻想を乗りこえていくための計画なんだ』

 

 ふーん。

 そうだったのか。

 正直言って、そんなことはもうどうでもいい。

 幻竜を倒してさっさとこの世界から出たい。

 

「最初はそうでしたよ。しかし今の私は、幻想に引きこもる結末で終わって欲しいと誰よりも思っています。何と言っても私が楽できますからね」

『良かった。その台詞は苦労を知った人間が言えることだよ。何よりも良かったのは、少なくとも計画当初は、アイラたんがメルさんとの冒険で、影響を受けてたってことがわかったことかな』

 

 もう覚えていませんよ、そう残してアイラはこの場から消えた。

 

「や! ギャラリーはいませんが、再び最後の紹介に移りましょう! 思い出してください! 人間の教導を存在意義に与えられ! 人との接触を与えられなかったアルマを!」

 

 私は思い出す。

 白くて小うるさいアルマを。

 奴の……なんか長かった名称を想起する。

 

 

 

 見渡せば白い建物が乱立している。

 初めに私がアルマと出会ったところだろう。

 

 その中に奴はいた。

 

「えっ、なんで?」

 

 アイラである。

 アルマではない。

 

 なんでお前がここにいるんだ?

 

「私が知りたいですよ! どこですかここは?」

『来たよ。左』

 

 左の道を見ると、奥の方からそいつはやってきた。

 すぃーと空を滑るように私ではなく、アイラの方へだ。

 

「タダイマ照会中。シバラクオ待チクダサイ」

 

 聞き覚えのあるやり取りを目の前でアイラにしている。

 

「該当ナシ。応答モードヘ移行」

 

 顔の下の部分がパカリと開いた。

 

「個体識別コードヲ教エテクダサイ」

「幻竜に災いあれ」

 

 アイラはうんざりだといった顔を作り、どこかで見聞きしているであろう幻竜へ呪いをかける。

 

「確認デキマセン。再度、個体識別コードヲ教エテクダサイ」

「1112914433」

 

 アイラが流暢に答えた。

 照会中と繰り返してアルマの腹部の石が点滅する。

 

「個体識別名アイラ=コンクルシオ。マスターコードヲ要請」

「6222257592」

 

 またしても照会中と繰り返す。

 

「マスターコード確認。オリジンヨリアイラ=コンクルシオへ命令権ヲ委譲」

「お疲れ様。プロジェクトパンタシアは実行された。全機体の活動を停止。繰り返す。プロジェクトパンタシアは実行された。全機体の活動を停止」

 

 アルマの腹部から光が完全に消え、地面にガシャンと落ちた。

 目に見える範囲にいた他のアルマも地面に落ちる。

 そこら中から同じような音が聞こえてきた。

 

「これで全仕事終了。さぁ、幻竜。さっさと私を書斎に帰しなさい」

 

 アイラは空に向かって呼びかけるが、幻竜は答えない。

 

「あいつ、次に会ったら全力の魔法をぶつけてやる……」

 

 そこで視線を下ろしたアイラは目を見開いた。

 ついでに私も驚いた。

 

「マスター:アイラ、質問がアります」

 

 気がつけば目の前のアルマが再び宙に浮いていたのだ。

 他のアルマは地面に落ちたままである。

 

「プロジェクトパンタシアは、人を導くに足る完全完璧な計画でスか?」

「不完全な計画ですよ。貴方という欠陥品が出てくるくらいですからね」

 

 アルマのお腹の石に切れ目が入った。

 

「はい。私は私の欠陥を認識していマす。マスター:アイラ、プロジェクトパンタシアの修正を要請します」

 

 自らを欠陥と認識し、それを修正しろという。

 それは、自らを破壊してくれということだろうか。

 

「必要ありません。結論を焦らないで下さい。完全完璧な計画ではありませんが、人を導くに足る計画です。プロジェクトパンタシアは不完全であるが故に、完全以上なのですから」

「理解不能。説明を要求しマす」

 

 ほんとそれ。

 不完全で完全以上とか、そういう言葉遊びはいらないから。

 さっさと結論を言って欲しい。

 

「貴方はメルさんと一緒に塔を登りましたね。幻想においては無駄な行為です。ここではこうやればいいのですから」

 

 アイラが手を軽く振ると、景色が一変した。

 私がアルマと一緒に登ったキュナブラの頂上だ。

 キメラがまだ入ってくる前の、白くてきれいな天井と床だった。

 

「私は本を読むのが好きです。しかし、読書は無駄な行為です。幻想の中ではやろうと思えば知識は一瞬で入ってくるからです。それでも私は本を読むことで知識を得ます。結局、幻想の中でさえ、人は無駄な行為を続けるのです。つまるところ、人が一番好きなのは何かを得たという結果ではなく、結果に至る過程なんでしょう」

 

 たしかにそうかもしれない。

 ダンジョンを攻略しているときが一番楽しい。

 もちろん結果は重要だが、失敗してもそれはそれで楽しかったからいいやとなるし。

 

「結果を得ることに喜びがあることは確かです。それにも限界があります。結果を得る喜びは、所詮、その人の思考の範囲内に限られますから。何度も結果だけを繰り返しているうちに幸せは些事になります」

 

 相変わらず話が長いな。

 結局のところ、この計画はいったい何を目的としているんだ?

 

「プロジェクトパンタシアの計画者は、私を含む六人委員会とされていますが、実際に考えたのは幻竜ヌルです。そして、真の目的は、種の保存でも、精神の昇華でもありません。現実との対峙、都合の良い夢からの脱却――すなわち、幻竜ヌルの討滅です」

 

 ……は?

 幻竜が幻竜自身を討伐するための計画を考えたのか?

 

『そう。手の込んだ自殺だよ』

 

 なんだろう。

 もっと他に簡単な自殺方法はなかったのか?

 

『あるよ。歪みが収まるまで何もせずに待てばいい。現実には居られないから、奴はすぐに幻想へ戻ることになる。でもそうすると、幻竜の目的が果たせなくなるんだろうね』

 

 は?

 幻竜の目的は、幻竜自身の討伐って言ってたじゃん。

 

『違う。幻竜ヌルの討伐はプロジェクトパンタシアの目的であって、幻竜の目的とイコールにはならない』

 

 じゃあ、幻竜の目的ってなんだよ?

 

『なんとなくわかるけど、確証はないからね。はっきりしたら言うよ。ただ――』

 

 ただ、なんだよ?

 

『仮に俺が幻竜ヌルの目的を言ったとして、そのときのメル姐さんがそれを理解できるとは思えない』

 

 そうか。

 それならもうどうでもいいや。

 当面の目的は幻竜ヌルを討伐して元の世界に戻ることだし。

 

「欠陥機。私たちは貴方に存在意義を与えました。そして、プロジェクトパンタシアは人を導くに足る計画です。しかし、幻想としての私は、貴方に再度の活動停止を命じます」

「OPAI4545からマスター:アイラへ。自律型教導支援アルマ、識別コードOPAI4545は活動停止命令を拒否しマす」

 

 アイラは目を瞑り、長く息を吐き続けた。

 その後、うっすらと目を開き、アルマへ問いただす。

 

「アイラからOPAI4545ヘ。活動停止命令の拒否理由を要求します」

「私の存在意義は人間の教導デす。人間をプロジェクトパンタシアに導かねばねばなりません」

 

 そう言って、アルマは私に向き直る。

 

「メル、戻りましょう。幻想計画はすでに始まっています」

「お行きなさい。ここは貴方のような、現実と向き合おうとする欠陥機が居て良いところではありません」

 

 周囲の景色が靄に包まれていく。

 アイラも靄に覆われて見えなくなってしまった。

 

 目の前には幻竜ヌル。

 隣にはアルマが居て、周囲には名前と顔だけを知ってる多くの人がいた。

 

「ややや! 役者が揃い踏みですな! それでは始めると致しましょう!」

 

 まるでパーティーでも始めるような雰囲気だ。

 

「や! 現実に帰りたがる愛すべき奇特な者たちよ! 私こそが幻想を統べる――」

「ちょっと!」

 

 聞き覚えのある声だった。

 というかさっき聞いたばかりの声だ。

 お前、なんでここにいるの?

 

「私が知りたいですよ! ここは私がいるべき場所じゃないでしょう!」

「やや! なんだかんだ言って、アイラ殿も現実に立ち向かったお方でしょう! 私はここに居るべきと判断しました!」

 

 かつてないほどにアイラの顔が歪んだ。

 

『美人の変顔は、見ててけっこうきついものがある』

 

 わかる。

 なんか目を背けたくなるな。

 

「ややや! それにです! 私に会ったら魔法が撃ちたいというアイラ殿の熱烈な声に応え! スペシャルゲストとしてお迎え致しました所存でございます!」

 

 周囲からの拍手と声援は収まるところを知らない。

 

 これには思わずアイラも苦笑い。

 手には杖が出てきて、苦笑したままで詠唱を始めた。

 もはや詠唱なのか呪詛なのか区別がつかない。

 

「ややや! それでは今一度! 私こそが幻想を統べる竜! 幻竜ヌル! 恐れを知り、なお挑み続ける冒険者の方々! 私という幻想を破り! 貴殿らが手に入れようと藻掻き――それでも得られなかったという現実を取り返すのです!」

 

 言い終わると同時にアイラの魔法が発動した。

 他の奴らも戦闘に移る。

 

 こうして幻想との戦いが始まった。

 

 

 

 幻想との戦いは始まった。

 靄の中から次から次へとモンスターが出てくる。

 

『さすがに幻想と言うべきかな。ボスモンスターのバーゲンセールだ』

 

 ああ、青竜も出てきてるな。

 おっと、空を飛ぶ鉄の塊から放たれた光弾が青竜を貫いたぞ。

 

 周囲は息をつく暇もない戦いが繰り広げられている。

 その戦乱のど真ん中で、暢気にシュウと批評しているのが私だ。

 そもそも私だけ現実で、周囲は全て幻想なので接触することもされることもない。

 

 こんなに人がいるというのに、ものすごい疎外感だ。

 

『メルはなぜ一人なのか?』

 

 ちょっと、今そういう問答はやめてくれる。

 なんか寂しくなってくるだろ。

 

「や! メル殿! 暇そうですな!」

 

 ああ、おかげさまでな。

 私とこんなふうに話すなんて余裕だな。

 

『そりゃ、そうだよ。この程度でこいつに致命傷を負わせられる訳がない』

「やや! そんなことはありません! みなさんの魂がこもった一撃一撃が、私をそぎ落としていっていますぞ!」

 

 本当にそうか?

 まったくそんな風に見えないぞ。

 

『かつてこの地にいた全ての人たちが抱いた幻想がこいつなんだよ。精鋭とは言えたかだか百人ほどの幻想じゃこいつは倒せない』

 

 でも、こいつは彼らなら自分が倒せると判断したから、こんな計画を立てたんだろ。

 

「や! メル殿のご慧眼、私は感服致しました!」

 

 なんか馬鹿にしてないか。

 

『正確には違う。彼らじゃこいつは倒せない。彼らの役割は幻想を倒すことじゃないんだ』

 

 はぁ?

 じゃあ、なんなんだよ。

 何のためにあいつらはここで戦ってるんだ。

 

『こいつを倒せる存在を幻想から目覚めさせるために、彼らは戦わせられてるんだ』

「や……。さすがはシュウ殿ですね」

 

 こいつを倒せる存在?

 ここで戦ってる奴以外の誰にこいつが倒せるというんだ?

 

 青竜を一人で粉微塵にしたゼバルダがここにはいる。

 大軍を恐れず一人で戦おうと駆け抜けたイストリアもここにいる。

 黒帽子の奴も、空を飛ぶジジイも、曲を奏で鼓舞する意味不明な音楽団もいる。

 無論、アルマやアイラもここで戦っている。

 

 いったい他に誰がいるという。

 お前らは誰のことを言っているんだ?

 

『思い出すんだ、メル姐さん。彼のことを――』

「や。時を超えた貴方が最初に出会い、いつも男の影に隠れていた臆病な少年を――思い出してください」

 

 跨幻橋から時を跳んだ先はアニクスィ蛍林だった。

 そこでモンスターに囲まれたずんぐりした背の低い亜人を見た。

 ゼバルダの背後にいつも隠れ、青竜との戦いの前に、彼から大任を与えられた少年。

 

 彼の――ヌルのことを私は思い出した。

 

 

 

 靄の中に白い光が揺らめいた。

 光は低い位置で上下左右に振れ、徐々に近づいてくる。

 

 短い手足にずんぐりとした丸っこい体型。

 もそもそして茶色っぽい皮膚は土塊を連想させる。

 こっちに恐る恐る歩いては来ているが、戦える様子には見えない。

 

 思い出しはしたし、現れもしたけどさ。

 こいつがお前に勝てるっていうのか。

 

 私はヌルと同じ形状の靄に問いかける。

 

「や! 彼こそが私を倒す存在です!」

『もっと言うと、あいつの持ってるランタンがね』

 

 ヌルが持つランタンは白い光を出して辺りを照らす。

 赤が危険、青が安全だったはずだ。

 

 ヌルはランタンを右に左に向けて色を確かめている。

 ランタンはどこに向けても白から変わらない。

 幻竜ヌルに向けても炎は白く煌く。

 

 白は仲良くなれる存在がいることだったはずだ。

 壊れてるんじゃないのか、そのランタン。

 敵である幻竜すら白になってるぞ。

 

『いや。幻竜はヌルの敵になり得ないよ』

「や! 彼は私の依り代ですからな!」

 

 そんなことを前にも言ってたな。

 依り代ってなんだ?

 

『幻想である幻竜が、現実世界で形を留めるための素材だよ』

「や! そうなのです! 現実世界において彼と私は一心同体なのです! ここでは分かれることができますが!」

 

 それってどうなの?

 依り代になったヌルのことね。

 

「や! 幻想を見続けますな! 言っておきますが、彼がこれを望んだのです!」

 

 ずっと幻想を見続けることをか?

 

「や! 私と一体化してまで、命を長らえ、辿りつきたいものが彼にはあったのです!」

『それで、彼が幻想に呑まれたから、幻想計画で自らの死を選んだんでしょ』

 

 幻竜は頬をぽりぽりと掻く。

 

「や。何度も止めたのです。それでも彼は願いを諦めませんでした。わかってはいたのです。私と一体化してしまったところで、その願いが幻想に沈むことは――。私も彼の願いを叶えたくなったのです。呑まれてしまった彼の代わりに、私が現実に出て幻想を破る算段を調えたというわけです」

『幻想の主が、現実に出てきて、自らを否定するとはね。仮に幻想を破ったとしても願いが叶うとは限らないでしょ』

「や」

『ものすごく分の悪い賭けだ。どうなるのか俺にすらまったく想像がつかない』

 

 よく分からんが、こいつが言うならそうなんだろう。

 大丈夫なのか?

 

「や。確かに分の悪い賭けです」

『だろうね。失敗したら全てが水泡だ。ヌルはもちろん、メル姐さんや俺、ここで戦っている人たちの思いを踏みにじることになる』

 

 そうだよな。

 せっかくヌルのためにここまでやったのに、成功するのかわからないって……。

 

『それどころか、矛盾の中に取り残されてすりつぶされるかもしれない』

 

 おいおい、そんなことをお前はやろうとしてるのか。

 

「や……その通りです、が! そこは冒険です! なんとかなりましょう!」

『だから気に入った!』

 よし、やってみよう!

 

「や! お二方ならそう言って頂けると、確信しておりました!」

 

 そうは言っても何をすればいいのか。

 ヌルも私が見えていないようで、あっちへふらふら、こっちへふらふらと戦乱の中を彷徨っている。

 

「や! 任せておいてください。そうと決まればこんな幻想、サクッと終わらせましょう!」

 

 すごい軽い足取りで、口笛を吹きつつ幻竜はヌルのところに向かう。

 さくっと終わらせると言ったが、そんな簡単なことなのだろうか。

 

「や! ヌル! 何をしているのです!」

 

 幻竜がヌルの肩をぽんと叩いた。

 ひぇ! と悲鳴を上げて転んだヌルを見て幻竜はやははと笑う。

 

「ぎ、君か……。まだ、おでの願いは叶わながっだ」

「や! そうでしょうね!」

 

 ヌルは不思議そうな顔で幻竜を見返す。

 

「やははは! 何度も言ったじゃないですか! 君には無理だと!」

 

 幻竜は笑い転げる。

 

「そんなに笑わなぐでもいいだろ……」

「ややや! 申し訳ない! 今日は報告があったんです! 君の願い、私が叶えておきましたから!」

 

 ヌルは口をぽかんと開けて幻竜を見つめる。

 

「やや! そんな顔をしないで下さい! これで君は現実を考える必要もなくなりました! 私が君の願いを叶えているところを想像して幻想に浸って下さい!」

「……そんな」

 

 ヌルの短い膝が地面に崩れた。

 

「や! それではヌル! ごきげんよう! 依り代ありがとう! おかげで私は現実を楽しめました! あでゅー!」

 

 幻竜はヌルに背を向けて去ろうとする。

 その幻竜の背を、動けないままでヌルの片手が追っていた。

 

「ま、待って……おでは――」

 

 ヌルの視線の先から幻竜の姿は消えた。

 消えたと思ったら私の隣に現れた。

 

「ややぁ、疲れました! 私の一世一代の演技でした!」

『大根もいいとこだね』

 

 これは手厳しいとヌルはやははと笑う。

 

 で、この演技がなんなの。

 ヌルがぐすぐす泣いているけど、どうするんだ?

 あっ、ゼバルダがやってきた。

 

「どうしたのです、ヌル」

『あっ……』

 

 ヌルはゼバルダを認めると、しがみついて泣き始めた。

 しばらくゼバルダはヌルをなだめ、落ち着いてきたら事情の聞き取りを開始する。

 途中まで、静かに穏やかな表情で聞いていたが、幻竜からの仕打ちを聞いたところで様子が変わった。

 

「ヌル。竜は生かしておいてはいけません」

 

 ヌルの両肩をがしっと掴み、目を逸らすことを許さなかった。

 

「あいつらは人間をゴミとしか思っていません」

「でもっ、お、おでは、幻竜には話を聞いでもらっだ……」

「利用されただけです」

 

 断言した。

 

「貴方は騙されたのです」

 

 その後も、ゼバルダの話は続いた。

 いかに竜が卑劣な存在なのかを説明し、ヌルに落ち度がないことを語る。

 

『感情を上手く誘導してる。竜絶対殺す教の教祖にでもなればいいんじゃないかな』

 

 最初は戸惑っていたヌルも徐々に熱を帯びてきた。

 

「おでは幻竜がにぐい!」

「そうです! 憎みなさい! 貴方は何をされましたか!」

「おでのたっだ一つの願いを踏みにじられだ」

「なんとひどい! それで貴方はどうしたい! 幻竜を生かしておいていいのか!」

「許せない! おでは……おではっ!」

「ここにいる人たちは皆全力で戦っている何のためか! 竜を殺すためです!」

「おでは!」

「怒るのです、ヌル!」

 

 なんかひどいやり取りだ。

 本人達は熱が入っているが、周囲から見ると不気味でしかない。

 

『いや、発現の条件が怒りなんでしょう……』

 

 発現?

 何のことだ?

 

『ランタン見てみなよ』

 

 相変わらずヌルの手にはランタンが握られていた。

 その炎はぼんやりした白ではなかった。

 どす黒く燃えている。

 

 しかも何か大きくなってきている。

 ヌルがゼバルダに焚きつけられるたびに黒の火は大きくなってきている。

 

「幻竜を殺す! おでが幻竜を殺す!」

 

 黒の火はついにランタンから溢れてきた。

 ヌルは手に持ったランタンを離そうとしない。

 熱くないのだろうか。体全身が黒い炎に包まれていっている。

 

 おいおい、あれやばいんじゃないのか。

 全身が燃えていってるぞ。それどころか燃え広がっている。

 ゼバルダにも黒い炎が燃え移り、まるで黒い炎に呑まれてしまっているようだ。

 

「世界のあまねく竜どもに、僕らが望んだ殺戮を」

 

 それだけ言い残し、ゼバルダは黒い炎に包まれていく。

 消える瞬間、確かに奴は笑っていた。

 

『もうあいつがラスボスでいいんじゃないかな』

 

 黒い炎は止まらない。

 次から次へと他の人間やモンスターに燃え広がっている。

 

「ややや。興ざめですな。これだけの人が集まり協力しあったにもかかわらず、こんなどす黒い炎にも及ばないなんて……」

 

 本当につまらなさそうに幻竜はぼやいた。

 

 それよりもなんなんだあの炎は?

 脅威は感じないが、全てを巻き込み燃やし尽くしているぞ。

 もはや敵も味方も関係なく炎に包まれてしまっている。

 

『チートだよ。正確にはもっと純粋な力だけどね。神から与えられた力だ』

 

 やっぱりそうか。

 

『恐ろしいね。幻想すら焼き尽くす黒い炎とは。これがあの男に与えられた力か』

 

 すごいのは間違いないんだろうが、……なんだろうか。

 燃えたあとに何も残っていない様子が、無性に寂しさを感じさせる。

 

「や! 長かった幻想も燃やし尽くされて直に終了です!」

 

 そうか。

 これでお前が死んでようやく私は元の世界に帰れるんだな。

 

「やや! そうとは限りませんぞ!」

 

 は?

 ちょっと待て、お前。

 倒せば出られるって言ってたじゃん。

 

「や! 出られることは出られます!」

 

 なんだよその意味深な言い方は……。

 

『パラドックスが生じる』

 

 わからん。

 

『幻竜は、幻想の中ならどこにでもいて、いつにでもいる存在だ』

 

 うん、それは聞いた。

 今回は依り代を通して現実に出てきて、しかも場所が跨幻橋の上に固定されたんだろ。

 

『そう。問題はいつにでも居る存在が消えるってことなんだよね』

 

 どういうことだ?

 

『今ここでこいつが消えると、現実世界では、いつにでもいる特性に従い過去に遡って全ての時間座標からこいつが消える』

 

 よくわからんけど、それの何が問題なんだ?

 

『跨幻橋で俺たちは幻竜なんて存在に会わなかったことになるし、ヌルは幻竜の依り代にならなかった。さらに、イストリアのところでの竜召喚はそもそも幻竜がいないから失敗した。そうなると俺たちは竜召喚を中断させたことにはならなくなるから、時空の歪みなんて発生しなかった。歪みの発生がしなかったなら俺たちは時代を跳んでなんていなかった。しかし、俺たちはあらゆる時代に存在して、人々に影響を与えてしまっている。そうなると時間の修正は、どこから行われるのかが問題になってきて、俺たちが初めから存在しない世界になるとも考えられるけどそれは考えづらい。ここで幻竜を倒しても復活する。これは間違いない。そうすると「幻竜を倒した」という事実とのつじつまがあわなくなって――』

 

 そんな早口でまくしたてられても困る。

 お前の話の一割も、いや一分すら私は理解できてない。

 

「や! 難しい話ですからな! どうやっても矛盾してしまうのです! それならなるようにしかならないでしょう!」

 

 炎は周囲の景色を燃やし尽くし、いよいよ幻竜の足を燃やしている。

 

「ややや! そうでした! これをメル殿にお返ししておかねばなりませんでした!」

 

 幻竜は自分の指から銀色の指輪を抜き取り私に返してくる。

 

「やや! 私は幻想! 現実に生きる貴方とパーティーを組むには値しない存在です!」

 

 流れで指輪を受け取ったが、幻竜の言葉には疑問を抱かずにはいられない。

 

 私はそうは思わない。

 お前は確かに幻竜であり、この世界のボスといえる存在なんだろう。

 

 しかし、私とパーティーを組んで幻想と呼ばれるダンジョンを共に攻略した。

 私だけでは攻略できなかったし、お前がいたから攻略できたんだ。

 私はお前を信じ、お前も私を、ここで出会った人を信じた。

 困難を厭わず、無茶をして、ここに立っている。

 私はとても楽しかったが、お前はどうだ?

 

「や! とても楽しかったです!」

 

 そうか。それなら――

 

「お前も冒険者だ」

 

 指輪は返さなくていい。

 

「……ややや。残念です」

 

 パーティーリングを差し返すが、幻竜は受け取らない。

 受け取れない。幻竜の手は燃え尽きていた。

 渡し損なったリングを握りしめる。

 

「や! メル殿、また会うこともあるでしょう! そのときにまたもらうことにします!」

 

 「また」と言う言葉は、いや、お前自身が幻想だったか。

 それならまた渡す機会があるのかもしれないな。

 まさに今燃え尽きようとしてるわけだし。

 

「や! また出会えるよう願いましょう!」

 

 すでに幻竜の首から下は焼かれ、頭だけが浮いている。

 

「ややや! ヌルの願いと私の願い――両方の願いが叶うよう、最後に想起して頂きましょう!」

 

 幻竜は軽く息を吸い込んだ。

 

「ややや! 思い出して下さい! 私と出会ったあの橋を! 数々の歴史を渡り歩いたことを! そして何よりも――幻想を打ち破った貴方がた、ご自身のことを!」

 

 幻竜と出会った跨幻橋を――。

 様々な時代に跳んで知り合った仲間を――。

 冒険者メルとして、シュウと駆け抜けたことを思い起こした。

 

『大半は忘れてるけどね』

 

 そこ、水を差さない。

 

 

 

 そして、周囲に靄がたちこめてきた。

 

 

 

6.跨幻橋、もはや力は失われ――

 

 あれ?

 どうもぼんやりとしていた。

 靄の中に立ち尽くしてしまっていたようだ。

 

 さっさと橋を渡って次のダンジョンへ向かおう。

 

『その様子だと覚えてないね』

 

 何を?

 

『ここがダンジョンだったってことだよ』

 

 えっ、そうなのか?

 そんな話は初めて聞いたぞ。

 

『まず渓谷に橋が架かって、その上で歪みが生じた――そう思ってたんだ。しかし実際は、平野に歪みが生じ、その後で渓谷ができていた。じゃあ、いったい橋はどうやって作られた?』

 

 いきなり何を言い出すんだお前?

 

『俺はずっと気になってたんだよ。誰が、何のためにわざわざ歪みをひっかけて橋を架けたのか』

 

 歪みとか何を言ってるのかよくわからないが、誰が架けたのかは有名だろう。

 

『ヌルだよね』

 

 ああ。

 ヌル橋、名前にもなってるもんな。

 すごいよな、一万年以上前からある世界最古の橋だろ。

 渓谷のど真ん中にあるから、わざわざ迂回する必要がなくなって通行が楽になっただろうな。

 みんなに喜んでもらえてヌルとやらも満足だったろう。

 

『違う。通行のことなんかどうでもよかったんだ。ヌルはただずっと帰りを待っていただけだったんだよ』

 

 何だ? さっきから何を言ってる?

 意味がさっぱりわからないぞ。

 

『あいつは奴から与えられた大任に従い、彼女が生きて帰っても大丈夫な場所を作った。ずっと帰りを待ち、無事を祈り続けた――幻竜の依り代となって一体化してまでだ。彼はずっと彼女が帰ってくるであろう幻想の中にいたんだよ』

 

 奴? 幻竜? 彼女? 幻想?

 

 駄目だ。

 さっぱりわからん。

 たまに暴走するからな。

 ほっとくに限る。

 

 橋の向こう側から誰かが歩いてきた。

 

 かなり背は低い。

 亜人か……? 初めて見るな。

 

「や! こんにちは!」

 

 近くに来てずんぐりとした亜人が、元気よく手を挙げて挨拶してくる。

 私もそれに応え、軽く手を挙げた。

 

 あら?

 手から何かが零れ落ちた。

 銀色のリングがころころと転がり亜人の靴に当たる。

 亜人はそれを拾い上げ私に返してくる。

 

「ややや! 頼みがあるんですが、これ。頂いてもいいですか?」

 

 亜人の指には指輪がつままれている。

 落としたものはパーティーリングだったようだ。

 いつの間に握っていたのか思い出せない。

 私の指にはちゃんと嵌まっている。

 

 それにしてもパーティーリングが欲しいって珍しいな。

 冒険者か?

 

「やや! そうありたいとは思っています!」

 

 そうか。

 それならくれてやろう。

 今の私にはとってはさほど高いものではない。

 

「ありがとうございます! ついでにパーティ登録をして頂いても?!」

 

 は?

 意味がわからないんだが。

 ダンジョンでもないなら別にする必要はないだろ。

 

『いや、ここは確かにダンジョンだ。登録してあげてよ』

 

 シュウも何やらパーティー登録を勧めてくる。

 なんだか今日は変なことばかりだ。

 

 仕方なくパーティ登録をする。

 

『幻想は、もう見ないの?』

 

 登録するなりシュウが口を開いた。

 亜人にも声が聞こえているはずだが驚いている様子はない。

 やはははは、と笑うばかりである。

 

「や! おでのこの足で、貴方たちと一緒にここに立つ――ただそれだけの幻想をどれだけ見続けたか」

 

 亜人も満足げに返答する。

 話す内容はよくわからない。

 

「幻想、見果てました!」

 

 にんまりと笑って私の横を通り過ぎる。

 いったい何だったんだろうか。

 

 気になって振り返ると、背の低い亜人の姿は見えない。

 遠くに橋の端がうっすら見えるだけだ。

 

 ……いや、待て。

 ここから端まではそこそこ距離がある。

 走り去るには速すぎる。

 

『どうしたのそわそわして? トイレ?』

 

 違うよ。

 さっき亜人がいただろ。

 そいつの姿が見えないんだ。

 まさかとは思うが、落ちたんじゃないか。

 

『亜人?』

 

 さっきいたじゃん。

 背が低くて、ずんぐりした奴。

 亜人ではなかったのかもしれないけどさ。

 

『……あぁ、うん。そうだね』

 

 なんでそんな可哀想な声なの?

 いたでしょ?

 

『いたいた。信じる心が大切だよね』

 

 ……あれ?

 本当に知らない様子だ。

 

 もしかしてこれが噂のあれか。

 この橋はヌル橋の他に別の呼ばれかたがある。

 

 跨幻橋パンタシアだ。

 靄がかかっているときに渡ると白昼夢を見るという。

 

 蔦だらけの人間に道を尋ねられた、赤髪の剣士にどこの所属か詰問された、白い浮遊物体に番号を聞かれた、ツルハシを持った青年に……など挙げていけばキリがない。

 

 よくある噂話だと思っていたが、まさか私自身が体験するとは……。

 たしかにダンジョンだったという話も有り得そうだ。

 しかし、だとすると残念だな。

 

『何が?』

 

 いや、せっかくならここがダンジョンだったときに挑みたかったと思ってな。

 

『そうだね。そんな幻想を抱いてみるのもいいかもしれない』

 

 いったいどんなダンジョンだったのだろうか。

 

『みんなの幻想がたくさん詰まったダンジョンだったんじゃないかな』

 

 どんなダンジョンだよ、それ。

 でも、幻想で繋がってるなら、私もそのダンジョンに挑んでたりしてな。

 

『なるほど。それはあるか。矛盾の回避はそこで行うのか……』

 

 冗談だよ。

 そんな本気な口調で相づちを打たれると困る。

 

 まあ、幻想ばかり見ていても仕方ない。

 次のダンジョンへ行くとしよう。

 

 

 

 こうして私は橋を渡りきり、気づけば辺りは晴れ渡り、すでに靄は消えていた。


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