チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

34 / 46
0.招かれざる者

 人里を離れ、エルフの里へむかう。
 歩くにつれ周囲の景色は、木々が目立つようになっていく。
 歩けども歩けども木々ばかりで、肝心のエルフの姿はまだ見ていない。

『さっき二人いたよ』

 え、嘘。
 まったく気づかなかったぞ。

『だろうね。木の隙間からこっちを見てた。すぐに消えちゃったけどね。侵入者の報告でもしに行ったのかな』

 ふーん。
 用があるなら向こうから来るだろう。

 その後も道なりに進んでいくと、予想通り向こうから来てくれた。
 馬が三頭。二頭は茶色、一頭は白色だった。
 それぞれに耳長のエルフが跨がる。

 どれも見た目は人間で言うと三十代くらいだろう。
 やや細めの肉体に、整いすぎている顔立ち。
 剣に、弓に、杖とバランスが良い。

「此処よりは神聖なる木々の領域。人の立ち入るべき領域にあらず。人の子よ、立ち去るが良い」

 白い馬に跨がった杖を持つエルフが静かに告げる。
 声は木々のざわめきに混じり、風と共に私を通り過ぎていく。

 おぉ、なんか昔に本で読んだような台詞が出てきた。
 三人とも若そうに見えるが、私よりも遙かに年上であることは間違いない。

 私はメル。
 冒険者をしている。
 セルメイ大聖林を攻略しに来た。
 それとアイラの顔でも見とこうかなと、こっちはついでだ。

「貴公と、先の人物はどういった関係か?」

 冒険者とセルメイ大聖林の攻略には一切触れられず、アイラの話に飛んでしまった。

 一緒にゼバルダ大木とディオダディ古城を攻略した仲だ。

 律儀に答えていく。
 ちなみに彼女の顔は覚えてないし、名前もさっきシュウに聞いて思い出した。

「しばし待たれよ」

 そう言って、エルフは森に目をやる。
 それだけで特に何かが起こるということもない。

『囲まれてるからね。突破は余裕だけど、話を聞きにいった人が来るまで大人しく待っといた方が良い』

 話すこともなく、何を話して良いかもわからないためぼんやりして時を過ごす。
 馬に乗ったエルフ達は、像のようにこっちを見てくるため居心地が悪い。

 やがて一頭の馬がこちらに向かってきた。
 その馬にもやはりエルフが跨がり、こちらも眉目秀麗であった。

「長老は『通せ』と仰った」

 初めにいた三人のエルフが明確な驚きと共に私を見やった。
 どうもすごいことのようだ。



 林道を歩いていくと、ますます静けさが増す。
 私と馬の足音だけが響いている。その音すらも森に吸い込まれているようだった。

 木も徐々に太く、高くなってきている。
 その中でも特に大きな木が道の先にあった。
 木の根の隙間は、馬に乗ったエルフが余裕で通れるほどだ。

 そこを潜ると、景色が一変した。
 先ほどまでは木と草しか生えていなかったのに、目の前には集落があった。
 全景はわからないが、かなりの広さを持っていることはわかる。
 木の根が道となり、時には木の枝を渡り歩いた。

 登り、下り、枝を渡り、時に根を潜り、ようやく馬の足が止まった。
 周囲は木に囲まれ閉じられている。中心にはスペースがあり、そこに木の椅子と机が置かれていた。
 エルフがそこに腰掛け、私が来ると正面の席を勧める。

 容姿は端麗、細く長い白髪を後ろで束ねていた。
 背筋が伸び一見、若者かと思ったがどうにも雰囲気が違う。
 椅子に腰掛ける様子は落ち着きが感じられ、彼自身が大木のように太い芯を持っているようである。

「メル殿。お目にかかれて光栄です。話はつねづねアイラから聞いております。ずいぶんと孫が世話になったようです。アイラに代わり、お礼申し上げます」

 その声は淡泊だが、聞き逃すことはなく、しっかりと耳に届いてくる。
 どうもこのエルフが長老で、アイラの祖父のようだ。
 彼を見てもまるでアイラの姿が出てこない。

『髪を金にして、ちょっと落ち着きを取り払うとそれっぽく見えるよ』

 そもそもエルフの顔は整いすぎていて、みんな同じに見える。
 テーブルによくわからない飲み物が置かれ、湯気がわずかに棚引きつつ上へ向かう

 お茶を配る間も、老人が飲み物に口を付ける間も、一言も交わさない。
 時の流れが緩やかであまりにもまどろっこしい。

 悪いが、私はお茶を飲みに来たんじゃない。
 ダンジョンを攻略しに来たんだ。

「セルメイ大聖林は我らの聖域。人を立ち入らせたことは、一度しかありません」

 一度はあるのか。
 じゃあ、今回が二度目ということで。

 老人は首を横に振る。
 その仕草もまたゆっくりで落ち着かない。

「召し上がれば、お取り引きを――」

 ……ふむ、これは力尽くしかないか。

「――と申し上げたいところですが、一つ叶えて頂きたいことがございます」

 ふむ。
 その願いを叶えたら、ダンジョンに挑ませてやる、ということか?

 老人は小さく微笑むだけだ。
 どうもこのエルフは苦手だな。ペースが違いすぎる。

『ペースじゃなくて、役者だろうね。大人しくお願いを聞いてら。それに、アイラたんにも会いたいな』

 そうだな。
 とりあえず願いというのを聞いてみよう。
 それに、ついでだからアイラにも会わせてくれ。

「願いは――まさに、アイラのことでございます」

 老人が言い切ると、一陣の風が吹いた。
 木々はざわめき、木の葉が私の前を飛ぶ。

「アレを、元に戻していただきたい」

 根拠はない。しかし、確かに感じた。
 この用件――容易ならざるものである、と。



 長老と他一名に連れられていった先には、やや大きめの家があった。
 全てが木でできており、木の香りがすごい。
 それに良く燃えそうだ。

『そんな不穏な解説はいらない』

 軋みをあげつつ廊下を進み、とある一室の前で止まった。
 その扉の前には、一人のエルフが立っている。

「彼女はナイム。アレの世話係をしている。必要なことがあれば彼女に何でも遠慮なく申し渡してください。ナイム、彼女がメル殿だ。全て彼女の言うとおりにしなさい」
「はい、よろしくお願い致します」

 ナイムと呼ばれたエルフは、淡々と挨拶をした。
 偉い人の家で良くいるメイドのエルフ版だ。感情を消した顔が特徴的である。

「私はこれで失礼させていただく」

 あれ、一緒に入らないのか?
 アイラが変なのはわかるんだが、全然詳しい話を聞いてないぞ。

「すぐにわかります。それに老人がいては、気兼ねなく話すこともできないでしょう」

 あっ、そう。
 別にそんなこともないと思うが。
 とりあえず、話をすることはできるようだ。

『何か逃げてるように見える。嫌な予感がしてきた』

 老人は通路の奥に消えた。
 扉の前には私と、世話係のナイムが残る。

 ナイムは扉を三度叩き、「失礼致します」と開けた。
 開けただけで、何かすごい甘い、……いや辛い? 不思議な臭いが漂ってきた。
 それぞれの香りがブレンドされずに、分離して鼻を刺激する。

『……スナック菓子みたいな臭いだ。メル姐さんの臭いまで入ってきて、ここはすでにダンジョンか』

 うるさいよ、そこ。
 ナイムは平気な顔をしてるだろ。

『いやいや、鼻に洗濯バサミみたいなのつけてるじゃん』

 良く見ると、確かに鼻に何か付けている。
 鼻の穴を両側から挟むように押さえ、さらに葉っぱで鼻の穴をフィルターをしてあった。
 それ、私にもちょうだいよ。

 扉を開けると通路がわずかに伸び、そこから広がっていることがわかった。
 つまり、まだ肝心のアイラとは対面することができていない。
 私が進みあぐねている間に、ナイムはズカズカ進む。

「お嬢様。メル様がお見えです」

 前を進んで行ったナイムが、部屋の奥にいるであろうアイラに声をかけた。
 先ほどから聞こえていたバリバリ、ボリボリという音が止んだ。

「えっ、嘘!」

 声が聞こえた。
 懐かしい声……ではないな。
 こんな太い声だったか? もっとキンキンしてたような。

 私は奥に進んだ。
 そこには金髪のエルフがいた。
 美しい髪は金色に輝いており、耳はエルフの象徴らしく長く尖る。

 しかし、私の特徴と一致するのはそこまでだった。
 まず、体の横幅が違う。ナイムの横幅を一としたら少なくとも五以上はある。
 もしかしたら十はあるかもしれない。

 さらに顔。これもひどい。
 目や鼻、眉毛と言った顔のパーツが小さく見えるほど肉がついている。
 首はなく、顔の顎付近からそのまま胴体へとスムーズにつながっていく。シームレスだ。

 体にはローブを羽織っているが、隠しきれない胸と膨らみすぎた腹がわかる。
 腕と脚にも肉が狂っているほどついていた。

 不気味に膨らんだ手は、片手に本を持っていた。
 もう片方の手に何かドギツイ色のついたお菓子(?)みたいなものをわしづかみにしている。
 そのお菓子を慌てて口に放り込み、もっしゃもっしゃと頬張る。
 口の周りが汚れ、菓子クズが体に落ち、床にも落ちた。

「嘘! ほんとにメルさんだ!」

 手に掴んでいた本と、また掴んでいた菓子を投げ捨てる。
 お前は本当に誰だ……。エルフか、豚か、それともモンスターか。

「相変わらず忘れっぽいですねぇ~。ほらアイラですよ。ちょっとふくよかになりましたけど、アイラでしょう!」

 アイラを騙るエルフは豊満であった。
 いや、これはもう飽満、もしくは放漫という方が正解だろう。

 こいつは、――ただのデブだ。

 デブは椅子から立ち上がろうとするが、脂肪が引っかかって上手く立ち上がれない。
 ぶるぶると脂肪を振るわせて、椅子から脱出する。
 大きな椅子は、断末魔をあげて崩れた。

「また壊れたかぁ。根性のない椅子だ」

 アイラはそう振り返って、床に落ちた椅子を蹴った。
 そのままノッシノッシと私に近づいてくる。
 私は思わず後退していた。

「フィゥー、フゥォー」

 立ち上がって少し歩いただけなのに、すごい息が漏れている。
 ついには私にたどり着く前にバテてしまった。
 オーケー、その位置を動くな。

「いやぁ、フゥゥー、お変わりなく、フォォー、メルさん、フィィー、それにシュウさんも」

 言い切って、さらに大きな息を吐き出す。
 顔からは汗がうっすらにじみでている。
 話すか、息をするかどっちかにしろ。

 そう言えば、先ほどシュウが静かだ。
 おい、どうしたんだ。会ったら胸に飛びつくんだって話してたろ。
 望みを叶えてやるよ。

 私はアイラに近づき、シュウをその体に押し付け――

『止めろぉ! 止めてくれぇ! なんだ! 何なんだ、この豚は! なんの仕打ちだ! 俺が何をした! 何をしたって言うんだぁ!』

 すごい叫びだした。
 これは怒りを超えた状態だ。
 最後の方は本気の涙声が混じっていた。
 あまりの叫びに思わず、手が止まってしまった。

 ……すまん。

 普段なら謝ることなく、そのまま脂肪に押し付けてやったが今回はできなかった。
 アイラ……、すごい豚エルフだ。シュウをガチ泣きさせた上に、私に罪悪感を植え付けるなんて。

「どうしたんです? あっ、一緒に食べますか?」

 デブは無邪気に皿に載った餌……じゃなくてお菓子を差し出す。
 手は菓子に汚れ、床を菓子に汚し、ローブも菓子で汚す、この上、私とシュウまで手にかけるというのか。



 いったん部屋から出て落ち着いた。
 老人が入らずにそのまま消えた理由がよくわかった。
 彼女を知っている者なら、彼女の今の姿を認めることはできないだろう。

『痩せさせるしかない。ダイエットだ』

 シュウもかなり落ち着いてきていた。
 ダイエット。老人の依頼を叶え、ダンジョンに挑むにはそれしかない。


 まずは、彼女の生活を観察することになった。

 日中は今と同じだ。
 甘辛の菓子と本を片手にだらだらしている。
 眠くなったらいびきをかいて好きなだけ寝る。
 これをひたすら繰り返す。

『いや、それだけであんな風にはならない。食習慣もおかしいと思う』

 夜になり、食事を一緒に取ることになった。
 机と椅子が部屋に運ばれついでに料理も運ばれてくる。

 私の前には倹約質素の料理がならんだ。
 カンパンみたいな見るからに味が薄そうな物に、葉っぱかこれ?
 とにかく、味が薄いというか量がそもそも少ない。
 なんでこれで太るんだ。

 答えはすぐにわかった。
 私の料理が並んだ後で、続々と料理が運ばれてくる。

 肉がドン、ドン、ドーンと置かれた。
 次にアルコール飲料がジョッキで、それに何かがゴテゴテに塗られたパン。

『デブ飯の暴力だ。カロリーのプールだ……』

 シュウがこわごわと囁いた。
 私も何も言えない。言葉が出てこない。

「ふぃー、ごはんごはん。今日もとってもおいしそう! ナイムは、私の気持ちがわかってるんだよなぁ!」

 アイラがデブ飯を前にして叫んだ。
 ナイムがわかってるのはアイラの気持ちではなく、デブの気持ちではなかろうか。

「さぁ、メルさん食べましょう……。ちょっとちょっと! メルさんそれだけで足りるんですか? 今日は再開パーティなんですよ! ほらほら、私の分も差し上げます。ナイム、じゃんじゃん持ってきて下さい!」

 ナイムが姿を消した。
 アイラは私の皿に、自分の皿から肉をドカリと入れた。
 最初に乗っていた葉っぱは、肉汁にまみれて汚染されてしまった。

『脂パーティだね』

 アイラは食べた。
 次から次へと出てくる皿を空にしていった。
 私は、途中で部屋から出て、外で吐いた。
 料理を口にしてもいないのにだ。

 おぞましいものを見た。
 ダンジョンで虫たちの食事風景やモンスターが人を食うシーン見たことがある。
 あれは気持ち悪さとえぐさは感じたが、ダンジョンという場の中では受け入れることができた。
 今回は耐えられなかった。あれは人の為せる所行ではない。
 こんなことがあってはならない。

 部屋に戻ると皿が減っていた。
 数枚の皿と何か筒のような容器が残っている。

「あっ、どこ行ってたんですか? でも、ちょうど良かった。最後のデザートジュースを作るところだったんです」

 アイラは皿に載せられていた肉、お菓子、スープを次々と筒の容器に入れていく。
 全て入れ終えたら、何か刃物のついた蓋を容器に取り付けた。

「これを魔法で。ウィー! ブゥィー!」

 容器からすごい音がした。
 アイラも口からそれに真似た声を出す。
 しばらくしてから蓋を外すと、机に置かれていたジョッキに容器の中身を移していく。

 容器の中に入れられていた物は、粉々になり一つになって液体状で出てきた。
 どろどろっと様々な色と臭いが混ざりジョッキを満たしていく。
 私はこの世の混沌を目にしているようだ。
 そんな視線にアイラも気づいた。

「すごいでしょ、これ。私が考えたんですよ。全てを一度に摂取できないかと思って、上手く混ぜる方法を思いついたんです。全部粉々なので実質水みたいなものですよ!」
『なんだ……、その、よくかき混ぜたら実質ゼロカロリーみたいな発想は……』

 私はシュウを握った。

『駄目だよ』

 なぜだ。
 あれは飲ませていいものじゃない。
 お前はあれを認めるのか。あんなカオスな食事を。

『許すわけがない! 今日までだ! 今日は許してやる! これがあの豚の最後の晩餐だ』

 そうか。
 シュウの声は怒りに満ちていた。
 明日から、この怒りが目の前の豚に向かうことになる。

「メルさん、飲まないんですか! それなら私がもう一杯!」

 ぷはぁーと飲み干し、豚エルフはゲップまで吐いた。
 私も許そう。明日からは血反吐を吐くことになる。

「ごちそうさま! それじゃあ、本を読んで寝ることにします! メルさんもゆっくりしてください! また明日!」

 深夜になって、私は長老と話をした。
 明日からの計画について、ナイムもまじえての作戦会議だ。

 ナイムはやや渋ったが、長老はGOサインを出した。
 この里のルールは長老にある。
 さぁ、明日が楽しみだ。



 翌朝。
 まだ陽も見えぬ早朝である。

 私はアイラの部屋を蹴破って入る。
 奥に進むとアイラがびっくりして目覚めたところだった。
 寝間着ははだけ、ところどころ脂肪が出ていた。

「ふぇ、ふぁ、メルさん……」

 寝ぼけている様子だ。
 いきなりだったから無理はない。

『パーティリングを』

 ああ。あまり触りたくないが、寝ぼけているアイラの指にパーティリングを嵌めて登録する。
 これでそこそこ無茶をさせても大丈夫だ。シュウが管理するだろう。

『よし、スキル発動完了。蹴っていいよ』

 私は、まだ完全に目が覚めていない豚エルフを蹴る。

「ぶひっ! ぶへぇ! ぶよぉっ!」

 一度目の悲鳴がベッドから飛び跳ねたもの。
 二度目がそのまま壁に激突し、ぶち破って外に出たもの。
 三度目が、外に転がっていったものになる。

 私も追うように、壁に空いた穴から外に出る。
 アイラはようやくちゃんと目覚めた。
 強めに蹴ったが意識がある。

『デブ専用スキル「脂肪バリア」だね。斬撃と炎以外の攻撃は吸収するから、もっと強めに蹴ってもいいよ』

 聞いたいたとおり、アイラは無事だった。

「何を……」

 アイラは寝転んだまま私を見上げる。

「アイラよ」

 私の前に長老が立った。

「お爺様! これはいったい!」

 思わぬ人物だったようで、アイラは声を荒げた。
 長老はそんなアイラから目を背けた。

「許してくれ。儂には今のお主を直視できんのだ。――痩せよ。痩せるまで家に入ることを禁ずる」

 追放宣言である。

「それではメル殿。後はお任せ致す」

 ああ。
 よし、それじゃあアイラ。
 さっそくランニングに行こうか。

「えっ……、嘘でしょ。お爺様……、ナイム……」

 祖父はすでに背を向けて家に入った。
 家を修理するエルフたちが退路を塞いでいる。

「お嬢様。痩せましょう。メル殿も優しくすると言ってくれました」
「ナイム、貴方は彼女たちの『優しさ』を誤解しています。嫌……、いやぁ!」

 豚は喚き散らし立ち上がろうとしない。
 いつまでも未練がましく、ぶひぶひと鳴くアイラを蹴りあげた。
 ほら、早く立て。ランニングは無理かもしれんが、ウォーキングくらいならできるだろ。
 コースを三週するまで飯はないぞ。

「嘘……」
「大丈夫です、お嬢様」

 ナイムが微笑んだ。
 豚はその笑みに、一縷の希望を感じたのであろう。
 醜い表情を少し和らげたように見えた。

「水分の補給は、私が適切におこないますので」

 希望と脂肪は語呂が似ている。
 詰まっているのは別物だ。

 今の彼女は脂肪に満ちていた。



「ぶへぇ、ふはぁ、ひぃ、はふぃ……」

 短く荒い息が絶えることなく吐き出される。
 アイラがコースを一周しただけでこの息になってしまった。
 ちなみに歩いたコースは長くも険しくもない、最初だからこんなものだろう。

 それでも、アイラの息はもう限界だった。
 ボスと死闘を繰り返した後のような呼吸になっている。
 それに汗がすごい。滝のような汗だ。飲んだ水がそのまま流れていく。

『この毒――すごい効き目だね』

 なんでも軽く斬ってやって、発汗性のある毒を付けたとのこと。
 それでいて膝と腰には負担が少なくなるようにスキルをつけているらしい。

 ナイムも背中に水のタンクを背負って一緒についてくる。
 私一人でよかったのだが、律儀に手伝いを申し出てくれた。
 ちなみに男か女かわからなかったが女性だった。
 パーティー登録してサポートにまわる。

 アイラのまわりは優しさに満ちあふれているな。
 途中ですれ違ったエルフの住人も彼女に生暖かい視線と優しい声をかけていたし……。

 それじゃあ二週目行こうか。



 三週が終わると、アイラは豚の息だった。
 ぶひぃー、ぶひぃーとヤバイ息を何度もしている。

 それじゃあ飯にしようか。
 頼む。

「お嬢様、朝食でございます」

 家に入れないので、木々に囲まれてのモーニングだ。
 なかなか乙な物である。

 アイラも息を整えつつ、ようやく救いの時が来たと顔をほころばせる。
 彼女の前に、すっとご飯が差し出された。
 パン三切れとジャム少々。

「これは、なんですか?」

 パンが三切れとジャムが少しだ。
 見ればわかるだろ。

 質素だけどおいしいな。
 パンは堅すぎず、柔らかすぎない。
 それにジャムもパンごとに違って味わいがある。

「油で焼いて味付けされた肉は――」「ありません」
「背脂からとった濃厚なスープは――」「のめません」
「甘さたっぷりの生クリームケーキは――」それは私がいただいた。

 ああぁぁぁと悲痛な喚きが聞こえる。

「どうして食べさせてくれないんですかぁ。こんなの拷問ですぅ」

 さめざめと泣き出した。
 これが普通の朝食だ。スタンダード。そうだろ?

「普通はパンが二切れですね」

 そうなのか。
 じゃあ、明日は二切れにしよう。

「どうして? なぜなの? 人生は食うか、食われるかでしょう。私は食う方に回りたいんです」

 良いだろう。
 食わせてやろう。
 痩せろ。さすれば与えられん。

「痩せるのは簡単です。でも、それで本当にいいのかなって思うんです」

 ん?
 というと?

「痩せてしまうと、お腹の上に本を載せて読むことができなくなる」

 ……。

「それにぽっちゃりの方が魅力ありますよね」

 シュウが『デブが』と短く舌打ちした。

「それに! それにですよ! 痩せたらフェアじゃないでしょ!」

 何と争ってるんだ。

「ありのままの私で……、何が駄目なんですか? なぜ駄目なんですか? 悪いのは私ではなく、私の姿を認められないあなた方の器量の狭さではないんですか?」

 おいデブ。もう喋るな。
 あと二十周したら飯をくれてやる。
 それが、私からデブへの最大限の優しさだ。



 無事に二十週をやり遂げた。

 彼女から漏れた汗が、地に生きる植物を殺していった。
 後にこの道は、草が生えず「アイラロード」と言われることになるだろう。

 シュウがそんなことを言っていたが、本当にそうなるかもしれない。
 雨は降っていないのに、この道だけ水溜まりができている。

 時刻はすでに夕方だった。
 またしてもパンとジャム、それに葉っぱが豚に渡される。

「これじゃあ、全然足りません。肉を! 肉を所望します!」

 豚が抗議の声をあげる。
 私とナイムが宥めるが、効果は薄い。

「お嬢様。どうか我慢なさって下さい」

 ナイムが顔を近づけて、真摯に説得する。
 そこでようやく豚は静かになった。

『今、アイコンタクトを取ったね』

 どういうことだ?

『「後でご飯を持ってくるから、今は大人しく引いてください」かな』

 なるほど。
 まだまだやり遂げる気持ちが足りていないな。
 …………なんでアイコンタクトからそこまでわかるの?


 夜、私はアイラの寝床(葉っぱのベッド)の近くで息をひそませる。
 先ほどから豚のお腹がきゅるる、ぐるるると空腹の音を鳴らし続けていて気持ち悪い。
 あいつの腹にはモンスターの寝床が入っているのではなかろうか。

『来たよ』

 見てみると、ナイムがこそこそとアイラへと向かっている。
 その背には膨らんだ大袋を背負う。

「お嬢様」

 小さな声を出して、アイラをつつく。
 久々の運動で疲れ果てているアイラはなかなか目を覚まさない。

「ご飯をお持ちしました」

 目がパッと開いた。

「さすがナイムです。待っていました」

 ナイムは小さく頷く。
 大袋の紐を解き、料理を広げていく。

「思い出します。昔、よく家から追い出されたとき、よくこうやってナイムに助けてもらいました」
「……はい」
「私の味方は貴方だけです」
「はい、私は常にお嬢様の味方です」

 しんみりとした会話が続く。
 なぁ、シュウよ。

『ダイエットは、まだ初日だからね見て見ぬ振りを――』

 そう、初日だ。
 見なかったことに――

『しない。そういった甘えは許さない。脂肪フラグは完全に潰す。断固としてやり遂げるという決意が必要だ』

 だな。

 はい! そこまで! 動くな!
 両手を頭の後ろにつけて、料理からゆっくり離れろ。

 私はしんみりとした場に出ていき、料理を回収する。
 ナイムは驚いて固まり、アイラは必死に腕を動かして料理を口に詰め込む。
 私はアイラの腹を蹴って、食べたものを全て吐き出させる。

 こうして初日の夜を終えた。


 二日目、三日目と泣き言と言い訳を聞きながら徐々に過ぎていく。

 走る以外のメニューも徐々に付け加えていった。
 マッサージだの、アロマだの、匍匐前進だのとやっていき、アイラは痩せていった。
 すごいデブからややデブくらいにはなってきていた。ここからが重要だとシュウは話している。

 アイラから感情が徐々に消えていった。
 ナイムもたびたび不正を働き、そのたびにシュウが見つけて阻止する。

 五日目になり長老が見に来た。
 彼は涙を流して喜んだ。

『これから先のダイエットで、豚に決定的に欠如している物がある』

 それは何だ?
 何が足りないんだ?

『危機感。仕方なく痩せさせられてる感が拭えない。ここから先は痩せづらい域に入る。目的意識が必要だ』
「どうすれば良いとお考えでしょうか?」

 長老が尋ねた。

『命の危機をあおるしかない』

 ダンジョンだな。

『そうだね。順序が変わるけど、先にダンジョンに入らせてもらえないかな。アイラとナイムも一緒に』
「……許可しよう。ただし、監視者を置くが構わないだろうか」
『問題ない。最初は入口付近で半殺しにするだけだから、最終的には一人で攻略できるレベルまで鍛え上げる』

 ……目的、変わってない?

「やはり、メル殿に頼んで正解だった」

 老人は目に涙を浮かべる。
 どうも私たちは完全に長老の信頼を勝ち取ったらしい。



 私たちは予定を繰り上げてセルメイ大聖林に入ることができた。
 アイラとナイム、それに姿の見えない監視者が一緒だ。

「死ぬ! ほんとに死ぬ! 死んじゃいますってこれ!」

 アイラは今、植物の根っこのモンスターの大軍に襲われ必死に逃げている。
 杖はあるが唱える暇がない。私もそれほど手を出さず、死にそうになるまでほっとく。

 ナイムも補助魔法は使えるが、戦闘はさほどのようだ。
 対人はできても対モンスターは得意に見えない。
 それでも状態異常が効かず、身も軽いのでさほど問題なさそうである。

 セルメイ大聖林は中央に神聖域があり、その周囲をダンジョンが円上に囲んでいるらしい。
 中央の神聖域はモンスターも出現せず、特に何もない領域だとか。

 まずは正面から入って、その領域を目指すことになった。
 モンスターに追われつつもアイラは必死に脂肪を振るわせ逃げている。

 きちんと目的も伝えた。最終的にはソロでの大聖林クリアだ。
 冗談でしょと笑っていたのが今日の朝のことである。
 私は冗談が嫌いなんだがなぁ。

 しまいには転がってモンスターの攻撃を避けている。
 残念なことに、傾斜があってそのまま止まることなく落ちていった。

 追いかけると、かなり先にある一本の木の幹で止まっていた。
 周囲にモンスターの姿は見えない。

 追ってきていたモンスターもここに入ろうとせず引き換えしてしまう。
 なるほど、ここが例の神聖域というものだろう。

 周囲は恐ろしく静かで、モンスターやその他動物の声、木々のざわめきすらも聞こえない。
 一本の巨木が鎮座して私たちを見下ろしているようだった。

『この気配……覚えがあるな』

 何?
 何のこと?

『二つの気配だ』

 何の気配?
 それにお前はよく気配気配って言うけど、気配って何よ。

「あぁ、ぐるぐる回る。足下がふらつきます」

 ようやく立ち上がったアイラがふらふらと歩き回る。
 そして、バランスを崩して大木の方へ行って、どこかに落ちてしまった。

「ぶひぃ! 痛った……くはないですね……。何なのこれ」

 脂肪バリアのおかげだな。
 どうやら木の根の隙間に落ちてしまったらしい。
 怪我はないようだ。

「メルさん、メルさん! 扉がありますよ!」
『やっぱり……』

 何を言ってるのかわからなかったが、後を追って根から降りると本当に扉があった。
 木の根に隠されるようにして、扉がひっそりと地面に立っている。
 人一人分の小さな扉だった。

 なぁ、これってもしかして。

『竜がいるだろうね。そうだとすると、一人ってのはあいつのことか。この木はあいつの仕業だな……』

 それでどうするんだ?

『まずは長老と会話かな』

 そうするか。


 アイラはほっといてそのまま長老のところに戻る。

「ついに封印が解けてしまいましたか……」

 長老のところに戻ると、すでに知っている様子だった。
 監視者とやらが伝えたのだろう。

「あの扉は、過去にここを訪れた旅人が危険な物だと言って封印して下さったのです」

 しかし、木が育ちすぎて、封印が外れてしまったようだ。

 入ってみても良い?
 何かわかるかもしれんぞ?

「よろしいのですか?」

 もちろん。
 何か問題は?

『やばいと思ったらさっさと逃げる。それと準備が必要だね』

 そうだな……。
 準備って何か具体的にいるのか?

『仲間は、残念だけどいないね。アレがまともなら戦力になったんだけど……』

 無理だな。

『無理だね。竜を倒したとして、異世界に行く。パーティーリングを多めに買っといた方がいいかも』

 そうか。

『一番重要な問題が残ってる』

 深刻な口調で呟いた。
 まだ何かあっただろうか?

『俺たちがいない間、豚の飼育係を誰にするかだ』

 それ重要か?

「問題です」
『大問題だ』

 二人は真剣に悩み始めた。
 私はもうデブのことなんてどうでも良くなっていた。



 翌日である。
 きちんと寝て、食べて、扉の前に立つ。
 できるだけの準備や道具はビシッと揃えておいた。

 アイラの飼育も代役が見つかり、メニューも組まれて続くことになった。
 これであのデブのダイエットの心配は無用である。
 ここからは、私たちだけの問題だ。
 木の扉に手をかける。



 扉は小さな音をたて、ゆっくりと開いた。






蛇足19話「えん☆たる」

1.扉の狭間にて

 

 扉をくぐると、狭い通路がどこまでも続いていた。

 

『本棚?』

 

 両サイドは壁でなく本棚だった。

 天井が見えないほど高くまで、何十段、何百段と続いている。

 本の背表紙は薄いものから分厚いもの、古くさいものから新しそうなものまで様々だ。

 

『奥に誰かいる』

 

 私には見えない。

 どこまでも本棚に挟まれた通路が続いている。

 

 慎重に歩を進めていくと、私にもその存在が見えてきた。

 私と対面する形で人らしきものが座っている。

 

 黒い髪は長く、まっすぐにすらりと垂れている。

 線は細いが、背筋が伸びており、やや圧力を感じられる。

 手に何か棒みたいなものを握り、机に置かれた紙にひたすら何かを書き込んでいる。

 彼、あるいは彼女の顔は軽く俯いたまま紙へとむかい、こちらを見ることもない。

 

『強そうだけど敵意は感じない。竜なのかな? 何か言ってきてる?』

 

 いや。特に何も。

 あの……作業をしているところ悪いんだが竜か?

 

 話かけてみたが返答はない。

 反応もされない。

 

『いや……』

 

 シュウが呟くと同時に、動きが見られた。

 ただし、動いたのは人間ではなく、紙面に書かれた文字だった。

 紙面に書かれた黒い文字が浮かび上がり、私の前に移動した。

 書かれた文字がぐにゃぐにゃと形を変える。

 

“史竜”

 

 史竜?

 

“はい”

 

 文字で肯定された。

 

 ゲロ……じゃなくて、灰竜や黒竜、白竜の知り合い?

 

“はい”

 

 答えてくれるのはいいんだが、簡潔すぎる。

 あまりにも素っ気なさ過ぎて会話が続かない。

 

 それで、ここでいったい何をしてるんだ?

 

“歴史の編纂”

 

 ……あぁ、そう。

 

 心が躍る展開を期待したのに、まったく期待できそうにない。

 酒場のドアを開けたら、葬式していたくらいにテンションが下がった。

 

『どこの世界の歴史なのかな?』

 

 私の世界じゃないか?

 もしくは、そこに見える扉の先の世界か。

 

 史竜の座る背中側の先に、私が入ってきたような扉がついていた。

 経験上、あの扉の先にも世界が繋がっている可能性が高い。

 それも別の法則が働く世界だ。

 

 しかし、二つの世界の歴史の割には本が多い。

 こういうことは聞いてみるにかぎる。

 

 どこの世界の歴史だ?

 

“全て”

 

 返ってきた返答はただそれのみ。

 ちなみに返ってくるのは文字のみである。

 目の前に座っている人物はこちらをいっこだにしない。

 ひたすら机にむかって、手を動かしている。

 

『まさか、全世界の歴史がここにあるの?』

 

 シュウの疑問を尋ねてみると答えは“はい”だけである。

 話があまりにも遠大すぎて、私の許容量を超えてしまった。

 

 私の世界の歴史書が見てみたいんだが?

 

 実はさほど興味ない。

 間をもたすために呟いただけだった。

 

“不可能”

 

 なぜだ?

 

“第一に、言語が読めない。統一言語を利用しているため”

 

 そうか。それは仕方ないな。

 読めない悲しみは、ないに等しい。

 めんどくさそうなのを読まずに済んだ、という安堵の気持ちが大きいだろう。

 

“第二に、編纂中であるため”

 

 まさに作業中だったのか。それは邪魔をしたな。

 ちなみに今はどのあたりなんだ?

 

“貴方がここに来た日を起点として、四五三二年四二七日後”

 

 そうか。

 ずいぶんと先のことまで書いてるんだな。

 

『いやいやいや。待って。それはおかしい。歴史ってのは、ある物について、始点を発生もしくは発生前に置くとしても、終点は最長でも今日になるでしょ。終点が未来に飛んでる』

 

 そう言われればそうだな。

 あまりにもどうでもいいから頭を素通りしてしまっていた。

 どうやって未来のことがわかるんだ。

 

“史竜としての特性により把握”――らしい。

 

『……はぁ、まあ、それはいいや。じゃあ、もう一つ。これに綴られるのはいったい何の歴史?』

 

 意図していることがよくわからなかったので、史竜にそのまま伝える。

 

“対象世界の始まりから消滅まで”

 

 人類史じゃないのかとシュウが呟いている。

 さらに質疑応答を続けていたが、どうも必ずしも消滅まで書ききれるわけではないらしい。

 何でも歴史の中でも重要なポイントがいくつかあって、そこを確定する要素がぶれることで未来がずれるので、直近にならないと未来が書けないものもあるとか。

 

『ある世界の始まりから終わりまでを一冊にまとめてるのか』

 

 それよりも私の世界のことを今書いてるって事は、最近何か変わったということなのか?

 

“歴史の変更を確認。稀”

 

 変更?

 さっきのとは何が違うの?

 

『さっきのは未来がまだ決まってない状態――未確定。今の状態は、一度決まった未来が別の物に変わった状態』

 

 ふぅん。

 どっちも未来のことだからわからないだろ、と思ったが口にはしない。

 稀って書かれるくらいだから滅多にないことはわかる。

 何か大きなことがあったの?

 

“四九八一年二七五日後に幻竜が消滅”

『あぁ、やっぱり……』

 

 何がやっぱりなのだろうか。

 幻竜って竜? お前の知り合い?

 

“はい。幻想特性の竜”

 

 シュウに問いかけたつもりだったのだが、史竜が問いに答えた。

 幻想特性とやらがよくわからんが、誰かにやられたの?

 

“はい。一一八名が荷担。その中心人物は――メル”

 

 えっ? 私?

 

 声に出してしまったが、ちょっと考えたら五千年も先の話だから私のはずがない。

 同じ名前の人物というだけだ。シュウも特に何も言わないということはそういうことだろう。

 

 それよりも、今までいっさい会話に反応せず、書き物をしていた人物が私を見上げてきた。

 

“メルが貴方かどうかは判断不能”

 

 返答が淡々としていてつらい。

 前の人物も値踏みするように見て来るし。

 今さらだけど喋れよ。何でいちいち文字で伝えてくるのか。

 今もジッと私をみつめてくる。顔が中性的で男なのか女なのかわからない。

 

『俺にもわからない。人間じゃないかも』

 

 人間じゃない?

 ――というか、こいつが史竜なんじゃないのか?

 

“それはキルハ。私の依り代。司書を務めてもらっている”

 

 あら、そうなのか。

 じゃあ、この文字を伝えてきている史竜本体はどこにいるんだ?

 

“ここ”

 

 文字が動く。

 ぐにゃぐにゃ動いているその文字が史竜だと?

 

“はい、あるいは、いいえ。これは私の一部分です”

 

 よく、わからんな。

 

『ここにある本全てに書かれた文字が史竜なんでしょう。全世界の歴史そのものと言ってしまってもいいかな』

 

 途方もない話のようだ。

 どうやら戦いにはなりそうにない。

 

 ところでそっちの扉の世界はどうなの?

 

“「どうなの」とは何を対象にしているのか?”

 

 入っても大丈夫?

 

“はい”

 

 あっさりと許可が下りた。

 未知の世界ではあるが、ここよりは居心地がいいだろう。

 

“ただし――”

 

 通り過ぎようとしたところで、文字が出てきた。

 

“三十日後に消滅する”

 

 

 

2.サイバミティ、地上に立つ

 

 衝撃的な言葉を読みつつ扉を超えた。

 

 周囲は上下左右を岩に囲まれている。

 洞窟の中だろうか。

 

『普通、なんで消滅するのか聞いてから入るもんじゃない?』

 

 かもしれん。

 だが、聞いたところで何かができるとは思えん。

 やばそうなら、逃げればいいだろう。

 

『行き当たりばったり……、待った。こりゃすごい』

 

 岩穴を進んで行くと、シュウから声がかかった。

 声がかからなくても足を止めただろう。

 

 目の前の壁には様々な紋様が描かれている。

 上下左右にびっしりと、紙に描かれて物や直接岩に刻まれている物も見られる。

 魔法陣だろうか?

 

『そうだね。……ふむ、別世界の人が書いてるね。記述法が違ってる。人払い、自然同化、遮音、防視、呪怨、即死、消滅ときて、最後に魔力のサニタイズか。ここに誰も来て欲しくなかったと見える』

 

 どうすればいい?

 

『引き返す』

 

 それ以外で。

 

『一個ずつ解除していくしかない。解除する順番を間違えると、この辺一帯が消し飛ぶ』

 

 え、そんなに危険なものなの?

 

『そうだね。こっち側からなら何とか解除できるだろうけど、あっち側からだと俺でも無理だね。まず近寄れない。それ以前に、気づけない。ダンジョンだとしたら攻略不可かな』

 

 それはそうだろう。

 最難関のダンジョンは中に竜がいるダンジョンではない。

 そもそもそこにダンジョンがあることすら気づかせないダンジョンなのだ。

 

『それでも、こっち側からなら超上級くらいかな。さて――解いていくとしようか』

 

 壁に描かれた魔法陣を、シュウの指示のもと一つずつ斬りつけていく。

 最初に見えていた曲がり角に辿りつく頃には、半日が経ったのではないかと思うほどであった。

 曲がり角を越えると、もう魔法陣はなくなっていた。

 それでも慎重に進んで行く。

 

『何か落ちてる』

 

 確かに道の途中に何かが落ちていた。

 

 獣か何かの死骸だろうか。

 外見がぐずぐずになっているものが鎮座している。

 恐る恐るシュウでつついてみると、それは灰のように静かな音をたてて地面に崩れる。

 

 地面に流れた灰の中から、一つだけ固そうな物が見えていた。

 シュウでつついてみるが特に問題はない。

 

『ビー玉? 炭? なんだろう?』

 

 手の平サイズで丸っこい。木炭かと思ってしまうほど軽い。

 堅さは何かの金属のようだが、温かみがある。

 

『生きてる』

 

 ……えっ?

 

『俺も信じられないけどアナライズが通らない。これは、生きてる』

 

 どう見ても死んでるぞ。

 死んでる生きてるの前にどう見てもただの物だろ。

 ひょっとしてモンスターか。

 

『モンスターなら別の表記になる。もう一つの可能性もあるけど、こっちはもっとあり得ないから、やっぱり生きてる』

 

 その場ではどうしようもないので、とりあえずアイテム袋に入れて道を進む。

 出口が見えてきた。外は薄暗い。どうやら夜のようだ。

 

 

 外に出て、私はすぐにここが異世界なのだと実感した。

 

『これは滅びますわ』

 

 私も同感だった。

 

 空には月が浮かんでいた。

 黄色みを帯びた光は、私の世界と同様だ。

 しかし、大きさが明らかに違う。

 空の半分が月だった。

 

『うーん……』

 

 あれは、どうなの?

 

『もしこのまま落ちてきたら、地上の生命体はほぼ完全消滅する。星の歴史は続くけど、そうすると三十日で終わるの意味がよくわからない。世界の歴史が、地表の生命体の歴史だとすると三十日も続くわけがない。仮の結論としては、あの月はすぐには落ちないんじゃないか、となる。物理的にはあり得ないけどね……』

 

 あ、そう。

 

『とりあえず今夜のところはここで野宿かな』

 

 いつでも逃げられるようにしておくということだな。

 

 

 

 シュウに起こされ、時は朝。日は東。

 いや、ここは異世界だ。本当に東かどうかはわからない。

 とりあえず大きな月は消え去って、眩しい光だけがそこにある。

 

 どうやら月は落ちてこなかったようだ。

 様子見を続けてもつまらないので、近くを歩き回ってみるとしよう。

 

 夜のうちから気づいていたが、この洞窟は急峻な山肌に接している。

 周囲の景色も、岩肌が露出した山ばかりでおもしろくない。

 少なくとも近くに人もモンスターもいないだろう。

 

『頂上の方が近いから、そこから周囲を俯瞰するのがいいかな』

 

 目印のアイテムを地面に突き刺して、私はさっそく登山に勤しむことになった。

 よくわからんチートで急な傾斜もスムーズに歩くことができている。

 なんでも取得のポイントが滅茶苦茶高かったらしい。

 すごい効果であるという実感はあまりない。

 

 山の上から見る景色は、全方位に山があるというものだった。

 右も左も前も後ろも山。空の近いところに雲がある。

 さて、どっちに行くべきだろうか。

 

『この辺りは山脈だね』

 

 それはさすがに私でもわかる。

 

『山頂だけど、気温はそこまで低くない。太陽が昇った方を東として、山脈全体を見れば南側の斜面が北側よりもやや削れてる。南からの卓越風が優位な場所だと考えられる。近くで人が住んでるのはどちらか考えたら、風下の北側が適してるんじゃないかな』

 

 よし、それじゃあ北に進んでみるとしよう。

 で、どっちが北?

 

 

 

 北に向かって下っていき、谷を越えまた尾根へと登る。

 特に何も遮蔽物もないため、走っていくつか山を越えていった。

 

『ストップ!』

 

 シュウの声で足を止める。

 

『右』

 

 右を見てみると、遠くにやや開けた場所が見えた。

 さっそくそちらに向かうと、崖の上から平野を見下ろす位置に出た。

 

『何かこっちに走って来てる』

 

 どこだろうと探してみるがよくわからない。

 

『もうちょい上かな。ちょっと望遠するね』

 

 うおぉ、視界が急激に近づいてくる。

 

 視界の右端に何かが見えた。

 目を動かすと思ったよりも大きく視界が動き、対象が左端に移動してしまった。

 今度こそ、それを正面に捉えると確かに何かがこちらに向かってきている。

 

 あれは何だろう。

 白色の獣に見える。

 

『虎かな? それにしてはでかい。上に人が乗ってるし』

 

 言われて見ると、その上を見ると確かに人が乗っている。

 三人は乗ってる。遠くで大きさがわからんが、人があの大きさならあの虎はどれだけでかいんだ。

 

『虎の後方にも何かいるぞ。なんだあれはムカデに、アリに、ダンゴムシ?』

 

 釣られて見ると、確かに虎を追うように、虫が走っている。

 そのどれもかなり大きく。その上に人が乗っていた。

 

『こっちに逃げて来てるのかな』

 

 どうもそのようだ。

 

『移動しよう。左の道が狭まっている辺りがいいね』

 

 シュウに勧められて、高台の縁を移動していく。

 ちょうど狭くなった谷の道を、上から見下ろす位置にやってきた。

 

 先ほどの虎と虫たちもこちらに走ってきている。

 もう少しでこの下を通過するだろう。

 

 そして、そいつらはやってきた。

 やはりかなり大きい。人が小さいのかと勘違いしそうだが、人は同じくらいだ。

 ちょうど真下で虎の速度が緩まり、三人の中でガタイの大きな奴が飛び降りた。

 彼らが何か言いあっているが、さっぱり聞き取れない。

 

『「姫様、お逃げください!」、「貴方はどうするのです?!」、「私が彼らをここで食い止めます! 早く行きなさい! 行け!」かな』

 

 なに、そんなこと言ってるの?

 確かにそう言われればそう見えなくもない。

 虎の上に乗ってるのは身分が高そうだし、下りた男は騎士のような体格だ。

 

「いや、全く聞き取れない。口の動きを見る限り言葉が全然違う。でも、脳内で補完するとそんな感じじゃない?」

 

 こいつの脳内で補完されるのはいささか気持ち悪いが、その通りに見えたのは間違いないので黙っておく。

 虎の上から姫様にされた人物が、振り返って手を伸ばしている。

 それをもう一人の人物が抑えていた。

 

『「姫様! 騎士Aが任せろと言ったのです! 姫様は、姫様の役割をお果たしください!」「くっ、騎士A! 生きて! 必ず生きて帰りなさい! これは命令です!」』

 

 虎に乗った姫様は、下りた騎士から目を逸らし、虎の進路方向を向く。

 そのまま虎は加速して走り去って行く。

 

 むかつくがその通りにしか見えない。

 本当は聞こえてるんじゃないか。

 

『「さて、大任を果たすとしようか!」』

 

 男は、虎から目を逸らし虫たちに向き直る。

 すでに虎を追っていた虫たちもすぐ近くにやってきている。

 虫たちは人より遙かに大きい。どうやって闘うつもりなのだろうか。

 手に槍を持っているようだが、虫たちとのサイズ差がありすぎる。

 あっさり踏みつぶされ時間稼ぎすらままならないだろう。

 もしかして滅茶苦茶強いのか?

 

『いや、強くはない。んっ、何かの詠唱……、魔法コードにかすってすらいない。いや、これは――』

 

 シュウの解説を待つまでもない。

 男は槍を地面に突き刺す。その槍が淡い光を生じ始めた。

 銀色に輝く光は男の前で徐々に大きくなり、やがて巨人が誕生した。

 

 巨人は全身を銀色の鎧に包まれ、その手には男が持っていた槍と同じものが握られている。

 ただし、その大きさは男が地面に突き刺した物よりサイズがずっと大きい。

 

『こいつはたまげた。ここはそういう世界らしい』

 

 ここが異世界であることを、またしても実感した。

 大きな月に、大きな虎、大きな虫、そして巨人ときた。

 

『いや、別に大きなのが特徴ってわけじゃないと思うけどね』

 

 シュウが呟いたところで巨人が動いた。

 その手に持った槍で、対岸の岸壁を攻撃する。

 土砂が崩れ、道の半分が埋まった。

 次にこちらへと向かってくる。

 

 私は崖の上で見ているわけで、当然危なくなって退避した。

 轟音と揺れが収まり、戻ってみると道が崩れた土砂で埋まっている。

 どうやら先に進ませる気はないようだ。

 

 追っていた虫たちも足を止め、土砂崩れの前で屹然と立つ巨人に対峙する。

 言葉は交わされなかった。すぐさま力と力のぶつかりありになった。

 巨人の槍が虫を貫き、虫たちの牙や足が巨人を襲う。

 

 まず始めにダンゴムシが光になって消えた。

 モンスターと似たような消え方をしたが、ドロップアイテムは残らない。

 

『ふむふむ。あの召喚されたほうのダメージは、本人にも伝わるらしいね』

 

 ダンゴムシに乗っていたと思われる胡散臭い男が離れた地面で倒れていた。

 あれは死んでいるのだろうか。

 

『いや、生きてる。虫の息だけど。……あ、毒を受けた』

 

 巨人が纏っていた鎧が一部破損し、その部分にムカデが噛みついたのだ。

 騎士Aと呼ばれた男は膝をついている。巨人の動きも目に見えて鈍り始めた。

 虫たちの戦法も積極的な攻めから、毒責めによる持久戦へと変わっていった。

 残る虫はムカデ一体だけなのだが、ついに巨人は力尽き、槍を手放し地面に倒れた。

 

 ムカデは倒れた巨人へと近づき、その牙でトドメを刺そうとする。

 その牙へ巨人の手が伸びた。ムカデは暴れるが巨人は手を離さない。

 

 さらにもう片方の手が、対になる牙を握る。

 ムカデはその体躯を巨人に巻き付かせるが、巨人の力はなおもすさまじく、両手に持った牙をそれぞれ外側へ開いていく。

 頭に響くような叫び声とともにムカデの頭は半分に引き裂かれてしまった。

 

 ムカデは光に消えて、巨人だけが残った。

 騎士Aはすでに地面に倒れ、巨人も追うようにして地面に倒れた。

 

『虫使い達は大丈夫だろうけど、騎士の方は毒が微妙に残ってるから死ぬ。下りるなら今だね』

 

 いや、今さらじゃないか?

 もう何もかもが終わってしまっている。

 

『いや、奴はまだ死んでない。ここは異世界。じゃあ、メル姐さんがあいつを斬ったらどうなる?』

 

 そこでピンと来た。

 崖を半ば飛び降りて、騎士Aへと近づく。

 意識が朦朧とした様子で、口がわずかに動く。

 

「サゥ、バレェ……ト」

『「姫、さ……ま」かな』

 

 私は姫ではない。

 メルだ。

 

 シュウで斬りつける。

 予想どおり騎士Aは光になって消えた。

 そして、ドロップアイテムが残る。

 

 ――揺るぎなき忠騎士のマルテ。

 

 ふむふむ。

 おしゃれな料理みたいな名前だがひとまずもらっておこう。

 

『翻訳スキルもゲット。マルテは武器の名前だろうね』

 

 そうか。

 とりあえず復活するまで待つとするか。

 

『しかし、異世界に来て襲われてる馬車を助けるってのはテンプレだけど、なんか微妙に違うな』

 

 なんだそれ?

 

『俺たちの世界だと、異世界に行くとまずモンスターに襲われてる馬車を助ける』

 

 ほう、楽しそうじゃないか。

 それで?

 

『馬車には、商人だか貴族の令嬢がいて、感謝されて一緒に街までついていく』

 

 なんでついていくんだ?

 モンスターがいるってことは近くにダンジョンがあるんじゃないのか?

 そっちに行った方がおもしろいだろ。

 

『必ずしもダンジョンが近くにあるわけじゃない』

 

 そんなものか。

 それで街に行った後は、ギルドでダンジョンの情報を聞いて攻略するわけだ。

 

『ギルドには確かに行くけど、最初はしょぼい仕事を受ける。そこで本来は生息しないはずの強いモンスターを倒して一気に名を挙げる』

 

 ……ダンジョンは?

 

『だいぶ後だね』

 

 ダンジョンに辿りつく前に飽きてしまいそうだな。

 最初からダンジョンに飛ばされれば良いのに。

 

『そういうのもある』

 

 おっ?

 それはどうなの?

 

『ダンジョンの中に来て、そこで何年か過ごして滅茶苦茶強くなる』

 

 ふむふむ。

 その過程をじっくり描くわけだな。

 

『いや、そこは一話で終わる』

 

 えっ?

 

『二話からは、ダンジョンから出てモンスターに襲われてる馬車を助ける』

 

 それだとさっきと同じじゃないか。

 ダンジョンは?

 

『残念ながらダンジョンそのものに焦点をあてているのは少ない』

 

 どういうことなの?

 

『みんな疲れてるんだよ。現実で疲れてるのに、わざわざフィクションまでダンジョン攻略だので疲れたくないんだ』

 

 なんだか寂しい話だった。

 

 

 

 そんな話をしているうちに騎士Aが復活した。

 周囲を見渡し、後ろで座っていた私と目が合い即座に槍を構えた。

 わかっていたことだが、ドロップアイテムで出てくる槍は、どうやら現実には影響しないらしい。

 

「何だ貴様は!」

 

 やっと、起きたか。

 見た感じ体調は良さそうだな。

 毒も怪我も残ってはいなさそうだ。

 

「む」

 

 そう言って、騎士Aは自分の体を見直す。

 さらに、遠くで倒れている虫たちの操り主を見る。

 

「まさか……、貴公が我が身を救ってくれたというのか」

 

 そうなるかな。

 あと、私はメルだ。冒険者をしている。

 

「冒険、者……? メル殿。これは失礼をした」

 

 騎士Aは槍を納めた。

 

「我が名はバリガン。オード第三王女殿下の近衛を務めている」

『警戒心が足りてない。こんなところにいる浮浪者の言うことを信じるのはどうなの?』

 

 シュウは文句たらたらだが、私は気にしない。話は早い方が良い。

 で、どうする?

 

「姫様のもとに往かねば」

 

 そうか、じゃあここでお別れだ。

 私は虫たちの方に行く。そっちの方がおもしろそうだからな。

 

 あいつらはどうするんだ?

 とどめを刺すのか?

 

 虫たちを操っていた奴らを指さす。

 シュウに言わせると、ぎりぎり生きているらしい。

 

「倒れている人間に手を出すのは、騎士道にもとる」

『……ぬるい』

 

 あっそ。とりあえず何があったのか教えてもらえる?

 あとさっきのデカいのは何?

 

「それは――」

 

 なんかバリガンたちの騎士団がフェガリ教団というアジトに攻め込んだら、反撃されて逃げ出したということだ。

 

『しょっぼ……。強襲して返り討ちって』

 

 少数精鋭で挑んだら、向こうにも幹部がいてあっさり負けてしまったとのこと。

 負けた理由は正直に言ってどうでもいい。

 闘っていた手段の方に興味がある。

 

 それについて尋ねたら、逆に何を言ってるんだという顔をされた。

 あの巨人や虫たちは、クリロノミアとかいうらしい。

 

『翻訳が上手く効いてないな。「遺産」が近いと思うけど微妙に違うっぽいし。とりあえず、こっちの世界だと、知っていて当然のものみたいだね』

 

 そうだな。

 

「クリロノミアを使わず、どうやって治したのだ」

 

 私はシュウをかざす。

 

「それがクリロノミアではないか」

 

 シュウはクリロノミアだったらしい。

 

 大まかな話をしてバリガンと別れた。

 彼の方は、歩くか待つかすれば救援が来るだろうとのことだ。

 

 私はフェガリ教団のアジトへ向かうことにした。

 極秘の人物が何か怪しいことをしているとのこと。

 

『なんで極秘なのがばれたんですかねぇ』

 

 教団までの道は、虫たちが体を引きずった跡を追えばなんとかなる。

 倒れて虫の息になっている男三人にトドメを刺し、光にしてから進むべき道を歩み始める。

 

 いざ! フェガリ教団のアジトへ!

 

 

 

 着いてみれば、そこは岩山を切り開いた城塞だった。

 入口にあったであろう門は、大きく破壊されている。きっと騎士団の攻撃によるものだろう。

 ステルスを使って見張りの人物の横をすり抜けて入っていく。

 

『……なめてたけど、文明がずっと進んでるね』

 

 岩山の中は都市のようであった。

 天井は高く、奥行きも横幅も大きい。

 多くの人々が闊歩し、松明もなしで不思議な明かりが灯る。

 地面もごつごつしておらず滑らかだ。土やレンガでない。

 壁や天井も何か、木や岩ではないもので作られている。

 

 今までに見たどんな都市よりも施設が整っていた。

 仕組みがまるでわからないものが並んでいる。

 

『ちょっとうろついて話を聞いてみよう』

 

 ステルスで盗み聞きしている限り、騎士団の話はさほど出ていない。

 幹部の活躍であっさり追い払われたと言われている。

 実際そうなのであろう。

 

 私の思っていたダンジョン攻略とは違っていた。

 もっと好戦的な奴らが集まっていると思っていたが、そんなことはなかった。

 

 ところどころにクリロノミアとかいうのがいた。

 大きいものしかいないと思っていたが、普通に人と同じ大きさや小さいものもうろついている。

 子供がカブトムシや熊といったと遊んでいる様子も見られた。

 

『もしかしたら最初に見た物の方が例外だったのかもしれない。それよりもどうやってこいつらは誕生するんだろうか?』

 

 そんなことを私に聞かれても困る。

 

『エレベケフ博士って単語がさっきから聞こえるんで、その人を探してみよう』

 

 私にも聞こえてきた。

 その博士の研究のせいで、変な奴らがやってきた。迷惑だ。

 そんな風に話がされている。

 

『左の方の区画にいるらしいよ』

 

 言われた通りに行ってみる。

 人だかりからどんどんと離れていき、周囲にはすでに人がいない。

 おそらくここだろうという建物をシュウが見つけた。

 雰囲気が違うらしい。同じに見えるが……。

 

 ここの施設の扉は不思議だ。

 扉の前に立つと勝手に開き、また閉じるのだ。

 誰かが開けているのではないかと驚いたが、どうもそんな魔法が使われているらしい。

 

 入ってみると、中には人がいなかった。

 広いのに人がいないというのはなかなか不気味だ。

 魔法の研究施設が私の世界にもあったが、似た雰囲気だった。

 研究施設というものは、どこもこんな雰囲気になるのかもしれない。

 

『そこ、糸があるから跨いでいって』

 

 さっきからなんか罠が多いな。

 人の姿こそ見えないが、糸の罠がいくつも張られている。

 経験上、こういう場所は重要な人物、あるいは物があると決まってる。

 

 ようやく人を見つけたのは、一番奥の部屋にたどり着いたときだ。

 大きな扉が勝手に開き、白い服を着た背中が見えた。

 背は高く、体は細い、髪には白髪が目立つ。

 この男がエレベケフ博士だろうか。

 

「誰かね?」

 

 誰何の声は嗄れていた。

 男は振り返ることもなく、作業を続けている。

 私は返答をしなかったが、男は気に止めず黙々とロープをいじり続ける。

 

 私が気になったのは老人よりもむしろ、彼の前に立っている人形だ。

 天井からたくさんのロープがその人形を支えている。

 大きさは子供くらいだろう。

 目に光はない。

 

「ディアグラマ。ランを開始しろ」

 

 男の横でふわふわ浮いていた岩が黄色い光を生じた。

 黄色い岩から生えている紐のようなものが、人形の立つ台にぴとりと伸びた。

 しばらく経ったが何も起こらない。

 

「終了」

 

 なにが終了なのだろうか。

 

『実験だろうね』

 

 それはわかる。

 

「何がわかるのかね?」

 

 男はようやく振り返った。

 切れ長の鋭い目がこちらを捉える。

 ステルスを使っているはずなのだが……。

 

『黄色いやつの力かな。ステルス解除するね』

 

 姿を現すが男は驚かない。

 白髪交じりと嗄れた声のため、老人かと思っていたが顔はまだ若い。

 皺がほとんどなく、三十台くらいじゃないだろうか。

 

「君は、ここの人間ではないな。アラフニ君の話していた一党か。こいつを壊しに来たのなら意味のないことだ。この通り動かない」

 

 いや、私はその一党じゃない。

 なんとなく興味があったから来ただけだ。

 それで、それはクリロノミアとかいうのか?

 

「そう見えるか?」

 

 そう見えるが、違うのか?

 

「違う。これはクリロノミアであり、人でもある。私からも尋ねよう。人とクリロノミアの違いは何かね?」

 

 いや、そもそも私はクリロノミアが何かすらまだわかってないんだが。

 

「私もそうだ。クリロノミアがまず何かわからない。人は誰から教えられることもなく、それを感じることができている。それどころか霊媒を介し外界に宿し、身体とリンクする。クリロノミアとは、いったいなんなのだろうか?」

 

 うん。さっぱりわからんね。

 

「人が霊媒を通してクリロノミアを喚び出すように、クリロノミアに模したこの人形を活性化させ、霊媒を通せば人を喚び出すこともできるのではないか。そう考えたのだ」

 

 わかった。

 お前の頭はおかしい。

 

『霊媒が悪いんじゃない?』

 

 シュウの言葉をそのまま伝える。

 

「そうだ。私もそう考えた。一般に使われている霊媒以外にも、より人間に近しいもの――心臓や眼球、脳を霊媒にして行なってみた。しかし、こちらも全て失敗に終わっている」

 

 あれ……、こいつ、ほんとにヤバイ奴じゃないか?

 

『ちなみに今の実験で使ったのは何?』

 

 エレベケフの爪らしい。

 

『じゃあクリロノミア自体の動力機構が問題かな?』

 

 もう面倒なのでシュウと直接話してもらうことにした。

 何度か寝てしまったにもかかわらず、議論は絶えず続いている。

 

 

 

 何度目かの目覚めはこの声によるものだった。

 

「何者だ?!」

 

 びっくりして起きると、後ろにすらりとした女性が立っていた。

 彼女の脇には、なかなか大きな蜘蛛が鎮座している。

 四対の大きさの異なる目がこちらを見る。

 

『うっえ、気持ちわる』

 

 そういえばこいつは蜘蛛が苦手だった。

 いいぞもっとやれ。

 

「アラフニ君。彼らは私の客だ」

「博士。部外者を勝手に……彼ら?」

 

 そう言って周囲を見渡す。

 女は隣の蜘蛛を見るが、蜘蛛は小さく首を振ったように見えた。

 

「今、議論がちょうど煮詰まっていたところだ。後にしてくれないかね」

「あぁ……、もうっ」

 

 アラフニと呼ばれた女性は、眉間に皺をよせて頭をガシガシ掻いている。

 なんだかとても絵になる光景だった。苦労人なようだ。

 

「奴らがまたやって来ました。大軍です。守りきれないかも知れません。すでに非戦闘員は地下へ避難させています。博士も退避の準備を!」

「そんなことよりも、どうやらついにこれが完成しそうだよ」

 

 アラフニはむかって右の顔面を歪ませている。

 横にいた蜘蛛が博士へと足を動かした。

 

「そう怒るな。すぐに行く。それより君は迎撃の指揮があるだろう」

 

 アラフニは「約束ですよ!」と叫びながら、蜘蛛の背に乗り出て行った。

 

『じゃあ、実験をしてみようか』

「これが最後の実験になるかもしれんな」

 

 そうか。

 よくわからんけど、終わるなら良いじゃないか。

 実験が終わったらどうなるんだ。

 

「新たな研究が始まるのだよ」

 

 ダンジョン攻略みたいなものなのだろうか。

 

 で、どうすればいい?

 

『まず、パーティリングをサイバミティに取り付ける』

 

 いきなりわからん。

 なんだ、サイバミティって?

 

『この人形の個体名』

 

 あっ、そう。

 言われた通りにパーティーリングを取りだす。

 実際にリングを取り付けたのは博士だ。

 

 これは何のために?

 

『魔素を送り込んだときのスタビライザー』

 

 魔素? スタビライザー?

 一個わからんことを聞くと、また一つわからんことが増えていく。

 私はもう聞くのをやめた。

 

「次に霊媒だが……」

『メル姐さん、あの洞窟で拾ったやつ出して。生きてるやつ』

 

 ……何を言われたのかよくわからなかったが、三呼吸くらいおいてようやく思い出した。

 なんか灰みたいなのの中から拾ったんだったな。

 

『そうそれ。霊媒ってのを、勘違いしてた。単なる物じゃだめだったんだ。今使われてる霊媒は古代生物の化石か月の石の欠片なんだそうだよ。化石ならクリロノミアが生物体になって、月の石の欠片が入ってたら無機物体になるんだって』

 

 ほーん。

 博士の横でふわふわしてるクリロノミアは生物に見えない。

 こいつは月の石から出てきたのか。

 

『そうそう。それでいてクリロノミアそのものに意識がないと駄目なんだ。さっきの蜘蛛も虫や巨人もそれ単体で意識があった』

 

 はぁ、なんかあの木炭みたいなのが生きてるって話してたから使ってみようってことか?

 

「いかにも」

 

 博士がサイバミティの背中に、私から受け取ったよくわからんものを入れ込んだ。

 

「ディアグラマ。ランを――」

 

 黄色い浮遊体がまたしても紐を、サイバミティの台に当てる。

 直後に、サイバミティがビクッと動いた。

 私も驚いて下がってしまう。

 

『パーティー登録して! 速く!』

 

 私は恐る恐る腕を伸ばして、サイバミティのパーティリングに触れる。

 なんかすごいガタガタ動き始めてるんだけど……。

 あまりにも不気味だ。

 

「素晴らしい……。素晴らしいぞ!」

 

 博士も今までとは明らかに違う様子で興奮している。

 サイバミティも何か音にならない叫び声をあげている様子だ。

 建物も大きく揺れ始めている。

 

『戦闘が始まったみたいだね』

 

 落ち着いている場合だろうか。

 

「邪魔者が来てしまったようだな」

「……じゃ、ま……、テ、キィ」

 

 今まで聞いたことのない声が聞こえた。

 

『喋った!』

「話したぞ!」

 

 シュウと博士の声が被った。

 

「敵ぃはぁああ! 排除ょぉおぉ!」

 

 サイバミティは天井からつり下げられたロープを引きちぎる。

 

『あ、コードをちぎっちゃった。暴走してるね、これ』

「なに、すぐセーフティーが起動する」

 

 一歩踏み出したと思ったら、次の瞬間には四足で走り出す。

 部屋の扉にぶつかったが、紙のように扉を引き裂いてそのまま飛び出していった。

 

「……よし。私は避難する。後の観測は任せた」

『任された。それじゃあ、メル姐さん追いかけようか』

 

 先ほどまでの興奮が嘘のように、二人は落ち着きはらっていた。

 で、どこに行くって?

 

『たぶん外かな』

 

 

 慌ててサイバミティを追いかけると、ちょうど岩山から出て行くところだった。

 

 先ほどから断続的に大きな揺れを感じる。

 恐らく外で巨人や蜘蛛が暴れているのだろう。

 その予想は正解だった。外では蜘蛛やら巨人やらがやりあっていた。

 

『劣勢だね。……いや、糸が張られてるな。挽回の目があるか』

 

 それより、あの蜘蛛みたいな奴もいるんだけど大きさが違ってないか。

 さっき見たときは人と同じくらいだったのに、今はもっと大きくなってる。

 

 しかし、あちこちでドンパチしていて見てて楽しいな

 蜘蛛が糸を吹いて、巨人たちの動きを鈍らせ、他の奴らが攻撃するパターンが見られる。

 相手も負けじと火の剣で糸を焼き払っている。

 

 

 ……なんかあんまり強くないような?

 大きさは確かにあるが、動きがさほど速くない。

 重さはありそうだが、力そのものはたいしたことないのか?

 一体一体が上級のボスくらいだと意識していたが、中級ボスくらいかもしれない。

 

『そのくらいかな。クリロノミアは大きさをある程度調整できるんだそうだよ。でも、大きくなっても魔素の量は体積ほど増加しない……えっと、大きさの割に力が出なくなる』

 

 それでも乱戦には違いない。

 その暴力の嵐の中をサイバミティが突っ切る。

 大丈夫なの、あれ?

 

『武器も防具もつけてない』

 

 ……えっ。駄目じゃん、それ。

 今まさに巨人に踏みつぶされたぞ。

 

『問題ない』

 

 巨人の足が徐々に持ち上がる。

 その下ではサイバミティが巨人の足を押し返していた。

 

 おお、すごい力だ。

 

『初期起動でこれなら悪くないかな』

 

 なんかちょっとずつ速くなってきてないか。

 巨人の攻撃を今では楽々躱してそのまま足下に潜り込み、足を殴りつけ巨人を転ばしている。

 それどころか、味方の蜘蛛やテントウムシにまで攻撃を加えて見境がない。

 本当に乱戦模様となっている。

 

『敵味方の識別をまだ入力してないからね。問答無用じゃないかな』

 

 問答無用って……。

 最初の時点で襲われる可能性もあったってことか?

 

『あったけど低い。最初にメル姐さんと博士が襲われなかったのは、博士は魔素の供給元だから親だと思われてて、メル姐さんは魔素がなく敵として扱われてないからだろうね。そもそも、パーティ登録してるから、もしも博士に襲いかかって殺したとしても復活する。他のやつにしたって同じ』

 

 殺されても復活するなんてことは、もちろん誰も知らないことだ。

 あまりの暴れ具合に騎士団も距離を取り様子見をしている。

 味方もサイバミティから距離を取っていた。

 どうする、止めるか?

 

『いや、もうそろそろかな』

 

 何がだろうかとサイバミティを見たら、ちょうど転んだところだった。

 勢いそのままで受け身も取らずに倒れ、砂埃をあげつつ転げ回り動きを止めた。

 

『セーフティーが起動したね。回収しちゃって』

 

 私がサイバミティに向かうと、巨人の一体もこちらに向かってくるところだった。

 

 おや?

 あの鎧にあの槍は見た覚えがある。

 峡谷で死にそうになっていたおっさんじゃないか。

 

『うん。騎士団の中ではそこそこ強いみたいだ』

 

 ふぅん。

 巨人はその槍を構え、私とサイバミティを横薙ぎに払ってきた。

 その槍をシュウで受ける。

 

 うおっ!

 なんだこりゃ!

 

 衝撃が、恐ろしく軽い。

 吹き飛ばされるくらいの覚悟をしていたが、逆に巨人の方が反動でのけぞっている。

 

『言ったでしょ。大きくなるほど体積あたりの力が弱まるんだ。人と同じかやや大きいくらいのサイズになったほうが手強い』

 

 それはなんとなくわかるんだが、重さはあるんじゃないのか。

 

『いや、実は重さはほとんど変化してないらしい。この世界特有の魔力――魔素が同じ魔素を持つ対象に干渉して衝撃を与えてるだけ。俺とメル姐さんは魔素がないから、重み分の衝撃しか食らわない』

 

 よくわからんから、もっと簡潔に言って。

 

『相手が大きくなればなるほど、動きが鈍ってくるから闘いやすい』

 

 はぁ、そうなんだ。

 それでこの事態をどう解決すればいいんだ。

 

『巨人の方は足を横に蹴ってやれば、撤退するだろうね』

 

 どれくらいで蹴れば良い?

 

『俺がゆるふわな下ネタを言ったくらいかな』

 

 ……わかった。

 だいたいこれくらいだろという力を込め、巨人の足を蹴る。

 

 足に手応えはなかったが、効果は絶大だった。

 まず巨人の足が宙に浮き、地面と水平になった。へその辺りを中心に回転した形になる。

 その後、巨人の頭部が下へと向かい、そのまま地面に頭を打ち付けた。

 

 地面に対する衝撃はすさまじい。

 頭部が半分地面に埋まった、頭で倒立する形で一瞬だけ止まり、ゆっくりと足から倒れる。

 倒れるとそのまま光になって消え去った。

 ドロップアイテムは残っていない。

 

『死んでないね。気を失っただけかな』

 

 遠くで一人の騎士が倒れるのが見えた。

 そこからの騎士団の動きは迅速の一語に尽きる。

 倒れた騎士を回収し、「覚えていろ!」などと言い残して、すごい勢いで走り去っていった。

 

『メル姐さんが覚えてるわけないじゃないか。やれやれ緊張感に欠ける連中だ』

 

 こうして迎撃戦は幕を閉じた。

 

 

 

 そうこうあって研究室に戻ってきた。

 

「精神系が不安定か」

『初期起動だったから、霊媒に残った意識が多分に干渉したと推測されるね』

「同感だ。現時点で魔素の循環に乱れはない。初期化は完了し、次の覚醒では安定するだろう」

 

 回収され再び縄に繋がれたサイバミティを前にして、二人の変人がさっそく話を始めた。

 何でも博士のクリロノミアが魔素とやらを流したり、探知したりすることができるらしい。

 最初にこの部屋に入ったときに、私の魔素が感知されないからステルスをしていても気づいたようだ。

 感知されないなら気づかないんじゃないかと言ったが、

『水で満杯になってるバケツに、水がない部分が見えてたら、そこに透明な何かがあるんだと思わない?』

 ――とシュウに説明されて、なんとなく言わんとしていることはわかった。

 

「機能として口は付けたが、いきなり喋ることができたのは幸先が良い」

 

 クリロノミアは話さないのか?

 

「基本的に話さない」

『基本的ね。例外は?』

「私が知っている中では、これを除いて四体。空中都市アエラキのククヴァヤ。海底都市ラスピのファレナ。皇都アナトリのメントル。そして、グリフォス』

 

 後の二つはどうでもいいけど、最初の二つが気になる。特に一つめ。

 なんだ空中都市って。山の上にあるってことか?

 

「いや、空に島が浮かんでいる。天空の都と呼ぶものもいる」

 

 空に、島が浮く……?

 いまいちピンとこないんだが。

 

「君たちのいた世界にはなかったのかね?」

 

 ない。

 

『三千年くらい先の話だろうね。今ならもっと早いかもしれないけど……』

 

 そこ、行ってみたい。

 飛んでる島とか考えるだけでおもしろそうだ。

 

『すごい既視感が……。あのときは紐なしバンジーしたからなぁ』

 

 さっきからぶつぶつうるさいぞ。

 

「アエラキに行きたいなら、アラフニ君に言いたまえ。あそこにも教団の支部がある」

 

 そうそう。今さらなんだが、ここは何の教団なんだ?

 私の世界にも教団はあったが、もっと頭のおかしい奴らがうようよしていたぞ。

 ここには見た感じ、そういうおかしい奴が一人しかいない。

 

『ここ、クリロノミアが普通に人と一緒に暮らしてたでしょ』

 

 ん?

 ああ、そうだったな。

 

「彼らと普通に暮らすことは、世間一般常識で異常とされている」

 

 なんで?

 

「様々な論理はある。しかし、私はどれも理解していない。理解できていないことを説明することはできない。それは、ここに私がいる理由でもある」

『まぁ、人間よりも遙かに力が強いし危険だから、外に出さないよう世論が動いてきたってことだろうね』

 

 ふぅん、そんなものか。

 それよりアラフニのところに行こう。

 

『いや』

「その必要なない」

 

 なぜだ?

 

「失礼。博士、先ほどのクリロノミアについてお話があります」

 

 扉が開ききるのも待たずに、女性は声を発した。

 その横には蜘蛛がのそのそ付き添っている。

 

 素晴らしい。

 本人のほうからやって来てくれた。

 

 私と博士の視線を受け、アラフニの顔は露骨に歪んだ。

 

 

 

 空中都市アエラキは上空の風の流れに乗り、あちらこちらを回遊しているらしい。

 現在はかなり近いところにあるようで、アラフニが連絡を取って向こうから迎えが来てくれることになった。

 

『早く出て行って欲しいという思いが、ひしひしと伝わってくる』

 

 私としてはもうここに用はないからそれで構わない。

 早く来ないかな。

 

「サイバミティも連れて行ってくれ。可能であればククヴァヤと接触させて欲しい。データを取りたい」

 

 そいつを?

 また暴れたりしないのか。

 

「精神は安定している。今も目覚めているが、静かにしているだろう」

 

 えっ、今も起きてるのか?

 

「起きている。サイバミティ、話ができるかね」

 

 サイバミティは顔をゆっくり上げる。

 

 おお、ほんとだ。

 さっきみたいに暴れない。

 これなら――。

 

「敵は、どこだ?」

 

 やっぱ、駄目かもしれない。

 それでもまあいい。首を絞めたり、強めに叩けば大人しくなる。

 

 さあ、空に浮かんでいる島とやらに行こうとしよう。

 きっと心に深く残る日となるだろう。

 

 ――空へ舞い上がるほどに。

 

 

2.島が落ちた日

 

 私は今、空にいる。

 

 でかい燕の爪に両肩を掴まれて移動中だ。

 こういったものは背中に乗って飛ぶものだと思っていたが、そんなことはなかった。

 空を飛んでいると言うよりも、餌として巣に運搬されてているという方が正確なのかもしれない。

 

 脇にサイバミティを抱えている。

 博士とアラフニの押しつけにより、仕方なく持っていくことにした。

 

「敵はどこだ?」

 

 また言っている。

 このデカ燕が地上に来たときも襲いかかり、シュウで殴って止めた。

 

「見えてきましたよ」

 

 上から燕の操縦者が伝える。

 

 おぉ、本当に島が空に浮いてる。

 湖に浮かぶ島と違うのは、島の下部分から何かいろいろ出ているくらいだ。

 

 しかし、何だろう。

 初めてのはずなのに、これと似たようなものを見たことがあるような気がする。

 夢の中で見たのだろうか、前にも同じようなことがあったような。

 こういうのは何というのだったか……。

 

『既視感、デジャヴュかな』

 

 そうそう、それそれ。

 

『ちなみに夢で見た空に浮かぶ島は、どうなったか覚えてる?』

 

 さあ、知らんな。

 もしかしたらダンジョンだと思って乗り込んでみたかもしれない。

 

『その島は地上に落ちた。メル姐さんが落とした』

 

 えっ、私が? いつ? 何で?

 そもそもなぜお前が私の夢を知ってる?

 

『夢じゃなかったからだよ。あぁ、嫌な予感しかしない……』

 

 シュウはそれ以上何も言わなかった。

 

 

 

 三日後のことである。

 

「いたぞ!」

「止めるんだ!」

 

 前から数人の兵士と、複数のクリロノミアがこちらに向かってきている。

 

『どうしてこうなった……? どうしてこうなった? どうしてこうなった! どうしてっててぇー!』

 

 先ほどからシュウがずっと叫んでいる。

 なんだか楽しそうだ。

 

 空中都市アエラキにたどり着いて初日は、初めて尽くしで楽しかった。

 二日目は、街をいろいろ見て回り、浮いてるだけでただの街でしかないと気づいた。

 そして今日、喋るクリロノミアに会おうと思い、探し、島の地下にある管理区画にいると知った。

 しかし、厳重に立ち入りが禁止されており、守衛に止められて会えなかった。

 

 ――だから、そいつがいるところまで力尽くで攻め入ることにした。

 まず、管理区画の入口にいた守衛とそのクリロノミアを倒し、分厚い扉も斬り開いて中に入った。

 

『そこがおかしい。サイコパスですわ』

 

 いや、でも、お前できるって言ったじゃん。

 

『まさか、すぐに実行するとは思わなかった』

 

 斬っても死なないから、問題ないと思ったんだ。

 

『そういうとこだぞ』

 

 まあ落ち着け。

 サイバミティも楽しそうだからいいじゃないか。

 

「敵は排除。敵は排除」

 

 先ほどから私の代わりに、襲いかかってくるクリロノミアを倒してくれている。

 こいつが倒しても、相手は死なないから今のところ問題はない。

 

『問題しかないでしょ……』

 

 やってしまったことはしょうがない。

 これからどうするかを考えよう。

 

「ええい! 下がれ、未熟者ども! 私が相手をする!」

 

 怒声が通路に響く。

 なんだか最近、聞いた声だったような。

 

 奥から現れたのは、全身に鎧をまとった兵士と人間だった。

 そのひげ面の濃い顔は見覚えがある。

 名前は……、騎士Aだったな。

 

『バリガンね』

 

 そうだった。

 

 奴は私とサイバミティを認めると目を見開いた。

 口をパクパクさせている。

 

「メル殿、なぜ?」

 

 しかし、すぐに察した口元を引き締め槍を構えた。

 

『今さらなんだけど、あれは矛だね』

「我が分身――マルテよ。オード様への忠心、今ぞ見せるときである!」

 

 私が一歩踏み出そうとしたところで、サイバミティが先走った。

 仕掛ける先はバリガンのクリロノミアである。

 

 ちなみにサイバミティが持っているのは、彼から手に入れた矛である。

 同じ矛同士が火花を散らして、通路で打ち合われる。

 この前のような巨大化はしていない。

 

『力はサイバミティが上だけど、技術はマルテの方が上。すぐにマルテが勝つだろうね。メル姐さんは――』

 

 わかってる。

 サイバミティは人間を襲わない。

 ここの兵士達もクリロノミアを操るが、私ではなくサイバミティを狙ってくる。

 そして、バリガンもサイバミティを襲うだけで私を狙ってこない。

 

 どうもこの世界では人間は重要視されていないようだ。

 人間が倒れてもクリロノミアはある程度動けるらしいのでそのためだろうか。

 

 サイバミティが負けそうになっている横をステルスで通過して、バリガンのところへ歩み寄る。

 誰も彼もサイバミティとマルテの戦いに目が行き、私がちょっと消えてしまったことに気づいていないようだ。

 そして、私はバリガンの後ろに回りこみ、その背中をシュウで刺す。

 

 感染により周囲にいた兵士やクリロノミアもばたばたと倒れていく。

 マルテもこちらに気をとられる。サイバミティがその隙を逃さず、矛を彼の心臓部に突き刺す。

 周囲の全員が光に消えたところで、私たちは先を進むことにした。

 

「敵、排除完了」

 

 サイバミティが、私に報告してくる。

 ところで、お前は人間を襲わないな。なぜだ?

 

「人間は敵ではない」

 

 クリロノミアは敵なのか?

 

「敵だ」

 

 なぜ敵なんだ?

 襲いかかってこない奴もいるだろう。

 お前と遊びたがってた奴だっていたはずだ。

 

「敵だ。そう教わった」

『誰に?』

「誰に……? 誰……? 教わった。あいつは言った。あいつらは敵だ。敵なんだ」

『あいつって?』

「あいつはあいつだ。あいつは言った! 敵……」

 

 急に静かになった。

 大丈夫か?

 

『セーフティーが働いちゃった』

 

 つまるところ敵らしいが、誰に教わったんだろうか。

 

『まだ人間を呼び出すには至ってないから、あの生きてた霊媒の記憶に違いない』

 

 そうか。

 まあ、そのうちわかるだろう。

 

 

 どの辺りを彷徨っているのかわからないが、重要な場所というのは人や設備が増えてくる傾向にある。

 その方面に進んで行けば、だいたい間違いないはずだ。

 

 ……今さらなんだけど、喋るクリロノミアがどうしてこんなに厚く保護されてるんだ?

 この島のトップは、昨日見たなんとかっていう代理総統だろ。

 そのおっさんがここの中にいる訳じゃないはずだ。

 一番見晴らしが良い施設にいるって聞いた。

 

『空中都市で一番重要な人物はだ~れだ?』

 

 だから、代理総統でしょ?

 

『ぶっぶー。代理総統はすげかえできるから別にどこにいたって良いし、そもそもどうでもいい』

 

 じゃあ、誰なの?

 

『空中都市を空中都市あらしめる人物。つまり、空中に浮かせる力を持った奴、あるいは物だ』

 

 なるほど。確かにそうだ。

 じゃあ、そいつがここの奥で守られてるんだな。

 

『それも違う』

 

 何が違うんだ。

 

『ここの防御壁は外側よりもむしろ、内側に対して作られてる。さっきから簡単に突破できてるのはそのせい』

 

 それはつまりどういうことなんだ?

 

『保護じゃない。監禁が正しい。行けばわかると思うね』

 

 そうだな。

 見てみればわかるか。

 

 

 

 その扉は今までの扉よりも遙かに強固で分厚かった。

 試してみたが、シュウでも開けられそうにない。

 こうなったら――、

 

『ゲロゴンブレスは使わないよ。危険だから』

 

 先手を打たれてしまった。

 

『代理総統の認証が必要。もしくはそれ以上のね』

 

 今から上に行って連れてくるか。

 いや、でもめんどくさいなぁ。

 

『後ろの彼女でいけると思うよ』

 

 えっ?

 

 振り返ると女性が息を切らして立っていた。

 着ている服や装飾品が豪華そうだから偉い人物だとはわかる。

 

 ……誰?

 

「あなたは何者ですか?」

 

 メルだけど、そっちは?

 

「なぜこんなことをするんですか?」

 

 喋るクリロノミアに会いたかったからだ。

 いや、違うな。会わせてくれと頼まれたからだな。

 

 で、そっちは?

 

「……そんなことのために、多くの命を犠牲にしたのですか!」

 

 駄目だ。

 誰なのか教えてくれない。

 

『オード第三王女でしょ。平野で追われてたのを見たし、近衛のバリガンがいたんだから。ついでに虎を出してた奴も途中で倒したよ』

 

 ……まったく気づかなかった。

 あのときの姫様だったのか。

 

 多くの命を犠牲にってのは間違いだ。そのうち生き返る。

 私は人やクリロノミアを殺せない。直接はな。

 矛の騎士からそれらしい話は聞いてないか?

 

「あぁ、なんだ……、彼らは生き返るんですか。それなら話を早く済ませましょう」

 

 今までの勢いが嘘のように引いた。

 つまらなさそうな表情を見せたあと、にこやかな顔を見せる。

 

「私がここを開けます。その代わり、私に危害を加えないでください」

 

 言っていることがすぐには理解できなかった。

 なんなんだ、この気持ち悪い女は?

 

『類友』

 

 シュウがぼそっと呟いた。

 ちゃんと聞こえてるからな。

 

『開けてもらえばいいんじゃない。何が目的なのかは知らないけどね』

 

 わかった。

 手も足も出さない。

 口は出すかもしれないが。

 とりあえず、ここを開けてくれ。

 

 姫様は楽しげな様子で、扉の脇の設備に手と顔をかざした。

 何度か変な音がした後に扉がゆっくりと開き始めた。

 

 私と姫様が隙間から奥に入る。

 ちなみにサイバミティは、先ほどから意識がないので脇に抱えている。

 そもそもこいつを喋るクリロノミアと喋らせに来たのに、寝ているようでは意味がない。

 

 部屋の奥には、卵形の箱が置かれていた。

 箱にはいくつものロープ――シュウが言うところのコードが繋がれている。

 その中にはやせ細った少年が目を閉じている。眠っているのだろうか。

 

「ホー。客人とは珍しい」

 

 ぼんやりとした声が右から聞こえてきた。

 そちらを見てみると、大きめの鳥かごに梟が一匹入っている。

 横向きの棒に乗り、羽をパッと広げてまた閉じた。

 

 あれ?

 誰もいないぞ。

 さっきの声は何だったんだ?

 

『流れ読めなさすぎ』

「メル、貴方は何をしにここに来たのですか?」

 

 ……あっ、ああ、もしかしてこいつが喋るクリロノミアか。

 よく見ると、鳥かごにも様々なロープが繋げられている。

 

「おもしろいお嬢さんだホー」

 

 声とともに梟の嘴が動く。

 どうやら本当にこの梟が喋っているらしい。

 

『ホーを付ければ良いという、安易なキャラ付けが気に入らない』

 

 別にそこはどうでもいいだろ。

 

「ククヴァヤ様。お初にお目にかかります。私、イリョス王国第三王女――エクリプスィ・メラ・オードでございます。クリロノミア最古の四体のうち、一体であるククヴァヤ様に伺いたいことがあり参りました」

「なんだホー?」

「日食についてでございます」

 

 しばらくオードとククヴァヤは見つめ合っていた。

 

「何かお知りのようですね」

「ホー、ホッホー! 知っているホー!」

 

 ククヴァヤはとてもおもしろそうな様子だった。

 

「どうかお教えください」

「あとどれくらいだホー?」

「一年以内だと考えています」

「ホー! ホッホー! ホホー!」

 

 なんかホーホーうるさくなってきた。

 今さらになってシュウが気に入らない理由がわかった気がする。

 

「ククヴァヤ様。どうか知っている事を――」

「知りたければ、僕をここから出すんだホー」

「出せばククヴァヤ様は私を殺すのでしょう」

「ホーホッホー。もちろん。イリョスの王族は皆殺しにするホー」

 

 なんだか剣呑な雰囲気だ。

 

『そりゃ、こんなところに閉じ込められて、力を搾り取られてりゃ怒るでしょうよ』

 

 そうか。

 じゃあ、あそこで寝ている奴もずっとここに寝ているのか。

 

「そうだホー。死ぬまでずっと搾り取られて、死ねば別の人間に換えるんだホー」

 

 ずいぶんとひどい話だ。

 

「君たち人間は僕たちを道具としか思ってないホー。それどころか同じ人間ですら道具扱いだホー」

「違う」

 

 おや、脇の方から声がした。

 どうやらサイバミティが目覚めたらしい。

 

「貴様達は道具ではない。敵だ!」

 

 脇から抜け出そうとしたところで首根っこを捕まえる。

 

「離せ! 敵は排除しなければいけない!」

「ホー……。君、もしかしてシクティ?」

「俺はサイバミティだ。シクティなどではない! 敵は排除だ!」

 

 さらに暴れようとするので首を絞めて落とす。

 

「ホー。やっぱりシクティだホー」

 

 知り合いか?

 私はこいつをお前に会わせに来たんだ。

 

「大昔の知り合いだホー。元からおかしな奴だったけど、頭のおかしい人間とつるんで、ますますイカれた奴になってしまったホー」

 

 ちょっとだけ嬉しそうな声に聞こえた。

 

「ホー、あと一年。一年でここでの生活も終わりだホー。アネモスに空が見せられないのが残念だホー……」

 

 アネモスって何?

 

「僕の宿主。そこで寝ている子だホー。今はもう目を覚まさないけど、ちょっと前までよく話をしてたんだホー」

 

 ふぅん、本人が見たがってたの?

 

「そうだホー」

 

 お前も見せたいと思っている?

 

「ホゥ」

 

 それは肯定と受け取るぞ。

 こんなつまらんところにいてもしょうがないだろう。

 出るのを手伝ってやろう。

 問題は?

 

「ホー?」

「数多くあります」

 

 お前には聞いてない。

 

『まず、こいつらが出て行ったら都市が落ちる。それと宿主が持たないかもしれない。ついでに姫様を含む王族とやらが殺される』

 

 最後のはどうでもいいな。

 解決策は?

 

『そこで寝ているガキにパーティーリングを付けて登録。それで後の二つの問題は解決する』

 

 ふむ。

 

『装置を壊した後は急いだ方がいいから、先にリングを出しておくべきかな』

 

 なるほど。

 

 袋の中からパーティーリングを取り出す。

 そして、少年の寝ている容器をシュウの指示のもと斬っていく。

 

「何をしているのです! お止めなさい!」

 

 オードが激昂しているが無視する。

 

『いや、演技くさい。怒っている振りをしてるだけに見える』

 

 ふぅん、なんでそんなことを?

 いや、どうでもいいや。

 

 パーティーの登録は無事に終わった。

 

「メル、貴方は自分が何をしているのかわかってるのですか?!」

 

 それはよく尋ねられる。

 もちろんわかっているとも。

 

「私は私のしたいことをしている」

 

 堂々と悪びれることもなく告げる。

 姫様から表情が消えてしまった。呆れているのだろう。

 

『おい、梟。聞こえるな』

「ホ、ホー。聞こえてるホー。誰ホー? どこから話してるホー?」

『今から搾取装置を斬る。その後は、島をゆっくり下ろせ』

「しょ、正気きホー?」

 

 私はいつでも正気だ。

 で、どれを斬ればいいんだ?

 

『一番上の太い線』

 

 サクッと斬る。

 斬って数秒すると、地面が揺れた。

 

「このままでは天空の都が地上に落ちてしまいますよ」

 

 姫様が言葉を取り戻したらしい。

 

 私も最初に天空だの空中だのと聞いて憧れた。

 でも、ここはただ浮いてるだけで、それ以外に特徴がない。

 なによりダンジョンがない。

 

「だんじょん? それが何かわかりません。しかし、空で生きる人々の暮らしと比べられるほど大切のものなのですか?」

 

 無論、大切だ。

 空での暮らしはなくなってもいいが、ダンジョンがなくなったら生きていけない。

 そもそも別に空で暮らせなくなっても、地上で生きればいいだろ。

 違うのか? 違うなら私にもわかる言葉で教えてくれ。

 

『珍しく正論言ってる……。まぁ、そのとおりだね。地震対策でもないし、汚染大気から逃れたわけでもない。ましてや太陽光や風力で発電をしているわけでもない。エネルギーの無駄遣いだよ。見栄なのか威厳なのかは知らないけどね』

 

 威厳ね……。やたら地上の人間を馬鹿にしていた言動があったな。一度、自分たちもそうなってみれば良いだろう。

 少なくとも私には、そんなつまらん威厳とやらに誰かの生き方を奪う価値があるとは思えん。

 

「ホー。浮遊石に力を込めないと地面に激突するホー」

 

 それは困る。

 落ちるのいいが、静かに下ろせないのか?

 

『そいつをそこから出さないといけない。容器の上をズバッと斬っちゃって』

 

 言われたとおりに斬ると、梟が飛んで出てきた。

 私を見向きもせずに、後ろへと飛んでいく。

 

 振り返ると、透明な板越しに石が置かれていた。

 入口から見て左の壁だ。今まで正面と右しか見てないので気づかなかった。

 梟が透明な板を割り、石の上にそっと体を乗せた。

 見た目に変化はないが、揺れが徐々に収まる。

 

「……おもしろい」

 

 オード姫は、楽しげな様子で私を見てきている。

 考えがまったく読めない。本当に気持ちの悪い奴だ。

 

「姫! オード姫は何処に!」

 

 大きな声と多数の足音が近づいてきた。

 どうやら倒した奴らが復活してしまったようだ。

 

「バリガン! 私はここにいます! 早く!」

「姫! ご無事で!」

 

 ついに来てしまったか。

 

「あの者に力尽くでここを開けさせられました!」

 

 オードが私を指さしてくる。

 

「なんということを! 姫は悪くありません! 何はともあれ、ご無事でなによりです。ここは危険ですので、どうかお下がりください」

 

 騎士たちにやんややんやと言われながら姿が遠ざかっていく。

 顔を手で覆ってはいたが、隙間から見えたのは口角が異常につり上がった笑い顔だった。

 何がそんなにおもしろのだろうか

 

『やれやれ、何だか本当に気の抜ける連中だな』

 

 クリロノミアどもがじわりじわりと距離を詰めてくる。

 

 奴らと私の間に、梟が割り込んで来た。

 その足には、先ほど乗っていた石が掴まれている。

 

「ホー。十分な力を込めたホー。さっそく出て行くとするホー」

 

 よし。

 じゃあ私が道を作るから――、

 

「不要だホー」

 

 何か形容できない音が聞こえた。

 無理矢理、文字にするならミシャとかグシャだろうか。

 

『上だね』

 

 見上げると天井がめくれていた。

 さらにその上の区画もに穴が空き、遙か上には青空が見えている。

 

 なんだこれ?

 

『梟の力でしょう。うーん、なんだろう。圧力にしては変な千切れ方だな』

 

 おろ? おおっ……おお!

 

 私の体が浮き始める。

 周囲の騎士達も驚いて、その場で見つめるのみだ。

 後ろを見ると、寝たきりの少年もふわりと浮かんでいた。

 

「イリョスの姫! 知りたいことはファレナに聞くんだホー! 彼女は人間びいきしてるから教えてくれるホー!」

 

 梟が天井の穴から出て行き、少年と私もその穴から外に出される。

 抵抗することもできず、梟の力に身を任せる。

 

 都市に出て、空からその様子を窺う。

 誰も彼もが私たちを見上げていた。

 

 隣で飛んでいた少年の目がうっすら開いていた。

 口がわずかに動いたように見えたが、何か言っただろうか。

 

『「青いね」かな』

「そうだろう、青いだろ。見てるホー? ヴロヒ、ウラノス、ケラヴノス、スィエラ、ニックス……」

 

 何だそれ?

 

『梟の過去の宿主たちでしょう。横からでも余裕で出られるのに、わざわざ上に穴を空けたのはそういうなんじゃないかな?』

 

 どういうこと?

 

「彼らに空を見せてやると言ったのに、叶えられなかったんだホー。空の青さを伝えるには、人の命は短すぎるホー」

 

 そうか……。たしかにあの部屋からでも空が見えていた。

 

「感謝するホー。さすがはシクティとつるむ人間だホー」

 

 褒めてるのか貶してるのか判断がつかない。

 

『とりあえず、フェガリ教団の研究所に行こうか。博士に報告もしないといけないし、その少年もしばらく安静にさせないといけない』

 

 シュウが目的地を伝え、梟がその方向へ飛ぶ。

 私も青空を見ながら、飛ばされていく。上はどこまでも青空だ。

 雲に気持ちあるとすれば、風に流され、ずっとこの青空を見続けなければならない。

 それは、さぞ退屈な旅だろう。そんな取り留めもないことを思った。

 

 

 

 研究所に到着した私たちはアラフニに迷惑がられた。

 それでも研究所の一室をきちんと掃除し、宿主の体調に気を配っていたあたり良い奴なのだろう。

 

 サイバミティはまたしてもロープに繋がれている。

 

「ふむ。サイバミティにクリロノミアが敵だと教えた人物がいたのか」

『そう。この梟がその人間を知ってるらしい』

「間違いなくあの人間だホー。そこの人間並みにぶっ飛んだ奴だったホー」

 

 博士に、剣に、梟か。

 変なメンバーが揃ってきてしまったなぁ。

 ひょっとしてアラフニは、私もこの一党だと考えているんじゃないか。

 さっき出迎えられたときも、また増えてるって感じの目でこちらを見てきてたし。

 

「ククヴァヤ。その話はどれくらい前で、何という人間だったのかね」

「人間の名前は覚えてないホー。少なくとも一千万年は前の話だホー」

 

 …………えっ、そんな昔の話なの?

 百年とかそれくらいかと思ってたんだけど。

 

「私も驚いた。そんなにも昔のことなのか。それならばちょうど良い。私はクリロノミアについて聞きたかったのだ。君たちはいったいどこから来たのかね」

「変な質問だホー。自分たちの教団の名前にもなってるのにホー」

「やはり……。やはり、そうなのか」

「ホー。月からやって来たんだホー」

 

 ……月って、あの空に浮かんでる月?

 

「クリロノミアが月の石を霊媒として出てきているから、もしかしたらとは考えていた。それでは化石から生じる生物も、元は月からやってきたということかね」

「当然だホー。人間が出てきたのはここ数百万年ほど前の話だホー」

『時系列がおかしくない? サイバミティ――当時のシクティと頭のおかしい人間がつるんでたのが一千万年前。人間が誕生したのが数百万年前。そのメル姐さん並みに頭のおかしい人間はどこから出てきたの?』

 

 そう言われれば確かにそうだ。

 人間の誕生よりも先に人間が出てきている。

 あと私を比較対象に出すのはやめてくれ。

 

「そいつは扉からやって来たホー」

「扉? それは君たちがやってきたものと同じかね?」

 

 博士が私とシュウを見てくる。

 

『そうかもしれない。一回戻って史竜に聞いてみようかな』

「史竜? それなら違う扉ホー。あの人間が倒した扉にいたのは虹竜だったホー。今は海の底だホー。ファレナが知ってるかもしれないホー」

 

 ファレナって誰だっけ?

 なんか姫様に言ってたよな。

 

『海底都市ラスピにいる喋るクリロノミアだったはず』

 

 ……ふむ。

 行くだけ行ってみるとするか。

 

「やめた方がいいホー」

 

 なんで?

 姫様との別れ際に、人間びいきしてるとか言ってただろ。

 あれは嘘なのか?

 

「ほんとだホー。彼女は人間好きで、人間が大好きなんだホー」

 

 言っている意味がよくわからなかった。

 人間が好きなら話が通じるんじゃないだろうか。

 

「過保護なんだホー……」

 

 なんだか歯切れが悪い。

 

 とりあえず次の目的地は海底都市ラスピにした。

 海底に都市があるなんて不思議なものだ。

 今度こそ穏やかな旅になるだろう。

 

 

3.流れるは水、失うは都

 

 教団の支部は海底都市ないらしい

 近くの港町までは、梟に送ってもらえた。

 ここからどうやって行くかは知らないが海底都市に向かう。

 

「敵はどこだ?」

 

 今回もサイバミティがいっしょである。

 研究所で梟がいろいろと話していたが効果はなかった。

 アラフニが、今回はくれぐれも、絶対に、暴れてくれるなと言ってきた。

 一度や二度じゃない。五回は言われただろう。

 気を付けないといけない。

 

『この時点でもう駄目な気がする』

 

 この大陸はイリョス王国とかいうのが一国で統治しているが、海底都市は管轄外のようだ。

 ファレナというのに裁量が与えられている、という体裁になっている。

 はっきり言うと、国も手が付けられないらしい。

 

 波止場のある街に入ると、見覚えのある一団が騒いでいた。

 

「ええい! 離せ! 姫様を迎えに行かねばならん!」

 

 ひげ面の騎士が他の騎士に羽交い締めされている。

 

「お待ちください! バリガン殿まで行かれては、団を統率するものがいなくなります!」

「姫様あっての団であろう! 姫様が発たれて、もう二日が経っているのだぞ!」

「『何があろうと、ここで待て』との姫様からの厳命! お忘れになったわけではありますまい!」

 

 バリガンはぐぬぬぅと唇を噛み締める。

 なんかおもしろそうなことになってるようだ。

 しかし、姫様は一人で行ってしまったようだな。

 

『よほどそいつらに聞かれたくない話をしたかったと見える』

 

 何の話だろうか。

 

『姫様が「日食」って言ってた話でしょう』

 

 日食って何なの?

 

『月が太陽と地球……じゃないな、この世界の間に来て、日光を遮り、恒星が見えなくなること』

 

 いや、それくらいはさすがに知ってるよ。

 私のいた世界にだってあった。

 別の意味があるんでしょ?

 

『史竜のあと三十日で滅ぶって話だと思うよ』

 

 おお、そういやそんな話もあったな。

 月がでかいことにもすっかり慣れてしまって忘れていた。

 あと何日だっけ?

 

『今日入れて十八日だね』

 

 あら。

 もう二十日を切っていたのか。

 それで、なんで滅びるのかわかった?

 

『月が落ちるんだと思ってたんだけど、ずっとあの距離だから今さらだよね。梟は来るべき日とか言ってた。やっぱり、次の日食で月が落ちてくるのかもしれない。そのあたりは俺も姫様に知ってることを聞いてみたいと思ってる』

 

 じゃあ、やっぱり行くしかないな。

 

「バリガン殿!」

 

 一人の騎士が髭の騎士を呼びつつ、その指を私に向けている。

 

「き、貴様は!」

 

 騎士達が顔を歪めつつ私を見て来る。

 クリロノミアをまだ出していないため、隣に立つサイバミティは興味なさげに立っている。

 

 クリロノミアを出そうとする騎士らを、手を広げてみせることで止める。

 戦いになっても勝敗は決まっているし、サイバミティが暴走するからやめてほしい。

 

 私は海底都市に行く。

 おそらく姫様にも会うだろう。

 連れて帰ることができるかもしれない。

 私たちの力は、なによりもお前達がよく知っているはずだ。

 

 さて、そうは言ってみたものの、なんとなく先が読める。

 矛の巨人を出して襲いかかってくるんだろうな。

 

『まあ、そうでしょうな』

 

 騎士A以外の騎士達は私を睨み付けている。

 肝心の騎士Aは目を閉じていた。

 

「バリガン殿! なめられたままではいられますまい! 騎士団の力を見せてやりましょう!」

「アエラキでの屈辱。今、果たさず、いつ果たすおつもりか!」

「国敵でございます! 正義は我らにあり!」

 

 声とともに騎士達の視線が私から騎士Aに向かい始める。

 戦闘開始の合図を待っているようであった。

 

 騎士Aの目がカッと開かれた。

 そのまま荘厳な姿勢を保ちつつ私に歩み寄る。

 あと数歩というところで止まり、私から視線を逸らさない。

 

「姫様を頼む」

 

 頭を下げることもなく、手を差し出しもしない。

 ただ私をじっと見つめてそれだけ告げた。

 

『……こいつ、なかなかどうして――』

 

 シュウの言いたいことが私にもわかる。

 こいつを馬鹿にしていた自分が恥ずかしくなった。

 

 私に対する怒り。

 騎士団をまとめあげる者としての誇り。

 空中都市を落とした犯罪者に対する己の責任感。

 それらをクリロノミアに写し、力としてぶつけることはどれだけ楽で魅力的な選択だっただろう。

 

 しかし、奴はそうしなかった。

 好き勝手、自分勝手に生きる私とは真逆の道を進んでいる。

 

 ただ一人の他者のため、自分の欲求を滅した。

 方向性はまったく理解できないから鼻で笑えるが、その道を進む姿を笑うことはできない。

 それは鏡に映る自分を笑うようなものだ。

 

『あの姫様にはもったいない忠臣だね』

 

 騎士A。名は、バリガンだったか。

 騎士バリガン。その依頼、冒険者メルがたしかに引き受けた。

 

 

 

 自信満々に依頼を受けたのは良いが、どうやって海底都市に行くのだろうか。

 バリガンと向かったのは波止場から遠く離れた浅瀬だった。

 周囲は恐ろしいほど静かで、誰も人がいない。

 そんな浅瀬に看板が刺さっている。

 

“この先 海底都市ラスピ

 今すぐ引き返しなさい”

 

 超上級ダンジョンの入口に似たような看板があったことを思い出す。

 何なの? そんなにやばいところなの?

 

 さらに進み、膝上くらいまで水が来た。

 そこにまたしても看板が立っている。

 

“命は親から頂いた大切なもの――”

 

 家族を思い返し、立ち止まって考えてみましょう……などと書いてある。

 

『樹海じゃないか。引き返そう。そもそも道がない。これじゃ、入水自殺だよ』

 

 そうするか。

 船とかクリロノミアで行くのならまだしも、これはおかしい。

 

「敵だ! 排除する!」

 

 横にいたサイバミティがいきなり叫んだ。

 水しぶきをあげながら、沖へと走って行く。

 

「排じ――」

 

 そこそこ進んだところで、サイバミティは水の中に呑み込まれるようにして消えた。

 しばらく待ってみるが浮き上がってこない。

 

 深いところに落ちたのだろうか。

 けっこう重いからな。浮かんでこられないのかもしれない

 やれやれ世話のやける奴だ。

 

『いやぁ……、そんな消え方じゃなかったよ。クリロノミアがいるらしいから気を付けてね』

 

 そういえばサイバミティが叫んでいたな。

 そいつにやられたのかもしれない。

 

 サイバミティが沈んだ付近まで来てみたが何もない。

 砂浜が足下に広がっているのが見える。

 どこに行ったんだろう?

 

 砂に埋もれてるんじゃないかと、シュウで足下を突き刺してみた。

 ……へ?

 

 弾けるように地面が消えた。

 周囲の海水や砂が呑み込まれるように、突如できた穴に落ちていく。

 もちろん穴の中心にいた私も、奥へと吸い込まれていった。

 

 真っ暗闇を落ちていき、あるとき何か柔らかいものに当たって勢いが止められた。

 チートを使っているから暗くても見えるはずなのだが、特に何も見えてこない。

 

『泡の中だね。俺を無造作に振り回しちゃ駄目だよ』

 

 泡の中と言われれば、確かに足下はぷよぷよしている。

 壁も透明でそこから先は海水になっているようだ。

 

 ここが海底都市ラスピ?

 暗くて狭くて何もないぞ。

 

「人間さん、人間さん。お名前はなんていうの?」

 

 穏やかで優しげな声が響いた。

 どこから聞こえているのかわからず、辺りを見回す。

 

 やはり姿は見えない。

 仕方ないので、名前を名乗る。

 

「メル――メルさんね。覚えたわ。先に来たクリロノミアはあなたのかしら?」

 

 いや、つるんでいるだけだ。

 私のものではない。

 

「ふふ、そう。ところで、ここに来た理由はなにかしら?」

 

 姫様を探しに来た。

 

「ああ、オードさんね。ラスピにいるわ」

 

 そうか、無事だったか。

 

「もちろんよ」

 

 無事なら良い。

 あと、もう一人――いや一体、用があったんだ。

 名前はなんだったかな。

 

『ファレナ』

 

 そう、ファレナとかいう喋るクリロノミアだ。

 

「あらあらぁ、千客万来ね。ファレナさんに、どんなご用件なのかしら?」

 

 海の底に扉があって、そこに虹竜ってのがいるそうなんだ。

 一千万年くらい前、その虹竜を倒した人間について教えてもらいたかった。

 

「……ずいぶんと昔の話ね。そんなことを知っているメルさんは何者なのかしら?」

 

 私はただの冒険者だ。

 それより、そっちこそ何者なんだ?

 どこから私に話かけている?

 

「あっ、ごめんなさいね。驚かせちゃいけないと思って……。でも、メルさんなら大丈夫そうね」

 

 何が大丈夫なのかわからない。

 

『右』

 

 右を見てみると、泡の先に暗闇が広がっている。

 ……特に何も無いが?

 

『よく見て。それは暗闇じゃない』

 

 じっと見ていると暗闇の中でも色が違う部分があった。

 私の身長よりも大きいだろう。丸いものがわずかに動いている。

 何だろうと泡の境界面まで近づけてみると、黒く深みのある物質が見えた。

 

 何だこれ?

 黒い水晶か?

 

『目』

 

 はぁ?

 

『だから、目だって。メル姐さんにも付いてるでしょ。ま○こだよ!』

 

 (まなこ)でしょ。

 なんで間をぼやかして言うの?

 

「さっきから誰と話しているのかしら? メルさんのクリロノミアは見えない子なの?」

 

 いや、私にクリロノミアはいない。

 それよりそっちの姿こそ私には見えないぞ。

 

「あらあら、そうだったの? 私にも宿主がいないわ。私たち、仲良くなれそうね。ふふっ」

『なに(わろ)とんねん』

 

 正面に見えていた暗闇が右から左へと動いている。

 その暗闇が通り抜けると、そこにはさらに遠くまで続く暗闇が残っていた。

 今、目に見えているものが海水だったとようやく気づいた。

 それでは先ほどまでここにあった暗闇はなんだったのか。

 

 暗闇が通り抜けていった左に目を移す。

 ほの暗い水の先に、大きな魚が旋回している様子が見えた。

 その大きな魚は徐々にこちらへと近づいてくる。

 

 思わず後ずさりしてしまった。

 魚が近づくにつれ、視界が一面ほぼ魚になってしまったからだ。

 

『勘違いしてるけど、こいつは鯨だよ。魚じゃない』

 

 どちらでもいいことだ。

 大丈夫なのか?

 

「安心して」

 

 正面からこちらを見据えてくる。

 見据えると言っても大きすぎて、どこが目なのかすらわからないのだが……。

 

「絶対にこのファレナさんが、貴方たちを災厄から守ってみせるから」

『俺が守護る』

 

 正面の鯨は守ると語った。

 腰の剣は、発音が同じだけできっと違う。

 それよりどう思う?

 

『安易な過保護なお姉さんっぽいキャラ付けが気に入らない』

 

 そんなことを聞いたわけじゃないんだが……。

 

「ラスピが見えてきたわ。安心して、ファレナさんが一緒だからね」

 

 泡の下から、白くぼんやりとした光が見えた。

 足下の一帯が半球状の泡で覆われ、その中に多くの建物があった。

 祭りで賑わう夜の街を上から眺めている錯覚に襲われる。それくらいの明るさだ。

 ただ、それがやはり錯覚なのだと気づかせるのは、その街に誰一人として姿が見えないからだろう。

 

 

 私のいた泡が街の泡とくっついて、私はラスピに降り立った。

 上から見ていた印象どおりだった。広く明るいが閑散としており寂しい。

 ファレナとかいう鯨は、街の泡の上を泳いでいる。まるで鯨が飛んでいるように見える。

 

『俺のいた世界……いや、国の創作だと、鯨はたびたび空を飛ぶんだ』

 

 なんで?

 

『憧れ、あるいは願望かなぁ。絶対に飛ばない、飛べるはずのない重量・大きさのものが見上げる位置にある。崇拝心が刺激されるのかも』

 

 わからんでもないな。

 しかし……。

 

『そうだね。ある人は別の感情を抱くかもしれない。圧倒的存在による抑圧感とかね。鯨のフォルムがその二つの思いを上手い具合にブレンドしているのかも』

 

 どっちつかずってことか?

 

『どっちつかず……、いや、ニュアンスが違う。中途半端、あやふや、曖昧――そう、曖昧がしっくり来るな。うん、この曖昧さが俺のいた国の国民性に馴染んだんだろうね』

 

 お前の国の文化はよく聞くが、つくづく変な国だな。

 変態しかいないんじゃないのか?

 

『それは否定できない』

 

 変態は軽く笑った。

 

「私から見ると、メル、あなたも十分変態ですよ」

 

 後ろから声がかかり、振り向くと見覚えのある顔があった。

 白を基調にしたドレスと、街の白い外観と明かりが合わさってまるで姫のようだ。

 

『いや、実際に姫だから。まぁ、ここには守る騎士も讃える民もいないんだけど』

 

 尋ね人はあっさりと見つかった。

 あとは虹竜を倒した人間のことを鯨から聞いて、さっさと撤収するとしよう。

 

「出してもらえませんよ」

 

 姫様があっけらかんと言った。

 どうして?

 

「私たちを守るためです」

『ここにいれば日食から守れるってことでしょ』

 

 日食から私たちを守る?

 

「さようです」

 

 そもそも日食ってなんなんだ?

 

「それは……、話しても信じていただけないでしょう」

 

 姫は首を横に振る。

 肩にかかった亜麻色の髪がくすぐったく見えた。

 

 そうかな?

 私はけっこう簡単に信じてしまうタチだぞ。

 

「それではお話ししましょう。一年以内に月が落ちてきます」

 

 姫は笑顔で語る。

 特に感慨もわかないので黙って聞く。

 

「ねっ、信じられないでしょう?」

 

 いや、普通に信じるけど。

 どう見ても落ちてくるだろ、あれ。

 近すぎる。最初、見たときは一晩様子をみたくらいだ。

 

「……貴方。何者ですか?」

 

 メルだ。

 冒険者をやっている。

 

「それは聞きました。どこから来ましたか?」

 

 うん?

 変な質問だな。

 意図しているところがよくわからん。

 

「この国で――この世界で生まれ育った人間であれば、あの月の大きさに疑問を抱くことはありません。あなたはこの世界の人間ではない、と推測できます」

 

 ああ、そういうことね。

 私は隣の世界からやって来たんだ。

 ほら、お前がちょっと前に教団から逃げてただろ。

 その近くに異世界への扉があってな。

 さて、信じられるか?

 

「エリビア山脈。何度か大規模な探索が行われたはずですが……」

 

 扉の場所は、外から発見されないようにすごい魔法陣が組まれてたようだぞ。

 シュウが見つけられないって話していたから、まず間違いない。

 

「シュウというのは、貴方のクリロノミアですか?」

 

 いや、違う。

 私のいた世界にクリロノミアというものはない。

 シュウというのは、この剣でな。何と言えばいいのか。

 そう――変態だ。

 失礼。

 

 シュウを姫様の手の甲につける。

 ビクッと震えたが、かまわず押し付け続ける。

 

『お初にお目にかかります、エクリプスィ・メラ・オード姫殿下。私、メルの相棒を務めておりますシュウと申します。こちらの世界に来てまだ日が浅く、失礼な物言いがあるかもしれません。なにとぞお許しくださいますよう、よろしく申し上げます』

 

 ……なんだぁ、その、気持ち悪い挨拶は?

 蕁麻疹と鳥肌が一気に出てきたぞ。ついでに吐き気もだ。

 

「隣の世界では、これが気持ち悪いんですか。やはり文化が違うのですね」

『はい。文化は大きく異なりますね。誠に遺憾なことです』

 

 おい、その喋り方をやめろ。

 

「私への当て付けでしょうか?」

『そう捉えていただいてかまいません』

 

 会話の方向がよくわからない方へ飛んだ。

 同時に姫の顔から笑顔が消える。

 ただただ無表情になる。

 

「それならば、これでいきましょう」

『じゃあ、俺もそれでいこう。オードちゃん、胸おっきいね! 触らせて! ついでに谷間に挟んで!』

 

 いつもの口調で、いつものようなことを言い始めた。

 これはこれでアレなのだが、先ほどのものよりは幾分かマシだ。

 

 姫様は表情は無から静止になった。

 いきなりこんなことを言い出す奴は、彼女の人生の中で他にいなかったはずだ。

 おそらく何を言われているのか理解がまるで追いついていない。気持ちはよくわかる。

 

「………………これでマシ。文化が違うのですね」

 

 ようやく出てきた言葉は先ほどと同じであった。

 表情からは感情を読み取ることができない。

 

『ねぇ、オードちゃん。日食について教えてよ』

「貴方が先です。知っている事を話しなさい」

『やぁん、いけずぅ。日食はあと十八日でおきる。実質は十七日後だね』

 

 若干だが、オードの目が開かれた気がする。

 

「根拠は?」

『未来を知っている奴に、その時間でこの世界が消滅するって聞いた』

 

 姫が私を見て来るので、本当だと頷いた。

 

『消滅の原因が月の落下ってのはわかったんだけど、オードちゃんはそれをどこで知ったのかな?』

「メントルに聞きました」

 

 どこかで聞いた名だ。

 

『皇都アナトリにいる喋るクリロノミアだね。そいつが「月が落ちるでー」って教えてくれたの?』

「メントルは助言をするだけです。その助言こそが彼の力であり、今までに違えたことはなく、国も王家も続いております」

 

 つまり?

 

『つまりも何もそのまんまでしょ。すごい良く当たる占いだよ。で、具体的な助言内容は?』

「“月、かつてないほど近づく。接触の時は近い。エリビア山麓にある月を崇める者達に会うべし”です。さらに言うと、彼は彼自身がおこなった助言の因果を知りません。メントルも思い当たる節があるようで、私に彼の知っている事を話してくれました」

 

 それで月が落ちると知って、教団の支部へ行き、返り討ちにあったと。

 

「はい、さらに天空の都のククヴァヤに会うべしと続々と速伝が届き、今に至ります」

 

 ふーん、やたら会うのはそのせいか。

 

『うん。事情はわかった。二つほど確認しておきたいんだけど』

「どうぞ」

『ここに来たのも、そいつの助言?』

「いえ、ククヴァヤから聞いた話をもとに来ました。罠の可能性も考えましたが、どうしても知りたかったので」

『軽率だったね。それと、もう一つ。メントルの助言は、王家じゃなくてオードちゃん個人に対して出されてるんじゃない』

 

 姫様は何も答えない。

 口角が異常に上がり、薄気味悪い笑みになっている。

 この顔は以前も見た。おそらくこちらが本来の彼女の笑顔なのだろう。

 

『……そっかぁ、だいぶ歪んでるねぇ。うん、おもしろい。メル姐さん、パーティーリングを渡してあげて』

 

 質問の意図がよくわからない。

 それはそんなに重要なことだろうか。

 姫に対して出されたということは、王家に出されたも同然ではないのか。

 とりあえず、一緒に地上へ帰る上でパーティになっておく必要はありそうなので、リングを渡して登録しておいた。

 

「あらあら。二人ともさっそく仲良くしてるのね」

 

 気の抜けた声が聞こえてきた。

 

『あとはこいつをどうするかだな』

「はい、そのとおりです」

 

 ファレナが見栄えの良い笑みを貼り付けて、上から見下ろす鯨に見せつける。

 

「よかったぁ。ファレナさん、とっても嬉しいわ」

 

 自分に言われたと勘違いしているファレナは心底嬉しそうな様子で上を旋回していた。

 

 

 とりあえずお腹が空いていたのでご飯を食べた。

 

 建物の中に具材と調理器具があった。

 この世界の調理器具は本当に素晴らしいものだ。

 具材を器具に入れて、なにか出っ張りを下げて待つだけで暖かい料理ができる。

 しかも手間がない上に、味もしっかりとあっておいしい。

 私の世界にも欲しいな、これ。

 

『そう言えば、サイバミティはどこに行ったんだろう』

 

 完全に忘れていた。

 私がここに来た本来の目的は、あいつと古代の人間について聞くことだったはずだ。

 

「あの人形でしたら、天井から落とされて地面に埋まっていましたよ」

 

 さほど興味もなさそうにオードは語る。

 私も目の前の料理と比べて重要度は低いと判断し、食べてから見に行くことにした。

 

 サイバミティは地面に埋まっていた。

 たしかにここの地面はほぼ砂でさらさらなので埋まりやすいだろう。

 

『犬○家とか古いなぁ。今の子は知らないんじゃない』

 

 上半身が完全に埋もれており、足が二本、植物のように生えていた。

 地面に埋まったというより刺さったのほうが正しい。

 

 足を掴んでひっぱり上げると、力なくしおだれた。

 たぶん泡の中で暴れて、セーフティーが働き倒れたのだろう。

 

「それは何ですか?」

 

 何と説明すればいいんだろう。

 博士とシュウによる変態合作が一番正解に近い気がする。

 

『エレベケフ博士は知ってるよね?』

「もちろん。王立クリロノミア研究所創立以来、最年少で選抜研究員に推挙された天才です。……といっても、知ったのはごく最近ですが。行きすぎた実験で研究所を追放され、教団に迎え入れられたようですね。今でも彼はクリロノミアの第一人者です。フェガリ教団へ行くよう助言されたのも、彼がいるからと考えていました」

『それなら話は早い。その博士が作ったクリロノミアだよ』

「敵は! 敵はどこに行った! 排除だ!」

 

 ようやく目覚めたようで、起き上がりどこかへ走って行った。

 特に迷惑にならないだろうから、自由にさせてやる。

 

「あれも喋るんですね」

『うん。問題はその記憶。あいつの中には、異世界の扉の前にあった生物のコアが入ってる』

「あれの記憶に関連することをファレナが知っていると?」

『いや。あいつの記憶と言うよりも、あいつの記憶の中にいる人間について興味がある。……もしかしたら、この二つは同価なのかもしれない』

 

 しばらくするとサイバミティが戻ってきた。

 叫んで通り抜けようとするところを捕まえて、そのまま一番見晴らしが良い場所に行く。

 

「ファレナ。話があります」

「オードさん。ご用かしら?」

 

 姫が鯨を呼ぶと、鯨もすぐに出てきた。

 

 虹竜を倒した人間について聞きたい。

 

「そんな話をしてたわね。メルさんはどうしてそんな昔のことを知っているのかしら?」

 

 ククヴァヤに聞いた。

 ファレナが詳しいんじゃないかとな。

 

「残念だけど、ファレナさんもあまり覚えてないの。当時はまだこの辺りは海じゃなかったから、少ししか話ができなくて。それでも初めての人間だったから印象には残ってるわ」

 

 そうなのか。

 

「一番詳しいのはシクティでしょうね。あの子は、ずっとあの人間と一緒にいたから。でも、もうずっと行方不明。グリフォスやメントルが知っているかもしれないわ」

 

 シクティならここにいるぞ。

 

「えっ……、その子、シクティなの?」

 

 梟はそう言っていた。

 今は記憶を失って、サイバミティと名乗っている。

 

「シクティなど知らん! 敵は排除だ! 排除なんだ!」

「ああ、ほんと。シクティね。お久しぶり、シクティ」

「俺はシクティではない。お前は誰だ!」

 

 これで本人と認識されるのは、どうなんだろう?

 元からこんなやつだったということは、かなりやばい奴に違いない。

 

「シクティ。思い出して。ファレナよ。あなたが海に落ちて溺れたときに助けてあげたでしょう」

「俺はお前のことなど知らん。敵は排除する!」

 

 いつもどおりの回答だった。

 

「あの人間と私の背に乗って、海を渡ったことは?」

「人間? 海?」

「『海は広く、空は高い。私たちはいったいどこにいるのか?』。覚えてないかしら?」

「海は広い。空は高く、青い、月は近く、月が……敵だ! 敵は月にいる! 敵だ! 敵……」

 

 少し何かを思い出していたようだが、また元に戻る。

 そして、感情の高ぶりに対してセーフティーが働き、また倒れてしまった。

 

「ファレナ。あなた方は月から来たと伺いました」

「そうね。ファレナさんも、ククヴァヤも、メントルだって、元はみんな月にいたのよ」

「月には何があるのですか? そこの人形も敵は月にいると話していました」

「何もないわ。あそこには何もない。ずっと退屈な毎日を過ごしてた」

『どうやって、こっちに来たの?』

 

 それはそうだ。

 空を飛んで来たのだろうか?

 

「グリフォスのおかげね。彼が私たちをこちらに飛ばしてくれた。彼は万能だから何だってできたわ。……それでも彼にも読み通せず、思いがけないことが生じたの」

「それは何でしょうか?」

「月が、この理想郷に近づいて来たの。生地は、逃げ出した私たちを許さなかった。月が今の位置になったのはそのときね」

 

 そんなことがあるのか。

 それでも一千万年近く、月はあの位置にあったんだろ。

 どうして今ごろになって落ちてくることになったんだ?

 

「月には今もグリフォスが一人で残ってる。彼が月をコントロールすることで、危機的な位置関係を維持しているわ」

 

 そんなすごいことができるのか。

 

「私たちの中で一番最初に自我を持ち、圧倒的かつ万能な力を行使できた。理想郷へ私たち全員を送り、彼だけが月に残った。あの人間とシクティが、月へ行ったときも一蹴した」

 

 それは、どうなんだ……。

 月に行ったその人間がすごいのか、一蹴したグリフォスがすごいのか。

 

「グリフォスが凄いの。確かに、あの人間も恐ろしく強かった。シクティと組んで、メントルが指揮する地上の軍をほぼ制圧した。そして、そんな人間をグリフォスは月まで飛ばした。そこでどんな戦いがあったのかは知らないけれど、彼は月面で人間とシクティに勝って、また地上に送り返した。そこから先の人間達は知らない」

 

 そうして今に至る、と。

 グリフォスってのが恐ろしく強いってことはわかった。

 それで、結局のところなんで、今ごろになって月が落ちてくるんだ?

 そのグリフォスってのが月にいる限り問題ないだろ。

 

「彼の考えが変わったのかもしれない。昔からいろいろと考え込んでたもの。秘密主義なのよね、彼。いつかこうなるんじゃないかって話はあったの。私たちは日食と呼んでいた」

 

 迷惑な話だ。

 だいいち月にいるって言われても、どうやってコンタクトを取ればいいのか。

 

『それは検討がつく』

「メントルですか?」

『あぁ、そっちでもいいね。遠回りになるだろうけど』

「まだ、あるのですか?」

 

 シュウは、まあねと軽く答えるに留めた。

 

 月か。

 行けるのなら行ってみたいな。

 メントルとかいうのに、グリフォスと繋いでもらえれば行けるかもしれないのか。

 

 さて、聞きたいことは聞けたしさっそく地上へ帰るとしよう。

 へい、鯨。ここから出してくれ。

 

「だめよ。地上はもう危険だわ。貴方たちをみすみす死なせる訳にはいかない」

 

 どうせここにいたって月が落ちてくれば死ぬだろ。

 ……死ぬよな? もしかして海底だったら案外助かるの?

 

『海底だとか関係ない。月が落ちたら全部死ぬよ』

 

 ほら、やっぱり死ぬじゃん。

 

「大丈夫。虹竜さんとも話をつけたから。貴方たちは扉の向こう側に逃がしてみせるわ。ファレナさんに任せて」

 

 駄目だ。話にならない。

 本人が善意で言ってるから余計にめんどくさい。

 もう倒してしまった方が早いんじゃないか。

 

『無理。ここだと地の利が完全に向こうにある。倒せたとしても、この泡が消える。そうすると海底約百メートルとして、地上の約十倍近い圧力が体にかかる。チートで対応する前に死ぬ可能性が高い』

 

 倒すのは難しいか。

 そうするとどうすればいいんだ。

 

『まずは話そうか』

 

 その後、シュウの声を私が代弁し、さらに姫様も加わり話をしたが駄目だった。

 危ないから駄目の一点張りだ。もう飽きてきた。

 

『善意の押しつけほど厄介なものはない。理論が自己完結しちゃってる』

 

 姫様も同感な様子だ。

 私たちの声に聞く耳もたず。

 

 よくわからんのだが、力尽くじゃ駄目なのか?

 そこまで助ける助けると連呼するなら、本当に助けられるか試してみるといい。

 

『もうそれしかないかなって思えてきてる。オードちゃんのクリロノミアって何ができる?』

「自分の位置を知ることができます。使い道はありません」

 

 使い道が思い浮かばない力だ。

 いや、ダンジョン探索のときの位置把握ができるとか?

 まず間違いなく戦闘で何かができるということはないだろう。

 

『チートのセットは完了。水圧ですぐ死ぬことは避けられるはず。脱出は後から考えよう』

 

 私はシュウを鯨に向ける。

 

『いや、万が一でも倒すとまずいし、戦闘できないスキルセットにしてるから別の方向にして。街を破壊しよう』

「何をするのです?」

 

 ゲロゴンブレスだ。

 

 私は街とその先の境界面にシュウを向ける。

 刀身は赤く染まり、そこから見慣れた熱量の奔流が直線に伸びる。

 

 赤い流れは街の建物を巻き込んで、跡形もなく消し飛ばす。

 さらに街の先にあった海水と泡との境界面も突き抜ける。

 海水とゲロゴンがぶつかり爆発が生じた。

 

 姫様がひっと悲鳴をあげて倒れそうだったので、シュウを持ってないほうの手で支える。

 次は方向を変えて、街を最大限破壊できるようにもう一発発射する。

 

「メルさん、駄目よ! やめて! 何をしているの!」

 

 見りゃわかるだろ。

 街を壊してるんだ。ついでの泡の壁もだ。

 ほらほら、海水がすごい勢いで流れ込んできてるぞ。

 住むところはなくなるし、このままだと私たちが海水に呑み込まれて死ぬ。

 どうした? 助けるんじゃないのか? ほら、もう一発だ!

 そんなに守りたいなら守ってみせろ!

 

「やめて! お願い! このままじゃ本当にラスピが――」

 

 どうせ誰もいない都だろ。

 ダンジョンでもないなら沈んでしまえ。

 

 私たちは地上に帰る。

 そんなに守りたいなら、ついてきて守れ。

 それが嫌なら、ここで日食とやらまで一人で泳いでろ。

 

「……ひどい」

 

 そう呟いてオードは私を見上げてくる。

 

「――でも、おもしろい」

 

 その口許が笑っている。

 なぜ、この状況でその表情ができるのだろうか。

 

「貴方。本当におもしろいわ」

 

 姫様は声をあげて笑い始める。

 残念だが、私は笑うことはできない。

 街を破壊することはできたが、海水が押し寄せている。

 

 本当に大丈夫だろうか。

 自分でも滅茶苦茶をしているつもりだ。

 私の中の第六感というべきものが逃げろと訴えている。

 

 海水に呑み込まれる直前に、泡が私たちを包んだ。

 都市が粉々になって海水にさらされている。

 

『祇園精舎の鐘の声――。さて、どうなるかな』

 

 鯨は力なく水にたゆたい、その光景を見つめている。

 

「ファレナ。地上に行きましょう。貴方ほどのクリロノミアなら大きさは調整できるでしょう。地上には多くの人がいます。貴方が本当に人が好きで、守りたいのなら、私たちではなくその人達を守るべきです」

 

 なんだか嘘っぽい。

 本当はそんなこと欠片も思ってないんじゃないだろうか。

 

「駄目よ。ファレナさんは貴方たちも守るわ。貴方たちが何と言おうと、何をしようと――」

 

 そうか。

 それならさっさと地上へ向かってくれ。

 私がここでゲロゴンブレスを撃ってしまう前にな。

 

 泡は徐々に上へと向かった。

 明かりを失った海底には、砂が巻き上げられ、もう底には何も残っていない。

 

 

 

 海面に出て、鯨の背中に乗せて送ってもらっている。

 港町のすぐ側だと思っていたが、かなり離れていたようで小さくしか見えない。

 

「うぅ」

 

 サイバミティもようやく目を覚ました。

 少し顔を上げて辺りを見回す。

 

「キルハ。ここはどこだ?」

 

 寝ぼけているのだろうか。

 クリロノミアは夢を見るのか?

 

「あぁ、わかっている。こいつは敵ではない。敵は――」

 

 うるさくなりそうだったので首を絞めて落とす。

 キルハというのは誰だろう。

 

『もう忘れてる』

 

 どこかで聞いたっけ?

 どちらにせよ、名前がわかったところでどうすることもできんだろ。

 

『……やれやれ。まぁ、いいや。先に行くところもあるし』

 

 浅瀬の立てる位置まで来ると鯨は徐々に小さくなる。

 海水に満ちた泡の中に、小さくなった自分自身も入り、それが水面にぷかぷか浮いている。

 

『便利な力だ』

 

 砂浜を歩いていると、騎士達が走ってきた。

 

「姫様!」

「姫様だ!」

『姫様、抱いて!』

「姫様! よくぞ! よくぞご無事で!」

 

 似た文句を並べて彼らは近くに寄ってくる。

 変なのが混ざっていたが気にしない。

 

「バリガン。よくぞ団をまとめてくれました」

「もったいなきお言葉」

 

 髭面はただ一言で応える。

 続けて騎士は私に体を向けた。

 

「メル殿、感謝する」

 

 こちらも一言だ。

 私は軽く手を挙げて応えた。

 

「そちらは?」

 

 私の横にある泡を見ている。

 泡の中は水が満ち、鯨がぷかぷか浮いていた。

 

「海底都市を統治していたファレナです。海底都市は、もう存在しません。メルが破壊しました」

 

 騎士達は信じられないものを見る眼をしている。

 

「怖がらないで。ファレナさんが守るから」

 

 鯨の背中付近から水が飛び出してきた。

 

『おいおい。潮吹きやがったぜ、こいつ』

 

 バリガンらは再度、顔をオードに向ける。

 しかし、顔を向けたまま何も言わない。

 

「どうしましたか?」

 

 姫が尋ねると、バリガンは私と鯨を見つめる。

 

『内緒話するから、あっち行けってさ』

 

 なるほどね。

 私は離れておこう。

 

「それには及びません。バリガン、話しなさい」

 

 バリガンは躊躇いを瞬時に消し、堂々と口を開く。

 

「二点ほど速伝が入っております」

 

「一点目は、二日前。姫様が海底に向かわれた直後。国王陛下からです」

「父上ですか。『帰ってこい』でしょう?」

「はい。至急、皇都に戻るようにと。諸々の経緯をお聞きになりたいと」

 

 オードは頷き、二点目を促す。

 

「二点目は、本日、助言者を騙る者からです」

「そちらにはなんと?」

「”天の君、怒りに燃ゆ。陽光、汝の身を焦がす。太陽の都に戻るべからず”。姫様、これは……」

 

 バリガンは心配そうな顔を見せる。

 オードも困ったような顔をこちらに向けてくる。

 

「どう思いますか?」

 

 私に尋ねてきた。

 十中八九、私ではなくシュウだろう。

 

『メッセージを素直に受け取ると、父親は「何かいろいろ問題を起こしてるようだな。事情を説明しに帰ってこい」と言う。一方で助言者――メントルは「父親がブチギレて姫様に危害を及ぼすから、都には帰らない方が良い」と言う。帰ったら殺されるんじゃない? 良くて軟禁かな。行かない方が賢明だね』

 

 後の方はそういう意味だったのか。

 

「メル。私は貴方に聞いているのです」

 

 姫が私を見て来る。

 あれ、ほんとに私に聞いてたの?

 意味が無いことだ。こういった面倒ごとの判断は、シュウの意見が私の意見に等しいからな。

 

『……ああ、そっか。なるほどね。メントルの助言って対面しないと効果がないでしょ』

「はい、そうですがそれが何か?」

『いろいろと得心がいった。それなら、この予言めいた文も周囲の予言から判断して、それらしく書いただけの文章ってことだ』

「そうなりますね」

『それなら好きなようにすれば良い。行っても行かなくても歴史は変わらないよ』

 

 私は行ってみたいな。

 

『メル姐さんが行きたいのは月でしょ』

 

 うむ。太陽の都とやらはさほど興味がない。

 月にいる奴との接触方法を、そのメンなんちゃらから聞き出したい。

 

「決まりですね。皇都に帰りましょう」

 

 

 

 皇都への道すがらバリガンは私に不満をもらした。

 

「卿が出向くところ悉く災厄が撒き散らされる。教団支部では奇襲失敗からの惨敗。天空都市は地に落ちる。海底都市は海の藻屑に消えたと聞く。しかしだ。皇都はそのようにはいかん。あそこには歴代最強のクリロノミアを使役するフォス陛下がおられる。さらには、その膝元にあって太陽の光のごとく全てを焼き尽くすと謳われる陽光騎士団があるのだ。どうにもならんぞ」

 

 怖いなら留守番しといていいよ。

 

「そうはいかん。姫様のおられるところこそ、我らがあるべきところなれば」

 

 よくわからんのだが、国王と姫様だと国王の方が偉いんだろ?

 姫様をかばいだてすれば、国王に楯突くことになるが良いのか?

 

「無論、良くはない。姫様にはきちんと王に事情を説明をして頂く。陛下は明敏であらせられる。説明をすればわかってくださるに違いない」

『バッカじゃねーの。問題の原因が一緒に行くんだぞ、わかってんのか?』

 

 そうだな。

 

「うむ。――しかし万が一、陛下の怒りが収まらないとなれば、我ら身命を賭して姫様を守り抜くのみ」

 

 理解はできないが、馬鹿にはしない。

 当の姫は彼らのことをどう思っているのだろうか。

 なんとなくだが、何とも思っていないんじゃないだろうか。

 そんな奴に命を捧げると口にしている彼らが哀れに思えてしまう。

 

「平穏無事に済むよう努めるのみだ」

 

 バリガンは肩を張って、気合いを入れる。

 そんな大事にはなるまい。観光するくらいの気持ちで良いだろう。

 ついでにメンツユとかいうのに話を聞けばいいさ。

 

『名前が違う。それじゃ、ただのぶっかけうどん』

 

 あれ、なんだったっけ。

 メン……メント、メン○スだ。

 

『コーラに入れたら噴き出しそう。メントルね』

 

 そうそうメントル。だいたいあってたな。

 

 まあ、気楽に行こう。

 平和的な解決が一番ってもんだ。

 

 

4.陽光、暁に消ゆ

 

 自分で言っといて何だが、平和的な解決は可能なのか?

 

『無理』

 

 即答である。

 理由は?

 

『平和的ってのを話し合いと考えれば、双方に相手の意見を聞いて、認め合う姿勢が必要』

 

 そうかもしれんな。

 父親にその姿勢が欠けていると?

 

『両方とも欠けてる。メントルから父親への助言は「娘を殺せ。良くても軟禁しろ」だろうね。これはメントルからオードちゃんに送られたメッセージから推測できる。父親はそれが国のためになると判断して実行に移す。オードちゃんの意見を認めることはおろか聞く姿勢すらない』

 

 それは私にもわかる。

 オードの方にもないのはなぜだ?

 

『オードちゃんも、「父親がメントルから助言を受けて自分を拘束しようとしてる」とわかってるから。話は通じないと確信してる』

 

 ふーん、よくわからんけど話し合いは無理なのね。

 

『そうだね。メッセージをそのまま素直に受け取れば、先に述べた理由で無理』

 

 それ、なんか最初にメッセージを聞くときにも言ってたな。

 素直に受け取らなかったらどうなるんだ?

 

『そもそも話し合いは求められてない』

 

 どっちみちだめじゃん……。

 

『そうでもない。素直に受け取らない方が後の展開がスムーズ。こっちが正解だろうね、やれやれだ』

 

 正解だって不正解だっていいんだが、平和的は無理なんだろう。

 無理だとわかっていて、オードが皇都に戻ろうとするのはなぜだ?

 捕まりに戻るようなものじゃないのか?

 

『その質問、笑える』

 

 なんで?

 

『そりゃ、メル姐さんが行くからだよ』

 

 どゆこと?

 

『おもしろそうなことになるってこと。オードちゃんにとってね』

 

 あいつにとっておもしろそうなことって、とんでもないことなんじゃないのか。

 でも、なんかそうなりそうな気配だな。研究所から梟も呼んでるし。

 私、人形、梟、鯨、姫に、それを守る騎士団。

 もはや何の集団かわからんな。

 

『異世界版ブレーメンの音楽隊か。さて、泥棒はどっちかな……』

 

 巨大化した梟は風を切って、夜空をかける。

 暁の空に、巨大な街並みのシルエットが浮かび上がっていた。

 

 

 

 ちょうど夜明けを迎えたので、最終確認といくか。

 

『主要な目的はメントルと話をすること。次点でオードちゃんと王様が話をすること』

 

 うむ。

 それはわかってる。

 

『まずは梟がかく乱。これは出来るだけ派手におこなう。陽光騎士団だかを引っ張り出す』

「任せるホー」

 

 なんか楽しそうだ。

 こいつはこの国を嫌っていたから喜んでいるのだろう。

 一般人の住む建物には、極力危害を加えないようにやっていく。

 

『鯨は姫様と騎士団を守って裏道を行く。こっそり父親にでも会いに行って』

「大丈夫。ファレナさんといれば、何も怖くないわ」

「お任せします」

 

 ちなみに梟と鯨はチートで強化をしている。

 ただでさえ他のクリロノミアと一線を画する二体なのでおそらく手が付けられない。

 騎士共は指輪が足りないから、そのままだ。バリガンにすら指輪は与えてない。

 

『メル姐さんは、他の二部隊が引きつけているのを利用してメントルに会いに行く。ついでにサイバミティもつれていく』

 

 本当は外で暴れさせておきたいのだが、いちおうメントルとも引き合わせるらしい。

 

 こんなところか。

 とりあえず問題なさそうだな。

 

『問題あるよ。最後の作戦が残ってる』

 

 どこが問題なんだ?

 作戦も戦力も十分だろう。

 最後の作戦とやらは何なんだ。

 

『最後の作戦はこうだよ。今まで伝えた作戦を全て放棄』

 

 は?

 なんで?

 

『メントルの助言で、筒抜けてるからに決まってるじゃん』

 

 わかってたなら今まで、何で作戦会議してたの?

 

『わからない? 暇つぶしだよ。作戦シミュレーション楽しかったでしょ?』

 

 このクソ野郎が。

 それで作戦放棄をしてどうするんだ。

 

『もし、このまま何もなかったら作戦放棄を放棄で』

 

 筒抜けなんだろ。

 駄目じゃん。……駄目か?

 作戦が読まれたところで相手は防げるのか?

 言っちゃ悪いが、こっちの世界の戦力ってかなり低いぞ。

 エリート中のエリートらしいバリガンが、手加減して蹴って意識不明になるレベルだ。

 クリロノミアの能力も厄介なものはあるだろうが、この梟や鯨を除けばさほど問題になるとは思えない。

 

『そのとおり。まず防げない。よしんば防げても被害は甚大なものになる――だから、メントルの能力は王に対して、こう告げているだろう。「敵対はやばい。きちんと応対しろ」ってね』

 

 おや、平和的な解決になりそうだ。

 お前は無理と言ったがなんとかなるんじゃないの?

 

『ちょっと待って。…………おっ、やっぱりそうだ。あれを見て同じ事が言える?』

 

 夜空は白み始め、皇都は日に照らされる。

 私が見たどの都より、ダンジョンよりも巨大な建造群がそこに並んでいた。

 その都を守る壁と門も厚く、高い。さらに頑強そうなクリロノミアが各所で睨みを利かせている。

 

 荘厳な前門の前には、平野が広がる。

 その平野には多数のクリロノミアが、複雑な陣容を構えていた。

 

 おぉ、すごいな。

 総力戦って感じだ。

 

「陽光騎士――全団が出ていますな……」

 

 バリガンが戦々恐々と漏らした。

 

「あっ、父上がいます。門のところ」

 

 緊張感の乏しい声でオードが言った。

 陽光騎士団の一番背後、前門に近い位置で黄金のクリロノミアが見える。

 きんきらきんの隣に立っている金髪の男がこの国の王らしい。私の国の王よりは威厳がある。

 

 こりゃ無理だ。

 平和的な解決はできそうにないな。

 こいつらは無視してメントルに直接会いに行くのはどう?

 たぶん王城にいるんじゃない。

 

「メントルなら金髪の隣にいるホー」

「ほんとね。懐かしいわ」

 

 ……どこだ?

 王の隣? 誰もいないぞ。

 ひょっとして私が王と思ってるあの金髪は王じゃないのか。

 

『あの杖じゃない?』

 

 杖?

 ……そう言われると、確かに棒が地面に刺さっている。

 杖じゃなくて棒じゃないの。あまりにもしょぼすぎて、視界に入ってこなかったぞ。

 

「あいつは! あいつは敵だ! 覚えているぞ! 貴様の名は――」

 

 騒ぎ出したサイバミティの頭を叩き、いつもどおり静かにしてもらう。

 

 それより、勝てないとわかっていて何で軍を展開しているんだ?

 玉砕するつもりとか?

 

『あり得ない』

 

 ここなら都に損害はぶつからないとか?

 

『それはそうだけど、軍を展開する理由にはならないね』

 

 戦力を分散させず、一カ所に集中させれば勝機が見いだせる?

 

『個体の力がほぼ同じなら数の勝負でそうなるけど、今回の場合は的になるだけ。戦力を分けさせて各個撃破した方がまだ勝機はある』

 

 展開させるだけ展開させて私たちを威圧?

 

『近いけどやっぱり違う』

 

 じゃあ、なんだよ?

 

『意地かな』

 

 ……は?

 

『ずいぶんと人間くさいね。あれ、本当にオードちゃんのお父さん?』

「私は人間らしくありませんか?」

 

 なんで私を見て来るの?

 聞いたのはシュウなんだから、シュウを見てよ。

 

『オードちゃんも人間らしいよ。でも、方向が真逆だ』

「私――父は苦手なんです」

『だろうね』

 

 それで、どうするの。

 降りて対話でも試してみる?

 

『ここまで整えられてたら、やることは一つだけだよ』

 

 そうか。

 シュウに手を伸ばす。

 

『憂さ晴らしとして、せめて徹底的にやらせてもらうとしようか』

 

 憂さ晴らし?

 これから闘って勝つんじゃないのか?

 

『オードちゃんに、メントルからメッセージが来たでしょ。おそらく、あの手紙を読んだ時点でこの展開が確定した。戦術的には俺たちが勝つ。でも、戦略的には王様の勝ちかな』

 

 意味がわからないんだけど?

 

『あの手紙はメントルじゃなくて、王様とメントルが出したもの。そして、真の宛先はオードちゃんとメル姐さんなんだ』

 

 どういうことだ?

 

『メル姐さんが天空都市のククヴァヤを経て、海底都市のファレナに至った時点で、メントルは気づいた。三角形ABCの辺BC上をBからCに移動する点Mに』

 

 何それ?

 

『メル姐さんが意味不明ってこと。点Mが何で、どうやって動いていて、なぜ皇都に来るのかもわからないけど、とりあえず来ることはわかってるし、いつ来るかも推測できる。ついでに、その点Mには点Oもなぜか一緒についてくる』

 

 点Oってのは姫様のことだろう。

 

『王様は、メントルの助言とそれに対する彼の推論を聞いた。内容はだいたいわかる。「よくわからんやべぇ奴が姫を連れて自分に会いに来る。その過程で皇都を滅茶苦茶にするから手厚く出迎えた方が良い」だろうね。それで王様は国のために、メントルの助言と推論に従うことにした』

 

 これが手厚い対応だとお前は言うのか。

 だいたい手紙とどう繋がる?

 

『俺は心がこもってると思うね。手紙に関しては、もしも手紙を出さなかったらで考えよう。メル姐さんはオード姫にくっついてぼんやりやってくる。戦闘の準備も特にせず観光気分でだ』

 

 うむ。

 そうなるだろうな。

 

『そこで王様がメル姐さんかオードに何かしたら、メル姐さんの国への敵対意識はまぬがれない』

 

 そうかもしれん。

 ちょっとくらいは暴れるかもしれない。

 

『ちょっとで済むわけがない。あの手紙は遠回しな招待状なんだよ。お待ちしておりますので、武力行使にてお越し下さいっていう』

 

 わかりづら。

 最初からそう書けばいいのに。

 

『それだと挑戦状になる。国への敵対意識が芽生えてしまう』

 

 ……そもそも手紙をださず、丁寧に応対すればいいんじゃないの?

 

『そこが意地なんだよ。よくわからんやべぇ奴は、天空都市を落とした罪人だ。へりくだって対応すれば臣下にも民にも舐められる。国家の器に亀裂を生じさせかねない。それに何より王自身が、よくわからんやべぇ奴に最初からゴマ擦りなんてことをしたくない』

 

 メントルの危惧していた敵対行為になるんじゃないのか?

 

『敵対意識、芽生えてる?』

 

 いや、まったく。

 王の気持ちとやらはわからんでもない。

 それにこの光景を見れば、全力で出迎えているのはわかる。

 負けるとわかっているにもかかわらず、手抜き無しの完全な迎撃態勢。

 悪い気はしないな。確かに懇切丁寧だ。

 

『でしょ。あっちもやられても死ぬことはないってもうわかってるだろうし、全力で挑んで来るでしょう。それで完膚無きまでに叩き潰される。その後、メントルと話したところで帰って頂く。相手がやべぇ奴だってことはみんなにわかってもらえるし、そんな奴と損害無く和平を結んだということで王の評判も下がらない』

 

 そうだろうか。

 下がりそうな気もするんだが。

 

『そこはメントルの助言でシミュレーション済みだろうね。だいたい評判なんて宣伝の結果だよ。うまく話を広げられれば問題ない』

 

 そうか。

 じゃあ、心置きなくやるとしようか。

 正面から斬りかかって、状態異常を感染させれば余裕だろ。

 

『メル姐さんは雑魚専だから余裕だよ』

 

 それ褒めてるの?

 意味がはっきりとわからんけど、馬鹿にされてる気がする。

 

『的確に表現しただけ。相手が複数でも個々がそこそこなら、ほぼどうにかできる。自分よりも明らかに強い単体相手は厳しい』

 

 そうかもしれん。

 じゃあ、雑魚専の力を見せるとしようか。

 

『待った。それでも良いんだけど、今回はせっかくのチーム戦だから彼らの力も借りるとしよう』

 

 おぉ、あまりにもレアな単語を聞いた。

 チーム戦。パーティの力を借りての連係プレイ。

 なんという心地よい響きだろう。異世界に来て良かった。

 具体的にはどうするの? 私は何をすれば良い?

 

『メル姐さんは見てるだけだね』

 

 それ…………、連係プレイじゃない……よね?

 

『まず、梟の力は念動力だ』

 

 私の疑問に応えることなくシュウは話を進めていく。

 粘土……なんだって?

 

『念力、サイコキネシスとか呼ばれるやつ』

 

 そんなの初めて聞いた。

 いや、サイコなんちゃらは私にもよく言ってるよな。

 もしかして私と似たようなことなのか?

 

『だいたい合ってない。念動力ってのは意思だけで物体を動かすことが出来る力のこと』

 

 すごいじゃん。

 私を浮かせてたのもそれなの?

 

『もちろん。で、鯨の力は泡』

 

 それはさすがにわかる。

 水中で私たちを移動させたり、都市ごと泡に包んでたりしてた。

 でも、ここは地上だ。水中ほど便利に使えないんじゃないか?

 

『地上にも水はあるよ』

 

 どこに。

 

『上』

 

 見上げると、真上には分厚い雲が覆っていた。

 それでも明るいのは、日が射す地平付近に雲がないからだろう。

 辺りを見渡すと、雲があるのは本当に私たちの真上だけだ。

 

『雲は水滴と氷晶の集合だ。梟に言って、この上に集めてもらった。これを落とす』

 

 いつの間に。

 

『メル姐さんがいびきかいて寝てる間に、作戦会議は済ませておいた』

 

 ほんとひどい。

 で、どうやって落とすんだ?

 ――というか、なんで落ちてこないんだ?

 

『ものすごくゆっくり落ちてきてる。終端速度が遅すぎるんだ』

 

 それじゃ、いつまで経っても落ちないんじゃないか。

 

『そこで鯨の泡だ』

 

 上空の雲が泡に包まれた。

 少し膨らんだ?

 

『泡でパッケージして、膨らまして断熱膨張。さらに念力で揺らして凝結させて落下』

 

 それでも雨みたいなもんでしょ。

 相手が濡れるだけじゃないか。

 

『雲の重さってどれくらいか知ってる?』

 

 浮いてるくらいだし軽いだろ。

 

『そう、上の雲くらいなら一立方メートルで一グラム』

 

 それがどれくらいかわからんのだが。

 

『塩が十粒くらいかな』

 

 かっる。

 そんなの落として意味あるの。

 

『今回集めた雲は、面積を十万平方メートルに落として、その分、高さを集中させてみました。約十キロメートルと圏界面まで積んでおります』

 

 やっぱりよくわからん。もっとわかりやすく言ってくれ。

 いや、やっぱり言わなくていい。見た方が早い。

 

『そうだね。ちなみに泡できちんと相手の陣形の形に整えてから落とします。さらにスピードを上げるために、平面ではなく、まばらに落とします。加えて、上から念動力で押してもらいます』

 

 そうするとどうなるんだ?

 

『こうなります』

 

 比喩抜きで空が落ちてきた。

 騎士達は逃げようとするか、ぼんやりと見上げるかのどちらかである。

 そして、その両者とも一瞬で潰されてしまった。

 砂煙と水滴が巻き上がり、視界が塞がる。

 

 平手で細かい砂地を叩けば、手の平の跡ができる。

 まさにそれがスケールを変えて私の目の前で起きてしまったのだ。

 視界が晴れた後の光景を見て、私はそう考えた。

 

 私と皇都の間に大きな雲の跡が残る。

 おびただしいほどのドロップアイテムが水たまりの中で光っている。

 無慈悲な雲から逃れる、あるいは防ぐことができたのは、ほんの一握りであった。

 王もその幸運なごく一部に入っている。あるいは不幸なのかもしれない。

 

『いや王様は外すようにしたから。むしろギリギリで焦ってるくらいだよ。……じゃあ、メントルに会いに行こうか』

 

 水でべちゃべちゃになった地面を歩いて王の元まで歩む。

 ちなみにオード姫は梟の念動力で浮いていた。

 私にもそれをしてくれればいいのに。

 

『さすがに生きてる奴はやるもんだね』

 

 ……そうか?

 生き残った奴らは、ごくわずかの人員を集め、王への道をふさいでくる。

 それでも近づいて来たところを、泡で浮かされて私に斬られ、梟の念動力で潰されたりちぎられたりする。

 かかってくるが、すぐに倒せてるので強いとは思わない。

 

『目の前であんなことされて、それでもすぐさま王への道を塞ぐべく動けるんだから大したものだよ』

 

 それは……、そうだな。

 私だったら王とか見捨ててさっさと逃げてる。

 気になって辺りを見渡すと、王以外には残っていない。

 全ての人間があそこのきんきらきんのために死力を尽くしたわけだ。

 

 とうとう王と話ができる距離までやってきた。

 その両脇には棒と黄金のクリロノミアがそれぞれ立っている。

 棒の方は立っているというより刺さっているといったほうが正しいだろう。

 

「父上。ただ今帰りました」

 

 作りました感満載の笑顔を振りまいてオードが挨拶した。

 王様は険しい表情でオードを見返す。

 

「うむ」

 

 何か続くのかと待ってみたが、それだけである。

 王の視線が私を含む、その他に移る。

 

「そちらの梟がククヴァヤ。泡の中にいる鯨がファレナです」

 

 同じようにうむと頷くのみ。

 最後に視線が私を捉えた。

 

「探検家のメルです」

 

 探検家ではない。

 冒険者だ。

 

「どう違うんでしょうか?」

 

 ……どう違うんだろう。

 なんか、そう、言葉の響きというか雰囲気?

 

「探検家の方があっていると思いますよ」

 

 探検家……、いや違うな。

 やっぱり冒険者だ。

 だよな?

 

『冒険者だよ。オードちゃんはまだメル姐さんを知らない』

「これからの楽しみにしておきます。次はいったいどこに行くんでしょう」

 

 えっ、まだ付いてくるの?

 ここでお別れだと思ってたんだけど……。

 

「嫌ですか?」

 

 割と……。

 なんか気持ち悪いんだよ。

 

「ひどいです」

 

 オードは頬を軽く膨らませる。

 それ演技だろ。そういうところだよ。

 

「その正直さを私は気に入っています」

『わかりみが深い』

 

 なんだよ、わかりみって……。

 

「ずいぶんと仲が良いのぉ。儂が見たところ、ここまで楽しそうな姫は初めてかもしれんぞ」

 

 すごい嗄れた声が聞こえた。

 

「王よ。どうじゃ?」

「王として述べる気はない」

 

 そっけない返答だった。

 それよりこの声がメントルか。

 

「そうじゃよ。儂がメントルじゃ」

 

 王の隣に刺さっていた棒きれを見つめる。

 えっと、この棒がメントルで間違いないか?

 

「どう見たら棒に見える? 杖じゃろ」

 

 どう思う?

 

『とりあえず老人キャラっぽくしました、ってのが前面に押し出されててきつい。「儂」とか「じゃ」とかマジ勘弁』

 

 そうじゃなくて、杖か棒かだよ。

 

『杖でしょ』

 

 ……そう。

 シュウも杖って言うなら杖なんだろう。

 私が探検家か冒険者かくらいの重大案件に違いない。

 

「敵だ!」

 

 今まで寝ていたサイバミティが目を覚ましたらしい。

 宙に浮いた泡の中でもがいている。

 

「貴様! 覚えているぞ。貴様は敵だ! メントォル!」

 

 棒きれを睨みつけつつ叫ぶ。

 子供くらいの背丈の人形が、同じくらいの高さの棒に対して、獣のごとく吠える様はなかなか面白い。

 

「ほ! お主、まさかシクティか。なんじゃ、生きておったのか」

 

 梟と同様、あっという間に言い当てられている。

 こいつはこいつですごいな。

 

「見た目はずいぶんと変わっとるが、中身は変わっとらんなぁ。相も変わらず、おかしな人間とつるんでおる」

「ほんとだホー」

 

 私のことだろう。

 別につるんでいるつもりはない。

 それより月にいる何とかって奴に会いたい。

 会いたいというか月に行きたい。話を通してくれ。

 

「月? グリフォスのことか。儂は知らんぞ」

『そうだろうね』

 

 は?

 お前がグリフォスと話を通すんじゃないのか。

 

「儂がシクティとあの人間に負けてからは一度も話しておらんぞ。用があれば、あやつから話しかけてくる。儂はとっくに用済みという事じゃ」

 

 なんだそりゃ。

 無駄足も良いところだ。

 どうしたらそいつと話ができるのだろうか。

 

「博士に聞けば何か教えてくれると思うよ」

 

 ……博士?

 博士ってあの博士?

 

「そう、フェガリ教団アジトにいるエレベケフ博士」

 

 何で博士が月にいる奴との連絡方法を教えてくれるんだ。

 ほぼ無関係だろ。

 

「博士は、ここにいる三体の喋るクリロノミアの存在を知ってた。グリフォスの名前すらもね。何も知らないはずがない。直接かどうかは知らないけど、何らかの手段があるんでしょう」

 

 知ってて黙ってたな。

 

『もちろん。話したら来なかったでしょ?』

 

 当たり前だろ!

 わざわざ来る必要がない。

 さっさと研究所の方に行ってるよ。

 どうして止めなかった? どうせ面白そうだからだろうな!

 

『半分正解。残り半分は、そこの杖に聞きたいことがあったからだね』

 

 あっ、そう。

 それで何を聞きたいんだ?

 

『たくさんあるんだよね』

 

 一つにしろ。

 私は今、機嫌がよくないんだ。

 これはもうダンジョンに行かないと気が収まらない。

 

『じゃあ。メントル達が、なぜシクティ達と戦ったのか――これに尽きる』

 

 私は、そのままメントルに尋ねてみる。

 ちなみに同じような質問をシュウは鯨と梟にもしていた。

 二体はあまり関与していなかったため、知らないと言っていた気がする。

 

「なんでじゃったかな? なにぶん昔のことじゃからな」

 

 杖を蹴りかけたが、確かに一千万年も前の話だ。

 昨日の夕飯もなかなか思い出せない私がどうこう言えることじゃない。

 代わりにシュウを蹴っておいた。

 

「確か……、我々の存在に関わる話じゃったような」

 

 それとても大切なことじゃない?

 忘れていいことなの、と言いかけたが私も良く忘れているので何も言わない。

 

『杖の宿主は誰?』

 

 質問を変えたようだ。一つだけだと言ったのに。

 しょうがないので、メントルに尋ねてみる。

 

「いや、儂には……そうじゃ! それじゃ!」

 

 急に騒ぎ出した。

 何がそれなんだ?

 

「儂らは、儂らが生き残るために戦ったのじゃ」

 

 ……意味がわからんのだが。

 

「儂には宿主がおらん」

 

 そうらしいな。

 鯨にもいないと聞く。

 梟にはいるが、本当はいなくても問題ないらしい。

 はて? 他のクリロノミアは人間とセットだが、お前等はなぜ単独で動けるんだ?

 

「儂らは月人。寿命がなく不死なのじゃ。それでも不滅ではない。物理的、あるいは精神的に朽ち果てていく。その残骸を用いて、人間はそれぞれ固有の存在を呼びだしておる。それがクリロノミアじゃ。同じような扱いをされるが、厳密には儂らとクリロノミア違うのじゃ。あやつらは喋らんじゃろ?」

 

 そんな仕組みは知ったことじゃない。

 それが、どうしてシクティとつるんでた人間と戦う理由になるんだ。

 

「あの人間は、儂ら月の民がこの星におることが気にいらんかったようじゃ。それによって月が近づいてきていたことも知っておったからな。月人は月に帰れ、と叫んでいた……はずじゃ」

 

 近づいてくる月か。

 もうそろそろ落ちてくるはずだ。

 

「グリフォスは人間の意見に否定的であった。儂らといずれ生まれる生命体は共存ができると考えていた。それに、月が落ちてくることも、儂らがこの星に来たこととは別の問題と考えていたはずじゃ。あやつは言葉が少ないから、儂の推測じゃがな」

『一つ目は、グリフォスが正しかったね。実際、人間と月の民……の残骸は、この星で共存できている。これは現状が証明していることだ。二つ目に関しては、現状で何とも言えない』

 

 そうか、よくわからんがもう気は済んだか。

 

『概ね言いぶんは把握した。残りは、もう片方から話を聞いてみるとしよう』

 

 そうだな。

 月に行けばわかることだ。

 

『うん? まぁ、いいや』

 

 よっしゃ、帰るか。

 

『オードちゃんの用事が済んでないでしょ』

 

 踵を返そうとしたところで声がかかった。

 

「父上、私も発ちます。ご健勝をお祈りします」

 

 オードがにこやかに告げるが、王は相変わらずの仏頂面だ。

 

「フォスよ。何か言いたいことがあるんじゃろ。父としてな」

「オードとメントル。それにメル以外は、ここから離れよ」

 

 王は命令する。

 その言い方は反論を許さなかった。

 それでも力関係はあるので、私は梟と鯨に視線を送る。

 オードもバリガン達に距離を取るように命じた。

 

 私とオード、それに王と彼のクリロノミア、メントルが残る。

 金ぴかのクリロノミアが私たちとバリガン達を遮るように間に移動した。

 

「オードよ。王としてではなく、父として腹を割って話がしたい」

「私はしたくありません。ですが、父上がなされたいというのなら、止めませんのでご自由にどうぞ」

「うむ、それであれば――オードちゃぁん、お父さん、心配したんだよぉ。どうして連絡してくれなかったの?」

 

 険しかった王様の表情は、嘘のように砕け、困った顔になっている。

 

「でも、無事で良かったぁ。メルさん、娘の面倒をみてもらったようで助かったよ。それに仲もよさそうだ。いやぁ、あんなに楽しそうに話すオードちゃんを見たのは何年ぶりだろうね。本当にありがとう」

 

 朗らかに笑って私の肩をぽんぽんと叩いてくる。

 私はあまりの変化についていけず、なすがままに頷くだけだ。

 王の笑みは本当に嬉しそうで、見ているだけで心が和やかになっていく。

 

「どこに行くのかは知らないけど、止めはしないよ。行かせることが最良だと助言は出ているからね。それに、止めても行くんだろう」

「はい」

 

 オードもにこやかに答えた。

 両者ともにこやかなのだが、王の笑みが暖かさを感じさせるのに対し、オードの笑みはそら寒い。

 

「メントル」

「わかっておる。姫、よろしいかな」

 

 オードは頷いた。

 私は何なのかわからず成り行きを見つめる。

 

「“月、かつてないほど近づく。接触の時は近い。エリビア山麓にある月を崇める者達に会うべし。汝の隣人を頼れ”――ほぼ同じじゃな」

 

 オードの顔はにこやかなままだ。

 

「メントル。メルさんにも助言を」

「それでは――」

 

 いらん。

 助言はもう間に合っている。

 右から左からと、あれこれ言われると混乱する。

 それに、いくらありがたい助言をもらっても、それに従うとは限らない。

 私は、私のしたいことをするからな。

 

「なるほど、オードちゃんが気にいる訳だ」

 

 王が私を見て、うんうんと頷く。

 

「それでは父上、私たちは参ります」

 

 オードから作り物の笑みは消え、口角の上がった不気味な笑みだけが残る。

 

「うん、本当に楽しそうだね。無事に帰ってくるんだよ」

 

 父親はオードの真の笑みすらも受け入れ、微笑みつつ見送った。

 

「またね。オードちゃん。メルさんも。どうか娘をよろしく」

「父上。どうか、お元気で――さようなら」

 

 オードに表情はない。

 淡々と述べるのみであった。

 

 

 

 梟の背にのって研究所へ向かう。

 

 ちなみに王様は騎士団が復活してから、王城に入っていった。

 凱旋パレードらしい。負けたのに凱旋なのかと思ったが、シュウはこう答えた。

 

『雲が落ちてきたのに関わらず、怪我も汚れも無い王、全員無傷の騎士団。それを前に帰っていった敵達。どちらが勝って、どちらが負けたかなんて一目瞭然でしょ』

 

 それはそうかもしれない。

 どうやら私たちは負けたようだ。

 どうでもよかった。闘った気がそもそもしない。

 ほとんど梟と鯨がやっつけて、私は一部の奴を斬って払っただけだからな。

 

 

 研究所に帰ると、アラフニはあからさまに顔をしかめた。

 文句をいくつか言ったが、それでも部屋とご飯をきっちり手配するところは素晴らしい。

 あまり目立たないが、けっこう優秀じゃないか?

 

『超優秀だよ。教団支部の運営。住民との付き合い。敵との戦闘指揮。能力の有効活用。面倒な奴らの接待。これらを柔軟にこなしつつも、相手の鼻につかせない人柄。そして何より魅力的なプロポーション。今までこの世界で会った中から、一人連れて帰れるなら誰にするって聞かれたら、迷いなく彼女にするね。でも、あの蜘蛛のクリロノミアだけは頂けない』

 

 本人達は間違いなくお前を嫌がるだろうがな。

 それより博士のところに行こう。

 

 

 博士は、またしてもよくわからん人形を作っていた。

 私とオードが研究室に入り、むさ苦しい騎士達は外で待っている。

 集中しているとのことで声をかけられず、しばらく研究が一段落するのを待つ。

 

「サイバミティはどうかね?」

 

 一段落したのか博士はこちらを振り向き尋ねてきた。

 挨拶や姫様がどこの誰かなどといった会話はいっさいない。

 この点は嫌いじゃない。好きでもないが、無駄な長話をするよりはマシだ。

 

『あまり変わらない。ちょこちょこ記憶は戻っているけど、決定打にならないね』

「そうか」

 

 それだけである。

 シュウがメントルや鯨から聞いたことを伝えていた。

 いくつか博士からも質問があり、シュウが答えるといった場面が見られた。

 内容については理解できるものではないため、右から左に抜けていく。

 ようやく話が終わったところで私も尋ねる。

 

 私からも聞きたいことがある。

 グリフォスを知っているな。

 

 返答はない。

 続きを促していると判断し、連絡の取り方を尋ねた。

 

「私から話をすることはできん。定期的に向こうから声をかけてくる。次は、三日後の夜だろう」

『消滅前日か……』

 

 私も話がしたい。

 

「話しておこう。用件はそれだけかね」

『明日――サイバミティを、生前に親交があったと考えられる人間に引き合わせる。人間の発現が見られるかもしれない』

「興味深い。人間の発現確率はどれくらいと考える?」

『五パーセントくらいかな。博士も一緒にどう?』

「同行しよう」

 

 低くないかと尋ねる前に博士は受諾した。

 どうやら博士の中でその数字は高かったらしい。

 

 

 そのまま研究室を出て、割り当てられた部屋に戻る。

 オードとも別れて、久々の一人だ。

 

 そう言えば、例の人間って一千万年前の奴だろ。

 どうやって引き合わせるんだ。

 

『史竜のところに人間みたいなのがいたでしょ』

 

 ……ん、ああ、何も言わない奴だったな。

 え…………あいつなの?

 

『名前が同じだから、そうでしょうな。依り代になって長生きしてるんだろうね』

 

 長生きって域を超えてると思うが……。

 で、会わせるとどうなるの?

 

『サイバミティが、シクティであったときの記憶を取り戻す、はず』

 

 はずって……。

 仮に取り戻すとどうなる?

 

『人間と話をしようとする。でも、人間側も依り代になった時点で、記憶は大幅に失われてるだろうね。そこでどうなるかだ』

 

 やってみないとわからないってことだな。

 

『そこで何もわからなかったら、この世界から手を引く』

 

 手を引くってのは、そのまま元の世界に戻るって事か?

 

『もちろん。消滅に付き合う必要は無い』

 

 月は?

 

『諦めて。月に行って死ぬか、生きてダンジョンに行くか。どっち?』

 

 そんなの決まっている。

 

『じゃあ、そういうことで』

 

 わかった。

 

 この世界は本当に消滅するのか?

 グリフォスとやらに話したらどうにかなるんじゃないの。

 

『無理。もう歴史は決まってる』

 

 確かに史竜はそう語ったな。

 でも、変わることもあるって話があったじゃん。

 

『あれは奇跡。神の力を持ってこない限り不可能。俺も神の力といえば力だけど、局所的だからね。世界全体をどうにかする力はない。グリフォスを味方にして、チートを付けてもやっぱり消滅するだろうね。それくらいは歴史の範囲内だ。実際、メル姐さんが史竜の扉を訪れても歴史は何も変わらなかった』

 

 この世界、消えるのか。

 スケールが、大きすぎて実感がわかないな。

 世界が滅ぶと知っている人間がほとんどいないことが救いかもしれない。

 

 逆に知っている者はどういう心境だろう。

 自分の世界が滅ぶとわかって、どんな思いを抱いているのだろうか?

 

 明日、起きて覚えていたらオードに聞いてみるとしよう。

 きっと忘れているだろうがな。

 

 

5.嘘だと言ったろ、シクティ

 

 翌日、私は扉に中に来ていた。

 一緒に来たのは博士、サイバミティ、オードだ。

 騎士たちは洞窟の前で待機。梟と鯨は興味がないということで留守番である。

 

「すごい場所ですね。本がたくさんです」

 

 オードがそのまんまな感想を述べた。

 博士は興味なさげに周囲を見て、何も言わずに視線を目の前に移した。

 

「お……お、あ…………」

 

 一方のサイバミティは先ほどからこんな感じだ。

 史竜と一緒にいる人間を見てから、口を開けてときどき声を漏らす。

 ちなみにセーフティーは切ってある。もしも切ってなかったら、すでに活動を停止していただろう。

 

「キルハ……、キルハ!」

 

 サイバミティが名前を呼んだ。

 忘れてしまっていたが、それはこの人間の名前らしい。

 

 一方、名前を呼ばれた方は反応をまったく示さない。

 男なのか女なのかわからない長髪は、サイバミティに呼ばれても何かを一心不乱に書き続けている。

 

「キルハ。俺だ! シクティだ! こっちを見ろ!」

 

 見向きもされていない。

 どうやら元の名前を思い出したようである。

 

「キルハ、話せ! キルハ、なぜ話さない……!」

『ぷっ……』

 

 サイバミティが、キルハの胸ぐらを掴み視線は合った。

 しかし、キルハはどこか遠くを眺めており反応を示さない。

 

“無意味。彼女は依り代。人間時の記憶は消失済み”

 

 史竜のメッセージをサイバミティは見ることもない。

 必死にキルハの胸ぐらを掴んで揺すっている。

 

 意味が無いとわかったので、サイバミティの首を掴んで距離を取らせる。

 声と動きで抵抗したが、力の差を埋めることはできない。

 

『キルハがどうして依り代になったのか聞いてみて』

 

 シュウの質問をそのまま史竜に尋ねる。

 

“キルハは、ここで私に触れ自身の世界の歴史と隣の世界の歴史を知った”

 

 歴史を知ったら、どうして依り代になるんだ。

 そもそも依り代って何よ。

 

“依り代とは、史竜である私がこの世界に形を留めるための媒体”

 

 つまりどういうことだ?

 

『史竜はそれ単体だと歴史を知っているだけの存在で形がない。歴史を紙面におこし、本の形にすることができない。キルハがいるから、ここが本だらけになってる』

 

 そうだったのか。

 それで、どうして歴史を知ったら依り代になるんだ。

 

“不明”

 

 いやいや。

 さっきキルハが歴史を知ったって話してたじゃん。

 

“私に触れる前のキルハにその意思はなかった。私に触れた後、依り代になりたいと提案があった。それが歴史を知ったため、依り代になることを希望したと推測される。しかし、私はそれの内面を私は知らない”

『歴史を知ってから依り代になる提案が来たから、心境に何らかの変化があったとわかる。でも、俺がそいつの心まで知るわけねぇだろバーカってことだね』

 

 そこまで言ってなかっただろ。

 ちなみにキルハの世界はどうなったの?

 

“滅亡している。キルハが隣の世界へ移動後に地殻運動が活発化。火山の大規模噴火が相次ぎ、空は噴煙で覆われ寒冷化。地表生態系は絶滅。さらに大型隕石が落下し、地殻がめくれ、岩石蒸気が発生、海水は全て蒸発し海洋生物も死滅した。その後、新たな生態系は現れていない”

 

 よくわからんけど、ぼろくそじゃないか……。

 今さらだが、隣の世界はやっぱり月が落ちるから?

 

“三日後に月と衝突し消滅する”

『あ……、もしかしてそういうことなのかな』

 

 何かわかったの?

 

「お前がキルハをこんなふうにしたのか!」

 

 またしてもサイバミティが暴れ出した。

 確かにそうとれなくもないが、提案したのはキルハからのようだから責められまい。

 これが本人の希望だったんだから、お前も認めてやれ。

 

「お前が認めても、俺が認めん!」

 

 こいつもなかなか頑固だな。

 

「キルハ、忘れたか! お前は言っていた! この世界をお前の世界のようにしないと! あの世界にはまだあいつらがいる! そして、あいつらの残骸が形を変えて蠢いている! あのような成り損ないは粛正されなければならない!」

『ぷぅっ……』

 

 なんかすごいこと言ってるよ。

 

「地上を支配するのは人間だ! 俺は知っている。お前の懐いていた物を! あのぬくもりこそ俺たちが求めていたものだ!」

『くぅ、くくっ…………』

「そうだ! お前はその手に世界を欲しがっていた!」

『はっ、はは、あー駄目だ。笑いが……ゲハハ』

 

 サイバミティ、いやシクティはよくわからないことを熱烈に吠えたくっている。

 その大演説の横で、シュウが笑い始め、とうとうゲラゲラ声をあげ笑う。

 別に笑うところはないはずだけど、何がそんなにおもしろいんだ?

 

『こいつはシ○ッコか? 台詞が際どすぎるだろ』

「目覚めろキルハ! 俺だけが、生きるはずはない。お前の命も、一緒に連れて行く! キルハァ!」

 

 またしてもシュウが爆笑。

 こんなに笑うのは、私がゴミ溜めに頭から突っ込んだとき以来ではないか。

 なんか腹が立ってきた。

 

「来たか!」

『えっ、マジで……』

 

 博士がいきなり叫び、シュウが我に返る。

 目の前ではシクティから、キルハの方へオレンジ色の光の粒子が放たれていた。

 シクティから出た光の粒子は、キルハの心臓付近に吸い込まれていく。

 動き続けていた手が止まり、目の焦点もしっかりしてきている。

 それに、何か気持ち悪い感覚がつきまとう。

 

「久しぶりだね、シクティ」

「目覚めたか、キルハ!」

 

 ハスキーな声だった。

 やっぱり男か女かわからない。

 されどもしっかりと声を出し、シクティを見つめている。

 

「素晴らしい! 人間の発露だ! これで……!」

「行くぞキルハ! 世界が俺たちを待っている!」

 

 張り切るシクティに対して、キルハは穏やかな様子だ。

 

「私は行かないよ。ここで世界の成り行きを見届けると決めたからね」

「何を言っている! そんな腑抜けた調子であの月人と対等に戦えると思っているのか、キルハ!」

 

 シュウはまたしても笑いを堪えている。

 

「シクティ、私たちは負けたんだ。完敗だ。」

「負けていない! 時の運が、まだ動いていなかったというだけだ!」

「運に任せた時点で負けだよ。それに運をつけてもあれには勝てない」

 

 私の拘束から抜け出して、またしてもシクティは机の上に乗る。

 

「たとえ勝てなくてもだ! 俺たちは正しい! 俺たちの行動こそが正義だ! そうだろう!」

『今度は五○かな?』

 

 キルハはゆっくりと首を横にふった。

 

「いいや。グリフォスが正しく、私たちが間違っていた。力も論理も私たちが間違っていたんだ」

「何があったのですか?」

 

 オードがここに来てようやく口を開いた。

 

「君は?」

「エクリプスィ・メラ・オードと申します」

「君が……」

 

 知っている様子だ。

 

「私の名前をご存じなのでしょうか?」

「歴史で見た。細かい部分は書かれていなかったが、なるほど歪んでいる」

 

 オードから表情が消えた。

 彼女本来の顔がジッとキルハを見つめる。

 

「それはつまり?」

「君の願いは叶うよ」

 

 ニッタァと今までで一番気持ち悪い笑みをオードは見せた。

 キルハはその笑顔を見ても何一つ表情を変えない。

 

「シクティ、私はここに残る。君は帰るんだ」

「お前を置いて行けるわけがない! 共に戦い抜くと言っただろう!」

 

 キルハはやれやれと首をふる。

 

「あれは君をやる気にさせるための狂言だ」

「嘘だ!」

「本当さ。全て君を騙すためだ。君は良く戦ってくれた。ありがとう」

「嘘だ! 何を言っている! 何を言っているんだ。キルハ! 俺はお前の気持ちを知っている!」

 

 ふぅーと長い溜息をつき、キルハはシクティを見据えた。

 

「本当に覚えていないのかい? 最後に言っただろ。私には君の気持ちがわからない。全て嘘さ。嘘だといったろ、シクティ」

 

 何かよくわからん雄叫びをあげてシクティはキルハに襲いかかる。

 しかし、その暴挙はあっさりと止められた。

 シクティの腕、足、胴体に文字が絡みついていた。

 

『おぉ、空間記述! 史竜の力も取り込んでるね』

 

 すごいの?

 初めて見たからすごいんだろうけどさ。

 

『魔法陣の完全上位版だよ。紙も壁もいらないし、三次元記述に、自動速記ときた。あっちの入口にも書かれてたから魔法陣は得意だとは思ったけど、依り代になってさらに強化されてる。戦うことはないと思うけど、俺たちじゃ絶対に勝てないから注意してね。この距離でも無理だから』

 

 それはわかる。

 さっきからの気持ち悪い感覚。

 これは私の本能が逃げようとしているからだろう。

 

 絡みついた文字がそのままサイバミティを浮かせて、扉の前に移動させた。

 サイバミティからはちょうどキルハの背を見る形になっている。

 

「シクティ。いや、サイバミティという名をもらったんだったね。サイバミティ、もう一度グリフォスに会うんだ。今の君なら見えるだろう。何が正しいのか、そして何が間違っているのかが――」

「キルハ! 俺はまた来る! 必ず貴様をここから連れ出してやるからな!」

 

 サイバミティは叫びながら、扉の外に出て行ってしまった。

 

「さて、何があったかだったね」

 

 ぼんやり扉を見ていたが、キルハの声で意識が戻った。

 

「サイバミティから距離を取っても意識は残るのか?」

「いえ、長くは保ちません。貴方がエレベケフ博士ですね。シクティと引き合わせてくださって感謝します」

「感謝は不要だ。偶然の重なりによる部分が大きい」

「そうでしょうね。歴史には残らない些末なことが重なった結果です。しかし、私はこの些末の重なりが無駄とは思えません」

「私は歴史に関心がない」

 

 博士は会話をあっさりと断ち切った。

 この辺りが博士らしい。私は割と嫌いじゃない。

 

 それで、何だったっけ。そう、月でグリフォスと戦ったらしいけど負けたのか?

 サイバミティも吠えてたが、今なら勝てるんじゃないか?

 凄い魔法陣も使えるんだろ。

 

「無理です。勝てません」

 

 私が逃げたくなるような相手が、無理という相手か。

 なるべく敵対したくないな。

 

「敵対にすらならないでしょう」

 

 強さが違うってことだろうか。

 それで、月では何があったんだ?

 そもそもどうして隣の世界に来たんだ?

 

「私の元々いた世界は滅びかけていました。新天地を求め、虹竜を倒し、あの世界にたどり着きましたが、地上には月から来たという生命体が跋扈していました。当時の私は、彼らの侵略によって人間が滅亡したのだと信じ、彼らを倒しつつ、人を探し求めて世界を彷徨い続けました」

『だが、残念。人はそもそも誕生すらしてなかった』

 

 人が生まれる、ずっと前の大昔に来たんだったな。

 

「そのとおりです。世界間の文明進度の格差を私は理解していなかった。私の世界にあるものは、隣の世界にあって当然という意識があった。シクティと知り合い、一部に人間とも友好的な月人もいた。それでも私は月人を倒し続けた」

 

 メントル達を倒して、グリフォスに呼ばれたと。

 

「彼に為す術なく敗北し、グリフォスに世界の構造を聞いた。そもそも人類が誕生していないこと。彼らもまた人間と言えること。私の世界がもう滅んでしまったことを。そして、ここに来てそのどれも偽りではないとわかった」

『……グリフォスは何者? 世界の構造を知っていて、他の世界が覗ける存在ってちょっとやばすぎない。竜を軽く超えちゃってるんじゃない』

 

 シュウが恐れている。

 どうやら本当にやばい奴のようだ。

 

「私は可能性を探るために史竜の依り代となった。グリフォスと、彼の話した可能性にかけることにした」

 

 グリフォスの言った可能性って何だ?

 

「歴史の変更」

 

 ああ、私の世界であったやつだろ。

 

「……覚えていませんか?」

 

 いや、覚えてるぞ。

 神の力を持ってこないと無理なんだろ。奇跡だと聞いた。

 

「史竜の歴史はごく稀に変更される。グリフォスもその奇跡を語った。あの彼にすら及ばぬ、神の領域だと」

 

 なんでそんなにジッと見てくるんだ。

 確かに神の力は知っているが、こいつは無理って言ってたぞ。

 

『無理だね。変更されてるならとっくに変わってる。もう歴史は変わらない』

 

 やっぱり変わらないって。

 

「三人のファクターがここに揃った。これでも駄目……、時間が、ない」

 

 キルハの目の焦点が合わなくなってきている。

 

『グリフォスとシクティの能力を聞いてみて』

 

 私は急いでキルハに尋ねる。

 

「グリフォスの力は『謎』。まず彼自身が、私の知る限りほぼ全ての魔法を瞬時に行使できる。加えて『謎』の力により、魔法では行使できない他の月人の力を使用できる。虹竜を倒した際に手に入れた術技すら、そのまま再現されてしまった。それも、これらを一つではなく並列で実行可能だ」

『そんなん、チートや』

 

 ほんとだな。お前も使えれば良かったのに。

 シクティは?

 

「同化だ」

 

 ……なにそれ?

 

「対象と一体化する。私も彼と何度か同化した。戦闘能力や処理能力を上げられるが、何よりも意識の同調が主要な効果だと考えている。それで私が月人を知ったように、彼も人間を知った。そのとき、彼は人間の感情を得た。同時に、私も……」

 

 キルハが頭を押さえ始めた。

 

「ああ、そうさ……嘘だと、言ったろ……シク……」

 

 そこで言葉は止まった。

 静かに頭を上げたキルハは再び紙面に向かう。

 何も話さず、何も見ていない。ただ、静かに歴史を記し始めた。

 

 

 

 博士とオードには先に隣の世界に帰ってもらった。

 いろいろわかったが、世界の消滅を防ぐことができるのか?

 

『歴史は変わってない』

 

 そうか。

 じゃあ、元の世界に帰ってダンジョンに行くか。

 デブが痩せていたら一緒に連れて行くことにしよう。

 

『いや、何とかなる……と思う。割と賭けだけどね』

 

 勝算は?

 

『十パーセントくらいかな』

 

 サイバミティから人間が出てくる可能性の倍だ。

 そして、それは見事に成功した。

 

 おもしろくなりそうか?

 

『それは間違いない。でも、危険だよ』

 

 ダンジョンだって危険だ。

 そこは頭脳班でなんとかしろ。

 

『前向きに検討する用意があることを原則的に確認致しました』

 

 ……やるの、やらないの?

 どっちなの?

 

『やる、やらないは意思決定係の仕事』

 

 よし。決定だ。

 なんとかなるって言うんだから、なんとかしろ。

 

 うむうむ、良かった。

 このまま帰ったらさすがに目覚めが悪いからな。

 

 これで月は落ちてこないんだな。

 世界は消滅することもなく、今後もまた変わらぬ平穏な朝がやってくる。

 

 そうだろ、シュウ。

 

 

 

6.月よ、行け! 浅からぬ歴史と共に!

 

 教団支部に戻り、研究室に集まる。

 グリフォスが話しかけてくるのは明後日の夜だ。

 それまでに何かしておかなければいけないことがあるだろうか。

 

「私は研究を続ける」

 

 博士はいつもどおり研究に戻った。

 世界が消滅すると聞いたはずだが、この博士は何も感じないのだろうか。

 ちなみにサイバミティは外で空に向かって、グリフォスグリフォス叫んでいる。

 梟は宿主とぺちゃくちゃ話をしているし、鯨は内部の子供を泡で遊び面倒をみていた。

 騎士団はオードの気まぐれに付き合わされあっちこっちと忙しい。

 オードは世界の消滅をどう考えているのかよくわからない。

 

 だらだらと過ごして、運命の夜がやってきた。

 博士にグリフォスから連絡が来るのを、研究室で待っている。

 鯨と梟も一緒である。オードはいるが騎士団は邪魔だったのでバリガンしかいない。

 

 待っているがなかなか連絡が来ない。

 博士は相変わらず研究を続けているし、他の奴らは話をしている。

 私は三人以上になると、話ができない組に分類されるのでぼんやりしている。

 駄目だ。眠くなってきた。連絡が来たら起こして。

 

 

 

『……メル姐さん。早く起きて。いつまで寝てるの』

 

 遠くでシュウの声が聞こえた。

 目を開けると、横幅も天井も高くなっている。

 ドーム型の部屋は天井から床まで白一色でおもしろみがない。

 広い部屋の中心には何かよくわからない黒いオブジェがぽつりと置かれていた。

 

 あれ?

 研究室にいなかったっけ?

 

『いたよ。博士にグリフォスから連絡が入った』

 

 あっ、やっと来たのか。

 それで博士は?

 

『ここにはいないよ』

 

 周囲を見れば、サイバミティとオードしかいなくなっている。

 ずいぶんと減ってしまっているな。

 ……ここどこ?

 

『普通はそれを最初に聞く。月だよ。月の内部。メル姐さんがなかなか起きないから、そのまま飛ばされちゃったんだ』

 

 おもしろくもない冗談だな。

 

「事実です。私たちは月に転移しました。貴方はいつまで経っても起きないので話をそのまま進めました」

 

 オードまで言ってる。

 もしかしてここは本当に月なの?

 月ってそんな簡単に来られるものなのか?

 

『そんなわけないじゃん。時空間魔法にしても、距離がありすぎる。三人指定して同時に飛ばすとかあり得ない。しかも重力と空気まで整ってるし』

 

 実感はないが、ここが月だということにしよう。

 それでそんなすごいことをしでかしたグリフォスとやらはどこにいるんだ。

 

『ずっとそこにいるじゃん』

 

 辺りを見回すが誰もいない。

 サイバミティは何か叫びながら、オブジェを殴り続けている。

 変わったオブジェだな。真っ黒で四面体をくっつけたような形だ。

 

『その正八面体がグリフォス』

 

 ふーん、そうなのか。

 もう夢なのか現実なのかわからなくなってきた。

 ここが月だという実感はなく、グリフォスもまるで想像と違う。

 瞬きをした後で研究所に戻っていたとしても、私は夢だったと受け入れるだろう。

 

『夢だと思うなら夢のままで良いよ』

 

 そうしよう。

 それで、問題のグリフォスはずっと殴られてるんだが……。

 声も動きも全くない。やはり本当はただのオブジェなんじゃないのか?

 

『かなり無口らしい。それに時間スケールが俺たちの比じゃないから。俺たちの一日って、たぶんこいつの瞬き一回みたいな感覚だよ』

 

 その後、私たちから何度か話しかけてみたが、グリフォスは何も返事をしない。

 シュウで攻撃しようとすると、防御魔法が働いたのでおそらくこいつがグリフォスなのだろう。

 しかし、キルハで感じたような恐怖というものがこいつからは感じない。

 

「私はずっと考えていた」

 

 突如、無機質な声が響いた。

 杖の奴と同じく、どこから声が出ているのかわからないが喋った。

 

「グリフォォォッス!」

 

 サイバミティはまた攻撃するがグリフォスは反応すらしない。

 うるさいのでサイバミティの首を掴んで引き寄せる。

 

「考えれども考えれども思考がまとまらない」

 

 はぁ、そうなのか。

 そんなに何を考えてるんだ?

 

「私は何を考えているのかすら思い出せない……。考えれば考え出すほどキリがない。もう、疲れた」

 

 疲れたらしい。

 よくわからんけど休んだら?

 連続で考えるとけっこう疲れるぞ。

 

『メル姐さんは一分も考え続けられないもんね』

 

 うむ。

 下手な考え休むに似たり。

 私は特に考えず、直感で動くことが多いな。

 いつから、考え事をしてたんだ?

 

「君たちの時間単位でおよそ三七億年」

 

 少し経ってからぼそりと返ってきた。

 冗談だと思っていたのだが、笑いは起きないし、誰も何も言わない。

 

『年齢を聞いてみて』

 

 失礼かどうかわからんけど、おいくつだ?

 

「四五億になる」

 

 老人を超えてしまって、なんと呼べばいいのかわからない。

 

『……俺たちの星だと生命の誕生は約三八億年前なんだよね。――間違いない。キルハが正しいというはずだよ。この世界の歴史はこいつの歴史と同義だ』

 

 すまん、万年ですらさっぱりわからないのに、億年とか想像もつかない。

 やはりここは夢ではないのだろうか。

 

「あの星に海ができ、生命が誕生した。そのときから生死が発生し、滅亡と繁栄が繰り返された。私はずっとそれを見てきた」

 

 気の遠くなる話だ。

 退屈にならなかったのか?

 

「初めは、自分以外の生命への好奇心だった。観察しているうちになぜ私は死なないのか考えるようになった。私はあの星に住まう者達を見届ける義務があるのだと考えた。それが仕事になり、義務になり、気づけばこのありさまだ」

 

 どういうありさまなんだろうか。

 

「考えがおぼつかない。張り切れば張り切るほど空しくなってくる。少し気を抜けば、月を今の位置まで移動するのを許してしまっていた。以前ほどの楽しさも喜びもなくなった。エレベケフ博士と話をして、有意義だと感じる反面で気分は晴れない」

『それ、鬱病じゃない?』

 

 どういう病気なの?

 いや、どういう病気なのかはなんとなく雰囲気でわかる。

 どうやったら治るの?

 

『何よりも休養かな』

 

 休養が必要らしい。

 ちょっと休んだらどう?

 

「休んで良いのだろうか?」

 

 いいんじゃない。

 私もダンジョン攻略以外はいつも休んでるぞ。

 

「そうですね。疲れたなら休むべきでしょう」

 

 隣からオードも援護してくる。

 

「しかし、月は……、あの星は大丈夫だろうか」

 

 大丈夫じゃない?

 休んだら何か問題があるのか?

 

「特にないでしょう」

 

 オードがあっさり答える。

 シュウにも聞いておく。

 

 なんかあるか?

 

『ある。休む前にやって欲しいことがいくつかある』

 

 やっぱ問題あるって。

 なんかやって欲しいことがあるから、それから休んで。

 

『一つ目は、せっかく整えてもらって悪いんだけど、ここの環境をゆっくり元に戻して。ゆっくりっていうのは手を二百回たたくから、最初の十回でリズムを計って、残りの百九十回で元に戻るよう変化させて欲しい』

 

 シュウの用件をそのまま伝えた。

 

「わかった」

 

 だいぶ時間が経ってから答えが返ってきた。

 その後は、何も喋らない。それだけか。

 

『じゃあ、オードちゃん。リズムに合わせて手をたたいていこうか。はい、一、二……』

「私ですか?」

『メル姐さんは、リズム取らせると変なことになるから』

 

 シュウの言うリズムに合わせてオードが手を叩く。

 最初はその変化に気づかなかったが、三十を過ぎたあたりで異常を感じた。

 体が軽くなり、手を叩く音も聞こえづらくなってきている。

 それに息が浅く……あれ?

 

『よし、耐性ゲット。息は大丈夫でしょ』

 

 ああ、徐々に息苦しくなったが元に戻った。

 でも音の聞こえづらさと体の軽さは元に戻らないぞ。

 

『それでいい』

 

 手を叩き終える頃には、音はなくなり、体はふわふわして上手く歩くこともできなかった。

 次は?

 

『グリフォスとパーティー登録』

 

 残り一つだったリングをグリフォスに差し出す。

 しばらく何の反応もなかったが、指輪がフワリと浮いてグリフォスに飲み込まれていった。

 その後、グリフォスに指輪を当てるとパーティ登録ができた。

 しかし声が聞こえないのは不便だな。

 

 あら。

 

「聞こえてますね」

 

 チートだな。

 

『違う。グリフォスがやった。参考にさせてもらおう。ちょうどいいや。このまま聞いて。この後、どうするかを簡単に説明しておくね。グリフォスも返事はしなくていいから聞いといて』

 

 はいはい、どうぞ。

 

『まず、グリフォスが休むと月が落ちる』

 

 駄目じゃん。

 いきなり駄目駄目じゃん。

 

『落ち着いて。もちろんそれじゃ駄目だ。ただの滅亡になっちゃう。だから、彼にしてもらうことがまだあるんだ』

 

 ああ、そりゃそうだよな。

 なんとかするんだろ、どうするんだ?

 

『まず外に出る。宇宙空間だね。耐性をつけたからおそらく問題ない』

 

 宇宙?

 どこそこ?

 

『宇宙は空にあり』

 

 空のことなのか。

 すごい高い空なんでしょ? 耐性がいるのか?

 あぁ、落ちないようにするとかか。

 

『新鮮な回答だね。落下はほぼ心配ない。耐性は窒息、圧力変化、宇宙線対策、体の熱の放射、空気はないけど低温や高温、それに――』

 

 わかった。

 とにかくたくさんいるってことだな。

 

『おならとげっぷも禁止ね』

 

 えっ、それも駄目なの?

 

『駄目』

 

 冗談だと思ったら口調がかなり本気だった。

 それで、どうするんだ?

 

『グリフォスには――月と一体化してもらって、全力で加速して星にぶつかってもらう。俺たちは遠くからそれを眺める。これで大丈夫』

 

 ……えっ、何が大丈夫なの?

 それで行くと、住む場所がなくなるんじゃない?

 さっきの滅亡と同じでしょ。

 

『まぁ、そうなるね』

 

 駄目じゃないか。

 おい、オード。なんとか言ってやれよ。

 こいつはおまえの住んでいるところを滅ぼすつもりだぞ。

 

「望むところです」

 

 オードの顔を見ると、たまに見る気持ち悪い笑顔をしていた。

 何が、そんなにおもしろんだ。

 

「あぁ……、ついに――」

 

 恍惚としている。

 意味がわからない。

 

「ふざけるな! そんなことをしたらどうなるかわかってるのか!」

 

 サイバミティが私の手をふりほどいて抗議の声をあげた。

 私も同じようなことを思っていたので、そのまま言わせておく。

 

『全部死んじゃうね。虫も、魚も、動物も、クリロノミア、人間はもちろん、月人だって死ぬ。星が死ぬと言っても過言じゃない』

「素晴らしいことです」

 

 シュウは淡々と述べ、オードは恍惚とした表情で頷く。

 何が素晴らしいのかさっぱりわからない。

 

「お前は人間だろう! どうして自らの星の消滅を願う!」

「退屈だからです。つまらないんですよ」

「つ、つまらない……」

 

 サイバミティが一瞬言葉を失った。

 それでもすぐに取り戻し、声をあげる。

 

「つまらないと思ってるから世界を破壊するのか!」

「はい。その通りです。つまらないものを全て壊してみたかったんです」

「そんな馬鹿な話があるか! つまらないのは世界ではない! お前だ! お前がつまらない人間だから、世界もつまらなく見えるんだ! お前のつまらない思考に世界を巻き込むな!」

 

 すごい言いようだ。

 実は私も似たような事を思っていた。

 世界がつまらないんじゃなくて、オードがおもしろくない。

 こいつは私の行動をおもしろがっているが、私はこいつをおもしろいと思ったことがない。

 おもしろくないのは世界じゃなくて、こいつなんだろう。

 

 そんなことを思ってはいても、さすがに直接は言えない。

 よくぞ言ったと褒めてやりたいくらいである。

 

 一方のオードは怒ると思いきや、ニタニタと笑っていた。

 シュウも声を抑えるように軽く笑っている。

 気持ち悪い奴らだ。

 

「貴方のその物言いは嫌いじゃありません。それでも私は世界がおもしろくない。生まれたときからこれはこうだからと決まっている。誰もそれに違和感を覚えないし、変えようともしない。そんなくだらない世界を全て消してみたかったんです。考えるだけでもおもしろかったんですよ。実際にやったらもっとおもしろいと思っていました」

 

 今は、楽しいか?

 

「はい! とても楽しいです! 早く世界が滅ぶところが見てみたい! 私は今! おもしろいと感じることができている! こんな昂揚感は生まれて初めてです!」

 

 確かに楽しそうなのだが、それで消される人たちは良い迷惑だろう。

 人の振りを見ているとよくわかるもので、もしかしたら私も普段こんな感じなのだろうか。

 

『大正解。人の迷惑なんて一切考えずに、やりたいことやって迷惑を撒き散らしてる。スケールが違うだけの五十歩百歩だよ』

 

 もうちょっと優しく言ってもらえないか。

 

 しかし、それなら私がどうこう言うことはできない気がする。

 だが、このまま放っておくと取り返しがつかないことになるのも間違いない。

 どうすりゃいいんだろうか。チラッ、チラッ。

 

『こっち見んな。ほっとけばいい。なるようになる』

「何を言っている! なるようになるわけがない! 世界が消滅するんだぞ!」

「一緒に見届けましょう。みんな星屑になってしまう瞬間を!」

「黙っていろ!」

 

 サイバミティがまた暴れ始めたので、私が押さえる。

 どうどう、どうどう。

 

『グリフォスが月と一体化して、全力で星に落ちる。それで全てが終わりだ』

「馬鹿な。そんなことができるものか!」

 

 グリフォスの返答はない。

 全員の視線がグリフォスに集まったところで、彼の姿が消えた。

 

「星へ向かう」

 

 どこからかわからないが、無機質な声が響いてきた。

 同時に、地面がぐらりと揺れる。

 

「これで、全てが終わるのですね」

「止めろ! 止めるんだ、グリフォス!」

 

 オードが感無量という様子で呟く横で、サイバミティは周囲に止めるように怒鳴りちらす。

 

『さて、ここじゃ衝突の瞬間が見えないな。グリフォス、俺たちを宇宙に出してくれ。できれば、月と星が横から見える位置がいい』

「今すぐ止めろ!」

『止めたいなら自分で止めるんだね。グリフォス、先にサイバミティだけは地上に戻してやってくれ』

 

 願いは受け入れられた。

 まずサイバミティが白っぽい光に包まれ、この場から消えた。

 

『最後に――グリフォス。君の四五億年に及ぶ地道な勤労に敬意を表す』

 

 白っぽい光に包まれたと思ったら、暗いところに飛ばされていた。

 

 暗いと感じたが、光源はいくつもある。

 左手に青と白がぼんやりと光る球体があった。

 右手には、白と灰色が混ざったような球体がある。大きさは左の球の三分の一くらいだろうか。

 

『うっわ……、ほんとに近いな』

 

 あの、もしかしてなんだけど……。

 

 声を出したつもりだったが、音にならない。

 それに体もふわふわ浮いていて、どうにも落ち着かない。

 

『宇宙だからね。それと思ってるとおりだよ。地上とか星って呼んでたのが左の球体。月ってのが右ね』

 

 やっぱりそうなのか。

 あの球体のどこかに研究所や皇都があるんだな。

 それにしても青い部分は海だろ。ほとんど海じゃないか。

 

『そうだね。俺のいた星よりも海が多いかもね』

 

 きれいだな。暗い中にふわりと白と青が混ざる宝石が浮かんでいるようだ。

 宝石は何度も見てきたが、どの宝石よりも美しく見える。

 

 オードも私の隣で、表情もなく二つの球体を見ている。

 何を感じているのかはよくわからない。

 

『徐々に近づいていってるね』

 

 そうは言われたもののよくわからない。

 

『比較する対象がないからわかりづらいけど近づいてるよ。あり得ない速さでね』

 

 あれが互いにぶつかったらどうなるんだ?

 

『あのくらいの速度なら、表面が弾けてからくっついて一つになる。でも、今回はグリフォスが月と一体化して強化されてるから、月は砕けて、星もぶっ壊れるんじゃないかな』

 

 両方砕けたら、私たちはどうするの?

 

『どうしようもないね。そうなったら失敗ということで諦めて』

 

 ……え?

 どうにかなるんじゃないの?

 

『なんとかなるよ。上手く伝わってればね』

 

 ああ、びっくりした。

 全部ブラフだったんだよな。

 さすがにあの星がぶつかるわけがない。

 どうやってか知らないが、誰かが止めるんだろ。

 また私が寝ている間に、何か作戦を伝えておいたのか?

 

『いや、今回はちゃんとメル姐さんが起きてる間に真横で伝えた。直接じゃないけどね』

 

 そうやってまたお得意のわかりづらい伝達を使う……。

 私には全然そんなことわからなかったぞ。

 本人もわかってないんじゃない?

 

『かもしれない。でも、きちんと伝えるよりも、きちんと伝えない方が成功する見込みが高いと思った』

 

 で、誰に伝えたんだ?

 梟か? 念動力で月を止めてもらうとか?

 

『違う。念動力ごときで勢いを付けた月を止めるとか不可能』

 

 じゃあ、鯨だな。

 泡で月を防ぐつもりだろ。

 

『無理無理。泡と念動力を合わせても不可能』

 

 ……杖の予言とか?

 

『予言じゃ止められない』

 

 だよなー。

 それはわかってた。

 あっ、まさかアラフニと博士か?

 

『あり得ない……けど、ちょっと見てみたいかもしれない』

 

 じゃあ、誰なの?

 あ、そうかそうか。キルハだな。

 小難しい話も出てたし、あの中で伝えてたんだろ。

 

『違うね。あいつも伝える側だった』

 

 それって、えっ、じゃあ――、

 

『そう。サイバミティだよ。俺とキルハはサイバミティに賭けたんだ』

 

 あいつに何を伝えたんだ?

 

『もしも、メル姐さんがこの世界に来ていなかったら――どうなってたと思う?』

 

 出たよ。お得意の質問返し。

 まあ、いい。星同士の衝突にはまだかかりそうだ。

 ぎりぎりでも止める手段がきっと残されているんだろう。

 そもそも、その仮定は意味があるのか? 来ることは決まってたんだろ。

 

『いや、そんなことはない。それにどう考えてもおかしい。あっちの世界の歴史は変更された。変更される前はこっちには来てない。それなのに、あっちの世界が変更されて、こっちの世界の歴史が変更されてないってのはあり得ない。要するに、メル姐さんが来てない世界線から、来てる世界線になっても歴史は変更されなかった』

 

 何が要するになのかすら、よくわからん。

 でも、史竜は滅びるって話してたから滅びてたんじゃないか?

 

『その通り。メントルからオードにフェガリ教団へ行けって助言が出たのは、姫様と博士、ひいてはグリフォスとを会わせるためだった。助言を出したタイミングでは、俺たちがまだこっちの世界にいなかったから、本当は教団に姫様が捕まって博士と出会い、その後でグリフォスと話をしたんだと思う』

 

 仮にそうなるとしよう。

 そうなるとどうなるんだ?

 

『世界が消滅する』

 

 飛躍しすぎじゃない?

 

『何となくわかってるだろうけど、オードは破滅的だ。あいつは世界の破滅を望んでいる。グリフォスも疲れ切ってて鬱状態。滅ぶことを受け入れてくれる存在がいたことに安堵して月を落とす。たぶん、姫様が言いくるめて派手に落として世界が消滅したんだと思う』

 

 ふーん。こいつは碌な事をしないな。

 でも、私が来たところで何も変わらないってことだったろ。

 このままだと世界は滅ぶんじゃないか? どうやって止めるつもりなんだ?

 

『おしい』

 

 ……おしい?

 正解じゃないの?

 

『滅ぶんじゃなくて消滅。滅亡ではない』

 

 同じじゃん。

 

『全然違うよ。キルハの元いた世界はぼろくそになっても歴史はまだ続いてる書き方をされた。一方でこっちの世界は消滅で止まってる』

 

 消滅と止まるは一緒でしょ?

 このままだと星同士がぶつかって消滅するんだろ。

 滅亡も消滅もどちらも全滅だ。言葉遊びもいい加減に疲れてきた。

 

『もしもメル姐さんが来てなかったら、この世界は消滅する』

 

 そうだな。

 最初からそう言ってるじゃん。

 

『誰だったかな。「歴史は、現在と過去との対話である」と言ったのは。歴史に終止符を打つ人間と、歴史を変革した人間が出会ったんだ。何も起きないはずがない』

 

 さっきから歴史、歴史うるさいぞ。

 なんかもう歴史が何かすらわからなくなってきてしまった。

 

『そこだよ。史竜のところで書かれてた歴史ってのは、つまるところ史竜の事実に対する解釈だ。史竜は滅亡ではなく世界の消滅と解釈した。それはメル姐さんが来た世界線になっても何一つ変わっていない! さあ、歴史の幕が閉じるぞ!』

 

 ごめん。

 もう何もわからないから一言でまとめて。

 

 はい、どうぞ。

 

『一つの歴史が終わり、世界は新たな歴史の幕開きを迎える』

 

 

 

 歴史の幕開きってのはどういうことだ?

 そもそもの問いに戻るが、お前はサイバミティに何を伝えたんだ?

 

『史竜は消滅すると言ったけど、歴史が終わるとは言ってない』

 

 ……同じじゃないのか?

 

『メル姐さんが来てなかったら、世界は消滅して書く対象が完全消滅して歴史はきちんと幕を閉じた。歴史書はそこで終了。後には何も続かない』

 

 そうだろうな。

 消滅したらどうしようもない。

 

『メル姐さんが来ても消滅はまぬがれないと史竜は把握した。流れもほぼ同じ、登場人物がちょっと増えたけど大筋は変わらないから、文章の変更もない。俺も、止める手段をいくつか考えたけど、グリフォスが俺たちの手に負えなさそうだからどうしようもない。それならいっそ消滅させるべきと考えた』

 

 ……じゃあ、あの衝突は止めないのか?

 

『止めない。衝突させる。ぶっ壊すぞい!』

 

 だが、消滅してしまったらどうしようもないじゃないか?

 

『復活させればいい』

 

 ……ああ、そうか。

 グリフォスはパーティメンバーだ。

 月と一体化したグリフォスの攻撃と判断されれば復活するか。

 でも、人は復活するだろうが星はどうなるんだ?

 

『そう。問題は星だったんだ。星は消滅しても復活しない。そこでサイバミティだよ。あいつにあの星と一体化してもらう。グリフォスが月と一体化したところを見せた。あいつも一体化する……はず』

 

 大丈夫なの?

 本当にわかってるのか、あいつ。

 

『それしかあいつにできることはない。火事場の馬鹿力でやってくれる。単細胞だから、星にはより圧倒的な星をぶつけるしかないと気づくでしょう。パーティスキルも全振りしておいた』

 

 そろそろ衝突だな。

 

「いよいよです。あぁ――終焉(しゅうえん)の星、来(きた)るべき月」

『略して「えん☆たる」だね』

 

 略す必要ないよね?

 

 おっ。

 

『やってくれたか』

 

 青白い球体から、オレンジ色の光がほのかに沸き上がる。

 あの輝きはサイバミティのものだ。無事に一体化したらしい。

 

 その光に誘われるようにして灰色の球体がぶきみなほどゆっくりとぶつかっていった。

 

『あれ……、ゆっくりに見えるけど、恐ろしいほどの速度が出てるよ』

 

 衝突に際し音はなかった。ここではずっと音がない。

 あまりの音量のため、シュウが聴覚を切っているのかもしれない。

 

 青い星の衝突部から、水面に石を落としたときのような飛沫が上がった。色は赤である。

 赤い水しぶきは浮き上がった後に、ゆっくりと青白い星に降り注いでいく。

 

『地殻津波だね。あの小さく見えるしぶきも一つ一つが丘みたいなもんだよ。あれが隕石として地表に落ちていく』

 

 飛沫が消えると、月がどこかに消えていた。

 星の表面の至るところから泡のようなものが湧き、青白かった表面は赤に覆われていく。

 

『全滅だね。海もあっという間に蒸発するでしょうな』

 

 赤が黄色みを増し、星は小さな太陽になってしまった。

 

『さて、これだけなら滅亡だ。ここからが肝心だぞ……』

 

 火の玉から一本の糸が出てくる。

 糸は徐々に綱のように太くなり、火の玉の周囲を渦巻く。

 ある程度、渦巻くとその綱は意思を持っているようにこちらへゆっくりと向かってきた。

 

『まあ、そうなるか』

 

 なんかこっちに来てるけど大丈夫なの?

 

『ここじゃどうしようもないからね』

 

 シュウが落ち着いているところを見る限り問題はないのだろう。

 

 火の綱は、私たちに迫りそのまま呑み込んだ。

 しかし、熱さも何も感じない。

 

「敵はグリフォスではなかった! お前たちだ! お前達こそ真の敵だ!」

 

 真っ赤な赤の帯に呑み込まれ、サイバミティの声が聞こえた。

 

「人間は死んだ! 人間だけではない! 全てだ! 全てが死んだんだ! お前たちが殺した! 灼熱の波が悉くを呑み込んだ! わかるか!」

 

 わからん。

 あいにくとまだ死んだことがない。

 それにここからだと、人の姿とかまったく見えないぞ。

 

「そうだろうな! それならば! お前たちもその熱さを思い知れ!」

 

 サイバミティの核の部分が、灼熱を纏って私の前で叫んでいる。

 見た目は熱いんだけど、全然熱くない。暑さすら感じないぞ。

 

『悪いけど「同士討ち無効」ってスキルでね。そっちの攻撃は俺たちに効かないように設定してるんだ』

 

 ひどい。

 

「この悪魔どもめ! 自分たちだけ安全な場所にいる傍観者め!」

『いやぁ、何だか悪いね。わざわざ来てもらって。パーティー登録の解除で死んでもらう予定だったけど、手間が省けたよ。それだとチートの効果が消えるから確実に復活する力があるのか不安だったんだよね』

 

 ほんとひどい。

 悪魔は私じゃなくてこいつだろう。

 

『じゃあ、メル姐さん。弱めに斬っちゃって』

 

 弱めに?

 

『そう、かする程度でいい』

 

 返答は行動で示した。

 サイバミティのコアを軽く斬りつける。

 しまった……、けっこう深くやってしまった。

 

「ぐぅっ、まだだ! まだ、俺は死なないぞ……! 絶対にお前たちを排除する!」

『そうだね、ここで死んだら困る。星の復活位置がずれすぎる。復活した人たちがまたあそこで死んじゃわないように、きちんと元の位置まで戻ってから死んでね。毒を付けたから急いだ方が良いよ』

 

 本当にひどい。

 サイバミティもいろいろ葛藤して吠えながら私たちから遠ざかっていく。

 徐々に炎の綱は細く、短くなっていき最終的には消えてなくなった。

 

 これで世界には私とオードだけが残った。

 星の位置には無数のドロップアイテムが、死んだ位置で残り、そこに星があるかのように煌めいている。

 

 この世界には今、私とオードだけがいるのか。

 こいつは念願の世界消滅だが、いったいどんな感想を懐いているのか。

 

 隣を見ると、オードは口を開けて泣いていた。

 涙は頬を流れず、水滴となって顔の周囲を漂っている。

 

 どうしたの?

 

「美しかったのです……。長い歴史の間に築かれてきたであろう一切が、破壊され、死に絶え、消滅していくその光景が……」

 

 確かに綺麗ではあったが、そこまで感動するほどであろうか……。

 私にはやりすぎたんじゃないかという自戒の念が強い。

 

『今回は徹底的にやらないと失敗したからね。心を鬼にしてやり遂げたよ』

 

 ほんとかぁ?

 ノリノリでサイバミティを追い詰めてただろ。

 

『さて、問題がもう一つ残ってる』

 

 話を逸らしたぞ。

 で、問題とは?

 

『月だよ。復活はするんだろうけど、地球に近い場所で復活する。ほっとくと地球とまた衝突する』

 

 どうすりゃいいんだ?

 

『どうしようもない。実はここが一番の賭けなんだよね。グリフォスが復活して、あの鬱がどうなってるかだよ。治ってないとまたクライシス』

 

 言ってる側から、白く淡い光が暗闇の中に充満し形を作った。

 

『場所はやっぱりそこか』

 

 若干ずれているが、星のアイテムにギリギリかからない位置で月が復活した。

 おっ、動いてないか。ややアイテムの光から遠ざかっている。

 ……私たちはどうするの?

 

『グリフォスに拾ってもらう』

 

 なるほど、……どうやって?

 声は届かないだろ。

 

『問題ないでしょう。送ったのがあいつなんだし、場所もほとんど動いてない。ほらきた――』

 

 覚えのある白い光に包まれる。

 再び目を開けると、灰色の何もないドームの中だった。

 黒いオブジェも見当たらない。

 

「すごいスッキリ!」

 

 声が聞こえた。

 聞き覚えはあるが調子が違う。

 

「すごい――すごく調子が良い! 頭がクリア!」

 

 たぶんグリフォスだが、なんかおかしい。

 返答も恐ろしく速くなっている。

 

『それは良かった。すでに動かしてくれてるようだけど、月の位置をなるべく遠くにしてもらえる?』

「もう加速中だよ。距離と速さを最適化する。生命体のコア――君たちがドロップアイテムと呼ぶものも月の引力による変化から戻しておいた」

 

 声が爽やかすぎて、聞いてて気持ち悪い。

 さっきまでの疲れた声のほうが雰囲気があって良かった。

 

『勝手な言いぶんだ……。とにかく話が早くて助かる。この後はどうする予定?』

「星の復活と生命体の復活が完了するまでは厳戒態勢を続けるよ。見届けたら、安定する衛星軌道の最適化に専念する」

『うん、助かるね。その後は?』

 

 まったく内容についていけてなかったので黙っていたが、会話が止まった。

 そんなに悩むようなことか? やりたいことをやればいいだろう。

 

「やりたいこと?」

 

 ないのか?

 ダンジョンに行ってみたいとか?

 未開のダンジョンを探してみたいとか?

 

「それはないね」

 

 あっけらかんと否定。

 これはこれでイライラするな。

 そうだ。世界の消滅はもうやめてくれ。

 

「なぜですか?」

 

 グリフォスではなく、オードが尋ねてくる。

 いや、そんな真顔で聞かれても。

 わかるだろ? なぁ?

 

『あの星の新しい歴史はまだ誕生してもいない。そのまま復活するだけだと思うだろう。でも、グリフォスみたいに、積み重なって疲労した構造部が初期化されて、何かが大きく変わる可能性もある。それに、一度消滅したことで生命体、特に人の意識が変わってるだろう。そのあたりを実際にオードちゃんの目で見ていけばいい』

 

 うん。それそれ。

 私が言いたかったのはそういうことだったんだ。

 

「新しい歴史もつまらないものだったら?」

 

 さらに質問を重ねてくる。

 そのときは、そうだな……、自己責任じゃないか。

 今度の歴史誕生はお前が関わっている。おもしろくする責任はお前にある。

 私にもあるかもしれんが、私はそういった責任からは逃げる主義なのでお前に任せた。

 

 せっかく古い歴史の終わりと新しい誕生に付き合えるんだ。

 お前が、お前のおもしろいと思う世界にどんどん変えていけばいい。

 

「私のおもしろいと思う世界に変える?」

 

 そうそう。

 周囲の世界に合わせて自分を変えるなんてことは疲れるだけだ。

 

『父親の安定志向が気に入らないなら、歯向かってみれば良い。力が足りないならグリフォスに頼めば良い。グリえも~んって泣きつけば、大抵のことは片付けてくれる』

「任せとけ」

 

 キャラが変わってない?

 ほんとに大丈夫?

 

「私が変える……。それすらも、つまらないと感じたら?」

『また世界を消滅させようと動けばいいさ』

 

 そうだな。

 ……そうかな?

 いや、それはまずいでしょ。

 

『ただし、サイバミティが間違いなく阻止しにかかるね。今のグリフォスが月を落とすとも考えづらい。俺たちもいないだろう。しっかり考えないといけない』

 

 オードの口の端がつり上がった。

 

 うん? 不思議だな。

 今までは不気味にしか思えなかったが、良い笑顔に見えてきた。

 楽しみで楽しみで仕方がないという気持ちが、ありありと伝わってくる。

 

「星の復活が始まった。しばらくそちらに集中するので、会話には入れない」

 

 清々しい響きが部屋に響き、ドームの一面の景色が変わる。

 

 暗い景色に徐々に光が集まってきていた。

 やがて球形に光り始め、光が収まるとそこには元の青白い星が戻っていた。

 しばらくすると、世界のあちこちでチカチカと光が輝く、人が復活を始めたんだろう。

 

 研究所はどの辺りだろうか?

 

『聞いた話だと球の真ん中の辺りだね』

 

 大きな茶色が三つ並んでるあたりか?

 

『そう。その三つ並んでる大きな大陸の、さらに左にある小さな茶色の真ん中あたり』

 

 たしかに小さい茶色があるな。

 あれだけ広いと思ってたのに、ここから見るとあんなに小さいのか。

 

『そうだね。――グリフォス。今の作業が終わってからでいいから、やって欲しいことがある。俺たちが今ここで見ている星の復活の映像を、地上の人たちに見せてやってくれ。夢にでも流し込めば良い』

 

 そうだな。

 それは面白いと思う。

 自分たちがどこで生きているか知ることができる。

 知ってどうなるということでもないだろうが、少なくとも私は知って得をした気分だ。

 私の世界もこの星と同じようなものだとしたら、私が回った範囲はきっとごくわずかだろう。

 きっとまだまだ攻略していないダンジョンが山ほどあるはずだ。

 

『……おっと、そうだった。前から思ってたんだけど先延ばしにしてたことがある』

 

 それは?

 私は星から目を離さずに聞き返す。

 

『星の名前だよ』

 

 星の名前?

 

『そう。この映像を見ることで、この星の人たちは自分たちがどこかの国の民である前に、星の民だとなんだという認識が生まれる。それなら名前をつけた方が良い。いつか外からの訪問者に対して、自分たちは何々星人ですと言えるようにね。もちろん、別世界の訪問者に対しても使えるようになる』

 

 そんなものか?

 

「そうですね。名前はあったほうがいいでしょう。私の名前をつけてもいいのですが、それは少し抵抗がありますね」

 

 そうだよな。自分の名前は恥ずかしいよな。

 もしもダンジョンに私の名前がついたら、さすがの私も攻略しかねる。

 

「……はい」

『嘘つけぇ。いつかまた、星を消滅させるぞってときに、自分の名前が入ってたら抵抗があるなぁって思ってたんでしょ』

 

 正解だと言わんばかりに、オードはニタッと笑った。

 

 あぁ、なるほどな。

 ……というかもう滅ぼす気でいるのか。

 

『メル姐さんは、何が良いと思う?』

 

 うーん、ダンジョンがあればもうちょっと真面目に考えるんだがな。

 

 …………前にもこんなことがなかったっけ?

 長時間考え続けて、いろいろ案を出したけど、まとまらなかった。

 それで、最後はお前が出した案を採用したような。

 

『その話は俺の中で黒歴史になってるからなかったことにして欲しい』

 

 あぁ、やっぱりあったよな。

 どこのダンジョンを攻略しているときだっただろうか。

 ダンジョンのことなら大抵覚えているはずだが、なかなか思い出すことができない。

 

『俺ならサイバミティにするかな。でも、本人がまだ生きてるからちょっと抵抗がある』

 

 それもいいな。

 星を火の玉にされて、その後でも私たちを焼き尽くそうとした姿は印象的だ。

 毒に冒されながらも、元の位置まで文字通り、命を焼き尽くして人間のために戻ったのは正直すごいと感じた。

 でも、確かに本人がまだ生きていたら嫌がりそうだ。

 

「それなら、シクティにしましょう。一度は死んだということにしていますから、さほど抵抗はないでしょう。私も抵抗がありません」

 

 ……何に抵抗がないんだろうか。

 不穏なこと考えてない?

 

 惑星シクティか。

 

『響きは悪くないね』

 

 それが浸透するかどうかだな。

 

「浸透させます。私が見届け人なんですから通します。今日からこの星は惑星シクティです。聞いていますね、グリフォス。この映像を世界に流すときに、その単語を埋め込みなさい」

 

 返答はない。

 おそらくそうなるだろう。

 シュウが話していたとおりになってしまった。

 

 

 

 浅からぬ世界は幕を閉じ、惑星シクティの新たな歴史が始まる。




Ex.爆弾発言の恐怖

 月から惑星シクティに戻ってきた。

『シクティよ! 俺たちは帰ってきた!』

 帰ってきたのはいいが、数日たっても私はまだ研究所にいた。

 シュウが博士の研究に興味を持ち、手伝っている。
 私は研究室の後ろでだらだらしてる。

 オードは国に帰ってしまった。
 先の月落下に関して重要な会議がおこなわれるらしい。
 また、月が小さくなってしまったことについても何か話があるとのことだ。
 月は小さくなった訳でなく、遠くにいっただけなのだが、何も知らない人は小さくなったと思うのだろう。
 私はさほども興味がないので、研究所に残っている。

 オードの護衛は特に必要がない。
 騎士たちがいるから安全ということではなく、私よりもヤバイ存在が彼女のバックについているからだ。
 正確にはバックというより、問題の月に今も居座っている。。
 話も聞いてるし、転移もできるから問題ない。
 並列処理は得意だと話していた。

 戻った当初はサイバミティが血相を変えて襲いかかって来ていた。
 一体化を自由に使えるようになって、岩石やら建物と体の一部を合わせて攻撃してきた。

 落ち着いたのは、日が変わってからだ。
 意外な訪問者が単細胞を説得してくれた。

 史竜の依り代になったキルハだ。
 星がサイバミティになったことで彼らのリンクが一時的に戻ったらしい。
 その足で、そのままサイバミティを訪れ、長ったらしい話をしてひとまず襲いかかるのをやめてくれた。

 これで大抵の問題が解決したと思っていたのだが、まだ問題を抱えていた奴がいた。

「最近、変なことばかり起きるんですが……」

 私の横に立つ女性は、疲れた面持ちでそう告げた。
 彼女の隣には、彼女の腰の大きさはある蜘蛛が彼女の頭を撫でている。
 この教団支部の長をしているアラフニと、彼女のクリロノミアの蜘蛛であった。

「私は大丈夫」

 アラフニはそう言って蜘蛛の手を止めた。

 疲れている様子だな。
 今までも疲れた様子は見せていたが、口は出してこなかった。
 とうとう不満を口にするまでになってしまった。
 原因の一部である私が言うのは何だけど。

『ほんとそれ。騎士団が襲撃して、訳のわからん女が来て、サイバミティが目覚めて、また騎士団が襲ってきて、天空都市を落として梟を連れてきて、海底都市を沈めて、梟がどこかに行ったと思ったら、袋を連れ戻るどころか鯨まで連れてきて、おまけに敵対してた騎士団と姫も連れてきて、さらには月を落として、復活したと思ったら、月が小さくなってて、サイバミティが大暴れ、その後は黒髪ロングの性別不明の滅茶苦茶強い奴がやってきて、最後は月から真っ黒な喋る正八面体が訪問する。常人だったらストレスで胃がなくなってる』

 そう考えるとすごいな。
 何か彼女のためにしてやれることがないだろうか?

『さっさと出て行く』

 私だってそうしたい。
 でも、お前が博士となんか約束したんだろ。

『そうなんだよね。俺も研究が気になるんだ。どうしてクリロノミアは喋らないのか? これを従来の説は霊媒の視点から説明してた。でも、おかしなところがいくつかあって――』

 待って。とても重要なことだ。
 その話長い?

『長くなるからやめよう。彼女のためにしてあげられることねぇ』

 シュウは考えている様子なので、隣にいるし直接から本人に聞いてみることにした。

 何も言わずにジッとこちらを見つめてくる。
 わかってる。ごめん。早く出て行けって言いたいんだよね。
 口が半分開きかけて、ぷるぷる震えてるのは理性でなんとか止めてるんでしょ。
 わかった。ほんとごめんね。許して。もう聞かないからさ。

『うーん、彼女自身でやるべきだと思うけど……。問題の解決を手伝うとかかな』

 うん。それそれ。そういうのを待ってたんだ。
 私がいなくなる以外のやつは?

『あるけど、正直あまり気が進まない』

 なんで?
 内容が良くないとか?

『それもある』

 他にもあるの?

『うん。後書きだからといって、惑星クラスの世界系の後でクッソどうでもいい与太話をしても良いのか判断に迷う』

 意味不明なこと言うのやめて。
 内容が嫌だと思ったら、黙っておくから。

『それもそうだ。読者の判断に任せよう』

 なに言ってるのかよくわからんけど、早くその問題とやらを話してくれ。






















































『なぜ飛ばしたし』

 いきなり何を言ってるんだ?

『結論を先に見ようと思ってスクロールバーを動かして、「改行の連続だからここからが結論だな」とか思った人は残念でした。ここはただの後書きで、この先は本編とまったく関係ないから諦めて上にスクロールしてね』

 どうしたの?
 本当に大丈夫?
 さっきからおかしいよ?

『それじゃあ、このへんにして――アラフニと博士の恋路を応援してあげたらどう?』

 それはいいな。
 …………おいおいおい。
 ちょっと待てよ。今なんて言った?

 勢いで返答したが、中身を吟味して異常性に気づいた。
 何だって? どういうこと? そんなことあるの? だってあの博士だよ。
 「生きてるクリロノミアを解剖しなければわからん」とか冗談の欠片もなく言う博士だよ。
 近くにいたクリロノミアを本当に拉致して実験台に縛り付け、直前でアラフニに止められた博士だよ。

『えぇ、ほんとに気づいてないの? どうしてアラフニはそのとき博士の近くにいた? 彼女はたいした用もないのに、なんでここにいる? 彼女の視線は、今いったい誰を見つめてる?』

 お、おぉ、おお。
 なんと……、そうだったのか。
 そうか。お前、博士が好きだったんだな。

 アラフニの横顔にそう告げると、彼女の反応は歴然だった。
 体をビクッと震わせて口をパクパクさせ、私と博士の方をチラチラみる。
 私も博士の方を見るが、こちらにまったく興味と関心を寄せていない。研究に没頭している。

 アラフニは私の腕を掴んで、すごい勢いで研究室の扉から外に出した。
 そのまま近くの空き部屋に移動して、深く長い息を吐く。
 手を私の前に広げて待てとのポーズ。

「私が博士を好きなわけがないじゃないですか」

 三呼吸ほど置いて、顔を上げ真顔で言った。

 いや、ここにきてその反応はおかしいでしょ。
 言った直後にそれで返されたら、そりゃそうだよなごめんねってなるけどさ。

「とにかく。余計な詮索はやめてください」

 余計な詮索とは?

「まさにそういったことです。私が博士が好きだとか、そういうくだらない話です」
『あっ』

 じゃあ、嫌いなの?

「そんなことは言ってないでしょう」

 やっぱ好きなんだー。
 みなまで言うなって。私は応援するから。
 どこに惹かれたんだ?

『近所のおせっかいなおばちゃん、というかクソBBAになってるよ』

 おっと、いけない。
 すまなかった。お前にはもう言わない。

「そうしてください」

 すました顔で彼女は頷き、踵を返す直前で止まった。

「……お前には?」

 こちらを向いて距離を詰める。
 ちょっと怖い。

「まさかとは思いますが、博士に何か吹き込む気ではないでしょうね」

 ずばりそのつもりだった。

「やめてください。博士は研究で忙しいのです。余計なことで考えを鈍らせたくはありませんから」

 ほぅ、なかなかの自信家だな。

「自信家?」

 お前が博士のことを好きだと博士が知ると、博士の思考が鈍るとお前は考えているんだろう。
 私は、それを聞いても博士は歯牙にもかけないと思っていたんだが、なるほどなるほど。

「そういう揚げ足を取る言い方は好きじゃありません」

 悪いな。
 正確が悪い奴と一緒にいるもので移ってしまった。

「しかし、私の言い方が悪かったのも事実です。言い直しましょう。博士は、仮に私が博士のことをどう思ってるか聞いたところで……、どうも思うことは、ない……でしょうね」

 そんな悲しそうに言われると、なんか私が悪いことを言わせたみたいだ。

『言わせたでしょ。メル姐さんが悪い。俺は悪くない』

 悪かった。
 しかしだな。あの博士だぞ。
 おそらくこのままじゃ、永久にお前の思いは伝わらない。

『間違いない』

 だろ?
 何らかのアクションを起こさないと駄目だと私は思うが。

「先ほどから言っていることがわかりません。言ったはずです。私は博士のことを何とも思っていません、と」

 それならそれでいいんだが、老婆心がわりに聞いてくれ。
 相棒になってしまうと、もうそれっきりで心変わりすることがなくなるぞ。皆無だ。

『えっ……、ちょっと待って。俺とメル姐さんは永遠の愛を誓い合った仲でしょ』

 愛とか気持ち悪いこと言うなよ。ほら、鳥肌がたってきたじゃないか。
 ずっと近くにいると、そんな感情も消え失せるからな。

 まぁ、あの博士も変人だが、その姿勢は見る物があるな。
 自分を曲げず、言うべきことは言って、余計なことは言わないところは評価している。

『おやや、ひょっとして俺への当て付けかな?』

 アラフニは小さくコクコクと頷く。
 おや、どうやらこっち方面で攻めるべきだったようだ。

 一度集中すると、他のことが目に見えなくなるところはすごいな。
 私も集中するが続かない。ついついあちこちに目が行く。

『注意力が散漫』

 アラフニはうんうんと頷く。

 集中した横顔は格好良いな。
 俺がこれを解き明かしてみせるんだという姿勢が伝わってくる。
 ダンジョンの攻略を開始する冒険者の横顔に通ずるものが、確かにあるんだよ。

 アラフニは深く頷いたが、途中で首をひねった。
 あれ? 同感を得ると思ったんだが、そうか、こっちにはダンジョンがないんだったな。

『あっても伝わらないと思う』

 それに、何か大きな発見をしたときの喜び具合が、普段の姿とすごい違ってておもしろい。

「そうです。初めて見たときはこの人にもこんな一面もあるのかと嬉しかったです」

 針に食いついた。
 よしよし、どんどん糸を巻いていこう。

 嬉しい、か。
 少しわかる気がするな。
 自分と明らかに違う。人間かと疑うくらいだったのに、それが急に近づいてきて同じ人間だったと気づいたというか。

「そう。それです。初めて見たときは変人だったのに、その喜びようが可愛く見えてしまって……」

 それに、けっこう話を聞いてるし、考えてるよな。
 くだらない話をしていても、すごい真面目に考えを語ってくれていた。
 内容はよくわからなかったんだが、こんなことをここまで考えてるってやべぇ奴、いや、すごい人間だと思った。

「そこ! そこなんです。本当にそこ」

 おっ、何か思い当たる節があるようだな。
 聞いてみたい。聞かせてくれ。

『なんでこういうときだけ頭と口が回るの? おばはんじゃないの』

 失礼な物言いは華麗にスルー。
 私はやりたいことをやり、見たい物を見て、聞きたいことだけを聞く。

「そんなたいした話でもないんですが……」
『あっ、これは重要エピソードの入りですねぇ』

 私もうんうんと頷いて、先を促す。

「実は博士の研究所逃亡時から、今までずっと一緒なんです」

 そういえば、元は国の研究所にいたんだったな。

「そうです。私もまだ中堅より下くらいの地位で、いろいろと大変な時期でした。普段は言わないんですが、愚痴をぽろっと漏らしてしまいまして。博士はその愚痴に対してもすごく真剣に取り合ってくれたんです」

 くっだらね。

『ちょっと。口に出てるよ。重要なとこだからしっかり』
「えっ?」

 いやぁ、博士らしさが伝わってくるなぁと思ってな。
 アラフニはこくりと嬉しそうに頷いた。
 危ない危ない……。

「他にもクリロノミアに対して本当に真摯なんです。私のクリロノミアって人から気持ち悪がられるんです」
『そりゃそうよ。見た目が蜘蛛ですもん。その目に、その毛、その足、大きすぎるし、糸は出すし、毒もある。もう、最悪』

 そういう奴もいるよな。
 私はそうでもないんだが……。

「はい。当時は私もクリロノミアをしまっておくことが多かったんですが、博士にもっと自分のクリロノミアに自信を持ちなさいって言われたこともあって――」
『それって……、研究対象だからしまうなって話だったんじゃないの? 自信云々とかじゃなくてさ。自分にとって都合の良いように変換してない?』
「――ということがあったんです」

 やっば、途中から話を聞いてなかった。
 お前は余計な口を挟むのをやめろ、と蹴り一つで伝える。

『めんごめんご、とりあえず何か返事しといて』

 うん……、美しい話だなぁ。

「はい。美談になってしまいましたね」
『……美談ではなかったような』

 ご飯もけっこう好き嫌いがあるよな。
 見た目から判断すると、何でも文句言わずに食べそうな雰囲気なのに。

「それです。ここに来たときも、私が夜食にサンドイッチを作って持っていったんです。朝に来てみたら、一口だけ鼠が齧ったような跡が残ってたんです。どうしたんですかって尋ねたら、『トマトはまずいからいらない』とそっぽを向いて言ったんです」

 私もトマトは嫌いだからよくわかる。
 あれは食べ物じゃない。

「外して食べるとかできたはずです」
『それ、単純にまずかったんじゃないの。サンドイッチのパンが堅かったとかさ』

 さすがにそんなことはないでしょ。

「私もムキになって、今度は好物を挟んで持っていったんです。そうしたら今度は中身だけ食べて、パンは残されていました。尋ねたら『パンが堅くてまずい』と」

 ……そんなこともあるんだな。

「はい。それで、中身だけ持っていくことにしたんです。今度はきちんと全部食べてくれていました」

 …………待ってみたが、続きはない。
 正直に言って「だからどうした!」とキレたくなるような話だ。
 この、結論が何なのかよくわからない非常に中途半端なところで、彼女は話を終えるらしい。

 飽きてきたな。
 そろそろ結論を言わせてもいいか。

 うんうん。それで、博士が好きになっていったんだな。
 アラフニは照れつつもこくりと頷いた。

 聞いた感じだと今までのは好きだと気づいた後に振り返ってみて、改めてここが好きなんだよなと列挙した項目に思える。
 肝心要の「あっ、自分はこの人が好きなんだ」と自覚したのはいつなんだ?

「それは、その、この教団支部の支部長になって最初の防衛で……」

 ここで、止まってしまった。
 わかるぞ。素面では語りづらいこともあるよな。
 どうだ? 良い酒があるんだ。もっと話をしようじゃないか。

『なんでこの技術が冒険者業で全く活かされないのか……』

 アラフニの肩を軽く叩いて、場所の移動を促す。
 彼女も小さく頷いて振り返る。

 そこに博士がいた。

「ふぇぁっ」

 アラフニが奇声を発した。
 目を見開いて止まってしまう。

 私もまったく気づかなかった。
 気づいてた?

『もちろん』

 えっと……、いつからいたんだ?

 声を出せないアラフニの代わりに私が尋ねる。
 重要なことだ。最後だけ聞いて、他は何も聞いてなかったかもしれない。

「『余計な詮索はやめてください』のくだりからだ」

 博士は淡々と答えた。
 私は必死に思い出す。しかし、思い出せない。

 そんな話したっけ? まったく覚えてないぞ。
 最後のあたりか?

『最初』

 あちゃー。
 こいつはもちろんおもしろそうだから言わなかったんだろう。
 しかし、ここにはもう一人。いや、一体裏切り者がいる。

 私とアラフニが、彼女の側に控える蜘蛛を見つめた。こいつは間違いなく気づいていたはずだ。
 ものすごい遠くまで糸を張って、対象の動きを感知しているとシュウが話していた。
 通路に出てすぐの博士に気づかなかったはずがない。

 蜘蛛は首を傾げながら、何のことですかと言わんばかりに頭を掻いている。
 アラフニは顔を真っ赤にして、体をぷるぷる震わせる。
 おいおい、どう収めるんだこの状況。

「覚えている。アラフニ君が支部長になった直後の襲撃は――。外に出ようか」

 博士がそれだけ言って、外に出て行く。
 私は依然として固まっているアラフニを引っ張っていく。
 すぐに蜘蛛が運ぶのを手伝ってくれて、そのまま博士の後を追うように歩く。



 外に出るとすでに周囲は暗かった。
 けっきょく博士は外に出るまで何一つ話さない。
 外に出ても、近くの手頃な岩に腰をかけるだけで口をきかなかった。

 私はお気に入りのお酒を出して、博士とその隣に立ち尽くしているアラフニに、酒を注いだグラスを渡す。
 いないほうがいいだろうと距離を取ったが、アラフニから「頼むから消えてくれるな」とアイコンタクト送られてきた。
 近づこうとすると今度は「寄りすぎないでくれ」とメッセージが来た。

『距離感って難しいね』

 ほんとそれ。
 なんなの? 私いなくてもいいでしょ。
 これじゃあ私はただの木だよ。なんか近くに生えてる特徴のない木。
 気になって話を聞いてたら、木になってたみたいな。

「アラフニ君が支部長になって初めての防衛戦――部下が死んだ。君の作戦ミスで」

 アラフニは何も言うことなく首肯した。

「君は、ここで泣いていた。位置は今と反対だ。アラフニ君がここで、私がそっち」

 アラフニは再度、頷きを返す。

「博士は、私をなぐさめてくれませんでした。私が泣いているすぐ隣で実験器具を取りだして、月の観測を始めましたよね」

 えぇ……。
 いや、この博士ならおかしくないな。
 なんか納得してしまう。

「うむ。月で反射した光の波長に、クリロノミアを刺激する帯域があるんじゃないかと思い浮かんだ」
「博士は、奇妙な波長帯を見つけて、はしゃいでいましたね。私が泣いているすぐ横で」

 なにこれ?
 良い話が始まると思ったけど、ひどい話が始まったぞ。

「そのとおりだ。その波長帯は魔素を帯びていた。しかし冷静に考えて、この程度のことが今さら発見されることはおかしい。実際、翌日の観測ではその波長帯がなくなっていた。その後も観測を続け、特定の時間帯のみ魔素を含む波長が生じることが判明した」
『あぁ、その時間帯に信号を送ってグリフォスと知り合ったんだね』

 えっ、それでグリフォスと仲良くなったの?

「いかにも。信号を送ったら声が返ってきて驚いた。彼は無口でほとんど語ってくれなかったが、その発言は示唆に富んでいた。今とは雰囲気が大きく違う」
「そのときも私はここにいました。住民と軋轢があって、落ち込んでいたときです。異常に興奮し始めた博士に呆気を取られて、軋轢どころではなくなりました……」

 ……何なの?
 恋バナじゃなかったの?
 どこに向かってるのかわからないんだけど。

「私がここで落ち込んでいると、毎回、博士が来てくれました」

 ああ、やっぱり良い話じゃん。
 そんな一面もあるんだな。

「私は、それが博士なりのなぐさめなのだろうと考えました」
「それは順序が違う」
「はい。後で知りました。毎晩、博士が観測している地点に、私がときどき行っているだけだったのだと」

 やっぱりひどい話だった。

「こんな日々がいつまでも変わらず続くと思っていたのに、月はあんなにも小さくなってしまいました」

 流れが変わったぞ。
 アラフニが夜空に浮かぶ月を見上げる。

「月が小さい、か」

 博士も空を見る。私も見上げた。
 私にとっては見慣れたような大きさだが、この世界の住人には小さくなったと思うだろう。

「私にとって、博士は月なんです。ずっと空にあって、空の大部分を占めて、それでも近づくことはない」

 いやいや、落ちてきたでしょ。
 落とした張本人はあそこにまだいるぞ。

 アラフニはこちらに黙ってくれと視線を送ってくる。
 ごめんね。ついつい口が動いちゃうんだ。

「怖いんです。あの月がどんどん小さくなって、このまま見えなくなってしまうんじゃないかと。博士……私、怖いんです」

 アラフニが座って月を見上げる博士の背後に移動する。
 私にもわかる。これは彼女なりの告白だ。
 博士はどう答えるのだろうか。

『博士……、聞いてないんじゃない』

 えっ……、立ち位置をこそこそっと移動してみると、博士は口を小さく開いたまま月をジッと見る。
 視線は微動だにすることなく、ひたすらに月を見つめ続ける。
 目の前で手を振るが、まばたきもしないし、瞳も動かない。

 おいおい。
 これはやばいんじゃないのか。
 声をかけてみたのだが、完全に固まってしまっている。

「駄目です。そんなことをしても目覚めません」

 何かの病気か?

「はい。研究没頭病です」

 なにそれ?
 初めて聞いたぞ。

「私がそう呼んでいるだけです。何かすごい思いつきがあると、この状態になります。しばらくは思考の沼に沈んでしまい、浮かんできません」

 アラフニは溜息を吐き、諦めたような顔をした。
 そうして博士の隣に座って、彼と同じように月を見上げる。

 何か話を聞いてる限りだと、好きだと気づく要素が皆無だった気がする。
 けっきょく、いつ博士が好きだと気づいたんだ?

 アラフニがグラスに注がれた酒をあおった。
 やけ酒なのだろう。

「それは――」
「アラフニ君、月が小さいと言ったね」

 いきなり喋りだした。
 ぐるりと首が横を向きアラフニを見る。

「間違っている。月の大きさは変わっていない。距離が開いたから小さく見えるだけなんだ」
「……はい」

 博士は手に持った、グラスをちびちびと呑んだ。
 そのグラスを目の前に持っていき、遠ざけたり近づけたりしている。

「そうか。そうだったんだよ。今までが近すぎたんだ」
「はい……、あの、その、近いです」

 博士の顔が、アラフニの顔に指数本の位置まで近づいている。
 彼女の顔が赤いのは、酒のせいだけではあるまい。

「そうだ。そうだったんだ……! アラフニ君! 近すぎたんだよ! こんなことをしている場合じゃない! まとめ上げないと!」

 博士は興奮して立ち上がる。
 そのまま私たちを一顧だにすることもなく、施設へ帰っていった。

 女二人と蜘蛛一匹が取り残される。
 アラフニは何がおもしろいのか笑い出す。
 そして、その勢いで酒を一気に飲み干した。

「あのときも博士は興奮して立ち上がって、私のことなんて一切かまわず研究所に帰っていってしまったんです」

 駄目じゃん。

「はい、悲しかったです……。声をかけて欲しかった。なぐさめてくれなくてもいいから、せめて何か話をして欲しかった。一緒にいて欲しかった。そして、ふと気づいてしまったんです」

 ……何に気づいたんだ?

 アラフニは語らない。
 月を一人でぼんやりと見つめるのみだ。

『なぁんで最後だけそんなに鈍いの?』

 え?
 お前、わかるの?

『気づいちゃったんでしょ――「博士に一緒にいて欲しい」と感じてしまった自分の心にね』

 私も月を見る。
 月は遠くに行ってしまった。
 彼女にとっての月も遠くに行ってしまうのだろうか……。



 研究室に戻ると博士は、必死に何かを書き上げていた。
 ある程度まとまったところでシュウと話を始める。

 朝になって、私が起きたときもまだ話をしていた。
 しばらくうとうとしていると扉が開いてアラフニが入ってくる。
 朝ご飯を持ってきてくれた。食っちゃ寝も悪くないと思ってしまうな。
 私の皿はサンドイッチで、博士の皿には何かよくわからない食べ物が置かれていた。

「うむ、まとまったな」
『そうだね、これでいけるんじゃないかな』

 よくわからんが何かがまとまったようだ。
 それでどうなるの?

『クリロノミアが喋るかもしれない』

 思ったよりどうでもいいな。

『いやいや、過去にクリロノミアが喋った記録はない。声を真似ることはあっても、意思を持って喋るということはなかったからね。実現すれば歴史に残るよ』

 歴史に残るなんて軽々と言ってしまう。大げさな奴だ。
 少なくともこのときはそう思っていた。


 二日後、研究所でその実験がおこなわれることになった。
 その実験を見ようと多くの人が訪れた。

 支部の住人はもちろんとして、梟とその宿主、鯨もいる。
 さらにサイバミティとキルハも見える。
 オードに、グリフォスもだ。
 バリガンが消えた。

 ……あれ?
 もしかして本当にすごいことなの?
 なんかここにいるメンバーだけで世界が崩壊させられそうだぞ。

『言ったじゃん、歴史に残るって。キルハもいるのはそういうことでしょ』

 私はキルハに近づいて話しかけてみる。

 いいのか?
 史竜の依り代がこんなところにいても。

 隣にいたサイバミティが睨んできているが、襲いかかってくることはない。

「かまいませんよ。サイバミティが手伝ってくれるので、やるべきことはすぐに終わります。史竜も文句は言いません」

 それと、やっぱりこれは歴史に残るの?

「残ります。ただ、その内容は知りません。この世界の歴史はあまり詳しく知らないようにしています」

 そうか。
 成功するどころか、歴史にまで残るなんてすごいな。

「貴方とオードの名前も出ていますよ。『えん☆たる事変』で終わった章の、次に書かれた新たな章の一行目にね」

 えぇ、その名前が本当にあの歴史書に載ってるのか?

『まさか公称にされてしまうとは……照れるな』

 照れんでいい。
 別にどうでもいいことだ。
 どうせ読むことなんてないからな。

 それで何でクリロノミアが喋ることになるの?

『月が離れたことで、条件を付ければ喋るようになる』

 何で月が離れるとそうなるんだ?

『長くなるけど良い?』

 じゃあ、いいや。
 結果だけ見られれば満足だ。

『おっと、そろそろ始まるね』

 博士の側に蜘蛛のクリロノミアが近づいた。
 肝心のアラフニはこの場にいない。

 何でも宿主とクリロノミアの距離を開けることがその条件らしい。
 博士がアラフニとその蜘蛛を指名し、彼女がそれに応じた。
 なんだかんだで、仲が進展しているんじゃないか?

『そうだね。他のクリロノミアでもできたはずだからね。本人がここにいないってのも信頼の表れとも取れる』

 そうか……。

 博士が蜘蛛のクリロノミアに話しかけていた。

「私の声がわかるね」

 蜘蛛の頭が縦に動く。
 これくらいなら以前もできていた。

「私の声に続いて声を出してみてくれ。あ、え、い、う……」
「……ぁ、…………ぃ」

 本当にごくごくわずかだが音が聞こえた。
 周囲にもどよめきが広がっていく。
 しかし、まだ声とはいえない。

「君が今、心の中で思っていることを音にしてもらえないか」
「…………か……せ」

 先ほどよりも声に近づいたように思える。

『クリロノミアが人間から生まれているから、おそらく宿主の意識と強く繋がっているところが声に出てくるんだと思うんだよね』

 なんとなくわかる。
 今のはもしかして博士だったのだろうか。

「君は、宿主――アラフニ君と仲が良いのかね?」
「な、か、……い、い」

 おお!
 これは喋ったと言っていいだろう。
 周囲からも歓声があがっている。

「アラフニ君が好きなものは何かね?」
「す、き。は、……か、せ」

 …………ん。
 これ、ちょっとやばいんじゃないの?

『このくらいは問題ないでしょ。住人もアラフニが博士を好きなことは知ってるでしょうし』

 いや、そういうことじゃなくてね。
 本人が知らないところで、気持ちが暴露されてるんだよ。

『本人もちょっと期待してると思う。博士に自分の気持ちはもう伝わってるだろうから、こうやって周囲に知らせていって外堀を埋めていく作戦なんじゃないかな。ばればれなのにね』

 ……そうだろうか。

「質問を変えよう。君はどんなことに興味を持つのだね?」
「きょ、う、み……?」
「そうだね。なぜだろうと思うことだろうか? 知りたいことと言ってもいいかもしれない」
「わか、らない。あら、ふに、が、やって、る、こと」

 おお、ぎこちなさはあるが会話になっている。
 周囲も黙って続きを聞く。

「へや、ひとり、たかぶり、こえだす、わか、らない」
「ふむ。アラフニ君がどうして声を出しているのかわからないということだろうか。彼女は何と言っているのかね?」
『あ……ぁ、ま、ずい』

 シュウも蜘蛛と同じような発音になった。

「すき、わたし、はかせ、ふかい、もう、いっ、ちゃう」

 周囲の沈黙の質が変化した。
 期待だったものが、気まずさに変わっていく。
 何も知らない無垢な子供はなんだろうと親を見上げる。
 全てを把握した大人たちは堅く口を閉ざす。

 これはさすがに止めないとやばいんじゃないか。
 オードがすごい笑顔になってる。もう、手遅れなのかもしれない。

「……うん? よくわからないな。アラフニ君が私の名前を話すのかね? 彼女は何をしているんだ?」

 おいおいおいおい。
 そこに踏み込んだらまずいだろ。
 やばいぞ。あの博士、本当にわかってない。

『やばいよぉ……。このままだとノクタ行きだぁ』

 しかし、蜘蛛はそこで声を止めた。

 空気を読んだのだろうか。
 私よりも空気が読める蜘蛛だ。

「えっ……、ここは?」

 何と言うことはない。
 空気を読んだのではなく、宿主が帰ってきたから話ができなくなっただけだ。

 それにしても誰が彼女を呼んだのだろうか。
 予定では、こちらから迎えに行く予定だったはずだ。
 いきなり現れなかったか?

『グリフォスが転移させてきたね』

 素晴らしいな。
 ファインプレーじゃないか。

『ここにいる全員の記憶を消してたらファインプレーだった。これはラフプレーだ……』

 周囲は何も言わない。
 彼女に目を向けない者も多い。

「博士、失敗したのですか?」

 周囲の様子を見て、そう思うことも無理はない。
 アラフニが恐る恐る博士に尋ねた。

「いや、成功した! 大成功だ! やったぞ、アラフニ君!」

 博士は大興奮。
 周囲との温度差がひどすぎる。

「成功? しかし、この雰囲気は……」

 聞いちゃ駄目だ。
 それはここで聞いちゃ駄目だ。

「彼女と話したんだが、疑問に思っているようだ」
「何をでしょうか?」

 アラフニは何気なく聞き返した。
 あーあ、あーあ。

「君が、部屋で私の名前を呼んでいると。好きだとか、深いとか、どこかに行くだのと――」

 アラフニは五秒ほどかけて何のことなのか理解した。
 さらに二秒ほどかけて、顔を沸騰させる。

 周囲を素早く見ていくが、誰も彼もが顔を逸らしてしまう。
 手と足は細かく震え、見る者を不安にさせた。

「それで――君は部屋でいったい何をしているんだね?」

 トドメだった。
 アラフニの顔は赤から白へと変わる。
 夕日が沈みきった後の、砂浜のように真っ白だ。

「……殺して」

 ようやく一言呟いた。
 そして、その場で崩れ落ちた。

 殺せるなら殺してあげたい。
 しかし、私はこの世界で人を殺せない。
 惑星を復活させることはできたが、彼女を復活させることは無理かもしれない。

『俺ら世界を破滅の危機から救えども、たった一人を救うことあたわず。チートの力とはいったい何なんだろうか』

 なんかそれっぽく言ってる。
 犠牲者は博士らに介抱されてそのままどこかへ連れていかれた。
 後でグリフォスに頼んで可能な限り、ここにいる人の記憶をいじってもらうことにしよう。
 歴史には残ってしまったが、せめて語る人を減らしてやるべきだ。
 それと本人の記憶もできれば何とかして欲しい。


 さぁ、私たちは元の世界に戻ってダンジョンへ行こう。
 痩せていたら、あのデブも誘ってみよう。
 アラフニを連れていってもいい。
 療養になるだろう。

『これがほんとの「くも隠れ」ってか』

 上手くないし、おもしろくもない。



 かくして新たな歴史が刻まれていく――誰かの犠牲を礎にして。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。