大声で歌う馬鹿を黙らせたい。
『メル姐さん。もっと楽しんでいこう! ヘイ、GUNG-HO!』
家を出てから三週間。
こいつはずっとこんなだ。
エルメルの町付近に現時点であるダンジョンを全て制覇した私は、北にある上級ダンジョン――ゼバルダの大木に向けて出発した。
乗り合い馬車なら一週間足らずだが、私を知っている冒険者と一週間近くも一緒にいるなんて堪えられそうになかったので徒歩で行くことにした。
私は馬にも乗ることができないし、そもそも馬を買う金がない。
『さっすがメル姐さん。ぼっちの鑑だ! そこにしびれ、いたいいたいっ! 木に叩き付けないでっ! やめてください折れてしまいます』
最初は料理やら寝場所などいろいろ戸惑っていたが、さすがに三週間も経てば慣れてきた。
そして、ようやく目標らしき風景が目に映る。
一言で言えば木だ。
とても大きい木。馬鹿でかい木。本当に木か?
『あのー木、何の木?』
「ゼバルダの大木だ。忘れたのか」
珍しくシュウがまともに尋ねてきたので返答する。
前に説明したことをこいつが忘れるのは珍しい。
シュウは「気になる気になる」と連呼している。よくわからない奴だ。
さらに半日すると、木は見えなくなった。
近寄りすぎて、それが木だとわからない。それくらい大きい。
根の付近にいるが、根の一本一本がそこらの木よりもはるかに太くたくましい。
『太くてたくましいだなんて……もう、姐さんってば。ほんと破廉恥なんだからぁ』
無視だ。無視無視。
巨大なゼバルダ大木。
これでもまだ成長過程にあるというのだから驚かされる。
ちなみに今いるのはゼバルダの町。
ダンジョンの側にできた町の典型例だ。
長居するつもりなどない。
さっさと情報収集にいく。
ギルドでお金を払って、ダンジョンの情報を得てきた。
さらに追加料金を出して、モンスターとボス情報も得た。他言は厳禁だそうだ。
『話す相手がいない私には、まるで関係ないのない警告といえる。いやみか?』
ダンジョンの入り口は初級者向け、中級者向け、上級者向けの三つ。
高度が上がるほどダンジョンのランクは高くなる。
初級者の入り口から上っていけばやがて中級にたどり着き、中級者の入り口を上っていけば上級にたどり着く仕組みらしい。
もちろん、それぞれの段階でボスが待ち受けている。
本来は初級者向けから始める必要がある。
しかし、すでに中級ダンジョンであるシルマ神殿をクリアしている私は上級者入り口から始めることができる。
さっそく上級者向けの入り口へ進もうとしたが、シュウに強く止められた。
今日は休み、ダンジョン攻略は明日からにするべきとも言う。
さらに、まず中級者向けで様子を掴んでおくべきと勧める。
旅の疲れもあるし、モンスターの傾向も見ておいたほうがいい。そういう理由だ。
シュウにしては至極まっとうな提案である。
シルラ神殿での反省もあったため、今回は奴の建言に従うことにした。
明くる日。
私は中級者向けの入り口からダンジョンに潜った。
もちろん一人でだ。
入り口の監視員に「本当に一人で入るのか」と三度も確認された。
『いやはやぁ~。メル姐さんの口からぼっち宣言が聞けるとはね!』
抑えきれていない笑い声が頭に響く。
監視員があまりにもしつこいため、しまいには私が叫んでしまった。
『「一緒に潜る仲間がいないのだ。察してくれ!」だってお! ちょ、やめ、蹴らんといて』
中級のダンジョンはずっとこんな調子で進んでいる。
要するにさほど問題はない。
トラップはなく。視界も良好。
道は複雑そうだが、地図を買っているため迷う心配はない――と思っていたが地図の見方がわからなかった。
今ではシュウが地図を覚えて道を教えてくれている。
『ねぇねぇ姐さん、ねぇ姐さん。地図の読み方もわからないってどういうことなの。メル姐さんは剣士じゃなくても、かろうじて冒険者の端くれにひっかかると思ってたんだけど違ったの?』
そういったものは苦手だ。
おのおのが得意分野を担当すべきだろう。
『メル姐さんの……得意、分野?』
シュウはなにやら真剣に悩んでいる。
私にだって得意分野はあるぞ。
例えば…………ほら、いろいろとあるだろう。
仕方ないな。お前に言わせてやる。
言ってみろ。
待てども待てどもシュウは黙して語らず。
時間ばかりがいたずらに過ぎていった。
さて、中級でのモンスターについてだが――。
ヤモリや蜂、ムカデと虫を大きくしたものが主となっている。
出てくる数は多いが、まったく問題にならない。
ほぼ一振りで倒せるし、状態異常の伝染でサクサク倒れていく。
相手の攻撃は毒や麻痺をこちらに与えるものらしいが、私には耐性がある。
そもそもモンスターの攻撃にほとんど当たらない。
中距離以上になると攻撃手段が乏しいため、魔法を使う敵がいないというのはありがたい。
注意すべきは蜘蛛の糸だ。
見えづらい上に、動きを大幅に制限される。
その上、ひっかかるとそれを探知した蜘蛛が寄ってくる。
数自体はそれほど多くないのが救いだ。
そもそも蜘蛛は上級にしか出てこなかったが、最近になって中級にも出没するようになったらしい。困ったものである。
『同じ中級でもシルラ神殿のほうがきついね。ポイントもあっちのほうが良いよ』
その意見には賛成だ。
遠距離からの魔法や犬の群れによる攻撃と比べると、こちらのモンスターの攻撃は単調すぎる。
本来は状態異常がきついのだろうが、耐性がある私にはさして問題にならない。
『中距離以上の敵に対する攻撃手段は今後の課題だね。上に逃げられると状態異常の伝染でしか対処できないのがきつい』
その通りだが、剣士としてソロで挑む以上しかたないだろう。
それかチートとやらでどうにかならないのか。
『一応ね。チートの選択一覧に魔法はあるんだよ』
なに、魔法を使えるようになるのか。
どうして選択しない?
『ポイントがめっちゃくちゃ高いんだ。今までメル姐さんの能力プラスに注ぎ込んだポイントを、全部ひっくるめてようやく一つ選択できるってとこだね。元のメル姐さんがいかに弱いかがよくわかるでしょ』
……それを言われると反論できないな。
『ついでだから、もう一つ言っておくよ。力や耐久力、それに動体視力が上がってるけど技量はそこまで上がってないからね』
どういうことだ。
私は強くなっているだろう。
現に敵の攻撃はほとんどくらっていないし、相手も一撃で倒せるようになってきた。
『はぁ~、最初にも言ったけどさ。メル姐さんには才能がない。驚くほどない。今も目と力に頼って闇雲に振ってるだけ。モンスターが一撃で倒せるのは俺の吸収力が格段に上昇してるからってのが最大の理由。レベルを上げて物理で殴れば、の良い例だよ』
確かにお前の力が大きいことは認める。
それでも私だって出会った頃よりは良くなっているだろう。
『確かにね。最初よりは千倍マシだよ。元がゼロコンマゼロゼロゼロいくつだったから、ようやく平凡に並べたってところかな。でも、ほぼ同じ力を持った剣士と戦ったら確実に負けるよ。瞬殺だよ。まあ、今のメル姐さんと同じ力を持った人間なんてほとんどいないだろうがね』
以前から不思議だったが、どうして才能の有無がお前にわかる。
お前は元の世界では剣士をしていたのか?
『まさか! 俺はただの派遣労働者。しかも違法な日雇い派遣。職種もお掃除を専門にしてたね。汚れを処理して世の人が安心して暮らせる環境を作るのが俺のお仕事でしたよ』
言い方を変えるとただの小間使いだろう。
そんな奴に私の技量云々を言われたくない。
……それにしても今日はえらくまともだな。
いつも以上に気持ちが悪いぞ。
『メル姐さん、気づいてないでしょ。後ろをずっとつけてるやつがいるよ。それにすら気づかないから、姐さんには才能がないって言ってるの。おわかり?』
ちょうど曲がり角を過ぎたところで、シュウがそう言った。
足を止める。
「なに?」
『ダンジョンに入ってからほぼずっとだよ。すぐ来るだろうから、ここで静かに待っててごらん。いちおう俺を構えておいてね』
シュウの言葉を全面的に信じる訳ではない。
しかし、気になることはたしかだ。
足を止めシュウを構え、息をひそめて立ち尽くす。
わずかな物音が聞こえ、
「うわっ、うわわわわっ!」
愉快な叫び声とともに人影が虚空から現れた。
私だって驚きだ。ほんとにいるとは思わなかった。
しかも、姿がいきなり出てきた。
「ごっ、ごめんなさい。悪気はないんです。だから命だけは!」
『あっ! この耳ってもしかして、エルフってやつ!?』
シュウの声が弾んでいる。
奴の言うとおり少女の耳は長く、尖っている。
顔も色白で線が細い。
ハーフか純血かはわからないが、エルフの血が混ざっていることに違いはない。
見た目では十代半ばだが、エルフとなるとそれも当てにならない。
彼らは我々よりもはるかに長生きだ。
そんなエルフの少女は目に涙を溜めて謝る。
たしかにシュウ――剣先は追跡者の喉もとに添えられている。
「どうして私を追っていた。盗賊か?」
できるだけ声を低くして問いかける。
冒険者を後ろから刺して、お金を奪う人間もこの世には存在する。
自分で問いかけておいてなんだが、この少女は盗賊ではないだろう。
少女の手に持つ武器は杖。
体格もやせぎすで、ローブを頭から被っている。
おそらく魔法使い。
「ち、違います違います。私は魔法使いのアイラといいます。盗賊なんかじゃありません」
『メル姐さんもさ。せっせと汗水流して小銭を稼いでたゴブリンを後ろから串刺しにして自分のものにしてたじゃん。あれは盗賊って言わないの? それにさ。「盗賊か」って尋ねて、「はい盗賊です」っていう奴がいるの? ばっかだなぁ』
「うるさいぞ。黙っていろ」
「ひぃっ。ごめんなさい」
そうか、シュウの声は聞こえていないのか。
ええい、話が進展しない。
しばらく奴は無視しよう。
「盗賊じゃないならお前はどうして私のあとを追っていた。ずっと後ろをついてきていただろう」
「姿は消していたと思っていたんですが……。さすがソロで潜るかたは違いますね!」
少女の瞳がなにやらきらきらと私を見上げてくる。
いや、姿は私にもまったく見えなかった。
シュウはどうやって気づいたんだ。
『遠回しに「貴方はプロのぼっちですね!」って嘲笑してるぜ、このアマ。シメ上げて身ぐるみ剥いじゃおうよ』
いっちいちうるさいな。
お前は女の裸が見たいだけだろう。
『なぜばれたし』
「……それで、どうして後ろをついてきていた?」
「す、すみません。実はつい先日にパーティーから閉め出されまして。ギルドでも他のパーティーに入れてもらえなくて」
「魔法使いなら引く手は多いだろう」
魔法は遠距離から攻撃でき、威力も高いものが多い。
パーティーに一人は欲しい存在だ。
しかし、魔法使いの絶対数は少ない。
そのため需要がないということはあり得ない。
『剣をまともに振れない無能な剣士とは違うのだ』
仲間に入れてもらえないとは考えづらい。
……あとで覚えていろよ。
「いやぁ~、その、いろいろと事情がありまして」
事情、か。
私にもいろいろと事情があった。
自身を鑑みて、彼女の事情については聞かないことにした。
「けっきょく、どうして私の後を?」
「入ってきたパーティーをこっそり追いかけて、ピンチになったところを私の魔法で助ければ仲間に入れてもらえると考えまして。そうしたら、ちょうどソロで挑もうとする間抜けな剣士が来たではありませんか。そこでピンチになるところを待っていたのですが……」
「想像以上に強かった、と?」
「はい。お強いですね。強すぎますよ。私は悪くありません」
アイラと名乗る少女は開き直り始めた。
『この子、胸はなさそうだけどユーモアがありそうだよ』
ユーモアなんていらない。
「どうしたものかな?」
ことさらに声に出す。
口やかましい相棒(暫定)の意見を聞いてやらんこともない。
「いっしょに行きましょう! こう見えて私……すごいんですよ」
アイラは自分に言われたと勘違いしたのか、必死にアピールしてくる。
どうしてウインクするんだ。
『ほう。では、まず邪魔なローブを脱いで――』
「それでは魔法をみせてもらおうか。なにができる?」
シュウの声を遮って、アイラに尋ねる。
「基本である火・水・土・風の四元素。複合である雷・氷。高度である光だって使うことができます。ちなみにさっき使っていたのは光と風の混合魔法で私のオリジナル――アイラオリジナルです。姿と音、さらに臭いさえ消すんです。強くしすぎると肉体も消えちゃいますけどね」
アイラはふふんと鼻を鳴らす。
最後のは自慢じゃないだろ。
『よくわからないけど、なんだかすごそうだね』
すごいなんてものじゃない。
基本の四元素が全て使えるだけで、どのパーティーからも誘われる。
それに複合や高度まで使えるなら中級者なんてレベルではない。
その話が本当なら多少の問題があってもパーティーに誘われる。
つまり、アイラの話は嘘か、それを上回るほどの問題がある。
『あるいは本当にただの盗賊か、だね』
当然ながら信じられん。
「とりあえず一つ見せてもらおうか」
「ええ、一発すごいのをやって差し上げましょう」
『えっ! 一発やらせてくれるの! しかもすごいのを!?』
空耳だ。
ここには私とアイラしかいない。
背後を振り返る。
奥に見える壁の上に蜘蛛がいた。
焦がれるほどの熱い視線を私たちに送ってきている。
「あの奥の壁。あそこだ。蜘蛛がいるだろう。あれを仕留めて見せろ。そうだな、氷の魔法を使ってくれ」
「いいでしょう。詠唱中はよろしくお願いしますよ」
頷いておく。
よろしくというのは守れということ。
魔法使いは詠唱中無防備になる。
前衛に立ち敵の注意を逸らすのが剣士の役割だ。
私の剣が喉もとから外れると、アイラは杖を構える。
〈現世にある熱は常に移ろい変わりゆく――〉
彼女の口からゆっくりとした言葉が紡がれていく。
『おお、なんか本格的だね』
シュウの声が楽しげだ。
私も魔法を間近で見るのは久しぶり。
実を言うと少々楽しみである。
〈全て大気に存在する水は今にもその形態を異にする――〉
〈――然して、熱の具象である火は……〉
一分が過ぎただろうか。
アイラはまだ詠唱を続けている。
『詠唱って、こんなに長いものなの?』
かぶりを振る。
以前に見たときはここまで長くなかった。
複合魔術は時間がかかるのかもしれない。
……さらに二分。
〈――万物悉く氷結せよ!〉
ようやく唱え終わったらしい。
途中からシュウを蹴って時間を潰していた。
青白い、指先程度の微かな光がアイラの杖の先から出てくる。
『えっ! えぇぇぇ! あれだけ唱えて出てくるのそれっぽっち!? 俺のジュニアだってもうちょっとたくさんどぴゅどぴゅって出せるよ!』
前半部分には私も共感せざるを得ない。
あんなにも時間をかけて、出てくるのが小さな光ひとつでは話にならない。
「見てください」
『白くて細い女の子らしい指だね』
はいはい、そうだね。
それ、遠回しに私の指が女らしくないと言っていないか。
『いやだなぁ~、曲解しすぎだよぅ』
それと見るのは指じゃなくて光な。
いい加減にしておけよ。
淡く今にも光は蜘蛛の方へほわわんと飛んでいき。
蜘蛛を外して壁にぶつかった。
パリンッ!
小さな光は大きな音をたてて割れた。
「凍っちゃえ!」
アイラの叫びを合図に漂着点である壁の一部が白くなり、その白はすさまじい速さで壁を塗りつぶしていく。
壁にくっついていた蜘蛛も白に潰され、粉々になって消えていく。
「おおっ!」
『いやぁぁ! らめぇぇぇ! 白くて濃いのが視界を覆ってくぅぅぅぅ!』
私は歓喜の声をあげる。シュウのは知らん。
アイラは目を細めて、どやぁっと私を見てくる。
たしかにすごい、が、奥から白い景色が床と壁を伝ってこちらに迫ってくる。
『姐さん。逃げ……』
アイラを置いて、迫り来る白に背を向ける。
そのまま元来た道を颯爽と駆け抜けた。
私は今、風になっているのではないだろうか。
振り返ると曲がり角を超えてまで白銀は迫ってきたが、ようやく勢いを止めた。
アイラの姿はない。
彼女は、私が逃げる直前に後ろを振り向いて悲鳴を上げていた。
『それが私の聞いた――彼女の、最期の声だった』
殺してやるな。
引き返すぞ。
『メル姐さんは才能がまったくないって言ったけど、一つあったのを忘れてた。その逃げ足は冗談抜きで素晴らしいよ』
シュウの声は今日聞いた中で一番マジメなものだった。
氷の彫刻。
アイラの現状だ。
上から下まで真っ白に凍り付き、呼吸も止まっていた。
シュウの言うとおりに処置していくと、なんとか息を取り戻した。
『復ッ活ッ! アイラ復活ッッ!』
シュウが叫んでいたが、私だって叫びたい。
知り合ってすぐに死なれては寝覚めが悪いからな。
「し、死ぬふぁと、思ひますた……」
アイラは横になったまま呟く。
シュウの話じゃお前。
仮死状態とかいうやつだったらしいぞ。
人間なら死んでたとも話していた。
『この子がなんでパーティーに誘われないか、よくわかったね』
あまりにも長すぎる詠唱。
自分自身を巻き込むほどの馬鹿威力。
魔法の欠点が浮き彫りになっている。
そりゃいらないだろう。
せめて――、
「詠唱を短縮することはできないのか」
「できます――できますが、それは邪道です! 魔法の本質は元来導き出される結果ではなく、その過程である詠唱にあるのです。詠唱が正確ならば詠唱に準ずる結果が出るのは至極当然の道理。詠唱の短縮は確かに戦闘で有利ですが、それは魔法への――ひいては魔法を作り上げてきた故人たち。さらには世界への冒涜です! 実践派の奴らはそれをまるでわかっていない。むやみやたらに速さばかりを売りにして――」
アイラは上体をむくりと起こし、数分に及び口を動かし続けた。
私が切り上げなければ、さらに続いていたに違いない。
『ピンチになったパーティーを助けて~、とか話してたけど詠唱が長すぎて助ける前に死んじゃうよね。魔法を放てたとしてもこの子がトドメさしちゃうよ。まあ、どっちにしろこの子じゃパーティは組めないね。ただの置物になっちゃう』
結論は出た。
「残念だが今回は縁がなかったということで――」
アイラに背を向けて歩き始める。
時間を無駄に消費してしまった。
今日中に中級をクリアして、上級の様子も見ておきたい。
さっさと進もう。
「待って! 待ってください!」
後ろからカサカサカサと蠢く音。
モンスターかと思い、慌ててシュウを向ける。
そのシュウもやすやすとかいくぐり、ローブから伸ばされた手が私の胴に回る。
「見しゅてないで! ここの上級をクリアして、アイテムを持って帰らにゃいとお家に入れてもらえないんでしゅぅ!」
アイラは泣き顔を私のお腹にこすりつけてくる。
『すごい動きだったね……。この子、姐さんよりもよっぽど才能があるよ。それにしても、くそっ! うらやましい。俺もメル姐さんの腹筋にほっぺたすりすりしたい!』
ああもう、うっとうしい。
きっとそのうち奇特な奴らがパーティーに入れてくれるはず。
それにだ。
「どうしても上を目指すなら詠唱短縮をすればいい。できないわけではないんだろう」
「だめです! それは私のポリスィーに反します!」
ぽりしぃってなんだ?
シュウが二人に増えた気分だ。
しかも、こっちは肉体的に干渉してくるからもっとタチが悪い。
「私このままじゃ上級どころか中級で死んじゃいます。お家に帰りたいですぅ」
アイラはさめざめと涙を流し始めた。
早く事情を聞いてくださいよと、ちらちら涙目で訴えてきている。
『あざとい。実にあざとい。だが、それがいい』
事情、聞かないといけないのか……。置いていきたいんだが。
とりあえず、このまま胴に巻き付かれているとやっかいだ。
「いったいなにがあったんだー」
『すっごいぼうよみだねー』
言われなくてもわかっている。
どうしてこんな茶番を演じなければならない。
「よくぞ聞いてくれました!」
アイラは語り出した。
語るに語った。
あまりにも長いため途中からシュウを踏んで遊んでいた。
『要するにさ。書庫に引きこもって本ばっかり読んでる碌でなしの甲斐性なしだから、親御さんに追い出されたってことだよね』
そういうことらしい。
「三十年ぽっち引きこもってたからって追い出すことないでしょうに」
三十年ものの引きこもり……。
さすがエルフと言うべきか。
ちなみに御年百五十二歳らしい。桁が一つ違う。
『三十年あれば俺の世界でも魔法を使える人が出てくるからね。むこうでは魔法少女に憧れるのに、こっちでは魔法少女が呆れられるんだ。……少女って歳でもないか。こっちでもそのへんは同じなんだねぇ。なんだかなぁ』
シュウもしみじみと回想にふけている。
さて、どうしたものか。
意見を求めてシュウを見る。
『こういうときだけ意見をねだるのって、卑怯だと思うわ。これだから女って……』
気色悪いこと言ってないで、さっさとチートやらでなんとかしろ。
卑怯はお前の得意分野だろう。
『チートな手段があるっちゃあるよ』
ほぅらみろ。やっぱりあるじゃないか。
早く言え。
『いやね、チートの選択一覧にさ。スキル一部共有とパーティー専用スキルがあるんだ。ずっと前からあったっちゃあったんだけど、姐さんロンリーウルフ――失礼、ただの涙ぐましいぼっちだったからね。俺もそのあたりをきちんと察して話をしなかったんだよ。その中に問題を解決しうるスキルがある』
なんで言い直した。
しかも言い直した方がよっぽど失礼なんだが。
まぁ、いい。
そうか。なんとかなりそうか。
それなら――、
「一緒に行ってみるか?」
アイラは目をぱちぱちさせている。
聞こえてなかっただろうか。
「ついて来るかと聞いたんだ」
アイラは口をぱくぱくさせ、目を輝かせる。
「はい! 一生ついていきます!」
やめろ。上級まででいい。
それと腹に頬をこすりつけるな。
『さすが姐さん。あっという間に雌豚一匹を飼い慣らしちゃったね! それにしても逃げ足が取り柄のぼっちと魔法オタなヒッキーの組み合わせとは、ぷぷっ』
こうして、私は数年ぶりにパーティーを組むことに……ならなかった。
パーティーは組めなかった。
私がパーティーリングを持っていなかったためだ。
パーティーの結成にはギルドから提供される指輪が必要となる。
この私がまさかパーティーを組むなど、ここ数年想定すらしていなかったためリングをどこに置いたか全く記憶にない。
机の引き出しの中だろうか。
いや、引き出しには思い出の品しか入れていないな。
『机の引き出しってさ。……空っぽだった、よね』
馬鹿言え。
そんなわけないだろうが。
くそ……おかしいな。はっきり思い出せないぞ。
まあいい。まあいいさ。
仮に百歩譲って机の引き出しが空だとしてもだ。
それでも目を瞑れば楽しい思い出がありありと浮かんでくる。
…………あれ?
なぜだ。おかしいぞ。どうして真っ暗なんだ!
知らず知らず頬を生暖かいものがこぼれていく。
私には、思い出が。楽しい思い出が――、
『もういい! もういいんだ! もういいんだよ、メル姐さん。つらい過去を無理に振り返ろうとする必要なんてない。大切なのは未来。もっと先を見ていこう。ほら、ゆっくりでいいから目を開けて。そこに、姐さんと一緒に行きたいっていう頭のネジがイカれちまったファンキーな奴がいるよ。可哀想な人って目でどうしようもないほど馬鹿な姐さんを見てるけどね』
踏みつけてやった。
なぜだか喜んでいる。本気で気持ち悪い。
リングはギルドでお金を払えば再発行してもらえるらしい。
このまま進めばボスで共闘ができない。
片方が扉の前に取り残されてしまう。
しょうがないので引き返すことにした。
ギルドでパーティーリングを発行してもらい、中級者向け入り口の前に再度やって来た。
ここでもギルドに入ると嘲りに包まれたため、すぐ離れることにした。
私は慣れているため問題なかったが、アイラは私に謝り続けた。
嘲りの対象が私ではなくアイラだったからだ。
「大丈夫だ、嘲りなど問題ない。すぐに声すらかけられなくなるからな」
アイラは首を傾げていた。
どうやらまだわかっていないらしい。
嘲りは恐怖に変わり、ついには存在を許容できなくなる。
私もシルマ神殿をクリアした後にギルドを訪れると、誰も目を向けてこなかった。
それどころか、私が外に出るまで終始、みな無言だ。
彼女もきっとすぐに思い知ることになるだろう。
リングを指に嵌め、アイラの嵌めているリングと合わせる。
リングは小さく煌めき、パーティー登録がされた。
『なんか地味だね。ああっ、姐さん。このスキル一覧すごいよぉ! さすが神様からの贈り物! パーティー用のスキルが大量に選択できるようになってるぅ!』
「なんですか、今の声……」
えっ、と口から漏らしてアイラを見ると、彼女は不安そうな顔で私を見る。
「聞こえて、いるのか?」
『もしかしてアイラちゃんにも俺の声が聞こえちゃってるぅ? 興奮してきたね。俺だよ、俺、俺。わかるでしょ。姐さんが手に持ってるたくましい一物。それが俺だよ。ワイルドだろぉ』
シュウを足で黙らせる。
さてどこから説明したものか。
そもそも説明してもよいのだろうか。
「すごいです! 剣の中に人の意志を収めるなんて。それに神の存在! やはりこの世界には創造主がいたんですね! 世界の真理にたどり着けそうです!」
これまでの経緯を束ねて簡単に説明したところ、アイラは思ったよりもすんなり受け入れた。
テンションが異常に高い。暴走している。
「一人でぶつぶつしゃべったり。いきなり泣き出したり。剣を壁に叩き付けたり踏んだりして。やることなすこと気持ち悪くて危ない人だと思ってたんですけど、こういう事情があったんですかぁ!」
おい待てよ、引きこもり。それは初耳だぞ。
私はそんな風に見られていたのか。
『いやぁ、アイラたんは話が早くて助かるなぁ。どっかの逃げ足馬鹿も見習って欲しいくらいだよぉ。ほぅら触ってごらん、コスってごらん……おっと、やさしくねぇ。僕ちゃんも真理にたどり着いちゃうぞぉ』
この馬鹿も暴走している。
先ほどから私をそっちのけでシュウとアイラは会話をしている。
「さっさとダンジョンに潜るぞ馬鹿ども」
ここは中級者向け入り口の前。
先ほどから冒険者たちの視線が痛い。ひりひりする。
普段は目を向けられないから、肌が視線に弱いのだ。
改めてチートとやらの力を思い知った。
私ほどではないが、チートの効果がアイラにも一部共有されているらしい。
毒や麻痺の耐性といったものが彼女にもついたそうだ。
魔法使い用の効果も供与された。
一つは、
『高速詠唱であるっ!』
私にはまったく関係ない効果だが、アイラの詠唱が爆発的に加速した。
もはや何を言っているのか聞き取れない。
もう一つが、
『なるほど詠唱一時中断とはこういうものか』
詠唱を途中で止め、続きから詠めば発動できるようになった。
なんだかすごいことらしい。
アイラは理論的にあり得ないんですと興奮し、詠唱理論の基礎の基礎とやらから話を始めた。
無論、私は理解する気などないため右から左に聞き流す。
そして、極めつけがパーティー用のスキル――同士討ち無効。
アイラの攻撃魔法が私に効かなくなった。
どんな強い攻撃魔法をぶっぱなされても私には効果がない。
本人にも効かないおまけつきらしい。
「フヒヒヒヒッ! 我が世の春が、キター! 時代が私に追いついたぁ!」
ハァ……。
ため息が抑えられない。
うるさくてキモイのがまた一人増えてしまった。
重要なのはパーティーを組んだ結果どうなったかだ。
中級ダンジョン道中は元から問題がない。
――ボス戦。
そう、ボス戦でパーティーの効果は顕著だった。
ボスはギルドで聞いていたとおり、大きなヤモリ。
私一人でもさほど問題はなかっただろう。時間をかければ倒せた。
今、ボスのヤモリは光に消えドロップアイテムが残る。
一撃……。
一撃だった。
部屋に入ってすぐにアイラは呪文を唱え始め、ボスが上から落ちてくる前には呪文を完成させていた。
〈――有象無象よ! 一片も余すことなく灰燼に帰せ!〉
ボスの出現とともにそう告げた。
前に見た景色と同様に杖の先端から小さな赤い光が出てきた。
「燃え上がれ!」
光はボスのヤモリにぴとりとくっつくと、急激に赤く膨らんだ。
熱球のはずだが同士討ち無効のためか熱さはない。
見た目が暑苦しい。それくらいだ。
赤い光が収まると、ヤモリの胴体が球形に抉られていた。
まさに跡形もない。
残った頭と尻尾も光とともに消えていき、ドロップアイテムだけがぽつりと転がっている。
『俺も燃え尽きたいな。ねぇ、メル姐さん。今夜は一緒にハッスルしようよ!』
「私の魔法で全てを破壊し尽くして、とっととお家に帰るのデス!」
ボスとはいったいなんだったのか。
こうして私たちは上級へ歩を進めることと相成った。