チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

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第07話「フランデナ草原の夜明け」

 六日。

 たったの六日だ。

 ゼバルダからフランデナ草原の移動に要した日数である。

 一般に徒歩で一ヶ月かかると言われていることを考えれば、大幅な短縮と言える。

 乗り合い馬車の八日よりもなお二日早い。

 さらに馬を使わずこの日数だ。

 スキル――歩幅拡張により一歩で約五歩ぶんの距離が移動できるようになった。

 最初は流れる景色の速さに戸惑っていたものの、今では歩くどころか走っても問題ない。

 やはりチートの力はすさまじい。

 

 ちなみにギルドから頂戴した馬は、出発一日目にして逃げられた。

 町を出てから五分も経っていなかったはずだ。

 まだ、後ろにはゼバルダの町が大きく見えていた。

 背中から振り落とされ、馬はそのまま町と反対側に消え去った。

 にんまりとした笑顔を私に見せてくれていたのに、気性は荒かったのだ。

 ど素人の私では振り落とされても仕方ないだろう。

 むしろ三分近くも乗れたことに誇りを持つべきではないだろうか。

 

『なんて慎ましい埃なんだ……。いやぁ〜、でもその後でさ。同じ馬が向こうから人を乗せてやってきたときは、ほんと笑ったよね! 腹筋がどうにかなっちゃうんじゃないかと思ったよ!』

 

 お前の腹筋ってどこなんだよ。

 あと、「ほこり」が私の言うものと違うような……ん?

 おいおい待て待て。

 そんな愉快な話。私の記憶にないぞ。

 その話は本当に本当なのか。

 本当ならどうして教えてくれなかった。

 

 なに?

 どうせまた逃げられる?

 それなら別の人にちゃんと乗ってもらった方がお互い幸せ?

 ……そうかもしれない。

 

 認めざるを得なかった。

 

 

 

 フランデナ草原はフィールド型ダンジョンと位置づけられている。

 ウラキラ洞穴、ゼバルダ大木のようなラビリンス型ダンジョンとは違う。

 私が入ったことがあるフィールド型は初心者の森だけだ。

 

 フィールド型はダンジョンの内側と外側を分ける明確な境界が存在しない。

 そのためモンスターもごくごく稀にダンジョンの外側へ出てくる。

 町がモンスターに襲撃されたという話を耳にしたこともある。

 そして、フィールド型のなによりも最大の特徴はボス部屋がないことだ。

 ボスの居やすい領域は存在するが、必ずそこにいるわけではない。

 いきなり遭遇することもあり得るし、いつまでたっても会えないことだってある。

 さらにボスが一体だけとは限らない。

 私も初心者の森でボスであるギラックマに挟まれたときは死ぬかと思った。

 

『ギラックマの方がメル姐さんに驚いて逃げだしそう』

 

 なんで知ってるんだよ。その通りだよ。

 驚いて悲鳴を上げたら、ギラックマも驚いて逃げていったよ。

 

 ……さて、ここフランデナ草原はふざけているほど広い。

 ぐるりと回るだけでも二ヶ月はかかると言われている。

 

『この途方もない広さを目にするとさ。才能の大小なんて取るに足らない問題だと気づかされるね』

 

 なんか引っかかる言い方だな。

 だが、たしかに広い。

 私もこの広さの前にするといちいち戯れ言を気にするのがばかばかしく思える。

 

 そんな広大なフランデナ草原のボスモンスターはカルマレオ。

 あまりにも有名だ。私でも知っていた。

 ギルドから情報を購入したことでより詳しく知ることができた。

 

 カルマレオには雄と雌がいて、雄のみが上級のボスとして扱われている。

 雄は雌よりもはるかに強いものの、個体数が恐ろしく少ない。

 現在、ギルドで確認されている雄はなんと一体だけ。

 しかも五年以上討伐された記録がない。

 滅多に出会えないし、出会っても強すぎて勝てない。

 強さだけなら超上級のボスと比べても遜色がないと言われている。

 雑魚は中級、よくても上級なのにボスだけが突出している。

 名実共にフランデナ草原の支配者となる。

 この一体を倒さないと他の個体も再出現しないのではないかいう、まことしやかな噂もある。

 

 そんな強すぎるカルマレオに挑む人間は後を絶たない。

 ドロップアイテムである「あっと驚くカルマレオの鬣」に、天井知らずの値段がつけられているためだ。

 このアイテムをギルドに提出すれば上級達成と認められる。

 超上級ダンジョンの入場許可証に加えてささやかな謝礼ももらえると聞いた。

 しかしながら、ギルドに提出するよりも売り払って武器・防具やアイテムを整えたほうがずっと効率がいいため、ギルドに提出した人間は過去に居ない。

 

 上級達成の証がこのボスの討伐ではあまりにも厳しくなる。

 そこでギルドはボス討伐の他に二つの上級達成の証を認めている。

 一つが、数多くの病気を治癒するとされる「なんだか治り草」の提出。

 もう一つが、ギルドの運営する上級モンスター討伐隊に一年間の従事。

 

 この二つだ。

 治り草は草原のどこかにあるが、フィールド全域にたった数本しか生えないらしい。

 そんなものをいちいち探してはいられない。

 もう一つの条件は時間がかかりすぎて話にならない。

 すなわち、私の目標はカルマレオの雄を討伐することになる。

 ――のだが、

 

『会えないねぇ。もう絶滅してんじゃないの?』

 

 フランデナ草原に来て、すでに三日目。

 いまだカルマレオの雄に会えていない。

 ギルドで購入した情報を頼りに、その周辺を走り回るが見つからない。

 体が大きいためすぐに見つかると思っていたが、なかなかうまくいかないものだ。

 雌には何度か遭遇したものの、戦闘にならなかった。

 カルマレオはこちらから攻撃をしない限り、人間を襲わない。

 王者の余裕というやつだろう。

 そもそも人間なんて食べなくても、そこらかしこに良質な餌が転がっている。

 

『他のダンジョンに行った方が早いんじゃないかな。南の方にも上級ダンジョンがあるんでしょ』

 

 走り回るのも飽きてきた。

 シュウの提案が現実味を帯び始めたそんなときだ。

 

 進行方向になにやらモンスターの群れがいた。

 あれはたしかマフィアンハイエナとかいう奴だ。

 輪になって中心へと歩を進めている。

 よく見るとその中心に小さなモンスターが見える。

 狩りをしているようだ。

 ちょうどいい――。

『群れて獲物を追い詰める二流のハイエナどもに、超一流のハイエナがどういうものか教えてくれよう』

 

 やかましいわ。

 とにかく、ちょうどいい気分転換にはなる。

 狩りつくしてくれる。

 

『ハイエナ姐さん。素敵です』

 

 あまり褒めるな。照れるだろう。

 

 

 

 ハイエナどもはあっという間に消え去った。

 狩ることは考えていても狩られることは考えてなかったらしい。

 フランデナ草原の雑魚モンスターは私の敵にならない。

 ゼバルダ大木上級で蝶を根こそぎ倒してポイントを荒稼ぎした私は、上級の域を突破してしまったようだ。

 

 あとはハイエナどもに狩られるはずだったモンスターだけ。

 草をかき分け中心に向かう。

 そこにいたのは小さな子犬だった。

 驚いた顔をして円らな瞳で私を見上げている。

 

『あらかわいい。食べちゃいたいわ、じゅるり』

 

 食べたくはないが、かわいいという部分には大賛成だ。

 いったいなんなんだ、この守ってあげたくなるかわいさは!

 ぎゃうぅぅと小さく唸っているが、余計にかわいさを増している。

 

 あぁ、いけない。いけないな。

 これを狩るなどとんでもない。

 未来へと守り継がねばならないかわいさだ。

 この子犬を持って帰ってもいいだろうか。

 

『メル姐さん。母性本能をくすぐられてるところ悪いんだけどさ』

 

 ほんとに悪い。

 静かにしていろ。

 今は誰にも邪魔をされたくない。

 お前のぱっぱらぱーな声で私の安らかな心が台無しになる。

 見えない口を閉じて呼吸も止めていてくれ。

 

 ほら見てみろ。

 この子犬ときたら、きらきらした瞳で私をみている。

 きゃわいいじゃないかぁ〜。

 

『うわキモ……主に顔がキモイ、次いで声がキモイ、おまけに動きもキモイ。それで姐さん。こいつさ、犬じゃないよ。どちらかというと猫かな。しかも、下についてるから雄だね』

 

 なに、そうなのか。

 なんだなんだ。子犬じゃなくて子猫ちゃんだったかぁ。

 まあ、犬だろうが猫だろうがどちらでもいい。

 性別だって関係ない。

 このかわいさは絶対的なものだ。

 

 そういえば、このモンスターは初めて見るな。

 なんてモンスターだろう。

 

『なに言ってんのさ、キモ姐さん。三日間、血眼で探してきたじゃない。フランデナ草原のボスモンスターにして、その全域を統べる獣王――カルマレオだよ』

 

 …………えっ?

 いや。いやいやいや、お前こそなにを言ってるんだ。

 カルマレオは猫じゃなくてライオンなんだろ。

 大きさも人間よりずっとずっと大きいと聞いている。

 

『ライオンは哺乳綱ネコ目ネコ科ヒョウ属に分類されてるから猫の親戚だよ。それに雄と雌がいるってことは子供だってできるでしょ。こいつはまだ幼獣だね。それにさ! 俺だって体さえあれば、今ごろメル姐さんのお腹に新しい生命……やめて! 埋めないで!』

 

 そうなのか。

 こいつはカルマレオの子供なのか。

 

『やったね、姐さん。フランデナ草原クリアだ。サクッと刺しちゃってよ』

 

 シュウの言葉が理解できない。

 このかわいさの象徴に下劣なシュウを突き立てる。

 そんなこと……。

 

『まさかだけど。かわいいから刺せないなんて言わないよね。こいつはただのモンスターだよ。割り切ろう』

 

 シュウを子猫に向ける。

 子猫は体をびくりと震わせ、瞳を潤ませながら私を見てくる。

 鳴き声も小さく弱々しいものに変化している。

 

 シュウが震え始めた。

 違う。震えているのは私の手。

 追い詰めているはずの私が追い詰められている。

 

 お、おいシュウ。

 なにか良い方法はないのか。

 卑怯でチートな方法はお前の得意分野だろう。

 

『やれやれだよ。こいつを殺さないで済む理由が欲しいってことだね』

 

 そうだ。

 そうなるな。

 私にこの子は殺せない。

 貴様を向けるだけで、心が押しつぶされそうになる。

 

『ほんっと甘ちゃんだねぇ。血糖値が心配だよ。まあいいか。カルマレオのドロップアイテムは「あっと驚くカルマレオの鬣」って聞いてる。つまり、カルマレオにはそれはそれはご立派な鬣があるんだろうさ。でも見てわかるように、こいつはまだ鬣が生えてない』

 

 そうだな。

 さらっさらの表面だ。

 そこが素晴らしい。

 さ、触っても大丈夫だろうか。

 

『……鬣が生えてないなら、こいつを現時点で倒しても別のドロップアイテムになるかもしれない。それはそれで何が出るのか興味はあるけどね。だけど、ギルドからの上級認定はあくまでご立派な鬣。それなら、鬣を落とさない可能性のあるこいつを殺す必要性は薄くなる』

 

 おお。そのとおりだ。

 生え揃ってもいない鬣を落とすなんて考えられない。

 この子が鬣を落とすわけがない。

 殺す意味なんてない。

 私、殺さない。

 イイネ!

 

『…………それにこの子がここにいる理由。もしも群れから離れたなら、この近くにその親――カルマレオの雄がいるのかもしれない』

 

 なるほど。

 本来のボスが見つかる、と。

 大きなものなら問題ない。

 かわいさを失っているなら躊躇なく殺れる。

 

 それでいこう。

 なんとも素晴らしい提案ではないか。

 よくそんな言い訳がぽんぽんと出てくるものだ。

 さすがチートだな。

 見直したぞ。

 

『チート関係ないから! それとね。やっぱり失敗すると思うよ』

 

 大丈夫だ。

 ボスとは油断せず戦ってみせる。

 チートなお前がいるなら負ける気がしない。

 

『そう言われると悪い気はしないね。今の俺とメル姐さんなら勝つことはできると思うよ。勝つことはね。でも……いや、やっぱいいや。直にわかるさ。じゃあ、迷子の保護者を探そうか』

 

 私は力強く頷き、周囲の探索に向かった。

 

 子猫は私の後ろをてこてこ歩いてついて来る。

 シュウが言うには能力半減を受けない絶妙な距離を保っているらしい。

 スキルを外してみたものの、やはり触れるほど近くには来てくれなかった。

 でも、ちょっとだけ触ることができたので満足である。

 触ったら目を見開いて驚かれた。

 人間の手が初めてだったからだろう。

 

 あちこち歩き回り、夕方になってようやく群れに出くわせた。

 残念なことに雄は見当たらない。

 子猫は何度も私を振り返りながら、群れへと歩いて行く。

 群れの中の一頭にすりすりとじゃれ合う。母親なのだろう。

 母親も子猫をぺろぺろなめている。

 その後も子猫は私をちらちら振り返りながら立ち去った。

 

 私は姿が見えなくなるまでぼんやりと見送った。

 もっと一緒にいたかった。

 アイラとの別れの比ではない。

 今日は枕を濡らさずには寝られないだろう。

 

 

 

 翌日。

 ギルドは前日以上に盛り上がっていた。

 端でこっそり様子を伺うに、どうやら町の近くでカルマレオの雄が発見されたらしい。

 さらに、ちょうど遠くの町から討伐隊もやってきていた。

 過去に何度かカルマレオに挑んだことのある有名なパーティーらしい。

 彼らが今日はカルマレオの討伐に向かうとあって騒ぎになっていたようだ。

 

『メル姐さん。あの討伐隊は見た感じなかなかの手練れだ。チャンスだよ』

 

 たしかにあの集団は強そうな雰囲気がある。

 よくわからないが剣や鎧もピカピカして高そうだ。

 私も仲間に入れてもらうべきだろうか。

 

『なに馬鹿を言ってるのさ。メル姐さんは鬣のギルド提出が目的だけど、彼らは鬣の売却が目的なんだよ。ぼっちの姐さんとは相容れない存在だ』

 

 ……わからないな。

 それではいったい何がチャンスなんだ。

 あと、無理にぼっちつけなくていいから。

 

『彼らは狩りのプロだよ。獲物に対する嗅覚がメル姐さんの比じゃない。すぐにカルマレオを見つけてくれるはず。つまりね。俺たちは彼らの後ろをただ追いかけて行くだけでカルマレオにたどり着けるのさ』

 

 おお。なるほど。

 でも、追いかけるということは私たちは後ろだろう。

 奴らが先にカルマレオを倒してしまったらどうするんだ。

 

『その可能性は極めて低い。何度も挑んでるってことは退き際も知ってるはずだよ。それに、手練れならまずはボスの変化を知るために軽い戦闘を数回おこなって様子を見るんじゃないかな。そのあとで本格的に仕掛けると考えられる。俺たちは彼らの前哨戦のあとを叩けばいい。彼らが本物の実力者なら今日中にクリアだ』

 

 やはりこいつは卑怯者だ。

 性根が腐りきっている。

 もうどうしようもないな。

 

 それでも、討伐は早い者勝ち。

 戦闘中に横入りしてトドメだけ頂く訳でもない。

 別に問題はなかろう。

 よし。その作戦でいこう!

 

『良い返事だ、メル特務! それではオペレーション「ロンリーハイエナ」を現時刻より開始する!』

 

 こうして本日は討伐隊の追跡をすることになった。

 

 

 

 シュウの言うとおりに討伐隊を追いかけていく。

 尾行はなかなか本格的だ。

 

 まず、「なんちゃってステルス」とか言うスキルで姿を消した。

 実際には姿が消えている訳ではなく。

 可視光線をねじ曲げて、外部から見えづらくしているだけらしい。

 問題点として私からも彼らが見えづらい。

 また、凝視せずになるべくぼやかして見るようにとも教えられた。

 視線が感じ取られてしまうらしい。

 それは私にもわかる。視線で肌がひりひりするからな。

 そのためステルスの問題点がこちらからの視線を強くしないという点で、よい方向に働いているとシュウは話す。

 さらにだ。

 常に彼らの風下側に位置するよう回り込んでいる。

 ここまでする必要があるのかと疑問を呈したら怒られた。

 

『精鋭部隊員なら臭いだけで敵を察知するんだよ!』

 

 どうやらそんなものらしい。

 シュウの国の精鋭部隊は恐ろしい人物がいるようだ。

 

 無駄に本格的な甲斐もあって、順調に追跡できている。

 そして、昼過ぎ。

 ついに念願のカルマレオを見つけた。

 

 体長は聞いていたとおりだ。

 大人が十人ほど手を伸ばしたくらいの大きさ。

 やや黒ずんだ黄色の体。

 首を覆う暑苦しいほどの鬣。

 その眼光は今まで見てきた敵の中でも一番の鋭さを持つ。

 

 あの子猫も成長するとこうなるのか……。

 こんなかわいくない獣に成長してしまうのか。

 時の流れの残酷さを思い知った。

 だが、ありがたい。

 これなら容赦なく殺れる。

 

 

 

 カルマレオと討伐パーティーの戦闘が始まった。

 

『強いね。ボスも彼らも』

 

 ボスはその大きな体躯に見合わぬほどの速さでパーティーを翻弄する。

 パーティーもうまく役割を分担させており、攻撃を加えている。

 それでもボスにはダメージが通っていない。

 

『物理耐性に加えて魔法耐性もあるみたいだ。俺たちには関係ないけどね』

 

 そうだな。

 今のところカルマレオの動きもくっきり見えている。

 これに加えて状態異常と能力半減が入るなら十分戦えるだろう。

 

 おっ。

 リーダーをしていた剣士の一撃がカルマレオに入った。

 一瞬、姿勢が崩れたもののすぐにカルマレオは立ち上がる。

 

『すごい治癒能力だね。あっという間に傷がふさがったよ。まあ、特殊能力だろうから無効化されるけどね』

 

 その通りだ。

 あの治癒能力は恐ろしいが、スキルで無効化されるなら考慮に入れる必要はない。

 ……おや、負ける要素が見つからないぞ。

 

 パーティーが退いていく。

 どうやら本当に様子見だったらしい。

 カルマレオもそれがわかっているのか特に追いかけることもしない。

 パーティーはついに視界から消え去った。

 

 さて――、

 

『じゃあ、いこうかハイエナ姐さん。孤高の獣王とやらに、真のぼっちがどういうものか見せつけてやろうぜ』

 

 いちいちうるさいが、許してやろう。

 私もようやく探索やら追跡といった小難しいことから解放されて気分が良い。

 

 カルマレオへと疾走し、躍り出る。

 どうやらあの子猫の親で間違いない。

 目を見開き、口も開いて驚いている。

 その顔が昨日見た子猫のものとそっくりだ。

 果たして、いきなり飛び出たことに驚いたのか。

 それとも人間がたった一人で挑むことに驚いているのか。

 ふふ、あるいは私の強さに気づいて驚いているかもしれないな。

 

『あのさぁ、メル姐さん。言わないでおこうと思ってたんだけど、いいかげん調子に乗ってきてウザイからもう言うね。昨日の子猫やこのボスは確かに驚いたような顔をしてるけど、実際には驚いている訳じゃないんだ。フレーメン反応っていう生理現象なんだよ』

 

 うん、どういうことだ。

 驚いているわけじゃないのか。

 

『うん。姐さんが飯をたらほど食べたらゲップをして、俺が朝にテントを張るのと同じ生理現象。感情とはほっとんど関係ない』

 

 よくわからないが、そんなものだったのか。

 それで、そのふれぇめん反応っていうのはどういうときに起こるんだ?

 

『臭いだよ。異性の尿やくっさい刺激臭を嗅いだときに生じるんだ。ちなみにゼバルダでもらった馬が笑った表情をしてたのもこの反応。要するにメル姐さんが臭かったからなんだ。おっと、安心して。馬に逃げられたのは臭かったからじゃなくて、乗馬の才能がなかっただけだから。それと怒りは俺じゃなくて目の前にいるボスにぶつけてね』

 

 カルマレオはまだ驚いた表情で私を見ている。

 

 ふっ……ふふふふっ。

 そうか。そうなのか。そうだったのか。

 貴様も私が臭いと言うんだな。

 この私が臭うと! フレーバーだと!

 

 よろしい。ならば抹殺だ。

 この屈辱を受けた私にただの抹殺ではもはや足りない。

 お前の体に全状態異常を叩き込んで、有無を言わせず嬲り殺しにしてやる。

 

 征くぞ! シュウ!

 

『レンジャー!』

 

 こうしてカルマレオとの戦いが始まった。

 

 

 

 幕引きはいつもあっけない。

 苦戦にすらならなかった。

 近距離戦を挑んだ時点で、このカルマレオに勝ち目はなかったのだ。

 逃げればなんとかなったのかもしれないが、王者のプライドがそれを許さないのだろう。

 すでに獣王は消滅寸前。

 立ち上がることもできず、私を力なく見つめている。

 

『さあ、メル姐さん。トドメをよろしくお願いしますよ』

 

 シュウの言うとおり、あとは突き立てるだけ。

 獣王に一歩近づき、シュウを振り上げたまさにその瞬間――、

 

 私と獣王の間に小さな影が割り込んできた。

 

 驚いてシュウを止める。

 その影は昨日の子猫だった。

 小さく唸り私を威嚇してくる。

 なんというかわいさ。

 

 どいてもらおうと手で払おうとしたが、その前にカルマレオによって払われた。

 子猫は大きく宙を飛んで離れた場所に転がる。

 私に殺されないようカルマレオが最後の力を振り絞ったのだろうか。

 そんなことをしなくても私は子猫を殺す気はない。

 

『違うよ。その考えは完全に間違ってる。正解の欠片もない』

 

 どういうことだ。

 今のは息子を守る行為だろう。

 

『それは違う。メル姐さんは例えチートな俺を使ったといっても、正面からカルマレオと戦って勝った――勝者だ。一方のカルマレオはあえなく敗れた敗北者。自然の掟に従うと勝者は敗者に絶対の生殺与奪権を持つ。この間に余計な不純物が存在してはならない。この掟に逆らうのは人間とハイエナだけ。姐さんは逆らっても大丈夫だよ』

 

 それはもちろん私が人間って意味で言ってるんだよね。

 

『えっ……ああ、うん。で、話を戻すと。そこに転がるこわっぱはその絶対的な自然の掟を破った。だから、カルマレオは自然の王者として愚かな真似をした馬鹿をなぎ払った。それは自然に生きるもののすることではないからね。ましてや自分の息子――王の血を引くものならなおさらだ。だからさ。さっきの行動は息子をかばったんじゃなくて息子を叱りつけたものなんだよ。わかってくれたかな、ハイエナ姐さん』

 

 シュウが私の誤解を説明している間にも子猫はゆっくりと立ち上がり、私の方へふらつきながら向かってきている。

 その驚いた顔はなんとかやめられないか。

 いろいろ台無しなんだが……。

 

『生理現象だから無理だろうね。で、トドメは?』

 

 子猫は再び私とカルマレオの間に立ちはだかる。

 目蓋を重そうにしつつも私を睨んでいる。

 カルマレオは前脚を上げたが、力尽きたのかそのまま下ろしてしまった。

 早く殺せと、これ以上の雪辱を与えてくれるなとその目が語りかけている。

 

「……なあ。シュウ――」

『俺は失敗するって言ったよね。メル姐さんは勝つことができても、トドメは刺せないんじゃないかって思ってた。だから、俺はどんな結果になってもなにもいう気はないよ。それにさっきも言ったとおり姐さんには殺さないっていう権利もあるんだからね』

 

 そうか。

 私が悪かった。

 私は甘い。甘すぎた。

 お前の言うとおり甘ちゃんだ。

 

『そうだね。甘すぎて反吐が出るよ。でも、その甘ったるさ――嫌いじゃない』

 

 けっきょく私にはトドメが刺せなかった。

 距離を開けてカルマレオが治癒するのを見届けて、背を向けて立ち去った。

 後ろからカルマレオが吠えていたが、私には何をいっているのかわからない。

 トドメを刺さなかった私を蔑んでいるのかもしれない。

 間違いなく、礼を言っていることはないだろう。

 別になにを言われたってかまわない。

 私はもう勝者として選んだのだから。

 

 

 

 町の宿に帰ってさっさと眠る。

 明日は朝に町を出て南の上級ダンジョンに向かう。

 無駄な時間を過ごしてしまった。

 

 夢を見ることもなくぐっすり眠っていると、なにやらドンドンと物音が聞こえた。

 無視しようかと思ったが、さらに大きなものになる。

 

 ええい! うるさいぞシュウ!

 

「夜分に済みません! たいへんなんです。目を覚ましてください!」

 

 どうやらシュウではなかったらしい。

 よく考えたらシュウに物音はたてられない。

 窓を見るにまだ暗い。

 今は何時頃だろうか。

 

 とりあえず、シュウを手にして扉を開ける。

 宿の主人と、誰だ……?

 

「私はここのギルド事務員です。ここに上級の冒険者がいると聞いて伺いました。さっそくなんですが、モンスターの大群がこの町に向かってきています。手を貸して頂きたい。すでに他の冒険者の方にも門に向かってもらっています」

 

 寝ぼけていたため事情を把握するのに時間がかかった。

 

『さっきから地響きがすごいよ。よくこの中で熟睡できるもんだ。新しい才能の発見だね』

 

 シュウの声でようやく気づいた。

 なんだか景色が揺れている気がしたが、寝ぼけているためではなかったらしい。

 

「それで、パーティーの方はどちらにおいででしょうか?」

 

 ギルド職員はまじめな顔で聞いてくる。

 

『ぼっちでごめんね。職員さん』

 

 突っ込む気力もまだ出てこない。

 ソロだ、と小さくぼやいて門に向かう。

 

 

 

 どうやら時刻は夜明け前。

 東の空にわずかな赤みが射している。

 冷えた空気が心地よい。

 

 門には多くの冒険者が集結していた。

 昨日、追跡したパーティーの姿もある。

 これだけ冒険者がいるのになんと静かなものか。

 地響きもいつの間にか止んで音がしない。

 静かすぎて不気味だ。静寂が耳に痛い。

 こういうときこそ何かしゃべれよ。

 

 門から外を伺うと、多くの影が映っていた。

 数十では足りない。数百はいるだろう。

 大小様々なモンスターが扇状の列を作っている。

 その先頭。私たちに一番近いところに見覚えのある影が二つ。

 鬣のある大きな影。それに寄り添うかわいらしい影。

 ――カルマレオだ。

 

『お礼参りかと思ったけど、ちょっと雰囲気が違うね』

 

 カルマレオも私を目ざとく見つけ、低い声で吠える。

 

『どうやら姐さんをご指名みたいだよ』

 

 えぇぇぇっ。

 今までも嫌なことは多々あったが、これほど嫌なことは初めてだ。

 ここで出て行けば衆目に晒される。

 視線で焼き消えてしまうのではないだろうか。

 

 子猫ちゃんも小さく吠えて私を呼び始める。

 ふむ、これは行かざるを得ないな。

 

 冒険者の列から一人はみ出す。

 まあ、はみ出すのは私の得意技でもある。

 

 カルマレオへと一歩。また一歩と近づく。

 シュウが言ったように戦う気はないらしい。

 子猫が私に近づいてくる。

 もっと近くにおいでぇ。

 

 ほんとに来てくれた!

 口になにやら光を咥えている。

 アイテムだろうか。

 

『やるってさ。勘違いしちゃいけないよ、キモ姐さん。これはお礼じゃない。貸し借りの精算だ』

 

 シュウはよくわからないことを言っている。

 私は手を差し出してその光を受け取る。

 そのまま頭を撫でようとしたが、避けられた。

 

 ……とりあえずアイテムを顔に近づけて確認してみる。

 

 ――なんだか治り草。

 

『ヒュゥー! 気が利いてるじゃないか!』

 

 たしかに嬉しいがそれ以上にうれしいことがある。

 子猫が私の足に頭を、額を、鼻をこすりつけてきた。

 お、おおぉぉ。ついに、ついに触ってくれた。

 それでも顔はやっぱり驚きの表情なんだね……。

 

 子猫はカルマレオの元に戻り、親子ともに吠える。

 それに合わせて周囲のモンスターも声をあげる。

 その声は合唱となって私を包む。

 

 合唱が終わるとカルマレオと子猫は背を向けて駆け抜けていく。

 子猫はもう振り向かない。王に振り向くことなどないのだ。

 彼らは扇の中心を貫き、さらに扇は形を留めて王たちに従う。

 昇り始めた日が彼らを白く照らす。

 

 

 

 夜明けとともにフランデナ草原の攻略は終わりを迎えた


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