本日は晴天なり。
いや、本日も晴天なり、か。
合宿開始から3日目、ようやく俺は海をしっかり満喫している。
1日目のように岩沢が一人黄昏れているようなこともなく、2日目のように別行動させられるわけでもなく、あてもなく漂っている。
ああ…貝になりてえ…
「急にアワビがどうとか…卑猥ですよ」
「急に現れて頭の中を読んだ挙げ句内容をねじ曲げるような奴に言われたくない」
ていうかそういうのを食べ物に例えるな。晩飯に出たらどうする。
「大丈夫ですよ。今日の晩ごはんはフランクフルトらしいので」
それ単品で晩ごはん終わりかよ。育ち盛りには米を出せ米を。
「はぁ…遊佐さんや」
「はい?」
「こんな綺麗な海に来てまで下品な話は止めやしませんか?」
力を抜けばそれだけで浮遊感を与えてくれる海。
遠くから見れば煌めくような青さを放つ海。
こんな素晴らしい場所でこんな話…海に失礼だとは思わないかね?
「そうですね…たまには心を清く保つことも必要ですね」
「分かってくれたか」
出来ればいつも清くあって欲しいんだけど。
「あ、そういえば岩沢さんちょっと下の毛の処理が甘いですよね。見えちゃってます」
「なっ●▲※◇∋?!」
思わぬ暴露にリラックスどころでなくなり思いっきり塩水が口の中に侵入してくる。
「…嘘ですよ」
「な、なんだ…嘘かよ」
「無駄毛に興奮するなんて…とんだ変態ですね」
「アホか!興奮じゃねえよ!びっくりして浮かんでられなくなっただけだっつーの!」
「どこに力をいれてるんですか全く。清く行きましょうよ、清く」
「お前…ざけんなこらぁ!」
がばっと頭を絞めてやろう飛びかかったが、潜水することで避けられてしまう。
「一時撤退です」
「逃がすか!」
「はぁ…はぁ…」
「どーしたんだ柴崎?なんかすげえ疲れてるけど」
「あー…いや、なんでもない」
結局あのあとちょこまかとすばしっこく泳ぎ続ける遊佐を捕まえることは出来ず逃げ切られてしまった。
おかしい…なんであんな犬かきみたいな泳ぎ方であんなすばしっこいんだ?
「あーくそ、今日はもう海はいいや」
「今日はいいやって、今日が終わったらあと2日しかねえぜ?しかも最終日はどれくらいいるのかもわかんねえし」
「それならそれでいいよ、そんなに泳ぐのが好きなわけでもないしな」
1日目も今日も、浮き輪の有無の差はあれど、ほとんど浮いてるだけだしな。
「そか?俺はまだまだ泳ぎ足んねえし、泳いでくるぜ」
「おー、いってらっしゃーい。俺はゆっくりしておくよ」
そもそも俺は静かにゆったりと過ごすのが好きなんだ。
それなのにここ最近は喧しいったらない。
「海でゆったりは邪魔されたし、今度は砂浜でゆったりと決め込むか」
「おいおいじいちゃんみたいなこと言ってんなぁ。他の皆を見習ってはしゃいだらどうだい?」
「ひさ子…お前も俺の邪魔をするつもりか?」
日向が泳ぎに行って、さあのんびり昼寝でもと思った矢先にこれだ。
関わる人が多くなると、ゆっくりも出来なくなるものなのか。
「別にあんたの邪魔するつもりなんてないよ。そんな暇じゃないし」
「お前は何も分かってない」
「はぁ?」
そう。分かってないんだよひさ子。お前は…いや、水着姿のお前は側にいるだけでもう男はゆったりしとくどころじゃなくなってしまうんだよ!
なんですかあなた、何とは言わんがそのでかいのは。そんなの目の前でぶら下げられて冷静でいれるほど高校生は人間出来てねえよ!
「なんか…すげえ殴りたいんだけどいいか?」
「待ってくれ。俺はナニもしていない」
してないだけだけど。
「はぁ…なんで男ってのはどいつもこいつも胸が好きなんだろうねぇ…」
と言いつつ腕を組むことで胸を強調する。
……いやまあただの癖なんだろうけど。
ふぅ、やれやれ。俺は胸より脚派なんだがしょうがない。男代表としてここは一肌脱ぎますか。
「ひさ子、いや、これは女子全体に言えることだがな、男が胸が好きなことに呆れる権利なんてないんだぜ?」
「はぁ?なんでだよ?男が馬鹿なことの象徴だろ?」
うん、まあ男が馬鹿ってのは否定しない。
「いやいや、よく考えてみてくれよ。男は確かに胸が好きな奴が多い。というか実質嫌いな奴はいないと言っても過言じゃない」
もちろんこれは恋愛対象が女なことが大前提だが。
「でもな、女だってイケメンが好きだろ?顔が良い方がいいだろ?」
「ん?あたしは別に気にしないけど」
「嘘つけ!お前みたいなこと言って、不細工には冷たいやつを俺は見てきたんだ!!」
この眼が嫌がおうにも捉えるあの残酷な仕打ち…あれが俺にもいつやって来るのかいつも気が気でないんだ…!
「嘘じゃねえよ!あたしは…その…どっちかって言うと…無骨っていうか…男臭いっていうか…そういう方が…」
「それ結局ワイルド系イケメンのことだろ!?俺は騙されないぞ!!」
「お前しつこいな!?」
俺は知ってるんだ!優しい人が好きーとか言いながら結局顔は良いが乱暴な奴と付き合うような女がいることを!
ひさ子だってこんなこと言いながら爽やかで甘いマスクのイケメンにころっと惚れるんだ!!
「本当だっての!」
「んじゃ具体的にどんな人がタイプなのか言ってみろよ」
「さっき言ったじゃないか」
「さっきみたいな抽象的なのじゃわかんねえよ。もっと目がこんなので、とか具体的に」
「はぁ?目…?目…は…そうだな…二重でぱっちりってのよりも一重でスッとしてる感じ…かな」
顔を赤くし、想像しながら話してるのか、はたまた具体的な誰かを思い浮かべてるのか、所々詰まりながら懸命に話す。
「口調はまあ…なよなよしてたりチャラかったりせず男っぽい感じ…だな」
一重で口調も男っぽい…?
「身体もどっちかっていうと…がっちりしてる方がいいかも…」
身体もがっちり…
「待てひさ子…お前まさか…俺たち部の中に好きな人がいる…のか…?」
「え?!な、何を?!」
一重で男っぽく、身体もがっちり…さらには無骨で男らしい…
このイメージに完全に一致する人物に心当たりがある。
「お前の好きな人って…」
「や、やめ――」
「松下五段…なのか?」
「………は?」
「いやだって…松下五段しかいないだろ今のタイプに合うのは…」
松下五段は一重だし、口調もまさに日本男児って感じで、柔道をやってるだけあって身体もがっしりしてる。
「あのな…松下五段は一重っつーか目が線だし!口調は男っぽいっつーか若干おっさん入ってるし!身体もがっちりしすぎだよ!」
物凄い剣幕で松下五段をディスっている。
これは松下五段には聞かせられないな…
「じゃ、じゃあ誰だよ?」
「ばっ?!誰とかそんなんじゃないっての!ただ単にタイプを言っただけで…」
「嘘だな」
俺が部の中にいるんじゃないかって言ったときの狼狽え方、名前を言おうとした時に慌てて止めようとしたあの行動…どれを取っても俺の予想が的中してることを裏付けている。
「ぐっ…」
あとこの図星ですって自ら言ってるような反応もね。
「ふーん…当ててやろ!」
遠くまでくっきり見える眼を使い、今一度さっきのタイプに当てはまる奴がいるかどうか確かめるために海の方を見る。
「や、やめろって!」
ひさ子が眼を塞ごうとしてくるがなんとか抵抗しつつじっくり海の方を観察し……!?
「あれは…!」
かなり沖の方、俺以外が見れば誰かいるな、程度にしか認識の出来ないほどの距離。
そこに浮き輪をつけ、こちらに向かって泳ぐ藤巻がいた。
ただいるだけでここまで驚きはしない。
その泳いでいる藤巻の形相があまりにも真に迫っていたのだ。
それを見てさらに注意深く観察すると、どうも浮き輪のサイズが一回り縮んでいることに気づいた。
「なぁ…藤巻って…」
「な?!な、なに言ってんだよ?!ちげ…」
「違う!藤巻ってもしかして金づちだったりするか?!」
「へ…?あ、ああ。アイツは昔から泳げないけど…」
「やばい!藤巻がつけてる浮き輪に穴が空いてるみたいだ!なのにアイツ、沖の方に…!」
早く椎名先生や仲村に…と言おうとしたところで、ひさ子が俺の手を払い海に向かって走り出した。
「ちょっ…!」
それを今度はこちらからひさ子の手を掴むことで制止する。
「なんだよ?!離せよ!!」
本気で激怒しているかのように睨み付けてくるその様子から、冷静じゃないことが見てとれる。
「落ち着け!女のお前が行っても巻き込まれるだけだ!」
「うるさいっ!こんなこと言ってる間にアイツが溺れたら…あんたが責任取ってくれるのか?!」
「――っ?!」
「離せ!」
一瞬の動揺を見逃さず、俺の手を再度振りほどき海に向かっていく。
くそ…とにかく助けないと…!
必死に手や足を動かし水の中を進む。
あたしには柴崎のような眼がない。だからそれらしき物体を藤巻だって信じて進むしかない。
待っててくれ…!絶対助けるから…!
これでも運動神経には自信がある。走りだって泳ぎだってそこらの男には負けない。
でも…なんで…?!思ったように進まない…!
いや、理由は明白なんだ。
早く助けにいかないと、という焦りが全身を強ばらせて普段のフォームで泳げていないんだ。
焦れったい。
近づいているけど、いつもの早さならもう着いてるのに…そういう思いが溢れて止まらない。
何度も何度も藤巻の位置を確認して、もうすぐ着くから落ち着けと念じる。
それでも力みは取れない…が、ようやく藤巻のすぐそばに着いた。
「がっ、ぼ、ぶはっ、助け…!」
やばい…!もう浮き輪の空気が無くなってる…!
「藤巻ー!」
こちらに気づくよう大声をあげてから藤巻の下に向かう。
「かはっ…ごはっ…」
もうなんとか酸素を補給することしか考えられてないように、あたしの言葉への返答はなかった。
誰かが来たことくらいには気づいているかもしれないが、その判別はついていなさそうだ。
じたばたと暴れまわる藤巻になんとか近づき、捕まえる。
「落ち着いて藤巻!暴れないで力を…」
「ぐっ、あっ、がぁ?!」
「っ?!」
なんとか顔を海上にあげさせようとしたところで抱きつかれる。
そんな場合じゃないのに顔が熱くなる。
「ふ、じま…がはっ」
落ち着かせるため声をかけようとした瞬間、海水が口のなかに入ってくる。
抱きつかれて動かせない腕で力一杯振りほどこうと試みるも、まるで及ばない。
こんなに強いのか…?!
次第にあたしもどんどんと息が出来なくなっていく。
頭は徐々に働きを弱めていき、ぼうっとし始めていく。
そして何故か切り取られたような幼いころの思い出が巡り始めた。
『ひさ子!いつかはおれがおまえをまもるから!』
幼いころ、いつも二人でいた頃の記憶。
「ト…シ…」
「…い…おい…ひさ子…!」
微かに感じる、自分を呼ぶ声と、頬を叩く感触。
ゆっくりと瞼を開く。
「ひさ子!ひさ子ぉ!」
目の前には珍しく涙を流す相棒が映った。
「いわ…さわ…?」
「ひさ子…!良かった…!」
あれ…?あたし…なんで…?
うまく働かない頭だったが、徐々に記憶が戻っていく。
よく見れば周りには他の皆もいて、あたしを囲んでいるのが分かる。
「あたし…溺れて…」
「そうだよ!柴崎がゆりに言ってなかったら死んでたかもしれないんだぞ!!」
「ゆりにって…どういう…」
詳しい事情を訊こうとした瞬間、はっとする。
「違う!ト…!藤巻は?!」
「藤巻は…」
目を合わせず、どうしたものかと柴崎の方を見やる岩沢の様子を見て、最悪のシチュエーションが頭を過る。
「まさか…し…」
「そうじゃない!」
「ならなに?!」
「落ち着け…。藤巻は…お前より先に目を覚まして一足先に別荘に連れて行った」
「そう…なのか…」
最悪の状況を想像しただけに、安堵感が押し寄せ力が抜ける。
よかった…
「うん…そうなんだけど…ひさ子、お前って藤巻と何かあったのか?」
「何か、って?」
「いや…藤巻が目を覚まして、ひさ子が真っ先に助けに行ったのを聞いたあと…なんか、すごく怒っていてさ」
「このままだとひさ子も危なそうだったから松下五段たちで別荘に無理矢理連れて行ったんだよ」
ごーん、と頭を何かで打ちつけられたみたいだった。
そうか…アイツは…アイツはまだあたしのこと…
「ひさ子?」
「ううん、大丈夫」
滲みそうになる涙を必死に堪えて相棒に笑顔を向ける。
「何もない。本当に、反りが合わないだけだからさ」
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