「お、漸くお目覚めかい?」
何気なく掛けられたその言葉が、安物の椅子で船を漕いでいた女性をまどろみから引き上げる。
音源の方へ顔を起こした黒髪の女性が視界へと真っ先に飛び込んできたのは、目にも鮮やかな橙色の箒……もとい箒の様な逆毛と、本来であれば「前科」の証であり、しかしその多さ故にもはや装飾か何かと化しているマーカーの数々。
職業柄、多種多様な人間と顔を合わせる機会に恵まれている女性ではあるが、その記憶と照らし合わせてみても、そんな条件に該当するのは一人しかいない。
「えっと……パチンコ玉、だっけか?」
「おいおい、何だよそのインチキ臭い名前は。
“鉄砲玉”だよ、鉄砲玉のクロウ様だ。
ついでに、あんたの所に預けたブラック・バードの持ち主で、今回の“仕事”の依頼主だよ」
「仕事」の依頼者。鉄砲玉の異名? を持つ青年――クロウ・ホーガン。
その名と言葉とによって、未だ半分程寝ぼけていた女性の頭もようやく覚醒し、徐々にその立場や今の状況やらが記憶の底より浮き上がってきた。
謎の大地震と治安維持局長官レクス・ゴドウィンの急死。そして、彼女の住むネオドミノの中心部・シティと、そのスラムであるサテライトの統合が執り行われて暫く経ったある日。久方ぶりに顔を見せた旧知の青年の「依頼」を受け、仕事の一環でもあるDホイールの修繕を請け負い、その愛車であるブラック・バード号を預かっていたのである。
で、今日はその引き渡しの日であったのだが、中身の方に大きな損傷も無く、それ程修繕に手こずらなかった事と、そもそもが半分ぐらい道楽でやっている仕事であり、納期だやりくりだとかに追われる生活とはてんで縁が無かった事などから、暇を持て余しつい居眠りをしていたらしい。
「済まないな、待たせてしまったか。
ああ、お前さんのDホイールならガレージの方にあるから、好きに持っていってくれ。
勿論、整備その他は済ませてある」
「おおサンキュー。その分だと随分早く済んだみたいだな。
相変わらず無駄にスペックの高い奴だ」
「無駄に とは何だ無駄とは」
威勢の良い伸びと共に背骨を鳴らしつつ、気だるそうな様子を隠そうともせずそう答える女性。
客商売とは到底思えない適当さだが、これがいつもの彼女であり、また青年――クロウにとっても馴染みある光景である為、今更文句を言う気も起きない。彼にとってはむしろ、物腰低く淑やかな態度で接客に当たられる方がよっぽど無気味に思える程である。
随分いい加減に思えるかもしれないが、二人にとってはこれもまた、ある種の信頼関係と言えなくもない。ファーストコンタクトこそ最悪だったものの、今ではこうして一店主と客、或いは昔馴染みの友人程度には親交を築けているのだ。勿論、それはクロウのみならず、その友人達にとっても同じである。
決して密接という訳ではないが、しかし各々が良好かつ快適な関係を築けているのだ。これに、一体どう文句を付けられようか。
「しかし良い御身分だな、鍵も掛けずに真昼間からうたた寝とは。
手癖の悪い輩にでも目を付けられたら、根こそぎ持っていかれちまうぞ?」
「昔は兎も角、サテライトとシティの垣根が取り払われた今なら、
白昼堂々そんな事をする輩なんていないだろうに。
何より、顔面マーカーマンに心配される程、内のセキュリティは粗末じゃないさ」
クロウの言う一般論も至極真っ当なものではあるが、女性の言う通り、シティとサテライトの統合とそれに伴う行政の様々な改革によって、ここ最近のネオドミノは総合的に見ても飛躍的に治安が上昇している。
「無法地帯」同然であったサテライト住民による犯罪は勿論、圧倒的かつ容易には覆せない「階層」に根を張るシティ側からの嫌がらせや露骨な差別も行政・民間レベルで徐々に駆逐されつつあり、また(旧サテライト住人主観として)漸く真っ当な“仕事”を始めたセキュリティが、場所・時間を問わず不法行為を厳しく取り締まっているのだ。嘗ては日常茶飯事であった白昼からの盗みも、今ではゴールドレア級のものとなっているのが現状である。
尤も、この店に関しては唯一の店員にして店主が、そこいらのチンピラ崩れであれば10人20人束になって掛かろうと軽くあしらえるだけの(無駄な)格闘能力を有している為、クロウの心配はあくまでも社交辞令程度のものでしかない。「若さゆえの過ち」として彼自身の骨身へ染みついている苦い経験が、その信頼の何よりの根拠である。
「だから何度も言ってるだろ、コイツは言わば“勲章”なんだよ。
そう簡単に消してたまるか」
「判っているから言えるんだよ。
さて、眠気覚ましにコーヒーを入れるつもりだが、折角だし飲んでいくかい?
何か予定があるのなら、無理にとは言わないが」
「いや、貰える好意は素直に戴いてくぜ」
と、まぁこういった具合に、常人と比べ中々にハードかつデンジャラスな人生を送ってきた
しかし、(不本意ながらも)一部においてはそれなりに有名であり、また山あり谷ありで名が知られる事となったその愉快な仲間達と比べ、クロウ当人は勿論、その友人達もまた、この女性の事を殆ど知らなかった。
本名から始まり出身地、年齢、交遊関係その他等々、「判らない」ものを挙げてゆけば、それこそ冗談めかしたものから真面目なものまで数知れない。連絡手段と言えばこうやって直接店を訪ねるくらいのものだが、(開店)休業はあれども留守であった事は一度も無く、その呼び名についても、一体誰が呼び始めたのかも判らない、明らかに本名とは言えないもの。年齢については更に不可思議であり、今の見た目がおおよそ20かそこらであるのだが、クロウ達がまだ世間一般で言うところのデュエルギャングとして活動していた数年前の時点で既にそうであり、彼らから見れば当時より何一つとして変わっていないのである。年上であった筈が、何時の間にか(見た目の歳)がそう変わらない程になっていたと言えば、その可笑しさが判るだろうか。
兎に角、その親交度合の深さに反し、驚くほどに「知らない」事が多すぎるのである。極々普通の人付き合いをしてれば、程度の差はあれここまで極端な事にはまず至らないだろう。
とはいえ、判らないからと言ってそれを根掘り葉掘り尋ねるクロウ・ホーガンではない。
誰にだって言いたくない事の一つや二つ、個人によっては十か二十くらいはあるかもしれないし、特にこの町は少し前まで極端な階層文化が横行していた事情もある。似たようなケースの友人を持つが故かもしれないが、少なくとも彼にとって出自などはさして執着するものではなかった。
何より、例え知らないからといって、この関係が、築かれてきた信頼が即ち偽物となる訳ではない。今の付き合いを維持するのであれば一向に構わないし、打ち明けたい事、相談したい事があれば全力を持って受け止める。それが、紳士としてのクロウ・ホーガンのスタンスなのである。
ついでに、いくら学がなかろうと、女性に対して年齢だ体重だを訪ねる事が著しくマナーに反し、かつ危険である事は、彼とて十分に承知している。過去に無邪気な、唯々純粋な好奇心からそれを訪ね、強烈な“お返し”を戴いた友人Yの犠牲に誓って、同じ愚を犯す事はあり得ないだろう。女性には、男には判らぬ秘密があるのである。
「しかし、態々修理屋でも無いうちに預ける必要も無かったんじゃないのか?
お宅には優秀なメ蟹……もとい、メカニックさんがいらっしゃる事だし、
あの程度であれば自分達でどうでにもなるだろう」
香り高い湯気昇るコーヒーをカウンター越しに渡しながら、女性はそう呟く。
彼女の言う通り、確かにこの店はDホイール関連ではあるものの、厳密に言えば「修理屋」ではなく、あくまでもメインは外装やオプションなのである。例え彼女自身が1から組み立てる技術を有していたとしても、それは予備的なものでしかなく、また0を1とするのは、むしろクロウ達の専門分野である。ハンドメイドのDホイールを実際に制作・運用している実績を有した人物が身近にいるのだ。本来であれば、態々外部へ修理を依頼する必要も無い。
「おいおい、忘れてるかもしれないが、俺達はついこの間まで怪我人だったんだぜ?
クラッシュこそしなかったが、アイツだって疲労困憊に変わりは無いんだ。
唯でさえ溜めこむ性質なんだから、これ以上無理はさせられないさ」
しかし、クロウの言う通り、今回ばかりは
丁度、世間一般で言うところの「謎の大地震」が発生した日に、然る事情から大怪我を伴う盛大なクラッシュと、それでなくともボロボロとなるだけの事情に遭遇してしまった彼らには、技術はあれども、愛車にまで割くだけの余力・体力が無かったのである。
到底信じられない、或いは余計な心配を掛けたくないという配慮からその“事情”の詳細こそ伝えていないものの、女性の方もまた深追いせず引き受けてくれた辺りが、彼らの間にある信頼の形であり、またクロウが彼女の店を利用する理由なのかもしれない。
「それに、この機会にこうして昔馴染みの所へ顔を出すのも悪いもんじゃないだろう?
後はまぁ、何かとまけてはくれないか なんて思ったりもしたんだけどな」
尤も、実質的に仲間内の財布を管理する羽目となっている彼にとっては、その立場なりの思惑なども別にあるのかもしれないが。
「相変わらず大した主夫根性だな。
どこぞのキング……いや、“元”キング様とは大違いだ」
「……それ、本人には言ってやるなよ。
ああ見えても、だいぶ気にするような奴だからな」
「なんの、どれだけ上背が大きくなろうと、私からすれば永遠に“アトラス坊や”だよ。
勿論、お前達もな」
やんちゃだった、まだまだ小生意気であった昔の事を種に、話題の花を咲かせる。
その一時に、成り行きとはいえ“選ばれた者”として守る戦いに身を投じた青年は、気まぐれとはいえ“常識”という垣根を越えて縁を繋げた女性は、自身の選択の正しさを噛み締めるのであった。
◇◇
「じゃあ、そろそろ俺は帰らせてもらうぜ。
コーヒーありがとうな」
「おう、また何時でも来ると良い」
その後暫くとりとめも無い会話が続いていたのだが、保温性の高いカップがすっかり冷めてしまった頃愛となって、やおらクロウが腰を挙げた。先程はああ言ったが、彼にはまだ療養中より予てから考えていた新しい「仕事」を始める為の準備があるのである。自分と愛車の治療費は勿論、彼らの次なる「目標」の為には、時間も資金も幾らあっても足りない事は無いのだ、その気合も先走ろう。
「目標」の為の準備が本格化すれば当然忙しくなるし、中々時間も取れなくなる。今回こうしてクロウが彼女の店を利用したのは、顔を合わせる機会を作る意味合いもあったのかもしれない。
「あ、後暇な時でも良いから、偶にはそっちもウチに顔を出してくれよな。
ジャックや遊星も逢いたがっているだろうしな」
だから、その言葉もまた帰り支度の最中にぽっと出た、本当に何気ないものでしかなかった。
「遊星……?」
その
カップを洗う為に開いた蛇口がそのままである事も、冷たい水が手を打ち付ける事もまるで意にせず、直立不動の姿勢のままで、ただその名だけが頭の中を何度も何度も反芻されてゆく
不動遊星 伝説のDホイーラー
クリアマインド デルタアクセルシンクロ コズミック・ブレイザー・ドラゴン……
その名を切欠として、あたかも環で括られた鎖の様に、連なる単語が……一度たりとも聞いた事の無い筈の言葉の数々が、しかし遥か昔に記憶へ焼きつけられたかの如く次々と湧き出でてくる。
止められない、止めようとも思えないフラッシュバック。
「……どうかしたのか?」
無限の空白か 刹那の瞬間か。
溢れども溢れ返る情報の渦からその意識を引き挙げてくれたのは、まどろみの時と同様にクロウの、しかしその時とは少しばかり毛色の異なる声であった。
「いや、何でもない。……どうやらさっきの夢見が悪かったらしい。
まぁ、肝心の内容は全くと言ってよいほど思い出せないが」
「なら良いんだけどな」
そう言ってクロウを、そして自分自身を納得させる。しかし、その理由の半分は本当だが、残る半分は出まかせだ。その中身は良し悪しも判らない程に空っぽであるにも関わらず、ただ「夢」に類する光景を見ていたという事実だけが頭に残っているという、何とも中途半端な気分であった。
その“もやもや”は結局、
◇◇◇
「あれ、そう言えば……」
久しぶりに跨る
無論、ただそれ単体であればさして珍しい光景では無かっただろう。バーのマスターなどがカードを嗜む事は昔からよくある事であるし、それでなくともあの店はデュエルとも縁の深いDホイールを扱っている店なのだ。専門店において、パーツと共に
しかし、彼の記憶が正しければ、彼女……Lと呼ばれている女性がデュエルをするという話は聞いた事が無いし、見た事に関しても同じである。他の事であればいざ知らず、この町では比較的珍しい部類に含まれる事もあり、それだけははっきりと記憶に残っていた。誰かの忘れ物という可能性もあるが、流石の彼女もそれならば不用心に置きっぱなしにはしないであろうし、1枚や2枚ならまだしも、デッキそのものを忘れるなどそう考えられない。となると、やはりあれは店主のものとするのが自然なのだろうか。
が、そのささやかな疑問も肌を撫でる風の前にすぐさま流されていった。何に感化されたにせよ、彼にとっては同好の士が増えるのは喜ばしい事であり、それに疑念を挟む余地など無い。
そう結論付けたクロウの思考は、直に次なる目標……
「見た」とは言っても、実際に手に取り検めて(普通そんな事はしないが)尋ねた訳でも無い。当然、中に何が入っていたのかなど判らないし、判りようが無い。
故に気付かない。気付きようがなかったのだ。
そのデッキの中に、彼が今まで見た事も無い
※投げっぱなしではありますが、本作はここまでで完結となります。
2話構成となっているのは、あくまでも前-後編のようなもののつもりです。