UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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おまたせしました、最新話の投稿です。
今回は場つなぎのような形になっていますが、非常に重要な話です。
というのも数年前に作成したプロットから大幅に改変を行ったため、どうしても必要な、中途半端ながらも重要な話となっているからです。
あと数話で完結となります。頑張って執筆を進めていきます!

【追伸】
2015年エイプリルフール企画やってます。
詳しくは活動報告まで!


第八十九話『異世界の混乱』

 

 

 

 side Conrad・E・Widholzl

 

 

 疑問は尽きない。

 戯れに習得した分割思考は、身体が何をしていようとも勝手に考えをまとめてくれる。

 であるから私は、ふむ、こうして延々と試行を繰り返す。

 何回も何回も。まるで料理を食い散らかす子どものように、あれを試しては放り投げ、あっちへと興味が映っては飽きて。どれもある程度の成果は得られたが、私はそんなものに満足できなかった。

 ある程度の成果が得られた段階で、私には分かってしまうのだ。ふむ、こんなものは何の意味もない、私が求めるものではないと。

 もう少し長くそれに時間を割けば、或いは私は、世間一般においては大成功と呼ばれる結末を迎えることが出来たのだろう。しかしそれに、ふむ、それに一体どんな意味があるというのか。

 そうなると分かっていることに、何も興味など持てはしない。何も価値など見いだせない。ふむ、そんなものを喜ぶ連中というのは実に程度が低い。

 魔法使いなど最たるものだ。あんなものは本質でも何でもない、只の手段。それを周囲はもて囃し、連中は鼻高々。ふむ、反吐が出る。

 根源すら、もはや無価値にしか見えない。ただ自分が何を目指すべきか、それすら分からず、しかし私は試行を続けた。

 

 しかし、かつては実を結ばぬままに只管繰り返すだけだった試行は、ある日突如として転機を迎えた。根源を見限った私は、新たな答え、目的を得ようとしていた私は運命のように彼に巡り会った。

 既存の全ての理屈を覆す、文字通り新たな世界が広がっていた。想像もつかなかった考えが、澱みきっていた私の頭の中へと凄まじい勢いで流れ込む。どれほどぶりだろう、際限のない興奮に私は身を委ねた。

 次から次へと私は新しい理論を生み出す。ふむ、どれほど考えてもキリというものがない。ひたすらに酔いしれ、ひたすらに焦れた。手に入れたい、彼を。世界をこの手に、と。

 私は生まれた時から欠けていたのだ。片翼に過ぎなかった私は、羽ばたくために必要なもう片方の翼を遂に見つけたのだ。一瞬だって待てやしなかった。いつ彼を迎えに行こう、どうやって迎えに行こう、そんなことばかり考えていた。

 

 彼が、まさか自分から私に会いに来てくれるなど、夢にも思わなかった。

 身体中の細胞がひっくり返りそうだった。顔面の筋肉が裂けてしまいそうなぐらい嬉しかった。涙が溢れた。感謝の気持ち、興奮、感激が私の五体の全てを支配した。

 お互いの力を見せ合い、我々は理解し合った。新たな世界への階を共に上り始めるための全てが整った。

 

 

「何故だ、何故分からない」

 

 

 彼の協力を得て、私は彼の中へと入り込んだ。カレの記憶を読み解き、新たな世界への扉の鍵を開くために。

 ターゲットになるのは、カレの記憶の最後の部分。

 乃ち、あの世界を離れこの世界へと来ることになった部分。これを読み解けば、私と彼は全ての魔術師を超えて、根源すらも支配し、新たな世界へと至ることが出来る。

 注意深くカレの記憶をなぞり、その部分へと至った時は思わず拳を握り過ぎて掌を爪が突き抜けてしまうかと思った。

 

 

「そう、ここだ。ここで記憶が途切れる。続きを、続きを見なければ何も分からない」

 

 

 カレがこの世界へと来ることになったのは、そう、ここだ。ハイスクールの卒業旅行とやら。

 学友達と倫敦へ来て、その帰り。

 そうだ、ここでいつも記憶が途切れる。この、飛行機事故。飛行機事故としか思えないコレだ。ふむ、飛行機事故‥‥そんなものに興味はない。私が見たいのは事故などでは断じてない。

 事故の結果、世界を渡った? そんなことはありえない。その程度のことで世界を超えられるなら、この世界は山ほどの身元不明者で埋まってしまっている。

 ふむ、何故だ。これがカレの最後の記憶である以上は、ここに鍵が隠されている。しかし何処にも、私が求めるものはない。どこを探しても、世界を超えるための鍵が見つからない。

 こんなものを見たいのではない。こんな、どこにでもあるものが見たかったわけでは断じてない。

 違うだろう、キミはこんな価値のない情報しか持たない人間ではない。もっとだ、もっと私に見せてくれ。

 繰り返し、繰り返し、繰り返し、私は神経を集中させて観察する。カレの記憶を、カレの在り方を。だが、見れば見るほど、焦燥ばかりが募っていく。

 

 

「駄目だ,分からない。何故だ、どうしてカレは何も知らないのだ。何も見ていないし、何も聞いていないのだ。そんなバカなことがあるか、魂に記憶は残るはずなのだ」

 

 

 記憶は消えない。人間が何かを忘れるということはない。

 魂に、記憶は刻まれるのだ。覚えるというのは刻むということなのだから、その上から何かで埋めたところで、刻まれたという事実は残る。

 その痕を穿り返して記憶を探るのは、私の十八番だった。如何に強固に封をしていても、既に彼は私に全てを委ね、こうやって、安心して眠りについているのだ。彼からの抵抗がないなら、いとも容易く全ての記憶を読み取れるはず。

 意識がなかったからといって、記憶できないというものでもない。目で見て、耳で聞いて、肌で感じたことだけが記憶ではない。精神が眠っても魂は眠らないが故に、魂は全てを記憶する。

 だがカレは何も記憶していない.飛行機事故が起こって、意識を失い、それが彼の記憶の最後だった。其れ以降は何もないし、其れ以前は大して重要でないから確認をしていなかった。

 こんなことはあり得ない。意識を失っても、その魂が肉体を離れるまで私は記憶を調べることが出来る。なのに、調べるべき記憶が存在しない

 

 

「ふむ、ふむ、ふむふむふむ。‥‥悔しいが、どうやら手詰まりか」

 

 

 あまりにも繰り返しを続けたせいで、現実の時間にも影響が出て来た。

 本来なら、私は長い時間を思索と試行に充てることが出来る。そしてそれは現実では、一瞬の内に行われる。だが、あまりにも数が多過ぎたか。小蠅が喧しい。

 この行き詰まった感覚は久々だった。目指すものが目の前にあって、もう手が届くというのに、届かない。時間がある時ならば、いつまでも楽しんでいたいぐらいに、心躍る感覚だ。

 しかし小蠅だ、これがどうにも気になって仕方がない。ふむ、潰してしまうか。いや、しかし、油断は出来ない。騎士王に埋葬機関までいるのだ、少々潰すには手間がかかる。

 ましてや、あと少しで私の望む侭の結果が出ることが分かっているというのに、ここでやめるわけにはいかない。そうだろう?

 

 

「‥‥カレも疑問に思い始めている、か。この繰り返しを」

 

 

 鋭敏な感覚だ。まさか、夢現(ゆめうつつ)でありながら自身の異常を感じ取るとは。

 しかし哀しいかな、カレは魔術師ではない。魔術師ではない者に、その異常の答えを知ることは出来ないだろう。万が一知ることが出来たとしても、何が出来るわけもない。

 魔術は科学で代替出来る技術だが、科学に打破される存在ではない。結果で語るものであるからこそ、火を出すならばライターを使えばよく、水を出すなら蛇口を捻れば良い、魔術は科学に取って代わられた、と論じることが出来る。

 ライターで放火しようとしている者を止めるのと、魔術で放火しようとしている者を止めるのとでは全く話が異なるように。魔術師でない者に魔術を打破することは出来ない。

 

 

「ふむ、ふむ、ふむふむふむ」

 

 

 あまり時間がない。腹立たしいことだが、小蠅を追い払いながらカレの真実を追求するのは困難だ。

 しかし私はどちらかを一旦棚に上げ、残った方を処理する、などと賢しい真似をする気にはならなかった。この探究をやめるなど、とんでもない。しかし小蠅を追い払わなければ集中できないのも見逃せない事実。あちらを立てればこちらが立たず、そして私はどちらも立たせたいわけであるが、ふむ。

 

 

「待てよ、いや、しかし。あぁ、そうだ、何故気がつかなかったのか」

 

 

 天啓が舞い降りて来て、私は心の中で小躍りして喜んだ。

 私一人ではどちらも出来ない、ならば二人でやればいいではないか。幸い此処には優秀な魔術師がもう一人いるではないか。彼が手伝ってくれれば、この行き詰まった状態からも脱することが出来るかもしれない。

 魔術師ではないカレではなく、魔術師である彼ならば、あるいは。なら話は早い、この状況に彼が動揺してしまわないように、推理に集中出来るように、シチュエーションを整えてやるのだ。

 それ自体に神経を遣う以上は小蠅の処理に集中するというわけにもいかないが、ふむ‥‥まぁ、先ほどまでの閉塞した状態よりは遥かにマシであろう。

 

 

「頼むぞ、我々は共に新たな世界への階を上るのだから」

 

 

 よしんば彼にそれが出来なくとも。

 彼がどのような結論を出すのか、それがあまりにも楽しみに過ぎる。

 今まさに召喚した真祖の姫の背後に立ちながら、私は密かにほくそ笑んだ。

 共に新たな世界へと踏み出す時が、段々と近づいている。その確信を表すかのように。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥話はわかった、貴様はとりあえず病院に行こう」

 

「笑わないでオレの話を聞くって約束は何処に行ったんだ」

 

 

 放課後、学校からの帰り道にある全国チェーンの喫茶店に三人の高校生が屯していた。

 やたらと体格のいい男、加藤慎一郎。我が親友にして悪友。身体中から元気を振りまいているように見える女子、逢坂湊。加藤の幼なじみ。

 そして学ランの第一ボタンまでしっかりと留めた地味なオレ。如何にも高校生らしい三人組であるが、店員からは迷惑そうな視線が注がれている。この喫茶店、あまりにも学校に近いため我が校の生徒が毎日多数出没し、一番安い飲み物一杯で長時間粘られているのだ。

 

 

「いや、様式美だ様式美! だから席を立とうとするな!」

 

「‥‥ホントだな? 別にいいんだぞ、今ここでお前を殺しても、ループしてしまったら関係なくなるし」

 

「飛行機事故とやらに遭わなければループしないかもしれんだろうが! 落ち着け、落ち着くんだ」

 

 

 柔道で鳴らしたガタイを持っている加藤を素手で殺すのは不可能だろうけど、ここのところずっとループの影響で虫の居所が悪いオレの目付きは、加藤を慌てさせるには十分以上だったらしい。

 横に座った逢坂はケタケタと笑っていた。普通なら癇に障るはずのそれが全くいやみったらしくない快活なもので、むしろ憎らしく思うぐらいである。

 

 

「しかしズルイねぇ村崎君。それがホントの話なら君、私達が楽しみにしている卒業旅行を何度も何度も堪能してるってことじゃないの」

 

「バカを言わないでくれ逢坂。どんな好物だって食べ続ければ飽きることもあるし、それを通り越せば気が狂ってしまいそうになるんだ」

 

「の割には余裕があるよな、貴様。さっきの視線は流石に肝が冷えたが、普通そういう状況ならもっと参ってるもんだぜ。なぁ湊?」

 

「秋葉原の駅前にひとっこ一人いなかったり」

 

「夏休みが終わらなかったり」

 

「山奥の村の学校で救世主になってくれる人を待っていたり」

 

「赤い薬か青い薬か選ばされたり」

 

「最後のはちょっと違う気がするけど‥‥二人とも、あんまり巫山戯ないでくれ、頼むよ」

 

 

 いつもみたいな夫婦漫才にツッコミを入れてしまい、してやったりという表情の二人からわざとらしく視線を逸らしたオレは長い長い溜め息をついた。

 この二人と話していると、悩んでいたのが馬鹿らしくなってしまうようだ。悩んでいたか、と言われると死にそうなぐらい深刻に悩んでいたわけではないのも事実なので、そこは確かに、加藤が言うとおり妙な点なのだろう。

 参っている、というポーズをしているだけで本当に参っているかどうかは確証が持てないというか。思ったより余裕があるのは、悪いことではないんだと思うんだけど。

 

 

「この手のループ物の定番って何だったっけなぁ、湊?」

 

「要するにフラグが立ってないんじゃないかなって」

 

「フラグって何だ?」

 

「条件付けだよ。例えば伝説の武器がないと入れない洞窟には、伝説の武器を集めてから行くでしょ?」

 

「なるほどな。じゃあ伝説の武器を集めればいいわけか!」

 

「比喩よ、比喩! 他にもほら、領主の娘に会いにいかないといけないとか」

 

「なるほどな。じゃあ総理大臣の娘に会えばいいわけか!」

 

「だから比喩だって言ってんでしょバカ慎一郎!」

 

 

 フラグ、条件、成るほどねぇ。そういえばRPGでも大きなイベントを起こすための、小さなイベントが必要だったりする。

 となるとオレは、そのフラグになるイベントをこなしていないから記憶がループしてるってことなのだろうか。必要なイベント、しかし些細なものじゃないだろう。今のところループのきっかけが飛行機事故、だとすると飛行機事故が無くなるぐらいの大きなイベントが必要なはずだ。

 何をすれば飛行機事故に遭わないのか。

 いや、まぁ、飛行機乗らなきゃいいんだと思うんだけど。

 

 

「まぁ、そうなるな」

 

「そうなるわね」

 

「いっそのこと卒業旅行やめて,国内でやるか?」

 

「悪くないわね。沖縄にしましょ」

 

「沖縄も飛行機使うだろ」

 

「倫敦発の飛行機にしなきゃいいんじゃないの? あ、でもそれだったら別にハワイとかでもいいかしら」

 

「ていうかオレが行かなければいいだけだろ‥‥」

 

「それでお前、本当にループから脱出したらどうするんだよ!」

 

「卒業旅行行けなかったって事実しか残らないんだよ?!」

 

「いや、もう数えきれないぐらい行ってるし、オレは」

 

「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれぇ!」

 

 

 もうどんな反応をしていいか分からない、というかこの二人の反応がそもそも分からない。ただ、それは出会って最初からだったから、まぁ、いいけど。

 そういえば先ほども脳裏に過ったことだけれど、不思議とオレはこの卒業旅行に行かないという選択肢を採らない。別に強制力を感じている、わけではないのに、不思議とあの飛行機に乗ってしまうのだ。

 勿論あの、と言っても行きの飛行機は平穏無事なものである。なんでまた、オレは倫敦へ旅行しようとしているのだろう。

 

 

「ループは何かを解決しなければ脱出できない、ということはだぜ村崎? 卒業旅行に行かないだけでは何も解決しないってわけさ」

 

「慎一郎は村崎君と卒業旅行に行くの、すごい楽しみにしてたのよ」

 

「べ、別にアンタと行きたいわけじゃないんだからねっ! クラスのみんなと行くのが楽しみだったってだけなんだからね!」

 

「「キモい」」

 

「‥‥終いにゃ泣くぞ俺も」

 

 

 加藤の言うことが本当なら、オレの使命は飛行機事故に遭わないことではなくて、飛行機事故を阻止することなのか?

 あの飛行機に今後世界のために大活躍する人材が乗っていて、それを助けるためにループしている‥‥とかなら燃える展開だな。オレみたいな何の取り柄もない、どこにでもいる普通の高校生にそんな大任が務まるとは思わないけれど、もしそうなら実にドラマチックだし前向きな気持ちにもなる。

 もっとも飛行機事故を阻止する、なんてあまりにもスケールが大きな話だ。そもそも原因が分からないんだから、どうしようもない。

 

 

「よし、村崎の事情はだいたい分かった。何はともあれ調査だな」

 

「はぁ?」

 

「飛行機がどうして墜落してしまうのか、それを確認しないことにはどうしようもないだろ? とりあえず日本にいる内は過去の飛行機事故の調査をして、倫敦に行ったら現地の調査だ。今のところ記憶は持ち越されるんだよな?」

 

「あ、あぁ。最初の内は気づいてなかったんだけど、最近は安定して記憶が継続されるみたいだ」

 

「じゃあ今回の調査は無駄にならないわけだ。次のループで、また俺たちに話してくれりゃいいってことさ」

 

「‥‥今更、次のループでお前らが俺のこと信用しない云々なんて言い出さないから安心してくれ」

 

「流石は我が親友だ」

 

「別の言い方がないかどうか、今必死で脳内検索かけてるところだよ」

 

 

 拳を突き合わせ、なんとか積極的に協力してくれることになった二人に礼を言う。具体的な指針まで決まったのはありがたい限りだった。

 調べてみると、飛行機事故というのは毎日それに乗っていても、四百年に一回ぐらいしか起きないものだという。勿論それは統計上のデータに過ぎないし、実際何回も重大な飛行機事故は起こっているのだ。

 というのも飛行機は他の輸送手段に比べても一度に多くの乗客を長時間、長距離乗せるという特徴がある。一方で精密機器の結集による機械であり、その事故には多分に人為的な要因が絡んでいるらしい。

 多くの飛行機事故の資料を見た。オレの記憶は事故が起こってから、もう直ぐに途切れてしまっている。しかしどの飛行機事故も悲惨で、そんなものにオレは巻き込まれたのかと、絶望的な気持ちに陥った。

 以前にはテロリストが飛行機を乗っ取り、高層ビルに激突させるという大事件があった。日本でも過去に、歴史上最悪の飛行機事故があった。しらみつぶしに資料を読んだ。自分が助かるため、という最初の考えが吹っ飛んでいたことに、途中で気がついた。

 しかし助からないわけにはいかない。ただただ資料を読み続け、そして結局のところ、飛行機事故の半分ほどが人為的な原因によるものならば、どうにもならんのではないかという気分になってしまった。

 

 

「‥‥なんとかならないものかな」

 

 

 気がつけば倫敦に出発する直前になってしまっていた。

 旅行の準備はすっかり済んでいて、オレはベッドに横たわりながら眉間に皺を寄せる。どうにも何も思い浮かばず、しかし諦めて寝る気にもならない。

 パイロットを見張っているわけにもいかないし、それで何か出来るわけでもない。まず操縦室に入れない。

 整備不良を疑っても、オレが整備するわけにもいかないし、先ずオレは飛行機の整備なんて出来ない。「整備をしっかり!」なんて怒鳴ったところで、「やってらぁ!」とつまみ出されてしまうのが関の山だろう。

 オレはよく分からないけれど、例えば天災の類が影響しているとなると、それこそ何の役にも立てやしない。もしかして、これは所謂。

 

 

「八方ふさがり、という奴ではないだろうか」

 

 

 今日も二人に会って話をしてきた。

 オレ達の調査が現実的には何の影響も与えることが出来ない程度のものだということが分かると、二人は今度は荷物にクッションやら酸素ボンベやらを詰め始めた。とりあえずクッションを多くして助かろう、海の中に突っ込んでも平気なように酸素と浮き輪を用意しよう、という魂胆らしい。浮き輪も持っていた。

 もっともそんな巨大な手荷物は飛行機の中に持ち込めないし、毛布一枚を身体に巻いたぐらいで助かるなら飛行機事故での死人はあんなに多くはならないだろう。そもそも、その程度のことで解決できるなら、既にオレはループから脱出を果たしている気もする。

 となると一体何が原因なのだろうか。この理不尽な繰り返しは。

 

 

「もしかしてオレは恐ろしい勘違いをしている‥‥?」

 

 

 解決出来る、という希望的観測が、そもそも間違いだったのだろうか。

 オレはこのループを解決出来るものだと信じて、今回の周回では色んな努力をしてきた。けど、もしコレが、オレがどう頑張っても脱出できないものだとしたら?

 

 

「ッばかばかしい、やめよう変なこと考えるのは」

 

 

 だったらオレはいつか完全に気を狂わせてしまう未来を約束されたようなものだ。

 今は不思議、というより不気味なぐらい落ち着いているけれど、これが何百回も続いて正気でいられる保証なんて出来やしない。

 永遠と続く同じ記憶。そんな苦行を強いられるなんて、オレが何をしたっていうんだ。或いは何をしなかったっていうんだ。

 人並みの人生を過ごして来て、人並みの失敗や怠惰は数えきれないくらいあったけど‥‥。そんな人並みな罪に与えられる罰がこんな重いものだなんて、神様に嫌われたか悪魔に好かれたか。

 

 

「‥‥まぁ、あと一回ぐらいなら普通に平気だろうし」

 

 

 とりあえずはループから抜け出す努力をしようという姿勢。これが維持されている以上は大袈裟に騒ぐこともない。

 加藤と逢坂が必死に荷造りしているものが、もしかしたら何かの役にも立つかもしれないし。

 ある意味では逃げ、になるのかもしれない。そんなことを考えながらオレは眠りについた。不安で眠れない、なんてことが不思議となくて、オレは速やかに眠りに落ち、そして起きると慣れた手つきで荷物を持って、母さんに別れを告げて家を出た。

 旅行に出るときは普通、飛行機の時間や空港に到着するべき時間,乗るべき電車の時間など様々なチェックをしていくものだけど、もう今では眠りながら歩いていても大丈夫なくらいだ。

 段々と見慣れたビルの立ち並ぶ都心部を抜けて、畑や山ばかりの風景が視界を横切っていき、そして空港へ到着。そういえば、電車で隣に乗る人も、今オレの前を歩いている人も、いつも同じ人だった。

 空港での待ち合わせからも、基本的な流れは変わらない。オレが何もしなけりゃ基本的に人間の考えることってのは同じらしくて、言動も殆ど似通ったものになる。今回に関しては何故か目の下に濃い隈を作った加藤と逢坂が、明らかに健やかに眠ったと見えるオレを恨めしげに睨みつけていたけど。

 

 

「お前ら昨夜何やってたんだよ」

 

「筋トレ」

 

「千羽鶴」

 

「なんでそんなことしてたの」

 

「いや、いざってときに動ける方がいいだろ。ちょっとやり過ぎて、筋肉痛で身体動かねぇけど」

 

「もうこうなったら最後は神頼みだよ村崎君。まぁ私ってば不器用だから,満足いく一羽を折るのに一晩かかったけど」

 

「馬鹿かよ」

 

 

 愛すべき馬鹿だ、阿呆だコイツら。いや、そりゃ実際に事故に遭うことが分かってたら何が何でも生き残ろうとするのは当たり前だし、馬鹿にすることじゃないとは思う。でもやっぱりコイツらに限っては馬鹿だ。

 行きの飛行機でも熱心に避難の手順がかかれたパンフレットを熟読する二人に他の面子はドン引きである。ちなみにオレの記憶は避難云々以前の段階で途切れてしまっているため、もしかしたら即死だったのかもしれないという疑惑があった。

 案の定、徹夜を経て飛行機に乗った二人は最初の内こそ極限の緊張状態を維持していたけれど‥‥すぐに意識を飛ばしてしまう。オレも倣って寝てしまうことにした。やはり妙に気分が落ち着いている。

 飛行機を降りて空港を出てもそれは相変わらず続いていて、もう間もなくオレは死に、次のループが始まるというのに、焦ったり取り乱したりという様子が全くなくて。加藤と逢坂もしきりに首をひねっていた。

 ちなみにこの二人、オレが既に何度も何度も倫敦観光をしているのをいいことに道案内を要求してきやがって。しかし残念ながら以前まで辿っていた道のりというのも、一向が迷いながら何とか辿り着いた道のりである。つまり旅程の短縮には全く役に立たないわけで、失望の目を向けて来たのは当然だとは思う一方で実に理不尽だった。

 

 

「‥‥なぁよう村崎、本当に大丈夫なのか?」

 

「何が?」

 

「いや、だから、つまりアレだよ、アレ。失敗するんじゃないかって話だよ」

 

「失敗も何も、オレ達はチャレンジすら出来てないだろ現状」

 

「そりゃそうだけどよ‥‥」

 

 

 いつの間にか、気を張っていた加藤も逢坂も何だかんだ観光を楽しみ、帰りの飛行機の中。

 旅行の興奮も冷めやらぬ様子の皆に対して、流石に加藤も逢坂も緊張した面持ちだ。枕やクッションは羽田空港の段階で持ち込みを断られたので、今は二人ともそれぞれ二枚の毛布を貰って首や頭に巻いている。実に面白い見せ物だろう。

 しかし結局のところ、オレ達はこの事態を打破するための方策を実行することも、思いつくことも出来なかった。こうなってはどうしようもなく、次のループに期待するだけだ。

 一つ懸念しているのは、この暴走超特急みたいな二人が次回、オレの話を聞いて助けてくれるのかということである。話を聞いてくれるか、というのは、つまり今回と同じように勝手に凄い勢いで色んな準備をして、結局無駄足に終わらないかということである。

 

 

「いつもどんな感じだったんだっけ、村崎君?」

 

「どんな感じと言われてもなぁ。突然大きく飛行機が揺れて、大きな音がして、光に包まれて‥‥」

 

「それで?」

 

「それでおしまい、何も分からず終い。気がついたら自宅のベッドの上」

 

「役に立たないなぁ!」

 

「何度も言ってるじゃないか、まったくもう」

 

 

 既に搭乗ハッチは閉められ、ゆっくりと飛行機は動き出していた。

 否応なく緊張は高まる。険しい顔つきの俺たち三人に他の面子は怪訝な顔をしていたけれど、今ではそれぞれ眠りについたり機内販売のパンフレットを眺めたりテレビを見たりと、オレにとってしてみれば見慣れた光景だ。

 それはつまりこれから起こる事態もまた、見慣れたものになるということを示しているのだ。

 

 

「お前は意識が飛んで、普通に目が覚めるんだよな。俺たちはどうなるんだ?」

 

「‥‥そんなこと、オレが知るかよ」

 

「今の俺の意識はどうなるんだ。何もかも忘れて過去に戻るのか、それとも今の俺が死んで、新しい俺が何食わぬ顔で過去を過ごすのか‥‥」

 

「ちょっと、やめなさいよ慎一郎。村崎君の気持ちも考えなさいってば」

 

「いや湊、そういうつもりじゃないんだ。まぁ聞けよ村崎、“俺が”こうして喋るのは、これが最後だ」

 

 

 ふと、妙な違和感を覚えて隣の席の加藤を見た。

 逢坂は心配そうな顔でオレ達を見ている。今の加藤の言い回しが気になったのはオレだけみたいだ。

 今の“俺”は妙な言い方だった。“今の加藤”が死んでしまうから、“今の加藤”と“オレがループした先で会う加藤”が別人だとか、そういうニュアンスでもなかった。

 親友が、得体の知れないナニかに見えた。死ぬかもしれない、なんてものとは明らかに違う怖気がオレの背筋を凄まじい勢いで這い上がって来た。

 

 

「おい加藤」

 

「なぁ村崎、一つ聞くぜ。——“俺は誰だ”?」

 

 

 誰だって、そんなの決まってる。

 加藤慎一郎。俺の親友。柔道部で、ガタイがよくて、考えなしだけど友達想いで、口は回って、クラスの人気者。

 

 

「“お前は誰だ”?」

 

 

 誰だって、そんなの言うまでもないだろ。

 オレはオレだ。村崎嗣郎だ。人付きあいは得意じゃないけど、少ない友達には恵まれた。クラシックやオペラが好きだなんて、随分ジジ臭いだなんて笑われたもんだ。

 そりゃ哲学や倫理には詳しくないから難しいことは言えないけど、俺は俺だ、何を言っているんだ加藤。

 

 

「いいやお前は分かっちゃいない。でも俺はこれ以上は言えないぜ、厄介な奴がいるからな」

 

 

 なんだよ、厄介な奴って。まさか不倫でもしたか加藤、隣の逢坂がそんなに怖いか。

 

 

「村崎、人には使命があるもんだ。やるべきことがあるもんだ。大きな事件に巻き込まれた時、それが分からない奴は役立たずだ。いい加減しびれを切らしてるんだ。消されちまうぞ、お前」

 

 

 役目って、この飛行機事故を止めることか? でもオレ達には何も出来なかったじゃないか、荷が勝ち過ぎてるって、そう言ったじゃないか。

 突然どうしたんだ加藤、いつもみたいに冗談かましてくれよ。

 オレの役目って、なんだよ。消されるって、誰にだよ。

 

 

「捨てられた子犬みたいな顔すんなよ。大丈夫だ、拾ってくれた人はいるだろ。道筋もお膳立てしてもらってるんだ。‥‥もう一度聞くぞ、“お前は誰だ”?」

 

 

 誰だって、だからオレは、俺は——

 

 

「ッ?!」

 

 

 大きく飛行機が揺れた。いつの間にか飛び立っていたらしい。

 すっかり眠りこけていた須藤を五島がたたき落とすのが視界の隅っこに映る。いつも元気で笑顔を絶やさない逢坂が加藤にしがみつくのも.

 加藤は慌てることもなく、身体を揺らすこともなく、まっすぐに俺を見ている。俺も揺れていなかった。まっすぐに加藤を見ていた。

 加藤の瞳の中に映っているのは俺だ。いや、オレだけじゃない。俺の後ろに誰かいる。

 そういえば今回に限って左隣に座っている客がいつもと違った。全身白づくめの上品なスーツの、若い金髪の男。

 

 

「‥‥ふむ?」

 

 

 いつものように意識が落ちる。視界が真っ白に、まばゆい光に包まれて。

 鼓膜どころか脳みそまで破壊してしまいそうな爆音で何も聞こえなくなる。いつものことだ、すっかり慣れ切った状況だった。

 そんな中、どんな轟音の中でも通るような、小さく微かな声を、オレの耳が拾った。

 初めて耳にするのに、聞き慣れた声だった。

 その声で何かのスイッチが切り替わるように、しぶとく意識にしがみついていた最後のひとかけらがはがれ落ちて——

 

 

 

 そして、記憶は入れ替わる。

 

 

 

 

 

 90th act Fin.

 

 

 

 


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