side Saber
午前中にびっちりと入っている賃仕事を済ませ、私はしばらく特に用もないのでのんびりと倫敦の街中を散歩していました。
気温は暑くもなく寒くもなく、にも関わらず太陽はさんさんと気持ちのいい光を届け、久しぶりの過ごしやすい一日ですね。
「さて、今日はどうしますかね‥‥」
リンの
別にそれらに不満があるのかと言えばそうではありませんが、紛りなりにも
「ローウェル達のところでチェスでもしましょうか‥‥。それともガブローシュ達とクリケットに行きましょうか‥‥。あぁ、ジョージと暫く会っていませんね。久しぶりに様子を見に行くのもいいかもしれません」
某かの用事を抱えて道行く人々に混じり、こちらに来てから知り合った友人未満顔見知り以上の名前をあげていく。
彼らの年齢グラフが盃を描いている気もしますが、なに気にすることはありません。
なにしろ私が暇になる時間帯というのが、通常世間では業務中と呼ばれているのですからこれもまた仕方がないことでしょう。
い、いいのですよ! 私はちゃんと働いているのですから!
「まぁなんにしても、まずは家に帰ってから―――おや?」
近くのバス停へ向かおうとして、ふと私は気になるものを見つけて足を止めました。
通行人の多い倫敦の街ですが、この私があの横顔を見間違えるはずがない‥‥。
目の前の十字路を曲がったその、“赤い髪の知人”の後を追い、私はさっと身を曲がり角の建物に隠す と、その陰から注意深く顔を出し、覗いてみます。
「な‥‥あの人は‥‥?!」
私が思わず驚いてしまったのもしかたがないことだと思います。
なぜなら私のかつての主は、隣の青いドレスを着た女性に腕を組ませて、楽しげに語らいながら大通りを歩いていたのですから。
「いや、すまないね遠坂嬢。わざわざ呼び付けてしまって」
「気にしないでちょうだい、蒼崎君。今日は特に用事も入ってなかったから。‥‥‥士郎も出かけちゃったし」
「ん? 何か言ったかい?」
「な、なんでもないわ!」
何やらぶつぶつと呟いた遠坂嬢に聞き返したけど、真っ赤になって首をぶんぶんと左右に振ったのでそれ以上の追求は避ける。
寂しいなら寂しいと素直に言えばいいのになぁ、という率直な感想も一緒に飲み込んだ。
他人をおちょくるのは大好きだけど、今回はちょっと費用対効果が高すぎる。
「それで、わざわざよびつけて一体何の用事なの? 士郎じゃなくて私ってことは‥‥魔術関連ね」
「あはは、衛宮も酷い言われようだなぁ‥‥。まぁ、ご名答。実は降霊学科の連中から術式の構成を頼まれたんだけど、ちょっと安請け合いだったみたいでね‥‥」
半分嘘で半分ホント。解らない術式があるというのはホントだけど、降霊学科から頼まれたというのは嘘っぱちだ。
真実は、遠坂嬢に助けを求めるためにわざわざ俺が持ち掛けたということ。
そう、昨日俺がルヴィアに頼まれたことというのは、彼女が衛宮とデートを楽しんでいる間の、遠坂嬢の足止めだった。
「聖杯戦争で英霊の召喚とかしていた君なら、こういうのに詳しいと思ってね。よかったら力を貸してくれないか?」
「別にいいわよ。どれどれ‥‥」
講義が休みで空いている講義室の机に無造作に広げられた紙面には大小様々な円と五旁星で構成された魔法陣が書き込まれている。
降霊科の連中がセイバーを一目見て、『自分達も英霊を召喚するぞ!』と意気込んで書き上げたものだ。
「そうね、術式としてはしっかりしてるわね。英霊の座への
興味深そうにしげしげと紙面に視線を落とす遠坂嬢。
プライベートだからか、いつもはしっかりと二つに結んである髪の毛をおろしているその姿はドキッとするほど大人びていて、普段とは違った色気を感じさせる。
「随分と遠坂の術式に似てるわね‥‥? まぁ、いいかな。大体は合ってると思うけど、最初の起動の部分がちょっと怪しいわね。あと付け加えるなら召喚陣の維持かしら」
またまたご名答。
その術式のデザインは前にゲームで遠坂嬢が召喚にしようしたものに似せてある。やっぱりあるものをお手本にした方が成功の確率は上がるだろうしな。
ついでに言えば最後の固定の部分がザルというのも正解。連中、喚び出すことにばっかり気が回って、その後どうするのかまで考えていない。おそらくこんな雑な構成では数秒だって英霊を現界できないだろう。
「ま、それ以前の問題って言ってしまえばそうかも。この術式を起動させる魔力は一体何処から持って来るのかしら?」
「それは俺達には関係ないよ。頼まれたのは術式の構成だけだからね。後は失敗しようが大失敗しようが知ったことじゃないなあ」
「‥‥貴方、わりとイイ性格してるのね」
遠坂嬢がジト目でこっちを睨んでくるけど、なに気にすることはない。
こちらの事情もあったとはいえ格安で引き受けたんだから、アフターケアまでやってられないというのが本音だ。
連中にしてみれば渡りに船だったのかもしれないけど、専門じゃない人間に過度の期待をかけられても困る。
「ま、それもそうね。私達も暇じゃないんだしあんまり気を入れても―――?!」
「? どうしたんだい遠坂嬢」
どちらかと言うと術式の構成より色々とキてしまっている降霊科の連中への悪態が比重を増やしていったその時、突然遠坂嬢が額を押さえて目をつむった。
一瞬頭痛にでも襲われたのかと思ったけど、なにやらぶつぶつと呟いている。これは‥‥念話?
「‥‥蒼崎君」
「は、はい?」
十秒ちょっとばかり話していただろうか、遠坂嬢は念話を終えると実に綺麗な笑顔を浮かべて俺を見る。
彼女よりも俺の方が背が高いために見上げられている恰好なわけだが、どうして見下ろされているかのような感覚を覚えるのだろうか。
いや、今はそんなどうでもいいことを考えている場合ではない。現実逃避を大概にしろ、この笑顔には、過去に何回かお目にかかったことがあるだろう?
そう、乃ち俺のBAD ENDの象徴である。
「もしかして貴方、ミス・エーデルフェルトと衛宮君が今何処にいるかご存知なんじゃありません?」
「ぎくぅっ?!」
今日の俺は黒のスラックスに白いワイシャツ、ズボンと同じ色のネクタイというシンプルなものだ。
遠坂嬢はにこにこ笑いながら俺のネクタイをぎりぎりと力の限り締め付け、魔術刻印を輝かせる。
ああ、俺が一体何やったって―――はい、色々やりました‥‥。
「悪いんだけど、ちょっと付き合ってくれるかしら?」
「拒否権は―――」
「ないわ」
「‥‥はい」
なんかもう、伽藍の洞に帰っちゃおうかな、俺‥‥。
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」
「ふ、二人とも、少し落ち着こうな? な?」
現在俺達がいるのは、大英博物館にほど近い、とは行っても電車でソーホーというエリア。
その中でもレストランやカフェ、アンティークや工芸品などの常設マーケットがあるコヴェント・ガーデンという広場だ。港などの倉庫を彷彿とさせる赤煉瓦の建物の間に吹き抜けがあり、昔の青果市場の名残を感じさせる。
そしてガラス屋根のホールの下、アクセサリーを扱っている出店で、俺のよく知った二人の人影が談笑していた。
言わずと知れた衛宮士郎と、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトである。
「士郎の奴、あんなに鼻の下伸ばしてデレデレしちゃって‥‥!」
「ショー、このポテトフライはなかなか素朴でおいしいですね」
「あー、セイバー? 君一体何しにココに来たんだい?」
事情を知らない人が見れば羨むような状況かもしれない。なにしろ俺は、両脇に誰もが認める美少女を二人侍らせているのだから。
しかしそれも客観的に見たらの話である。片やそれだけで凍り付いてしまいそうな殺気を加減なしに噴出し、片や俺の奢りで今この瞬間も黙々と出店で買ったポテトを食べ続けている。代わって欲しい人がいるなら今すぐ来い。
「ちょ、ルヴィアゼリッタってば! なに腕なんか絡めてるのよあの泥棒猫! ああ士郎も顔赤くしてるし‥‥!」
「‥‥すごいな、あんなに積極的に男と接触してるルヴィアなんて初めて見るぞ」
「ああ凜、あそこにケバブの屋台があるのですが‥‥」
まるで恋人のように仲良さげに語らい合うルヴィアと士郎に対し、俺達は建物の陰に隠れて出歯亀中。なにが哀しゅうてこんなことしなきゃならないのか。俺を研究室に帰せ。
るーるーと虚しい涙を流す俺の右隣の遠坂嬢は、ぎりぎりと歯を鳴らしながら煉瓦造りの壁面をあらん限りの力で握りしめていた。嗚呼、歴史が崩れていく‥‥。
「何を話しているのかしら‥‥。ちょっと蒼崎君、なんとかならないの?」
「無茶苦茶言うなぁ。君がやったらどうなんだい? ま、いいけどさ‥‥。
術式を起動させ、俺達のところに衛宮達の話し声をたぐり寄せる。
ていうか時計塔のお膝元でこんなおおっぴらに魔術行使してもいいのかな? まぁこの程度なら殆ど目立ちはしないけどさ。
パッと見て効果のわからない魔術なら、人払いや意識を逸らす結界を張る必要もないし。
「‥‥随分と長い詠唱なのね」
「ほっといてくれ」
詠唱がやたらと長くなってしまうのは、俺の魔術全般に通じる欠点だ。橙子姉の詰め込み教育のおかげで大体の魔術はしっかりと会得してはいるけど、その分こうやって起動に時間がかかる。
これが俺をして戦闘向きではないと言わしめる最大の原因である。まぁ、この欠点を補う方法はいろいろとあるんだけどな。
『どうかしら。 似合っていますか?』
『ああ、ぴったりだよルヴィア』
風の魔術の応用で届けられた声に耳を傾け、遠坂嬢がさらにぎしりと壁を握る手に力を込めた。
もしかして無意識に魔力込めたりしてないか? なんかこう、赤茶けた粉末が宙を舞ってるんですけど。
左隣のセイバーもさすがに食事をやめ、注意深く衛宮とルヴィアの会話を聴いている。こちらは遠坂嬢に比べて幾分余裕があるみたいだけど、彼女の食事が止まっているというそれだけで多少の動揺は察せられるな。
『ではこのネックレスを買うことにいたしましょう。‥‥あぁ、このブレスレットも頂こうかしら。意匠が同じですものね、これはシェロに差し上げますわ』
『む、気にしなくていいんだぞ? 女の子にお金を出させるわけにはいかない』
『もう、そういうところだけ律儀ですのね、シェロ。ではこれは今日付き合っていただいたお礼ということでいかがですか?』
『‥‥そこまでいうなら、貰うよ』
『クス、ありがとうございますわ』
ガコリと致命的な音が横からしたので慌てて視線を戻すと、遠坂嬢が壁面の一部を一握り分だけ見事に削りとっていた。懸念は的中したらしい。
彼女は自分がやらかしたことにすら気づかない程怒りに震えているらしい。無意識の内に強化された手の中で煉瓦はたちまち粉と化した。
「これは‥‥いい雰囲気ですね‥‥」
セイバーの口調はまったく普段と変わらないが、頭の上のアホ毛がぴくりぴくりと動いている。
注意深く見てみれば右腕が何かを握り締めるように力に込もっている。まさか‥‥
『そうですわね、ここでつけていきましょうか。‥‥シェロ、よかったらつけて下さらない?』
『あ、あぁ。‥‥ここか?』
今にも風の鞘を解放しようとするセイバーを羽交い締めにしてなんとかなだめているうちに、向こうの方では更に事態がどんどん加速していく。
とりあえずセイバーにはなぜかポケットの中にあったス●ッカーズを咥えさせて落ち着かせたが、ものすごい勢いで咀嚼しているので長くは保つまい。
『ああ、これでは外れてしまいますわね。しっかりとつけてくださらない? ほら、もっと近づいて―――』
「だぁぁああああ!!」
と、ここで遠坂嬢の堪忍袋の結がブチ切れた。
「士郎ぉぉぉおおお!!」
「なっ! 遠坂?!」
げっとうめいた俺が腕を掴んで阻止しようとしたときには既に遅かった。
最早身体強化は半自動の域に達しているらしく、はっと手を伸ばしたときにはそこにあかいあくまの姿はない。
そして一秒を経たずに巡らせた視線の先には、プロレスラー顔負けの素晴らしいドロップキックを浮気した恋人に放っている怒れる一人の少女の姿があった。
「ミ、ミス・トオサカ?! 貴女ずっとご覧になっていましたの?!」
「しっかり見させてもらったわよ! さぁ士郎、今ここで遺言を聞かせてもらおうかしら? 今なら私セイバーの宝具にだって勝てそうよ?」
「と、誤解だ遠坂! 俺はただルヴィアに頼まれて買い物の荷物持ちに―――」
吹き飛ばされ、背中を踏みつけられてなお、衛宮は必死に弁解しようと首を上に向けようとする。
が、そこは流石遠坂嬢と行ったところか、その度に見事に背中の痛点を強く踏みつけ、決して自分の絶対領域を拝ませようとしない。
一方ルヴィアは傍目に見ていてかわいそう、というか面白いぐらいに顔を真っ赤にして動揺し、既に衛宮を助けようとかいうことまで気が回らないようだ。
哀れ衛宮。まぁ関ヶ原の戦いぐらいから、優柔不断は罪だって決まってるし。
「それを世間一般ではデートっていうのよ! この朴念仁! ‥‥ルヴィアゼリッタ! あんたにもしっかりと言い訳してもらうわよ。人の彼氏に手を出して―――」
「あ、あらミス・トオサカ、そんなに激昂なさるなんて、心にやましいことでもあるのかしら?」
「なんですって?!」
気を取り直したルヴィアも参戦し、事態はどんどんカオスな方向へと急速に落下していく。
途中で止めることができそうにないからこそ、落下という表現が正しいだろう。俺は色々と諦めて簡単な人払いの結界を張ったが、こんな衆目の真ん中ではさして効果は望めないだろう。
願わくば、せめて最低限の魔術師としての義務を心に留めた二人が魔術を使わない肉弾戦で勝負を決めることだけ、か。
「もう今日という今日は我慢ならないわ! 人の物を盗るってことがどれほど悪いことか後悔させてやるわ! このハイエナ!」
「同感ですわね! ちょうど私の従者を良いようにこき使う女狐を懲らしめてやろうと思っていましたのよ!」
俺の願いが通じたのか、二人はさすがにこんな街中で魔術を使う気にはならなかったようだ。むしろ目の前の奴を拳でぶちのめす! という感情が勝ったからかもしれないけど。
ルヴィアは腰を落としたレスリングスタイル、遠坂嬢は左半身の八極拳のスタイルで対峙する。
すでに周りには何事かとロンドンっ子が押しかけて円を作っていた。ま、やっぱ無理だよなぁ‥‥。
「「 覚悟! 」」
不幸中の幸いは、これを見物している一般人達がロンドンの街でよくある見せ物の一種だと思っていることか。二人の発する闘気に押されて警察官も口を挟めない。
俺はやれやれと呟くと一歩下がって群衆の中に一早く避難していたセイバーの隣に立った。どうも遠坂嬢が一番に怒ってしまったからか、怒るタイミングを逸したようだ。
「いいのですか?」
「なんだい?」
「二人を好きにさせておいて、です」
セイバーの足下にはすっかりダウンしてしまった衛宮が転がっている。流石の彼女もここまで不義理をしてしまった衛宮を介抱してやる気にはならなかったらしい。
ハハハと乾いた笑いを漏らすと、俺はボロ雑巾と化した衛宮を軽く腹いせに蹴飛ばし、今度は深い溜息を漏らす。
「時には決闘するのも騎士の誉れとか、前に言ってなかったかい?」
「いえ、そうなのですが‥‥。随分と寂しそうな顔をしていましたので」
予想もしなかったセイバーの言葉に、俺は思わず顔を撫でる。うん、いつも通りのはずなんだけどな‥‥。
とりあえず衛宮にはもう一つ蹴りを入れておこうか。
セイバーの言葉の意味はよくわからなかったけど、俺は何故かそう思った。
13 act Fin.