UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第十七話 『蟲の翁の登場』

 

 

 

 side Sakura

 

 

 

 

「やっほー桜ちゃーん! ご飯食べに来たよー!」

 

「おかえりなさい藤村先生。今日はちょっと豪勢ですよ?」

 

 

夕暮れ時を通りすぎ、既に辺りは真っ暗になった衛宮邸。

この家の主である先輩はねえ‥‥遠坂先輩と一緒にロンドンに行ってしまったけど、その間の管理は藤村先生と私に任されている。毎日こちらにいるわけにはいかないけど、週に四度は来て、なおかつ泊まって藤村先生に夕食を作る。

『家は使わなかったら傷んでしまうから』と快く鍵を預けたままにしてくれた先輩のためにも、隅から隅まで掃除をして、留守の間はこの短いながらも大事な想い出のつまった屋敷を守っていきたい。

 

 

「やっほー! おぉぉぉぉ?! 今日はハンバーグね!」

 

「ちょっと凝って和風にしてみました。冷めないうちにどうぞ」

 

 

席にすわるや否や箸をとって、いただきまーす! と大きく元気のいい声をあげた藤村先生は勢いよくご飯とおかずを口の中へと投入していく。

私はおひつを自分のすぐ横におくと、控えめにいただきますを言ってご飯を口に運んでいった。料理の評価をしてくれる先輩はいないけど、うん、まぁこれならきっと『美味しいよ桜』と言ってくれるに違いない。

セイバーさんのようにコクコクと頷くと、間を置かずに突き出された藤村先生の茶碗を受けとってお代わりをよそった。

 

 

「それにしても桜ちゃん、本当にこっちに来てていいの? えーと、お爺様がいらっしゃるんじゃなかったかしら。その方は?」

 

「お爺様はそういうことにあまり頓着しない方なので。兄さんも県外に行ってしまいましたし、家でも一人みたいなものですから」

 

 

ご飯を間断なく咀嚼する傍ら、器用に言葉を紡いだ藤村先生の質問に答える。

お爺様は太陽の光が苦手だから、分厚い遮光カーテンで覆われた居間にもあまり出てこない。だから先生に言ったとおり、家にいたって一人となんら変わらない。

‥‥そういえば今日のお爺様はいつもと様子がおかしかったような。

『今日はできれば衛宮の家に泊まっていけ』なんて普段なら絶対言わないようなことをわざわざ居間に出てきてまで私に伝えてきた。

 

 

「成る程ねー。桜ちゃんも色々と大変なんだ。‥‥よぉし! 今夜は久々に女の子同士、日ごろの鬱憤不満をぶちまけるパジャマパーティーに決定!」

 

「ふ、藤村先生、明日は部活あるんですよ?」

 

「だーいじょぶだいじょぶ! 私達まだ若いんだから! 元気なんて有り余って今にもこう、熱いパトスがほとばしっちゃうカンジでしょ?」

 

 

どちらかというと藤村先生が発するそれは、熱いではなく暑いと誤字変換されそうだ。

口に出したら間違いなく妖刀虎竹刀が唸りをあげそうなことを考えながら、私はまた突き出された藤村先生のお茶碗と自分のそれに、お代わりのご飯をよそったのだった。

 

 

(でも先生、とりあえず若さを自称するのは無理があると思います‥‥)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残暑も厳しい季節だというのに、三匹の狼達が佇んでいる冬木の中央公園には不思議な、否、不気味な寒気が立ち込めていた。

そもそもこの土地は冬が長いから冬木と名付けられこそしたが、別段夏は涼しくて過ごしやすいといったミラクルな反証効果はない。日本海側の地方都市なんて大体そんなもんだ。

にも関わらずここまで背筋に鳥肌が立つ程の悪寒を感じるのは、おそらくこの場特有の雰囲気、乃ち霊障によるものであろう。

 

 

「ここ‥‥随分と気味が悪いのね。なにか、怨念みたいなものが漂ってる」

 

「無念、苦痛、負の想念のごった煮だな。何の耐性もないヤツが長時間留まってたら発狂してもおかしくないぜ」

 

 

魔術師としての感覚をもった鮮花と、優れた感受性の式が辺りの空気をそう評する。

十一年程過去のことになるのだろうか、ここで大火災が起き、殆ど全ての人間が焼け死んだのは。

もはや生き物と形容するより他ない速度で這うように地を駆けた呪いの炎は、ほとんど一瞬でこの周辺を悪夢で覆ったと昼間に話を聞いた酒屋の看板娘は語っていた。

一体どう思ったのだろう。当時、たった一人で地上に降って湧いた悪夢の顕現の中に取り越された●●士郎は。

きっと何が起こったのか予想もつかずに死んだのだろう。偶然に助けられなかった他の人々は。

 

 

「もはやある種の固有結界、か‥‥。数多の想念が寸分違わぬ光景を思い浮かべたと考えれば‥‥確かに今この瞬間に地獄が再現されるに足る環境が整っていると言えるね。全くもって、トンデモない」

 

 

もし噂に聞く彼の死都二十七祖が十三位がこの街に目を付けたとしたら、三咲町以上の悪夢が顕現したに違いない。

昔訪れたことのあるイタリアの古代都市、ポンペイでも似たような戦慄を味わった記憶があった。

あまりにも大規模な惨事は時代を乗り越えて犠牲者達のその瞬間の記憶を後世に残す。犠牲者達とその場所に、共通した強烈な感情が焼き付くからである。

確か昔、その場に焼き付いたその濃度の濃い情景を利用して固有結界を形成するなんて研究を完成させて、封印指定をくらった魔術師がいたそうだ。

なんでも効果範囲がべらぼうに広いのと、内部で発生した事象が現実を侵食するという有り得ない結果が起こったと言うが‥‥。

 

 

「‥‥来たぞ!」

 

 

予め公園に張り巡らせておいた結界が侵入者を告げる。

何の小細工もなしに堂々と正門から入って来たソレは、一般的な老人が歩く速度でのろのろとこちらへ進んでくる。

 

 

「‥‥カッカッカ。貴様らか、ひ弱な老人をこんな時間に呼び出したのは」

 

 

木々の作る影の合間から、一人の老怪が音もなく姿を表した。

この場にいる誰よりも小柄で、この場にいる誰よりも弱そうで、この場にいる誰よりも醜悪。

姿ではない、在り方が醜悪なのだ。普段は微塵の隙もなく隠し通しているその嫌な空気が、この場の負の想念に引きづられて姿を表してしまっている。

小柄な体駆と侮るなかれ。その身は既に人にあらず。

どちらかといえば吸血鬼に近い、自身を構成する全てを蟲へと変えて五百年もの時を生きながらえた妖怪だ。

 

 

「まずは名前と、あの戯けた文の意図を聞かせてもらおうかのう」

 

「なに、たいしたことではありませんよ御老体。あれは貴方をおびき寄せる餌にすぎない」

 

 

また一歩近づいた間桐臓硯が、キチキチと嫌な音を鳴らしながら口を開く。

自己紹介はない。相手が自分のことを知っていることは既に把握しているのだから、無用な問いは必要ないと考えたのか。

アインツベルンのお家芸を模した稚拙な使い魔によって届けた手紙には差出人の名前をのせていない。最初の挨拶としては適切なものだろう。

 

 

「カ、カ、カ。最近の若い者は年寄りに対する礼儀も知らぬと見える」

 

「はぁ。蟲に挨拶する理由がありますかな? マキリ・ゾォルケンよ」

 

「ユスティーツァやナガトの名前を出したことといい‥‥。冬木の者ではなさそうじゃが、お主、アインツベルンの手の者か?」

 

 

皺くちゃの顔が俺の言葉にぴくりと歪む。

前話でも述べたが、間桐の隠し名を知っているのはもはや御三家でも僅か。当主か、それに類する存在だけだ。

しかし遠坂の家は先代の遠坂時臣が次代当主である遠坂嬢に詳しい資料を渡す前に、第四次聖杯戦争に破れて死去してしまった。それは英霊召喚の触媒を用意できなかったことからも明白であろう。

そもそもあそこには現在他に系類がいないとなれば、俺をアインツベルンの手の者かと勘繰るのは当然の思考手順だ。

俺はわざわざ普段なら絶対にやらない勿体つけたような笑みを浮かべると、ミュージカル俳優のように両腕を大きく広げ、顎をあげると見下すようにニヤリと口を開いた。

 

 

「そんなことはどうでもいいでしょう。大事なのは、これから貴方が死ぬというその事実だけだ」

 

「儂を‥‥殺す、とな? カ、カ、カ、カカカ、カカカカカ!! おもしろいことを言うな? 小童が!」

 

「‥‥紫遙ったら、楽しんでるわね」

 

「ああ。楽しんでるな」

 

 

後ろで外野が何やら言ってる気がするけど無視だ無視。楽しむ時に楽しまなきゃ人生損するぞ?

ま、あんまりはっちゃけると失敗するってのは十分承知してるけどさ。

臓硯は俺の言葉に弾けたように耳障りな笑い声を上げ、ギロリと白目と黒目の区別がつかない宝石のような瞳でこちらを睨む。

 

 

「いやしかし、はてはて、儂は見ず知らずの小僧に殺されるようなことをした覚えは無いんじゃがのう? この老体が一体お主の気に障る何をしたというのじゃ?」

 

「よくぞそこまで飄々と口が回るものだな、妖怪。簡単なことだ。アンタの存在は俺の精神衛生に悪い。それだけのことだよ」

 

 

互いにこれから為すべきことの区切りが付いた。

そう、本来この闘争に対する理由付けなど必要ない。俺は語るべき言葉をもたないし、奴はそも目の前の若者達が自分に敵対しようとしている事実さえ分かればそれでよかったのだろう。

戦いの気配を纏った臓硯の体からは、屍臭を彷彿とさせる思わず鼻をつまみたくなるような気色の悪い魔力が病風のように涌き出し、こちらへ押し寄せてくる。

互いの目的を完全に理解し合ったからこその戦闘態勢だ。

両脇で同行の二人もそれぞれのエモノを構える。鮮花は火蜥蜴の革の手袋を、式は腰に差したごつい造りの片刃のナイフを。

俺も肩に下げた円筒形の入れ物の蓋を開け、中に収納された魔術礼装を地面へとぶちまける。

野球ボールより大きく、バレーボールよりも小さいという中途半端な大きさの球体が七つ。

鈍い金属光を放つそれは幾種類もの異なる特性をもつ金属を組み合わせたもので、術者の意思に従って自在に宙を舞うというものだ。

 

 

「カカカ‥‥。尻の青い小僧っ子共、覚悟せいよ。男は骨の髄まで貪り尽くし、女子は蟲の胎盤として地下で飼い殺してくれよう!」

 

 

カツン! と手に持ったステッキで大地を叩く。たったそれだけの動作で、臓硯の足下に出来た影がゆらりと波打った。

続けて影から何かが這い出してくる。闇に紛れて見えづらいが、それは蟲の幼虫であった。

幼虫達はその一歩(?)ごとに脱皮や羽化を繰り返し、見る間に人の拳よりも大きな異形の姿へと変態する。

甲虫、多足類、蜂や蛾の類など、種類は様々なれど皆共通して攻撃的な面相へと改良、否、改悪されていた。

あれこそがマキリの得意とする蟲の使い魔達だ。たちまちのウチにそれらは数を増し、もはや軍勢と呼ぶに足るほどの数でぞわりぞわりと隊伍を組む。

 

 

Samiel (ザミエル)―――!」

 

 

両脇の同行者達に一拍遅れて、俺は両手を楽団(オーケストラ)の指揮者のように振り上げると起動キーを口にする。

所有者たる俺の意思に従い、先ほどまで何の変哲もないオブジェのように大地に転がっていた球体達は命を吹き込まれ、ふわりふわりとまちまちな高さへと浮かび上がった。

 

 

Ich nennt mich Samiel (我が名はザミエル)―――!」

 

 

最後の呪文を唱え終えると、俺が全幅の信頼を置く上の義姉との共同研究で作り上げた魔術礼装達は、途端に活力を注がれてひゅんひゅんと風を切る音も高らかに主の周囲を旋回し始める。

これこそが俺の武器、俺の剣、俺の盾。

魔術礼装、『魔弾の射手』。1〜6番の遠隔操作するカスパールと、7番の半自律戦闘するザミエルからなる七つの空を斬って疾る球体だ。

物理衝撃を伴うが故に対魔力に影響されにくく、操作半径が広いがために相手に接近する必要もない。

かのケイネス・エルメロイ・アーチボルト卿の誇った無敵の礼装、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』ほどの汎用性や威力はないが、これはまだ試験段階にすぎない。

俺が鉱石学科に所属しているのもこの礼装の開発に他ならないのだ。

 

 

「燃やし尽くして上げるわよ‥‥!」

 

「精々楽しませてくれよ、蛆蟲共」

 

 

鮮花が両手にはめた火蜥蜴の革の手袋を握りしめる。彼女の類稀なる才を示すかのように、たったそれだけの動作で手袋からは火の粉が散った。

式がナイフを逆手に構えて左手を前に突き出す。彼女の尋常ではない力を畏怖するかのように、たったそれだけの動作で周りの空気がゆらめいた。

蟲達は今も益々その数を増やし、臓硯を中心に二メートル程が黒い絨毯と化している。

うぞりうぞり、ぎちぎち、ぎゅらぎゅらと耳障りな音を発し続けるその絨毯は、統率者である翁の命令を今か今かと待っているようだ。

 

  

「さぁ、行くぞマキリ・ゾォルケン。蟲の貯蔵は十分か?」

 

 

いつぞや戯れに衛宮に放ったものとは異なる、本物の殺意をこめた俺の言葉が、争乱を前にして静寂に包まれた冬木の中央公園に不思議なほど鮮やかに響きわたった。

 

 

 

 

 

 18th act Fin.

 

 

 

 


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