UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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※『Arcadia』様にて改訂版を連載中です。そちらも併せてどうぞ!
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第一話 『漂着者の歓迎』

  

 

 

 

 side Rin Tosaka

 

 

 

「ホラ二人とも、何を呆けてるのよ。あんまりボンヤリしてると田舎者だって思われるわよ?」

 

 

 ヒースロー空港という名前は聞いたことがある人も多いだろう。イギリスの首都、ロンドンにほど近い巨大なハブ空港だ。

 そしてイギリスという国もまた非常に巨大な先進国家であり、それに比して当然ながら空港の利用客も多くなる。

 大英帝国。決して現代においては経済大国と呼ばれる日本やアメリカと正面切って戦う―――直接的な意味でなくとも―――ことはできずとも、今まで背負ってきた歴史そのものが巨大なのだ。

 最初の産業革命を成し遂げ、植民地政策をとり、列強の筆頭に上り詰めた歴史。それは世界という舞台の経済という演目において他の役者に一歩譲っていても、確たる堅固さをもってイギリスという国を支える。

 歴史はそのまま周辺諸国との繋がりの深さをも意味するのだ。欧州からひょっこり飛び出した島国でありながら、今も欧州においての中心の座は揺るがない。

 

 

「そんなこと言っても遠坂、ここ東京よりも人が多いぞ? 冬木なんか比べものにならないし、俺こんな人が多いところに来たのは初めてでさ‥‥」

 

「私も祖国がここまで進んでいるとは思いませんでした。昔と比べれば雲泥の差だ。私が駆け抜けた草原や丘も、おそらくは残っていないのでしょうね‥‥」

 

「そんな寂しそうな顔するのはよしなさいな。貴方が活躍していたログレスはロンドンからは外れているわよ、セイバー。郊外の方に行けばまだ昔の名残が残ってるかもしれないわ」

 

 

 私は生まれ故郷である冬木から数える程しか出たことがない。

 何故なら冬木は日本でも指折りの霊地であり、第一級の魔術儀式である聖杯戦争の開催地。

 そして遠坂家はそこの管理者(セカンドオーナー)なのだ。いくら管理しなければならない魔術師が少ないからといって、管理者が度々自分の管理地を離れるわけにはいかないだろう。

 だから私も海外まで来たのは魔術刻印を移植された時以来で、それだけ見れば条件は他の二人ともそう変わらないはずであった。

 

 

「修学旅行で東京に行った時は本当に人が多くて驚いたけど、ロンドンも勝るとも劣らない‥‥ていうか、やっぱりこっちの方が多いよな。しかも見る人見る人外国人だし」

 

「そりゃ外国なんだから当然でしょう? それに修学旅行で行った浅草とかにだって外国の人は沢山いたじゃない。第一、あんたの髪の色だって日本人の中では相当に珍しい方よ?」

 

「そんなこと言われてもなぁ‥‥。ホラ、やっぱり纏う空気が違うっていうのかな、こう、今まで同じ言葉を話して同じ文化を共有していたところから、いきなり別のところに放り出される気分っていうのかな」

 

「それ、そのまんまよ士郎。まぁ言いたいことは分かるけど、ちゃんと英語も勉強したんだからあんまり物怖じしてると暮らしていけなくなるわよ。しゃきっと立ちなさい、しゃきっと」

 

 

 そんな私が何故管理地である冬木を離れて遠い異国まで来ているのかといえば、それはやはり魔術に関係することに他ならない。

 魔術師達が集まっている組織は世界に大きく分けて三つある。

 一つは北欧を中心とした『彷徨海』。もう一つはエジプトにある錬金術師達の根城である排他的な研究施設の『巨人の穴蔵(アトラス)』。そして一番代表的と言って良いのがココ、ロンドンに本部を構える『魔術協会』だ。

 そして私が目指すのは魔術協会の本部である“時計塔”の中にある魔術師達の最高学府。そう、いわば英国に来た目的とはズバリそのもの進学である。

 

 

「こういうこと言うのもなんだけどさ、今まで正義の味方になりたいってずっと考えてたけど、いざ冬木を出ると本当に世界は広いって実感するな。なんていうかこう、ひどく狭い見解で色々言い合ってたみたいで‥‥俺、まだまだアイツには追いつけないみたいだ」

 

「彼のことをそう気にする必要はありませんよ、シロウ。シロウはシロウで、彼は彼です。第一英雄である彼とシロウとでは経験値に絶対的な差がある。これからどうしていくかが問題になるでしょう」

 

 

 聖杯戦争の勝利者という肩書きと、弟子一人(士郎)使い魔(セイバー)を引っ提げて、ついでに何故か時計塔の大物講師の一人の推薦を貰い、私はロンドンへとやって来た。

 入学するのは鉱石学科。それも選り抜きのトップクラスである専門課程、研究過程の生徒として。

 本来なら魔術貧乏な極東の出身者である私がエリートの集まりの中へと入るのは非常に難しい。

 お父様や綺礼から色々と話を聞いた覚えがあるけど、魔術協会っていうのは血統主義とか家柄とか、そういう面倒なしがらみでドロドロな場所なんだとか。

 第二の魔法使いである大師父の弟子の家系と聖杯戦争の勝利者という看板でも正直ギリギリで、本当に何故かは知らないけど、ロードなる人物の推薦を受けることができたのは僥倖だ。

 

 

「しかし本当に、その推薦を貰ったロードという人物はどういう意図で凜の援助をしたのでしょうか。その辺りは先方から伺っていないのですか?」

 

「そうね、私としても知らない内に話が進んでいたみたいな感じで、正直よくわからないわ。ほとんど書類の上の作業だったみたいでね、気づいたら推薦人の欄にその人の名前が入っていたのよ」

 

「なんか不気味だな。他に何かなかったのか?」

 

「一応、入学してから暇ができたら呼びに行くとは書面で送られてきたんだけど‥‥なんていうか、それだけよ。送られてきた手紙っていうのも簡潔に必要事項だけ書いてあってね。私なんかに取り入ったところで何にもならないだろうから不安ではないんだけど」

 

 

 これが十何代も続く魔術の大家の子女とかなら取り入ろうとする意図も分からない訳ではナインだけど、こと私に関してはわざわざ後ろ盾になってやるメリットがない。

 先物投資なんて言えば説明は簡単かもしれないけど、実際あまりにも博打が過ぎるだろう。

 だからこれはどちらかというと私達が関係する思惑ではなく、向こうさんのことが関係している事柄であるように思える。

 

 

「まぁ関係ないわ。正当な手続に則って私達に利益が出るように行われているんだから、私達が気にすることじゃないわよ。こういう判断材料が足りないことは気にする必要が出てから気にすることにしましょう」

 

「まぁそうだな。それに何かあったら俺が遠坂を守ってやるんだから、そう気にすることでもないさ」

 

「‥‥ッバ、バカ何言ってるのよ!」

 

「なんでさ。何か俺おかしなことでも言ったか?」

 

「言ってないけど‥‥あーもう、何でもないわよっ!」

 

 

 さらりとこちらが赤面してしまうようなことを言った士郎に何か言い返すこともできず、私は大きく頭を振って反対側に荷物を持って立っていたセイバーの方に顔を向けた。

 こちらはこちらで生暖かい、というか微笑ましいものを見る目で私の方を見ている。‥‥ちょっと何よ、何か文句でもあるっていうの?

 

 

「いえ別に。ただ、どこにいっても凜とシロウは変わりませんね」

 

「褒めているのか貶している‥‥ってことはないでしょうけど、なんとなく釈然としないわね」

 

「当然褒めているに決まっているではないですか。貴方達といると安心します。先程まで祖国を前にざわついていたのですが、すっかり落ち着きました」

 

 

 釈然としないけど今は公共の場、いつものように騒ぐわけにはいかないし、私としてもそんな無様波晒したくない。

 この子も最初は堅物で生真面目な可愛い少女騎士だったっていうのに、この一年ぐらいですっかり成長というか、融通が利くようになったわね。

 一体誰の影響なのかしら。やっぱり藤村先生? それとも気があったのか頻繁に一緒に遊んでいた綾子?

 それとも三年生に上がったときにこれまた一緒のクラスになったからか、たまに会うこともあった三人娘のせいかしら?

 

 

「さて、私としてはしかとは言えませんが、おそらく一番身近にいた人達の影響でしょう」

 

「しれっと言ってくれるわね‥‥。まぁいいわ、とにかく今は目の前のことをなんとかするのが先決でしょ」

 

 

 とりあえずマスターとしての威厳とかそういうものは論外だけど、それでもこの子に主導権を握られてしまっているというか、立場的に私が弱い状況はどうにもいけないような気がする。

 でも今はその問題は棚上げしておこう。とにかくイギリスへとやって来た目的を果たさなければ。 

 だだっ広いヒースロー空港のエントランスホールを歩きながら、私は憮然とした表情を作って士郎に預けた手提げバッグを漁り、中から数枚の書類を取りだした。

 

 

「さて、時計塔からの手紙によると、私達の到着に会わせて案内人が来てくれるはずなんだけど‥‥」

 

 

 出した書類は時計塔入学にあたっての注意事項を記したものの一部。

 内容はおおむねイギリスに入国した直後にとるべき行動について。

 魔術協会のお膝元とはいえ、そこに新しく魔術師がやってくるとなると多少はその動向というものを把握しておく必要があるからか、割と詳しく指定されている。

 どうやらまずはホテルへ、というわけではなく、いきなり私達がロンドンで暮らすために宛がわれた宿舎へと向かわなければいけないらしい。

 確かに大きなものは先に送ってしまっているとはいえ、この大荷物じゃ身動きだってままならない。 私達としても一先ず体を落ち着けるというのは願ってもない。なにしろ空の旅は窮屈で疲れるのだ。

 

 

「遠坂、その写真が案内してくれるって人か?」

 

「えぇそうよ。時計塔に一人しかいない日本人の学生らしいんだけど‥‥。何の手違いか写真しかないのよね」

 

 

 資料の最初のページには、履歴書に使う3×4㎝のものではない普通の写真が半分になって貼り付けられていた。

 片方の肩のあたりから腕の方が不自然に切られているのはおそらく、元々はスナップ写真か何かだったからだろう。黒いペンで『He is your Gide』と書き込んである。

 写っているのは黒髪の標準的な顔をした日本人の青年。清潔というよりは無地という表現がパッとくる真っ白なシャツを着ていて、硬そうな髪はうざったくない適度な長さで揃えていた。

 それだけ見れば本当にどこにでもいそうな地味で凡庸極まる日本人だけど、一つだけ、額に巻いた紫色のバンダナだけがそれなりに激しく自己主張をしている。

 色合いとしては悪くない。白いシャツに紫のタイなんかは上品な着こなしだと思う。

 でもバンダナってのはどうなのかしら。ファッションとしてこれを愛用しているのなら退いちゃうわね。

 

 

「やっぱり出入口の近くは人が多いなぁ。こんな人込みの中で案内人見つけられるのか?」

 

「まぁこのバンダナを巻いていてくれたら分かりやすいんだけど‥‥」

 

 

 周りを見回せば一杯に歩き回る人人人。確かにシロウの言うとおり、この中から案内人を見つけるのは至難の業だろう。

 ともすれば時計塔に連絡することも考えなければならないかもしれないけど‥‥どう接触していいのかわからない。

 時計塔っていうのは勿論俗称で、ロンドンの観光名所として有名なビッグベンのことではないのだ。

 その表の顔は世界で有数のミュージアムである大英博物館。だからそこに行けば時計塔に入ることができると思うんだけど、新入生とはいえ部外者がひょんと行って入れるような場所だとは思えない。

 

 

「宿舎についても聞いてないしね。まぁまずは暫く案内人を待って―――」

 

 

 待つ必要はなかった。ソレは間違えようもないほど分かりやすく、エントランスを出た先に立っていたのだ。

 周りを行く僅かな日本人が怪訝な視線を向けるぐらい分かりやすく、それでいて他人のフリをして通り過ぎたいぐらいには頭が痛い。

 なんていうか、あまりにもあからさますぎる。もしかしてアレが時計塔のデフォルトなの?

 だとしたら、ロンドンに来たことを少し後悔せずにはいられない‥‥。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

《川´_ゝ`)ノ ようこそロンドンへ! 遠坂師弟御一行様☆》

 

 

 平日のヒースロー空港はビジネスマンを中心に非常に混んでいる。

 道行く人は当然ながら様々な人種だけど欧米人が多く、それでもところどころに東洋人の姿を認めることができた。

 観光客というかんじではない。スーツを着込んだビジネスマンは、まず間違いなく仕事で観光を楽しむ間もなくやって来て、帰って行くのだろう。

 空港から出た次の瞬間には忙しく懐から携帯電話を取り出して何処ぞへ電話をかけ、ぺこぺこと頭を下げているのはこれ以上ないほどに日本人らしい。

 

 さて、そんな忙しないハブ空港の中で学長から出迎え云々について一切を任された俺は、こんな分かりやすい看板を持って出入口にあたる場所に突っ立っていた。

 先ほど言及した日本人らしいビジネスマンは俺をじろじろと不審なものに向ける視線で見て、それでも自分の用事が優先なのか足早に去って行く。

 外国に来るということは少なからず覚悟がいる。慣れ親しんだ日本語を一時的にせよ手放す覚悟、聞き慣れない英語に身を浸す覚悟だ。

 そんな覚悟を決めて勇ましく空港を出た矢先に目の前に日本語が飛び込んできては、思わず肩の力も抜けるというか、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてしまうのは仕方が無いことだろう。

 

 そんな一般人を楽しげに観察している同じ日本人であるところの俺の格好は普段と全く同じ。

 軍の払い下げのものを改造したミリタリージャケットと黒いTシャツにジーンズ。かなりラフな姿はあまりイギリス! というカンジはしない。

 もしかしたらスリーピースにステッキでも持っていればよかったのかもしれないけど、生憎と俺は生粋の日本人だ。

 ああいう姿というのはしかるべき人が着こなしてこそ格好が良いというもので、純粋培養の短足寸胴の日本人たる俺には精々が孫にも衣装のリクルートスーツといったところか。

 実際その服装自体ならともかく、俺には非常に目立つ額のバンダナがある。

 すっかり擦り切れてしまった紫色の布切れは完全に最近の流行の斜め上を行っている。ご同輩諸兄も何というか、奇妙なものを見るような気分だろう。

 

 

「母国のより一層の発展に貢献するジャパニーズビジネスマンの皆様、ご苦労様です。しかしまぁこれだけ人がいるとお目当てのお客様を見つけることなんて出来るのかなぁ? まぁ向こうから見つけてもらえるようにわざわざ目立つ日本語の看板なんか持って来てるわけだけど‥‥っと、もしかしてあれ、か‥‥?」

 

 

 ガラス張りの入口から中の方を見遣ると、ジブリ作品の如くひしめく人波の中でさえ一際目立つ三人組があった。

 

 一人はそれこそ『ぬばたまの』という枕詞がよく似合いそうな黒髪をツインテールにした東洋系の少女。

 真っ赤な服はともすれば下品に見られがちだが、彼女に関して言うならばそれは一切当て嵌まらない。

 まるで彼女という名の一つの宝石を飾る細工のように、それこそが自然であるのだという主張を辺りに放っていた。

 

 もう一人の少女はケルト系の金髪を後頭部で編み上げ、品の良い白いブラウスを青いリボンで締めていた。

 これだけならばごく普通の美少女であったのだが、彼女を一介の美少女に留めぬものが、全身から発せられる王気とでも言うべき絶対の存在感であった。

 カリスマ性、なんて言葉を体現したとも言える。あれこそが人の上に立つべくして立つ人間に違いない。

 逃亡中の凶悪犯でさえ、彼女を眼前にすれば逃げることを諦めて平伏すであろう。

 

 そしてその中でなお俺が注意深く視線を落としたのが最後の一人。

 トランクやらリュックやらを沢山抱えてひぃひぃ言っている小柄で特徴的な赤銅色の髪の毛の少年は、素性を知っている俺ですら、どこにでもいそうな平凡な学生にしか見えない。

 恐らく道行く人が彼を見る理由の大半は『コノヤロー美少女二人も連れやがって』と言う嫉妬の念だろう。

 この辺英国紳士とか関係なく男の性だ。

 

 

「失礼、もし間違ってたりしたら申し訳ないんですけど、貴方が時計塔からの出迎えですか?」

 

 

 と、存外ぼんやりとしてしまっていたらしく、こちらに気づいたらしい黒髪の少女から俺に話しかけてきた。

 秀麗な顔はこれ以上ない程に社交的な笑みで彩られていて、近づいてくるその何気ない仕草ですら上品だ。

 それでいて俺を真っ直ぐに見つめる瞳がちっとも笑っていないように見えるのはなぜだろうか。 

 ちらりと俺が手に持った看板に視線が行ったような気がするけど、よかった、これのおかげで俺に気づくことができたのだろう。

 ‥‥しかしまぁ、字面じゃ知ってはいたがこれまたすごい美少女だな。学園のアイドルだったなんてものも文句なしに頷ける。

 もし俺が何も知らないで穂群原にいたなら間違いなく毒牙にかかったことだろう。

 

 

「こんにちわ、貴女が遠坂さんですね? ようこそ時計塔のお膝元たる霧の都、倫敦へ。魔術協会は貴女達を歓迎しますよ」

 

「どうもありがとうございます、確かに私が遠坂凜です。最初は案内して下さる方を見つけられるか不安でしたけど、派手な目印を持っていてくれて助かりました。‥‥ところで不躾ですけど、貴方も日本から時計塔へ?」

 

「あ、はい、自己紹介が遅れて申し訳ありませんでしたね。俺は貴方が進学する時計塔の鉱石学科に所属している、蒼崎紫遙と申します」

 

 

 あまり機嫌が良い様子ではないらしい遠坂凜と外国式の握手と日本式のお辞儀を同時に交わし、当然の社交辞令として自己紹介をする。

 と、何を勘違いしたのか、もしくは判断したのか、やや細めにしていた目を大きく見開き、突然素っ頓狂な声を上げられてしまった。

 

 

「あ、蒼崎ですって?!」

 

「ん? どうしたんだ遠坂そんなに驚いて」

 

「ばか! 蒼崎っていったら現存する魔法使いの家系じゃない!」

 

 

 それなりに信じられないものに出会ったとでも言いたげな叫び声に、俺は苦笑して頬を人差し指でかいてみせた。

 魔法。それは昔に比べてともすれば魔術を凌駕しかねない程に発展した科学を持ってしても再現が不可能な至高の神秘。

 どれだけ時間をかけようと、どれだけ資金を注ぎ込もうと、既に常識を逸脱しているのだから再現できようはずもない。

 魔術師達が目指す目標の一つ、根源への入り口の一つでもあり、現在、その魔法は五つ確認されているそうだ。

 俺が原作知識なる不確かなものを動員しても、知っているのはその中の二つだけ。

 第二魔法である並行世界の運営と、第三魔法である魂の物質化だ。ついでにいうと例えば名称を知っていたとしても、その魔法の実態は全くつかめていない。

 色々とFate本編でも関わりがあったにもかかわらず、じゃあ具体的にどういうことなのかと言われれば頭を捻るしかないのだ。

 

 そして、俺の苗字であるところの蒼崎とは、乃ち第五魔法を受け継ぐ家系であると世間一般では認知されている。

 何代か前の当主が魔法に開眼したらしいんだけど、“道を開いた”とかいう表現をされているのに注意してほしい。

 これはどうも『蒼崎直系の者は魔法使いになりやすい』という意味らしく、本来なら世襲とかではないはずの魔法が継承されるという意味で、非常に注目されている家系なのだ。

 そして今代の青と呼ばれる魔法は巷で『ミス・ブルー』と呼ばれている俺の下の義姉、蒼崎青子が会得しており、更に言うなれば最も近い位置にいる俺も第五魔法について全く知らない。

 どんな魔法であるかも知らないのだから、どう言及するわけにもいかないわけだけど‥‥。

 青子姉の“あの”性格から察するに、きっとかなり物騒な代物なんじゃないかな。少なくとも平和的なものであるはずはない。

 

 

「ま、魔法使い?!」

 

「確か、他の色んな家と違って蒼崎には傍流がいなかったはず。もしかして貴方‥‥魔法使い(ミス・ブルー)の弟《おとうと》だったりする?」

 

 

 流石に本編ではへっぽこ一直線だった衛宮士郎も流石に魔法については聞いていたらしい。

 ‥‥俺の名前、というか苗字を聞いたヤツの大半は、俺に大して普通じゃない接し方をしようとする。

 例えばゴマを摺ろうとしたり、例えば無意味にやっかんだり、例えば研究成果を盗もうと機会を虎視眈眈と狙ったり。

 全く意味がない。何せ俺は魔法について何も知らないのだ。黙ってるけど、血も繋がってない。

 悲劇のヒーローぶるのは虫酸が走るくらいに嫌だけど、収まらない頭痛に頭を抱えるぐらいは仕方がないことだろう。

 なんというか、やっぱりイライラするものなのだ。自分で実際に同じ境遇に陥ってみれば分かると思う。

 もちろん拾ってくれた橙子姉とか、橙子姉との諍いを冷戦状態にまで持ち込んで面倒を見てくれた青子姉にはそんなことおくびにも出すつもりはない。

 まったくもって愚痴みたいで情け無いけど、つまりはそういうことなのだ。

 

 

「‥‥確かに蒼崎青子(ミス・ブルー)は俺の義姉(あね)だけど、俺自身は大した魔術師じゃないよ。義姉(あね)達にみっちりしごかれたけど、残念ながら凡才でね。正直、個人的にはあんまり気負ってくれない方が嬉しいな」

 

「流石は時計塔、といったところかしら。唯一の日本人の学生だとかいうのでどんな人かと思ってたけど、トンデモないわね、蒼崎君。まさか私に対する牽制とか、そういう心づもりがあるんじゃないでしょうね?」

 

「それこそトンデモない。俺はただ学長から君たちの出迎えを頼まれただけで、俺としてはそこに何の含みもないよ。まぁお偉方がどう思ってるかは知ったことじゃないけど、少なくとも俺はそのつもりさ」

 

 

 俺は半ば諦観気味にも誤解を訂正しようと言葉を紡いだけど、どうやら『あね』が悪かったようだ。

 魔法使いの弟と認識されたらしい俺はかなりの警戒の眼差しを三人から向けられてしまった。

 本当に勘弁してほしい。君達に目を付けられてしまうのはかなりマズイんだよ、個人的にも、境遇的にも。

 学生の中でも数少ない、俺の苗字に惑わされず友人付き合いをしてくれたルヴィアは遠坂凜と敵対することが運命つけられているし、そうでなくとも明らかにトラブルメイカーである彼女達に目を付けられるということは、乃ち不愉快な立場で厄介事に引きずり込まれることを意味する。

 もっとも既に聖杯戦争も終わってしまったことであるし、別に今の俺に原作知識なるものでどうこうってつもりはない。

 だからこそ、これからも同じ学院に通う学友となるだろう彼女達とは普通の関係を構築しておきたかったし、正直、蒼崎の名前に物怖じしない知り合いも欲しかった。

 

 

「はぁ、頼むからホントに気にしないでほしい。時計塔にいる魔術師は数多いけれど、同郷は君達が初めてなんだ。実は結構日本語が恋しくてね。ホントに俺はそういう人間じゃないから、普通に接してくれないかい?」

 

「‥‥そういう卑屈な出方すると逆に疑われるとか、考えたことはなかったのかしら、蒼崎君?」

 

 

 多分その時の俺は色々参ってしまっていて、心底困ったような表情を浮かべていたのだと思う。

 遠坂凜は俺が改めて差し出した手を眺めた後、ひどく呆れたような視線をこちらに向けた。

 

 

「確かにまぁ本人の言葉っていうのが何だけど、そういう人にも見えないわね。長い付き合いになるかもしれないんだし、堅苦しいのは無しにしましょう。改めて、私が遠坂凛よ。同じクラスに通うわけだから、末永くよろしくね」

 

「あぁ。宜しく頼むよ、遠坂嬢」

 

 

 先程までの少し猫を被ったようなものとは違う、本当に自然な笑顔を浮かべて遠坂嬢は俺の手を握り返した。

 そういえば何時の間にか互いに言葉遣いは自然なものになっていた気がする。やっぱり久しぶりの母国語は気持ちが良い。

 なにしろ実際問題として、今まで時計塔にいた日本人は俺だけなのだ。

 俺目当てなのか青子姉が度々出没するから日本語を話せる人間はそこそこいるけど、自分のテリトリーでわざわざ他国語を使う奴なんていないからそろそろ日本語を喋らなくなって随分経つし。

 加えて言葉に限らず思考回路というのも国毎に特色がある。同じ人間なんだから大まかな部分では変わらなくとも、細かい差異はたまに気になってしまう時があった。

 

 

「えっと、俺は遠坂の弟子の衛宮士郎だ。基礎課程に入ることになってるけど、遠坂関係で色々と世話になることもあると思う。俺の方もこれから宜しく頼む」

 

「私は凜の使い魔(サーヴァント)のセイバーです。同じく凜の関係で貴方にはお世話になることもあるでしょう。どうぞ宜しくお願いします」

 

「衛宮に、セイバーだね。よく承ったよ。三人ともよろしく頼む」

 

 

 遠坂嬢に続いて右手を差し出してきた二人とも、しっかりと握手を交わした。

 衛宮は作中では一人称が多かったけど、予想を上回るぐらいさっぱりとした良いヤツだ。主人公というよりは脇にいそうなタイプである。

 セイバーも絶世の美少女であることを除けば一見普通の女の子だ。そういえば肉体年齢としては俺より五歳以上も年下なのか‥‥。外国の人は大人に見えるらしいけど、セイバーは随分と童顔だな。

 

 

「さて、早速で悪いけどキャブを用意してあるよ。色々と手続とか面倒なことはあると思うけど、まずは君達が生活することになる場所に案内しようか。ついてきてくれ」

 

 

 そのまま歓談に移りそうな雰囲気だったけど、俺は『さて』と場の空気を切り替えてから、踵を返して待たせてあったタクシーのところへと歩き出した。

 出迎えに関しては好きにしていいと言われたけど、それと同時に予算も大して渡されなかった。

 これで遠坂嬢のことを知らなければしらばっくれて彼女に運賃を出させたかもしれないが、事前にゲームで情報を収集してあった俺はそんな危険を犯しはしない。

 というわけで有名なブラックキャブではなく、安価なミニキャブで勘弁してもらおう。

 

 

「ロンドンは東京と同じように地下鉄も充実してるんだけどね。流石に荷物が多すぎるからバスも使えないし」

 

「そうね。長い間こっちで過ごすことになるんだから交通網はチェックしておかないと不便だわ。士郎、よろしく」

 

「俺が?! いや、まぁ別にいいけどさ‥‥」

 

 

 小さな後部座席になんとか三人押し込み、俺は助手席に座って運転手に地図を渡した。

 言っちゃなんだけどコッチに来てからはひたすら研究三昧の毎日で、ろくに外出もしてないから案内出来る程土地勘がない。

 ぶっちゃけこの地図の番地がどこを指しているのかすらわからないし。

 キャブに乗り込んでからずっと後ろで御三方はわいわいとお喋りをしているけど、俺は適当に相槌を打ちながら、気付けばぐっすりと眠り込んでしまっていた。

 昨夜はあれからずっとルヴィアの話―――素性の知れないトオサカとか言う魔術師と接する際の注意事項―――を聞かされていたから、とてもとても‥‥‥zzz‥‥

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「さぁ着いた。ここが時計塔が選んで、君達に用意された寄宿舎だよ」

 

「‥‥でかいな。本当にここが俺達の家になるのか?」

 

 

 目的地に到着した俺達は、荷台に積んであったトランクやら鞄やらを苦労して降ろすと、目の前の屋敷を日本では考えられないことに“見上げる”はめになった。

 両側を昔ながらのアパートに挟まれながらも、なお古びた洋館がそこに建っている。

 電気はおろか水道やガスが通っているのかすら不安になってしまうそれは、周りの建物と格段に違う年代を保ちながらもロンドンの街に溶け込んでいる。

 煉瓦は半ば黒くなりかけで、全体的に重厚な造りだ。小さいながらもちゃんとした庭もあるし、周りは高い柵で覆われているから結界を張るにも都合がいい。

 

 

「なんでも昔ここには魔術師が住んでいたそうだよ。とある事情でその人が引き払ってしまったから、時計塔が管理していてね。君達のために多少整備をしておいたっていう話さ」

 

「時計塔っていうのは、新入生全員にこんな家を用意してるのか? とてもじゃないけど学生が暮らすような建物じゃないぞ」

 

「エミヤの家の敷地よりは狭いですが、確かに大きな家ですね。これなら一緒に暮らしていた全員が余裕で入りきるのではないでしょうか」

 

 

 衛宮はキャブのおっちゃんから始終両手に花だとからかわれていたらしくげんなりとした様子で行った。

 一方続けて家を評価したセイバーはさっきからずっとロンドン観光ガイドの食事処の頁を開けたまま、まるで軍議に臨むかのような真剣な眼差しを落としている。

 なんていうか、あんまりにもらしくて笑いをこらえるのが難しくって仕方がない。やっぱりセイバーはセイバーなんだな。

 

 

「一般の学生は自分でアパートを用意したり、後はノーリッジにある学生寮に入ってたりするよ。まぁ大概は一人なわけだけど、君達は魔術師二人に人間大の使い魔一人だろう? 特待生なんだし、これくらいが当然さ」

 

 

 あんぐりと口を開けてこれから暮らすことになる家を見上げていた衛宮に、俺はざっと時計塔の生徒達の住宅事情について説明した。

 

 魔術師なんてのは普通それなりの大きさの工房を持つし、一般人に対するカモフラージュを考えれば魔術関連の部屋は居住エリアとは別々にする必要がある。

 とはいっても流石にロンドンの住宅事情も東京に比べて芳しいものではない。むしろ保存しなければいけない建物やら何やらが多いせいかスペースに余裕がないのは東京以上だろう。

 そういうわけで時計塔の学生にはロンドンから少々離れたノーリッジという街に、かなりの大きさの学生寮が用意されていた。

 生活空間だけではなく使いやすくカスタマイズできる工房スペースまでついた、衛宮の言葉を借りるならば学生の身には過ぎた寮だと言える。

 もっとも、魔術師は総じて資産家であるからあまり狭苦しい学生寮は好かないんだよね。なにしろホラ、衛宮や俺みたいな初代の魔術師っていうのは実はそこまで多くないんだ。

 基本的に魔術師は大抵それなりの歴史というものを持っていて、そういう家は基本的にそれなりの資産を保有している。

 だから狭い学生寮が嫌いな学生はロンドンの郊外に家を借りたりしているらしい。例えばルヴィアも同じで、郊外のエーデルフェルト別邸はもはや豪邸と称するに相応しい。

 

  

「それに自分たちが色々と危険物だっていう自覚はあるだろう? 学生寮に入れたりしたらトラブルの元だからね。言うなれば穏便な隔離ってわけだよ」

 

「‥‥確かに騒動の種には事欠かなさそうではあるわね。まぁこの家も遠坂邸よりは小さいけど雰囲気があって気に入ったわ。出来る限り文句は抑えておきましょう」

 

 

 既に遠坂嬢達の噂はかなり広まってしまっている。こともあろうか、聖杯戦争の勝者で英霊を使い魔(サーヴァント)にしているということまでだ。

 降霊科の連中は今から目の色変えているし、他の学生にしても少なからずざわついていた。聖杯戦争の噂なんて、一体どこから広まったのやら‥‥。

 

 

「一応除霊の類は済ませてあるはずだけど、どこに誰の目が光ってるかわからないから一通りチェックすることをオススメするね。

 あと荷解きが済んだら今日じゃなくても構わないから、出来るだけ早く学長のところに挨拶に来いってさ。遠坂嬢一人で構わないそうだから」

 

 

 時計塔から用意された宿舎とはいえ、油断は出来ない。

 確かに時計塔は魔術協会の本部で、魔術師達の総本山といえる。だからといって、協会は決して清廉潔白な組織ではないのだ。

 お偉方にしても聖杯戦争について把握していない者が多いだろうし、何より本人が一番理解しているだろうけど、現界した英霊なんて恰好の研究材料である。

 まさか直接調達に来るなんてバカみたいなことをするとは思えないけど、家の中に予め使い魔やら何やらを忍ばせておいて、情報を採取するなんてことは十分に考えられるだろう。

 わざわざ俺に言われなくてもしっかりやってたとは思う。それでも後で文句を言われてしまうのは不歩にだし、俺としても多少心配しないこともないのだ。

 

 

「わかったわ。まず荷物を運び込んで、それから隅々まで調べておくつもりよ。忠告と出迎えありがとうね、蒼崎君」

 

「どういたしまして。君達の助けになれたなら幸いだよ。あぁ、一応これが鍵だから。これも取り替えておくことをお勧めするけどね」

 

「重ね重ねありがとう。士郎、私の分のトランクも居間があったらそこに運んでおいてくれる? 細かい部屋割りは後で決めましょう」

 

「おう、任せとけ」

 

 

 横では既にセイバーと衛宮が家の中に荷物を運び込んでいる。

 手伝ってやりたいのはやまやまなんだけど、これから見ず知らずの別の魔術師の本拠地になろうかという場所に入るのは気が引けるし、後々予想もしなかった危険に巻き込まれる可能性もある。

 そうでなくとも引っ越し直前で何もないとはいえ、他人様の家にずけずけと上がり込むのは失礼だ。

 衛宮とセイバーには悪いけど、ここで失礼させてもらおう。

 

 

「すまないけど俺はこの後ちょっと野暮用があって出発しなきゃいけないんだ。ロンドンの街を案内できればよかったんだけど‥‥」

 

「気にしないで。今日すぐに時計塔の方に行こうかと思ったんだけど、流石に家がこれじゃあ、一心地つけるにも時間がかかりそうだしね。それくらいは自分達でなんとかするから」

 

「悪いね、本当に空港から家までの案内だけで。これは大英博物館から時計塔に入るための手順を書いたものだから、読んで覚えた後は焼却して処分してくれ。俺も君と同じ鉱石魔術学科に所属しているから、また会うこともあるだろう。その時に、また」

 

「ええ。今日はホントにありがと」

 

 

 久しぶりの同郷人は、本当に気持ちの良い顔で笑ってみせる。

 彼女達には他の学生とは違う色々な懸念材料があったんだけど、うん、まぁこの調子なら良い友人になれそうだ。

 なんだかんだで時計塔は狭いしね。あからさまに忌避してたりしたら目立つし、そうじゃなくても必要以上に意味もなく警戒するのは宜しくない。

 学長から渡された書類一式を手渡して再度握手を交わすと、俺はふと思い付いて懐から携帯電話を取り出した。

 

 

「あぁ、もしよかったらアドレスを交換してくれないか? 下の姉がなかなか破天荒でね。拉致されてしょっちゅう時計塔を空けてしまうんだ」

 

「え、携帯‥‥?!」

 

「うん。何か簡単なことで良かったらメールでも質問に乗るよ。そういうことには詳しくないんだけど、一応傍受されたりするのが怖いから差し障りの無い範囲に限られるけどね」

 

 

 こればかりは現代の学生らしく携帯の赤外線部分を向けると、遠坂嬢は途端にさっきまでの自信満々な態度を一変させる。

 突然に慌てた、というか狼狽した、というか焦った様子で、おろおろと肩から下げたセカンドバッグの中を漁り始めた。

 そしてたっぷり5分程もかけて紅い携帯を取り出すと、今度はまたしばらく頭の上に疑問符をいくつも浮かべながらありとあらゆるボタンを手当たり次第に操作し始める。

 指の動きからして数字ボタンを押しているのならまぁ良いんだけど、間違えてデータフォルダを開けてしまって突然効果音が鳴ったり、カメラを起動させてシャッター音がしたり、最後には電源ボタンを押して応答しなくなってしまった。

 

 

「あー、えーっと遠坂嬢?」

 

「‥‥! ‥‥!」

 

「もしかして何か不具合でもあったのかい? もし気に障らないのなら手伝うけど‥‥?」

 

「いや別にそういうわけじゃないのよ。そういうわけじゃ、ないんだけど‥‥。あああぁぁぁ士郎ぉー!」

 

 

 暫くそのまま真っ暗な画面と悪戦苦闘していた遠坂嬢に怖ず怖ずと声をかける。が、しかしどうやら俺ではダメなようだ。

 更に暫く宛てのない戦いを続けていたけど、諦めたのか一度俯き、この地区一帯に響き渡るような声で玄関の方へと叫び声を上げた。

 

 

「どうした遠坂――って、なんだ携帯か」

 

「なんだじゃないわよ! ナニよコレ壊れてるんじゃないの?! いきなり真っ暗になってウンともスンとも言わないのよ!」

 

「あーもう、ただ電源を切っちゃっただけじゃないか。何をしたいんだよ一体‥‥」

 

 

 ‥‥そうだった。

 今になって思い出したけど、遠坂嬢は破滅的に機械オンチなんだったっけ。

 そういえば確かに時計塔の魔術師の中でも機械の類を嫌っている人は少なくない。俺も自宅には最低限の機械類しかおいていないしね。

 ルヴィアもそうだし、教授もそうだ。それでも携帯ぐらいは連絡に便利だからみんなしっかりと使いこなせていたもんだけど‥‥。

 

 

「遠坂嬢とアドレスの交換をしようと思ってね」

 

「あぁそうか。じゃあ赤外通信だな。こっちから送信するんで構わないか?」

 

「大丈夫だよ」

 

 

 見れば衛宮が恋人にあれこれ文句を言われながら、携帯を赤外線通信モードに切り替えていた。

 少しの間を置いて贈られてきたアドレスを見れば、電話番号とメールアドレスしか記載されていない。

 写真もなければ、住所もない。住所はロンドンでの家が決まってなかったみたいだから良いとして、せめて名前ぐらいは自分で淹れておいて欲しいものだ。

 ‥‥とりあえず思った。

 しかる後にちゃんと衛宮ともアドレスの交換をしておこうと。

 今のやり取りから察するに、遠坂嬢は携帯が鳴っても狼狽してとることも出来なさそうだから。

 

 

「うん、まぁ俺もその方が安全だとは思う。悪いな紫遙、遠坂のことで結構迷惑かけちまいそうだ」

 

「ちょっと士郎! それって一体どういう意味よ!」

 

「そりゃ言葉通りに決まってるだろ―――って、いくら敷地の中で外から見えないとはいえガンドはやめろよ遠坂?!」

 

「うるさーい! アンタが気配りきかないのがいけないんでしょうが、この木訥っ!」

 

 

 何か失言でもしたのか今だ遠坂嬢から謂れのない折檻を受けている衛宮―――あれはじゃれあっていると解釈しても何ら不思議はない―――から綺麗に視線を外す。

 もう少し歓談していても良かったぐらいなんだけど、荷ほどきで忙しい彼女達にも迷惑だし、用事も迫っていた

 

 

「すみません、案内してもらったというのにお礼も出来ず。二人に代わって再度礼を言います」

 

「気にしないでくれ。なんていうか、こういうのは意外と慣れてるんだ‥‥不本意ながらね。

 それじゃ何かあったら衛宮の方にも連絡しておく。今日はこれで失礼するよ。荷ほどきと二人の世話、頑張ってくれ、セイバー」

 

「はい。またお会いしましょう、魔術師殿(メイガス)

 

 

 礼儀正しくお辞儀をしてくれたセイバーの肩をぽんぽんと叩いて彼女のこれからの労苦を労い、ちょうど近くを通りかかったミニキャブを拾う。

 さぁ約束の時間がもうすぐだ。衛宮達には悪いけど、不足だった分に関しては学長に報告して気をつけてもらっておこう。

 まだ後ろから響く騒ぎ声を背中に受けて、俺は時計塔へと去って行ったのだった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「‥‥では失礼します」

 

 

 ギィ、という古びた音を立てて俺は時計塔の学長室の扉を閉める。

 まず自分の部屋に戻って書類を整理し、他の雑多な色々とまとめて報告にやって来たのだ。

 幸いにして多忙極まる学長が俺へのお使いを忘れて留守にしているなんてことはなく、来客もなかったのですんなりと報告を終えることができた。

 

 ちなみに学長室にたどり着く間にかのロード・エルメロイⅡ世に捕獲され、

『ニホンから来た特待生はゲームを嗜んでいそうか? お前は期待外れだった。アキバもニホンバシも知らなければスガモもわからない、まったく弟子にとった甲斐がなかった』

 などと小一時間はアドミラブル大戦略と征服王イスカンダルの偉大さについて語られ、俺はなんだかもう報告に行く体力まで搾り取られてしまったかのようだった。

 大体プロフェッサとは守備範囲が違うだけで俺はちゃんとした―――と言うと何か語弊があるような気がしてならないけど―――ゲーマーだし、スガモはおばあちゃんの原宿であって秋葉原は全く関係ない。

 あの人も決して悪い人じゃないんだけど、ゲームの趣味が致命的に合わないんだよな。俺はRPG派だし。

 

 

「ハーイ、紫遙。お仕事お疲れ様。大変だったでしょ、学長のお使いは」

 

「青子姉? いつものところにいないと思ったらこんなところで待ってたのか」

 

「暇だからね。どうせ学長のところに報告に行くだろうとは思ってたから、わざわざ二度手間させるのも何でしょ。で、どうだった?」

 

「どうだったって、何が?」

 

 俺を呼び止めたのは下の義姉、『青』の称号を持つ魔法使いである蒼崎青子であった。

 まだまだ蒸し暑いからか上は無地の白いTシャツで、下は清潔感のある真っ青でダメージ加工なんて無粋なものがしていないスラッとしてジーンズ姿。

 光の加減と錯覚によっては真っ赤に見えることもある茶色がかった黒髪を無造作に間に挟んで壁によりかかり、意味ありげにニヤニヤ笑っている。

 

 

「何って、遠坂のお嬢さんと『正義の味方』にアーサー王でしょ? あなた、昔は随分と気にかけてたじゃないの。私もちょっと気になってたところだし、折角会ってきたんだから感想でも聞かせてくれないかなーって思ったんだけど」

 

 

 この活動的な魔法使いは俺がロンドンにやって来てからは度々時計塔に出没し、その度協会やら教会やらから何がしかの依頼を貰ってきては強制的に俺を突き合わせる。

 それは死都の浄化だったり外道に堕ちた魔術師の処分だったりショッピングだったりと多紀に渡ったけど、大概ろくな目に遭っていない。

 死都の浄化の時は足りない魔力で無理矢理背中を守らされたし、魔術師の処分の時は手を抜いて隙を突かれて、俺が矢面に立つ羽目になった。

 ショッピングは他に比べれば平和に見えるけど、その行動は大概が周りに迷惑をかける方向へベクトルが向いているので、気が休まる時がない。

 あと人を着せ替え人形にするんだよ、この人は。子供の頃ならともかく今は立派な大人だっていうのにさ。

 ついでに自分に似合う服を聞いてくるのもやめてほしい。青子姉に似合わない服なんて基本的にそんざいしないのだから意見の言いようがないのだ。

 

 

「予想してたのとは随分違ったよ。普通の気の良い、思わず友人になりたくなるような連中だった。というよりも既に友人になっちゃったかな、あの感じだと。

 なんにせよ色々と気を張ってたのが馬鹿馬鹿しくなっちゃったぐらいさ。まぁそれも初見だからかもしれないし、これからどうなるかはわからないけど‥‥」

 

「楽しくなりそう?」

 

「‥‥だったらいいなとは思ってる。ただ青子姉が言う“楽しそう”っていうのはいつも物騒な方向に楽しいから、出来れば平和な日常を期待したいところではあるけどね」

 

 

 俺は青子姉の言葉に頷き返し、返事を聞く前にくるりと背を向けて歩き出してしまった彼女の後を追う。

 ここまでは原作を知っていればよかった部分。しかしこれからは切れ切れに起こる小ネタみたいな逸話以外は何もアドバンテージを持たない生活だ。

 もしかしたら橙子姉の思惑とかもその辺にあったんじゃないかと、歩きながらふと考えた。

 未来を知ってるってのは、歪んでいる。それは介入していないにも関わらず俺の心の中に澱のように溜まってしまっていた重しだったから。

 

 

「だから言ったでしょ。紫遙は物事を深刻に考え過ぎなのよ。自分の手の届かないことにまで心配してなくとも世界は勝手に回っていくものよ。後はこれから考えればいいことだしね」

 

「確かに」

 

「それでもやっぱり心配しちゃうのが紫遙なのよね。知ってた? 去年に私が頻繁に時計塔にキテタのって、姉貴から言われたことなのよ? あなたを考えさせ過ぎないように、下手に動かれないようにって」

 

 

 そこまで心配されていたとは、と思わず頭を抱えてしまう。本当に、二人には心配と迷惑をかけてばっかりだ。

 実際二人からはためになる忠告を毎日のように貰っていたもんだけど、それの意味に気づけるのは実際に教訓が必要な場面に直面したその時になってから。

 まったくもって自分のバカさ加減にはうんざりだ。それが二人へ心配をかける要因になってしまうんだから、なおさらに。

 

 

「なんにしても問題はこれから、か。さてさてどうなることやら‥‥」

 

「これから? アフリカの死都の浄化よ。ちょっと大仕事になるかもね」

 

「‥‥えっと、もしかしてそれって今回の仕事の内容?」

 

 

 返事を必要としない独り言に律儀に返された、これまた口から魂の抜けそうな青子姉の言葉に俺は顔面を蒼白にして聞き直す。

 読者諸兄も覚えておいて欲しいことなんだけど、俺は戦う者でもなければ創る者ですらない。研究者だ。

 決して戦うことができないわけじゃない。でも弱いし、キツイ。というより在り方として間違っている。

 言うなればハサミや工作カッターを戦場に持っていって武器に使うようなもので、完全に専門分野が違う。

 

 

「おっと失礼、ちょっと用事を思いついた。今日は工房(へや)に戻らせてもら―――」

 

「やらせないわよー? なんだかんだで何ヶ月かぶりなんだから、少しはお姉ちゃんの暇つ‥‥もとい、お仕事に付き合いなさいな」

 

「暇つぶしって言った! 今確かに暇つぶしって言った! 勘弁してよ青子姉、俺ホントにそういうのダメなんだからさぁ!」

 

 

 今度こそ命の危険を感じて即座に踵を返し自室へと帰ろうとしたけど、次の瞬間首根っこをひっつかまれてしまった。

 だめだ。俺が青子姉から逃げられるはずがなかったのだ。

 逃走及び闘争に必要な全ての要素、乃ち情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さ、そして何より速さが足りない!

 そんなバカなことを考えながらも辺りの空間はまるで内側から無理矢理押し開こうとしているかのようにたわみ始める。

 どういう理屈なのか全く分からないけど、この理不尽な空間転移は青子姉の十八番だ。世界が縮まっていく‥‥。

 

 

「はーい、それじゃあ転移するからじっとしててねー」

 

「やめて! マジで! 帰る、俺家に帰る! 伽藍の洞に帰るぅぅぅううう!!!」

 

 

 もういい。再構成とか逆行とか原作アフターとかクロスオーバーとかどうでもいい。

 どうでもいいから誰か今すぐ俺を助けてくれ。

 

 俺が魔力すら込めて放った必死の叫びは、通路の曲がり角に確かに見えた鉱石学科の教授にすらそれが世界の法則であるかのような自然さでスルーされてしまったのだった。 

 

 

 

 2nd act Fin.

 


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