UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第二十六話 『宝石嬢の嘆息』

 

 

 

 side EMIYA

 

 

 

「あれです、シロウ。あそこのオープンカフェに凜がいます」

 

 

 いかなる不思議か、俺達は遠坂が相手と合流する前に待ち合わせ場所と思しきところへ先行して待ち伏せすることが出来た。これも送迎最速理論を会得していると思しきジョージさんと、倫敦全てに悪ガキ共による情報伝達ネットワークを形成しているガブローシュのおかげだ。

 ちなみに件の二人とは既に別れている。後日お礼に和食をごちそうするということで俺の知らないうちに話がついたようで、なんか最近頼み事の代価は物々交換が主流になってきているような不安をぬぐえない。まぁ俺も俺の作った料理を楽しんで食べてくれる人たちの顔を見るのは好きだから、別に文句はないけどな。

 

 

「まだ相手と合流していないとは好都合。シロウ、しっかりと周りに気を配ってくださいね。偵察任務では僅かな機微さえも逃がしてはいけないのです」

 

「そ、そうか、ハハハ‥‥」

 

 

 どちらかといえば俺よりも熱心なセイバーの様子に思わず乾いた笑いが漏れる。

 しかし本当に誰と会うんだろうか? 鉱石学科の友人? 鉱石学科の教授? いや、だったら時計塔で

会えばいいわけだしなぁ‥‥。

 もしかしたらパトロンになってくれる人を見つけたのかもしれないな。でもそんな人だったらこんな街中で会うか? でっかいお屋敷とかあって、そういうところで話するだろ、普通。

 

 

「あっ! シロウ、見て下さい!」

 

「‥‥あ、あれは‥‥?!」

 

 

 そして満を辞して遠坂のテーブルに現れたのは、当然予想してしかるべきなのに俺達が全く想定していなかった人物だった。

 使い古しのミリタリージャケット。すり切れた紫色のバンダナ。ダメージ加工とかのファッショナブルな単語とは全く無関係のボロボロのジーンズ。

 俺が倫敦で出来た最初の友人であり、時計塔鉱石学科に所属する蒼崎紫遙の姿がそこにはあった。いつも通りの格好でいつも通りの歩き方、そしていつも通りのちょっと斜に構えながらも優しげな微笑を浮かべて遠坂の座っているテーブルへと片手をあげて挨拶しながら近づいていく。

 対する遠坂も上品に応えて近くのウェイターを紫遙のために呼んだ。

 

 

「まさか、ショー‥‥ですか‥‥。いえ、確かにありえない話ではないですね‥‥」

 

「どういうことだセイバー?」

 

「彼はああ見えて時計塔での憶えもよく、人好きもするいい人です。何より現存する魔法使いの家系であるアオザキの出身ですし、彼自身も優れた魔術師です‥‥」

 

 

 深刻な顔でぶつぶつと顎に手を添えながらセイバーが何やら呟く。言ってることは確かに理が通っている。紫遙は一見すごく地味だけど、その実魔術師としての腕前はそれなりのものだし、性格も親しみやすい。顔は別にハンサムというわけではないけど、相対する人間に悪感情を持たせない日本人独特の柔らかい雰囲気を纏っているから話していて安心するヤツだ。

 ‥‥でもそれがパトロンとどう関係するんだ? そりゃあっちこっちで任務を受けてるとかいう紫遙ならそこまで金に困っちゃいないかもしれないけど、そこまで金持ちってわけじゃないのは前に本人から聞いたことがあるしなぁ‥‥。

 

 

「シロウ、本当にあなたを愚鈍ですね‥‥」

 

「‥‥なんでさ?」

 

「先ほどからあなたがぶつぶつと考えているとおり、凜がパトロンと会うのだったらこんな場所には来ませんよ。だとしたら答えは一つではないですか?」

 

「答え‥‥?」

 

 

 先程までよりも一層真剣な顔でこっちの顔をのぞき込むセイバーに、ちょっとドキリとして一歩退いて視線を余所へと向ける。あいつは気づいてないかも知れないけど、俺達の顔はもう鼻先がくっついてもおかしくないぐらい近寄っていた。

 まさか普段からこんなことしてるんじゃないだろうな? セイバーは美少女なんだから、こんなことされたら男なんて簡単に誤解しちまうぞ?

 

 

「シロウ、貴方という人は‥‥。とにかく、私のことなどいいのです! つまりはですね―――」

 

「あっ、移動し始めたぞ!」

 

 

 紅茶を一杯だけ飲んだらしい二人は、勘定を済ませると席を立って歩き出した。しっかりと紫遙の方がお代を持っているあたり流石に如才ないと言えるが、とにかく今はセイバーの話を途中で遮ってでも見失うわけにはいかないだろう。

 紫遙が何を考えて遠坂と一緒にいるかは分からないけど、なんかあの二人の組み合わせはマズイ。紫遙が心配というか、普段ならいいんだけど今は二人まとめてどこかしらに迷惑かけそうな予感がする。

 なまじっか能力が高いだけに歯止めがきかない。魔術師は総じて常識人未満であり、人と人との関係は足し算ではなくかけ算できまる。0,1×0,1は0,01なのだ。

 

 

「‥‥後でじっくりとお説教することにしましょう。ですが今は」

 

「ああ、二人を追いかけよう」

 

 

 俺達はひとまず当面の問題を棚上げすると、連れ添って倫敦の街中へと歩き出した二人の後を見つからないようにこっそりと尾行していったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふ、やっぱり来てるわね」

 

「いやはや、ホントに君は性格悪いなぁ。衛宮も流石に君のそんな様子を見たら追ってこざるをえないってカンジかね。同情するよ、心底」

 

 

 遠坂嬢が密かに放っていた使い魔でターゲットを確認すると、俺達はやおら席を立って偽装デートの開始としゃれ込むことにした。予想外にもお節介なのかセイバーがついてきたことは想定してなかったけど、とりあえず暴走したりしない限り実害はないだろう。

 

 

 

「で、これからどうするんだい、遠坂嬢?」

 

「‥‥どうするか、ですって?」

 

 

 ひとまず最初の目標である、衛宮に俺達を追っかけさせることには成功した。さすがに衛宮も恋人が他の男と出かけるなどということは許容できなかったのか、遠坂嬢のものと一緒に飛ばせておいた簡易の使い魔の視界からは、物陰に隠れてこちらの様子を伺う剣の主従の姿が丸見えだ。

 まぁでもセイバーと一緒ってのはちょっと減点対象かな。彼女が心配で追っかけてきてるってのに、女の子脇に侍らせてるのはどうかと思うよ、うん。

 

 

「‥‥どうしよう?」

 

「はぁ?」

 

「士郎が追っかけてきてくれるかどうかしか頭になくて‥‥」

 

「‥‥はぁ」

 

 

 応答がないのでひょいと横の遠坂嬢を見ると、顔を真っ赤にして微妙な表情で悩んでいる。なんだコレ、もしかして俺、今日一日こんな恋する乙女な遠坂嬢を見てなきゃいけないのか?

 ていうか衛宮が嫉妬してくれてるってわかったらそれでいいのか。この程度のことをうっかりっていうのもなんだけど、どうもこのお嬢さん見切り発車が多いような気がしてきたなぁ‥‥。

 

 

「ど、どどどどうしよう、何も考えてないわ」

 

「落ち着いて遠坂嬢。ホラ大きく息を吸ってー吸ってー吸って―――」

 

「―――って、吸ってばかりじゃ窒息するわよ!」

 

 

 ごす、と嫌な音と一緒にあかいあくまの拳が俺の腹にめり込む。な、なんたる功夫か。史上最強の弟子もびっくりな寸勁‥‥!

 男の矜恃を最大動員してうずくまることだけは回避したけど、脂汗がとまらない。

 魔術で強化してなかっただけ不幸中の幸いか。傍目には微笑ましいカップルにしか見えないだろう辺りがそこはかとなくもの悲しくてしかたがない。

 

 

「仕方がないな。それじゃあ第二シフトへ移行といこうか」

 

「‥‥もしかしてそれ、洒落?」

 

「‥‥言うなよ。俺も今気づいたんだから‥‥」

 

 

 やや微妙な温度となった空気を強引に振り払うと、俺は英国紳士らしく―――純モンゴロイドだけど―――上品に遠坂嬢の手をとり、ひとまず定番のデートスポットへと歩き出した。

 流石は古い街と言うべきか、ロンドンは近代的に整備されていながらも東京とは異なり、あちらこちらに大英帝国の深い歴史が息づいている。

 教会や議会堂の類は言わずもがな、そこら辺のアパートだって下手すれば百年以上という代物だろう。現に俺が隠れ蓑用に調達してある安アパートだってちょっとしたアンティークだ。

 ぼーっと歩くだけでもデートの種には事欠かないが、やはり後ろの二人を焦らすためにはそれなりの行動をとる必要があるな。日頃振り回されている分、今日はこっちが振り回す側に回ってやるとするか。フフフフフ‥‥。

 

 

「ちょっと蒼崎君、あくまでこれは偽装デートなんだからね。下手なことしたら‥‥捻じ切るわよ」

 

「‥‥キモニメイジマス」

 

 

 と言っても俺に何ができるということもない。時計塔に来てからは食事や仕事ぐらいでしか外に出ていないわけだから、ロンドンの街の見所なんて地方の図書館にある何年も昔の観光ガイド以下だろう。

 故に知ってる限りの情報で衛宮を揺さぶるのに効果的な方策をとるべきだ。原作の知識に加えてこの二ヶ月ほどで知り得た様々な情報を加味すれば‥‥うん、おのずと取るべき手段は見えてくる。

 

 

「それにしても驚いたな」

 

「何がよ?」

 

「君にそんな恋する乙女のカオができたってことだよ。時計塔じゃ優等生のカオか、ルヴィアと乱闘してるときのカオぐらいしか見たことがないからね」

 

 

 実際こうして歩いていても遠坂嬢の東洋独特の美しさと西洋にも通じる彫りの深さを兼ね備えた美貌は、道行く人の何人かが振り返るほどだ。

 それは無論、普段の彼女であっても変わりはしない。だがいつも―――ルヴィアとの喧嘩で見せる顔ではなく―――の偶像(アイドル)的なものではない、自然な喜びの感情がにじみ出ている今の遠坂嬢の相貌といったら、それなりに美人を見慣れている俺でもドキリとするくらいだった。

 もちろんそれは俺が美人‥‥というより女性全般に弱いということもあるのかもしれないけど、やっぱり恋する乙女は無敵というのが古今東西の理なのだろう。色々と自制心のピンチだな、今日は。

 

 

「‥‥士郎ったら、いっつもいっつも他の女の子にばっかりデレデレしちゃって! 私がどんなに不安なのか分かっちゃいないのよ!」

 

「う~ん、実際問題として遠坂嬢はそういうコには見えないからなぁ‥‥。衛宮の思考を推測するに、に、よもや遠坂嬢が妬いてくれているなんて思いもしてないんじゃないかな」

 

 

 歩きながらもぶつぶつと恋人への不満を呪詛のように零し続けていた遠坂嬢が、苛々を抑え切れないかのようにがーっ! となかば咆哮のように叫び声を上げた。

 言っちゃなんだが、この二人はじつに不釣り合いな組み合わせだ。無論衛宮のあまりにも危うい内面やエロゲの主人公気質を完璧に兼ね備えたタラシっぷりとかを考えるとそうでもないのかもしれないけど、単純に外見だけを比較すれば十人に九人は『勿体ない!』と恨みのこもった怨嗟の声をあげるだろう。ちなみに残りの一人は自分もいずれとシンデレラストーリーを夢見ている阿呆だ。

 

 

「‥‥私だって分かってるのよ、士郎にそんな、女の子に粉かけてるつもりなんてないことぐらい。でもそういうのって理性じゃ納得できないところでしょ?」

 

「恋する乙女って複雑だねぇ」

 

 

 俺達はコペントハーゲンの露店が並ぶショッピングモールのような場所を歩いている。奇しくもここは以前ルヴィアと衛宮がデートしていた場所。視線を巡らせればあの時怒りに我を忘れた遠坂嬢がうっかり握り削ってしまった跡の残った赤煉瓦も見える。‥‥ばれなくてよかった。

 まぁ奇しくもとは言ったけどこれは俺のちょっとした小細工だ。衛宮が気づくかどうかはわからないけど、その隣にいるだろうセイバーは間違いなく気づくだろう。もしかしたらこっちの意図も察してくれるかもしれない。

 

 

「俺が思うに、君はもう少し普段から衛宮に甘えてみたらどうかな? 君たちの日常生活がどんなものなのかはわからないけど、衛宮だって男なんだから甘えられて悪い気はしないと思うよ」

 

「‥‥それが出来れば苦労しないのよ。私だってそれとなくアピールはしてるもの‥‥」

 

 

 苦虫をかみつぶしたかのように眉間に皺を寄せて呟いた遠坂嬢に、やれやれと俺は毎度のように溜息を零す以外ない。とりあえず思うのは、ツンデレって大変だねってことぐらいか。あと衛宮はもう救いようがないとか。

 

 さてさて、どちらにしても正直な話こちらとしてもそろそろ限界ぎりぎりめいっぱいというところ。なにしろ遠坂嬢は最初からノープランだし、俺としてはあんまり積極的な行動に出ると自分の理性が保たないのだから困ったもんだ。

 大体そもそも衛宮にこういうアプローチを仕掛けたところから間違いだったような気もするんだけど‥‥。うん、まぁ今さら言っても詮無いことか。

 

 

「で、実際問題これからどうするよ? 正直言ってもう限界よ?」

 

「うぅ、士郎の馬鹿、なんで乱入したりしてくれないのよ‥‥」

 

 

 そりゃムチャだ。衛宮はスキル朴念仁ランクAの所持者だし、前提条件として俺達は事情を知ってる人から見れば“デート未満のおでかけ”の域を脱していない。そりゃ道行く一般人の方々にはカップルに見えなくもないけど、衛宮だったら「ああ、なんか用事があって出かけてるんだな」くらいにしか思わないぞ、きっと。

 実際さっきからリアルタイムで確認してる二人の追跡者の様子から察するに、何か余程のことでもない限り乱入して来そうにない。まぁこうやってわざわざ追いかけてきたんだから、嫉妬ぐらいはしてるだろうけどね。

 つまりあの朴念仁にこれ以上の行動を起こさせるには、こっちも一歩踏み込んだモーションが必要になるわけで。手を繋いだぐらいじゃ反応しないんだからそれなりに覚悟決める必要があるわけで。

 

 

「う、しょうがないわね‥‥。じゃあ、その、キ、キスのフリぐらいならやっても良いわよ‥‥」

 

「君は俺に死ねと申すか」

 

 

 んなことしたら確実に憤死する。互いにドライな以上どこをどう間違っても勘違いなどするわけがないけど、俺にはとても耐えられそうにない。

 ‥‥と言っても、確かにそんぐらいする以外になさそうだなぁ。はぁ、なんで俺こんなこと引き受けちまったんだろうか。

 

 

「仕方ないな‥‥。いいかい、遠坂嬢。これはあくまでも、君の目にゴミが入ってないかどうかを確認するだけだからね」

 

「わかってるわよ! 少しでも不審なことしたらレバーにガンドぶち込むわよ!」

 

 

 

 

 まだ死にたくないから絶対にやりません。いやね、遠坂嬢も恐いには恐いんだけどなんかこう各方面から色々なとばっちり喰らいそうな気がするし。

 例えばさっきから使い魔の視界を介して見える光景。真剣な顔の衛宮の隣で殺気すら滲ませてるセイバーとか。

 どうも俺の方に向いてるわけじゃなさそうなんだけど、下手なことしたら間違いなく首と胴体がさやうならするというのは想像に難くない。

 

 

「よ、よし、それじゃあ‥‥」

 

「いいわよ―――」

 

 

 俺は許可を貰うとゆっくりと遠坂嬢の顔へと手を伸ばしていく。ちょうど辺りからは衛宮達がいるところを除いて死角になっているおあつらえむきの場所だ。

 俺も遠坂嬢も互いに互いと見つめ合っているようで、その実その瞳には有り得ないことに全く別の風景が写っている。使い魔と視界を共有しているからだ。

 最初は大きな定規一つ分もあった距離も徐々に近づいてきた。視界の中ではさすがに焦り始めてきたらしい衛宮が―――飛び出そうとするセイバーを必死に抑えていた。駄目だありゃ。

 

 

「遠坂嬢、作戦は失敗だ。今日はもう大人しく帰って―――」

 

 

 と、これ以上は色々危険と判断した俺が諦めて始めた動作を中断しようとした時だった。

 

 

「なっ、何?!」

 

「これは‥‥爆発音か!」

 

 

 突如賑やかだが穏やかに日常の時間が流れていた倫敦の街に爆音が鳴り響き、俺は咄嗟に遠坂嬢を庇って周囲の様子をさっと見回して確認する。

 そんな中、ほとんどの人が突然の出来事を把握できずパニックに陥っている状況で、何を嗅ぎ付けたのか力の限り引き絞られた弓から放たれる矢の如く、物陰から飛び出した一つの影が見えた。

 

 

「士郎?!」

 

 

 まだ英霊の域には遥かに及ばないにせよ常人よりは遥かに良い目が何を捉えたのか、赤銅色の髪をした少年はまるで何かに追い立てられた猫のように、人込みの間を華麗に縫って進んでいく。

 何を捉えたかだって? 決まってる。あの衛宮があんなに必死になることなんて決まってる。

 

 

「蒼崎君、士郎を追い掛けるわよ!」

 

「合点承知!」

 

 

 既にかつての主人を追って駆け出した剣の騎士に続き、俺も遠坂嬢の叫び声に引っ張られるようにして足を動かした。

 俺も、俺の二、三歩先を進み遠坂嬢も、衛宮が救いに行ってる人達が心配なんじゃあない。

 ではなぜこうまでして駆け出すのか? そんなの、こんな時の衛宮は当たり前のようにトンデモない無茶するからに決まってるからだろうが!

 

 

「セイバー! 士郎は?!」

 

「凜?! ‥‥今日何をしていたかは後できっちりと言い訳してもらいますが、とにかくシロウはあの中です!」

 

 

 少し走った先に一軒のアパートがあった。倫敦じゃどうってことない古びたアバートだ。当然ながらエレベーターはなく、そのくせ狭くて高いときた。

 ただ問題があるとすれば―――

 

 

「嬢ちゃんら! 危ねぇから下がってるんだ!」

 

「待って! 士郎は、士郎はあの中にいるの?!」

 

 

 夕飯の支度をしていたガスが爆発事故でも起こしたのか、アパートは上半分から景気よく真っ赤な炎を吹き出し、爆発の余波で芯骨でもやられたのかミシミシと悲鳴まであげていた。

 もともと古いアパートだ。ここまで派手に燃えては下手すれば倒壊の危険も十分にありえる。

 舞い散る火の粉は洒落じゃないくらいに熱く、やや離れているこちらにまでその牙を伸ばして吠えている。

 

 

「嬢ちゃんあの坊主の知り合いか?! あいつ、中に赤ん坊が取り残されてるって聞いた途端、こっちが止めるの聞かずに突っ込んぢまったんだ!」

 

「なんですって‥‥」

 

「あの馬鹿野郎が、こんな魔術要素のない猛火じゃ、一流の魔術師だってローストになるぞ!」

 

 

 魔術は決して万能ではない。例え身体強化を何重に施したとしても、これほどまでの火勢では熱と炎に耐えられても酸素がなくなって窒息死するというものだ。

 漫画や小説で主人公が火事の中から子供を助けるなんてのはありふれた話ではあるが、そもそもプロの消防士が手を出せないところに素人が行ったところで何になるというのか。

 言っちゃなんだが人間一人分薪をくべるだけだ。いくらなんでも無茶が過ぎるぞ衛宮!

 

 

(どうしよう‥‥氷結の宝石を―――)

 

(落ち着け遠坂嬢! こんなところで堂々と神秘を漏洩させるつもりか!)

 

(でも、このままじゃ士郎が!)

 

 

 普段冷静な彼女も久しぶりの魔術の関わらない窮地にすっかり動揺してしまっている。時計塔のお膝元たるロンドンでアパート一軒氷漬けにしたりすれば、俺達全員まとめて首括ることになる。

 さらに悪いことに、俺達がこうして喋っている間にも一向に火勢が衰える気配はない。消防隊も必死に放水してはいるが、まさに焼石に水。時間さえあれば鎮火も可能であろうが、衛宮が間に合うかどうか‥‥。

 ああ、既に突き出した構造のベランダも焼けて崩れ落ちて―――

 

 

「! 凜! あそこを!」

 

 

 今まさに崩れ落ちたばかりのベランダの奥、燃え盛る炎の奥にゆらりと人影が見えた。

 四六時中変わらない白のシャツに赤銅の髪の毛、あれは‥‥。

 

 

「坊主だ! さっきの坊主がいるぞ!」

 

「放水回せーっ! あそこを狙うんだ!」

 

 

 俺の隣で衛宮の無事に喜んだ遠坂嬢とセイバーも歓声をあげる。‥‥だが、まだだ。

 ベランダの箇所の火勢が強すぎる。あれでは外に出られまい。おおかた燃えやすいもの、ゴミか何かを置いといたんだろうけど‥‥ちくしょうが!

 

 

「ショー、あそこの炎がなくなればいいのですね?」

 

「え? あ、あぁ、まぁそうすれば衛宮の強化の魔術なら飛び降りられると思うけど‥‥」

 

「わかりました。凜、宝具の使用許可を」

 

「セイバー?!」

 

 

 俺の言葉に頷いた小柄な少女は、どこから見つけてきたのか錆びた鉄パイプを構えて遠坂嬢に振り向いた。

 宝具だって? まさかこんなところで聖剣(エクスカリバー)を使うつもりなのか?!

 

 

「私の風の鞘を解放し、あの炎を一時的に吹き飛ばします。多少制御は難しいですが‥‥やらずにシロウが焼け死ぬよりはマシなはず!」

 

 

 ‥‥確かに、セイバーの『風王結界(インビジブル・エア)』ならそれも可能だろう。あれならそこまで派手じゃないから一般人への秘匿も楽だし、なにより今は一刻を争う。

 

 

「それでいいわ。頼むわよセイバー!」

 

「今、弱くはあるけど人払いの結界を張った。思いきりやれ!

 

 

 拾った小石を四方に弾くと、即席で刻んだルーンが光って一時的に簡易の結界を形成する。

 なにぶん咄嗟のことだからそう長くは保たないけど、突風と同時に鉄パイプを振るうセイバーの姿は人々の視界から外れるはずだ。

 

 

「行きます! 風よ‥‥荒れ狂え!」

 

 

 脇の方から振り上げた鉄パイプに絡み付いていた風が、狙い違わず消防隊の放水を嘲笑うかのように燃え盛っていた炎へと食らいつき、圧倒的な威力で一瞬の内にそれを吹き飛ばした。

 もちろんアパート一軒を燃料にしているそれらは、すぐに欠けた部分を補うかのようにあたりから押し寄せてくるだろう。

 だが今はこれで十分。あの馬鹿野郎が通れるだけの時間を稼いでやればいい。

 

 

「うぉぉぉおおーーーっ!!」

 

 

 一瞬の隙を狙ってダイヴ、叫び声を上げながら飛び降りてくる。そして着地、消防隊が急いでマットを持ってこようとしていたが、しっかりと魔力で足腰を強化していたらしく怪我はないようだ。肉体派なだけはある。

 映画みたいな活躍に、周りの野次馬達もやや遅れて盛大な歓声をあげた。遠坂嬢とセイバーも俺をおしのけて衛宮に駆け寄り、二人の美少女に抱きつかれた罪な男を消防隊の賞賛半分お仕置き半分の折檻が襲う。ついでに助けた赤ん坊の意外にも若い母親からも熱烈な接吻をうけていたのはまさに役得と言うべきか。‥‥遠坂嬢とセイバーがやけによい笑顔をしていたのが気になるけど。

 

 

「やれやれ、さっきまでの苦労は一体何だったのやら‥‥」

 

 

 その日の夜は消防隊員達に招かれての盛大な宴会となった。

 身を挺して赤ん坊を救った身の程知らずの正義の味方への説教と、次いでどこに行っても必ず女の影がつきまとうこれでもかと言う程に面倒な恋人を持ってしまった遠坂嬢による折檻が大半ではあったが‥‥。

 

 

 

 27th act Fin.

 

 

 


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