UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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※『Arcadia』様にて改訂版を連載中です。そちらも併せてどうぞ!
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第二話 『漂着者の災難』

 

 

「いやー、このピッツァってばすっごく美味しいわねー! アメリカにも似たようなモノはあるけど、あっちはピッツァっていうよりもピザなのよね。なんていうか、すっごくチープなの」

 

 

 私は基本的に何処に定住するということもなく世界中をぐるぐると好き勝手に漫遊している。行き先はそれこそ気分任せで規則性はない。

 食べたいものを思い付いたらすぐさま本場まで飛んでいくし、観たいものを思い付いても同じ。一応きちんと無駄なく世界を一周するようには気をつけてるけど、それでもやっぱりインスピレーションとかそういうのが優先されるのだ。

 ちなみに飛行機とかの交通機関を使う時の料金は協会が勝手に出してくれる。魔法使いの特権というよりは、私が何時何処にいるのか把握しておきたいのだろう。

 もっとも、辛抱堪んない時とかは空間の繋がりをを“壊して”移動すればいいから監視されているというわけじゃない。どちらかといえば居場所の確認じゃなくて存在証明なのかもね。

 

 

「あの手の大量生産とココの手作りを比べたりしたら店の人は怒っちゃうよ? こっちは伝統料理? みたいなものなんだし、吉○家の定食と老舗のランチを比べるようなもんだって」

 

「あら、それぐらい美味しいって言ってるわけだから逆に喜ぶわよ。それが客商売、職人魂ってもんでしょ。紫遙は本当に細かくてどうでもいいことばっかり気にするわねー?」

 

「青子姉のやたらめったら前向きな思考には負けるよ‥‥」

 

 

 とはいえそれも大体十年ぐらい前までの話。とある雨の夜に姉貴が男の子を拾って来てから私を取り巻くごくごく僅かな状況は一変してしまった。

 結構頻繁に日本に帰って来たり、らしくもない裏工作をしたり協会の仕事を引き受けるようになったりと色々あったけど、一番はやっぱり姉貴と少しばかりでも仲直りしたこと、そして義弟を可愛がるようになったことかしら。

 この店だって去年、何かあった時はすぐさま時計塔に戻れるように欧州を中心に旅をしていた時に見つけた店で、死都を討滅した帰りに急にピザが食べたくなったから、わざわざ諦め顔で溜息をつく紫遙を引きずってやってきたのだ。

 

 

「私が過剰にプラス思考だって言うなら紫遙は異常にマイナス思考よ。悪い方に悪い方に考えちゃうんだから、いっつも溜息ばかりついちゃって‥‥。知ってる? 溜息つくと幸せが砕け散っちゃうのよ?」

 

「逃げちゃう、の間違いなんじゃないの?」

 

「何言ってんの。逃げるだけなら追い掛けていって首根っこ引っ掴んで無理矢理捕まえればいいじゃない。それなら簡単だし、世間は甘くないって訓話にはならないわ」

 

「そう思えるのは青子姉か橙子姉だけだってば」

 

「あ、ほらまたマイナス思考! 教育的指導よ!」

 

 

 目の前でちびちびと男らしくない食べ方でピッツァをかじる義弟の前でくるくると腕を回し、勢いよく人差し指を突き付ける。

 案の定面白そうだからという理由で食事のマナーらしいマナーは全て教え込んだ紫遙は渋い顔をしていた。多分突き付けられた右手でフォークを握っていたからだろう。この店はパスタも美味い。

 

 

「はぁー、どうして私と姉貴が育ててこんな神経質な性格になっちゃったのかしらね? 別にそんな教育施したつもりなんて全然なかったんだけど」

 

「いや、どっちかっていうと俺を育てたの橙子姉だから。青子姉はたま〜に来て好き放題ちょっかい出したり遊びに連れて行ったり拉致したりしただけじゃないか。少なくとも教育らしい教育受けたことはないよ」

 

「ほ〜う、そんな生意気なこと言うのはこの口か、この口かー?」

 

「ひはいひはいひはい」

 

 

 両頬を摘んで引っ張ってやれば怨みがましげな顔でこっちを見るけど、決して力ずくに振り払ったりはしない。

 というよりも、この子は基本的に私達の言いつけに逆らったことがないのだ。不平不満を零すことは程々にあるけど、最後には必ずお願いを聞いてくれる。

 それはとても嬉しいことだけど、同時に少しばかり寂しくもある。だって紫遙は私達のお願いは聞いてくれても、自分からのお願い事は中々してくれないからだ。

 これは不満だ。楽しくないし無下に扱われている気がする。この世はどんな些細なことでもギブアンドテイクで成立っているわけだし、テイクだけじゃなくてギブにもそれなりのメリットがあるのだから。

 

 

「‥‥はぁ、貴方が動揺してるの、私が気づいてないとでも思っていたの?」

 

「ッ!」

 

「ホラ、その顔。遠坂さん達に会った後の貴方、努めて意識してないときはいつもその顔してるわよ」

 

 

 私の言葉に紫遙はびくりと肩を震わせて、手にしていたピッツァを皿の上に取り落とした。

 とはいっても純粋に予期せぬ奇襲に驚いただけでダメージがあったわけではないらしく、すぐさま気を取り直して形の崩れてしまったピッツァを取り上げる。

 

 

「‥‥動揺してるわね。予想外だった?」

 

「青子姉に言い当てられたことが?」

 

「馬鹿ね、それこそ当たり前のことに決まってるじゃない。紫遙のことは紫遙以上に理解してあげてるつもりなんだからね。‥‥だから私が言いたいのはそっちじゃなくて、“遠坂さん達に会って自分が動揺した”のが予想外だったでしょってことよ」

 

 

 そう私が言うと義弟は不満そうに眉をひそめる‥‥が、どこか嬉しそうな空気も纏っているのが何とも健気で可愛らしい。

 私、というより姉貴がこの子を拾った時は大体小学校1、2年生といったところ。大小様々な傷だらけで姉貴の治療を受ける姿はこれ以上ないぐらいに痛ましく、私の琴線を直撃した。

 もちろんそれだけで義弟にするくらい惚れ込んだわけじゃないし、どちらかといえば庇護欲に近くて遠いような奇妙な感情だったから形容しがたいわね。

 もちろん紫遙が持っていた記憶には激しく興味を惹かれた。色々と考えるところがなかったわけじゃない。でも紫遙を義弟にしようと最初に言い出したのは姉貴の方だった。

 気まぐれな性分がある姉貴にしてもそんなことをするなんて全然思い付かなかったから、あの時は私らしくもなく随分と動揺したものだけど‥‥。

 

 

「‥‥結構きっぱり、決別できてたつもりだったんだけどね」

 

「思い違いなんてよくある話よ。本能が発達してる動物だって失敗するのよ? 余計なモン付きまくってる人間なんだから見誤っちゃうのも仕方がないじゃない」

 

 

 ちまちまとピッツァを食べる手を止めて、紫遙が深刻な色を主に皺の寄った眉間に滲ませてぽつりと呟く。毎度のように悲観主義な考えに囚われてしまっているらしい。

 

 

「どんなに忘れようとしたって、過去は絶対に消えてくれないわ。だって記憶は魂に刻まれるものなんだから、忘れたつもりでも必ず魂に残っている」

 

 

 記憶という分野については、社会の表裏を問わず様々な研究が為されている。表の社会では主に脳の働きに注目して、裏の社会―――つまり魔術師達―――は魂や精神に注目して。

 そして表の社会では一部の研究者によって、既に“記憶を完全に失くしてしまうことはない”という論文が発表されている。勿論これは一般的な考えとは言えないかもしれないけど、私達魔術師に極めて近い考え方だ。

 記憶は魂に刻まれる。そして魂は輪廻し、相応の手段以外で失われることはない。しかるに魂に干渉する手段を編み出したアカシャの蛇に比する力を持ったモノでなければ、精神を介した僅かな干渉以上は許されない。

 俗に言う暗示の魔術だって、記憶を上から塗り潰したり埋めたりしてるだけなのだ。魂の輪廻に確立した自己(ロア)というを載せる術式を編み出した彼の蛇は正しく天才ってヤツよね。

 

 

「それにね、所詮人間なんて世界に比べればちっぽけな存在に過ぎないんだから、人間一人の認識なんて頼りないものよ。

 ましてや貴方はまだ二十年ちょっとしか生きてないんだから、いくら完璧に見切りをつけたって思っても、十中八九勘違いって思った方がいいわ」

 

「‥‥それじゃ結局どうしようもないんじゃないか。俺が何を考えたって思い違いだなんて言うなら、正解なんてありゃしない」

 

「あら、別にそんなことないわよ」

 

 

 何が不満か膨れっ面をしてみせる紫遙に、グラスに注がれた炭酸水を一息に飲み干して身を乗り出した。

 この国で食事する時には水の代わりに無糖の炭酸水を飲む場合が多い。別にれっきとした大人なんだからビールでも良いのかもしれないけど、なんとなく義弟を連れて真っ昼間から酒を飲む気にはならなかったのだ。

 もちろん紫遙もいつの間にか二十歳になってしまったことだし、別に一緒に飲みに行かないってことはないんだけどねー。まぁそれも暇があったら、気分がノッたらだし。

 

 

「結論をね、自分勝手に無理矢理決めようってするから間違えちゃうのよ。

 難しい話になるかもしれないけど、コレ!っていう機会はいつか必ずやってくるわ。その時まで問題としっかり向き合って、いざって時にしっかりと殴り合えるように心構えをしっかりしておきなさい」

 

「漠然としてるなぁ‥‥」

 

「そんなものよ。あとはまぁ、その時になったら自分をしっかり信用してあげることぐらいね。矛盾してるみたいだけど、それが正しいかどうかはおいといて、最後に後悔したくないなら自分でしっかり決めなきゃならないんだもの」

 

 

 言葉遊びにも似たいい加減な答―――と思われてることだろう―――に、それでも生真面目な義弟は律儀に難しい顔をして考えこむ。

 こういうところが年をとっても可愛いところではある。最初から高校生ぐらいだったんだと言われてしまえば確かにその通りなんだけど、それでも年下ってのは変わりないしね。だいたい精神ってのは肉体に引きずられがちな要素なんだし、紫遙もしばらく小学校に通ってたら精神年齢下がったもの。

 

 

「まぁアレね、結局のところ貴方は決してその記憶からは逃げられない。だから―――」

 

 

 テーブルに乗り出して私よりも背が伸びて、十分に大人の男に成長した義弟の頭を撫でてやる。紫遙は驚いた後に眉をしかめてみせたけど、それでも私の手を振り払ったりはしない。

 ん~、ホントにこういうところは昔から変わらないわね。多少依存度が強すぎるようなところは危惧してるけど、まぁ分別のつく大人なのは確かだから大丈夫でしょう。

 もちろん子供みたいな可愛らしさじゃないんだけどね。こういうのってやっぱり母性愛に近いものがあるのかしら? ‥‥うん、なんか負けた気がするから姉心ってことにしておこう。

 

 

「―――強くなりなさい、紫遙。誰かを倒すための強さでもなく、誰かを守るための強さでもなく、自分を守る強さこそが貴方に必要なんだから。貴方の場合、それが結局は周りを守ることにも繋がるのよ。

 だから技よりも体よりも力よりも、なにより心を磨いて強くなりなさい。何にも心揺らがない強さを、何にも心乱されない強さを、何にも心挫けない強さを身につけなさい」

 

 

 この子の秘めているモノは何よりも危険なものだ。この子だけではなく私や姉貴や伽藍の洞の連中、のみならず下手すればこの世界そのものを滅びに導きかねない厄介な代物だ。もしかしたら紫遙の存在そのものが第六法なんじゃないかって思ってしまうぐらいに。

 この子が望んで背負ったわけじゃない、なんてわけじゃない。そもそもそんな議論は意味がないし、強いて言うなら本当に神様の気まぐれなのかも、としか言いようがないわね。

 だって運が良いとか悪いとか、そういうことじゃないんだもの。そういうのは紫遙自身も含めて、誰にだって判断できることじゃないと思うのよ。

 紫遙がこの世界に来なかったら、そもそも私達とは出会わなかった。紫遙にこの記憶が無かったら、そもそも姉貴や私も義弟にしようとは思わなかった。

 

 ‥‥うん、やっぱり運が良いとか悪いとか、そういう話じゃないわね。

 多分、きっと、ただ単純に、あまり好きな言葉ではないつもりなんだけど、

 これも多分きっと、運命(Fate)の一頁に記された物語の欠片だったに違いないんだ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「あぁ、今日も平和だなぁ‥‥。死者もいないし死徒もいない。ましてや人を切り刻んで実験材料に使おうなんて封印指定の魔術師もいないし。やっぱり平和が一番だよ、落ち着いて研究と勉学に励むことが出来るのはすばらしいことだってば」

 

 

 青子姉に拉致されてアフリカに発生した死都の浄化に旅立ってから早二週間。

 分刻みで命の危険とランデヴーという貴重で素晴らしい体験をしたけれど、なんとか親玉を青子姉が探し出し、それこそ流星雨のように降り注ぐ魔力弾によって殲滅することで倒して生還できた。

 え? 親玉の始末はお前じゃなかったのかって? あはは、寝言は寝ながら言ってほしいもんだよ 。

 何度も言ったけど、俺はもともと戦闘向きの魔術師じゃない。誰かさん達の様にガンドを連射できるわけでもなければ、二十七の剣を射出したりできるわけでもない。

 敵さんの攻撃を凌ぐだけならともかく、倒せなんて無理難題も良いところだ。

 だから俺は始終死者の駆逐と防衛戦闘、それに精々横からちまちまと支援に努めていたし、青子姉もそこまで俺に要求してはいないだろう。

 

 ‥‥多分、青子姉がやりたいのは、戦闘の雰囲気とかを俺に味合わせるためなんじゃないかなと俺は考えている。

 橙子姉と二人して俺が型月作品の舞台に介入しないように縛り付けはしたけれど、いつ俺が厄介毎に首をつっこむ、もしくは巻き込まれるかはわからない。だからこうして特訓の意味合いも兼ねて連れ回してるんじゃないかな。

 まぁ、一人で只々死者に向かってスターマインをぶっ放しているのがつまらないから、遊び相手として連れて行ったという可能性もかなり高いんだけど。

 

 

「さて‥‥久しぶりの授業だけど、どこまで進んでるかな? 別に他人の評価なんて気にした覚えなんかないけど、俺がサボると蒼崎の名前に傷が付くしなぁ‥‥」

 

 

 別段鉱石学科で大成しようとか思っちゃいないけど、知識は蓄えておくに越したことはない。そして何より言葉にしたとおり、俺の行動如何では義姉達にも色々と迷惑をかけかねない。

 

 現在魔術協会をとりまく“蒼崎”という名前には、目立たないながらもそれなりに面倒で複雑な事情がついて回っている。

 まず筆頭は第五の魔法使いであるミス・ブルーこと蒼崎青子。最初に問題が起こったのは、この破天荒な魔法使いが協会を脱けると一悶着起こしたことにあった。

 そして次にミス・ブルーが心変わりをして脱退を取り下げる条件に持ちだしたのが、一人の魔術師の時計塔への推薦と、同じく蒼崎の名字を持つ封印指定の人形師への執行凍結である。

 しかも同時にその封印指定の方から協会へと電話越しながらも接触があって、更に第五の魔法使いと同じ人物を時計塔に推薦したというのだから問題は更に混乱の一途を辿ることになった。

 

 まぁつまりはその推薦された魔術師というのが俺、蒼崎紫遙であり、立て続いた蒼崎関連のゴタゴタに時計塔はそれからしばらく大荒れの様相を呈することになる。

 あまりにもいろんな厄介事が一度に起こりすぎたのだ。あるいは義姉達もそれを狙っていたのかもしれないけど、結局は第五の魔法使いを協会に繋ぎ止めておくという只それだけのために殆ど全ての要求が受理されることとなった。

 なにしろ協会に魔法使いが在籍しているというのはそれだけで他にいくつかある魔術関連の組織に対する箔のようなものになる。現存する魔法使いの残り二人のうち片方が行方知れずで、もう片方も好き勝手で所在が全く知れないとなれば当然のことでもあったのだ。

 結果として青の魔法使いと封印指定の人形師が目論んでいた最大の謀―――これはまた後々に気がついたことではあるんだけど―――である俺の時計塔入学は様々な波乱を巻き起こしながらも何とか完了して、今の俺はここにいる。

 

 

「ホント、橙子姉にも青子姉にも迷惑とか心配とか、そういうのかけてばっかだなぁ‥‥。早く義姉孝行出来るようにならないと借りてばっかりの借金まみれになっちゃうぞ」

 

 

 壁と天井の隙間から、地下浅いとは言えども全く分からない理屈で仄かに差し込んでくる陽の光に手を翳しながら、俺はこっそりと独り言と一緒に溜息を漏らした。

 それでも義姉達の気遣いが嬉しいことには違いないし、複雑な心境であるというのが本音なわけで、全くもって自分はどうやってこれから二人に恩を返せばいいのだろうか?

 そんな毎日毎日考えるようなことを頭の片隅で重いながら、俺は二週間ぶりの教室のドアに手をかけ、やや控えめに音を立てないように開けようとして―――

 

 

「ぶべらぁっ?!」

 

 

 突然飛んできた幾条ものガンドに直撃し、廊下の反対側まで吹き飛ばされて意識を失った。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

「―――ョウ、ショウ‥‥!」

 

「―――っと蒼崎君、大丈夫‥‥?」

 

 

 受け身をとることすら叶わず仰向けに倒れ込んだ俺の体の両側から、まるで天使が来たかのような美声で囁きかけてくれる誰かがいる。

 あれおかしいな、時計塔にいたはずだったのに目の前にお花畑が見える。日本人だから三途の川が見えるのかと思ったけど、どうやら人種ではなく土地で管轄が変わるらしい。

 嗚呼そうか、ここが俺の『全て遠き理想郷(アヴァロン)』だったんだな‥‥。

 まだ姿見えぬ天使達よ、今そちらに―――

 

 

「しっかりなさいなショウ!」

 

「ぶるぁぁああっ?!」

 

 

 柔道の試合でよくやるようなスマートな形ではなく、本当に一秒の猶予もない場合にしか許可されないような強烈な下段突きを鳩尾に喰らった俺は奇天烈な悲鳴と共に意識を覚醒させた。

 鈍い痛みを腹を押さえることで堪えながら追撃に気をつけて体を起こすと、目の前には見慣れた金色と青の人影と、見慣れないながらも違う形で記憶の中に存在する黒と赤の人影。

 双方確かに心配そうにこちらを見下ろしているけど、そのうち見慣れている方の人物は胸の前でしっかりと握り拳を作っている。

 うん、気付けという点では間違っていないこともないけど、明らかに問題があると思うよ、その起こし方は。ていうかついに打撃技まで習得(マスター)したんだ、ルヴィア。

 

 

「あぁ、ルヴィア、お早う、今日も過激だね‥‥」

 

「‥‥今回ばかりは弁解の言葉もありませんわ」

 

「ごめんなさいね、蒼崎君。巻き込んでしまって申し開きの言葉もないわ‥‥」

 

 

 話を聞けば、どうやら俺はあかいあくまときんのけものの喧嘩の真っ最中に講義室へと現れ、運悪く流れ弾(ガンド)に当たったそうな。

 なんでも入り口近くで争っていたため室内にいた生徒達は逃げ出そうにも逃げ出せず、教授は教壇の蔭でガタガタと震えていたんだそうで。

 本来なら教室の責任者たる教授が止めるべきなんだろうけど、残念なことに鉱石学科担当のこの教授、鉱石魔術に関する造詣は深いんだけどいかんせん実力行使が苦手な魔術師なのだ。溢れる資質に任せてガンドと宝石の魔弾を撃ち合うこの二人に対抗するのはちと無理があるだろう。

 ‥‥ていうか、会ってからたった二週間で鉱石学科半壊なのか、この二人は。そりゃ最高に相性悪いってのは知ってたけどさ‥‥。

 

 

「それというのもこのいけすかない女が私に突っ掛かってくるから‥‥! ミス・トオサカ、よくも私の友人に手を出しましたわね!」

 

「あら、それにはちょっと異論を呈せざるを得ませんわね。私の方ばかり悪し様に仰いますけど、貴女のガンドがあたったんじゃありませんこと? ミス・エーデルフェルト‥‥!」

 

 

 気がつけば二人は被害者であるところ俺――被害者で合ってるよね? 合ってるよね?――を放っぽり出して魔術刻印を輝かせ始めている。

 あまり家系の積み重ねた歴史の深くない遠坂嬢は左手のみなのに対して、ルヴィアの方は両腕にしっかりとエーデルフェルトが長い歴史の中で積み重ねてきた成果である魔術刻印がしっかりと刻まれて光を放っていた。

 最高級の魔術書である魔術刻印は確かに大事ではあるけれど、それ自体が魔術師の力量を決定するわけではない。あれはあくまで外部容量に過ぎず、それを活用する実力自体は魔術師個人に左右されるというわけ。

 当然のことながら遠坂嬢とルヴィアの力量は拮抗しており、量が少ないがために光の強さでは負けていても、遠坂嬢の放つ殺気というか威圧感というかは全くルヴィアに劣っていない。

 ちなみにさして対魔力の高くない俺は豪雨のようなガンドを無効化できず、今だに体を動かすことができないわけで、問題はそのガンド合戦がまたもや俺を挟んで行われようとしているということだ。

 

 

「ちょっと二人共落ち着き―――」

 

「「覚悟っ!!」」

 

「―――なよってウボァァアアアアアーーーー?!!」

 

 

 本日二度目の魔弾の嵐に巻き込まれ、俺は再び意識を闇の底へと沈めるはめになった。

 とりあえず一言。

 頼むから被害者を放っておかないで。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「‥‥あの、その、だ、大丈夫ですか? ショウ」

 

「‥‥今回は流石に死に目を見たよ」

 

 

 気がつくと、俺は時計塔の医務室のベッドの中にいて、思わず『知らない天井だ』なんて名台詞を吐く暇もなく心底反省したかのようなルヴィアの声に出迎えられた。

 結局あの後再燃した二人の喧嘩に巻き込まれ、鉱石学科の講義室は半壊してしまったらしい。‥‥もっとも、八割方使用不可の状況は決して半壊などとは言わないのだけど。

 

 申し訳なさそうに頭を下げるルヴィアに気にしないように言うと、俺は節々がまるで軋んでいるかのような鈍い痛みを放つ体を無理矢理起こし、彼女が購買で買ってきた紅茶を貰うと一口啜る。

 残念なことに元々からして研究者志望だった俺は別段義姉達に体罰じみた理不尽な修行を強要されはしなかったので、ギャグ補正や無敵肉体といったものには終ぞご縁がない。

 故に決して体も人並み程度にしか頑丈ではないわけで、当然ながら紅茶を口から喉へ飲み下すという簡単な動作を行うだけで体の節々がひどく痛んだ。

 もっとも二人の放ったガンドは呪いというよりは物理的な威力の方を重視して放たれていたらしく、しかもなんだかんだで手加減していたらしいからこの痛みもすぐに和らぐだろう。これが魔術回路にダメージを追ってたりしたら無駄に頑丈な衛宮と違って大問題だったところだけどね。

 

 ちなみにさっきは医務室と言いはしたけど、ここの正式名称は生物学科の実験――実習ではない――室だ。

あまり長居すれば怪我人に飢えている生徒達によって適当な診断をでっちあげられ、恰好の被験者(モルモット)にされてしまうことだろう。

 なにしろこの生物学科、人体のみならず捕獲できる生き物という生き物を研究対象にしているわけなんだけど、その研究風景は魔術師であろうと心の弱い者なら卒倒してしまうという程のものである。

 もし研究対象にする隙があったら相手が魔法使いだろうと神様だろうと容赦はしないに違いない。‥‥早く出なきゃな。

 

 

「はぁ、それにしても一体どうしたんだい? 講義中に喧嘩なんて君らしくもない」

 

「‥‥ちょっとした意見の食い違いですわ。新しい魔具に使う宝石の種類について見解が分かれまして」

 

 

 俺が立ち上がって寝ていたベッドを綺麗に直し、髪の毛やらをうっかり残してしまったりしていないか念入りに調べる中、ルヴィアは何か不快なことでも思い出したのか、ぎしりと骨の音まで響かせて拳を握りこむ。

 その様子はそれなりに長い付き合いの俺ですら今だかつて見たことがない程の強烈な感情に満ちていて、多分俺じゃなかったら全力でこの場から逃げ出していることだろう。てか俺も逃げたい。

 

 

「あの女、『やたらと高い宝石ばかり使えばいいというものではありませんのよ? ミス・エーデルフェルト。まぁお金持ちなんてのは有り余るお金に物を言わせる魔術しか知らないのでしょうけど』なんてふざけた台詞を‥‥! あんなもの適切な宝石があるのに貧乏で使えないミス・トオサカのひがみですわ!」

 

「残念ながら宝石魔術は専門外だから、コメントは控えさせてもらうよ‥‥」

 

「そういう中庸というよりは無難な態度は日本人(ジャパニーズ)の悪い癖だと思うのですが、いかがかしら?」

 

「余計に事を荒立てたくないんだよ。誰だって平和が一番さ、そうだろ?」

 

 

 ミシミシと音をたてて手の中のスチール缶が軋む。またストレス解消のトレーニング量増やしたな、この肉体言語使いは。

 今にも全身から闘気を吹き出しそうな程の怒気を振り撒くルヴィアを宥め、俺はぶちまけられた中身がドレスを汚す前に彼女からコーヒーをとりあげると、ベッドから起き上って手近なゴミ箱の中に放り捨てた。もちろんしっかりと唾液は拭ってある。

 どうも存外長い時間気絶していたらしく、脇の机に畳んで置かれていたジャケットの中の懐中時計を確認すると、針は既にティータイムを指していた。

 

 

「まぁ旧知の仲としてはどちらかといえば是非にも君の方を応援したいところではあるけれど‥‥それにしても大したコだな、遠坂嬢は」

 

「‥‥なにがですの?」

 

 

 ジャケットを羽織ってルヴィアと共に医務室を後にした俺は、常のように俺の一歩前を堂々と歩く友人に声をかけた。

 昼をとうに過ぎた学舎では既に他の授業が始まっている。俺達二人はカリキュラムのかねあいから今日のこの時間帯はフリーだけど、もともとあまり人が来ることのないこのフロアに俺達以外の人影はいない。

 というか時計塔はあまり特徴のない一般的な講義室以外は学科毎に細かくテリトリーが設定してあり、他学科の者は滅多に他所の学科のテリトリーに侵入したりしないのだ。うっかり侵入したが最後、何をされるか分かったもんじゃないし。

 特に教授連の研究室がある深部のフロアに生徒が侵入することは殆どない。それこそ正にその場所に居を構えている俺とか、そこに出入りすることの多いルヴィアを除いて。

 

 

「いやなに、初めて会ってからたった二週間で、君の被った猫を見事に剥がしてしまったことについてだよ」

 

「なっ―――?!」

 

 

 ルヴィアは図星だったのか突然タイルの隙間に足を引っかけ、真っ赤な顔で振り向いて俺を睨み付ける。

 はは、そういう顔すると君も年相応だなってうわなにをするやめ―――

 

 

「貴方はそういうデリカシーに欠けることばかり言うから、ご婦人にモテないんですのよ? ショウ」

 

「いや今のは明らかに君の照れ隠し‥‥イエ、ナンデモアリマセン」

 

 

 再び笑顔で人差し指を銃口に見立てて構えるきんのけものに、俺は冷や汗をだらだらと流しながら首をちぎれんばかりに左右に振った。

 どうも今までに比べて沸点が低くなっているようだ。その分さっきからずっと表情が柔らかいんだけど、もしかしたら今まで溜め込んでいたストレスを毎日一気に吐き出しているからかもしれない。

 

 ‥‥それもそうか。彼女は時計塔に来てからコッチ、ずっと猫を被り続け、自分を鎧で覆い、外敵から身を守ってきたのだ。

 初めて会った時の彼女はそれこそ数多いる魔術師の中でも一際輝いていたが、同時に鋭い刺を幾本も回りに張り巡らせているかのようだったから。

 

 

「時間もちょうどいいことですし、お茶にしませんこと? 私もお昼はとっていませんの」

 

「そうだったのか? 悪いな、付き合わせてしまって。‥‥あれ? そういえば遠坂嬢は?」

 

 

 義姉達に遠野や聖杯戦争に関わらないよう強く言い含められていた俺は、たった一人放り込まれた時計塔で今更ながら孤独感を覚えた。

 伽藍の洞での生活は色んな意味で孤独とは無縁で、小説のキャラクター達と一緒にいるという感覚はアノあらゆる観念から企画外の義姉達の調教(きょういく)で完全に払拭されてしまっていたから問題はなかったけど、たった一人になってしまえば言葉では言い表すことのできない拒絶感があちらこちらから俺のことを潰しにかかってくる。

 

 そんな状態で、俺は例えその人物がアノ世界のキーパーソンであったとしても、『少しでも知っている人といたい』という切迫した感情からルヴィアに声をかけることを選択した。

 ‥‥結果的にこうして親しく友達付き合いができたことはまさに僥倖と言うより他ない。付録として様々な厄介を背負い込むことになったとしてもだ。

 

 

「ミス・トオサカはどうしても外せない用事があるとかで帰ってしまいましたわ。まぁ、しきりに貴方へ謝っておいてほしいと私にすら頭を下げていましたから、よしとしますけど」

 

「それ、他ならぬ君が言うか‥‥?」

 

 

 俺がまた歩みを再開すると、ルヴィアもまたいつもの位置へと早足で戻っていく。

 ああ、念のために言っておくけど俺と彼女の間に色っぽい話は一切ない。毛ほどもない。

 重ねて、これは決しては前振りとか伏線とかでもないことも明言しておく。

 もちろん俺はどっかの殺人貴や英霊予備軍のように鈍感及び朴念仁のスキルは所持していないから、これは間違いないことだ。

 ていうか想像できない。俺とルヴィアが恋仲になっているところなんて。

 あくまで俺達の関係は友人。それ以上でも、以下でもない。

 

 

「さてと、よかったらお勧めのカフェがあるんだけど、お茶はそこでどうかな?ミス・エーデルフェルト」

 

「ふふ、レディに対するお誘いとしては三十点といったところかしら。まぁ、いいでしょう。行きましょうか、ミスタ・アオザキ」

 

 

 幸い夕方まで授業はない。ていうか教室があの様では、もしかしたらこの先暫く講義はないかもしれない。

とりあえず怒られるのは俺ではないし、彼女が怒られるにしても街に繰り出してしまえば帰ってくるまで連絡はないであろう。

 昔っから厄介事に遭うことがやけに多い俺は、それに対抗する手段を終ぞ見出せなかった代わりに、面倒がすぐ眼前に待ちかまえていても、それとの遭遇に抵抗することを諦めたり、先延ばしにしたり、許容することができるスキルを身につけることに成功している。

 だから今回もまた同じで、避けられない面倒ならせめて先送りにしてしまいたいのも人情だろう。結局そうやって、まるで目の前の厄介事から目を逸らすように俺とルヴィアは足速に時計塔を後にしたのだった。

 

 

 

 

 3rd act Fin.

 

 


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