UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第三十話 『伽藍堂の新人』

 

 

 side Sakura Matou only

 

 

 

「‥‥よし、そこまでだ」

 

 

 師匠である橙子さんの言葉に、私は足下から伸ばしていた影の中に出していた人間大の使い魔を沈め、元の大きさへと戻した。自分の感情の負の面を使って構成される拒絶の意志、相手を害するという意志の現れ。陰性の魔術であるこれが今の私に使える一番の魔術。

 魔力をかなり消費したために全身を気怠さがおそうけれど、以前、間桐の家に居たときの修練に比べれば遙かにマシ。もちろん橙子さんの修行は厳しく容赦がないけれど、自分の意志で魔術を習っているという今の状況が私に力を与えているような気がしてならない。

 お爺様によって体中に埋め込まれた刻印蟲は、長い間常時私の魔力を吸い取っていた。それらはまだ私の体の中にいるけれど、それを操るお爺様が消えてしまった以上、必然的に間桐の後継者として教育を受けていた私へと支配権は移り、魔力の収奪は行われていない。

 橙子さん曰く、もともと一流の魔術師並みにあった私の魔力は、刻印蟲に吸われ続けた結果抵抗してさらにその量を増やし、魔力だけなら時計塔の一部門の長にも勝っているということだ。

 もちろん間桐の後継者としての教育を中心に修行を受けていた私が使える魔術は極めて偏っていて、まずはそれを矯正して基本的な魔術を身につけるために毎日自主練習と橙子さんの厳しい指導に、私は夜は夢もみないぐらいぐっすりと眠る毎日を過ごしていた。

 

「ふん、影の操作は大分マシになったな。これならじきに次のステップに進めるだろう」

 

「次のステップ、ですか?」

 

「ああ。マキリお得意の、蟲の操作さ。おまえにとっては嫌な記憶かもしれんが、これは習得しておくに越したことはないぞ。なにしろ便利で、類がない」

 

 

 私がバンダナの人‥‥蒼崎紫遙さんの残したメモを元にここ、工房・伽藍の洞を訪れたのはあれから一週間ほど経ってからのことだった。

 あの後あの人たちが帰ってしまってから、私は目を覚ました藤村先生が彼らが来る前後の記憶をしっかりと失くしているのを確認すると、家に帰ってまずは家の中を隅から隅までお爺様が居ないかどうか探し回った。」

 心臓にお爺様がいないことはしっかりとわかっていたけれど、あの蟲の翁がそう簡単に消えてしまうとはとても思えなくて、休日なのをいいことに一日中家中をかけずり回って大嫌いだったはずの祖父の姿を探し求めたのだ。

 そして本当に、一匹の蟲の気配も確認できないことを悟ったとき、思わず私はそのまま床にへたりこんで暫く涙をこぼしているのを、ようやく涙が止まってからわかった

 。とても長い間私を苦しめていた存在が消え失せて、今までずっと体のあちらこちらに絡みつくように私を縛っていたお爺様の気配が本当に失くなっていて、もう具体的な感情が何も浮かばなくなっていて‥‥。

 

 

「次来るときは間桐の家から何か魔術書の類を持ってこい。やはりその家の資料がないことには効率的な指導ができないからな」

 

「わかりました。書庫を探してみます」

 

 

 落ち着いた私がまずしたことは、県外の大学に進学していた兄さんに連絡をとること。休日だから下宿にいるかどうかはわからなかったけど、幸い携帯電話を持っていたので連絡は簡単についた。兄さんもまさか私から電話してくるとは思ってなかったのだろう、わずかに1コールの間に受話器をとったみたいだった。

 体調や勉強の様子を気遣うおきまりの挨拶の後、私がゆっくりと、静かに、「お爺様が死にました」と伝えると、兄さんはたっぷり一分ぐらいは絶句した後、震える声で「それは本当か?」と聞いてきた。それはまるで肉親が死んだことを警察から告げられて、それでもそれを信じられずに半ば笑いながら問い返す家族のような声だったけど、その中に込められていた感情はおそらく同様にほとんど無色。

 兄さんにとってもお爺様は恐怖の権化だった。あれは何百年も生きるマキリの蛆蟲、表面上は好々爺を装っては居たけれど、魔術回路を持って生まれることができなかった兄さんを度々無能とののしっていたからだ。

 

 そして翌日、目を覚ました私の前にはものすごい形相の兄さんがいた。

 「桜、爺さんが死んだってのは本当か?」「心臓の本体はどうした?」「一体何があったのか最初から全部教えろ」と手に持った荷物を床に捨てて早口で捲し立てる兄さんをひとまず居間へと連れて行って、私は寝間着も着替えないままで事の顛末を説明した。

 完全にお爺様が消滅してしまったのを何度も何度も互いに可能性をつぶし合って確認すると、出来うる限り急いで帰ってきた疲労からか、兄さんは何も言わずに自室へと戻っていき、そのまま夜まで篭り続け、出てきた時には何か憑き物がとれたような、まるで私が間桐の家に来た当時の、ううん、そのとき以上に狂気の失せた顔をしていて、真剣な調子で私に言った。

 

『桜、これでもう間桐の当主は僕かお前かどちらかだ。魔術回路のない僕ではマキリの魔術は継げない。お前は、どうするつもりなんだ?』

 

 そう、兄さんには魔術師になることができない。魔術師に必須の魔術回路がなく、魔術に代用できる超能力も備えていない兄さんでは間桐を継ぐことができないのは、感情論以前の問題として事実明快。

 だからこそ私が遠坂から養子として呼ばれ、その私に嫉妬して自分の状況に絶望した兄さんは‥‥。兄さんにとってもお爺様は魂を締め上げる幾本もの荒縄だったのだ。

 そんな兄さんがあの時に冷静にこれからについて話を出来たということに私はまず驚いたけど、後から考えれば当然だったのかもしれない。お爺様がいなくなった以上、魔術師になれなかったとしても間桐の家に誇りを持っている兄さんには、家が潰れてしまうということが許せなかったんだろう。

 だから今までの色んなしがらみを捨て、私に問うた。家を継ぐつもりがあるのかどうか。

 冷静であったにしても、それがどんなに屈辱的な思いだったのか、それは兄さんが自室にこもってしまっていた時間からも察することができる。

 ‥‥私は、「暫く時間をください」と言って今度は自分が部屋へとこもってしまった。

 

 思い返すのはバンダナの人の言葉。私があれだけ苦痛を我慢して身につけた業を、つらい思い出として捨て去ってしまう機会が目の前に転がっている。

 思い出したくもない苦痛と陵辱の日々。何度も死にたいと思って、でも臆病な私は死ぬことができずに我慢するという安易な道を選んだ。

 人に褒められるようなことじゃない。私にとってはその方が楽で簡単なことだったというだけ。それでも長い間の我慢は実を結び、私は今、魔術師として自立できる機会もまた平等に与えられている。

 ‥‥先輩なら、なんてい言うだろうか。つらい思いをしてきたんだから、もう楽になってもいいよと言ってくれるのかもしれない。

 ‥‥そこまで考えた私の脳裏をよぎったのは、いつでも自信満々な輝く姉さんの姿。先輩を連れて言ってしまった、たった一人の肉親の影。

 私はいつでも姉さんを追いかけて、同時に顔を背け続けていた。きっと私たちは一番近いから一番遠くて、いわばそれはコインの表と裏、陽と陰の関係みたいなもの。姉さんの光はまぶしすぎて、私はずっとそちらを向けずにいたのだ。

 魔術を学び続けて間桐を継ぐというのは、目の前を歩いていってしまった姉さんの後を追っていくことに他ならない。私の受けた修行は極端だったから、今の私は正当な修練を積んだ姉さんの足下に及ばない。でも、ふと気づいた。前を歩く姉さんのすぐ隣を、先輩も歩いていることに。

 我慢、と言ったけれど、それは逃げていたと同義。全てを後ろ向きに受け止め、受動的に過ごしていた毎日。そんなことで、これから私はどうするのか?

 

『兄さん‥‥。私は、間桐を継ぎます』

 

 だからその日の夕飯の後、私はおそらく人世で最大の決断をして、兄さんにその旨を伝えた。逃げてばかりじゃ追っかけることだってままならない。

 姉さんと一緒にどんどん先へ行ってしまう先輩を、追いかけるためにはまずは最初に同じハイウェイに乗ることが必須条件。

 私の今まで、私のこれから。あれほど嫌った蟲に塗れた過去を、これからも繰り返していくことになるかもしれない。蟲で蟲を洗うような日々になるかもしれない。でも私はもう、逃げたくない。先輩や姉さんが進んでいくのを日陰で見ているのは嫌だ。私も、あの人達に追いすがりたい。

 そんな私に何を思ったのだろうか、兄さんはしばらく黙った後、ふっと、私が兄さんを怒らせたあのとき以来一度も見たことがない微笑を浮かべて言った。

 

『‥‥そうか、そうだよな。お前はもともとそのために遠坂から貰われてきたんだから、間桐を継ぐのは当然なんだよ』

 

 色々な感情が混ざり合って中和して、そして結局いろんなものが晴れた、そんな顔だった。

 兄さんは私が淹れた紅茶を飲むと「それで、これからどうするつもりなんだ?」と前置きもなしにこの先の方針を尋ねてきた。何しろ戸籍上は祖父となっている人が死んでしまい、つまるところ遺産相続やらなにやら非情に面倒な手続きをこなさなければならないのだ。いくら魔術師だからってそういうことについては俗世間の決まりを守らなければならない部分もある。

 もう何年ぶりかになるくらい二人で長い間話し合いをした結果、とりあえず遺産相続やお爺様については捜索願を出しておいて後回し。後は魔術関係に通じている嘱託の弁護士に依頼するという形で、私は紫遙さんがおいていってくれたメモを元に師匠となる人物を訪ねることにする。

 兄さんは大学があるから忙しいけど、週に一度はわざわざこっちに戻って手助けしてやると言っていた。その態度はいつも通りの斜に構えた嫌味なものだったけど、積極的に私と関わろうとしているというのは今までの兄さんでは考えられないこと‥‥ううん、きっと昔に戻ったんだ。昔の兄さんは優しかった。私がマキリの魔術を継いでいることを知る前の兄さんは優しかったから。

 

『お前は魔術の修行だけに集中してろよ。トロいんだから、あっちこっち手を出したら全部まとめて失敗するに決まってるんだからな。そういうのは長男の僕の仕事なんだから、愚図のお前になんか任せられるか』

 

 大約するとこんなカンジだった。そういうところばかり兄さんらしくて思わず口だけで笑ってしまい、当然だけどまた怒られて、まるで普通の兄妹みたいなやりとりがおかしくてまた笑う。一緒に涙も零れそうになったけど、なんとか堪えて席を立った。まずはメモにあった番号に電話して、連絡をとるために。

 

 

「あら桜、今日の修行は終わったの?」

 

「はい。次はまた来週ですね」

 

 

 地下の修行場に使っているスペースからあがってくると、姉弟子である黒桐鮮花さんがコーヒーを飲みながら魔術書を読んでいた。この人は本来魔術回路が無いから魔術師にはなれないけど、先天的に発火だけは素質があったらしく、他の魔術の知識を習得して擬似的に魔術に近いことができるという異能者だ。以前橙子さんに言われて模擬戦のようなものをしてみたときには、出す影出す影一つ残らず燃やし尽くされて吃驚してしまったことがある。

 本来魔術要素は尽く飲み込める私の影も、圧倒的な火力を前に力負けしてしまったらしい。戦いも始めてなら理屈上はおかしいはずの事象を目の前に突きつけられるのも初めてで、私がどれだけ偏った修行をさせられていたのか思い知らされてしまった。

 

 

「貴女も頑張るわねぇ‥‥。愛しの先輩に追いつくためとはいえ、毎週毎週こっちまでわざわざ通いに来るなんて、頭が下がるわ」

 

「そ、そんなわけじゃ‥‥」

 

「嘘言っちゃ駄目よ。姉弟子に虚言を吐くなんてもってのほか!」

 

 

 思わず朱くなってしまった顔を隠すために簡易キッチンへと行って自分と、続いてあがってくるはずの橙子さんの分のコーヒーを用意する。確かに先輩や姉さんに追いつこうと思ってはいるけど‥‥そう面と向かって言われると恥ずかしい。それにきっと、先輩は気づいてくれないし‥‥。

 

 

「何て言うんだったかしら、そういうどうしようもない男の人のこと」

 

「確か‥‥愚鈍、ではなかったかと」

 

 

 魔術書をめくる手を止めて考え込んだ鮮花さんの言葉に答えたのは、休日だというのにわざわざ学校から来ているためにカソックみたいな制服姿の長い黒髪の少女。こちらも同様に超能力者で、退魔四家の一つである浅神の人間である浅上藤乃さん。二人とも同じ歳なんだけど何となく敬語を使ってしまうのは、あまり友人付き合いというものをしたことがない私の習い性のようなもので、さんざん訂正するように言われていても未だに馴染めない。

 藤乃さんの超能力は『歪曲』というものらしい。まだお目にかかったことはないのだけれど、視界に入ったもの全てを凶げてしまうことができる能力だとか。以前同じ事務所に入り浸っている式さん―――名字で呼ばれるのは嫌いだとのことで、名前で呼ぶように言われた―――と一悶着あった際に『千里眼』まで会得したらしく、相手にもよるけどこの事務所の戦闘能力が高すぎる件の一端を担っている。

 

 

「でも、そういうの私は良いと思いますよ。旅だってしまった想い人を追うために頑張る後輩‥‥ロマンチックですよね」

 

「藤乃‥‥幹也は渡さないわよ?」

 

「‥‥なんのことかしら、鮮花?」

 

 

 見えない花火が二人の間でバチバチと鳴る。話題に上っている黒桐幹也という人は先輩みたいに何人も女性を惚れさせているとかいう人で、先輩をさらに優しくして角を丸めたような接しやすい男性だった。

 ‥‥でも確か幹也さんは式さんと婚約していたはずで、そもそも鮮花さんは幹也さんとは実の兄妹‥‥。ああ、ちょっと私もドキドキしてきちゃいました。

 ちなみにあの二人は知らないことだけど、幹也さんと式さんは今日は二人っきりで遊園地にデートに行っているはず。千葉デスティニーランドだとか。ばれたら間違いなく血を‥‥いえ、灰とか、凶がっちゃったナニカとかを見そうだから黙っておくけど。

 

 

「あの二人は放っておいていいわよ、桜さん。私にもコーヒーを頂けるかしら?」

 

「あ、はい。どうぞ橙子さん」

 

 

 と、私の後ろからさっきまで修行を受けていたときとは一転、優しいお姉さんといった風の橙子さんの声がした。この人は眼鏡の有る無しで意図的に人格をスイッチできるというトンデモな特技(?)を持っていて、魔術関係以外では眼鏡をかけているためにとても優しい。‥‥でもその微笑みの中にも一抹の黒さを感じ取れるのは、私が曲がっているからなのかしら?

 

 

「似たもの同士だからかもしれないわね。とにかく今日はお疲れ様。疲れてるだろうし、もう少し休んでから帰りなさい?」

 

「はい。ありがとうございました」

 

 

 私が|伽藍の洞(ココ)に来ているのは毎週末。三年生になって部活を引退したとはいえ、平日には学校に通わなければいけないからそれが限界だった。そもそも毎週東京に新幹線と在来線を乗り継いで通ってきているというのもすごいと鮮花さん達にも言われたけど、本来魔術を学ぼうとするのだから彼女みたいに毎日入り浸ってというのが好ましい状態。それを考えれば今の頻度でもまだ少ないと言える。

 でも私はこうしてゆっくりと進んでいくしかない。まるで芋蟲のようにゆっくりと、それでも着実に進んでいこう。

 来客用というより片方はもう私用になりつつあるソファに座ってカップを傾けてそんなことを考えながら、私は机の向こうで静かに火花を散らし続けている同僚兼友人のやりとりを眺める。よくよく考えればこうして喧噪のような日常の中に身を置くのも随分と久しぶりのような気がした。

 学校でも引っ込み思案が災いして友人らしい友人を作れなかった私が、マキリのしがらみからのがれて自分の意志で魔術を学んでいることを含めて、変ろうと想えばいくらでも人生なんてものは変わるものだと、歳に似合わないと言えば似合わないため息を感慨と共にはき出した。

 

 先輩、先輩は今、何をしていますか?

 私はこうして、ゆっくりだけど確実に歩いています。回り道をしてしまったけど、歩いたという事実だけは変わらないから、こうして歩き続けています。

 いつか貴方の前に、胸を張って会いに行くことができるように‥‥。

 

 

 

 31th act Fin.

 

 

 


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