UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第三十六話 『復讐鬼の哄笑』

 

 

 

 

 side Ciel

 

 

 

「‥‥なるほど、配置はこれで大丈夫でしょう。では予定通りに」

 

「了解しました」

 

 

 オストローデにほど近い小さな街で、私は先行して彼の街に潜伏していた諜報員と接触し、死徒討伐の手はずの確認をしていました。

 上から下まで黒いスーツを着込んだその年配の教会員から受け取った書類をザッと確認すると、私はこの街を中心として待機している他の教会員にも予定通りに作戦を進めるように伝えることを命じると、周囲に張っていた簡単な人払いの結界を解除して目立たないように解散しました。

 あの街に潜んでいる死徒が作り上げた死者や使い魔が近いとはいえ離れた街まで来るというのはあまり考えられないことではありましたが、念には念を入れるべきですし、あまり不審な行動をしていては地元の警察から職務質問をされてしまうかもしれないからです。

 もちろん聖堂教会埋葬機関所属という裏の肩書き以外にも、正式にバチカンから認可発行された司祭としての身分証も所持してはいますが、如何せん私の外見で司祭というのは些か無理がある。只のコスプレ、身分詐称と判断されて交番まで連れて行かれかけたのも一度や二度ではありません。まぁそういうときは暗示でごまかすわけですが。

 

 

「やぁ、連絡は終わったみたいだね。どうだった?」

 

「―――ッ! ‥‥と、蒼崎君でしたか。よく私がここにいると分かりましたね」

 

「暇になったもんで何気なく街を散策していたら、あからさまに怪しい黒服が歩いていたんでさ。後を尾けてみたら、ね。悪気はなかったんだ。すまない」

 

「いえ、他人に気どられるような行動をしていた彼が未熟だっただけのことです。気にしないで下さい」

 

 

 先んじて姿を消した諜報員からしっかりと時間をとって路地裏から出た私は突然背後からかけられた声に素早く振り返りましたが、そこにいたのは誠実そうな人の良い微笑を浮かべた蒼崎君でした。ホテルで一旦は解散したはずですが、あまり広くない部屋にいるのに飽きて外出したのでしょう。

 着古した軍用の横流しと見て取れるジャケットのポケットに手を入れた彼はおもむろによれよれになってしまった煙草の箱を取り出すと一本くわえ、人の目がないのをいいことに指を弾いて魔術で火を点けました。

 ‥‥なるほど、街一つ分離れているとはいえこの辺りまで噂は届いているのですね。陽が沈み始めた裏通りには通行人の影が見当たりません。これなら諜報員(かれ)が悪目立ちしてしまったのも仕方がないことでしょう。

 ‥‥しかし中々にキツイ香りですね、彼が吸っている煙草は。

 

 

「行きの電車では吸っていませんでしたよね?」

 

「これはゲン担ぎみたいなもんだよ。面倒な仕事の前にはコレを一服するのが癖っていうか習慣でさ。‥‥まぁ結構クルものがあるんだけど」

 

 

 そう言った彼は次の瞬間盛大に咳込み、まだ半分も減っていない煙草の火を消すと携帯灰皿にしまい込みます。なんでも上の姉の真似だそうで、普段は殆ど嗜まないのだとか。

 ‥‥そういえば彼の姉は封印指定の人形師である蒼崎橙子と、言わずと知れたミス・ブルーでしたね。遠野君のことを聞いてみるべきでしょうか? いえ、それは想像と現実のギャップを思い知ってしまうだけですね。なにしろ“あの”ミス・ブルーですし。

 きっと幼い頃に遠野君が会った彼女は、少年の日が見た幻想とか妄想とか悪夢とか、そういうもので出来ていたに違いありません。わざわざ夢を汚すこともないでしょう。

 

 

「そういえば他の三人は何をなさっているのですか?」

 

「遠坂嬢は部屋で宝石の用意、衛宮も部屋で瞑想、セイバーはお小遣い貰って燃料補給(たべあるき)に行ってるみたいだね。人通りも少ないし彼女は探そうと思えばすぐ探せると思うけど?」

 

「いえ、別に用事があるわけではありませんから。‥‥それにしても電車の中でも思いましたが、彼女は本当に英霊ですか? いえ、魔力や保有している神秘から分かってはいるのですが」

 

 

 私は彼女に会って初めて英霊という存在と相対したわけですが、どうも、その、想像していたのとはずいぶんと違いましたね。

 代行者という現実的で冷静な判断力の求められる仕事についてはいるわけですが、私だって英雄と呼ばれる偉人達に関しては些か以上の憧憬のようなものを感じていました。日本ではあまりないようですが、幼い頃に寝物語として両親から様々な英雄譚や童話を読み聞かされ、その冒険や恋物語に心躍らせたものです。

 もちろん神秘の側へと入り込んで血生臭い任務に就いている以上余計な偶像や幻想を彼らに当て嵌める気は毛頭ありませんが、実際に目の前にして会話を交わしてみると彼女達も普通の人間と大差ないことがわかりました。セイバーさんがどのような英雄かは知りませんから一概に定義として当て嵌めてしまうには憚られますが、少々予想外だったところは否めませんね。

 

 

「ところで蒼崎君は対死徒戦の経験がありましたね? 連携などの関係があるので簡単に戦闘スタイルを教えてくれるとありがたいのですが」

 

 

 衛宮君と遠坂さんについてはホテルの部屋を案内したときに聞いたのですが、そこで諜報員からの連絡が入ってしまったので彼については聞かず終いでした。もっともあちらも大まかに衛宮君とセイバーさんが近距離戦で、遠坂さんが中距離戦ということぐらいしか伺っていないのですが。

 個人的にはやはり接近戦要員が少ないのが気になるところですか。特に遠坂さんはほぼ完全な砲台だということですから。

 

 

「ああ俺か。俺は遠隔操作型の魔術礼装を使った中距離〜遠距離戦闘が得意‥‥というか、それしか出来ないよ。あとは簡単なルーンかな」

 

「なるほど、ではやはり二手に別れるのが限界ですね。前衛の数が足りません」

 

「そうだね。俺も壁になってくれる人がいた方が安心できるかな。苦労かけてすまない」

 

 

 ふむ。ではまだ見習いで少々不安要素の多い衛宮君の方に多めに戦力を振り分けておくべきでしょうか。聖杯戦争で生き残ったということですから死者の掃討程度ならば問題はないでしょうが、その途中で大元の死徒に出会ってしまった時が心配ですからね。

 今回の任務ではとにかく短時間で効率よく死者を消していくことが重要です。もし一方が死徒と遭遇してしまった時でも私が到着するまでの時間稼ぎが出来れば良いわけですから、英霊(サーヴァント)同士の戦闘の経験がある彼らならばその程度は持ちこたえられると信じます。

 

 

「そうそう、出発は明日の昼ですので宜しくお願いします。明晩は徹夜になりますから、今夜の就寝は明日に備えて調整しておいて下さいね」

 

「わかった。じゃあ俺は宿に戻るけど‥‥君はどうするんだい?」

 

「私は仕事と準備があるので宿には戻りません。三人にもそのようにお伝え下さい」

 

「間違いなく伝えるよ。釈迦に説法かもしれないけど、気をつけてな」

 

「代行者に言う台詞ではありませんが‥‥お気遣いありがたく受け取っておきます。ではおやすみなさい」

 

  

 私が必要事項を伝えると、ひらひらと手を振ってから彼はこちらに背を向けて表通りへと去っていきました。

 さぁ、まだやらなければいけないことは沢山残っています。今日はもう一頑張りですね。建物の間から覗く、もうすっかり暗闇に染まってしまった夜空を見上げながら背筋を伸ばし、私は他の教会員達と連絡をとるために歩き出しました。

 夜食には温かいカレーが食べたいところですね。おいしいカレーさえあれば勇気百倍お腹一杯です。さてさて、この街においしい洋食屋さんがあるといいのですが―――

 

 

 

 

 

 

 

「ここが‥‥」

 

「そう、この街が現在死徒が巣くっているオストローデです」

 

 

 ロンドンを出発してから二日目の深夜。隣の街で十分に休憩して鋭気を養った俺達は一路目的地であるオストローデまでやって来ていた。

 地図によれば殆どが住宅地であり、役所や消防署や警察署などの官庁の部類は東の端に、スーパーマーケットをはじめとするライフライン―――と言うのは少し意味が違うような気がするけれど―――は西の端にそれぞれ位置している。夜遅い時間なのでそこにいる人達は僅か。大多数は明らかに都市設計の段階で意図的に据えられたと思しき中心部の住宅地へと帰っているはずだ。

 

 そして俺達は直接の街の外縁ではなく、そこを取り囲むようにして途切れ途切れに残っている中世の名残である城壁の残骸で待機していた。任務の開始直前まで出来得る限り死徒を刺激しないための策であり、また、聖堂教会の非戦闘員達がせっせと励んでいるのであろう工作が完成するのを待ってもいるのだ。

 

 

「皆さん、結界が作動しました! これで街の中にいる魔術回路を持たない人達は全員眠ってしまっているはずです。一般人を気にせず戦えますよ」

 

 

 街を囲んで作業をしていた教会員と電話で連絡をとっていたシエルがこちらを振り返って言う。夜間の外出は半ば禁止にされているから外を出歩いている奴もいないだろう。それに見つけたら保護すればいいだけだ。これで仕事が格段にやり易くなった。

 一般人の犠牲者は出来る限り控える。これは正義感とかそういうものではなく、裏と表をしっかりと分けるための境界線でありルールのようなものだ。例えばスポーツにおける禁止事項が決してスポーツマンシップに劣るというだけではなくゲーム進行を円滑に進めるためのものであるように、一般人に犠牲者を出さないほうが神秘の隠匿その他の面で好都合というわけ。

 もちろん俺だって何の罪もない人を巻き込んだりするのが楽しいわけはないし、いくら魔術師が利己主義の固まりだって言っても精神衛生ってのはあるわけで。別段全員が冷酷非道というわけじゃないよ。

 

  

「では聞いてください。今回の任務に限っては地道に死徒を探し出している暇はありません。今夜だけで全ての死者を滅し、いぶり出されて来た死徒を叩きます」

 

「分担は?」

 

「私、衛宮君、蒼崎君が街の東側を。遠坂さんとセイバーさんが西側を担当します。途中中央で一旦合流して、その後今度は担当地区を交代して穴を補完します。死徒に遭遇した際には‥‥」

 

「私と士郎にはレイラインが繋がってるわ。士郎を介して連絡をとりましょう」

 

「ではそのように」

 

 

 結界が作動したのを再度確認し、ちょうど中央を分断するように走っている大通りの端にある街の入口まで歩きながらブリーフィングを行う。

 どうも馬が合ったらしい遠坂嬢はいつの間にやらシエルへ敬語を使っていないけれど、まぁお互い気にしてないみたいだから問題ないんだろう。

 ‥‥しかしまぁ、完全装備のセイバーとカソック姿のシエル、こちらも防御礼装の一種である赤いコートを着た遠坂嬢と『魔弾の射手(デア・フライシュツ)』を収めたラックを肩に提げた俺に比べて、シャツ一枚であまつさえ手ぶらの衛宮の目立つこと目立つこと。シエルも控え目ながらも大丈夫なのかコイツって視線で見てるし。

 

 

「オホン、では二手に別れて始めましょう。お二人についてはあまり心配していませんが、一応初めての死者討伐なので十分に気をつけて下さいね」

 

「ヘマはしないわよ、任せてちょうだい」

 

「ではシロウ、ショー、シエル。また後ほど」

 

 

 街の入口とは言っても別に特別なものがあるわけではない。ただ道路標識の横に“オストローデ”と表記してあるだけだ。まぁ住宅地なんだからこんなもんだなのだろう。一応近くに数多点在している謎の廃墟を観光スポットにしてみようと言う企画を役所が進めているみたいだけれど、そもそもの都市設計と違うので上手く形になってはいないようだ。まぁこの仕事が終わったらブロッケン山の麓にあるという同じく正体不明のミステリースポットとして紹介されている古戦場でも訪ねてみようかと思う。

 

 さて、遠坂嬢とセイバーから別れた俺達は一先ずそこでそれぞれ東と西へ別れて死者の探索を始めた。こちらの手勢は俺と衛宮にシエル。未熟な前衛を二人でフォローする形だ。接近戦は形ぐらいにしか出来ない俺にとっては不安極まりないパーティーだけれども、下手に衛宮と遠坂嬢とか組ませて共倒れにさせるのもよくないもんな。

 あまり大きくない街ではあるけれど住宅地であるからして住人は多い。全体の割合で見れば少ないかもしれないけれど行方不明者は多い。死者になるにも適正というものがあるから全員が死者と化しているわけはあるまいが、それでも尋常ではない数を相手にしなければいけないだろう。

 死者は基本的に自立思考を行えず、判断もかなり曖昧で大雑把なものに過ぎない。動作は俊敏だが機敏ではなく、簡単に言えばロボットが速く動いているだけのようなもの。明確な戦闘意志をもって身体を動かしているわけではないからある程度の実力者ならば一般人でも対処するのは容易だ。

 そして防御や受け身といった行動を選択できないが故に脆いが、反面多少身体に欠損が生じても気にせず向かってくる。このあたりはゾンビ漫画やゲームとかと同じだ。つまり出来る限り一撃で行動不可能になるようなダメージを与え、なおかつ一歩たりとも止まらずに戦闘を続ける必要がある。一度始まってしまえばたちまちの内に囲まれて逃げることもできない。斃すか、斃されるかだ。

 

 

「衛宮君、昨日は接近戦が得意と聞きましたが手ぶらで大丈夫なのですか?」

 

「ああ、俺は投影魔術を使うんです。武器は自分で作ります」

 

「投影魔術‥‥? またマイナーな魔術の使い手なんですね―――! ‥‥二人とも、どうやらお出ましのようですよ」

 

 

 警戒しながらも世間話をしながら裏通りにあたるところを歩いていると、ふと先頭のシエルが足を止めて懐から両手にそれぞれ三本ずつ黒鍵を取り出して身構えた。取り出してから構えるまでにいつ刃が編まれたのかも分からない早業だ。ゲームや原作ではわからなかった何気ない仕草から実力の程が読み取れる。

 そして猛禽類の爪のように広がった黒鍵の間から見える路地の隙間から、ぞろぞろとこの街の住民達が姿を現した。細かいところまで制御しきれないのかゆらゆらと左右に身体を揺らし、半開きになった口からは腐臭が漏れ、こちらを見る瞳からは生気の欠片も感じられない。その人数およそ十数名。老若男女様々だが皆そろって生気を失っている。

 

 

「‥‥衛宮、躊躇するなよ。あれは既に死人、肉の塊に過ぎない。お前が仕損じれば後衛の俺達まで危険に晒されるんだからな」

 

「分かってる‥‥! 投影開始(トレース・オン)―――!」

 

 

 シエルの隣やや後方に進んだ衛宮が両手を横に突き出し、呪文を唱えると黒と白の二振りの双剣が姿を現した。突如現れたその夫婦剣に黒鍵を構えていたシエルが僅かに目を見張る。

 干将莫耶。並ではない神秘を秘めたそれは古代中国において希代の名工が妻の命を犠牲にして生み出された夫婦剣。宝具と呼ばれる幻想の集合であるそれを衛宮はいとも容易く自分のイメージだけで現代へと蘇らせたのだ。

 そして投影魔術、それが衛宮の使った魔術の名前だ。自分のイメージを元にして物体の鏡像を顕現させる魔術。しかし投影魔術という魔術自体が等価交換を逸脱しているために世界からの修正を受ける。通常それらは創り出された瞬間からまるで深海で物体が受ける水圧のように世界の圧力で拉げ、潰されて数分も保たない。労力に比して旨味が少なく非常にマイナーな魔術であり、時計塔でも基礎錬成講座で一時間程さらりと教わるというのが常だった。

 俺も橙子姉に教わって数度試したことがあるけれど、まるで穴の空いたバケツに水を溜めるかのような感触だった。イメージと魔力だけで物体を顕現させるという等価交換から片足はみ出たその魔術はあまりにもコストパフォーマンスが悪すぎる。しかも投影した安いマグカップを机から手に取った瞬間に脆くも崩れ去った。都合数秒も保たなかったのだ。ついでに言えば以前見たことのある魔術具を投影しようとしたけど形にすらならなかった。自分のイメージだけで投影を行うなんてどう考えても無理がある。

 

 しかし衛宮はいとも簡単にそれをやってみせた。通常の投影を知っている人間から見ればそれは尋常ではなく、少なくともソレに特化した魔術師なのだと判断するには十分に足る材料だ。

 確かに、何かに特化した魔術回路を持って生まれてきた魔術師というのはごく稀にだが存在する。例えば魔術回路は持っていないけれどウチの鮮花も燃やすことに関しては天性の才能をもっているし。異常ではあるけれど今のままならまだ特異で片付けられることだと思ったのか、戦闘中でもあることだ、シエルは気を取り直して前に視線を向けた。

 

 

「よし、突っ込め衛宮! 後ろは任された!」

 

「わかった! 行くぞ―――!」

 

「聖なるかな、我が代行は主の御心なり―――!」

 

 

 双剣を構えて衛宮が突撃し、その後ろから追うようにして放たれた都合六条の光がすぐに彼を追い抜いて手近な死者を串刺しにした。

 前衛を衛宮に任せて一歩退き、俺の隣に立ったシエルは間髪入れずに抜く手も見せぬ早業で再度六本の黒鍵を取り出すと一瞬の内に投擲、またも六体の死者を屠る。それは下手な拳銃よりも速く、下手な大砲よりも強い。拳銃の弾丸より遥かに大きな投擲物であるにも関わらず軌跡だけが目で追うことが出来る程の速さだ。投擲用の長剣は扱いが難しいはずなのにまるでダーツか何かのように次々と死者の頭や胴体へと命中、あまつさえ大きな風穴を空けて再び立ち上がることを許さない。

 一方眼前で黒と白の刃を振るう衛宮も負けてはいない。一年前までは殆ど素人だったとは思えない程の剣捌きで次々に触れる端から死者を斬り捨てていく。干将で防御、莫耶で攻撃。莫耶で防御、干将で攻撃。決して途切れる事なき剣の舞は段々と数を増しつつある亡者の群れを片端から大地へと還し、俺達のところへ一体たりとも寄らせない。

 そして良く見れば合間合間に両手に持った双剣を投擲し、わざわざ投影をし直している。おそらくはその特性を知られないようにするための遠坂嬢の入れ知恵なのではないかと思う。意外に色々考えているようだ。しかしまぁ面倒なことご苦労様だわな。

 

 

「さて、こりゃ俺も負けてはいられないな‥‥」

 

 

 家と家の間にちょうど人が一人寝そべることができる程度の広さで設けられた裏路地は狭く、肩に提げた自慢の礼装を使うことは出来ない。『魔弾の射手(デア・フライシュツ)』は特性上、ある程度の旋回半径か加速距離を与えられないと威力を発揮できないどころか、満足に操作することも適わなくなってしまうのだ。

 

 

「紫遙! 一匹行ったぞ!」

 

 

 しかるに今の俺は別の手段で戦闘を行うより他にない。ここになって漸く衛宮という壁を乗り越えた死者が一匹こちらへ駆けてくるのを見やる。

 向かってくるスーツを着た男に対して俺は腰に提げていた袋から一つ小石を取り出し、親指で弾くとそれが宙にある内に掴み取って、文字に秘められた神秘を爆発させる言葉と共に死者へ向かって投げつけた。

 

 

焔よ(アンサズ)―――!」

 

 

 あらかじめ呪と共にルーンを刻んでおいた小石。それは死者に当たると同時に弾けて焔を巻き上げ、たちまちの内に男を包むと燃やし尽くして灰と帰した。いつぞや小説の中で橙子姉が使っていた時には死人を燃やしきれなかった火のルーンも、事前にしっかり念入りに刻んでおいたものを使えばこの通りだ。というか即席であれだけの威力を出せた橙子姉がすごい。

 ダメージを受けて存在概念を保てなくなった死者は灰になってしまうから前衛として奮闘している衛宮が足下を気にする必要はない。強いて言うならシエルが投げつけた黒鍵の方が心配なのだけれど、鉄甲作用を付加してないにしてもあまりにも強力すぎるそれは建物の壁に突き刺さって刃を消滅させるので問題はないだろう。‥‥本当に中の人達寝てるんだろうな? 起きてきたりしたら洒落にならないぞ。

 

 

「衛宮君、蒼崎君、大丈夫ですか?」

 

「問題ありません、シエルさんこそ平気ですか?」

 

 

 新たに湧いて出てきた援軍を含めて三十数体を還した。シエルは久々の実戦で剣を振りっぱなしだったのが存外キツかったらしい衛宮を気遣うけれど、鍛え方が半端じゃないらしく当の本人はけろりとした顔だ。俺も後ろから討ち漏らした奴に小石をぶつけていただけだから大して消耗してないし、前哨戦としては中々のスコアじゃないかと思う。

 それにしても一体どこから連中は現れたのか。そう思ってふと辺りを見回すと、道の脇にあるマンホールの蓋が開いているのを発見した。なるほど、死者とて弱いながらも浄化の概念が籠もった太陽の光が苦手なのは同じ、昼間は下水道の中に隠れていたということか。おそらく地下は恐ろしい惨状と化していることだろう。この仕事が終わったら聖堂教会に清掃を依頼した方がよさそうだ。

 

 

「休んでいる暇はなさそうだぞ、衛宮、シエル。見ろ、団体さんのご到着だ」

 

 

 俺が指さした前方、そこにはまたもわらわらと湧いて出てきた数多の死者の姿があった。事前に調査していた内容からしてこの程度の筈はあるまいとは思ったけれど、ここまで際限なく用意されているとなると些か面倒に過ぎる。ルーン石の数にも限りがあるし、シエルの黒鍵も消耗品だ。後で回収できるとはいえ戦闘中にそれをやっている暇はないだろうし。

 

 

「そうですね、できれば広いところへと誘導して殲滅してしまいたいところです。‥‥確かもう少し進んだ先に東中央広場なる場所があったはずです。あの群れを突っ切り、そちらへ移動しましょう」

 

「了解した。よし、衛宮ファイトだ。この面子の中で突破力があるのはお前しかいない」

 

「‥‥なんか、いいように言われてるみたいで釈然としないぞ紫遙」

 

 

 憮然とした表情ながらも衛宮は頷くと一度は下ろした干将莫耶を顔の前で十字に構え、脚力を魔術で強化して突撃していく。俺とシエルも頷き合うと衛宮の背後をそれぞれ二分割するようにして守りながら後に付いていった。衛宮が斬り開き、シエルが穿つ。空いた穴を俺がルーンを爆発させて広げていき、俺達は次々と路地裏から湧いて出てくる死者達の軍勢を引きずるようにして東なのに中央という矛盾した名前を持つ広場へと駆けて行った。

 最初こそ死者の群れとは相対する形をとっていたから衛宮を壁にしていればよかったけれど、進むにつれて押し寄せるようにして瞬く間に囲まれてしまう。そうなってしまえば今度はシエルも本来は投擲用である黒鍵をまるで爪のように使って接近戦をこなす必要が出てくる。

 円を描くようにして先端に重心が寄った黒鍵を器用に使って死者を斬り裂いていく。その合間に俺も出し惜しみせずに―――遠坂嬢と違って元手がかからないし、広いところに出れば礼装が使えるから―――ルーン石を投げつけて援護した。どちらかといえば今足手まといになっているのは間違いなく俺で、早いこと広場へと出ないとジリ貧だ。

 そして群がる死者を尽く駆逐して何とか広場に辿りついた時だった。

 

 

「人影‥‥死者か?」

 

「いえ、違います。あの魔力は‥‥」

 

 

 さっきまで雲霞のごとく死者がひしめいていた路地とは一転、広場には中央に一人の男が立っているだけだった。

 否、シエルの言うとおり只の男ではない。その身長は二メートルに届こうかという巨躯で、体をすっぽりと黒いマントで覆い隠している。そして広場へと駆け込んできた俺達に気づいてこちらに向けた顔には、死徒の証である真っ赤に染まった二つの瞳が爛々と輝いていた。

 間違いない。奴こそが、この街で傍若無人に人間を喰らった死徒。この死者達の主。

 

 

「‥‥どうやら待ち伏せられていたようですね。我々の襲撃は知られていたわけですか」

 

「如何にも」

 

 

 俺達が広場に足を踏み入れた途端に追いすがっていた死者達は急にその歩みを止め、広場には入ってこない。つまり誘き寄せられた、こちらから攻めているようでその実向こうの掌で踊っていたとは。

 ざっと周囲を警戒する。俺達が入ってきた道に蠢く死者達以外に何者の気配もしない。隣の衛宮に目をやったが彼の解析能力をもってしても広場に罠の類を確認できないようだ。別に聞いているわけではないけれど、何かあったら言ってくるだろう。

 そこまで確認して俺は再度広場の中央に立つ男に視線を向けた。体はマントで覆われているために何かを隠し持っている可能性は高い。つばの広い帽子に隠れてよく顔が見えないけれど、白目まで真っ赤に染まった瞳の異様さが際だっている。身に帯びた魔力の量もあるところから決して若い死徒でもなさそうだ。

 

 

「貴様らの考えることなどお見通し‥‥と言いたいところだが、今回ばかりはちと違う。舞台はこちらで用意させてもらったぞ」

 

「用意‥‥? まさか、最初から俺達を誘き寄せるつもりだったって言うのか?!」

 

 

 横で衛宮が憤って怒声をあげる。男はクククとカンに触る笑い声をあげ、口元を歪めて首肯した。

 そこでふと気がついた。今まで何人かの死徒の討伐に同行したことがある俺だけれども、思い返せばその中でも今回と実によく似た依頼があったことに。

 教会や協会を憚らぬ大胆不敵な行動、呆れるほどに大量に作り上げた死者、そして白目までもが赤く染まった特徴的な瞳。‥‥ああ、いた。少々昔の話になるが一人、思えば声もそっくり同じ。

 

 

「まずは初見の者もいることだ。自己紹介をさせてもらおう。我が名はルードヴィヒ。ルードヴィヒ・フォン・デム・オストローデ。この地方一帯を治める吸血鬼だ」

 

 

 僅かな街灯の灯りも届かぬ広場の中央で、そう名乗りをあげた吸血鬼は更に口元を歪めるとこちらに向かって哄笑を放ったのだった―――。

 

 

 

 

 37th act Fin.

 

 

 

 




士郎がシエルの前で投影魔術を使っていますが、これに関しては少々以下のようにこじつけをしたいと思います。

まず士郎の投影の異常さの中で最たるものは『投影したものが世界の圧力に負けずに存在している』ということであるとします。
つまりシエルは『戦闘のためにわざわざ効率のよくない投影を使って一時的に武器を作り出している』と解釈したわけです。
宝具を投影できることも等価交換を無視した異常なことではあるのですが、干将莫耶は保有する神秘が少ないために一目で看破できなかったとさせて頂きます。
本来それが宝具なら一発でわかってしまうはずなのですが、『投影魔術で作り出した』ということが先入観になりました。

些か以上に無理があるのは承知していますが、円滑な進行のためにある程度つじつま合わせをさせていただきましたことをご了承下さい。

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