UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第三十八話 『贋作者の秘奥』

 

 

 

 side Ciel

 

 

 

 冗談ではない。

 子供達を入れた檻を前に嗤う吸血鬼の姿を目にした私が思ったのは、そんな簡潔な一言でした。

 理不尽に対する台詞ではありません。そのあまりにも人道を外れた行いにたいする怒りの発露。吸血鬼は人外ではありますが、普段あのあーぱー吸血鬼(アルクェイド)薄幸吸血鬼(弓塚さん)と接していたせいでしょうか、私も随分と温ま湯に浸かってしまっていたようですね。

 顔は奴に向けたまま横の方に視線を巡らせれば、あまりの怒りに衛宮君は凶相とすら言えるほどの表情を浮かべ、手に持った―――あろうことか投影したという―――見事な作りの双剣を割れんばかりに握りしめています。その横にいる蒼崎君も唇から血が出る程に強く歯を噛みしめ、あらん限りの憤りを視線に乗せて奴に向けて叩き付けていました。

 ‥‥魔術師というのは須く利己主義の塊であると思っていましたが、遠坂さんも含めて彼らは中々に好意のもてる性格をしていますね。今度また会う機会がありましたら特製のカレーでもご馳走したいものです。

 

 

「さて、どうする? 儂は今持っているストックを使い切ってしまえば此奴らを取り込むより他ないのう?」

 

「外道め‥‥」

 

「外道で結構。儂は何より貴様を殺したいのだよ、シヨウ・アオザキィ!」

 

 

 そこまで言うと奴は先程までは遊んでいたとでも言いたげな凄まじい速度で蒼崎君に向かって突進します。いけない! 彼は直接的な防御手段を持っていない―――っと、ふぅ、よかった。衛宮君が割り込んでくれましたか。

 とはいえ油断はできない状況ですね。私がぴくりと僅かに足を動かしただけでも奴はこちらに視線を向けますし、十メートルも離れていない間合いは死徒にとって無いも同じ。奴は一瞬でこちらに移動することができるでしょう。何よりあのままではいくら何でも衛宮君が保ちません。

 

 

「ちぃっ! よくもここまで小細工を弄してくれたものです!」

 

 

 言うや否や私は法衣から六本の黒鍵を取り出して片方の手に持った三本を投擲、続けてちょうど九十度程角度を変えて移動し、間髪入れずに今度はもう片方の手に持った三本を投擲します。‥‥いえ、防がない?! 奴は私の黒鍵をあろうことかそのまま受け、新たに一人の男性を胸からはき出しました。

 

 

「シエルさん待ってくれ!」

 

「わかっています! ‥‥これは予想以上に厄介ですね」

 

 

 その隙に転がるようにして脱出した衛宮君と蒼崎君と合流して体勢と作戦を立て直します。

 今一人吐きだしましたから残りは一人。その一人分の命を奪ってしまえば奴は背後にいる子供達を取り込むと先程宣言しました。今の様子から奴がその一人分の命を何の容赦もなく使い切ってしまうであろうことは明らか‥‥全くもって何たる外道か。許せませんね。

 

 

「見捨てるっていう選択肢は―――」

 

「んなことさせるか!」

 

「‥‥だよな。シエル、どうする?」

 

 

 蒼崎君の言葉に衛宮君が激しく反論し、私も含めて三人で歯軋りをしながら頭を回転させます。

 奴と檻との距離は数メートル。こちらの人数が多いとは言っても救出は困難を極めます。何しろ唯一の前衛である衛宮君では奴を足止めするまでは適わず、私達のいずれかが救出を試みている間にこちらへ来てしまうでしょう。

 では私が奴の相手をすればどうか? 答えはやはりNONですね。そもそも二人以上で挟み撃ちにしないと相手をしている方を放って檻の方へ行ってしまうでしょうし、直接的な防御手段がない蒼崎君では奴と相対できません。瞬く間に距離を詰められ、潰されてしまうでしょう。私と衛宮君の二人でもやはり衛宮君を突破して辿り着いてしまう。‥‥これでは完全な詰みの状態です。

 

 

「いけませんね、やはりあの子達を見殺しにするより他に―――」

 

「だから! そんなことはさせないって言ってるだろ?! ここは俺が時間を稼ぐ、その間に―――」

 

「無理だ、実力を考えろ。それならまだアイツと檻の間にお前が割り込んで盾になった方が幾分マシだ」

 

「じゃあそれで!」

 

「落ち着け馬鹿野郎! そんなことして誰が何の得をするってんだ。言っとくけど俺もむざむざ殺されてやるつもりはないぞ?」

 

 

 奴はにやにやと笑いながらこちらを見ています。出方を伺って楽しんでいるのでしょう、趣味の悪い!

 異端を殲滅するために手段を選ばないというのが埋葬機関のお題目ではありますが、子供達を見捨てるつもりがないのは私も同じです。ここはドイツ。プロテスタントの可能性が高いとはいえクリスチャンであろう彼らを犠牲にしたくない。あまつさえこの街では既に大勢が奴の犠牲になっています。出来る限りこれ以上の被害者を増やしたくないのです。

 ですが状況は熾烈を極めています。私とて自分の命は惜しい。悔しいところではありますが、これ以上いい策が思いつかなければ撤退して援軍を待つというのも考慮に入れる必要があるかもしれませんね。

 

 

「いいな、その表情。もっと絶望してくれたまえ! 力有る者が力無き者を蹂躙する‥‥この悦楽を味わいたくて儂は死徒になったのだからな!」

 

「てめえ‥‥何様のつもりだ! 子供の命を弄びやがって‥‥絶対許さねえぞ!」

 

「強者だよ、小僧。強者が法を敷き、弱者は蹂躙される。何かを主張したいなら強くなることだ。何かを守りたかったら強くなることだ。弱ければ蹂躙されるだけだぞ、今の貴様らのようにな」

 

 

 クハハハハと再度嗤い声をあげるルードヴィヒに衛宮君は思うところがあるのか先程よりも更に険しい顔をして睨みつけます。

 しかしどちらにしてもこのままではどうしようもありません。殺すわけにもいかず、退くわけにもいかない。本当にこのままではこの街を見捨てて撤退するより他に方法がないと判断する以外にありませんよ。

 

 

「せめて、奴とあの檻の間を何かで遮断できればいいのですが‥‥」

 

「遮断―――、そうか、その手があったか!」

 

「‥‥衛宮?」

 

 

 私の呟きに何かを見いだしたのか、突然衛宮君が叫び声を上げました。

 遮断。そう、奴を足止めすることが出来ないなら奴が檻へたどり着けないようにしてしまおうという逆の発想です。例えばアトラシアならエーテライトを使って網のようにしたかもしれませんし、秋葉さんも檻髪で同じようにしたでしょう。あーぱー吸血鬼も空想具現化を使って鎖を出現させることができますし、そもそも遠野君ならこのような事態になってしまう前に一刀両断できたに違い有りません。

 しかしこの面子の中では物理的にも魔術的にも奴と檻の間の空間を遮断ないし隔離することができる技能を所持している人はいないと思っていたのですが‥‥衛宮君にはそれができるというのでしょうか?

 

 

「‥‥二人とも、悪いけど三十秒‥‥いや、二十秒だけ時間を稼いでくれ。それと、ここで見たことは他言無用にすると約束して欲しい」

 

「‥‥非常に気になりますが、この状況を打開できるというのでしたら是非はありません。二十秒ですね? 承知しました。埋葬機関第七位の名にかけて、きっちり二十秒稼いで見せましょう」

 

「俺もとにかくコレをどうにかできるなら問題ない。衛宮、任せたぞ」

 

 

 真剣な顔で衛宮君がそう言ってこちらを見ます。その深刻な表情を察して私は頷くと黒鍵を構え、蒼崎君も同様に礼装を操るために両手を掲げました。

 正直な話、今の状況は完全に詰み。それを打開できる術を彼が持っているというのなら私としても了承以外の選択肢をとるつもりはありませんよ。幸いにして私は魔術師ではありませんからね、たとえ彼が封印指定級の何かをするのだとしてもさほど興味はないですし。

 どちらかと言えば、そんな衛宮君を気にするかと思った蒼崎君が一呼吸の内に頷いたことの方が意外でしたか。まぁ彼も随分と魔術師らしからぬお人好しのようですし、やはり今度カレーをご馳走したいですね。

 

 

「――― I am the bone of my sword 《体は剣で出来ている》」

 

「では行きますよっ!」

 

「Herauf, wabernde Lohe umlodre mir feuig den Fels 《揺らぐ焔よ燃え上がれ、この岩の周りに燃え上がれ》―――!」

 

 

 もう何度目かも分からぬ黒鍵の投擲に続いて、蒼崎君の操る礼装達が地面を削り、焔に包まれながら次々に奴へと襲いかかります。焔に込められた魔力はあまり多くはありませんが体に纏わりつくらしく、ヒュンヒュンと風斬り音も高らかに奴の周りを間断なく飛び回って動きを制限しています。

 

 

「Steel is my body and Fire is my blood 《血潮は鉄で心は硝子》」

 

 

 私の黒鍵を弾いた奴が咆哮をあげながらこちらへ突進していますが、そこを蒼崎君の礼装が足を掬って転がし、私は地面に伏した奴の頭を踏み砕く勢いで足蹴にすると飛び上がって、再度黒鍵による洗礼を受けさせました。

 そして一旦間合いをとった私達がちょうど両側に位置していることに気づいた奴は迷わず蒼崎君の方へと駆けていき、いつの間にか彼がばら捲いていたルーン石の爆発に見事に巻き込まれて踏鞴を踏みます。完全に無防備になった背中へと手に持った黒鍵で十字に斬り付け、今度は膝の裏に蹴りを入れて再び動きを制限しました。

 ‥‥順調に足止めを出来ているように見えますが、この間に衛宮君が檻へと救出に移行ものならすぐさま形振り構わず私たちを振り切って衛宮君を始末したことでしょう。これは私達が一見攻めているようでその実守勢に回っているからこそ成り立っている綱渡りに近い状況なのです。

 

 

焔よ(アンサズ)焔よ(ソウェル)! 来たれ神代の炎嵐(ハガラズ)! Wer meines Speeres Spitze furdhtet, durchschreite das Feuer nie 《我が槍の穂先を恐れるものは、この焔を超ゆることなかれ》―――!」

 

「I have created over athousand blades, Unware of loss Nor aware of gain 《幾たびの戦場を越えて不敗。ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし》」

 

 

 紫遙君は腰に括り付けた袋からルーン石を取り出すと放り投げ、激しく旋回する七つの魔弾の回転へと巻き込ませました。次いで魔弾の内部から同様のルーンの輝きが見え、それが天をも焦がすかという高い高い火柱になって奴を中へと閉じこめました。

 ですがこれもおそらく保って数秒未満、火の壁をかき分けるようにしてすぐさま見えた奴の腕目掛けて、私は全身を捻って鉄甲作用を付与した渾身の黒鍵を打ち込みます。

 

 

「Withstood pain to create many weapons, waiting for one`s arrival 《担い手はここに独り、剣の丘で鉄を鍛つ》」

 

 

 全ての黒鍵は急所を外してあります。奴が残った一つの命を使い切らないように注意しているのは蒼崎君も同様です。攻めきれず、守りに徹するような戦い方を知っているわけでもない。元々不死の体を持っていた私は守りの技術をあまり重視して会得しませんでしたし、蒼崎君の礼装も妨害ならともかく防御には向いていません。彼は身体強化も不得手のようですから奴の振り回す豪腕が当たれば一発で戦闘不能になるでしょう。

 もはや私は前衛に近い位置取りで戦っており、蒼崎君も中衛ぐらいの距離で手に持ったルーン石も織り交ぜて礼装を操っていました。奴の腕に埋め込まれた刃は既に何度か私達を掠り、無理に動いているために蒼崎君はあちらこちらに傷を負っています。戦い方を制限された状況での戦闘はキツく、私も彼も汗を流し、荒い息を零していました。中々に長いものですね、二十秒というのも‥‥!

 

 

「I have no regrets, this is the only path 《ならば、我が生涯に意味は不要ず》」

 

 

 そのとき急に後ろで何らかの詠唱、それも瞬間契約(テンカウント)に近い長大な呪文を唱えていた衛宮君の声がふと大きくなった気がしました。

 いえ、これは間違っていますね。それまで全然聞こえていなかった彼の声量が大きくなったわけではありません。ただ彼の言葉が、スッと突然響き渡るようになったのです。

 何にしてもこれだけは理解できました。彼の奥の手の完成、約束の二十秒はもうすぐなのだと。

 

 

「My whole life was 《この体は》―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――― "unlimited blade works" 《無限の剣で出来ていた》―――!」

 

 

 衛宮が最後の一節を唱え終わった直後、世界が塗り替えられた。

 衛宮の足下から奔った二条の炎が円を描き、まるで紙を焦がすかのように空を、大地を浸食していく。決して熱くはないはずなのに舞い上がった火の粉に俺もシエルもルドルフも思わず目をつむり、次の瞬間突然明るくなった視界に目を開けると‥‥。

 

 

「こ、これはまさか‥‥衛宮君が?!」

 

「何だ‥‥何なんだこれは?! ありえん、何故貴様のような小僧がこのような‥‥ッ!」

 

 

 剣。剣。剣。剣、剣、剣、剣、剣。

 ありとあらゆるところに、地平線の果てまで延々突き立っている数多の剣。西洋剣もある、中華剣もある、ねじ曲がった出自不明の剣や、絢爛豪華な意匠の施された長剣、只々斬ることを追求された無骨な日本刀もある。ところどころに槍や斧も突き立っていた。そして驚くべきことには、その中には確かに宝具だと断言できる武器達が数多存在していたのだ。そして、この世界には剣以外何も存在していない。

 見回せば三百六十度に広がる邪魔なものは何ひとつない赤茶けた大地。空は突き抜けるような蒼穹で、吹いてくる風はどこか寂しい香りを孕んでいる。さっきまで街灯もまばらな暗い広場に立っていたはずなのに、今の俺達はそことは全く別の違う世界に存在していた。

 

 

「無限の‥‥剣製‥‥」

 

 

 俺は思わず自分にだけ聞こえるぐらいの小さな声で呟いた。

 『固有結界(リアリティ・マーブル)』。本来は悪魔や妖精にのみ許された自らの心象世界によって現実をめくり返す異能。魔法に最も近い大魔術。世界にそれ一つきりしかない極み。

 知識には知っていたさ。固有結界という存在だけではなく、衛宮がそれを持っていることも知っていた。アチラに居たときにはその格好良さに憧れもしたし、友人はオリジナルの固有結界を考えることに夢中になっているなんて黒歴史に近い笑い話もあったさ。

 でもこうして実際に目の前にしてしまえば、その異様さに言葉もない。ましてや今の俺は魔術師だ。たとえ知っていたとしても納得もできない異常さがこの世界には溢れていた。

 ただ圧倒される。一人の人間が心の内に抱え込んでいた世界に取り囲まれている異様な感覚に。目の前に広がる圧倒的な神秘の顕現に魔術師として畏怖と嫉妬を隠し切れない。なにしろこれは『 』へと至ることができる手掛かりかもしれないのだ。

 この光景に羨望を抱かない魔術師などいない。自分では実現不可能な神秘を見せ付けられて嫉妬しない魔術師などいない。俺は自然と手足が震え、目を見開く。

 これが知られたら只じゃ済まないと衛宮に忠告した遠坂嬢の言葉も道理だ。知っていたはずの俺ですら、今すぐにでも衛宮の頭をかち割ってやりたいような気持ちに駆られているのだから。

 

 

「ご覧の通り、ここは俺の心象世界だ。たいしたことはない。ここにあるのは全てが贋作、とるにたらない偽物だ。けど‥‥これでお前はもう子供達には手を出せない!」

 

「ッ?! ‥‥おのれぇ、おのれおのれおのれぇぇええ!」

 

 

 堂々と屹立する剣の王国の統治者が静かに呟いた言葉にハッと奴の背後へと視線を移せば、そこには周りと同様にひたすら続く剣の地平線しか存在しなかった。衛宮の固有結界はちょうど奴を取り込むような形で展開され、奴の背後にあった檻は今現実世界へ取り残されているのだ。

 俺と同様目の前の異なる世界に呆然と立ちつくしていたシエルも、衛宮のその言葉に正気へ戻ると黒鍵を構え直す。いつまでもこの世界を見ていたい、というより是非とも色んな機器を持ち込んで様々な実験をしたいと思っていた俺も一つ残らず取り込まれていたらしい礼装が地に転がっているのを見て取ると、衛宮が創り出した世界に呆けていたがために一度コントロールを失ってしまっていたそれらを再度起動させた。

 おそらく今の衛宮は遠坂嬢と繋がったレイラインから魔力を汲み上げて固有結界を発動している。いくら彼女の魔力量が並の魔術師に比べて非常に大きいとは言え、サーヴァント一体に加えて固有結界の維持までやらされていては流石にその豊富な魔力もすぐに尽きることだろう。完全に俺の憶測になりはするけれど、おそらく保って一分、下手すればもっと早く遠坂嬢の魔力が尽きてしまうかもしれない。

 

 

「Ein dunkler Spiegelzeig ich daz Gesetz der Toten 《吾は暗き銃の中に死者の掟を示す》―――!」

 

「主よ、この不浄を浄めたまえ―――!」

 

 

 遠坂嬢の魔力を使っているのだろうけど衛宮の魔力回路に負担はかかっているらしい。固有結界を維持するだけで精一杯らしい衛宮は攻撃に参加できず、咆えたルドルフにシエルの黒鍵と『魔弾の射手(デア・フライシュツ)』が襲いかかった。

 七つの球体が定められたパターンで標的に襲いかかり、次いで刺さったシエルの黒鍵が燃え上がると奴が中に蓄えたもう一つの命のストックと共に奴を一度に燃やし尽くす。

 

 

「ぐぁぁああ‥‥まさか、まさかこのような‥‥! シヨウ・アオザキィィイイ!!」

 

「恨み言なら衛宮に言いな。ウチの鬼札(ジョーカー)はアイツだったんだからな」

 

 

 シエルの火葬式典により燃え上がった炎はたとえ水をかけたとしても消えることはない。彼女の膨大な魔力を注がれた黒鍵は骨にまで突き刺さり、一欠片も残さずルードヴィヒ・フォン・デム・オストローデは灰となって剣の葬列の果てへと吹いた風に流されていった。

 そして次の瞬間、魔力の供給が切れた固有結界は端からひび割れ崩れていく。その有様にまた一瞬目をつむった俺達の視界が戻った辺りには、剣の世界へ飲み込まれる前の暗く静かな広場だけが広がっていた。

 見れば奴が立っていた位置のちょうど後ろには子供達が傷一つ無く檻の中で眠っている。

 

 

「‥‥ふぅ、よかった。これなら簡単な記憶処理だけで済むでしょう」

 

「そうか‥‥」

 

 

 衛宮がフラフラになりながらもシエルの言葉に安堵の吐息を零す。幼い子供達に吸血鬼に掠われたことが精神的外傷(トラウマ)にならずに済んでよかった。シエルが出来ると言うのだから記憶が蘇ることもないだろう。

 そこで俺はふと周りを見回すと死者の姿が見えないことに気がついた。大本である死徒が死んでも死者は消えてなくなることはない。死者の役割とは彼らが吸血した生気の類を親の死徒へと送ることだけれど、死徒が死んだらそのラインが途切れるだけで彼らは本能のままに人を襲い続ける。実は死徒討伐において一番面倒なのが最初に死徒を見つけることと、死徒を斃した後の死者の掃討なのだ。何しろ連中も日の光が差している間は出てこないし。

 

 

「士郎ーッ!」

 

「シロウ! シロウ、無事でしたか?!」

 

 

 と、視線を向けた広場の入り口から遠坂嬢とセイバーが現れた。セイバーはともかく遠坂嬢はかなり疲労しているようで足下がおぼつかない。固有結界に相当魔力を吸われたに違いない。彼女はそれでも足を動かして衛宮の近くへと走って来ると、おもむろに腕を大きく後ろに振りかぶって見事なアッパーカットを衛宮に見舞った。

 

 

「こんの‥‥大馬鹿ぁぁああーーーッ!!」

 

「と、遠坂さん?!」

 

「衛宮、衛宮大丈夫か?! 傷は深いぞがっかりしろーッ!」

 

 

 遠坂嬢が既に満身創痍の状態でガックンガックンと彼女に首を振られるままに振っている衛宮に向かって固有結界を使ったことに関して文句とお説教を垂れている。セイバーはそんな二人に苦笑するとシエルに付近の死者を遠坂嬢と二人で掃討したことを報告した。

 シエルはそれを聞いて頷くと子供達の記憶を操作するためにそちらへ歩いていく。俺は最早完全に意識が飛びつつある衛宮とそれに気づかずまくしたてている遠坂嬢をいつものように眺めながら、自分の礼装にまたヒビが入って壊れかけてしまっているのを発見して密かに泣いた。

 

 シエルが携帯を使って事後処理班を呼ぶ。遠坂嬢はまだ衛宮の襟を握りしめて説教しているし、衛宮は衛宮で完全にアチラの世界へと旅立ってしまっている。セイバーはお腹が空きましたと口には出さずとも体全体で主張しており、もちろん誰も非常食なんて持ち合わせていないから見るまに不機嫌となる。

 だけどまぁ、とりあえずは何とかなった。俺はポケットからグシャグシャになってしまった煙草の箱を取り出して、魔力が尽きてしまったから今度はちゃんとライターで火を点けて深い深い溜息と一緒に煙を吐き出したのであった。

 

 

 

 39th act Fin.

 

 

 


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