UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第三話 『贋作者の溜息』

 

 side EMIYA 

 

 

 倫敦に越して来てからまず第一番に俺達がやったのは、徹底的なまでの屋敷の掃除だった。

 俺達が魔術教会から貸し出して貰った宿舎はかなり年代物の正統派の洋館。煙に煤けたかのように黒ずんだ外観と、歴史ある大国の首都にしてはそれなりに広い部類に入る庭と、俺達3人がそれぞれ好きなように部屋を使ってもなお余るという大きなスペースが魅力的だ。

 

 家の中に入るとまず出迎えてくれるのが屋敷の中を縦断する広くて長い廊下。玄関から向かって右側にすぐ二階へと昇る階段があって、その裏側には地下の食料庫や遠坂の工房へと続く階段がある。

 左側の大きな扉を開ければすぐにリビングだ。暖炉も据えてあるんだけど、今が夏だってのをさっ引いても多分使うことはないだろう。セイバーなんかはここで何か焼いたりできたらいいなんて言ってるんだけどな。

 リビングに向かって右隣、つまりは玄関を正面として屋敷の奥側にあるのはダイニング。既に大きな机が据えられていて、近くにある食器棚も随分と立派で最初からある程度の食器が入っていた。

 ただ、どうやら前に住んでいた人は一人暮らしだったみたいで、そこまで数は多くない上に埃を被ってしまっていた。遠坂の話によると呪いの類はかかってなかったみたいだから安心して使ってるけど、結局デザインが似たものを来客用にいくつか買ってしまっている。

 その奥にはキッチンがあるんだけど、これは屋敷の大きさに比べてかなり小さめに設計されていて使いづらい。

 幸いにして調理器具の類はちゃんとしたコンロになっていたんだけど、それにしても前の住人が一人暮らしだったのはこれで間違いないだろう。特に洗い場が狭いのは致命的だな。工夫しなきゃ住みやすさが格段に変わってくる。

 

 工房は地下に設置したから、俺達の私室は二階部分に決定した。階段を上がって振り返って順番に、セイバー、俺、遠坂の寝室だ。他にも倍ぐらいの部屋があるんだけど、階段に近いところから三つだけを使うことにしたのは決して貧乏性だからとかじゃない。掃除が面倒だからだ。

 もっとも最近、少し暇が出来てからは他の部屋も軽めだけど掃除するようにしている。やっぱり家ってのは綺麗にしてやるのが一番だ。衛宮の屋敷も使ってない部屋は結構多かったけど、それでも週一で掃除はしてたしな。

 ちなみにこの私室にしても相当に広い。封印された開かずの間みたいな一室以外は生活臭が全然しなかったんだけど家具は一応そろっていたし、多分絶対に使わないだろうけど念のために客間としておいたような部屋なんだろう。

 慣れないベッドは最初こそ寝るのが難しかったけど、次第にそれにも慣れて今ではぐっすりと眠れるようになっている。もっとも、やっぱり布団が恋しいっていうのは変わらないけど。こればっかりは日本人なんだから仕方がない。

 

 まぁそんなわけで外国での新しい生活は様々な不安を抱えながらも割合と順調にスタートしたように思える。買い物する店もだいたい分かってきたし、ゴミ出しの日もきちんと覚えた。狭いキッチンやユニットバスの使い方も完璧とはいわないまでも慣れてきた。

 なにせこれからそれなりに長い年月を過ごす事になる場所だ。最初にそれなりの手間をかけておくかおかないかで、後の過ごしやすさというのも格段に変わってくるのだから。

 

 

「お金が、ないわ」

 

「「はぁ?!」」

 

 

 さて、それは俺達がそんなわけでだいぶ今の生活に慣れて来たある日の夕食後の話である。

 いつものように旺盛なセイバーの食欲を満たすために腕を振るった料理の数々は既に食卓から姿を消し、今は紅茶と軽いお茶請けが並んでいた。

 ロンドンの料理はアレだが、紅茶関連に関しては流石に豊富な種類がそろっていて、俺はどちらかと言えば緑茶党だけど、遠坂は基本的に紅茶ばかり飲んでいる。倫敦に来てからはまるで水を得た魚とばかりに紅茶三昧だ。

 セイバーは‥‥まぁ、アイツはお茶請けと合ってさえいれば何でもOKな奴だしな。どっちにしてお美味しく飲んで食べてくれるのには違いないから嬉しいんだけどさ。どうも気になるのは料理のランクとバリエーションだけらしく、今はそこに気を遣って頭をひねる毎日である。

 

 そして全員がほぅと一息をついたその時だった。遠坂の口からとんでもない言葉が飛び出たのは。

 元々他人に弱みを見せることを嫌い、立てて加えて一端の見栄っ張りである遠坂は何か困ったことがあっても、本当に窮した時以外は自分だけで何とかしてしまうのが常だった。

 だから今日、遠坂が真剣な顔で俺達に財政の苦難を訴えたということは、本当の本当にどうしようもない状態だということを指している。

 

 

「‥‥あー、遠坂。金がないっていうのはどういうことだ?」

 

「言葉の通りよ。今月、ちょっと危ないわ」

 

 

 言葉は物騒なのに、何でも無さげな顔で紅茶を啜る遠坂に、俺は思わず机を強く両手で叩いて問いただした。それと同時に皿の上のクッキーが跳ね、セイバーが今にも宝具を使いそうな目でコチラをにらむ。

 食事のマナーは最近どうにも軽視されてきている兆候らしいけど、俺はそうは思わないし、食自体に敬意と情熱を払うセイバーにしてもそれは同じ。俺の家で藤ねぇが少しでもお行儀の悪い行動をとると、たちまちセイバーか桜の厳しい檄が飛んだものだ。

 ちなみに不思議なのは、がっつくことに関してだけは誰も窘めたりしないこと。やっぱりセイバーも自分を省みるのは嫌らしく、ご飯粒やおかずの汁とかが飛んだりしない限りは黙っている。

 そんなわけだから食後のお茶の時間とはいえテーブルを叩くなんて不作法を俺がするのは非常に珍しく、その珍しさに比例するかのように、また食後の落ち着いた一時をかなり楽しんでいたのかセイバーの視線もいつにも増して厳しい。

 

 ‥‥とはいえ、不本意ながら俺もそう易々とここで退くわけにいかなかった。なによりセイバーにかまけていたら遠坂に事態をごちゃごちゃにしたあげくにうやむやにされてしまうかもしれないし、たてて加えて言うなれば、遠坂のこめかみを冷や汗が伝っているのを発見してしまったから。

 

 

「‥‥ちょっとじゃないだろ。その手に持ってるもの見せてみろよ」

 

「あっ、ちょっと士郎!」

 

 

 遠坂が不自然に体をのけぞらせて、背中と椅子の背もたれの間に片手を挟んでソワソワしているのを不審に思ってそちらに視線をよこす。

 ‥‥隠しておけばいいものを律儀に食卓へ持ってきていたものを遠坂から奪い取った。

 それは飾りっ気のない茶封筒に入れられた一枚の紙。封筒の表紙には流暢な筆記体で遠坂の名前と、やたらと0の多い数字が書き並べられている。

 

 

「こ、これは‥‥?!」

 

「なんと‥‥!!」

 

 

 そしてその金額を見た俺とセイバーの口から、ロンドンに来て以来の切迫した吐息が漏れてしまったのも無理はないことだと思う。

 なにせソコに書かれていたのは、俺達の二ヶ月分の生活費を優に超える、トンデモない金額だったからだ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「あれ、衛宮? そんなところで何してるんだ?」

 

 

 鉱石学科は先日のけものとあくまの喧嘩で半壊し、講義室は修復中で代わりの教室も手配できず、とりあえず今日は休講という形をとっている。

 机は粉々、壁は穴だらけ。教材は隣の準備室の倉庫にしまってあったから無事だったが、そもそも生徒が授業を受けられる状況ではない。

 なにより他の生徒達の精神的外傷、というか教授が寝込んでしまっているのも原因の一つだ。そもそも鉱石魔術は全体的に攻性の魔術じゃないから戦闘能力が高い学生も多くはないのである。

 そんな連中が目の前で戦争にも匹敵する恐ろしげな撃ち合いを目にしてしまえば、トラウマの一つや二つ生成されるのも無理はない話なのだ。なにせ連中、戦闘どころか些細な小競り合いだって経験したことがないはずなのだから。

 

 そういえば時計塔の授業と聞いて高校や大学の講義を想像した人も多いと思うけど、それは違うとこの場で注意しておきたい。

 そも特待生とはいえど遠坂嬢レベルの魔術師が、鉱石魔術の基礎はうんたら歴史はうんたら、宝石の種類と特性がうんたら等という授業を受けるためにわざわざロンドンくんだりまでしてやってくるだろうか?

 答えは否。

 そういった授業は新興魔術師の為の基礎錬成講座で行われるのであり、ここ、俺達の在籍する鉱石学科では主にクラス全体の共同研究という形で進められる。

 

 すなわち、ある一つの議題について各々意見を出し合い、魔術具ならば試作品を、術式ならば構成式と実際の行使の仕方を持ち寄って発表し、それを他の全員でこてんぱんに叩くのだ。

 基本的に科学者は自らの研究成果をあらゆる角度から否定することによって検証する。魔術もそれと同じだ。模索、発見、否定を繰り返すことで新たな方法が生まれ、研鑽される。

 

 まだ俺は遠坂嬢とルヴィアと一緒になって授業を受けたことがないからその様子は想像する以外ないんだけど、おそらくその空間に存在するだけで胃が軋み、心臓が踊るようなトンデモない討論だったに違いない。

 嬉々として火花を散らし合う二人の魔術師と、それに怯えて講義室の隅っこに固まっている生徒と教授の姿が目に浮かぶようだ。

 

 

「ああ、誰かと思えば‥‥紫遙、だっけか。久しぶりだな。この前は世話になったよ」

 

 

 さて、そんなこんなで嬉々として自分の工房に閉じこもって研究に耽っていた俺なわけなんだけど、当然ながら人間である以上は研究のみにて生きるにあらず、飯を食ったり排泄してり、その他様々雑多な業務とでも言うべきことをしなければ生きてはいかれない。

 それでも朝昼は調子が良かったので空腹も意識せずに研究に没頭できたんだけど、流石に正午を回って暫くすると腹も減る。いい加減外に出て軽い食事でもとろうかと思って時計塔の玄関部とでもいう場所まで出てきたんだけど‥‥。

 

 

「世話したって程じゃないから気にしないでくれ。あれは学長から命じられた仕事みたいなものだからね。‥‥そんなことより、遠坂嬢も連れずにこんなところで何してるんだ? 新米魔術師は一人で時計塔を歩いたりしない方がいいぞ?」

 

「あぁ、まぁ分かっちゃいるんだけどな。ちょっと色々あってさ‥‥」

 

 

 一度きりしか会ったことのない赤錆びた髪の少年、衛宮が立っていたのは時計塔の玄関部とでも言うべき場所。

 表側の玄関としては大英博物館が挙げられるわけだけど、これはどちらかといえば裏側の玄関。大英博物館からSTAFF ONLYの出入り口を使って入り、更に地下へと潜ったところだ。

 魔術協会とはいえども組織としての体裁は当然のことながらしっかりと整えられており、実は意外と中身も常識に則ったものである。特に玄関部であるここは事務室や購買など共有スペースが集中しているところで、魔術協会としての部分と重なる箇所も多い。

 そんな人通りの多い場所で赤毛の少年はいつもとまったく同じ、変わりばえのしないシンプルな服装で、比較的物騒な部類に入る掲示板を眺めていた。

 

 

「おいおい、お前どうしてこんな掲示板(モノ)なんて眺めてるんだ? 俺の知る限りじゃこんなモノ見てるのは、よほど攻撃的な魔術を修行していて、実験台に不足してるような身の程知らずばかりだぞ?」

 

「あぁ、ホントなら俺もこういう手段は執りたくないんだけどさ。なんかこう、真っ当な手段じゃどうにもなりそうになくてな‥‥」

 

「‥‥はぁ、どうやらワケありみたいだな。ここで会ったのも何かの縁だし、何も力になれないかも知れないけど、俺でよければ相談に乗るぞ?」

 

 

 ちらりと視線を衛宮が眺めていた先へと走らせる。未だ魔術師としては成り立てで時計塔の授業にだって全然ついて行けていない新米の魔術使いが眺めていたのは、協会としての時計塔が出す依頼が掲示してあるスペースだった。

 

 魔術協会は独自に様々な組織を内包している。学生の学舎である世界最高の魔術学院である時計塔は最たるものであるけれど、他にも色んな目的を達成するためにそれこそ数え切れないぐらいの部門があるのだ。

 例えば代表的なものであれば、これ以来出ることがないであろう特殊で貴重な魔術などを会得した魔術師に対して言い渡される封印指定の執行部隊。もしくは何か魔術的な事件が起こり、その場の管理者(セカンドオーナー)に依頼された場合に調査に向かう調査部隊。

 とはいえいくら部隊が多くても基本的には世界中をカバーしている魔術協会。細かい事件には対応しきれずに、民間‥‥つまりは魔術協会本部である時計塔に所属している魔術師達に依頼を出す場合もある。

 大体は外道に墜ちた魔術師の粛正や妖獣の捕獲や駆除、貴重な魔術資源の採集に実験の被験者の依頼などだ。

 まぁ魔術師的常識から言えば安全なものから死の危険を伴うものまで、千差万別である。戦闘向きで実戦経験があるとはいえ、半人前の魔術師が難しい顔で仰ぎ見るようなモノではない。

 

 

「そうか、頼む。できれば河岸を変えないか? ここはちょっと‥‥」

 

「ん、確かにそうだな。さっきからじろじろと視線も感じるし、ゆっくり話と人払いが出来るところにでも行こうか」

 

「おう。来たばっかだから何処に何があるのかさっぱりでさ。お前に任せるよ」

 

 

 人が多く行き来するエントランスは、例え防音結界を張っていたとしても内緒話には向かない。ていうかそもそも防音結界なんて張った時点で内緒話してるって丸わかりだし。

 物騒な掲示板の前に魔術師が二人。しかもそのうち一人は蒼崎の名前を持つ鉱石学科の名物の付属物で、もう片方は最近になって聖杯戦争を勝ち抜いた特待生としてかなり派手な入学をした人物の弟子ときた。

 ただでさえ魔術師としての矜恃はさておいて若者らしく好奇心の多い学生が多いエントランスで、俺達はかなりの注目を集めていた。

 俺が目線をやると全員が全員ひょいと目を逸らして足早に立ち去るけれど、やはり長居はあまり好ましくない。俺は衛宮の言葉に頷くと、裏庭に面している時計塔のカフェテラスへと誘ったのであった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「―――はぁ? 金が欲しい?」

 

「‥‥恥ずかしい話なんだけどな」

 

 

 残暑もまだその面影を残す小さめの裏庭に広がるカフェテリアで、俺は頼んだアイスコーヒーのグラスにさして咥えていたストローを思わず口から離して呆れた声を出してしまった。

 本来ならあまり褒められた姿じゃないとは思うけれど、なにせあからさまに化学薬品臭い匂いのすることで有名なカフェテリアのコーラを一口啜った衛宮が深刻な顔で打ち明けたのは、コチラの世界の魔術師としては実に呆れた相談だったのだ。

 

 前々回に話したとは思うけど、魔術師ってのは基本的には資産家だ。

 歴史のある家が殆どだし、新興の奴にしたって元手に余裕がなければ時計塔(ココ)にはやって来ない。

 俺も青子姉が頻繁に協会の依頼を受けている恩恵に授かってるし、俺自身も青子姉に強制連行された際の報酬はしっかりと貰っているから、幾分かは橙子姉に送ってはいるけどそれなりに潤沢な懐具合と相成っている。

 

 

「はぁ、なるほどね。金遣いの荒い魔術師を師匠に持つと大変だな。特に遠坂嬢なら‥‥なおさらか」

 

 

 駄菓子菓子、俺は幸いにしてなのか不幸にしてなのかは分からないが、このへっぽこ魔術使いとその師匠の金銭状況に関してはある程度判断の材料がある。

 遠坂のお家芸は宝石魔術。当然のことながら宝石は高い。ついでに言えばとくに儀式と戦闘に関して、この魔術は特に財布に痛い。

 戦闘に関しては言わずもがな、儀式にしたって同様だ。 魔法陣を書く際には宝石を自分の血と一緒に溶かして使うから再利用はできないし、魔弾として使えばそれっきり灰になってしまう。

 礼装なんかに使うならばまだしも、彼女のように豪快にばらまいていてはたびたび補充をしても追っつかないだろう。

 

 

「いや、昔はそれほどじゃなかったんだよ。確かに聖杯戦争で大分今まで貯めてた宝石を使っちゃったのは事実ではあるんだけどさ、やっぱりどっちかっていうと時計塔に留学する準備でのんびりしてたし。

 でも時計塔に来てからは、さ。色々と授業でも大変だし、他にも‥‥」

 

「う、うん、心中お察しするよ衛宮‥‥」

 

「生き生きしてる、とは思うんだけどな。それでもこういうことにまでなるとそれなりに思うところもあるわけでさ」

 

 

 しかも、遠坂嬢にとって一番問題なのはルヴィアの存在だ。

 彼女はエーデルフェルト家の財力にモノを言わせて、高価な宝石を幾つも所有し、それを授業でも惜しみなく使っている。

 聖杯戦争で貴重な宝石を幾つも使ってしまっているだろうけど、自他ともにルヴィアのライバルを自負する遠坂嬢からしてみれば、かの金ぴかに対抗するためには同じレベルの宝石、最低限一ランク下の宝石を複数用意する必要があるだろう。

 

 

「しかし君達は三人暮らしだろう? いくら遠坂嬢でも家族の生活費まで手を付けたりしないんじゃないか?」

 

「もちろんだ。遠坂はそんな奴じゃない。‥‥ただ、これに関しては、まるっきりアイツの自業自得だから愚痴も言えないんだけどさ‥‥」

 

 

 衛宮はまるで肚の中に出来てしまった重りを吐き出すかのような深い溜息をつくと、俺に一枚の紙切れを差し出す。

 俺は誰かが握り締めたのか皺が寄ってしまっているその紙を丁寧に開けると、書かれた文字に目を落として合点の笑い声を漏らした。

 

 

「成る程、この前の‥‥」

 

「ああ。鉱石科の講義室の修繕費だ」

 

 

 遠坂嬢が鉱石科の教授から渡されたものらしいけど、放っておくと癇癪を起こして引き裂いてしまいそうだったから泣く泣く衛宮が管理しているんだとか。こんなモノ持ってたくないというオーラが全身から染み出ている。

 俺はそこに書いてある金額に目を見開くと、そういえばルヴィアと折半なんだから実際の金額は‥‥とそこまで考えてやめた。

 いくらなんでもこれはないだろう。少なくとも授業の延長線上でちょっとお茶目をして壊してしまったようなものを弁償するために払う金額としては膨大過ぎる。

 

 

「セイバーもアルバイトを初めてくれたし、遠坂も金を工面するためにあっちこっち駆けずり回ってくれちゃいるんだけどさ、やっぱりどうにも間に合いそうにないんだ。‥‥それで紫遙、何かワリのいい仕事とか知らないか? 多少危険でもいいからさ」

 

「何言ってるんだ。これ納金期限が今月末になってるじゃないか。ワリの良い魔獣退治とかになったら二、三日なんかじゃ終わらないぞ? それに報酬は依頼完了の手続きとか事後処理とか考えれば‥‥まぁ今月中には絶対に無理だな」

 

 

 身を乗り出して真剣な顔で寝言を言う衛宮の額を脇に置いてあった伝票ではたく。

 確かに魔術協会が、封印指定とまではいかずとも外道の魔術師によって生み出されたあげくに魔術師が死んでしまったり研究成果自身に殺されてしまったりして制御できなくなった魔獣の類の討伐を、先程の掲示板に依頼に出す場合はそこまで少ないわけじゃない。

 とはいっても、いくら生み出した魔術師自身に驕りや油断があったと考えても連中は腐ってもエキスパートなのだ。プロフェッショナルの手に負えない魔獣を討伐するとなると、それなり以上の腕前が必要となってくるのは当然と言えるだろう。

 

 ‥‥大体コイツは魔獣退治をゲームか何かのモンスターと混同しているフシがある。こういう依頼に出て来る奴らってのは、まず姿を見つけるのが難しい。明るい内は山奥とかに隠れていて、夜になってから人里で暴れるようなのが大半だ。

 これが昼でも辺り構わず暴れ回るような相手だったら悠長に学生まで依頼が回って来たりしない。そうなったら魔術協会の実力行使部隊が派遣される。

 

 

「ていうかお前みたいなへなちょこが一人で退治できると本気で思ってるのか? 聖杯戦争がどうだったかなんて知らないけど、基礎講座の学生レベルじゃ行ってもおいしく頂かれるのがオチだ。そもそも信用できないから、いくら俺の推薦でも受け付けてくれないよ」

 

「ぐ、そりゃそうかもしれないけど‥‥」

 

「そういう場合は殺されるだろうっていう前提で依頼を請けさせてくれるんだから、旅費とかもコッチ持ちだ。万が一討伐に成功すればいいだろうけど、失敗して逃げ帰って来たら大損だぞ?」

 

 

 言っておくけど、人間なんかより遥かに素早く動く魔獣の類を一人で仕留めるなんてまず不可能だ。ああいう連中はそれこそ中世にやっていた、もしくは今でも一部の趣味人が楽しんでいる狩りのように大勢で追い立てる必要がある。

 追い立てた後だって並大抵の方法じゃ討伐まで至らない。そもそも魔獣っていうのは基本的に戦闘用に作られたものであることが多いし、そういう手合いは純粋な戦闘能力で言えば魔術師を大きく上回る場合が殆どだ。

 獣なんだから理性が伴っていないはずだ、などと楽観視することもおすすめしない。獣を魔獣と新たに定義するために必要なものが、狡猾な戦闘理性であるのだから。

 そうだな、もし本当に一人で討伐したいのなら青子姉みたいに広域殲滅魔術を使うか、橙子姉みたいに十重二十重に悪質極まりない罠を張り巡らせたり、斬っても突いても燃やしても効果のない強力な使い魔を使役したりするしかない。

 

 ちなみに俺はあの出迎えの日以来衛宮とは会ってないから、彼がどんな魔術を行使するかは知らないことになっている。

 投影したものが現実に残り続ける異常な魔術。宝具すら投影できる能力と、魔術の極みの一つとして認識されている見習いには分不相応な固有結界(リアリティ・マーブル)

 だけど、例えコイツの非常識な投影魔術(グラデーション・エア)を考慮に入れたとしても、実際問題として俺が言ったことはまさに正論そのものだ。きっと時計塔の魔術師百人に聞けば九十九人から同じ言葉が返ってくることだろう。残りの一人は衛宮自身だ。

 

 

「はぁ〜、やっぱりそうか‥‥。どうしよう、後はもう身売りか贋作の売買ぐらいしか‥‥」

 

「まぁ待てって」

 

 

 深刻な顔をして不穏な台詞を口走り始めた衛宮を間髪入れずに止める。

 おそらくは討伐関係以外の掲示。一般の学生や教授陣、研究チームなどから実験に協力してくれる人を探しているような依頼の方に考えが飛んだのかもしれないけれど、本当に互いにギブギブの関係が発生する保証がない以上は、アノ手の依頼に迂闊に手を出すのは命取りだ。

 時計塔は魔窟である。表の社会の道徳観念や倫理観なんてものは一切役に立たない。依頼を受けたが最後、誓約によってしっかりと互いに約束をとりつけたとしても、それをかいくぐるようにして不利な状況に直面させられかねない。

 ああいう実験に協力するときは被験者としてではなく、互いに協力実験という風にしないといけない。相手に主導権を委ねてはいけないのだ。これは時計塔での常識だから覚えておくと今後役に立つ。

 

 ああ、流石に俺も知り合い――って会うのはまだ二度目だけど――がそんなことをするのを黙って見ていられる程鬼畜じゃない。

 いざとなれば低利子無期限で金を貸してやるのも吝かでは―――

 

 

「あ」

 

「どうしたんだ? 紫遙」

 

「いや、今いいことを思いつい――もとい思い出した。知り合いがな、若い手を欲しがってるんだ」

 

 

 ぴこーんと頭の上に電球が灯るというかなり古典的なイメージが浮かんだ俺は、手鼓みを打つと衛宮同様体を乗り出してニヤリと笑みを浮かべた。

 狭っ苦しいテーブルの上で男二人が顔を突き合わせているというかなり暑苦しい絵面だけど、なに気にすることはない。狭い作業机の上で図面や術式を眺めながら教授と額が触れ合うぐらいの距離で口角泡を飛ばすよりは遥かにマシだ。

 

 

「命の危険はないし魔術も殆ど関わってない。別段肉体労働でもなければ頭脳労働でもなく、採用されれば間違いなく文句なしの高給。雇い主も融通が効く人だし、俺が口添えすれば給料の前借りもできると思うぞ?」

 

「それ、ホントか?!」

 

「あぁ。とはいっても別に大々的に求人を出してるわけじゃなくて、個人的に愚痴とか相談みたいな形で話を聞いただけだから、絶対に話を聞いてもらえるっていう保証はないぞ。それでもいいか?」

 

「大丈夫だ。とにかく今は話があるっていうだけでも僥倖だよ! なにしろ何処に行っても英語が下手だからか中々雇ってもらえる場所がなくてさ。普通の手段じゃ無理だって諦めかけていたところなんだよ‥‥」

 

 

 渡に船と衛宮が額をぶつけんばかりの勢いで俺の胸倉を掴む。

 その様子は正に借金に困り果てた頭の足りない会社員がサラ金に声をかけられた時のようで‥‥って、まんまそんな状況なんだっけ。

 なんていうか、お前絶対じきに詐欺商法とか不適当契約とかの被害に遭うぞ?

 

 俺はシャツに皺が出来る程強く握り絞めている手首をとり、わざわざ関節を極めつつ引きはがした。

 そして先程見せられた請求書から衛宮に聞いた遠坂嬢とセイバーの出稼ぎ予定分を差っ引くと懐から携帯を取り出し、メモ帳に記録する。

 給料に関して融通できないか後で彼女に相談してやるためだ。おそらくは大丈夫だとは思うけれど、下手すれば衛宮の境遇に彼女なりに僅かな同情をして、世間一般以上の給金をポンと与えかねない。それはちょっと常識にもとるだろう。

 

 

「いや一時はどうなることかと思ったけど、紫遙に相談して正解だったな。‥‥あ、そういえばそのワリの良い仕事って何なんだ?」

 

 

 安心して吐息をつきながら、自分が頼んだコーラを氷をやかましく鳴らしながら飲み干す衛宮が、今更ながら一番重要なことを聞いてきた。どうもコイツ、目的と合致する手段があったら過程がお馬鹿になってしまうタイプのようだ。

 ‥‥まぁ、ゲームの中のコイツもそんなカンジだったっけ。あまりにも過程の中に存在する、自分の損を考えてなさすぎる。

 まだ会って二回目という初対面にも近い、顔見知りにもまだ遠いような関係ではあるけれど、ゲームの中の予備知識と目の前の本人を合わせると確かにそんな人間であると判断せざるを得ない。

 先入観とか偏見とかじゃなく、あれは真実本当の前情報だったようだ。メリットらしいメリットは無かったけれど、それでもこうしてルヴィアや衛宮、遠坂嬢などとより早く親しくなれるようになるための材料の一つだったと考えると悪いものでもなかったのかもね。

 

 

「なに、本当に驚く程たわいもない仕事だよ」

 

「む、勿体つけないで教えろよ」

 

「まぁまぁそう急かすなって。別におかしな仕事じゃないって言っただろ? 多分お前の得意分野みたいなもんさ。そう気負わなくても真面目に教わればすぐに慣れて仕事出来るようになるって」

 

 

 にやにやと楽しそうな俺の様子が気になったのか、衛宮は眉間に皺を寄せて尋ねる。

 だから俺は本当に何でもないことかのように、こうとだけ言ってやった。

 

 

「執事、さ」

 

 

 

 

 4th act Fin.

 

 


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