UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第四十五話 『蟲の娘の襲来』

 

 

 

 

 side EMIYA

 

 

 

「すいませんね、ミスタ・エミヤ。こんな夜遅くに巡回なんてお願いしてしまって‥‥」

 

「気にしないで下さい、ハドソンさん。俺だって近所が危険なんて言われて放っておけませんから」

 

 

 ロンドンの夜はとても寒い。そもそも地図を見て初めて気づいたことなんだけど、ここの緯度は日本を据えてみてもかなり北の方にある。風の関係とかもあるらしいんだけど、時期によってはもの凄く凍える。

 特に歴史的な趣のあるこの古い街では夜になると寝てしまう人が多いらしく、中心部はともかく住宅街では灯りも消えてひどく寂しい。

 街灯だってちゃんとあるけど、それにしても灯りが随分と絞られているし、結構感覚は広くて道は暗かった。こうして歩いている俺とハドソンさんも手にカンテラみたいな電灯を持っていて、そうでなければ路地の向こう側も見えないかもしれないだろう。

 

 

「本当に、最近は物騒になって困りますわ。昔はこうじゃなかったなんて言うつもりはありませんけど、この街に住まうものとして不本意ですね」

 

「そうですね、日本だとそういうことは少ないんですけど、やっぱり大きい街になると色んな奴がいると思います。警察の手も回らないんじゃないですかね」

 

 

 そんな中で俺は町内会を取り仕切るハドソンさんと二人、暗い路地をカンテラで照らしながら歩いていた。とは言っても逢い引きとか、そういうことじゃない。これは町内会の見回りなのだ。

 最近この辺りで噂になっている通り魔、ひったくりの類を警戒して、ハドソンさんから見回りに加わらないかというお誘いがあったのが昨日のこと。

 もちろん俺としてはそういうことがあって、更に人から頼まれたりしたら放ってはおけない。一も二もなく頷いて、渋い顔をする遠坂を説得して外出した。

 今はハドソンさんと二人きりだけど、元々は十人ぐらいの集団であり、そこからそれぞれ別れて巡回している。

 ハドソンさん以外は一人ずつで広い地域を回ってるんだけど、他の人達は屈強な男ばかりだったのに対してハドソンさんだけ女の人だったから、俺が一緒に回るようにその場にいたおじさんから言われたのだ。

 

 ちなみに遠坂は明日、朝早くに講義があるというので家で寝ている。俺を一人で出してしまうことにはかなり渋っていたんだけど‥‥。そこはやるべきことはちゃんとやらなきゃだめだと言い聞かせた。

 セイバーを付けると言われたけど、むしろ遠坂の側にいないといざというときに困ってしまうだろう。

 遠坂も言っていたことだけど、やっぱり倫敦は魔術的な事情も含めて危ない街だ。協会のお膝元で堂々と魔術師の工房を襲撃するなんて無いとは思うけど、万が一ということもある。

 

 

「ミスタ・エミヤが一緒なら安心ですね。鍛えてらっしゃるのが、よくわかりますもの」

 

「いやぁ、そんなことはないですよ。ほんの少しなんで、危ないと思ったら俺を放って逃げちゃって下さい」

 

「あらあら、そこまで薄情じゃありません‥‥と言いたいところですけど、お言葉に甘えさせていただきますね。けど、そのときはちゃんとミスタ・エミヤも一緒に逃げて下さいよ?」

 

 

 ハドソンさんにはそう言ったけど、勿論通り魔なんかに遅れをとるつもりはない。とは言っても当然ながら油断は禁物だし、彼女の前では魔術を使うわけにもいかないからそれなりに緊張してはいる。

 服の強化ぐらいなら大丈夫だろうけど、流石に投影までは出来ないだろうな。遠坂が怒り狂うだろうし、俺は記憶処理の魔術なんて使えない。

 助ける必要がある時に魔術の秘匿とか考えて間に合わなくなってしまうのは本意じゃないけど、やっぱり魔術協会のお膝元なんだからそれなりに注意はする。何より遠坂からは耳が痛くなる程に苦言を弄されているんだから、なおさらだ。

 

 それにしてもこの人も不思議な人だな、やけに落ち着いていて、側にいると安心する。

 外国だと当たり前のことなのかもしれないけど、この年で未亡人っていうんだから人生は不条理だ。

 顔立ちとかから察するに、多分三十にも届いていないのだろう。少し癖のある金色の髪はセイバーみたいに結い上げていて、昔、同じくラスの後藤が持ってきていた本に載っていたメイドさんみたいなエプロンドレスを着ている。

 何がすごいって、それが自然と似合っているってことだ。しかも普段着として。それも、メイドとしての普段着とかじゃなくて、ハドソンさんの普段着としてだ。

 うーん、落ち着きように反して全体的に若いよな。もちろん女性に年齢を聞くなんてマナー違反だから聞いたことはないけど、下手すれば藤ねぇと同じくらいかもしれない。

 

 ‥‥藤ねぇが聞いたら怒り狂うな。多分、まだ結婚願望とかは無いと思うんだけど、何時だったか、そいういう情報誌を見ながら『憧れるわね〜ウェディングドレス〜』とか恐ろしいコトを口走ってたし。

 あのトラを貰ってくれる人なら、きっと菩薩のように懐の深い人に違いない。個人的には料理の腕もそれなりな、出来れば板前とかコックとかなら言うことなしだ。

 藤ねぇが料理するところなんて想像できないから、きっと結婚した後も家に来て食事をねだるつもりに違いない。ヘタすれば旦那さんの分まで増えることになる。

 まぁ悪いってわけじゃないんだけど、なんとなく心配になってしまうのはどうしてだろうか。

 

 

「ミスタ・エミヤ?」

 

「あ、は、はい?!」

 

「この建物を左右に分かれて、一回りしましょう。ちょっと大きめですからね。向こう側で合流です」

 

 

 気がつけば目の前にはやたらと大きく、それでいて恐らくは明治時代級に古いマンションみたいな建物が建っていて、少し物思いに耽っている間に随分と歩いていたらしい。

 いけないな、これじゃ見回りにならないじゃないか。隣のハドソンさんは優しく楽しそうに微笑んでいたけど、思わず顔が僅かに朱を帯びてしまっていたのを感じた。

 

 

「大丈夫ですか、危ないですよ?」

 

「心配なさらないでください。いざとなったら大声をあげますから、そうしたら助けに来てくれるんでしょう?」

 

「も、勿論ですけど‥‥」

 

 

 フフ、と花のように笑う様子は、今まで接したことがある女の人の中にいなかった仕草だ。まるで気にも留めていない様子のハドソンさんは、やっぱり有り得ないぐらいに大人に見える。

 結婚するって、やっぱり人を成長させるのだろうか。セイバーもあれで随分と大人な部分があるけど、ハドソンさんに感じるのは遥か昔に感じた様な気がする、包容力みたいなものだった。

 

 

「じゃあ安心ですね。では向こう側で会いましょう」

 

 

 そう言うとハドソンさんはエプロンスカートを翻して建物の向こうに消えていった。

 街灯の灯りが薄暗いからその後ろ姿はすぐに見えなくなってしまい、カンテラの光も角を曲がると視界から外れる。

 俺は一応辺りに注意して万が一にもハドソンさんの後ろを尾けていくような不審な奴がいないかを確認してから、彼女が消えていったのとは反対側を通る道へと進む。

 ハドソンさんが心配だから早めに歩きたい気持ちもあるんだけど、一応は見回りだからそういうわけにもいかないのがもどかしい。

 

 この辺りは住宅街の中にあってもなお寂れている地区に隣接しているからか、建物の中にも人の気配が全くしない。

 勿論そんなことはないはずだから、住人はみんな家の中で寝静まっているに違いない。

 それにしてもしっかりと窓やカーテン、それどころか雨戸すらしっかりと閉じているのだろう。

 確かに主都ということもあって治安は地方に比べれば‥‥いや、むしろ地方の方がちあんが良いのかな?

 遠坂から冬木にいる内に軽くレクチャーを受けた覚えがあるんだけど、さして重要だとも思わなかったからか、すっかり頭から抜けてしまっている。

 

 

「———ひったくりよ! そっちに行ったわ!」

 

「何?!」

 

 

 と、半ば本来の仕事を疎かにして思考を巡らせていると、俺の背後から突然女の子の声がした。

 声の調子は遠坂に似ている。気の強く、本当ならひったくりだろうが通り魔だろうが蹴り飛ばしてしまいそうな元気というか、力強さに満ちていた。

 そんなことを一瞬の内に考えながら素早く振り返ると、ちょうど同時に俺の横をひったくりと思しき男が通り過ぎていく。

 ここまで接近されても気づかないなんて、どれほどまでに俺は気を緩ませていたのか。それともひったくりの足が異常に速いのか。

 助けを求めているような語調ではなかったかもしれないけれど、目の前で行われる犯罪を見逃すわけにはいかない。

 半ば条件反射のように俺は少しの間だけ驚きで停止してしまった脳みそをフル回転させると、再度振り返ってかなり前を走っていく男を追いかけた。

 

 

「おいっ、待てッ!」

 

「止まれと言われて止まる奴がいるかよっ!」

 

 

 背中越しに聞こえてきた声は、歳をくったダミ声だ。おそらくは中年なのだろうが、それにしても足が速い!

 如何に魔力で脚力を強化していないといっても、カンテラを放り出して全力で走っている俺よりも速いというのに、答を返す余裕があるとは恐れ入る。

 

 俺達が走っている脇の建物は先ほどハドソンさんと別れた建物で、古いマンションだからかとても大きい。

 しかしこのまま走ればいずれは合流する予定であったハドソンさんと鉢合わせてしまう。

 いくら相手の足が速いと言っても、俺だってこっそりばれないように魔力で無理矢理ながらも脚力を強化すれば追いつくことはできる。

 そうなれば、いや、そうでなかったとしても、目の前に手頃なカモがいては人質にして逃げるなんてことも考えるかもしれない。

 ダメだ、そんなことさせるわけにはいかない!

 俺は歯を食いしばって足に力を込め、同時に魔力を流して今の俺に出来る限りの強化を施そうとして———

 

 

「ぎぃやぁぁあああーッ?!!!」

 

「?!」

 

 

 とんでもないものを、目にすることになった。

 

 

「な、なんだよコレはっ?! 誰か、誰か助け———」

 

 

 目の前で、ちょうど建物の角を曲がろうとした男が突然何かに躓いたかのようにつんのめった。

 当然ながら倒れるわけにはいかないから手を伸ばして地面を支えようとするけど、その手が、まるでそこが泥の沼であるかのようにズブズブと沈んでいったのだ。

 次いで暗闇の中であるにもかかわらず、そこが街灯の下であったからか、続けて起こった出来事の一部始終を俺は目撃する。

 

 その足は、何かに躓いたのではない。一泊遅れて地面へ突き出した手と同じように、足下に飲み込まれていたのだ。

 ズブズブズブと、それでいて音も立てずに足は膝まで埋まっていく。

 手は既に手首まで地面に沈んでしまっていて、全く身動きが取れない状態だ。

 街灯の光に照らされた石畳を見れば、そこには泥沼などではなく、真っ黒な、まるで絵の具を大量にぶちまけたかのような底の見えない闇が広がっている。

 男は足下に広がった闇に飲み込まれているのだ。

 普通の人間では遭遇し得ない異常な現実に、中年の男性の、無精髭を生やした顔は未だかつて無い程の恐怖に染まっていた。

 

 だが、それでも闇は許さない。

 俺が駆け寄る暇もなく、最初のゆっくりとした嚥下の様子が嘘のように、水に沈んで行くかのように男の体は瞬く間に影へと消えていく。

 まだ俺との間に数メートルは距離がある内に、完全に男は見えなくなってしまっていた。

 

 

「な‥‥今のは‥‥?!」

 

「———あら、見られちゃいました?」

 

 

 影が俺からは見えない建物の角の向こう側へと波のように引いていき、驚きのあまり漏らした俺の声に、予想も付かない返事が返ってきた。

 それは若い女の声。優しく慈愛に溢れた声色の中に、一抹の怖れを感じてしまうのは何故だろうか。

 まるで見えない触手に体中を探られているような、紛れもない悪寒が背中を這っていく。

 アレは、普通じゃない。俺達の側を知らなければ、妖怪でもいたのかと思って普通の人間であれば一目散に逃げ帰ることであろう。

 

 魔術師。何がどうなっているかはさっぱり分からないが、これは明らかに魔術師の仕業だ。

 そして未だに俺からは見えないが、あの建物の影に隠れているのは俺よりも実力のある魔術師に違いない。

 

 

「悪いわね、人払いをし忘れたわ」

 

「ッ、誰だ!」

 

 

 後ろから聞こえた声に振り返ると、先ほど聞こえたものと同じ声の持ち主がそこに立っていた。

 背中の中程までは伸びた黒い髪。膝ぐらいの丈のブリーツスカートとブラウスを品良く着こなし、きっちりとネクタイを締めて、膝までもない落ち着いた仕立ての黒いコートを羽織っている。

 年の頃は俺と同じくらいだろう。腕にはめている、その上品で真面目そうな姿には不釣り合いの無骨な手袋からは僅かに魔力を感じた。

 元々魔術師としては未熟以前の問題だった俺だが、遠坂のシゴキで大分底上げはされていると自覚している。

 だからこそ、どのような魔術師であるのかは分からずとも、少なくとも目の前にした相手がこちら側に属している人間だと判断するのに不足はなかった。

 

 

「いえ、大丈夫ですよ。私も最近ちゃんと記憶処理の魔術を習得したところですし」

 

「そう、じゃあ実地演習も兼ねて丁度いいわね。‥‥悪いけど、記憶を弄らせてもらうわよ」

 

 

 後ろから聞こえた声と、前の女の子の声。どちらに対して反応して良いか迷ったけど、どちらにしたって記憶を弄られるなんてまっぴらご免だ。

 俺は魔術回路を起動させながら、まずは後ろの脅威を認識しようと振り返って———

 

 

「‥‥え、先輩‥‥?」

 

「さ、くら‥‥?」

 

 

 呆然とした表情でたたずむ、少し厚着をした冬木での家族の一員の顔をみて思考を停止させてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥突然遠坂嬢の家を急襲するなんて、大丈夫なのかい?」

 

「大丈夫ですわよ。ミス・トオサカは教授に朝から呼ばれていますし、シェロも講義があるそうですわ。今日セイバーはアルバイトが休みということですから、先日の顛末は彼女から聞き出すことにしましたの」

 

「君、いつの間にセイバーのスケジュールを把握してたんだい‥‥?」

 

 

 エーデルフェルト家の運転手(ショーファー)氏に礼を言って車から降り、俺はフフンと胸を張って目の前の倫敦遠坂邸を睨みつけるルヴィアの隣で溜息をついた。

 遠坂嬢が先日ルヴィアに、衛宮へのプレゼントを彼女が渡すと通達してから数日。遠坂嬢が告知するところによれば昨日にそれは決行されたはずだから、今日はその結果報告を貰いに来たというわけだ。

 とはいっても遠坂嬢から聞くのは諍いの元になりかねない。そう判断したルヴィアはセイバーから聞き出すことにしたらしい。

 彼女の性格からしてみれば正々堂々と正面から遠坂嬢にアタックしそうなものだけど、どうにも婉曲的な手法を使ったのは単に遠坂邸にお邪魔したかっただけなのかもしれないなぁ‥‥。

 

 これは多分だけど、遠坂嬢はルヴィアが尋ねて来ても正直に屋敷に上げはしないだろう。

 ルヴィアが自分の屋敷に平然と遠坂嬢を上げているのに対してソレはどうなのかという話になるかもしれないけれど、魔術師の工房として完璧に魔術防御、及び攻撃の準備が整っているエーデルフェルト別邸に対し、倫敦遠坂邸の方は越して来たばかりということもあって満足に準備が整っていない。

 勿論ソレであったとしても並の魔術師に比べれば遥かに堅牢な工房だろうけど、別邸とはいえ長い歴史を誇るエーデルフェルトの工房に比べれば見劣りしてしまうのは仕方がない。

 

 今、俺の隣で周囲のご近所様の視線も気にせずに仁王立ちする親友殿が遠坂嬢の工房で何か悪戯するとは思わないけど、こういう子供っぽい応酬を互いに好んでする辺り、本当にルヴィアと遠坂嬢は噛み合っているんだなぁとは思うよ。

 これでベクトルが互いの方向を向いている内は良いんだけど、力を合わせて別の方向に向かったりしたら流石にどうするべきか真剣に衛宮と考える必要があるかもしれないなぁ。

 なにしろホラ、あれだ、二人揃ってドS気味だから、大問題だ。

 

 

「まぁセイバー用の懐柔策も用意して来たし、邪険にされないとは思うけどねぇ‥‥」

 

「大丈夫ですわよ。オーギュストに頼んで取り寄せた一級品ですもの」

 

「そういう問題じゃないと思うんだけどなぁ‥‥」

  

 

 とりあえず貢ぎ物さえ持っていけば騎士王がどうにかなるっていう考えは、世界アーサー王協会とかアーサリアン達のためにも止めて欲しい。

 うっかりそういう人達の前で何気なく発言したりしたら大問題だ。意外と、むしろ当然ながら倫敦にはそういう人達が多い。

 何が厄介って、彼らが怒り心頭で反論するであろう部分が全て紛れも無い真実なんだってことなんだけど‥‥。ま、ナンセンスな思考は脇に置いておくことにしよう。

 

 

「ミス・トオサカがシェロにどういうアプローチをしたのか、しっかりと確かめませんと‥‥。ともすれば彼女のアノ不可思議な態度の説明もつくかもしれませんし」

 

「君、あれに関してはちゃんと了解したんじゃなかったのかい? あの後も一切追求しなかったじゃないか。

 俺はてっきり納得して潔く身を引いたものだとばっかり‥‥」

 

「確かにミス・トオサカを追求するのは野暮、いえ、一度退いた身としてはやっていけないことですわね」

 

 

 古い屋敷ではあるけれど、遠坂嬢達が入居するにあたって現代生活に欠かせない様々な必要最低限の設備が整えられた、つまるところインターフォンのついた門の前に立つ。

 決して馬鹿でかくはないが、それにしたって一般的な日本の住宅事情を鑑みれば十分に大きな邸宅だ。これで冬木の遠坂邸に比べて数段小さいというのだから恐れ入る。

 もっともココは元々からして魔術師の住家。さらに言うならば、指折りの腕を持ったイカレタ封印指定(マッドマジカリスト)が根城としていた屋敷だったのだ。

 主が捕縛されると同時に屋敷の中はあらゆる意味でキレイサッパリ掃除されたが、周りの住民達からは長らく恐ろしげな洋館———英国には洋館ばっかりなわけだが———として噂されていたとかいなかったとか。

 そこに突然引っ越して来たのが不可思議な三人組なのだから、おそらく一ヶ月はご町内の噂を独占したであろうことは想像に難くない。

 

 

「ですが周りの近しい友人から話を聞くのならば、全く問題ありませんわっ!」

 

「詭弁だよソレ?!」

 

「故人日く『私がルールブックだ!』と」

 

「それ故人違う! ソースは何処?!」

 

「‥‥何をしているのですか、お二人共」

 

 

 ハッと気付けば何時の間にやら開いた門の向こう側で、まったく普段と変わらぬ清楚で真面目そうな衣服で小柄な身を固めたセイバーが、呆れたように両手を腰に当てて立っていた。

 どうにもインターフォンが押されたので応答したのに返事が無く、不審に思って出て来たらこの状況ということらしい。

 いくら既知の仲とはいえ他人様の家の前で漫才じみたやり取りをしてしまっていたとは‥‥。いやはやお恥ずかしい。

 

 

「あ、あら申し訳ありませんわね、セイバー!」

 

「恥ずかしいところを見せちゃったかな? いやいや、申し訳ない」

 

「いえ、別にどうということではありません、ルヴィアゼリッタ、ショー。今日は先日の件についてですか?」

 

 

 ちょっと頬を朱に染めながらセイバーに案内されて、古びた洋館の玄関に入る。

 整理整頓が苦手な遠坂嬢ではなく、おそらくは衛宮の手によるものだろうが、ちらりと視線を投げかけた先の廊下の隅っこにも埃の一欠片もない。

 このサイズの家になると一人で管理するには大きすぎるだろうに、一分の隙もなく全ての家具が綺麗に磨き上げられている。いったい何時、どうやって暇を見つけて掃除したのか。

 アイツだって基礎錬成講座とはいえ、むしろ基礎講座だからこそ遠坂嬢や俺やルヴィアの所属している専門課程よりも忙しいはずだ。

 何しろ基礎が完全に出来ているものとして講義が進む俺達と違い、衛宮はあらゆることを時計塔で詰め込まれる。

 

 あの辺りは時計塔が組織として存在しているがために編成する必要があったという背景を含んでいるとはいえ、かなり厳しい講義らしい。

 もちろん橙子姉の講義とどちらが厳しいかと言われれば、シークタイムゼロセコンドで橙子姉の方が厳しいと言わせてもらうけどね‥‥。

 

 

「しかし申し訳ない、二人共。折角来て頂いたのですが、今日は余りおもてなしできそうにもありません」

 

「いや、別にもてなして貰いたいわけじゃないから気にすることじゃないけど‥‥。今日は何かあったのかい?」

 

「シェロもミス・トオサカも留守の予定だとお聞きしましたけど?」

 

「その予定だったのですが‥‥」

 

 

 言い淀むセイバーが居間と思しき———そういえば俺が遠坂邸にお邪魔するのは今日が初めてだ———扉のドアノブに手をかけ、申し訳なさそうにこちらを見る。

 ルヴィアから聞いていたことなんだけど、この家はまず居間を経由しないとどの部屋にもいけないようになっているらしい。

 そういえば昔、前世の話だけど、母親がやけに熱弁していたことがあったっけ。

 確か『家に帰ってきて、まずは居間にいる家族に顔を出すべきだ。帰ってきて顔も見ないで自室に戻るなんて許せない』だったかな?

 よくよく考えれば橙子姉と暮らしていた『伽藍の洞』のビルも一度四階の事務所を通らないと自分の部屋には戻れなかったっけ。

 学校から帰るたびにほぼ必ず幹也さんと式———彼女も学校あったはずなんだけど、一体何やってたんだろうね———と橙子姉に『おかえり』と言って貰えるのは、一人暮らしをするようになった今に考えてみれば、とても良いことだったんだなぁと思わずにはいられない。

 

 いやいや、こういうのが分からない人もいるかもしれないけどね、実際に一人暮らしってのは随分と心細いものなんだよ。

 最初の数日こそ珍しい生活に興奮し、満喫していてもだよ? じきにたまらなく寂しくなってきてしまうんだ。

 そうしたら夜に涙するようになるまでさほど時間はかからない。あれは、本当に心細いものだ。

 初めて青子姉が突撃してきたときには、顔には出さなかったけど随分とまた嬉しかったなぁ‥‥。まぁ、バレてるとは思うけど。

 

 

「実は日本に居たときの知り合いと、その友人がつい先ほど訪ねて来まして‥‥。少々たてこんでいます。彼女達の相手は凜とシロウに任せるつもりですが、すいません、私もさほどお二人に時間を割けるかどうか‥‥」

 

「いや、元々こちらの我が儘みたいなものだし、構わないよ。衛宮達の知り合いがいるってんなら、こっそり静かに居間を通り抜けてしまおう」

 

「‥‥まるで私がヘマをしたかのような言い方は気にくいませんけど、まぁ事実ですからね。ショウの意見に賛成ですわ。

 突然お邪魔したのは私達の方なんですし、迷惑をかけるわけにはいきませんわね」

 

 

 俺の言い方が不満だったのか少しムスッとした顔をしたけれど、ルヴィアも賛成する。なにしろ衛宮達の知り合いが来ているというのなら、俺達は邪魔ものにしかならないからね。

 そりゃ一応俺達は事前にセイバーの方とではあるけど約束はしてた。それでもこの家の主は遠坂嬢と、次いで衛宮だから彼女達の事情が優先させるだろう。

 これも他人の家を訪問する時のマナーかな。マナーというよりは、最低限の心遣いって言い換えた方がいいかもしれないけれど。

 

 

「では‥‥失礼します、凜、シロウ。ルヴィアゼリッタとショーを私の部屋に連れて行きますね」

 

 

 こっそりと扉を開き、セイバーが目立たない程度に小声で遠坂嬢に用件を伝えて素早く歩き出す。

 俺とルヴィアも———ルヴィアはコソコソという姿勢が甚だ不満な様子ではあったけど———騎士王とは思えない程見事に生活じみたセイバーの背中に従ってコッソリ、それでいて失礼ではないように多少は背筋を伸ばしてついていった。

 

 

「あら、紫遙じゃない?」

 

「‥‥へ、鮮花?」

 

「ちょっと蒼崎君、知り合いなの?」

 

 

 が、本来なら訪問した先の家族の事情として流すのが礼儀であろうところを呼びつけられ、俺はその聞き慣れた声に立ち止まって来訪者の方を向いた。

 それなりに広いリビングの中央を占領している二つのソファーの片方には遠坂嬢と衛宮が中々に深刻な顔で鎮座坐しており、その反対側には二人の女性が座っている。

 一人は言わずと知れた俺の妹弟子、黒桐鮮花。

 おそらくは寒い倫敦の街中を歩くためにコートやマフラーを着込んでいたと思われるが、暖かい家の中にはいったからか居間は全く普段と変わらぬ恰好である。

 もう一方は薄い紫色の、鮮花と同じくらいの長さの髪の毛で、落ち着いた服装をした女の子。

 優しげな、ともすれば気の弱い印象を受ける顔は驚きに彩られており、丸く見開かれた目は真っ直ぐに俺の方を見つめていた。

 

 

「ああ、俺の妹弟子だよ。あと君は‥‥桜嬢か? どうして衛宮の家に‥‥」

 

「おい紫遙、桜とも知り合いだったのか?!」

 

 

 衛宮までもが驚いて立ち上がり俺の元へとやって来て、後ろではルヴィアとセイバーも怪訝な顔をこちらに向けている。

 なんて、カオス。今はそんな感想しか湧いて出てこない。

 だってホラ、遠坂嬢ってば半ば事態の概要を把握しつつあるのか左腕を輝かせながら袖をまくり上げてるし、衛宮は衛宮で桜嬢が倫敦に来ていることにこれ異常ない程に動揺してるのか俺の肩をつかんで揺さぶってるし‥‥。

 

 とりあえずさ、みんな俺の方ばっかり注目しないで、自分から注意が逸れたがためにどうしていいのかわからず目を白黒させてる桜嬢にでも構ってやってくれないか?

 頼むよ、もうすぐプレッシャーで意識が、飛び、そう‥‥。

 

 

 

 46th act Fin.

 

 

 

 

 


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