UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第四十七話 『蟲の娘の告白』

 

 

 

 side Sakura Matou

 

 

 

「‥‥なぁ桜、本当にこんなので楽しかったのか? 観光地になるところはどこにも行ってないし。美術館とか、博物館とか‥‥」

 

「はい、私はこれで十分です。先輩達が暮らしている倫敦の街をたくさん見ることができましたから」

 

「そうか?」

 

「そうです。観光名所が見たかったらツアーにでも申し込めば良い話ですし、何より来年からは私もこの街で暮らすんですから、必要なものを見ておきたかったんです」

 

 

 東京の街も冬木とは比べものにならないぐらい賑やかだったけど、倫敦の街も更に人が多い。

 行き交う人達は見慣れない外国の人ばかりなのは当然だけど、それでもさほど違和感を感じないのは、もしかしたら私の中に少しだけ流れる異国の血のせいなのかもしれない。

 それにしても、最近出来た私の真っ当な師匠である蒼崎橙子さんの事務所がある東京は乱雑という感じだけど、倫敦は本当に人が多いという印象がある。

 

 それに比べて東京は汚い、というか雑多。こちらはやっぱり島国といっても欧州だけあって沢山の人種が溢れていて、雑多なものも何もかも飲み込んでしまっているみたいだ。

 街自体が凄く古くて、観光地になっているということもあるのかもしれない。

 私が通ったのは表通りばかりだけど、鮮花に連れられて脚を運んだ渋谷の街とかに比べれば綺麗だ。

 

 

「凄く活気があるんですね。料理も不味いっていう話でしたけど、食材は凄く沢山種類があって驚きました」

 

「あぁ、最近はそこまでひどくないみたいだな。俺もここに来てから何度か外食したことがあるけど、不味くなかったよ。‥‥まぁ、全部外国料理のレストランだったけどな」

 

「やっぱりイギリス料理っていうのだと、そうなんですか?」

 

「うーん、不味くはない、かな。おいしくもないけど。多分、ああいうのを許容範囲ていうんじゃないかと思う」

 

「許容範囲‥‥。藤村先生が倫敦に来たりしたら爆発しちゃいそうですね」

 

「そうなったら被害を被るのは結局俺達だと思うけどな。ホント、早くどうにかしないとあのトラ‥‥」

 

 

 さっきまで一通り歩き回ってから、今いるのは先輩の家の近くにある喫茶店。オープンテラスになっていて、紅茶とお菓子がとても美味しい。

 私はそこまで紅茶に詳しいわけではないけど、多分これは日本で馴染みのあるセロンじゃなさそうだ。

 さして注意して注文しなかったから思い出せないんだけど、日本に帰るまえに何種類か買い込んで伽藍の洞にお土産に持っていこうかと思う。

 あそこの人達はコーヒー党が多いけど、いくらミルクを入れても私には少し胃に重いから。

 

 

「そうなんだよな、菓子類は美味しいんだよな。俺も近所の人に習ったんだけど、お菓子作りだけは適わないんだ」

 

「近所の人?」

 

「あぁ。ハドソンさんっていうんだけどさ、料理も上手なんだけどお菓子作りは同じレシピで作ってもあの人の方が美味しいんだよ。何かコツがあるんじゃないかとは思ってるんだけど‥‥」

 

 

 紅茶を啜ってから薄く焼き上げられたショートブレッドをかじり、先輩は眉を顰めた。

 多分これは自家製ではなくて市販品だと思うんだけど、確かに眉を顰めたくなる気持ちが分かるぐらいに美味しい。

 私も先輩も常々自家製に勝るものはないと思っていたから、正に目から鱗が落ちる思いだ。やっぱり本場の物になると違う。

 

 

「日本に帰ったら、イギリスのお菓子の本を買って研究してみます」

 

「そうか。洋食はもう桜の方が上手いしな、師匠としては寂しいものがあるけど、期待してるよ」

 

「そ、そんなことないですよ。それに私、先輩の和食も‥‥その、大好きです」

 

「そういってくれると嬉しいな。今日も折角桜が来てくれたことだし、出来る限り腕を奮うよ」

 

 

 机の下に置かれたスーパーマーケットの袋に視線を落とせば、中には様々な生鮮食品その他が詰め込まれている。

 先輩としては私に気を遣って所謂観光名所とかを巡った方がいいと思ったみたいだけど、私はそこまで気を張ってもらいたくなかった。

 だから本当に今日は倫敦の街を歩いて、ウィンドウショッピングと本当の買い物をしただけ。それでも私には十分だ。

 冬木にいた時は度々先輩と買い物をすることもあったけど、先輩が倫敦に行ってしまってからは当然ながらご無沙汰で、一人の買い物は少し寂しい。

 だから今日は先輩の料理が食べたいと言った私に戸惑いながらも頷いてくれた時は本当に嬉しかったし、張りきってしまった。今になって思えば少しはしゃぎすぎたかもしれないと恥ずかしくなる。

 

 

「そういえば桜、魔術師って———」

 

「あ、待って下さい。人払いの結界を張りますから」

 

 

 宙に指を躍らせて私達のテーブルの周りに簡単な結界を張る。魔術師には全く効かないし、ちょっと近くに寄ればバレてしまうぐらいのものだけど、別に重要な話ではないから問題はないだろう。

 効果は音の遮断と意識を逸らすだけ。これなら店員さんだって気づかない。使いどころによっては色々と良識を試される魔術ではあると思う。

 

 

「それで先輩、何ですか?」

 

「‥‥俺より凄いじゃないか。あぁいや、確か魔術って一子相伝で、他に子供がいても教えないって慎二から聞いたんだけどさ‥‥」

 

「あぁ、そういうこと‥‥ですか」

 

 

 決まりの悪そうな先輩の顔に、私の顔が暗くなっていないかどうか心配になる。

 私が魔術師であるということは、聖杯戦争にも少なからず関わっていた、もしくは知識があるということだ。

 だから兄さんについて色々と知っているであろうことを案じて、先輩は気を病んでいるのだろう。

 そうでなくとも昨日、いや一昨日から私達に関しては殆ど説明不足の状態。気になってしまうのも仕方がない。

 

 

「聖杯戦争には兄さんが出ていましたが、もう先輩も知っていることでしょうけど、兄さんには魔術回路がありません。だからサーヴァントを召喚したのも、間桐の後継者も私です」

 

「慎二は桜の代わりに聖杯戦争に出てたってことか?」

 

「そうですね。私は、そういうことに向きませんから‥‥」

 

「確かに桜に戦いは向いてないな。まぁ俺もセイバーから散々向いてないって言われたもんだけど。でもそれならどうして時計塔に来たんだ?」

 

 

 兄さんは今だ県外の大学の近くにアパートを借りているから、間桐の屋敷には私しかいない。

 その私も平日は殆ど衛宮の家にいるし、週末は橙子先生のところに行くから空き家みたいになってしまっている。

 少し前まではお爺様もいたけど、式さんに殺されてしまった。あれから地下の修練場には行っていないから、もしかすると皆死んでしまっているかもしれない。

 私が操ることができそうな虫は全て持ち出しているから問題はないけれど、それでもやっぱりあそこに立ち入る気にはなれなかった。

 もう少し強くなれれば、もしかしたら克服できて、あそこへと入ることができるのかもしれない。でも今はまだ無理だ。

 

 

「昨日も少し話しましたが、私の指導はお爺様が行っていました。聖杯戦争に出たのも、御三家としての義務とお爺様の命令です。‥‥そのお爺様も亡くなられたので、専門的な勉強をすることができなくなってしまったんです」

 

「紫遙のお姉さんが先生をしていてくれてるっていう話だけど、それじゃだめなのか?」

 

「基礎に関しては問題ないんですけど、私の使う魔術と橙子先生の使う魔術は少し毛色が違いまして。似ているところもあるんですけど、時計塔の方がより高度な勉強が出来ますから」

 

 

 それに先輩達もいますから、と言う本音はしっかりと胸の内に仕舞っておいた。

 例えうっかり口を滑らせてしまったとしても先輩なら気づかずに嬉しいと笑ってくれるかもしれないけれど、そうなったら私の方のダメージが大きくなる。

 先輩のそういうところも大好きだけれど、やっぱり気づいて欲しいと思ってしまうぐらいにはもどかしい。複雑な気持ちだ。

 

 

「それに時計塔なら将来のための繋ぎもとれますから、推薦が受けられるのでしたら行くに越したことはありません」

 

「‥‥実は意外と難関だったりするのか? 俺、結構すんなり通ってるけど‥‥」

 

「はい、凄く難関ですよ。世界中でも選ばれた魔術師しか通うことを許されない最高学府ですから」

 

「基礎錬成講座でもか?」

 

「はい。初代の魔術師の場合は土地の管理人の推薦が大半らしいですけど、そういうのを許可する管理人が少ない上に、管理人自体の位階が低ければ推薦があっても時計塔には入学できないみたいです」

 

 

 魔術師が世界にどれぐらいいるかはちゃんとした数が把握できているわけでもないし、時計塔以外にも『巨人の穴蔵(アトラス)』や『彷徨海』などの組織もある。

 でも数多くの魔術師の中で、最高学府といえば日本の表社会における東大以上の格付けだ。

 日本で一番が東大だとすれば、世界でも五指に、それも限りなく一番に近い場所にあるのが時計塔。そう考えると分かりやすいんじゃないかと思う。

 

 

「てことは、そういうところに俺っていう付録まで連れて入学できる遠坂ってすごかったんだな‥‥」

 

「冬木の霊地としての価値自体はそこまで高くないんですけど、聖杯戦争の舞台ということで位階が高いそうです。それに遠坂先輩は聖杯戦争の勝利者ですから、推薦も折り紙付きになります。遠坂先輩自体、百年に一人の天才と言われているらしいですし」

 

「桜は紫遙のお姉さんに推薦状を貰ったんだっけ。どんな人なんだ?」

 

「私なんかと比べるのも烏滸がましいくらい、凄い腕の魔術師ですよ。執行が凍結されてますが封印指定を受けていますし、教え方も凄く上手です。私は結構偏った魔術を教わっていたんですけど、短い間ですっかり矯正されてしまいました」

 

 

 お爺様との一対一の魔術訓練しか知らなかった私だけど、橙子先生からは魔術だけではなく神秘の社会の常識も教わった。

 その中には当然ながら封印指定のこともある。正直、魔術師としての私がどれだけ歪んでいたのか実感したものだ。

 

 封印指定。本人以外に再現不可能な神秘を習得したり顕現したりした魔術師に送られる、最高の名誉にして面倒である称号だ。

 例えば有名なもので言うと固有結界の使い手。これは本人以外には絶対に再現が不可能なため、確認されたら間違いなく封印指定に認定される。

 一番最近の話で似たようなものだと、土地に染みついた負の情念や他人の記憶や意識を元に固有結界のような領域を作ることに成功した魔術師が封印指定を受けたそうだけど、詳しくは知らない。

 さっきも言ったように私の境遇はさておき殆ど箱入り娘のようなもので、これも橙子先生が世間話のように漏らした些細な話の一部だったのだから。

 

 

「封印指定、か‥‥」

 

「私もよく知らないんですけど、橙子先生は人形関連で封印指定を受けたって言ってました。‥‥まぁ魔術師ですから他人に自分のことを漏らすなんて無いんですけど、橙子先生だったら何でも封印指定級のものを作れそうですね」

 

「桜がそこまで言うんだから、凄い魔術師なんだろうな。紫遙の器用さも当然だったのか。下手したら遠坂より器用なんじゃないか、アイツ?」

 

「どうでしょう。実は私、紫遙さんがどんな魔術師なのか前々知らないんです。橙子先生のことを紹介してもらっただけで、紫遙さん本人とは前々お付き合いがないので‥‥」

 

 

 封印指定の件で先輩は少し暗い顔をしたけど、すぐにいつものキリリとした顔に戻ったので、私はその疑念をすぐに頭の隅へと追いやった。

 そういえば伽藍の洞では紫遙さんの人柄についての話は聞いたけど、実際どういう魔術師なのかという話は全然聞かなかったっけ。

 考えてみればあの廃ビルには結構な人数が出入りしていて、しかもその全員が全員、私の常識というものをさっくりと打ち砕いてくれるぐらいに濃い人達ばかりだ。

 でもそれでいて、あそこにいる魔術師は私と鮮花と橙子先生の三人だけ。私の疑問に答えてくれる人がすくなくても当然と言える。

 幹也さんは一応一般人だし、式さんも神話級の魔眼を持っているくせに魔術師じゃない。一番親しくしているかもしれない藤乃は超能力者で、どういう理屈で力を行使しているのか見当も付かない。

 

 

「一緒に来た鮮花っていう子は、姉弟子なんだって?」

 

「はい。元々橙子先生に教わっていた人で、私と同い年ですよ」

 

「同い年? ってことは俺の一つ下か。なんか、そんなかんじには見えないなぁ‥‥」

 

「私もいつも面倒を見てもらってます。一芸特化っていうらしいですけど、得意な分野に関しては逸材だって橙子先生も褒めてました。詳しいことは言えませんけど」

 

「いや、それが当然だよ。俺もこっちに来てから遠坂とかオヤジとか以外の魔術師と会って、すごく閉鎖的なのが分かったしな」

 

 

 実際、伽藍の洞の住人だけあって鮮花は凄い魔術師だ。正確には魔術師じゃないけど、私以上の知識と私以上の機転を持っている。

 先天的な異能者でありながら、それは超能力というよりは魔術に近い。世界の基盤にアクセスするというやり方は魔術と同様。藤乃のような超能力とは毛色が違う。

 とても形容しづらいのだけれど、『魔術のコツを使って違う手順を踏み、同じ結果を出している』らしい。魔術師じゃない鮮花に橙子先生が興味を持ったのも、そういう部分があったからじゃないかって本人が言っていた。

 その力の運用方法が魔術に極めて似ているために、時計塔でも勉強できるんだとか。そうでなくても魔術師として暮らしていくつもりだから、間違った選択肢ではないそうだ。

 

 この辺りは結構不思議なことなんだけど、今まで超能力者というのがそれなりに観測されているわりに、表に出てきたことはない。

 例えば藤乃の能力なんかは魔術師にひけをとらないどころか凌駕しかねない。発現されるまで殆ど兆候がないから、避けるのが困難なのだ。

 式さんみたいなトンデモ能力があれば別だけど、あれは怖い。私だって一般的な魔術師について詳しいわけではないけれど、少なくとも並のそれよりは上だと思う。

 でも橙子先生に言わせると、今まで超能力者というものが表に出てきていないのは、それらの大半が自滅してしまったからだそうだ。

 つまり、自分自身に耐えられない。開いたチャンネルが他人と噛み合わず、精神が壊れてしまう場合が多いのだ。

 さらに魔術によって再現するのが不可能に近いという点もあり、魔術協会は全くと言って良い程に超能力について把握していない。

 というよりも、超能力というのは千差万別で、括ることができないと橙子先生は言っていた。

 

 だからこそ、異能者として活動していくつもりならば魔術師の皮を被るのが一番の方法なんだそうだ。そして将来そういう仕事につくなら時計塔で人脈を作る必要がある。

 言葉にすると簡単だけど、紛れも無い苦難の道だ。とりあえず今は普通に暮らしていくつもりらしい藤乃よりも積極的な鮮花の姿勢には、私も見習うことが多い。

 

 

「私も橙子先生からは色々と聞かされていましたけど、先輩のお話を聞くと甘かったんだなって思い知らされます‥‥」

 

「そうだな。遠坂とか紫遙とか桜みたいなのが例外なんだよな。だとすれば、俺は本当に良い知り合いを持てたってことか」

 

「私もそう思います。いい先生を紹介してもらえましたし、いい友人を持つことができましたから」

 

 

 先輩も、遠坂先輩も、鮮花も、橙子先生も、紫遙さんも、こと魔術師という括りのなかでは限りなく異端児と呼べる資格を持っているはずだ。

 誰よりも魔術師然とした橙子先生だって、私にここまでよくしてくれている。それも大した見返りもなしに。

 それを考えると私は、ううん、多分私達の内の誰もが恵まれている。

 一度とならず絶望した今までの日々だって、今この時に貰えたご褒美のおかげで、帳消しといわないまでも少なからず救われた気がしてしまう。

 

 

「‥‥先輩、コレも昨日も言ったことですけど、もう一度だけ聞いてもらえますか?」

 

「ん?」

 

 

 このまま穏やかに家に帰ってしまってもいいけれど、意図していなかったにしても偶然に先輩と出会ってしまった以上は、今までやろうやろうと思って出来なかったことをやってしまうチャンスだ。

 人生の出来事には須く某かの意味がある。どんな些細なことにでも、そこでそうなってしまった、ならざるをえなかった、なるべきであった意味がある。

 そう思わなければ私は救われなくて、だからこそずっと私の今まで全てに意味があったんだと思い続けてきた。

 ならば今、会うつもりのなかった先輩と会ったことにも意味があるはずだ。

 

 

「‥‥私が、衛宮の家に最初に来たときのことを覚えていますか?」

 

「あぁ覚えてるさ。俺が腕を怪我して、そのときのことに責任を感じてわざわざ家事を手伝いに来てくれたんだよな。ホント、最初の頃の桜の料理といったら‥‥」

 

「そ、それはいいんですっ! 今はちゃんと作れてるじゃないですかっ!」

 

「はは、悪い悪い。‥‥で?」

 

 

 半ば黒歴史となっている出来事を持ち出そうとするのを慌てて制止すると、冗談だったのか楽しそうに笑って続きを促してくる。

 ふざけているようでいて、真剣。先輩のこういう顔はあまり見たことがない。普通に暮らしていたのだから当然なんだけど、新しい発見に驚いてしまう。

 それと同時に、多分ね‥‥遠坂先輩が、こういう先輩の色んな顔を私よりもずっとずっと知っているんだっていう確信に近い感情が湧いてきて、少しだけ、落ち込んだ。

 この感情は私の悪い部分でもあり、武器でもある。私の使う虚数の魔術は私の負の面をさらけだす魔術だから。

 だからこの黒い感情を制御するための術もしっかりと教わっているし、練習もしている。コレも私の一部だと、認めなければ魔術は行使できない。

 

 

「実は‥‥あれはお爺様の命令だったんです」

 

「え?」

 

「第四次聖杯戦争の勝利者である衛宮の家の偵察に、私を向かわせたんです。その後も先輩が危険な鍛錬をしているのを見て、それでも止めなくて‥‥先輩が死んじゃうかもしれなかったのに‥‥」

 

「桜‥‥」

 

 

 止められない涙がこぼれ落ちてくるのが、突然に歪んだ景色で分かった。頬を伝った涙がテーブルクロスに染みを作る。

 ある日、衛宮の家に忘れ物をして夜遅くにこっそり勇気を出して戻った時、通りかかった土蔵で見た光景。

 月の光だけが差し込む、どこか神秘的な土蔵の中心で座禅を組んだ先輩が、信じられないことに魔術回路を生成し直していた。

 一歩間違えれば死にかねないその荒行、ううん、自殺未遂に近い意味のない行為を見ても、私は先輩を止めることができなかったのだ。

 

 お爺様から言い含められていた。お爺様に逆らうのが怖かった。何より私が汚れていることが、先輩に少しでも知られてしまう可能性が怖かった。

 今こうして先輩は元気でいるけれど、もしかしたら死んでしまっていたかもしれない。あれはそれほどまでに危険なことだ。

 だから私があの時に怖がっていたがために先輩が死んでしまっていた可能性もある。それは結果論では許されない。

 

 

「聖杯戦争だってそうです。先輩が、私の召喚したサーヴァントに殺されてしまうかもしれなかったのに、私は戦うのが怖くて家の中で震えていたんです。兄さんに全て投げ出して、兄さんだって先輩だって大けがをしたのに‥‥」

 

「桜」

 

「本当に、ごめんなさい‥‥!」

 

 

 俯いたまま、先輩の顔を見ることができない。私の罪を告白するだけでも勇気がいったのだ。先輩の顔を直視するだけの勇気は残っていなかった。

 でも来年このまま倫敦に来て、心に負い目を持ったまま先輩にもう一度会うことができるかと聞かれたら、多分無理だ。

 そうなったらきっと今までの私と同じ。遠坂先輩と仲良くする先輩を見て、黒い思いを必死で殺して生きていくしかない。

 お爺様に縛られていた私と同じ、そんな惨めな生活はしたくないから魔術師として生きていくと決めたのに、今更怖じ気づいていては嘘だろう。

 もしこれで先輩から軽蔑されてしまったら、きっと私は未だかつてないぐらいの絶望に襲われる。

 それでいいはずはない。そんなのは嫌だ。でも、それは仕方がないことだ。

 だから私は怖くて怖くて、先輩がどんな顔をしているか確かめることができなかった。

 

 

「桜‥‥」

 

 

 テーブルの上で組み合わせた手に何かが触れる感触がして、私は思わず堅くつむっていた目を開けた。

 真っ白になるぐらいに握りしめていた私の手に触っていたのは、男らしく無骨で、それでいて暖かくて優しい誰かの手。

 おそるおそる顔を上げてみれば、それは今まで何度かひょんな拍子に触れあうこともあった先輩の手で、その手の先の先輩の顔は優しげな微笑みを浮かべていた。

 

 

「なんでさ」

 

「え?」

 

「なんで桜が俺に謝らなきゃいけないんだ? 桜が俺に何かしたわけじゃないだろ?」

 

「だって先輩、死んじゃったかもしれないんですよ?! 今は大丈夫ですけど、もしかしたら死んじゃってたかもしれないんですよ?! 私が、私が黙っていたせいで‥‥」

 

「もし桜が俺に謝らなきゃいけないんだったら、俺こそ桜に土下座しなきゃならないさ。今まで散々迷惑もかけたし、慎二をああいう目に遭わせたのだって俺に責任がある。桜が辛い思いをしていたのだって、家族だっていうのに気づいてやれなかった俺のせいだ」

 

「家族‥‥」

 

「ああ。桜は俺の家族だ。家族が家族に遠慮することなんかないんだぞ」

 

 

 涙が零れた。次から次へと零れてきて、止まらない。

 さっきよりも激しく目の前の先輩の顔が歪んでしまって、私はそれでも俯かずに涙を零し続けた。

 許すとか、許さないとかそういう問題ではないという先輩の言葉が嬉しかった。救われた気がした。

 

 

「ありがとう‥‥ございます‥‥!」

 

 

 これから頑張ろう。先輩達に追いつけるように頑張ろう。

 私の今までが無駄じゃなかったと、先輩にいつか打ち明けることが出来るようになるぐらい自信がつくまで、まだ長い時間がかかりそうだけど。

 それでも先輩のその言葉だけで、私はこれからずっと頑張っていける力が湧いてきたような、そんな気がした日だった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥ふぅー、やっと終わったわね。ホント面倒な作業ばっかりで疲れるわ」

 

「働いたのは君じゃなくて遠坂嬢と俺だろう? 君はニコニコ愛想笑い浮かべて頭下げただけじゃないか」

 

「適材適所よ。だって私がやることなんて無いんだから仕方ないじゃない。あぁ、遠坂さん本当にありがとうございました。これで来年からつつがなく時計塔に通うことができそうです」

 

「気にしないで下さい黒桐さん。同郷のよしみというやつですから」

 

「‥‥今更ネコ被っても手遅れだと思うけどねぇ」

 

 

 全ての手続きが済み、俺と鮮花と遠坂嬢の三人は時計塔の廊下を出口に向かって歩いていた。

 ちょうど午後の講義は殆ど入っていなかったらしく、生徒が帰ってしまった廊下に人気は少ない。

 とはいっても普段から大して大勢が時計塔の中を闊歩しているわけではないのだけれど、今日は特に、ちょうど内緒話を立ち聞きする輩がいないぐらいには、ということだ。

 

 

「学長じゃなくて、学長補佐に渡したのはちょっと心配だけどね」

 

「大丈夫だよ。バルトメロイ女史は下手したら学長より権力があるから、彼女に渡ったのなら問題ないさ。まぁ彼女ならたかが新入生に何かするっていうこともないだろうし‥‥」

 

 

 基本的に能力がない人間に関して一切の興味を持たないのが、時計塔五大アンタッチャブルな人物、バルトメロイ・ローレライ女史である。

 ちゃんとした手続きに則って受理した書類を適当にすることはないだろうというぐらいの信頼はあるから、遠坂嬢の心配は杞憂というものだろう。

 逆に言えば全く相手にされないというのは、自分の実力にそれなりの矜恃を持っている遠坂嬢としては中々に屈辱的なものではあるんだろうけど‥‥。

 

 

「まぁ前回の死徒討伐の時に呼び出されたのも、学生の中では実戦経験があったっていうだけの理由だしね。彼女の率いる『クロンの大隊』は一人一人が学部長レベルの実力だっていう話だし、いくら才能があっても現時点では学生レベルの俺達に興味はないんだろうさ」

 

「別にいいのよ、その件に関しては。ちゃんと相応以上の報酬はもらったしね‥‥」

 

「俺もあの後、時計塔に帰って報告してからボソリと『卿は正に器用貧乏という言葉を体現しているな』なんて暴言吐かれたしなぁ‥‥。近寄ったら心を砕かれるっていう噂もあながち間違いじゃないかも」

 

「そんな失礼なこと言われたの?!」

 

「まぁ他人の評価を気にしてるようじゃ一端の魔術師とは言えないけど、流石にちょっと凹んだなぁ‥‥」

 

 

 当人にとっては心底どうでもいいことだったのかもしれないけれど、少なからず気にしていた俺としてはちょっとばかりショックであった。

 まぁバルトメロイ女史が俺の魔眼の研究をしっているはずがないから、鉱石魔術の方では優秀の枠には入っていても、結果として研究自体は可もなく不可もなくという学生を気にするはずもないわけだけど。

 バルトロメロイの家って確か相当な完璧主義者で、あそこの家から出てきたのは須く一流以上だっていう話だっけ?

 だとしたらそういう人の心の機微っていうやつに慣れていなくても仕方がないとは思うよ。美人なのに、勿体ない。

 

 

「まぁ彼女でも魔術師としては比較的良心的な部類に入るんじゃないかな。ある程度の矜恃を持って生きているっていう点では。鮮花もそういうところは知っておいた方がいいよ」

 

「なんていうか、橙子先生に似た人だったわね。あの人を無自覚に下に見ているところとか」

 

「そうかい? 俺は似ても似つかないと思うけどね。‥‥まぁ橙子姉から可愛げと茶目っ気と親しみやすいところと世間慣れしたところと優しげとか思いやりとかを全部さっ引いたら少しは似たような人になるかもしれないけど」

 

「‥‥シスコンのアンタに聞いたのが間違いだったわね。私が悪かったから、機嫌直して頂戴」

 

 

 一応は地上部分にある学長室及び学長補佐の執務室から廊下を歩き、大英博物館の裏口の一つに偽装してある出入り口へと向かう。

 とはいっても学長室も他の主要な部屋も、基本的には地上部分と地下深くとに一つずつ存在する。用事によって使い分けているのだ。

 以前に俺達が呼び出された応接室は地下深くにあったものだが、あれはおそらくシエルという教会の人を迎えたがために要塞のような設備を整えてあるところへ案内したのだろう。

 地上部分にある物の方がゆったりと落ち着いた調度に設えてあるが、シエルの場合は万が一ということもあり、防備の堅固な地下へと案内したのではないか。

 逆に言えば協会の心臓部に近いところに部外者を招き入れたということでもあるが、魔術協会も通常の魔術師の工房と同じようなセオリーで作られている。

 乃ち、来る者拒んで去る者逃がさず。防備というよりは、中にいる者を確実に処刑できる陣地のようなものだ。

 いかに埋葬機関第七位と言えども、不穏な動きをするようであれば生きては外に出られまい。

 

 

「あら、蒼崎君ってシスコンだったの? 確かにいっつも口を開けば『姉が姉が』って感じではあったけど‥‥」

 

「誤解を招くような発言はやめてくれ! 俺はただ、魔術師としても人間としても一番尊敬できるのがが橙子姉と青子姉だってだけの話だよ」

 

「それをシスコンって言うんだと思うんだけど。まぁあの二人もいい加減ブラコン気味だし、ちょうど釣り合ってるのかもしれないけどね。‥‥本人の前では絶対に言わないけど」

 

「言ったが最後、人形にされるか消し炭にされるかの二択だぞ。それが賢明だろうけど‥‥だからって俺の前なら大丈夫と判断した是非を問いたい」

 

 

 ギロリと妹弟子の方を睨むがどこ吹く風。ついでに遠坂嬢は俺を弄るという、両者の関係からしてみれば非常に珍しい出来事を味わえて楽しそうだ。今まで意識しなかったけど、この二人が揃うと二乗になるのか。

 

 

「蒼崎君ってお姉さんの名前はよく出すけど、どんな人かってのはあまり話さないのよね。黒桐さん、よかったら少しでいいから教えて下さる?」

 

「教える‥‥か。実は上手く説明するのが難しい人なんですよね。魔術師としては凄い腕前だとしか言えないんだけど‥‥」

 

「俺が小器用だとしたら超絶器用かな。とりあえず専門分野以外でもある程度までならイケるって人でね。魔術師としては間違いなく最高峰だな」

 

 

 橙子姉の専門は人形作りとそれに関連した技術全般。あとは学院時代に専攻していたルーン魔術だ。

 これは間違いなく事実なんだけど、同時に建前でもある。ぶっちゃけ橙子姉は何でも出来る。どんな手段でも出来るわけじゃなくて、どんな結果でも出せるのだ。

 そりゃ橙子姉だって万能じゃないから、出来ることには限りがあるさ。その限りってのが量れないぐらいには何でも器用にこなすけど、それでも出来ないことはある。

 

 

「‥‥でも実際に何でも出来るんだよね」

 

「そうなのよね。なんだかんだで色々捏ねくり回して。とりあえず『こうこうこういうことを頼みたい』って言ったら結構無茶苦茶なことでもやっちゃいそう」

 

「それはまた‥‥凄い人なのね」

 

「三回ぐらい人生繰り返しても追い越せる気がしないね。身内贔屓って言ったらそうかもしれないけどさ、やっぱり封印指定は伊達じゃないよ」

 

 

 結果を出すだけならたいていのことはこなしてしまうのだ。確かに荒事とかには向いてないかもしれないけど、もともとそれは魔術師に要求される技能じゃないし。

 なにより橙子姉は『つくるもの』だ。本来なら戦闘なんて出来やしないはずの俺が支援戦闘とはいえ戦場に立っていられるのも橙子姉謹製の『魔弾の射手(デア・フライシュツ)』のおかげだし。

 

 まぁそんな実際の評価よりも何よりも俺の心を占めているのは、苦痛と絶望に彩られた“あの”雨の夜に見た、路傍に這いつくばる俺を見下ろす一人の魔術師の姿なのかもしれないのだけれど。

 思うにあの時を“俺がこの世界に生まれ落ちた”瞬間と仮定すれば、刷り込みのようなことだったんだろうなぁ。その後にもまた色々あって、あの時の光景が余計に強く焼き付いたのかもしれない。

 

 

「俺の永遠の目標だよ。青子姉も、ね」

 

「‥‥ノーコメントの方向で」

 

「うん、まぁそうだろうとは思うけどさ」

 

 

 姉妹の仲が俺を挟んで一時休戦状態なので鮮花も何回か青子姉に会ったことがあり、多少ならず人物を知っているために明後日の方向を向いて同意できないことを表したが仕方がない。

 

 

「なんていうか、俺も含めて他人には迷惑しかかけないもんなぁ、青子姉は。あれで困った時にはものすごく頼りになるんだけど」

 

「そりゃ魔法使いだもの。無理を通せば道理引っ込むを地でいってるわよね、あの人。別に悪い人じゃないんだけど極力近くにいたくないわ」

 

「魔法使いって、魔法使いって‥‥?」

 

 

 人知を越えた存在に多少の憧れがあったのか、隣を歩く遠坂嬢が呆然と呟いた。彼女の大師父である宝石翁も第二の使い手であるし、仕方がないといえばそうなんだけど‥‥。

 こと魔法使いに関して言えば、所在の知れない残りの二人も含めてろくでもない性格をしているに違いないのだ。これだけは断言できる。

 まだキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグについて詳しくはしらないけれど、少なくとも某割烹着の悪魔そっくりの人工精霊(AI)を魔術礼装に取り付けるあたり、常人とは一線を画しているのは確実だろう。

 

 

「そういえば遠坂嬢、一昨日辺りから随分とお疲れみたいだけど、何かあったのかい?」

 

 

 顔は知らないが教授か講師らしき年配の魔術師と擦れ違ったので会釈し、その時の顔の角度から妙に気になったので俺は遠坂嬢に問い掛けた。

 桜嬢のこともあるだろうけれど、少し精彩を欠いているような気がするのだ。衛宮が心配でしょうがなかった時ともまた違う。

 

 

「‥‥まぁことさら必死に隠すことでもないんだけどね、ちょっと冬木の方でゴタゴタがあったみたいなのよ」

 

「ゴタゴタ?」

 

「えぇ。オフレコにしておいてほしいんだけど、冬木の管理を頼んでいた神父様から提出された報告書の魔力の流れに関する記述に、ちょっと気になるところがあるって大師父がね」

 

「大師父‥‥宝石翁が?!」

 

「向こうの様子を見るからって、調査団を派遣する許可を私に求めて来たのよ。それの関係で色々と折衝することがあってね、最近ちょっと過労気味よ」

 

 

 はぁ、と重い溜息をついた遠坂嬢がトントンと自分の肩を叩く。どうやら大分苦労しているらしい。

 管理地に協会の調査団とはいえ他の魔術師を入れるというのならば色々と面倒な手続が必要になる。

 口約束や書類での決まり事だけではなくて、例えばギアスの類や使い魔による監視など。やらなきゃいけないことは沢山だ。

 

 

「どうも緊急だからってね。本来なら私も一緒について行きたいぐらいなんだけど、流石に学院にいる身分じゃそういうわけにもいかないから‥‥」

 

「聖杯戦争にも使われてる一級の霊地の管理者(セカンドオーナー)ともなると、倫敦にいても大変なんだな」

 

「何言ってるのよ、蒼崎の家だって東京の近くの霊地の管理者じゃない。ましてや魔法使いの家系でしょ? 遠坂に比べたら尋常じゃないはずよ」

 

「うーん、義姉二人は今、本家とは殆ど勘当同然の扱いだからなぁ。一応は当主っていうことになってる青子姉にしても殆ど実家に帰ってないらしいし、俺も全然そういうのは分からないよ」

 

「そ、そうなの? ごめんなさい、話しづらいことを聞いてしまったわね」

 

「気にしないでくれ。たいしたことじゃないよ」

 

 

 大英博物館の裏口の一つで鮮花が胸につけていた来客用の認識札を返す。

 周囲を見ればすぐ近くを大英博物館の一般の職員が歩いているが、こちらを気にした様子はない。弱いながらも認識阻害の結界が張ってあるからだ。

 もちろん、例え発見されたとしても門番に止められる。ここに入れるのは魔術師だけだからね。

 

 

「もっと厳重なのかと思ったけど、拍子抜けね。てっきり魔術を封じられるとか、そういう措置をとられるんだとばかり思ってたわ」

 

「空港とかじゃないんだから‥‥。まぁ魔術師っていうのはそういうのが嫌いな連中ばかりだからね。それに魔術の行使を禁止するぐらい強力な術具になると、早々簡単に手配もできないんだよ」

 

「一定以下の実力の魔術師しか封じられないんですよ。それぐらいの術者だったら魔術を封じなくても問題はありませんからね」

 

 

 俺相手にはいつものように、鮮花相手だと器用にネコを被って遠坂嬢が説明を補足する。

 自分が発する魔力を気づかれないようにする魔力封じの術具っていうのはまぁそれなりにあるんだけど、そもそも魂にまで刻む技術である魔術まで封印する術具は貴重だ。

 あるにはある。けど効果が薄い。ある程度以上の実力者なら無意味に終わる。ついでに言うとかさばるので持ち運びが出来ない。

 それにわざわざそうやって制限しなくても、何か不穏なことがあったら確実に処刑できるのが魔術協会の総本山である時計塔である。

 

 

「‥‥ところで桜のことなんだけど」

 

「なんだい?」

 

「蒼崎君に言ってるんじゃないの。ねぇ黒桐さん、もうネコ被るのもやめるけど、一体どういうつもりだったのか聞いてもいいかしら?」

 

「どういうことですか、遠坂さん」

 

 

 流石にそう頻繁にキャブを使っているわけにもいかないので、遠坂邸へは地下鉄を使って帰る。地下鉄網が発達しているのは倫敦と東京の共通点だ。

 今回は俺と鮮花も遠坂邸へと向かう。デート中であった衛宮と桜嬢から夕食会を行うと連絡があったからである。

 最近はまた食生活が貧困になってきた俺としては渡りに船といったものだけど、遠坂嬢は結構考える所がある模様であった。

 現に今も、魔術に関係する話でないのを良いことに、乗客も疎らな地下鉄のドアに背をもたれて鮮花に詰問している。

 ネコを被るのをやめた遠坂嬢と鮮花が相対すると、さしずめ竜虎相まみえるといったカンジ。

 彼女は倫敦に来てから特徴であったツインテールを解いていることが多いので大人に見えるけど、鮮花も負けていないというのが恐ろしいところだなぁ‥‥。

 

 

「桜と士郎を、その、デートさせたことよ。わざわざ私と蒼崎君を遠ざけてまで二人っきりにさせて、一体どんな思惑があるのかしら」

 

「わざわざ?」

 

「そうよ。あの言い回しだと明かにそうとしか考えられないわ。今まで桜の姉弟子としてあの子と付き合ってくれていたのは感謝するけど、貴方は私達の関係に関しては部外者でしょう? どうにも解せないのよね」

 

 

 ザワリ、と空気が揺れた気がした。なんというか、この場を一刻も早く抜け出してしまいたい。

 現に近くにいた若い男性はそそくさと別の車両まで退散してしまい、俺達が立っているドアの付近の席には既に誰もいなかった。

 遠坂嬢は不機嫌というわけではないにしても不穏な気配を湛えており、鮮花も迎え撃つかのように不敵な笑いを浮かべている。

 

 

「‥‥友人の恋路を応援してあげたいって思うことが、そんなにおかしいことですか?」

 

「恋路‥‥ですって」

 

「そうですよ。遠坂さんも気づいているでしょうけど、桜は衛宮さんのことが好きです」

 

「こら鮮花」

 

「紫遙は黙ってなさい。これは女の問題なんだからね」

 

「‥‥うぇい」

 

 

 たまらず口を挟んだがギロリと睨まれてすごすごと撤退する。なんというか、こういうときに迫力の出せない自分が憎い。

 

 

「桜から色々聞いたんです。そしたらホラ、なんていうか見過ごせなくなっちゃいまして。あの子には是が非でも幸せになってもらいたいんです。今まで散々苦しんできた分も」

 

「苦労してきた分‥‥?」

 

「鮮花っ!」

 

 

 今度こそ失言を許せず車内にくまなく響くぐらいの声で警告すると、自分自身でも気づいたのかビクリと肩を奮わせて黙り込んだ。

 すると当然ながら遠坂嬢の手は事情を知っていると思しき俺の方へと向かう。

 キッとこちらへ視線を向けると魔術刻印が仄かに光るが、すぐに押さえ込む。おそらく感情が暴走したのだろう。

  

 

「蒼崎君、貴方一体桜の何を知っているの?」

 

 

 怒り、だろうか、声ににじみ出しているのは。だが俺に対する怒りではない。おそらくは、自分に対する怒り‥‥?

 それとも憤りというべきであろうか、桜嬢の身に自分が知らない内に何があったか知りたくて、知らなかったことが不甲斐ないというのか。

 おそらくは鮮花と俺のやりとりでソレがあまり良くない出来事であると勘づいたんだろうけど‥

‥やれやれ、えらく湾曲した愛情だこと。

 

 

「‥‥俺が桜嬢に何が遭ったか知ってたとして、じゃあ君はどうするんだい?」

 

「教えて。桜に何が遭ったの?」

 

 

 しくじった。失言した鮮花も悪いが、万全を期すならば俺だって声を荒げてはいけなかったのだ。

 電車はガタガタと揺れ、俺達が降りる駅も近づいてくる。途中で何回か駅に止まったかもしれないけれど、不思議事なことに俺達が乗っている車両には誰もやって来なかった。

 

「教えられない。桜嬢自身がいつか自分で判断して、自分話すさ」

 

「‥‥そう、か。そうよね。ごめんなさい、蒼崎君、黒桐さん、どうかしていたわ」

 

 

 プシューッと音を立ててドアが開き、お目当ての駅についたためにドアにもたれていた遠坂嬢はそういって地下鉄を降りた。

 俺と鮮花は顔を見合わせ、鮮花がバツの悪そうな顔をする。どうにも桜嬢に感情移入し過ぎているようだけど、別にそれ自体は悪いことじゃないぞ。

 

 

「ちょっと先走っちゃったわ、失敗」

 

「応援しどころを間違えたな、鮮花。衛宮と桜嬢とだけならともかく、遠坂嬢と桜嬢の関係にまで口を出しちゃダメだよ」

 

「売り言葉に買い言葉っていうか、向こうから言ってきたから反発しちゃったわ。悪い癖よね」

 

「まぁ君と遠坂嬢とならあぁいうやりとりになるのも想像できたけどね。例え一年でも、年長者相手には敬意を払いなさいよ。ていうかどうして普段は出来てることが出来ないんだか」

 

 

 頭を冷やしているのか、遠坂嬢は俺達より少しだけ前を歩いている。俺達の話し声が聞こえることはないだろう。

 鮮花も多分、遠坂嬢と自我が衝突してしまっただけだ。なんというかキャラが被ってるんだよな。普通ならあそこまで濃い二人がかち合うことなんてないんだけれど。

 とにかく鮮花が桜嬢を応援したいっていうことはわかったから、出来れば今回の訪英では大人しくしておいてほしい。

 なにしろ君は知らないだろうけど、今は衛宮の関係でちょっとゴタゴタしているんだから。

 

 

「桜嬢と遠坂嬢に関しては、君は知らないだろうけどちょっと複雑でね。桜嬢自身が解決するしかない問題なんだよ」

 

「‥‥そういうことなら仕方ないわね。私だって別に、喧嘩腰になるつもりじゃなかったんだけど」

 

「やれやれ、そんなんだから式にも軽くあしらわれるんだよ。仮にも魔術師なんだから、もう少し冷静にならないとな」

 

「式は関係ないでしょ!」

 

 

 目の前を歩く遠坂嬢は一見普段と変わらない様子だけれど、なんとなく不機嫌、というか焦燥しているように感じる。

 どうにも面倒だけれど、こればかりは鮮花に言ったように桜嬢と遠坂嬢が解決すべき問題で、本当に俺達が首をつっこんでいいことではない。

 というか、一体なにがどうなってこんな面倒な事態になったのか理解に苦しむ‥‥って、よくよく考えれば俺のせいなのか?

 

 

「ままならんなぁ、世の中は‥‥」

 

「情けは人のためならず、ってやつかしら」

 

「それはちょっと用法が違うだろう」

 

 

 巡り巡って返ってくるのは恩ばかりではないと、俺は遠坂嬢にはバレないぐらいにこっそりと重い溜息をついたのだった。

 

 

 

 48th act Fin.

 

 

 

 


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