UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第四十九話 『宝石翁の任務』

 

 

 

 side Bazett Fraga Mcremitz

 

 

「‥‥はぁ、はぁ、はぁ、はぁ‥‥ッ!」

 

 

 息が荒い。心臓は限度を超えた負荷に耐えかねてドラムのように打ち鳴らされ、持ち主である私に限界を主張している。

 否、本来なら心臓こそが私を動かしているのだから、これが機械だったりすればとうの昔にプツンと電源が切れていてもおかしくはない。

 それでも私がこうして活動状態を維持できているのは、ひとえに普段から鍛えぬいた精神によって手綱をとっているからに他ならないのだろう。

 もとよりこの程度の負荷ならば日常茶飯事だ。現在おかれている状況が一、二を争う程に危機的であるということを除けば、決して特異な状態ではない。

 

 

「はぁ、はぁ‥‥ん、ふぅ‥‥」

 

 

 数秒、いや、一秒未満で最低限の息を整えてファイティングポーズをとる。それだけでも本来なら致命的な隙になるのだが、今は一対一ではない。

 

 

「大丈夫か、バゼット」

 

「えぇ、まだ十分に戦えます。そういう貴女こそ、魔力は十分ですか? フォルテ」

 

「私は後衛だからな。前衛でヤツと相対している君ほどではない。傷も少ないし、魔力も残っている。ヤツを屠るには十分に過ぎるさ」

 

「そうですか、安心しました。貴女の援護がなければヤツと戦うことはできませんからね。‥‥わかっていたことですが、やはりこの戦力差は覆しがたい」

 

 

 やや後方に立っている同僚から声がかかり、私は顔の向きは変えずに応えを返した。

 単独での任務が多い私だが、当然ながら魔術協会において封印指定の執行部隊という組織に属している以上は誰かと組むということもある。 

 なにしろ私は単騎でもそれなりの人数と戦うことができると自惚れではなく自負しているが、それでもそれは魔術師や、低級の死徒に限られる。

 封印指定級の魔術師には戦闘に不向きな者が多いが、逆を言えば戦闘向きの能力で封印指定をくらい、あまつさえ自身を研究のために死徒と化した者などもいるのだ。

 そういう連中相手だと流石に私一人では万全というわけにはいかない。その際にコンビを組まされることが多かったのが、私の援護をしてくれているフォルテだ。

 

 

「しかし信用してくれているのはいいが、あまり頼られても困る。アレは対魔力が低そうだが、それでも脅威には違いないからな。私の“空気打ち”とて渾身の一打でなければ通用しない」

 

「いえ、牽制になるだけでも今は十分です。なにより貴女の魔術は一工程で発動しますからね」

 

「‥‥ここだけの話、私もここまでコレをこき使ったのは初めてだ。少々不安要素が多すぎる。できれば、短期決戦といきたいところではあるな」

 

「そうですね。アレは顕在魔力量はさほどではないようですが、潜在魔力量はかなりのもの、というよりも底が見えません。持久戦になれば私達が不利でしょう」

 

 

 風使いフォルテ。彼女の使う魔術は“空気打ち”と呼ばれ、音や大気の共鳴を利用して相手に不可視の打撃を与えるものだ。

 彼女が持っている魔術礼装である真っ直ぐな剣には三つの穴が空いており、これを用いて魔術を行使する。剣を一振りするだけで何百メートルと離れた場所へ不可視の打撃が襲う。

 基本的に一工程の魔術で攻勢のものはそう多くない。卓越した風使いである彼女だからこそ可能な技であり、それは凡百の魔術師であれば何が起こったかも分からない内に仕留められ、封印指定レベルであったとしても圧倒されて封殺されてしまうことだろう。

 だが、今の相手は不可視のはずであるそれを弾き、躱し、モノによっては躱すことすらせずに消滅させる。

 さもありなん、アレには対魔力という、こと魔術のくくりに属する攻撃の尽くを消滅させてしまう能力が備わっているのだ。

 

 

「対魔力は数値に換算して‥‥Cというところだな。こちらもそれなりの魔力をこめた打撃でなければ効かないどころか、牽制にもなりはしない、か」

 

「これがBを越える対魔力でしたら手も足も出ないところでしたから、僥倖と言うべきでしょう。まぁ、今の状況が楽かと言われれば一秒足らずで否と返すところですが」

 

「そうだな。これはボーナスに加えて有給休暇でも貰わないことには割に合わん。これが終わったら馴染みの店にいって豪遊させてもらうとしよう」

 

「賛成です。温い黒ビールで思う存分に酔っぱらいましょう。それぐらいは許されて然るべきだ」

 

 

 ギリ、と音がするぐらいに力強く拳を握る。本来なら多少力を抜いておくのがベストだが、今の状況では叶わない。

 常に張り詰めていないと負けてしまう。実力だけではなく、心すらも。それほどまでに目の前の存在は圧倒的であった。

 

 

「‥‥他は?」

 

「全滅だ。十人いた部隊がたった一人相手にな‥‥」

 

 

 一瞬、ちらりと視線を辺りに巡らせる。

 いたるところに人が倒れていた。一、二、三‥‥八人。私とフォルテ以外の、今回宝石翁の命で冬木にやって来た執行部隊全員が倒れていた。

 ある者は心臓を穿たれ、ある者は体を真ん中から上下真っ二つにされ、ある者は姿は変わらずとも、全身の骨を砕かれている。

 確認する暇はないが、おそらくは生きていまい。最初に全員でアレと相対した時から覚悟していたことではあるが、あまりにも圧倒的な戦果に思わず逃げ出してしまいそうになる。

 フォルテにとっては、悪夢だろう。なにしろ部隊の一人一人が一流の戦闘向きの魔術師だったのだから。

 

 

「ここは一旦退却するという手もあるが‥‥」

 

「無理でしょう。そもそもどうやったら出られるのかも定かではありません」

 

「確かにな。それに、単純に増援を送ったところで何とかなる相手とも思えん」

 

 

 最初に調査団が冬木を訪れ、後日全員が死体で発見されたのが二日前のこと。遺体の状況から鑑みて戦闘が行われたことは明らかであり、今日の昼間に私達、協会の中でも指折りの武闘集団である執行部隊が派遣された。

 掛け値なしの強者揃いであったのだが、異常のあった場所へと調査に赴くと突然光に包まれ、気づけば全く別の世界。

 風景そのものは変わらない。だが空は曇天と形容するにはあまりある黒い闇。彼方へと視線をやれば、まるで空間を区切るかのような格子の檻に囲まれている。

 そして冷静に議論を交わそうとした次の瞬間、表れた槍兵との戦闘に突入したのだ。

 

 

「なにより私達以上の戦力は現状の魔術協会に存在しない。増援が来たところで、それこそ魔法使いか封印指定か、英霊そのものでもなければ犬死にだ。ここは私達だけで仕留めてしまうより他ないだろう」

 

「全く、因果な職業に就いてしまったものです。この仕事が終わって一息ついたら、何処ぞに旅にでも出ましょうか」

 

 

 怖い。とても怖い。この戦いは命が削られていく感触がする。

 今まで何度も感じた死の恐怖。そのどれにも勝る程の恐怖が今の私を包んでいた。

 

 

「‥‥でも逃げられない。逃げない。貴様だけは‥‥許さない!」

 

 

 怯えと恐怖と生存本能を、心の底から燃え立つ怒りが凌駕した。

 全身に戦闘意欲をみなぎらせて目の前で得物を構える敵を睨みつける。コイツだけは、許せないのだ。

 

 眼前の敵は、まさしく異形と表現せざるをえない代物であった。

 まず全身は青黒い軽装。真っ赤な線が血管のように走った青黒い装束の装甲は僅かに肩の周りの、これまたどす黒い鎧だけだ。

 その筋肉は均整のとれた絞り込まれたものでありながら、醜悪。ミチミチとこちらまで音が聞こえそうなぐらいに脈打ち、私達を殺そうとする意思に支配されている。

 男の口元をみれば、それは耳まで裂け、任務で仕留めた吸血鬼か、図鑑で見ることのできる恐竜か鮫のようにギザギザの牙がズラリと並んでいた。

 口の中は鮮血よりも鮮やかな深紅。舌は長く、蛇のようにちろちろと踊っているのだ。

 目も特徴的だった。片方の目は眼窩の奥まで引っ込み、見えない。しかしもう片方の目はギリギリまで飛び出てギロリとこちらを睨みつける。

 それは顔中に裂け目のような線が走った凶相で、青い髪の毛は全体がまるで焔のように燃えさかっていた。

 

 

「貴様なんかに負けるものか。“彼”を侮辱した、貴様なんかに負けるものか!」

 

 

 なんということか、それは私が僅かな間を共にした相棒の姿を模している。

 相棒の姿を模しているのだ。それでいながら、これ以上ない程に醜悪に改悪されていた。

 清々しい笑顔を浮かべていた顔は歪み、宝石のような目は見るも無惨に変わっている。子供にでもするかのように私の頭をくしゃくしゃにした手は、今や猛禽類の鈎爪のよう。

 頼もしい言葉を私に贈ってくれた口から出てくるのは、聞くに堪えない叫び声ばかりだ。

 まるで蛮族。猛獣。見る者に害を与える魔物。

 あの蒼い槍兵に対する侮辱に他ならない。それは彼を繋ぎ止めることができなかった不甲斐ないマスターである私にすら、どれほどまでの怒りを巻き起こしたことか。

 

 

「うおおおぉぉぉぉおおお!!!」

 

 

 自らを鼓舞する雄叫びを上げながら突進する。彼のことなら短い間ではあったが良く知っているのだ。

 悔しい話だが、姿は見る影もない程に変わっていても、その身に宿した技は英雄と呼ばれるに相応しいものだ。

 身体に裂くことのできる魔力が少なく、理性を奪われているために鋭さや速さ、力強さは失われている。それでも尚、彼を模した魔物は人間が立ち向かうには強大に過ぎた。

 

 

「■■ー■■ー■ーーーッ!!!」

 

 

 黒板を引っ掻いたような金切り声と、大太鼓を打ち鳴らしたかのような野太い雄叫びと共に紅い槍が振るわれる。

 皮肉なことに、否、不思議なことに、その手に持たれた紅い魔槍だけは寸分違わず記憶と一致していた。

 

 

「ふぅっ!」

 

 

 向かって右から左へと横薙ぎに放たれた槍をスウェーバックで辛うじて躱す。

 やはり、違う。彼じゃない。

 確かにその薙ぎは私でも精神を極限まで集中させて辛うじて躱せる程のものではあったが、彼が振るったものならば天地がひっくり返ったとしても私に躱せるはずがない。

 

 

「だから貴様を許せないのだっ! 彼を侮辱して、私の彼を侮辱してぇ‥‥! 死ねぇっ!」

 

「■■ッ?!」

 

 

 槍が返ってくることに備えて左手を縦にしながら、怒りに任せて右手を打ち込む。

 手応えがあったので続けて右膝も。すぐに足を組み替えて、左手を槍を持った手に沿えると渾身のアッパーを腹に叩き込んだ。

 

 

「下がれっ! バゼット!」

 

 

 まるでトラックに衝突したかのような衝撃音と共にヤツが横に吹き飛んだ。フォルテの渾身の空気打ちのようだが、衝撃だけのようで、次の瞬間にはクルリと宙で回って着地した。

 どうにも殴り合いでは効果が薄い。私とフォルテでは間合いの問題もあって、二対一でも尚相性が悪いのだ。

 

 

「‥‥っ、これは」

 

「危ないところだったぞ、気を抜くな」

 

 

 鋭い痛みが首に走り、手を当ててみるとべっとりと紅い血が付着する。

 ‥‥これはまさか、そうか、牙か。フォルテの援護がなければ私の首は食いちぎられていたところだったというのか。

 間合いが狭まれば槍は振るえまいと判断したが、それでも私の命を奪うには十分すぎるようだ。まったく油断が出来ない。

 幸いにして掠っただけらしく、出血はともかく怪我自体はそこまで深くない。まだやれる。もとよりヤツが沈黙するまでは止める気はないのだから。

 

 

「まるで獣ですね。以前相手にした合成獣(キメラ)を思い出し———ッ、来ます!」

 

 

 ニヤリと怖気が走るような笑みを浮かべた一瞬後、ヤツが私へと目にもとまらぬ速度で槍を突き出してくる。

 ヤツの身体能力自体は聖杯戦争中でのランサーに劣る。理性を失っているために、槍の技術も何もあったものではない。

 だがそれでも不思議なことに、宝具だけはそのままだ。この戦闘中であの槍で傷つけられた傷は、どんな掠り傷であっても治っていない。

 さもありなん、あれこそは世界でも有数の呪いの魔槍。あれでつけられた傷は決して癒えることはなく、その突きは必ず心臓を穿ち、渾身の投擲は軍をも吹き飛ばす。

 

 

「だが、甘いっ! そこです、沈みなさいっ!」

 

「■ー■■ー■ー■ーーーっ!!!」

 

 

 ギイン、と金属音を立ててルーンで硬化させた私の拳が槍を弾く。

 続けて先程と同様に左右の拳と脚でラッシュをかけるが、くるりと器用に反転させた槍の柄でその尽くが防がれ、最後の蹴りと後衛のフォルテからの空気打ちは、大きく後方へと飛ぶことで避けられてしまった。

 ‥‥おかしい、最初の頃の、まるで獣のような一方的な攻めに比べて勢いがない。

 

 

「ならば仕留める! いやぁぁあ———がぁっ?!」

 

 

 まだヤツが宙にいる内に一気に間合いを詰めてしまおうと駆けたが、あろうことか槍を地面に突き刺し、それを支点に脚を回して強烈な蹴りを放ってくる。

 ヤツの持った魔槍、ゲイボルクの長さは約二メートル。自分の身長よりも高い位置からの蹴りに対処できず、私は無様に数メートルも吹っ飛んで倒れ伏した。

 

 

「‥‥くぅ、やはり腐っても英霊、といったところですか。しかし一体誰がこのような」

 

「バゼット!」

 

「大丈夫、まだ戦えます! ‥‥理性や人間性を剥ぎ取り、能力を制限されているとしても、英霊を召喚するなんて第一級の魔術儀式のはず。一体何を目的として———いえ、今はそのようなことを考えている場合ではありませんでしたね」

 

 

 そう、今は目の前の敵を倒すことが役目だ。あまり余分な思考に意識を割いていては一瞬で殺されてしまう。

 私はぎしぎしと悲鳴をあげる骨を無理矢理動かして、再度ファイティングポーズをとる。

 『Stand and Fight』。私の好きな言葉の一つだ。何にしても今は試合ではないのだから、私の準備が整っているかいないかにも関わらず敵は襲ってくる。

 案の定、私が戦闘状態を取り繕った次の瞬間には紅い槍の穂先が目の前へと迫ってきていた。

 

 

「馬鹿な、速———くぅっ、がぁっ?!」

 

「バゼット?! おのれ、貴様ぁっ!」

 

 

 左肩と右の太股。弾き切れずに二カ所に槍が突き刺さった。

 次の瞬間に普段なら有り得ない汚い罵りを吐き出したフォルテの空気打ちが炸裂したためにヤツは一端距離をとったが、それでも怪我をしてしまった以上は不利は更に酷くなって動かない。

 脂汗を流しながらも嗚咽を飲み込み、ファイティングポーズはそのままに感覚だけで傷の具合を検分する。

 少しでも動かすと激痛が走るが、動かせない程ではない。が、少なくともこれで長期戦は無理だ。

 ゲイボルクで傷つけられた怪我は治らない。普段なら治癒を促進するルーンを刻むところだが、その程度では役に立たないだろう。

 今までは掠り傷だから何とかなったが、これほどまでに大きな傷をつけられてしまったからには出血による戦闘力の低下も考慮にいれなければならない。

 とりあえず痛みを無視すれば動かせる。多少辛いが、我慢して勝負をつけなければ。

 

 

「バゼット、無事か?」

 

「‥‥無事に見えるなら眼医者に行くことをお勧めします。痛みは酷いですが、戦闘は可能です。‥‥しかしあの槍でつけられた傷は治らない。あまり長引かせると出血多量で自滅してしまうでしょうね」

 

「成る程。‥‥実はそろそろ私の魔力も尽きる。確かにここは勝負に出なければ、いずれ遠くない内に負けてしまうな」

 

 

 フォルテが私の隣に出てくる。戦いが始まってからおよそ数十分。間断なく戦い続けた顔には私同様一面に脂汗が浮かんでいた。

 彼女自身の魔力の総量はさほど多い方ではない。私もそうなのだが、とにかく圧倒的な力でねじ伏せるのが本来の戦い方なのだ。

 

 

「ですが見て下さい、こちらを警戒しています。おそらくヤツもダメージは蓄積されているはずです。私達の今までの戦闘は無駄ではありませんでした」

 

「殺るなら一気に、ということか。確かに最初に比べて幾分弱っているようには感じる。‥‥しかしどうする? 少なくとも私の空気打ちでは決定打になりえないことは間違いないだろう」

 

「そうですね。私とて死徒ならともかく、ヤツを殴り殺すのは無理そうです」

 

 

 見ればヤツはギリギリの間合い、約三、四メートルを維持しながらこちらの様子をうかがっている。

 こちらが喋っていても襲いかかってこない。これはもしや、自身の回復を待っているのだろうか。

 だとすれば攻めるには絶好の機会ではあるが、それでも私達が動けないのは、やはりこの先の方針というものを決めておかなければならないからだ。

 闇雲に攻めるのはリスクが高すぎる。相手もそうなのかもしれないが、私達が望むのは短期決戦だ。

 如何にコレを商売にしているとはいえ、流石に私だって差し違える気はない。これはビジネスだ。私の命は量に乗せるには重すぎる。

 

 

「‥‥バゼット、私が隙を作ってやる。その隙に例のモノをお見舞いしてやるというのは、どうだ?」

 

「危険です、フォルテ。確かに仕込みは十分ですが、貴女の空気打ちではヤツに隙を作るまでには至らない。それになにより———?!」

 

 

 ぞくり、と今までにない怖気が私の背筋を走った。おそらくはフォルテも同じなのだろう。ヤツへと視線を移すと、恐ろしい光景が広がっていた。

 

 槍が、大気中の大源を飲み込んでいる。まるで川の、否、海の水を飲み干すかとでもいうように大量に。

 あれは宝具だ。英霊の持つ究極の一。そしてヤツの持つ紅い魔槍の力とは因果逆転。『放てば必ず心臓を穿つ』呪い。

 

 

「問答している暇はなさそうだな。いくぞ、合わせろっ!」

 

「フォルテ! ‥‥くっ、いつもいつも強引な人ですね、貴女は!」

 

 

 剣を手にフォルテが突っ込む。アレを発動させてはいけない。

 だが彼女は接近戦が出来ないはず。あの三つの穴が空いた剣は打ち合いに耐えうるような作りをしていないのだ。

 何か秘策があるのか、それとも自身をこそ囮にする気なのか、だが最早事態は動き出している。

 彼女が突っ込んでしまった以上、私は彼女がヤツに隙を作ることを信じて準備するしかない。

 上手くやることを信じて、無傷の右腕に力を込めて集中した。

 

 

「うおぉぉぉおお!!!」

 

 

 フォルテが突っ込む。上段から右手でお飾り程度にしか刃をつけていない剣を振り上げ、ヤツの頭上へと振り下ろす。

 まさに宝具を発動しようとしていたヤツは無防備。そこを狙えば問題はないとそう思った。それは私も一瞬そう思った。

 だが考えてもみるがいい。まさか宝具を発動しようとしていたヤツが、自身への攻撃を許す程の隙を、ますその段階で作るだろうか。

 

 

「フォルテェェエエエ!!!」

 

 

 宝具を放つべく構えていた槍が大源を吸い込むのを止め、くるりと反転したソレがフォルテを斜めに斬り放った。

 それこそが囮だったのだ。宝具を放つフリをして、我々を誘い込む。理性を奪われているはずが何と狡猾なことか。

 ヤツもそうだったのだ。私達との戦いが長引いていることに、決定打がないことに焦れていたのだ。

 『突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)』は助走距離が必要で、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』には溜めが必要だ。

 そして私達は今までの戦いで、不用意に宝具を使わせないように行動していた。それを逆手に取られた。

 

 

「ぐ‥‥甘い、んだよ、この‥‥木偶の坊!」

 

「■ー■■ー■ーッ?!!」

 

 

 が、フォルテは私の予想も、ヤツの予想も超えていた。

 腹を裂かれて尚戦闘意思を持っていた彼女は右手の剣を放り出し、あまりの苦痛に顔を歪ませ、歯を食いしばりながらも左手をヤツへと伸ばし、パチリ、とフィンガースナップを一閃。

 すると、どうだろうか、フォルテの左手の先から真空刃が飛び出し、ヤツの突き出された右腕を半ばまで切断したではないか。

 

 フォルテは何代も続く魔術の家の出身だ。その家のお家芸は風の魔術であったらしい。

 そしてフォルテの魔術刻印は左手にある。どのようなものかまでは聞いていなかったが、成る程、どうやら一工程で真空刃を発生させる魔導書であったらしい。

 対魔力をも突破する程の魔力を込められた真空刃はフォルテが宣言した通り、見事にヤツに隙を作ってみせた。

 

 

「今だ! バゼット!」

 

 

 血を吐きながらフォルテが叫ぶ。右腕を傷つけられたヤツは、左腕だけでは咄嗟に槍を扱えない。

 魔術回路が唸りをあげる。最初から全力稼働させていた疑似神経は私の指令にあらん限りの悲鳴をあげるが、そのようなことは知ったことか。

 友が命を賭けて作ってくれた僅かに一瞬の隙を、無駄にするわけにはいかない。ビシリ、と血管が破裂した感触がしたが、気にも留めない。

 最大回転で仕留める。私の右手が神秘の色に輝いた。

 

 

「『斬り抉る(テュール)———』」

 

 

 戦場の隅に転がっている私の背負っていた円筒。その中に入っていた四つのラックが、今は一つに減っている。

 残りのラックは戦闘中に、あちらこちらへ設置しておいたのだ。このようなことを想定して、こっそりと。

 本来ならカウンターとして使うことでしか能力を発揮できない私の宝具、『斬り抉る戦神の剣(フラガラック)』。

 それを無理矢理、数を揃えることで相乗的に威力を発揮させる。

 本来なら作成するのに多大な労力と時間を伴うラックを複数消費するために滅多に使わない奥の手だが、今はこれより他に手はない!

 

 

「『———戦神の大剣(フラガラック)』!!!」

 

 

 一気にヤツへと近寄り、渾身のアッパーで叩き上げた。そこからは最初に込めた魔力によって、フラガラックが役目を全うする。

 全ての力を使い果たして俯せに地面に倒れ伏し、背中でヤツの断末魔を聞いた。

 彼を侮辱した報いを、しっかりと冥府で味わうがいい。

 

 薄れゆく意識の中で最後に感じたのは、はらりと私の手の中に落ちてきた、一枚の何かの感触だった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「‥‥入れ」

 

 

 年老いた男の声に従い、俺達五人は重厚な扉を開けて部屋の中へと入った。

 長らく使われていなかったという魔導元帥の書斎は、本の匂いに溢れていて心地よい。

 埃の香りまではしないということは頻繁に誰かが掃除していたということだろうか。だとしたら是非に俺も一緒したいものだ。

 何せホラ、部屋に入った俺の目の前に飛び込んできたのは壁という壁を埋め尽くす大量の本。しかもその全てが一見して貴重な魔術書だったのだから。

 魔術師としては宝の山だけど、流石に魔法使いの持ち物。多分生半可なものじゃない。不用意に手を出したら噛み付かれるかもしれないとかいう意味で。

 

 

「来たか、遅いぞ」

 

「プロフェッサ? どうして宝石翁の部屋に?」

 

 

 部屋の中に入って次に目に入ったのは見慣れた赤い長衣姿。黄色い布を肩にかけ、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた我らがグレートビックベン☆ロンドンスターこと、ロード・エルメロイⅡ世である。

 論理思考や系統分類の権威であり、そういう授業や個人的に見出だした学生の指導を担当しているはずの教授の姿に、俺は思わず疑問の声を発してしまった。

 

 

「どうしたもこうしたもない。突然今回の事件の対策要員に指名されてな。時計塔を西へ東へ大忙しだ。まったく、新しく購入したアンティークが届いたところだったのに、忙しすぎて開封すらできんとはな!」

 

「あー、そりゃお気の毒でしたね、プロフェッサ」

 

 

 この場合の『アンティーク』とは乃ち『古くて珍しく、入手困難なゲーム』のことを指す。

 とはいえココは魔導元帥の部屋。のみならず今だロード・エルメロイの本性というものを知らない衛宮と遠坂嬢もいる。

 わざわざ口に出してカリスマ教授の隠された素顔を露呈させることもあるまい。隣のルヴィアを見れば同感なのか、苦笑いで顔馴染みの教授を眺めていた。

 

 

「なんというか、一応は業務に差し障りのない範囲で嗜む辺りは責任感があると評価してさしあげても構わないんですけど‥‥」

 

「いやいやルヴィア、あれは君がまだプロフェッサと知り合ってなかった頃の話だけど、以前待ちに待っていたものが届いた時には一週間引きこもって、執務室から出てこなかったもんだよ」

 

「‥‥呆れましたわ。そこまで傾倒なさってたとは」

 

「あの時はプロフェッサが受け持っていた学生全員で散々出て来るように説得したんだよね。結局当時すでに一番の古参だったエスカルドスが扉をぶち破って引きずり出したんだけど」

 

「あらまぁ」

 

「えぇい、その話はもういいだろう! ここに来た最初の目的を忘れたのか!」

 

 

 焦れたように怒鳴るプロフェッサの声に、揃って背筋を伸ばして気をつけの姿勢をとる。忘れてたけど、ここは魔法使いの部屋なのだ。

 

 

「ハッハッハ! 相変わらずお前は面白い弟子をかっておるな、ウェイバー坊主」

 

「今はロード・エルメロイとお呼び下さい、宝石翁。それと二人は弟子ではありません。特に片方、彼女がルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトです」

 

「おぉそうか。ならばそっちの黒髪が遠坂凜じゃな。ふむふむ成る程、どちらも良い面構えをしとる」

 

 

 ひょんなことでプロフェッサの本名が飛び出した。彼があの名前を名乗り始めたのは俺が時計塔に来るよりずっと前だから、もしかしてかなり昔から知り合いだったのだろうか。

 知ってのとおり死徒二十七祖の第四位であり、平行世界を自由に行き来することができる第二の魔法使いは滅多に時計塔へは顔を出さない。

 とはいっても別に百年に一度とか、一世代に一度というわけではない。青子姉はここ最近月単位で顔を出しているけど、宝石翁は大体十年単位らしい。

 それならばロード・エルメロイと顔見知りというのも納得である。仮にも魔導元帥の名前を背負っているし、時計塔に部屋があるぐらいなのだから。

 ‥‥とはいっても俺が陣取っている蒼崎の工房は言わずもがな、他の二人の魔法使いの分にしても一応は用意されているらしいのだけれど。

 

 

「ふむ、初対面であることじゃし、まずは自己紹介が礼儀であろうな。ワシは死徒二十七祖第四位、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。今回お主らを呼び出したのは儂の用事じゃな」

 

 

 老人だ。間違いなく老人だ。しかし背筋はしゃんと伸び、眼には未だ力が宿っている。

 こうして立っているだけでも、セイバーと同様に俺達では適う相手ではないと分かってしまうのだ。

 というかデカくないか? もしかしてこの人ってば俺よりも大きくないか? 体格もがっしりしてるし、力も強そうだ。

 なによりも、全盛期から衰えたとはとても思えないぐらいの魔力が満ち溢れている。この場の誰よりも勝っている。セイバーは魔力供給が不十分だしね。

 青子姉はあまりにも近すぎて分からなかったけど、やっぱり魔法使いってのは格が違う。そういうのが感じ取れるのも俺が魔術師として成長した証なのだろうか?

 

 

「お初にお目にかかります、大師父。遠坂家第六代当主、遠坂凜にございます」

 

「ふむ、お前が永人の末裔か。‥‥あまり似とらんのう。あ奴は純朴そうな典型的な日本人じゃったが」

 

「祖父の代で外国の血が入りました故」

 

「極東で戯れに弟子にとったが、あ奴は才能の欠片もないような魔術師であったな。しかしまぁ、六代でここまで伸びたとはな。案外に眼がある血筋じゃったか、僥倖じゃな」

 

「勿体ないお言葉にございます」

 

 

 恐縮しきった遠坂嬢が九十°に近い位置まで頭を下げ、まるで孫にするかのように宝石翁が遠坂嬢の頭をポンポンと優しく叩く。

 予想通り手はゴツゴツとしていて、遠坂嬢はびっくりしたように眼を見開いたがされるがままにしていた。

 

 

「お初にお目にかかりますわ、大師父。エーデルフェルト家次代当主、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと申します。此度はお声をかけていただきありがとうございました」

 

「フィンランドの家か。かなり昔に目をかけた覚えがあるが、ふむふむ、順調に才を伸ばしたようじゃな。よいことだ」

 

「父からもお話は伺っております。お目にかかれて光栄ですわ」

 

 

 続いてルヴィアも頭を下げるが、どちらかといえば慣れているのか下げ方は遠坂嬢に比べて落ち着いている。

 貴族の娘としての矜恃を感じたのか、宝石翁も遠坂嬢と同じように頭を叩きはしなかった。

 この辺りは遠坂嬢が何だかんだで親しみやすい性格をしているというのもあるのかもしれない。というよりも、残念ながら日本人は童顔であるということなのかもしれない。

 そうだとしたら色々なところで損してるとしか思えないわけだけど‥‥。そういえば俺もルヴィアに同い年だと思われてた時期があったっけ。

 

 

「そちらは?」

 

「衛宮士郎です。遠坂の‥‥遠坂凜の弟子をしています」

 

「凜のサーヴァントのセイバーです。以後お見知りおきを」

 

「その年で弟子を持ち、英霊までも使い魔として従えるか。これは将来が楽しみな逸材だな。ハッハッハ!」

 

 

 楽しそうにかんらかんらと笑う宝石翁に対し、ルヴィアは遠坂嬢の方が贔屓されたと感じてどこはかとなく不満げだ。

 流石に分かりやすく表情に出すということはないけども、それなりな付き合いであるために簡単な感情の機微ぐらいは分かる。かなーり機嫌が悪い。

 さもありなん、宝石翁と言えば遠坂の家と同じくエーデルフェルトの大師父だ。長い歴史を持つエーデルフェルトの家の方が贔屓されていると考えるのは当たり前で、そこは最近めっきり遠坂嬢との付き合いが増えているルヴィアでも考えずにはいられないところなのだろう。

 

 

「ところでお主は?」

 

「鉱石学科所属の蒼崎紫遙です。‥‥あの、もしかして俺は呼ばれてなかったり、とか?」

 

「んなわけがあるか。‥‥ふむ、お主がブルーの義弟(おとうと)か。確かに聞いてはおったが、中々に聡明そうな顔立ちをしておるのう」

 

「え、青子姉を知ってるんですか?」

 

「当然じゃろう、魔法使い仲間だぞ。お主のことはブルーから色々と話を聞いておる。他に比べると目立ちはしないが、成る程、誰かの補佐をすることに長けているようだな。まぁ今の調子で精進せい」

 

 

 遠坂嬢と同じくポンポンと頭を叩かれる。節くれ立った手は確かに男のものだけど、長く生きているからか包容力のようなものを感じた。

 それは今まで感じることがなかった父性のようなもので、一瞬俺も遠坂嬢と同じように呆けてしまう。

 あぁそうか、遠坂嬢も早くに父親を亡くしているんだったか。これは宝石翁がどう考えているかとは別に、長いときを生きたがために自然と生じている父性なのかもしれない。

 なんというか、厳格な大魔法使いとしての印象と同時に、おじいちゃんみたいな、親しみやすい雰囲気も感じてしまう。

 

 

「ん? どうかしたかね?」

 

「あ、いえ何でもありません! それで、どうして俺達が呼ばれたのかをお聞きしたいのですが‥‥」

 

「確かに。だが今回は別にお主を呼んだわけではなくてな、どちらかといえばワシの孫弟子共に用事がある。お主らはその補佐といったところか」

 

「はぁ‥‥?」

 

 

 宝石翁の言葉に瞬間、遠坂嬢とルヴィアが緊張する。何せ大師父からの任務だ。どんなものかは知らないが、これの正否が今後を左右するかもしれない。

 基本的に時計塔で重要になるのは血縁とか、そういう権威ある人物からの推薦とかだ。まかり間違っても実力主義ではないのである。

 この辺りは過去にウェイバー・ベルベット少年が口惜しく感じ、今もロード・エルメロイが度々愚痴を漏らすところであるのだけれど、そもそも昔は普通の社会でも縁故というのが重要であったのだ。

 

 民主化その他に伴い一般社会では実力主義が採用されつつある流れであるが、時計塔は過去に向かって疾走する人種達の巣窟であり、なおかつ魔術も同様に血筋というものが重要な技術。

 そうなれば縁故や血筋が重要になるのも自然な流れというものである。そも革命なんてものがまかり通る世界ではない。

 もちろん文句なしの実力を見せつければ別らしいけどね。例えば蒼崎なんてのは魔法使いの家系ではあっても、その家系自体は決して古いわけではないし。

 橙子姉が時計塔に来たときも随分と苦労したらしい。それでもそういう有象無象を実力で押しのけてしまうのが橙子姉であるのだけれど。

 

 

「さて、何から話そうかの‥‥」

 

「閣下、宜しければ私から説明しましょうか?」

 

「そうじゃな、ではお主に頼むとしようか」

 

「はっ。では今回の事件について話そうか」

 

 

 キリリ、と不機嫌ではなく真剣な顔でこちらに向き直ったプロフェッサーが手元に持った書類に視線を落とす。

 何綴りもの分厚い書類は報告書であろうか。ちらりと見た表紙には『EYES ONLY』と書いてあったように見えるから、尋常ではないほどに重要な事件なのだろう。

 というか、いくら学生であったとしても俺達五人を緊急に集めるのならば尋常でないのは当然だ。

 自惚れではないけれど、少なくとも学生の中では戦力、学力共に群を抜いているのが遠坂嬢とルヴィアで、真実俺もそれに次ぐ。衛宮も戦闘は大得意だし、セイバーは言わずもがな。

 前回の死徒討伐の折に改めて自覚したことだけど、彼女達三人揃うだけで魔術協会の執行者一人か二人には間違いなく匹敵する。

 

 

「今回の事件はトオサカの管理地、冬木にて起こった。先日観測された霊脈の異常と特殊な魔力波長については既に連絡が行っているな?」

 

「はい。私の権限で立ち入り調査の許可と、禁止事項その他をまとめて誓約(ギアス)の儀式を行いました」

 

「では話は早いと思うが‥‥実は先日、その調査団全員が遺体で発見された」

 

「なん‥‥ですって」

 

「調査団全員は遺体で発見された。幸いにも目撃者はおらず、事後処理も完璧にしてある。神秘の秘匿に問題はない」

 

 

パラリ、と書類をめくる無味乾燥な音だけが部屋に響く。冬木の管理者である遠坂嬢だけではなく、衛宮もが言葉も無く立ち尽くしていた。

 魔術協会が派遣した調査団が全滅。言葉にすればやけに簡単な響きだけど、ことは確かに尋常ではなく深刻極まりない。

 なにしろこれは乃ち、冬木の地に協会と敵対する何者か、何物かが存在するという証である。つまるところは管理者の責任と言えよう。

 

 

「ちょ、ちょっと待って下さい! 確かに冬木は聖杯戦争の兼ね合い上、何かと物騒な土地ではありますが、あそこに住んでいる魔術師は三人、その誰もが当時冬木を留守にしていました!」

 

 

 衛宮は知らないことだろうけど、桜嬢もきちんと魔術師として登録を協会の方で受理しているはずだ。

 先日遠坂嬢から聞いた話によれば調査団が冬木に入ったのはせいぜい数日から一週間未満前のこと。桜嬢はその時期渡英のために東京は伽藍の洞にいたそうだから、理屈上冬木に魔術師は存在しない。

 ついでに言えば日本の都市部で魔獣の類が自然発生した例は、ここ数年はめっきり途絶えて久しい。もっとも魔術協会の目が行き届き難い土地なわけだけど、それにしたって不審な話だ。

 

 

「ふむ、そうなると外部からの侵入、というのが妥当な線でしょうが‥‥」

 

「十人規模の魔術師の集団など、魔術協会の調査団以外にありえませんわ。例え何らかの思惑を持って冬木の地に侵入したのだとしても、普通は協会の人間に攻撃を加えたりはしないでしょう」

 

「突発的な遭遇で口封じのためやむなく‥‥というのも間抜けな話だしね。他人の管理地に侵入しようって輩が、そんな馬鹿みたいな失態を侵すはずがない」

 

「なにより調査団とはいえ、まがりなりにも協会所属の魔術師ですわよ? それが十人、これを殺し尽くすような魔術師が間抜けであるはずもありません」

 

 

 俺の言葉にルヴィアが返す。互いに可能性を提示して否定し合うというのは二人で問題について議論する際のパターンのようなものだ。

 二人会議の結果は一部肯定一部否定といったもの。彼女のテリトリーである冬木に遠坂嬢以上の魔術師が潜伏していたというのは考え辛いし、外部からの侵入にしては対処というか、行動があまりにもお粗末だ。

 つまり一般的な事例とは掛け離れている異常事態(イレギュラー)。あまつさえ人死にが出ているとすれば本格的に覚悟を決めて調査に赴くのは当然の流れだ。

 

 

「つまり私達に調査に赴け、と? しかしロード・エルメロイ、私達だけならともかく、私の管理地に部外者である蒼崎君やルヴィアゼリッタを連れていくには些か問題が———」

 

「話は最後まで聞け、遠坂。我々はこの報告を受け、特殊な事態として憲章にも記されている協会の権限を使い、管理者である君に無断で十名からなる執行者の部隊を派遣した」

 

「まさか、強制執行?! そんなの今世紀でも数えるぐらいしか発動されていない強権ではありませんの!」

 

 

 立場もあって魔術協会の組織について詳しいルヴィアが驚愕の声を上げた。

 通常なら極めて重大な神秘の漏洩や、魔術社会全体に悪益を齎しかねない事件に際して執り行われる“管理者の存在する霊地への強制執行”。

 魔術協会と管理者の間で執り行われた契約を一方的に破って発動される強権は、管理者の矜持や尊厳を真っ向から踏みにじるに等しい危険な行為だ。

 公正かつ厳格であることを要求される魔術協会の立場をも脅かしかねないそれは、管理者のいない普通の土地ならともかく、冬木のような一級の霊地に対して執り行われるものでは決してない。

 事実、遠坂嬢は怒りのあまり顔面を蒼白にさせ、今にも暴れ出しそうな左手を片方の手で力の限り握り絞めることで抑えている。

 

 

「この件に関しては閣下からの下命でもある。理由は追って説明するから少し抑えろ、トオサカ」

 

「‥‥はい。それで、執行部隊を派遣してまで私達を呼び出した理由は何ですか?」

 

「その執行部隊までもが見事に全滅したからじゃよ」

 

 

 地上部分に存在する魔法使いの部屋には窓がある。その窓に面した机と椅子にかけていた宝石翁が先程までの好々爺然とした様子とは一転、真剣な顔で口を開いた。

 

 

「全員が全員、実績も厚い腕利きの執行者だったんじゃが、二人を残して全滅じゃ」

 

「そんな、封印指定の執行者が八人も‥‥?!」

 

 

 時計塔に長い俺とルヴィアだけではなく、俺達の知り合いであり、不思議な縁でその強さを知っているバゼットを思い出して衛宮達も絶句した。

 普通に生活している分には全く関わることがないから分かりにくいかもしれないけど、バゼットに限らず封印指定の執行者とは掛け値なしの戦闘集団だ。

 普通の執行者なら束になってもセイバーには敵わない、なんていうと幻滅するかもしれないけど、逆を言えば束になればセイバーと戦闘らしい戦闘が出来るということなのだ。

 その中でも上級の者といえば、俺や遠坂嬢やルヴィアはもとより、比較的戦闘技術が高い衛宮だって歯牙にもかからない程に強い。

 それが十人。もはや束と形容しても構わないような数だけ集まって、それでも全滅してしまうような相手など、それこそ世界最強の一角に名を連ねる存在以外有り得ないだろう。

 

 

「生き残った二名の調査によって敵の正体が判明した。昨日今日という程に短い期間であるから明確な結論ではないが、おそらくは黒化した英霊ではないかということだ」

 

「黒化した、英霊ですって‥‥?!」

 

「存在が捩じ凶げられている、と報告にはある。それでいながら英霊と称するに相応しいだけの戦闘能力を保有していたともな」

 

 

 言い方が難しいんだけど英霊の影だけを呼び出すなら、困難だけど降霊魔術に関係する大魔術の範疇に属する。

 しかし戦闘能力まで再現して実体化させるとなると、それはもはや個人で行使できる魔術としては魔法ギリギリの奇跡だ。そうなると、そもそも可能な魔術師が限られてくるだろう。

 いま隣に正真正銘の英霊であるセイバーがいるからさほど困難なことではないように聞こえるかもしれないけど、それこそ本当に尋常ではない事態だ。

 しかも恐ろしいことに、あろうことか他者に牙を剥くともなると緊急を越えて超危険事態。こうなると即座に時計塔総出で対策に乗り出しても妥当の範疇である。

 

 

「黒化した英霊に理性はなく、バーサーカーのような存在じゃ。おそらく魔力を一度に放出できる量が少ないためにスペックは落ちているようじゃが、それでもあのザマだ。並大抵の術者では相手にもなるまいよ。しかも、新たな問題が浮上して来ておる」

 

「新たな問題、ですか?」

 

「そうだ。これを見るがいい。生き残った執行者が戦闘後に回収した物品の写真だそうだが」

 

 

 宝石翁の言葉を途中で引き取ったプロフェッサが携帯の画面を差し出してくる。

 写真機能を使うのが下手なのだろう。通常モードで被写体にレンズを近づけているためか多少ぼやけてはいるけど、そこには一枚のカードが写っていた。

 全体的に古ぼけたそれは、古い城の廊下に飾ってある肖像画のよう。目一杯に槍を構えた中世の軽装姿の男が描かれており、その下にはシンプルなアルファベットで何か書いてある。

 

 

「L・A・N・C・E・R、『Lancer(ランサー)』? ‥‥ちょっと待って、まさか!」

 

「気付いたようじゃな」

 

「大師父、まさかこれって‥‥?!」

 

 

 机に肘をついていた宝石翁が、引き出しから何らかの書類を取り出した。

 プロフェッサが手に持っているものと同じく表紙には『EYES ONLY』とあり、非常に秘匿性の高い重要なものであることが伺える。

 

 

「ワシも冬木の聖杯戦争についてはいくばくかの知識がある。七人の魔術師が七騎のサーヴァントを喚び出して、万能の願望器である聖杯を求めて殺し合いをする第一級の魔術儀式じゃな。喚び出されるサーヴァントは‥‥」

 

剣の騎士(セイバー、)槍の騎士(ランサー)弓の騎士(アーチャー)騎兵(ライダー)魔術師(キャスター)暗殺者(アサシン)狂戦士(バーサーカー)の七騎。つまり執行者が戦った黒化した英霊は、あと六体いる可能性が高い、ということですね」

 

 

 それを口にした遠坂嬢も含めて全員が、あまりの驚愕から言葉を失った。

 選り抜きの執行者が十人いて、過半数を犠牲にして漸く仕留めることが出来るほどの敵があと六体。

 如何ほどの悪夢か、想像できるようで全く想像できない。それほどまでに執行者とは戦闘特化の集団であったし、俺達はそこまで戦闘をこなしたことがないのだから。

 

 

「あと六体ものサーヴァントを放置しておくわけにはいかん。かといって大事にしたくないのはお主とて同じじゃろう?」

 

「‥‥そうですね。今までは内密にやって下さったようですが、もしこれ以上の手出しとなると大々的な調査、討伐になるのは間違いありませんし。そうなったら管理者である私の顔は丸つぶれです」

 

「然り。ワシとしても弟子が治める地をむやみやたらと荒らすのは気が引ける。出来ることなら便宜を図ってやりたいが、流石にワシやブルーが出張ると否応なく大事になる。かといって現状の時計塔に、ワシが内密に送ってやれる戦力はない。つまり、言いたいことはわかるな?」

 

「私達自身で討伐しろ、ということですか?」

 

「理解が早いようでなによりじゃ。お主には同じ英霊であるセイバーがおるからな。他の連中も援護として連れていけば、戦力としてはギリギリなんとかなる、といったところじゃろう」

 

 

 遠坂嬢が真剣に宝石翁の言葉に応え、彼の翁は満足そうに笑った。

 言葉にすると自己責任なんて如何にも当たり前のような言葉で片付けられてしまうかもしれないけど、実際これはちょっと度が過ぎている。というより無理だ。

 そりゃ確かにセイバーは英霊で、最優のサーヴァントである。だけど相手が六体もいるならば、決して万全の戦力とは言えないだろう。

 というより俺達の存在意義がない。俺やルヴィアや遠坂嬢ならともかく、衛宮なんて間違いなく犬死にするぞ。アイツ、絶対突っ込むし。

 

 

「お言葉ですが大師父、私がミス・トオサカに同行する理由がわかりません。英霊同士の戦闘に私やショウが介入できるとも思えませんし、嫌な言い方ではありますけど、私達は部外者ですわよ?」

 

「それについても考えてあるわい」

 

 

 ルヴィアの、今まさに俺が言おうとしていた台詞に宝石翁は再度笑うと、ステッキを手に立ち上がった。

 何しろ魔術師というのは利己的な生き物で、いくら宝石翁からの命令といってもこのような無茶苦茶な任務に従事する義務はない。というより理由がない。

 それなりのメリットというか、報酬というモノがなければ動きたくないし、多分ルヴィアもそういうことを要求したくて婉曲に申し出たのだろう。

 

 

「アオザキについては今までの実績に加え、つい先日フラリと立ち寄ってワシらの会議に乱入して来たブルーの推薦があったのじゃが‥‥」

 

「い、異議あり! どうして青子姉が?!」

 

「勝手に会議に入ってきて話を聞いての、トオサカを派遣すると決めたら『じゃあ紫遙も連れていってよ。あれで結構役に立つわよ』じゃと言いおってな。まぁブルーがそこまで薦めるならと」

 

「くそぉ、後で覚えてろよ青子姉‥‥!」

 

「そうでなくともお主らは一緒にいることが多いようじゃしな。仲間はずれもどうかと思ったわけじゃ」

 

 

 お節介な下の義姉に頭痛が止まらない。やっぱり青子姉は面倒ばかり持ってくる。

 思い返せば青子姉が持ってきた数多の厄介事が脳裏を駆ける。死徒討伐、外道に墜ちた魔術師の拿捕、欧州の田舎の町のお祭り‥‥滅茶苦茶だ。

 

 

「そしてエーデルフェルト、お主についてじゃが‥‥。最近、時計塔の中で流布している噂についてはお主も聞き覚えがあるのではないか?」

 

「?!」

 

「ワシが今期で最も優秀な学生を弟子にとるとな。紛れもない真実じゃ」

 

 

 ルヴィアと遠坂嬢の目の色が変わる。そうだろう、何せ最近色々とゴタゴタが続きはしたけど、内心二人は常にこの噂を気にかけていたのだ。

 現存する魔法使いと付き合いができる者は少ない。魔法使いは俗世に関わることが少ないし、何故かは知らないけど基本的に交友関係というものが浅い。

 宝石翁にしたってちょくちょく時計塔に顔は出すけど、親しく付き合っている者など両手の指で数えられるぐらいの数だろう。

 青子姉だって俺とか、伽藍の洞とかに限定される。というか俺こそが時計塔で異常な人物なのだ。

 ‥‥あれ、今まで意識してなかったけど、もしかして俺の人脈って異常じゃないか?

 

 

「しかし調べてみたところ、今期の首席候補は二人いて、どちらもワシの系譜。そして成績も甲乙

つけ難いときておる。これは色々と難しい話じゃの。どちらを弟子にとればいいのかサッパリじゃ」

 

 

 魔法使いの弟子になるということは、今までの研究が一挙に進むメリットを秘めている。

 なにせ二人友が宝石翁の扱う第二魔法の習得をこそ悲願に掲げている。魔法使い本人に師事する機会があれば一も二もなく飛びつきたい気分だろう。

 たとえソレが廃人になるのと紙一重の危険を秘めていたとしても、それだけの価値がある。そして二人はメリットとデメリットを量りにかけてなお、勝率にかかわらず怖れずに足を踏み出す勇気を持っていた。

 

 

「そこでワシは考えたんじゃ。『どちらかに決められないのなら、二人とも弟子にとればいいじゃない』とな。しかしこれにも一応無条件というわけにはいかん。一人ならともあく、二人では周りに示しがつかんからな。そこでじゃ!」

 

 

 カツン、とステッキが床を叩く大きな音が部屋に響き、その場にいた全員が一気に背筋を伸ばした。

 宝石翁はまるで悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべながらも、厳格な魔法使いの雰囲気は崩さずにこちらに向き直る。

 あぁ、やっぱりそうか。魔法使いっていう連中は一切合切が面倒窮まる人種であった。

 今も見ろよ、今羽でのメインは遠坂嬢とルヴィアの二人のはずなのに、周りにいる俺や衛宮やセイバーまでも厄介事を背負い込む羽目になっている。

 

 

「お主ら二人に命じる。冬木へ赴き、残る六体のサーヴァントを撃退し、おそらくは魔術式の要である先程のカードを持ち帰れ! それが成功した暁には、二人ともをワシの直弟子として迎え入れよう」

 

「「かしこまりました!」」

 

「手段は問わん。セイバーの援護に徹するもよし、自らが前面に出るもよし。エミヤとアオザキの力も借りるがよい。二人には別に報酬を与えよう。セイバー、小奴らを頼んだぞ」

 

「はい、剣にかけて」

 

 

 後ろの方に使い魔という立場をわきまえて控えていたセイバーへと視線を移し、セイバーは見えない剣を構えるような仕草でそれに応じた。

 俺と衛宮もそれと同時に頭を下げて同意を示す。衛宮はどうか知らないけど、俺としては報酬が貰え、援護に徹して構わないのならば問題はない。というかいつもそうだったし。

 

 

「とはいえ流石にこれだけでは戦力に問題もあろう。トオサカ、エーデルフェルトの両名にはワシ特製の強力な魔術礼装を授ける。これは冬木へ既に送っておいたから、現地で待っている執行者から受け取るがよい」

 

「お前達、一応は言っておくが無理はするな。確かに宝石翁への弟子入りという報酬は魅力的だろうが、命あっての物種ともいう。正直お前達では荷が重過ぎる仕事だ。撤退しても恥ではない」

 

 

 プロフェッサが続けて珍しくも俺達を気遣う言葉を口にし、心遣いに感謝して再度頭を下げた。

 実質的に重大な任務だけど、何の勝算もなしに彼らが俺達を派遣するはずはない。難しいだろうけど、青子姉に連れ回されているときだってこんなものだったしね。

 今回は事前に色々と準備が出来る上に仲間が多い。もちろん気を抜けば簡単に死ぬし、そういう楽な任務ではないけれど、決して死にに行くわけでもないのだから。

 

 ‥‥俺はこのとき、ある意味で重大な勘違いをしていたのだ。

 まず宝石翁、魔法使いが関わっていることに大して楽とか辛いとか、そういう単純な尺度で測ることがまず間違いだということ。

 そして俺の周りにいる連中というのが尽く第一級のトラブルメイカーで、ついでに主人公という括りに属する人種だということ。

 結局このときのことを後に俺は文字通り死ぬほど後悔する。当時を思い返しての誇張表現などではなく、真実文字通りの意味で。

 俺の人生でも五指に入るぐらい、重大な事件が俺に迫っていることを、それでもこのときの俺は全く想定していなかったのだった。

 

 

 

 50th act Fin.

 

 

 


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